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「俺達の役目は何だ」
「エレン・イェーガーを守り、彼を生かすことです」


即答して。
一瞬遅れて、反抗心が起こった。

眼光鋭いリヴァイの双眸を真っ直ぐに捉え、ジャン・キルシュタインは胡乱に目を細めたいところを堪えていた。
もっとも、こんなところで盾を突くつもりはジャンにもなかったが。

「……不甲斐ねえって面だな」

笑いもせずに告げたリヴァイに、ジャンは途端、背筋を正しているのも馬鹿らしく思えた。
思う一方で背骨は物差しでも入れられたように一瞬で伸び、ピシリと固まる。否応なく鼓動が早まり、忙しなく胸を叩きだす。
自分の小心をつくづく忌々しく思う。

「それで現状に業煮やかして、志願して来たわけか」
「外野でいるのに耐えられなくなっただけです」

なるべく感情を込めずに返して、ジャンは視線を逸らそうとする自分を諫めた。
リヴァイの目が音もなく細められ鋭さを増し、ジャンは危うく言葉に詰まりかける。

「……自分が守るものの在処は自分の目で確かめておきたかった。先日申し上げた通りです」

どうにかそれだけ続け、口をつぐんだ。
ともすれば泳ぎそうになる目を辛うじて一点に留め、ジャンはリヴァイの目を捉え続けた。

不自然に静かな部屋だ。

リヴァイは書斎机の向こうで自分の椅子に悠々と腰かけ、一方のジャンは部屋の中央にポツリと置かれた椅子に掛けている。
扉が厚いのか、外の音は全く届かない。
窓から差し込む光はぼんやりと白く、温度を感じさせない。
呼びつけられてジャンが足を踏み入れた時には、既にこの部屋は蓄積した静寂の底にあった。

そうして二人、さっそく牽制の眼差しで睨み合っている。

ジャンの目にリヴァイの態度は、面談よりも尋問を思わせた。

「役目はお守りだけじゃない」

視線を逸らさずリヴァイが続ける。

「エレンを殺すのも俺達の仕事だ」
「理解しています」

またも即答したジャンに対して。

……理解しています?

とでも言いたげに。
リヴァイが軽く眉を上げみせ、ジャンは背筋を冷やした。膝に置いた掌に汗が滲む。

先程まではリヴァイの側にも多少なりと何か、

『お互い形式だけの面談なんて下らねえよな』

と投げかけてくるような。
倦怠と、ある種の気安さが感じられた。
それが消えた。
手の平の汗を握り潰し、ジャンは静かに居ずまいを正す。じっと姿勢を保ち、リヴァイの言葉を待つ。

「……ジャン・キルシュタイン」

そう間を置かずに。
停滞を払い除けるように呼びかけて、リヴァイは一度視線を逸らし、再びジャンを射抜いた。

「お前にその判断が出来るか」
「……は」
「エレンを生かすか殺すかの判断だ」

やっぱり尋問じゃねえか。

歯を剥き出すのは辛うじて堪えたが、苦い表情はリヴァイにも知れただろう。
それ以上横着な顔をするのはさすがに抑えてジャンは口を引き結び、密かに息を吐いた。

「……それは、自分には出来ません。分を超えています」
「俺の班に入れば権限は与える」

まずは答えてみろ。

面白くもなさそうな顔で面白くもないことを訊いて、リヴァイは椅子に深く背を預け、ジャンへ向けて軽く顎までしゃくって見せた。

沈黙に、ジャンの頬がチリチリと痛む。
空気が帯電している。

「……自分がエレンの同期だからですか」

やがて、憤りを隠せない声音でジャンは呻いた。
可愛げのない真似だと分かっていて、答える代わりに意図を問い返した。

「……ハ」

あからさまに歯向かわれて、リヴァイは大した反応は見せなかった。
むしろ、期待通りの言葉を得たような。

「訓練時代は、よく揉めたらしいな。エレンとは」

リヴァイの声には何か、ちょうど良いところにちょうど良いものを見つけたような。あっさりとした気軽さがあった。

「……自分が」

一方、ジャンは激怒する。

「俺が、"目的"を持って本作戦班に志願したと?」

怒りを隠すつもりもなかったが、絞り出した声は情けなく震えて聞こえた。
熱を逃がそうと荒く息を吐き、ジャンはかぶりを振る。
ギリギリと固められ軋む己の拳を見下ろし、ジャンは、いっそ笑ってやろうかと思った。

せせら笑ってやりたいのは自分自身だ。
一昨日、志願を認められすっかり浮き足立っていた。間抜けな自身をジャンは殴り飛ばしてやりたかった。

『……人員不足はウチの持病だ』

不治の病だろうな。と。

ジョークとは思えない口調でジョークにもならないことを言ってのけ、リヴァイは手元の書類を持ち上げていた。手持無沙汰を慰めるようにパラパラとめくり、目を落とす。その瞼を所在無く見つめて、一昨日のジャンは今日の今と同じ場所に、直立不動で固まり尽くしていた。

『だが俺は部下を選ぶ。どういう酔狂か知らないが、手を挙げる奴は少なくないからな』

ジョークなのか皮肉なのか自嘲なのか自虐風の自慢なのか、その全てか。やはり真意の分からないことを言って小さく首を傾げ、リヴァイは目線を上げるとジャンを見据えた。視線に真っ直ぐに視線を返し、ジャンは鳩尾が突かれたように痛むのを感じた。

『ジャン・キルシュタイン。お前がここにいるのは偶然でも俺も気まぐれでもない。多いに期待している』
『はい!』

そう、無駄に力強く頷いて。
ドのつく阿呆は『情熱を隠せず使命感に燃える若者』を熱演すべく、胸に拳まで掲げて見せたのだった。

つくづく反吐が出る。

「馬鹿げてる……」

一昨日の自分の醜態を思い返し、ジャンは額が痒いほど痺れてくるのを覚えた。
馬鹿げている。何もかも。

「そうも言ってられないのが現状だ。お前も分かってるだろ」

独り言と変わらないジャンの微かな呻きに、応えたリヴァイもいやに静かな囁き声だった。
静寂にますます周囲は棘を増し、痛みをもってジャンを刺す。

「……でしたら、自分がここに呼ばれる理由も無かったはずです。これは尋問ですか?」

馬鹿げてるってのはこの時間のことだ。とぼけやがって。

棘に棘を突き返し、ジャンは険しく目元を歪めた。
怒りに痺れる頭は重く、つい視線が下がる。俯いて自分の膝を、膝に置いた拳をぼんやりと捉え、ジャンは後悔に打ちのめされていた。

分かっていた。
分かっていたはずだ。
お世辞にも自分の技量が及第に届くものではないことは。自分自身身嫌というほどよく分かっていたはずだ。
思えばこんなところに俺がいること自体、現状がいかに逼迫していることを差し引いたとしても、無理があったんだ。

クソ面白くもない事実を反芻し、ジャンはギリギリと歯を軋ませる。

結局俺はアレか。
コイツらからすりゃ、まんまと罠にかかったってわけか?
ふざけやがって。
だが何故今糾弾にかかる?
俺を疑った上で志願を認めたなら何故泳がせなかった?
予定でも変わったか?
"証拠"でも出たか? 馬鹿馬鹿しい。
クソ。どうなる。まさかこのまま審問行きか? 冗談じゃねえぞ。
クソ。クソ! 馬鹿にしやがって。

「……何を勘繰ってるか知らねえが。権限を与えるのは事実だ。俺に付くならな。殺せるか否かは問題じゃない。ヤツらと相対するときはいつだってそうだ。『殺せるか否かは問題じゃない』」

退屈でもしたように自分の手元に目を落とし、またジャンを見やって。
ジャンの激昂とは対照的に、リヴァイは至って素面だった。
殴られる覚悟はとうに出来ていたが、勢い込んで顔を上げたジャンの視線の先で、リヴァイは相変わらず大した興味もなさそうな顔でジャンを見据え、ごくごく平静に目の前の若造を捉えていた。

「……自分が」

それが余計にジャンの腸を煮えくり返らせる。
息苦しさに顔をしかめ、ジャンは渋々、半ばやけくそで先ほどの問いを反芻した。

『エレンを生かすか殺すかの判断』

『エレンを生かすか殺すかの判断』?

守るのも覚束ないジリ貧の現状で、誰がそんなもの下せるっていうんだ。
まして、俺が?
馬鹿げてる。
ほとほと馬鹿げてやがるぜ。クソが。

「……俺が、アイツを。エレンを殺すなどという判断を下すことは、有り得ません。決して」

自嘲に持ち上げようとした口端は、中途半端なところで痙攣した。目の前のリヴァイには怯えたようにしか見えなかっただろう。
構うものかとジャンは息巻いた。
実際俺は怯えている。

「俺個人の感情は関係ない。一兵士として、俺はヤツを自ら傷つけることはありません」

真っ直ぐに顎を上げ、ジャンはせめてもの嫌がらせに、なるべく真摯な表情を作った。

本気で俺を吊し上げるつもりでいるなら、お前らはもうただの大馬鹿野郎じゃ済まない。
やってやれるか。畜生が。

「どうあっても。どれほど犠牲が出たとしても。たとえヤツが暴走し、仲間を食い殺したとしてもです。あくまで掌握と保護に努めます。ヤツはそれだけの存在だ」

唾を吐き捨てたいのを堪え、代わりに反吐が出そうな誠意ある声音を心がけた。情熱と使命を胸に抱えきれずにいる、誠実にして無実の兵士として。ジャンは爛々と両の目を見開き、リヴァイを一心に見つめ続けた。

「それだけの存在が、"惜し気もなく"危険に晒されているんです! おちおち末端にはいられない…!」

皮肉にも、ジャンはエレン・イェーガーの口上を思い出していた。
トロスト区の襲撃される前日、何もかもが変わる前夜。
俺達に何もかもを変えることを説いた、エレンの迷い無い声を。

「何度も申し上げている通りです。エレンの安全は自分の目で確かめておきたい。自分の手で確かにしておきたい! これはただ、俺の勝手な臆病心です」

ひとまず言いたいことを言い切って。
ジャンは溜め息を吐くと、一度唇を結んだ。

100年を覆す存在だ。
俺達の歴史を覆す存在だ。
これまでに人類が犠牲にした総てと同じだけのものを再び失うとしても、俺達はエレンを失うわけにはいかない。

胸に浮かんだ文句の最後までは続けなかった。
飲み込んだのは、我ながらさすがに芝居がかって胡散臭く聞こえそうだったからというのが半分。もう半分は、まるきり仲間の受け売りだったからだ。

アルミンに、リヴァイ班に志願すると打ち明けた晩。
珍しく二人で話す機会があった。随分と長く話し込んだ。珍しくも何も多分あれが最初だ。あれが最初で、何としても最後には出来ない一夜だ。

『エレンを頼む』

会話が途切れた一瞬。不意に差し出された手を思い出す。
気難しいところがある仲間の、珍しく素朴に照れたような笑みも。すぐに握手を返せなかった自分の躊躇いも。
何もかも、随分遠いことのように感じる。

「……無論、指示には従います。班としての判断にも。どうあっても生かすというのは、あくまで俺に判断が許されればの話です」

感傷を振り払って、押し殺した声を漏らした。
静まり返った部屋にポツリと響き、消える。あとはただ沈黙があった。



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