Summer-days [4] [4] 俺は、恵美の泳ぎたくないという理由を悟った。泳ぐならば、髪を束ねるか何かしなければならない。そうなれば、首筋にできた昔の古傷が見えてしまう恐れがある。恵美は、それが嫌だったんだ。 「辛かったんだな・・・」 「・・・」 恵美は、泣き出していた。ベッドに座りながら聞いていた俺の胸の中に飛び込んできた。そこで、恵美は結構大きな声で泣きはじめた。おそらく、父親に暴力をふるわれていたときの恐怖が蘇ってきたのだろう。俺は、そんな恵美の髪を撫でてやった。 「そんな辛い事をよく話してくれたな。もう大丈夫。思いっきり泣けよ。」 恵美はそのあと5分ぐらい泣いていた。 「久しぶりに泣いてすっきりしたか?」 「うん。」 「そうか。そりゃよかった。でもお前、よく話す気になったよな。」 「だから、話す前にも言ったでしょ。一樹君には全てを話す、って。だから、その・・・」 「ん?」 「ううん。やっぱりいい。はぁー。なんか話すことを話してすっきりした感じ。ありがとう。」 「え?俺は別に何にもやってないぞ。ただ単にお前の話を聞いていただけさ。」 「ううん。今まで、親にはこんなふうに話すことなんてできなかったから、私の話を最後まで聞いてくれて、本当に感謝してる。」 「あ、そうか・・・」 そのあと、俺たちは笑いあった。母さんが来るまでずっと。 部屋の戻った私は、一樹の表情の変化に気づいた。 「一樹?なにニヤニヤしてるのよ?」 「ん?そんな風に見える?」 「見える。なにかあったわけ?」 「はははっ。秘密さ。」 「秘密って・・・」 「な、恵美。」 「うん。」 「そう・・・・」 確実に2人の距離は縮まってきている。もちろん、それはいろいろな出来事を経てのことだろうけど。そして、2人の距離が縮まるにつれて、2人の中で“秘密”をつくるようになる。つまり、少しずつではあるが、大人になってきているのである。そんな2人に比べて、私は・・・ 「母さん、この辺りで有名な場所とかある?」 「・・・」 「母さん?母さんってば!」 「え、な、何?」 「何?じゃないよ。いったいどうしたのさ。」 「あ、ちょっと考え事よ。で、何?」 「だから、この辺りで有名な場所とかある?」 「あ、そうねえ・・・分からないわ。何しろなにも調べずに来たわけだし。」 「ええ!?」 「じゃあ、2人でどっかに適当に遊びにいってらっしゃい。」 「母さんは?」 「私はここでいいわ。さあ、早くいってらっしゃい。時間がすぎてしまうわよ。」 「あ、じゃあ行ってくるよ。」 「いってきます。」 「いってらっしゃい。」 こうして俺たちは、ホテルの外に出た。 「でもなあ・・・何があるのか分からないのに、母さんも無茶なこと言うな・・・」 「う〜ん、なんで一樹君のお母さんは、一緒に行こうとしないんだろう・・・」 「さあな。聞いても多分、『子供には関係ないことよ。』とか言われるに決まってるさ。」 「ま、いっか。それより、どうするの?」 「う〜ん・・・ん?おっ。あそこなんてどうだ?」 「え?」 俺は、小高い山のほうにある展望台を指差した。 「や、山だね・・・」 「山だぞ。行ってみないか?どうせ行くとこないんだし。」 「じゃあ、行ってみようか。」 「よし、決定!」 そう言って俺たちは歩き出した。10分ほどで、山の入り口に到着。立て札には、「片道徒歩30分」と書かれていた。俺たちは、そんなことは気にせず、山道を歩き始めた。 ――45分後。 「ふう。やっと着いた・・・恵美?大丈夫か?」 「なんとか・・・」 「ほら、こっち来いよ。」 俺は手をさしのべた。恵美は、その手をつかみ、1歩ずつ展望台の階段を上っていった。そして、上り終わった時、そこにはベランダで見たときよりもずっと高い位置から見ているせいか、さらに海が輝いて見えた。今の時刻は、午後2時過ぎ。まだ太陽は高くのぼっていた。俺たちは、飽きずにそのまま30分ほどいろんな事を話しながら、海を眺めていた。 「そろそろ戻るか。」 「うん。」 俺たちは、手をつないで山道を下っていった。少し・・・いや、かなり照れくさかった。周りには恵美しかいないのに。 ――30分後。 登るときより、15分近くも早く降りることができた。 「さて、これからどうすっかな・・・」 「あ、行くあてないんだよね・・・」 「ああ。なんも調べずに出てきちまったからなぁ・・・本当に、行き当たりばったりとはこのことだな。」 「一樹君のお母さんって良い人だよね。」 「え?母さんが?どうして?」 「えっとね、一樹君と同じように、私の話を真剣に聞いてくれたから。」 「ああ。それか。ま、その点ではいいかもな。」 「ところで、どうするの?」 「これからのことか?そうだな・・・」 思いつくはずがない。それでも考えながら歩いていると、神社への階段を見つけた。30段近くの階段だ。「暇だし、お参りでもしてくか。」 「うん。そうだね。」 俺たちは、階段を上っていった。神社の本堂が見えてきた。風が吹いて、本堂の周りの木々を揺らし、カサカサと音を立てている。 「気持ちいい風・・・」 「ああ。そうだな。」 俺は神社のさい銭箱を見た。俺が恵美に初めて会った時の事を思い出した。あんなさい銭箱の横にうずくまっていたんだっけ。幼い少女のように――。でも、もう大丈夫だろう。なにしろ、俺がついてるからな。そう思うと、なんとなく大丈夫な気がしてくる。うん。絶対に大丈夫さ。 「さて、お参りして戻るか。」 「・・・」 恵美は、風に揺れる葉を見ていた。目が風に揺れる葉を見つめている。なんでそんな悲しそうな目をするんだ?どうして?そんな問いばかり出てくる。 「恵美?」 「あ、え?な、何?」 「どうしたんだ?なんかボーッとしちゃってさ。」 「別に・・・ただ、こんなにゆっくり外の景色を見られるなんて初めてだなって思うとね、なんだか悲しくなってくるの。」 「悲しくなる・・・?」 「うん。普通の人なら何度でも見られるような物なのに、私は見たことがないなんて・・・その、悲しいっていうのかな、こういうのって。」 「今は、悲しまなくったっていいだろ?なにしろ、」 「『俺がついてるから。』とか?」 「う・・・」 「ふふっ。」 「ははっ。」 また俺たちは笑いあった。悲しみを、吹き飛ばすかのように。 「お参りして行こうぜ。」 「うん。」 俺たちは、俺の財布に入っていた、五円玉をさい銭箱に投げ入れ、鐘を鳴らして、静かに手を合わせて祈った。俺はもちろん、「こんな日々が永遠に続きますように」だ。恵美はいったい何をお願いしたんだろう? 「さあて、行こうか。」 「うん。」 「何をお願いしたんだ?」 「へへっ。秘密。」 「なんだよー。教えてくれよー。」 「だーめ。私だけの秘密なんだから。」 「ちぇっ。」 俺たちは、階段を1段1段下りていった。それにしても、本当に、恵美は何をお願いしたんだろう・・・ [前へ][次へ] [戻る] |