novel
熱くも一瞬のキス

とたとた、と軽い音が広い廊下に響き渡る。
着物の裾がほつれぬように、小走りで走るのだがこれでは折角の料理が冷めてしまう。
大宴会場で待つ他の妖怪どもは、手伝おうともしないし手伝っても迷惑になる限りだ。
だからこうして、毛倡妓や首無などと常に料理を供給し、後で自分らは別に飯を取る、という形だ。
また宴会場は大賑わいで、リクオと牛鬼、それと総大将は静かに食べているのに、どうしてこうも本家の妖怪どもは騒ぐのが好きなのか。
木魚達磨など呆れて眉根に皺を寄せている。
 
その空気に堪えられなくて、食料と酒の供給をして少し話しただけでそそくさと出てきてしまった。
ぱたん、と扉を閉めた瞬間に作っていた笑顔は瞬時に消えて、重苦しい溜め息が口からは吐き出された。
後に続いて出てきた長いウェーブの髪も、同じように溜め息をついていたが、前者に比べればそれは軽かった。
 
「全く・・・これじゃ何時までたっても、私たちがご飯食べれないじゃないっ!!」
「しょうがないわよ。野郎共はいっぱい食べないと、ダメなんだものね〜。どこにあんな大量のご飯が入るのかしら」
「だからって・・・小鬼とかは出入りの時もほとんど役に立ってないじゃない!」
 
ぷんすかという音がよく似合いそうな表情で、氷麗は苛つきを隠せない様子で下唇を噛んだ。
その様子を見た毛倡妓は苦笑して、盆の上にそびえるようにして乗った皿のバランスを整えながらそうねぇ、と他人事のように呟いた。
 
―――――いや、毛倡妓にとっては他人事だ。他人事なのだが、どこか放っておけないところがあるのだからしょうがない。
 
「ねぇ、雪女がムカついてるのは、それだけじゃないでしょう?」
「・・・へっ!?」
 
氷麗はびくり、とあからさまに肩を震わせて、その色白な肌を少し朱に染めていた。
やっぱりか、と宴会場に行ったときから思っていたことを、ゆっくりと言葉にして氷麗に云った。
 
「・・・若でしょう」
「っ・・・!!」
 
にやりと妖美な笑みを浮かべた毛倡妓に氷麗が勝てるわけもなく、氷麗は項垂れるように台所の扉を引いた。
盆の上には毛倡妓と同じくらいの皿が乗っているが、扉を引く手つきは慣れたものだ。
 
「雪女、今日は納豆や小鬼にばかり付きまとわれていたでしょう。いつもなら若の近くに居るのに。
 それが原因じゃないの?」
「そうか・・・も」
 
氷麗はシンクに皿を下げると、水道のコックを捻り、スポンジに洗剤をつけて泡立て始めた。共についた溜め息は大きく重い。
毛倡妓もそれに並んで同じようにスポンジを泡立てるが、氷麗の手が止まっていることに気がついた。
 
「私は若の側近なのに・・・なんで若の傍にいられないのかしら・・・」
「しょうがないわよ、それを考えるのはきっと青や黒だって同じはずよ。いつでも若を護りたい、と思ってるのはきっと皆一緒。
 ・・・雪女の場合は、それだけじゃないでしょ?」
 
またぎくり、と氷麗は身体を強張らせた。変わった黄色い瞳は「何故」と問いかけてきている。
 
「・・・見てりゃ判るよ、それぐらいは」
 
更に顔を真っ赤にしてしまい、もうどうしようもない。
「外に出て冷やしておいで」と背中からかけられた笑いを含んだ声に、いてもたってもいられなくなって台所を逃げるように飛び出した。
 
「・・・純情だねぇ」
 
くすくすと笑いながら皿の汚れをスポンジでこすっては落としてゆく。凄く簡単な作業だが、それが百ほどあると想像すると手が荒れてしまうであろうことが連想できて、思わず顔を顰めてしまう。
 
「・・・なんて顔してるんだい」
「あら、覗き見?趣味の悪い」
「人聞き悪いこと言うなよ、毛倡妓」
 
苦笑して入ってきたのは、人間の頭だけだった。
次いでその胴体が台所に入ってくる。普通ならば悲鳴でも上げて逃げ出すべきなのだろうが、生憎もう見慣れてしまったものだから、驚き方など忘れてしまった。
 
「手伝おうか?」
「そうしてもらえると、凄く助かるね」
「・・・少しは遠慮とかないのか」
「アンタに遠慮なんてしても、今更。でしょ?」
「それもそうだけどさ」
 
首無は皿を追加させた後、毛倡妓の隣に立って皿についた泡を流し始めた。
 
「若好きの毛倡妓にしては、珍しく雪女に譲ったじゃないか」
「なに、嫉妬?」
「まさか」
 
また苦笑して首無は云った。
 
「それに、我慢できなくなったらちゃんと行動に移すさ。僕はそんなに若くないからね」
 
 
***********
 
 
だだだっ、と勢いよく廊下を駆けていく。着物の裾がほつれるのなんてお構い無しに。
妖怪たちはまだ宴会場で騒いでいるらしく、廊下に人気はない。
月明かりと障子越しの明かりだけが廊下を照らしている。熱い顔に触れる空気はキンと冷たく、顔の熱さを早急に奪っていく。
曲がり角に差し掛かったことにも気がつかず、普段ならば一度は確認するのに、そのまま直線に廊下を突っ切った。
 
「おっと・・・つらら?」
 
そこで、一歩踏み出せずに留まった人影を知らぬまま、つららは全力で駆けていく。
普段ならば必ず自分の一声に食いついてくるのに、今日はどうにも気付いていないのか廊下を真っ直ぐに小走りで行ってしまった。
その横顔がどうにもいつもより赤かった気がして、こっそり後ろから付いて行ってみる。いけないことだと頭では分かっているのに、心の中の興味は理性に勝ってしまうものだ。
 
つららはそのまま行き止まりとなる場所で止まって、頬に手を当てたまま動かなくなった。
 
(あああああ・・・どうしよう、こんな顔のまま、若のところになんて行けないぃいい・・・毛倡妓のばかぁっ!)
 
ぶんぶんと首を振って、頑張って顔の火照りを消そうとつららは必死になっているのだが、リクオはわけもわからずその行動をしばし見つめていた。
しかし、その行為が止まないことを悟ると、諦めたようにその手を未だ首を振り続けている華奢な肩に乗せた。
びくーん、とつららの肩が跳ね上がると同時に、悲鳴が上がった。
 
「ひゃぁっ?!」
「つらら、なにそんなに急いでるんだ?
 呼んだのに気がつかないなんて・・・珍しいな」
「わっ、若の亡霊?!!!」
 
ひえええ、と更に叫び声をあげて、つららはぺたぺたとリクオの頬を触り始める。
 
「つらら・・・冷たい・・・」
「えっ、本物?!じゃ、じゃあ宴会場にいた若は偽者?!」
「そうじゃねぇって。抜け出してきたんだよ、宴会場から」
「青や黒が・・・」
「もう飲み比べ始めて、話にならなくなってきちまったからな」
 
苦笑して、リクオはちゅ、と軽くつららの耳に口付ける。
 
「つらら、この後もう何も無いんだろ?」
「えっ、あハイ・・・もう毛倡妓がやってくれてるはず・・・」
「よし」
 
ひょいっ、と軽々と持ち上げられて、足が地面から離れる。
 
「わ、わわわわわわわ若っ?!」
「なに、いつものことだろ?
 何回やっても慣れねぇな、つらら」
 
ニヤニヤと、怪しげな笑みを浮かべた瞬間に、つららにはリクオの考えていることがわかってしまった。
きっと、この後向かうのは若の部屋。
その後することは―――――口に出して言えたものじゃない。
 
「まぁ、あとは慣れだろ、何事も・・・な」
「わかぁ〜・・・」
 
ちゅぅっ、と一瞬強く唇を吸われて。
更につららが真っ赤になったところで、リクオの部屋の前に着いてしまう。
 
「もう一回聞くけど・・・いいだろ?」
「駄目・・・なんて、言えません・・・」
 
にやり、ともう一度口角を上げて笑ったリクオが、そりゃもう鬼にしか見えなくて。
 
 
 
 
熱くも一瞬のキスは彼との会戦を告げるもので。
 
 
 
 
「さ、第一ラウンドの開始だな」
 
なんて言って、人の着物を肌蹴させてくるのだ。
 
 
 
 
 


tugi

あきゅろす。
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