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小説
torta di limone レモンパイ


人間の遺伝子の配列を、楽譜に充てて曲を作った、オーストラリアの生物学者が居ると知った。
触りだけ聞いてみたそれは、まるでクラシックのようでもありながら、アフリカの部族が持っているような、そんな、形容するのも難しい類の音楽だった。
アミノ酸の配列が成す音は不思議と調和が取れていて、更に何よりも、遺伝子を楽譜に変換しようとした、一日中音楽の事を考えている訳がない、生物学者の閃きに感嘆した。その突飛な発想、インスピレーションとしか言いようのない現象は、必然ではないだろうか。
「う゛ぉおおぉい!XANXUS!例の奴、かっ捌いてきてやったぜぇ!」
ノックも無しにドアを開けたのは、銀と白の鮫だった。手近な所にあった、燭台を投げる。
「何しやがる!?」
カスザメの分際で、燭台をかわしやがった。小さく舌打ちをする。カスは更に喚く。頭蓋骨を、壊さない程度に殴る。
「…おいカス」
部屋を出て行こうとするカスを見て、閃いた。
「何だぁ?」
カスがアホヅラ下げて振り向く。距離を詰めて、頭を掴む。似合わない、甘い匂いを嫌という程漂わせていた。
手の中にすっぽりと収まる大きさで、後頭部にはワックスを使っているのだろう。多少べたついたが、前髪はさらりとしていた。
「う゛っ…ぉお、な、何だぁ?」
「……」
その、手触りの良い前髪を掴んで…
ブチッ。
思いっ切り引き抜いた。
「痛っでぇえぇえ!!」
「ドカスが!騒ぐんじゃねぇ!」
「う゛ぉおおぉい!どの口がんな事言ってやがんだぁ!?こんのクソボスがぁ!」
鮫という生物は、魚類の中でも高度な知能を持っているのではなかったか。口も頭も悪い。
見目だけは、良い。だから、塩基配列も美しいのではないかと思ったのだ。しかし、この脳味噌は、喋り方や声と同じで、只の騒音に違いない。だが殴っても殴っても壊れない頭蓋骨は、酷く緻密な音階を成すに違いない。
ぎゃあぎゃあと喚くカスザメの腹に蹴りを入れて気絶させると、引き抜いた髪の束を分析して、曲に直した。黒白の幾何学的な模様をした鍵盤を弾いてみれば、存外に美しい旋律となって、鼓膜を擽り、蝸牛に流れ込んだ。
俺は譜面の鮫を指先で撫でて、見るのを止めた。また殴る事を思って、溜め息を吐いた。
数日後、あのカスザメがまた甘ったるい匂いを纏っていて、隣には同じ匂いのレモンパイを食っている跳ね馬が居るのを見て、死にかけるまで殴った。俺のものが俺が触れる前に他人の手に触れたという、一種の裏切りが暴力に拍車を掛けたのだ。
譜面は何処に行ったのかは覚えちゃいない。多分屋敷の何処かには在るんだろう。あの譜面にあった。音符の幾つかは、失われる左手だったのだろう。
たった十六のガキだった。生暖かい、血生臭い、切り落とされた左手しか、持ってはいなかった。完全に信じる事も捨てる事も出来ずに、憤怒に任せて燃やし尽くすしかなかった。
信じるものは、あの左手だけだった。それだけだった。









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あきゅろす。
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