espuma
お菓子とボク

『返事と挨拶』の呪文を実践して3日。
なんとなくクラスで声をかけられることが増えたなぁ、なんて少し感じ始めた。

ボクの隣に座るのは坊主頭が眩しい野球部員。
この高校の野球部は坊主絶対主義ではなかったはず。
だからけっこう自由な髪型の部員だらけ。
なのになぜ坊主?
あまりにじっと見ていたら頭を撫でながら教えてくれた。
「高校野球って感じだろ!?」
「………そ……ダネ」
明るい笑顔での答えはやっぱり謎。
「松下、無理して合わせなくていいんだぞ」
ボクの前に座る茶髪くんがそうフォローしてくれた。

ボクは名前を覚えるのが苦手です。

「ぇ…と、は…まだくん?」
「は・ま・のっ!」
坊主くんは明るく軽く名前を訂正してくれる。
「ごめ…なさい」
「いーから。んで?」
「浜野くんはいつから野球、やってるの?」
ボクから質問!
ちゃんと会話成立だよ!
慶ちゃん、ボク少し成長したかも!!
「4歳くらいかなぁ…親父に教えてもらって、小学校からはチーム入って」
「すごい…」
4歳の頃のボク…
幼稚園に行きたくなくてお母さんにしがみついて泣いてたよ。
先生は優しかったけど男の子も女の子も怖かったから。
あ、なんか落ち込むかも。
「松下、顔青いぞ」
茶髪くんの心配そうな声に頭を振る。
「だい…じょうぶ!ありがとう、ほたりくん!」
「ほ・ん・だ、な」
「あ…っ」
ほたり…帆足くんは1つ前。
「ごめ」
「や、慣れたわ」
浜野くんも苦笑している。
がっくり肩を落として机の木目を見つめた。
「まぁ、落ち込むことじゃないって」
軽く背中を叩かれて顔を上げると本多くんも笑っていた。
「これ食って落ち着け」
コンコンコンコン…
浜野くんの掌から机に落下していくもの。
飴とチョコレート。
ごくり、と喉が鳴る。
「ご、ごめ…んっ」
せっかくの好意だけど。
素早く集めて浜野くんへ返した。
「あれっ、甘いのだめ?」
「そ…っ!うん、そうっ!だから…」
頭が飛びそうと思いながら、でもガクガクと頭を振る。
「うそつけ」
「ホン、ト…苦手、でっ」
本多くんの言葉に焦りが酷くなる。
だめ。
だめ。
絶対にだめ。
「松下…遠慮しなくても」
「ちが…っ」
勢い良く立ち上がって教室を飛び出した。
後ろから浜野くんと本多くんの声が聞こえたけど、いまはだめ。





廊下を走り抜けて授業を知らせるチャイムに我に返った。
「ここ…」
どうやってこの場所に辿り着いたのか…
キョロキョロと周りを見ても誰も歩いていない。
当たり前、授業中だ。
どうやったら教室に戻れるのかな…
不安になってブレザーのポケットに入れているケータイを取り出した。
いまだに慶ちゃんの番号しか入っていないケータイ。
「…………だめ」
慶ちゃん授業中かもしれないんだ。
こんな迷惑かけられない。
ケータイをポケットに入れて辺りを窺う。
物音一つしない。
授業をしている先生の声もしない。
取り敢えず、さっき走っていた方向とは反対へ足を向けた。


廊下を歩きながらプレートを確認する。
「視聴覚室…」
どうやらここは特別教室が集まっているところらしい。
視聴覚室を通りすぎたら行き止まり?
廊下を見渡して近くにあった階段を登った。
綺麗に磨かれた階段はピカピカ。
嵌め込まれた硝子もピカピカ。
差し込むお日様の光が眩しくて目を細めた。
「あンれー?」
声のする方を見ると前髪をピンで止めた人が階段から降りてきた。
「こんなトコで何してンのー?」
軽い足音をさせてあっという間にボクの目の前に立った。
「ぇ、と…迷って…」
「迷子の迷子の子猫ちゃーん?」
楽しそうに言うと垂れた目が細くなる。
「アナタのお名前なぁに?」
「松下奏、です」
「カナデちゃん、カワイーからこれあげる〜」
手に握らされたのは棒付きの飴。
ぶるぶると首を振って飴を返した。
「あれ〜ぇ?」
「あの、大丈夫…です」
「じゃあ、こっち」
手の上に置かれたものは個包装されたおせんべい。
「ぇと、おなか空いてないから」
やっぱり手に置かれたものを返す。
ザラメがついていてとっても美味しそうなおせんべいだったけど。
「お菓子嫌いなの?」
顔を覗き込まれて思わず顎を引く。
「……はい」
チラリと見えた学年章は黄色。
2年生だ。
先輩だ。
ごめんなさい、と頭を下げた。
「ちぇ〜!餌付け失敗かぁ」
餌付けって…
困った。
こういう時ってどうすればいいんだろう。
教室は分からないし、お菓子はチラチラされるし…
視線を床に移す。
「行くぞ」
さほど大きくはない、でも良く響く艶っぽい声が上の方からした。
「えぇ〜!?ちょっと待ってよ〜」
返事をするタレ目の先輩につられて顔を上げた。
「……ぁ」
思わず漏れた声。
耳に残る艶のあるテノール。
「あれぇ…はーちゃん知り合い?」
はーちゃん…
『ちゃん』付けするにはどうにも不似合いな容姿の人。
ゆるくウェーブした髪の毛はお日様の光を反射してキラキラ輝いていて、とっても綺麗。
それから薄茶の瞳ととっても綺麗で、とっても無表情な顔がボクを見下ろしていた。
「はーちゃんの知り合いならこれもあげる〜」
さっきの棒付き飴とザラメのおせんべいに両手一杯のチョコレート。
自分の手の中にあるお菓子に釘付けだ。
喉の鳴る音が階段に響いた。
「なーぁんだ、やっぱりお菓子好きなんじゃーん」
「ちちちちがいますっ!」
慌てて否定してお菓子を突き返した。
「えぇ〜ぇ?なにそのダイエット中の女子みたいな発言はぁ」
ダイエット中…
自分でも大袈裟なほど体が揺れた。
「なに、図星?そんなちっこいのにダイエットなんかしたら育たなくなるよ〜」
「ちが」
育たなくなるとかじゃなくて…
完全に思考が閉じてしまったように、視線だけがお菓子と床を行ったり来たり。
そうじゃないと、頭を振るけど言葉が出ない。
慶ちゃん…
慶ちゃん…
こういう時ってどうすれば良いの?
「……ぇ…」
手の上のお菓子に大きな手が被った。
山盛り乗っていたお菓子たちは幾つか階段へ落下して、残りは消えていた。
「ぅえ〜…はーちゃんひどいなぁ」
大きな手はタレ目の先輩のブレザーを掴んで中に着ていたニットベストへお菓子を放り込んでいた。
「行くぞ」
文句は流してボクの腕を掴んで歩き始める。
「あああああのっ」
声をかければ足を止めてくれた。
「ど…こ、に」
え、不思議そうな顔されちゃった。
「はーちゃんはぁ、1年の教室近くまで送るって〜」
追い付いたタレ目の先輩の声に頷いている。
それからまた歩き始めたけど、さっきよりゆっくり。
「カナデちゃんはぁ、なんでお菓子食べないの〜?」
隣に並んだタレ目の先輩。
手には青い巾着袋。
お菓子はそこに入っているらしい。
「ねぇ、なんで〜?」
「………太っちゃうから」
「カナデちゃんは細いから太ったって平気だよぉ」
床と上履きの先を見つめながら首を振る。
重たいんだよ。
重たくって…いやになる。
ボクの場所は人より大きめ。
だから迷惑にならないように縮こまって、小さくなって。
それでも邪魔なんだ。
「かな」
響くテノール。
かな…?
ボクのこと?
見上げた先の顔はやっぱり無表情で空耳かと思った。
「かな」
やっぱり響くテノールにもう一度顔を上げる。
「ぅ…?」
ぽかんと開いた口に広がる甘ーいチョコレートの味。
唇に触れた指が離れていく。
「はーちゃん…何してンの」
「これくらい平気だろ」
じっと見つめる薄茶の瞳。
口内で溶けていくチョコレート。
本当に久しぶりで、思わず頬が緩むほど美味しかった。
「あらら〜ぁ…それ、反則だねぇ」
あ…でも食べちゃった。
もうお菓子は食べないって決めてたのに。
「かな」
たぶんボクを呼んでいるので顔を上げる。
「新倉葉澄」
「え?」
──にいくらはすみ
綺麗な名前…
先輩の名前?
「あああのっ」
ひょい、と器用に片眉を上げた。
「どんな字、ですかっ!?」
「…ケータイ」
「ぇ、ぁ…はいっ」
ポケットからケータイを取り出して渡す。
なにやら操作して黒いケータイをくっつけた。
「あっ!はーちゃん抜け駆けー!!俺はぁ、千堂明良(センドウアキラ)でぇす!よろしくね〜」
俺も俺も〜、とボクのケータイを奪って白いケータイをくっつける。
「はい、どーぉぞ」
軽い感触でボクの手に戻ってきたケータイ。

ディスプレイには慶ちゃんの名前に『新倉葉澄』と『千堂明良』の名前が増えていた。
「え?え?」
「お菓子食べたくなったら連絡してね〜ぇ」
「ぇ…ゃ、あの…ぇーと…」
お菓子が食べたいと連絡することはないと思います…
前を歩く大きな背中を見つめる。
見つめたって助けてもらえるわけじゃないけど。
隣ではなぜかお菓子談義が始まって、それにどう答えたらいいのかぐるぐるしながら歩いた。

「そこ曲がれば1年の教室があるよー」
指差された角は確かに見覚えがあった。
「ありがとうございましたっ」
頭を下げたら軽い感触で頭を撫でられた。
タレ目が優しそうに細められる。
「かな」
一歩離れた所から響く声。
キュッ…
上履きと廊下が擦れる音がしてふわりといい匂いに包まれる。
「かな」
その近さは電車でぶつかった時と同じくらい。
正面ではないけど。
「は、い」
あまり人に近付いたことも近付かれたこともないボクは、どこを見たらいいのかわからない。
「メール、な」
さ迷わせていた視線がピタリと合う。
「あ、俺にもね〜ぇ」
明るい同意に合っていた視線が外れる。
視線が外れると背中を向けて歩き始めてしまう。
じゃあねぇ、と手を振る姿と振り返らずに進んでいく大きな背中。

「……メール、送れってこと?」
2人の姿が見えなくなってから、口から漏れた疑問。



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