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群青
三沢夜曲
三沢の海風の、湿った冷たさに、誓は身震いした。
眠ることの無い前線基地の緊張感と、独特の冷気が、体の芯まで沁みる。
二度目の実戦投入を、目前に控えている。
その実感が徐々に迫ってくる。
隣に座るフリオペの相模あやめは、アウタージャケットに包んだ体をぶるりと震わせていた。
ふわふわの天然パーマの赤毛に、色白の丸顔のせいで、「アンちゃん」と渾名されている。
濃紺とグレーの迷彩が、似合わない童顔。
奥二重の大きな目をぼーっと天井に向けたあやめの、ポニーテールが風に揺れる。
あやめの好物の、缶しるこの甘い匂い。
夜を滑る戦闘機の硬い音、それに四六時中響き渡る車両の音。
アメリカ領日本の軍は、北海道の前線に行く前に、ここ三沢に集結する。
その為、分断以降この基地は平時など無かった。
分断されていない日本を、誓は知らない。
産まれたときにはもう、津軽海峡に分断線があった。
そして、誓がサイボーグ化した頃、何度目かの戦争が始まった。

自販機コーナーのプレハブの中で、誓はパイプ椅子に座って、耳を澄ます。
指先には、紙コップコーヒーの熱さ。
酔った歩兵の大声。風の音。
大型機が飛行場の誘導路を移動するタービン音。
ボロのテーブルに壊れかけのパイプ椅子を見下ろす、低く唸る自販機たち。
薄暗いプレハブの自販機コーナーを、コーヒーとしるこの匂いが満たす。イヤホン型の音楽プレーヤーを片耳だけにつけて、誓は目を閉じた。
イヤホン自体がプレーヤーのため、線も本体もない。

待機の時間の、じっとりとした空気から少しだけでも逃げ出したかった。

「例の美花子とどうなの?佐久さん」
「どうって?」

生身の人間の女の子らしい話題を突如として振ったあやめに、誓は呆れた振りをした。

「決まってんじゃん。美花子と買い物行ったんでしょ?美花子って人、彼氏いるんでしょ?」

鈴枝(すずえ)美花子は、佐久を見舞いに来た持内重工の事務員だ。
その美しさは、一目見ただけの誓でもはっきりと覚えている。
丸い目に、長い睫毛、紅くふっくらした唇に、すらっとした鼻筋。
栗色のストレートヘアは細く、華奢な佇まいを強調する。
つまりは、「美少女」の言葉通りの容貌をしていた。
更に、頼りないようでいてしっかりした穏和な性格。
親が持内重工の重役らしく、いつもさりげなくいい服を着ている。

(人生において勝ち目無いだろ・・・常識的に考えて)

誓はそう思わざるを得ない。

「あー・・・遠恋の彼氏のプレゼント選んでもらったらしいよ」
「ちょっとヤな感じじゃない?」
「いーんじゃないの?佐久さんだって女の子と外出できて良かったじゃん」

「女の子」という括りからは外れていると自覚している誓は、投げやりに言った。
曲がりなりにもエリートパイロットと、重役のお嬢様。
美男美女カップル。
悪い組み合わせではない。
誓には見せない面だって、きっと美花子には見せるだろう。

「誓はそれでいいの?」
「なんじゃそりゃ」

あやめの女の子ぶりに呆れながら、誓はかぶりを振った。

「だからあー」

恥ずかしくなるくらいの会話をしながら、二人は待機の時間を過ごす。

「どーでもいいよ、あの人のことは」
「嘘だあ」

最近どうも佐久ネタを振りたがるあやめは、誓の反応を伺っているに違いない。

「だから、私はっ!どーでもいいのっ!」

誓はそう言い切ると、席を立った。

そういえば、佐久のフライトジャケットを返していなかった。
誓は独り歩きながら、ふと用を思い出した。
クリーニングに出したのを慌てて受け取って、そのまま三沢まで持ってきたフライトジャケット。
あのフライトジャケットの温もりが、既に何年も前の過去のように思い出される。
――返さなきゃな。
和光基地とは違う、三沢の雪融けの川のような冷えに、息が白い。
三沢の軍病院の窓から漏れる明かりを見上げた。
負傷し、或いは戦死した兵士たちがいまもあそこに。
死の澄み切った冷たさが、この基地を覆っている。
通過するジェット機の爆音も、行き交う車両の音も、どこかに遠い。
今頃、コックピットで点検を行っているであろう佐久の、命が燃える温もりを想い描いた。
牡丹のように燃え盛る、その赤い色を。
音楽プレーヤーから流れるピアノの音色に、柔らかで哀愁を帯びた歌声が伸びる。

「きーみが、み胸にー、抱かれてー聞くはー・・・」

優しい歌声に、呟くような歌声を乗せる。

夢の船歌、鳥の唄――

頭をもたげる不安感を、その歌に流して鎮めるように。

――どうでもいい、訳はないか。

好きとか嫌いとかではなくて。
無事帰ってきて欲しい。
心に、波紋が広がった。
誓は、目を閉じて三沢の夜に口ずさんだ。


花を浮かべて 流れる水の
明日の行方は知らねども
今宵うつした 二人の姿
消えてくれるな いつまでも


明日の生に、祈りを込めて。
呼集アラート表示が、視界に赤く点滅する。


引用/西条八十作詞 「蘇州夜曲」


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あきゅろす。
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