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群青
Lost
失った身体を、今でも夢に見ている。
繋ぎ目のない腕や、暗い茶色のごく普通の瞳を。

身体を通った強化骨格、それを覆う人工筋肉、それにコードだらけの身体。
培養細胞の皮膚に、コードの接続部を覆うシリコン表皮の繋ぎ目が走る。
人を殺すために、自らが戦闘ヘリの部品となることを定められた身体。
神経接続していれば、身体は飾りに過ぎない。
生身の人間の隣にいると、その弱さ脆さに、蛍のような温もりを感じる。
柔らかい光がその内側から漏れているような気がする。
いつものように10キロを走り、ランニングパンツ一丁で筋肉を伸ばしながら芝生に寝そべる。
佐久は自分の手を見た。
ちくちくと刺す草の感触も、全身で浴びる太陽も、機械の体なしには感じられないのだ。
死んだように茫然と寝転がりながら、佐久は広すぎる空を見上げた。
彦根の機体が100フィート上空を通過していく。

生身のパイロットからは「キメラ」と陰口を叩かれていることも知っている。
誓や彦根や鳥海のようなサイボーグは、まだ軍全体に普及しているわけではない。
高級精密機械である佐久や彦根は、金と時間を投入された特別な存在であり、同時に孤独な存在であった。

操縦桿を握る器械。

教科書の中の戦争で、特攻機のパイロットが自身をそう形容したが。
それなら佐久は、器械のおまけに心がついているようなものだ。

どんなに金を積んでも、もう生身の人間にはなれない。

訓練事故さえなければ、今も生身のパイロットとして空を飛んでいただろうか。
人殺しの科を背負いながらも、飛び続けなければいけない今とは違っただろうか。
タッチダウンポイント――着陸する航空機が滑走路にタイヤを接地する地点から5海里前。
その運命の5海里が、佐久の未来を決定的に変えてしまった。
眩しすぎる太陽光線を、眼球の中のレンズが自動的に搾り込む。
格納庫の横の芝生を、佐久は寝そべったまま匍匐で移動した。
――起き上がるのメンドクセ。
半裸で涼しい日陰に匍匐する佐久を、昼休みの整備員は見ないふりをしていた。


深夜のシミュレータ室は、闇と沈黙に閉ざされていた。
ヘッドセットを装着し、分厚いバイザーを下げた誓の唇は、力が込められてきゅっと結ばれている。
機材やレーダースコープが並び、空中指揮所の一角が精密に再現されたシミュレータ。
変に青白く薄暗い蛍光灯の光に、誓の肌が映えた。
手元のコンソールやスティックを操りながら、模擬の空を監視する。ランダムモードに設定したシミュレータは、気象も風向風速も、そして戦況も予想がつかない。
シミュレータコンテナの中に籠った誓は、時間が過ぎるのも忘れて訓練に熱中していた。
みっちりと敷き詰められた灰色の雲に、生暖かい風は前線が通過することを示している。
雲によって遮られた視界を、レーダーモードと赤外線モードで補いながら、ヘリへの指示を続けていた。
攻撃の第一目標である戦車や装甲車を捜索し、手早く情報処理する。
ヘリに伝送するデータを選択しながら、音声による指示を行なった。
戦車に照準をし、その位置をヘリに転送する。
後は自動的に照準装置が目標を追跡し、ヘリが攻撃有効範囲内に入れば自動的に戦車へとミサイルが誘導される。
顔も見ない。声も聞かない。そして攻撃もされない。
ただ、引き金を引くだけ。
ミサイル着弾のカウントダウンが砂時計のように減ってゆく。
弾頭に気付いた戦車が、ミサイルにカメラを向けた。
その次の瞬間、白っぽい光が戦車を包む。
爆発し、境目から炎が吹き出した戦車には、中の人間の生存は感じられない。

それが任務なのも、誰かがそれをなさねばならぬのも理解はしているつもりだ。
それでも時折、呼気が震える。
誓は息を吐いて、ヘッドセットを外した。

自分はまだいい。佐久のように、面と向かわなければいけないわけではないのだから。

シミュレータを終了し、コンテナのドアを開けると、目の前には赤い常夜灯に染まった格納庫。
日付が変わった時間だ。
体内に電波時計があるのに、つい腕に巻いたG-SHOCKを見てしまう。
――さすがに誰もいない。
静かに鎮座する、回収された佐久の機体、vortex10の影絵。
そっとその外側の装甲を撫でる。
ざらついたつや消しの質感。
目を閉じて、額をヘリの側面に押し当てた。
交通事故で絶たれた空への憧れ、パイロットへの道と、こんな形で繋がるとは。
そしていまは、この修羅の道からは逃げられない。

「誓?」

佐久の声に驚いて目蓋を開けるまで、誓はそのまま考えを巡らせていた。


「眠れないとき、こっそり機体を見にくるんだ」

濃紺と黒の迷彩服に、グレーのフライトジャケットを羽織った佐久が、言った。
機体を見上げる瞳が、星のように白く瞬いた。
誓は笑う。

「私も、シミュレータが終わると、たまにこうやって機体を触るんです」

精密機械の塊であり、整備員の努力の結晶であるvortex10。
その傍ら、同じ迷彩服の、二つの影が赤色に照らし出された。佐久が買ってきた缶サイダー(お得サイズ)を回し飲みしながら、ローターのブレードを見上げた。
格納庫の床に座る。

「私、戦争になる前は民間機のパイロットになりたかったんですよね」

ふと呟いた誓に、佐久が意外そうな顔をした。
最初の頃よりはずっと、誓に対して表情を見せるようになった佐久に、いつしか誓も笑うようになっていた。

「航空大学を受験したとかか?」
「両親に反対されて、大喧嘩ですよ」

遠くを見る誓の目が細まった。

「で、高校卒業して、学費稼ごうとしてバイトしてたらスクーターで事故って」

虚ろな目で、誓は笑っていた。

「手足と内臓の一部をダメにして、動けなくなって、点滴だけで生きてた。うちにはお金なんてないし、サイボーグ手術なんかできるはずが無かった」
「それでサイボーグ手術と引き換えに、軍隊か」
「機密保持と、如何なる危険な任務も辞さないことを条件に」

両親は心配で泣いていて、そんな両親に顔を向けられなかったと誓は言った。

「うちにお金がなくてゴメンね、って。事故ったのは私なのに」

あれだけ佐久に苛められて、それでも誓が辞めなかった理由を、佐久はようやく悟る。
茨の道をゆくしかない。
誓もまた孤独な、寂しく冷たい機械だったわけだ。

「佐久さんは自分から・・・?」
「いや」

佐久は否定だけすると口を閉ざした。
いつか知ることになるだろう。空軍の戦闘機の部隊には、佐久の同期もいる。
そして彼らは頻繁に持内重工を訪れている。
誰かが誓に囁くに違いない。
佐久がパイロット学生時代、空中衝突事故を起こしたことも、そしてその事故で教官と民間人が死んだことも。
だからこそ佐久は、辞めるわけにはいかない。

「なりたかったな、パイロット」

誓の空への憧れに、佐久は俯いた。
それは、何処かに忘れてきてしまった気持ちだった。
苦いサイダーを飲み干すと、膝を抱えた誓が佐久を見る。

「でも」

嘲笑うように誓が呟く。

「戦争が私の夢を叶えてくれた」

例えそれが望まぬ形でも。佐久の目で飛ぶ空に誓は、幼い頃からの夢を見てしまう。
膝に顔を埋めた誓は、祈るように目蓋を閉じた。
蛍のように青白く燃える瞳で、その横顔を見る佐久。

「・・・もう寝ろよ」
「はい」

佐久は胸の奥で確かめる。
この小さくも逞しいフリオペに、言うべきではない。
忌まわしい事故のこと。
佐久が佐久自身で背負うべきことなのだから。
過去を懺悔しても何も変わらない。
事故を受け入れられないなら、パイロットとして飛ぶべきではない。
どんな痛みを伴うとしても。
許されてはならないし、罪が消えることもない。
誓との間にある深い川に、佐久は人知れず微笑む。
フライトジャケットを脱いで、誓の肩に掛けてやった。

「佐久さん・・・?」

驚いて、誓は作を見た。
サイダーの缶を握りつぶして、佐久は立ち上がる。

「夜更かしも程々にしておけよ。迷惑をかけられたら困る」

手を振って歩き出した佐久を、誓はぼーっと見送る。
体温の高い佐久の温もりが、まだジャケットに残っていた。


その温もりに、何故か胸が痛む。

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あきゅろす。
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