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群青
Duty
背中の衝突防止灯の赤い瞬きが、vortex10の影絵を彩る。
低く逞しい雀蜂の羽音が、空気を叩き付けるように響いた。
テールには白い灯火、機体の左右に輝くのはそれぞれ赤と緑の灯火。
誘導する整備員のライトセイバーの手信号に従って、一定の間隔を開けヘリは浮き上がっていく。
埃や砂を吹き飛ばす強烈なダウンウォッシュは、三沢のヘリ離着陸場に吹き荒れた。
夜のしじまを切り裂き、基地から空母へと、次々に十数機のヘリが飛び立っていく。
鳥海令司少佐は、帽子を振ってそのスズメ蜂たちを見上げた。
川の奔流のような風は、髪を洗い流していく。

三沢の黒曜石のような夜空に浮かぶ雲を、飛行場の灯台が時折照らしていた。
ぐんぐん高度を上げていくヘリの機影は、灯火の輝きを夜空に残し、星のように溶け込んでいく。
あやめや誓、栗駒も、隣で帽子を力一杯振っていた。
軽く左右に機体を振った佐久の機体を、鳥海の軍用高解像度人工義眼は認めた。
気障な挨拶がわりのバンクは、立体型精密レーダーで誓を認めたからだろう。
佐久の視界は複数のレーダーによって上下を含めた全方位最大24kmをカバーしている。
その受信した情報の処理を含めて、到底人間業ではない。

舞い上がった蜂の群れを見送る部下たちを見渡して、鳥海はその顔色をチェックした。

一時期は精神に若干の動揺が見られた誓だが、以前より安定するくらいに回復している。
あやめは柳に風とごとく、特に情熱もなく、いつも淡々と仕事をこなしていた。
鳥海の部下のクルーは8名。
それぞれに癖があり、彼らの性格や状態を把握しつつ、上手く乗りこなさなければならない。

いかに高性能化しても所詮は人間だ。
鳥海自身がそうであるように。

サイボーグは、密接に神経と機械が連動している。
意外とデリケートな人種なのだ。
特に神経質な奴は、図太い奴と組ませながら、尚且つ適度にイレギュラーな状況に対応させる。徐々に場数を踏ませ、慣らすしかない。
クルーの中でも特に神経質な剱(つるぎ)や榛名を、そのために意識的に急かしたりする。
上に立ち、責任を果たすため、憎まれることがあることを、鳥海は理解していた。
嫌われたくない指揮官は、信頼もされない。

灯りの下、クルーたちの青白い顔が浮かぶ。
彼らの上に立つことは、鳥海にとっては面白いことでもあり、また難しいことでもある。
部下たちは戦場で実際に戦ったことがない。
彼らは、いや、彼らの後ろに控える指揮官は、ともすればデータの中の世界に篭って現実と解離する。
その乖離が、現場と指揮のずれを生み、鳥海は脳以外の体を失った―――

上空の航空灯の輝きが、幾重にもV字隊形に連なる。
ヘリを見送ったその足が、格納庫へと向かう。
今度は、彼らが彼らの戦場へと向かう時間。
四方を囲む海の水平線と、透明な闇を何層も重ねたような夜空に瞬くダイヤのパノラマを見回した。
闇の冷え切った川の中に、細かな星の砂の中洲が一筋。
格納庫の前に鎮座するのは、窓のない奇妙な飛行機。
目映い投光機の中に浮かび上がるのは、鏡のように輝くその機体。
輝きに縁取られた異形の機体は、元来旅客機であるB-787を改造したE-787だ。
鏡の白の機体に映える日の丸。
機体の背に生える、キノコのような円盤は、機の存在意義ともいえるレーダー。
その上空の女王に乗り組むのは、養成過程だけで一人あたま億を下らないフリオペ。
神々しい巨体を前に、いつものように鳥海は語りかける。

――今日も頼むよ。

他人から見れば異形であるかも知れないが、乗組員やパイロットにとって、自分の機は世界中のどの航空機より素晴らしい。
それが生死を共にするものであれば、尚更だ。
誓の長い髪が風に舞う。目を閉じて上空を見上げる剱。
あやめが、いつもの儀式のように機体の搭乗口をぽんぽんと叩いた。
パイロットの三原大佐と、コパイ(副操縦士)の早池峰(はやちね)大尉はすでに搭乗している。
エンジン・テストを行う彼らの、整備員への手信号がコクピットから伺えた。
鳥海やクルーも、見送りで中断していた点検を再開しなければならない。

タラップをあがると、皆表情が変わる。
ジャンボ機本来の座席はなく、窓も全て塞がれている。
あるのは各クルーのヘッドセット付デスクや、ガラス投影型レーダーディスプレイ、液晶ビジョン。
まるで美容室のパーマの機械のようなヘッドセットを被り、それぞれがレーダーやディスプレイの点検をしている。
栗駒大尉が、バインダーを片手にそっとその後ろを歩く。
薄暗い機内のそこかしこのを、睨みつけるように点検するのは航空機関士の八甲田軍曹。
職人気質の今時珍しい若者だが、サイボーグ化した連中がどうも気に食わないらしい。
何かと誓と口論するらしいが、衝突するうちはまだ健全といえるだろう。
お人よし、真面目。その気質のせいか、誓は佐久にも八甲田にも絡まれ、衝突する。

「Reading 5.How do you read?」

地上基地と交信する誓の後姿を、鳥海はふっと見た。

何故佐久のフリオペに誓が選ばれたのか。それを本人は知らない。

佐久の神経質さを緩和し、そして、佐久と真っ向から向き合う資質があると判断されたこと。
勿論最初からそうであるわけではない。
誓自身を育てるために、佐久という難題を与えたのは鳥海の判断だった。
もちろん、それに伴うストレスについては栗駒や御嶽と十分にモニタリングしていた。
途中には幾度も障害があった。
だが、佐久という難問を、誓は少しずつ解きはじめている。
――いや。
鳥海は考え直した。

「check all green.」

全てのチェック結果についてフリオペから報告を受け、それを機長である三原に機内電話で報告する。
――佐久もまた、誓という問題と向き合っている。
誓の心を知りたい。
人の心のそばにいたい。
そんな思いを、人としてあまりに当然の思いを胸に秘めて。
ただ、彼の背負う過去は、それを阻むだろう。
生きて、戦い抜くこと。それが、彼が自身に課した十字架だとすれば。

「民間人を殺し、教官をおいて自分だけが逃げたファイター(戦闘機)パイロット候補生。全身に重傷を負ったが、サイボーグ化してのうのうと生きてやがる」

事故だった。
相手に過失があった。
教官が、佐久に脱出を命じた。
どうあっても、自ら死ぬなんてことが軍隊であってはならない。
それを誰もが知っていても。
彼の同期は、佐久をそう評価する。
その評価を、佐久が甘んじて受けている。

辞めるわけにはいかない。
逃げるわけにはいかない。

思い出した佐久の言葉に、啜ったコーヒーが苦く感じられる。
自殺より、辞めるより、逃げるより辛い選択肢を、まだ若い佐久が歩んでいる。
彼は今日も、戦っているのだ。
誘導路を滑走路に向け走行する機体のタービン音が、甲高い。
やがて滑走路に入った機体に、離陸滑走独特の重力がかかる。
ひときわ増したタービン音、そして重力方向の変化。
減速のできない(離陸をやめると滑走路からオーバーランする)V1という速度に達したことが、液晶に表示される。
そして、ぐいと機首が持ちあがり、地上からタイヤが離れたことを告げる振動が機体を通った。
高度表示のフィート数が増していく。
夜に浮かび上がる機体。
いくさ場の空を人知れず、そしてあまねく支配する女王の夜。
それぞれの思いを乗せた電子の巨人は、すぐに目的地上空に到達するだろう。
苦笑いをした鳥海は、コーヒーを飲み干しながら、機に問いかけた。

――重すぎは、しないのかい?


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あきゅろす。
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