espuma
慶ちゃんとボクのこと
ボクと慶ちゃんは従兄弟同士。
慶ちゃんのお父さんがボクのお母さんのお兄さん。
他にも従兄弟はいるけど、なんだか怖くてダメだった。
慶ちゃんは子どもの頃から明るくてさばさばして頼れるお兄ちゃん的存在。
会うのは夏休みや冬休みくらいの数日だったけど、ボクから気兼ね無く連絡を取れる唯一の人。


「慶ちゃんてちゃんと先生なんだね…」
「奏……ピーマン増やすぞ」
おかずに入っている野菜は残さないこと、と約束をしている。
とにかく口に入れて飲み込めばひとまず栄養になるから。
そう言われている。
ピーマンは匂いも味も苦くて飲み込むのすら大変だから増やされるのは困る。
「ごめんなさい」
とにかく謝って目を逸らすと慶ちゃんの笑い声が響いた。
「まぁ、奏のクラスは担当してないからなぁ」
慶ちゃんは国語の先生。
現代文て教科の先生。
ボクのクラスは担当していないから実際に先生をしているのは見ることがないんだ。
今朝は全校朝会があって慶ちゃんがマイクを持って話をしていた。
風紀委員顧問として。
教室へ戻って浜野くんがいろいろ教えてくれた。
慶ちゃんは毎年1年生を担任しているそうで『あの容姿』でなかなか怖い先生ということだった。
『あの容姿』の慶ちゃんは確かに優しそうに見える。
いや、優しいんだけど。
でも実際はかなり腕っぷしが良いというのは知っている。

「あ、そーだ」
食事はとっくに終了しているのに、ボクがまだ食べているからお茶を飲みながら座っている。
慶ちゃん曰く、食事は楽しく!らしくてそれの一環なんだそうだ。
「奏の入学式の写真、送ったよ」
「………うん」
「びっくりしてた」
「………そっか」
お父さんとお母さんが知っているボクと、今ここに座るボクは少なくとも見た目は別人のようだと思う。
「かーなで」
「慶ちゃん…」
「頑張ってるもんな」
ピーマンを奥歯で噛み締めて目を瞠る。
「俺はねぇ、奏が自分から変わりたいって言ってきたから嬉しかったんだ」
だから協力した、そう言って笑う慶ちゃん。
「あのままでも俺は奏が好きだったけど」
「え?」
「今の方がもっと好きだな」
そう言って目を細めて笑ってくれた。
「慶ちゃん…」
「だからピーマン食え」
「……」




──────

混んだ車内は憂鬱。
でも今朝はそんなことない。
乗り込んだ車内でドアと手摺の隙間に放り込んでくれた大きな手。
少し俯いているのは正面を向くと目の前にある胸元に顔全体をくっつけてしまうから。
額に感じる微かな体温とふわりと漂ういい匂いに目を閉じる。
「かな」
名前を呼ばれて返事をする。
「次だ」
頷くと旋毛の辺りをふわりと撫でられた。

放り出されるように電車を降りて人波に乗りながら改札口を出る。
「新倉先輩」
半歩ほど前を歩く大きな背中に声をかけると返事は無いけど歩調が緩む。
「ありがとうございました」
新倉先輩と会った日はいつもあんな風にしてくれる。
「葉澄」
「ぇ…?」
響くテノール。
「葉澄でいい」
それだけ言うと前を向いてしまった。
名前で、呼ぶの?
トクン…
心臓の音が頭に響いた。




席に着いた途端、浜野くんに覗き込まれた。
「熱あんのか?」
「な、ない…よ?」
「顔赤いぞ」
頬に触れたら確かに熱かった。
「あれ…?」
朝ごはんの時に慶ちゃんは何も言ってなかったから熱はないと思うけど…
「真っ赤だぞ」
近くに居た女子からなんだかキラキラした鏡を借りてきて渡された。
鏡を覗き込んで息を止める。
「な?真っ赤だろ」
なに、この赤さは。
まるで茹でダコ。
「保健室で熱計ってこいよ」
「ぅ…うん」
ノロノロと立ち上がり、鏡を貸してくれた女子にお礼を言ってから教室を出た。

職員室を通りすぎて保健室の前に到着。
ドアを開けようとして手をかけたらドアが開いて硬直。
「あれ〜ぇ」
「あ」
目の前には前髪をピンで留めてタレ目の…タレ目の……
「カナデちゃんどーしたの〜?って顔真っ赤ぁ!」
驚いたように言うとボクの腕を引いて保健室に引き入れた。
「センセー、体温計はぁ?」
椅子に座っていた白衣を着た先生が近寄ってきた。
「千堂、教室に戻れ」
「やぁだよ〜。カナデちゃん、センセーに食われちゃうじゃん」
「食うか、ばかやろう」
眉間にシワを寄せて言うとボクを見る。
「こっち座って、とりあえず熱計れ」
丸イスに座らされて体温計を渡された。
「名前は?」
「松下奏です」
クラスや来室時間を書いていた紙から目を上げる。
「松下奏…?じゃあ、柊先生の?」
「ぁ、はい」
「え〜ぇ?なになに〜、カナデちゃんと慶ちゃんセンセーがなに〜!?」
「従兄、です」
そう告げると、わぉ!と驚いたように声をあげた。
「千堂!おら、お前は授業行けって」
「ずるい〜っ」
「ずるいの意味がわかんねぇよ…」
愚図る背中を押してドアから放り出してしまうとボクの前にある先生用の椅子に座った。
「従兄か…よく似てるなぁ」
似てる…かなぁ?
ボクは慶ちゃんみたいにキラキラしてないよ。
「兄弟でもいけるんじゃないか?」
「そんなこと…」
首を振ったら体温計の音が鳴った。
「どれ…おっと、これはアウトだ」
表示されている数字を見ると先生は眉をしかめる。
「37度8分、と…」
先ほど記入していた紙に数字を書き込んだ。
「寒気は?」
特に感じないので首を振った。
「とりあえずベッドで寝て」
ブレザーとネクタイを取り上げられてベッドへ横になった。
「ちょっと待ってろな」
そう言って保健室から出ていく。
朝から特に体調は悪くなかった。
というか、電車で先輩に会ったからいつもより快適だった。

──葉澄でいい

艶のあるテノールがそう言った。
トクン…
また、心臓の音が頭に響いた。
「ぁ…あ、れ?」
トクン、トクン、トクン…
少しずつ心臓の音が大きくなる。
頬に触れた指からはさっきより熱く感じた。
「えぇ…?」
何だかわからないけど熱が上がってしまったらしい。
毛布に頭を突っ込んだ。

「かーなでー」
ドアが開いたと同時に慶ちゃんの大きな声。
毛布から飛び出て慶ちゃんに飛び付いた。
「ぉ…っと」
「慶ちゃんっ!ボクなんか変だよ〜っ」
「え〜…なにが変?朝と同じだよ」
真っ赤だけど、と付け足された。
「熱がけっこう高いなぁ」
ボクを椅子に座らせると頬を撫でる。
「で、なにが変だって?」
「わかんないけど、なんか変なんだってばっ」
慶ちゃんの手を掴んでぶんぶん振り回す。
「うーん…必死なのは伝わるけど、全然わかんないや」
困ったように笑ってボクの頭を撫でた。
自分でもなにがどう変なのかうまく表せないんじゃ仕方ないか…
短く息を吐いて慶ちゃんの手を離した。
「とりあえず、どうしようかなぁ…」
「帰っても一人?」
「そーなんです」
うーん、と唸りながら額を掻いている。
「慶ちゃん、ボク一人でも平気だよ」
「だーめだよ!」
だってそしたら慶ちゃんは仕事を休まなきゃだよ。
「今日は?」
「ぇー……と、午前フルで放課後は委員会と会議ですねぇ」
こうやって聞くと先生って忙しいなぁ。
「じゃ、午前中ここで寝かせてるんで」
「そーですか?助かります!」
明るい笑顔になった慶ちゃんはボクを見る。
「というわけで、昼休みに迎えに来るから休ませてもらっといて」
「…慶ちゃん?」
「空き時間に家戻るぞ。じゃあ、そういうことで!」
よろしく!と元気良く言って保健室から出て行った。
「と、いうわけだからベッドで寝てるように」
「す…み、ませ…ん」
「しんどかったら呼んでくれ」
頷くと間仕切りのカーテンが閉められた。
「あ、シワになるからこれ着とけ」
カーテンの隙間から放り投げられたのはジャージのズボン。
「……」
保健室に置いてあるものは大は小を兼ねるんだろうか…
ずいぶん大きなジャージだよ。
ベッドへ横になって目を閉じたら熱のせいなのか、ストンと意識が落ちてしまったようだ。


賑やかな声に薄く目を開ける。
白いカーテンと白い天井が見えて保健室なのを思い出した。
「お前ら!てか、千堂うるせーって」
「もう、センセー冷たいなぁ!カナデちゃんの様子見に来ただけじゃーん」
薄く開けた目はもう一度くっついた。
まだ眠い…
「寝てんだよ…だから静かに………こら、新倉!勝手に開けんな」
シャ…
「かな」
空気を震わすように響く声。
「かな」
もう一度、呼ばれたけどくっついた瞼は開かなくて…
ふわりと触れた額への感触。
それからすぐに気配が離れていく感じとカーテンを引く音。
カーテンの向こう側では先生と先輩たちの話し声がするけど、なにを話しているかはよく分からない。
「………」
頭の奥でトクンと心臓が跳ねる音が響いた気がした。




──────

毛布に顔を突っ込んで溜め息を吐いた。
慶ちゃんに付き添われて帰宅する途中で病院に寄った。
風邪らしい症状は見られなくて、疲労かなぁ…なんて慶ちゃんとお医者さんで首を傾げていた。
「迷惑かけちゃった…」
風邪でもないなら何で熱出たんだろ。
風邪だって十分迷惑なのに…
慶ちゃんはボクを布団に突っ込んで、食べ物や飲み物を慌ただしく用意すると学校へ戻っていった。
「自分のことは自分で…」
そうなりたいのに。
実際には全然で、慶ちゃんが居ないと出来なくて。
挙げ句に熱を出して迷惑をかけてしまった。
「ボクってお荷物だぁ」
体を丸めて布団に潜るのはボクの癖。
もう、ずいぶん小さな頃からの。
布団の中には誰も入ってこないから、ボクだけの場所だから。
丸まった状態でお腹を摘まんでみる。
指に感じるのは薄い皮膚の感触。
慶ちゃんの所に来るまでは摘まんだ指の間から溢れるほどの脂肪があった。
たくさん付いていた脂肪は慶ちゃんの作る栄養士さんもびっくりの完璧にカロリー計算された食事と規則正しい生活、運動でみるみる減っていった。
ボク一人では絶対に出来なかったこと。
慶ちゃんがいなかったらボクはお父さんとお母さんの望む高校へ行って、ずっと変わろうと思わなかった。
慶ちゃんがいたから、慶ちゃんが働いている高校へ行きたいと思った。
ボクの我が儘でここに置いてもらってるのに、迷惑なんてかけたらだめなんだ。
「…ぇ」
充電器の上でブルブルと震えるケータイ。
手に取ってディスプレイに表示されている名前に固まる。
──新倉葉澄
保健室で額を撫でてくれた。
優しく…
「あっ」
震動が止んで先輩の名前も消える。
待ち受け画面に戻ったケータイをぼんやり眺める。
──葉澄でいい
頭に響くのは先輩の声。
無口で会っても大して話もしない。
表情もあまり変わらなくて考えていることがよく分からない。
でも、優しくボクを呼んでくれるんだ。
慶ちゃんとはまた違った優しい声で。

──かな

そうやって、呼んでくれる。

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