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群青
Vertigo
足元に転がっているのは、ひしゃげたヴォルテックス10の残骸と、血にまみれた人工筋肉やコード。

瓦礫に瓦礫が重なり、凄まじい力で千切れたテールが地表に突き刺さっている。
黒煙にちらちらと揺れる炎。
衝突して抉れた地面、飛び散った佐久の肉片。
誓は瓦礫に立ち尽くす。
墓標のようにそそりたつテールが、ぎしぎしと軋む。
ヘッドセットのバイザーの破片が溶けて焦げている。
誰も何処にもいない。佐久だったものの上に揺らぐ陽炎。
陶器のような白い破片が目に止まる。
それは、よく見ると頭蓋骨だった。
誓は弾かれたように絶叫した。

重苦しい息を吐き出して、ヒリヒリと痛む喉。
汗が浮かんだ額に前髪が張り付く。戦闘服のズボンもTシャツも、べったりと湿っていた。
目を見開いた誓は思わず辺りを見回す。
開け放した窓から流れる温い熱気。
ソファに横たわったまま、誓は額を拭った。
待機室の安くてボロいソファに、所々汗の跡が残っている。
頭が重かった。
淀んだ夜の空気に、蚊取り線香がたなびく。
「あの痛ましい事故から、今日で・・・年が経ちました。しかし当時の映像は、未だに私たちに何かを語りかけます」
つけっぱなしのテレビから、最悪の航空事故を振り返る特番のナレーションが流れる。
どうやらこの番組の影響であんな夢を見たらしい。
真夏の大惨事。誓が生まれるより遥か前に起きた、事故。
再現フィルムに被る、けたたましい警報音。
残されたブラックボックスに録音されていたものだろう。

誓は重油のようにまとわりつく嫌な思いに項垂れた。
どれだけ技術が進化しても、空を飛んでいる限り墜落すれば死ぬ。
佐久も、そして誓も。
機械化の度合いが大きいほど、それが狂った時の事故の規模も大きい。
佐久が撃墜された瞬間の恐怖が蘇る。
ふと目の前のテーブルに置かれた、佐久のヘッドセットが目に留まる。
それが、夢の中で転がっていた佐久の遺品と重なって、誓は思わず目を閉じた。

航空に携わる人間は、大なり小なり責任と重圧を背負っている。
それは終わることのない登り道。
飛ばす人間、誘導する人間、整備する人間、どれが欠けてもならない。
佐久機撃墜後、何度も事情聴取され、幾度も記録を見せさせられた。

そこに乱気流があったから。

たったそれだけで死と隣り合わせになる。
佐久が、彦根が明日、いなくても不思議ではないのだ。

持ち上げた佐久のヘッドセットには、赤い星を射抜く矢がペイントされていた。
ずっしりとしたヘッドセットを誓は手繰り寄せる。
それを胸に抱えて横になったまま、誓はぼんやりと特番を見ていた。
遠くから闇夜にジジジ、と蝉の声が響いた。

世界が、ゆっくりと回っているような目眩。

次の出撃で、佐久が帰らないのではないかという不安に駆られる。
誓は強く目を閉じた。
未来は誰にも分からない。
シミュレータ訓練なら、正しい選択さえすればいい。
現実は運が3割。
旅客機や自家用機よりも遥かに危険で、どこにも保証などない。
敵は撃墜する気で挑んでくるのだから。

テレビからは、コックピットの緊迫した音声が流れている。
機関士や副操縦士の叫びに似た声。
嘆息のような機長の声に、地上が接近したことを報せる人工音声が被った。
Pull up pull up
夜を切り裂く無慈悲な声。
そして衝撃音と共に、録音は終わる。

目尻から一粒涙が溢れる。
ひたすらに怖い。
解っている。危険なしには飛べないことも。
だが、心は怯えずにはいられない。
佐久の目で、彼の身体がバラバラに壊れる瞬間を見て、発狂しない自信はない。
チャンネルを変える気力もなく、誓はテレビに背を向けた。
横たわったまま、背中でナレーションを聞く。
目蓋を閉じ、ヘッドセットと一緒に、無意識に沈んでいく。


小さな体からはみ出したヘッドセットを認めて、佐久は立ち止まった。
ソファに横たわる黒いTシャツの後ろ姿。
ほつれた髪に、汗ばんだ首筋。
微かに漏れる唸り声。
誓はメンタルチェックで要注意が付いている。
墜落後事細かに繰り返された尋問と検査が、誓の精神面に及ぼした影響を炙り出していた。

「誓・・・」

大事に守るように抱えられたヘッドセットに、面食らってしまう。
卵を抱くカニみたいだ。
あれだけ攻撃した誓、それに対して反発心モロ出しの誓を知っている佐久は、その姿に戸惑いを感じた。
誓は佐久を嫌っている筈なのに。

誓?
小さな声で呟く。
誓は起きない。点けっぱなしのテレビを消した。
誓は毎日悪夢を見るのだろうか。
目を醒ませば、浮上する憂鬱な意識に終われているのだろうか。
天も地も解らないくらいめちゃくちゃなきりもみに呑まれた心はまだ、平衡感覚を失っているのだろうか。


「そんなにヘッドセットが大事か」

目を醒ました誓の目の前で、佐久は腕を組んで立ちはだかっていた。

「佐久さん、すみません」

冷や汗をかいて謝る誓に、佐久は甘い顔を見せない。

「抱き抱えて寝るくらいなら、守り抜いてみろ」
「は、い?」
「抱き枕じゃないんだろ」

今の佐久の声は静かで変に迫力がある。

「一分以内に表に出ろ。それを持ったまま走れ」

佐久の心など知らないまま、戸惑いとヘッドセットを抱えて誓は走り出した。

全周500mはあるヘリポートを、ぴったりと佐久に追われて誓は走った。
減速も、休息も許されない。
軍隊入隊時の訓練にも勝るような、心臓破りの駆け足だった。
機械化した足のパーツは運動に耐えうるが、生身の肺はそうはいかない。
肺が破れるのではないかというくらいに膨張収縮する。
口の中に血の味が滲んだ。
足を止めそうになるたび、佐久の声が静かに響く。

「逃げるか?」

どこかおかしい佐久に違和感を抱きながらも、誓は反発心だけで走り続ける。
佐久は怒っているわけではないようだ。

では、なぜ?

佐久のその目にはぼんやりと光る青い輝き。
夜のぬるい空気に吹き出る汗。
速度は決して誓が追いつけないスピードではなく、かといって全くもって楽ではない。
答えが出ないまま、二時間、誓は走り続けた。

「何やってんだ。兵隊は僕には分からない」

格納庫から松本は二つの影を見守る。
整備服を油で汚した松本は、壁に寄りかかって空を見上げた。
栗駒は息をふっと吐く。

「少しでも眠れるようにしてやりたいんだろ」

肉体を苛めればその分睡眠は深く、無意識になる。
佐久自身が、墜落の悪夢にさいなまれていることを二人は知っている。
精神を重ね合わせた二人だからこそ、誓を苛むものを佐久は知りえたのだ。
半分干からびた誓を見て、ふふんと栗駒は笑う。

「誓ちゃん、いいパイロットに恵まれたな」

芝を走る、二つの影が月光に伸び、重なった。
一度は堕ちながら、それでも明日は羽ばたく、パイロットたちの影。

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