espuma
変わるための呪文

「友達できたか?」

慶ちゃんの質問にテーブルを見る。
友達…
友達ってさ、話をしないとできないんだよね。
入学式から1週間経った日の朝食でのこと。

毎日、混雑した電車に泣きそうになりながら登校している。
登校はしているけど、休み時間にクラスの誰かに声を掛けることも出来なくて机とにらめっこしている。
だから、友達はいないよ。
「かーなでー」
沈んだ気分に釣られるように頭が下がっていく。
慶ちゃんの手に止められてゆっくり顔を上げる。
「もう奏は諦めんの?」
全部のことを諦めていた自分。
だけど奥底で燻っていた思いが爆発したのは数ヵ月前。
変えたくて、変わりたくて、でも方法が分からなくて慶ちゃんに泣き付いた。
「努力で見た目を変えたけど、それだけじゃ足らないのは奏が一番良く分かってるでしょ?」
高校受験が終わったその日からボクは慶ちゃんの家に転がり込んだ。
うまく説明が出来ないボクの話を根気良く聞いてくれた。
それからボクのお父さんとお母さんを説得してくれた。
心配性で一人っ子のボクをべたべたに甘やかしていたお父さんとお母さんはパニックになったようだけど。
「甘いものが大好物で野菜が嫌いで一人でなんにも出来ない甘えん坊の奏くんに戻るの?」
「…………ヤダ」
もうあんな自分には戻りたくない。
「返事と挨拶はしっかりすること」
「え?」
「今日から奏が教室ですること」
にっこり笑う慶ちゃんを見つめる。
「友達はそれが出来るようになったら付いてくるさ」
「そう…かな?」
「そうです」
自信満々の慶ちゃんに頷くと頭を撫でられた。




返事と挨拶。
返事と挨拶。
返事と挨拶。

呪文みたいに頭の中で唱えながら混雑している電車に乗り込んだ。
頭の中で言葉を繰り返していたからか、そのリズムに乗っていつもより早く駅に着いた。
並んだ位置もいつもより前方。
だから…
「ぅわ…ゎわっ」
背中に感じるのは後ろから入ってくる人たちの勢いある押し込み。
慌てて足を進めたら縺れて前に立っている人に思いっきりぶつかってしまった。
正面からぶつかったせいか鼻を酷く打ったようで涙で視界が歪む。
「すみませ…っ」
それでも自分の不注意でぶつかってしまったから情けない声だと思いながら謝罪を口にする。

──しっかり目を見て話をします

慶ちゃんとの約束が頭を過った。
エイヤっと顔を上げて見たもののもう少し上げないと顔は見えないようだった。
気持ち角度を変えて飛び込んできたもの。
「す…み、ま…せん」
緩くウェーブした髪の毛は金色のように見える明るい茶色で、瞳はそれと同じ色合いの薄茶。
とっても綺麗なとっても無表情な顔がボクを見ていた。
ぎこちない謝罪の後、くっついたままなのに気が付いて慌てて体を離そうとした。
したんだよ。
でも、ぎゅうぎゅう詰めの車内では身動ぎも出来なくて…
「す、みま、せん…っ」
やっぱり謝罪した。
一瞬、流れた沈黙。
「いや」
耳に流れ込んだのは艶のあるテノール。
思わず聞き惚れてしまったのは秘密で。
見つめ合った状態は居心地悪いのでそろそろと視線と顔を下げていく。
これだけ近くに居るせいか、ふわふわとボクを包むような良い匂いを感じる。
この人の着けてる香水とか?
いつもだったら車内のムッとした臭いにいやになるのに、今日はそれがない。
胸元を何とはなしに見ていたら同じ制服を来ていることに気が付いた。
視線だけ動かしてブレザーの襟を窺う。
ブレザーには校章と学年章がついている。
学年章は学年を表すカラーとクラスを表す数字が描かれているもの。
1年生のボクのものには緑色に3という数字。
2年生は黄色で3年生は朱色という風になっているらしい。
目の前の人は黄色の学年章を付けていた。
一年違うだけでこんなに違うもんなんだなぁ…
綺麗だし背は高いし声も雰囲気も大人っぽい。
香水を着けてるのも格好良い。
もしかしたら、慶ちゃんより大人っぽいかもしれないよ。
慶ちゃんは表情がくるくる変わって時々かわいいから。
ボクも来年はこんな風になれるのかなぁ…
身長は無理にしても。
いいなぁ。
ぼんやりそんなことを考えながら電車に揺られるボクは通学中に初めて楽しいと思ったんだ。


鼻先が付くほど近くにある胸元が動いたと思ったら強い力に腕を引かれて車外へ飛び出した。
「…っ!?」
声も出ないくらい驚いて周りをキョロキョロ見渡す。
同じ制服を来た人が何人もホームを歩いていた。
「降りるんだろ?」
掴まれていた腕が解放されて声を掛けられた。
視線をそちらへ遣るとさっきまでボクの目の前に居た人が立っている。
「はいっ!はい…あの、ああああありがとうございましたっ」
ボクにしたらかなりの大声。
慶ちゃん曰く普通の声量。
とにかくお礼を言って頭を下げた。
頭の位置を戻すと不思議なものを見るような視線とかち合う。
「…いや」
でも、それだけ言うとやっぱり無表情で行ってしまった。
緊張にドキドキした胸を労るように少し擦ってからボクも足を動かす。



──────

相変わらず頭の中では呪文のように『返事と挨拶』が流れていた。
そっと教室のドアを開けて滑り込むとボクに気が付く人は誰もいない。
いつものように足音をたてずに自分の席へ辿り着く。
ゴックン。
頭の中に響いた唾を飲み込む音とやけにうるさい心臓の音。
隣の席をチラリと見る。
1人は椅子に座り残り2人は立った状態で楽しそうに話をしている。

返事と挨拶!

「おっ…は、ょ…」
ございますは口内でゴニョゴニョになってしまった。
3人揃って同時にボクを見て驚いている。
慶ちゃん…挨拶したけどだめみたいだよ。
話をしていたのに声かけちゃって邪魔だったかな。
「ぁ、の…ごめんなさ」
「ちげー!ちげーからっ」
座っている人が慌てて手を振る。
「そうそう!謝んなくってもっ」
「俺ら驚いただけだからさ〜」
わぁっと賑やかになった3人に訳が分からなくて視線がふらふらする。
「松下から挨拶してくれると思わなかったから!」
「え?」
無口だと思われてたのかな?
首を傾げて考えてみたけど、良く分からない。
分からないけど、それから挨拶をしっかりと返してくれたから嬉しくて頬がゆるゆるになってしまった。
だけどまた黙り込んだ隣の空気に背筋が寒くなる。
「あ…のっ」
やっぱり見た目を変えてもボクであることは変わらないから…
ニヤニヤして気持ち悪かったよね。
ごめんなさいと謝ろうとしたら、慌てた様子で手を振っている。
「謝んなくったって!」
「え?」
気持ち悪くはなかったのかなぁ。
「も、それでウルウルすんなって〜」
「なぁ?マジで心臓に悪いから!」
「ぇ…あ、ごめ」
「だから謝んなって!」
そう言われて思わず口をつぐむ。
どうやらボクは気にするなと言いたいらしい。
暫く見つめ合ってから頷く。
「………」
椅子に座ってバッグの中身を机に移して息を吐いた。
慶ちゃん…とりあえず頑張ってみたよ。




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