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群青
Engagement-3


「今日はなにもしなくていい」

佐久の言葉に、不審に思いながらも誓は従う。
処置が早かったため回復は早く、翌日には誓は復帰していた。
接続時の違和感、不快感もない。
ノイズをまったく感じないまま、佐久の神経に入り込む。

「視界をリンクして、ただ見てればいい」

そして、誓は初めて佐久の目で世界を見た。
ローターの回転が速くなり、衝撃とともにヘリが舞い上がる。
和光基地のヘリポートを飛び立ち、ぐんぐん高度を上げていく。
あっという間に世界は小さくなり、やがて鼻先を下げて前へと進みだした。
和光基地の中に作られた小規模な演習場の中を、佐久の機体、コールサイン「Vortex01」は自在に起動する。
力強いエンジン。心地よいローターの音。
滑らかに空気の流れを泳いでいくヘリ。
パノラマの景色はあっという間に流れ去り、丘を越して、森に掠めるタイヤ。
ぐんぐん上がったり下がったりする高度・・・
淀みない佐久の操縦は、確かに天性のものだった。
大空を自由に飛んでいるような解放感、そしてヘリとの一体感・・・
そうか、これを知らなくてはなにも出来ない。
誓はパイロットの目に心を奪われる。

佐久は嫌いだ。
でも、と誓は思う。
今、初めて彼を信頼し始めている。
言葉よりも、サイボーグだからこそできる、それは感覚の共有。
そして、佐久の歩み寄りだった。

それからは、実験が少しずつ形になり始めた。
何度も繰り返す精密検査と分解データ収集、パーツ交換の度に、軍医みほの仕業で誓の胸が成長していく。
様々な変化を与えながら繰り返す実験は体に負担をかける。
その負担が精神面に及ぼす影響もまたひとつのデータとして記録された。
長時間の神経接続が及ぼす影響を、栗駒は精神面から、松本は身体面から分析する。
そのたびにある意味丸裸で誓は涙目だった。
しかし、彦根や佐久も同じ目に遭っているし・・・と我慢する。
神経接続が出来ない場合の対処や、非常時の対処も叩き込まれる。
同じ苦痛への耐久は、やがて佐久や彦根との連帯感を作り出していった。
ほとんど24時間持内重工で過ごすうちに、栗駒や松本とも気心の知れた仲になっていった。

一頻りデータが揃い、満足に近い結果が得られた頃。
それを祝い、飲み会が開催された。
そこで告げられたのは、実戦テストの決定だった。
何度も何度も速度と正確さを求められた訓練、そして果てない疲労と苦痛の果てに得た向上。
そして、体は遠い場所にいながら、佐久の目から見上げた空。
最初は佐久のノイズにすらなっていた神経接続の精度も、誓にはヘリを操縦する感覚までもが違和感なく感じられるようになっていた。

そして遂に実験隊の成果が試されるときが、来る。

崩落した教会の傾いだ十字架に、どす黒い日がかかる。
戦塵に錆色に染まった空を背に、瓦礫の上を這うように飛ぶ一機のヘリ。
佐久の機体、コールサインは変わらずヴォルテックス10(ワンゼロ)。
濃紺と黒の迷彩の機体に、身を沈めた佐久の姿は異形だった。
点滴のように身体中から伸びる線、カバーが外され剥き出しになった頬の機械部分、一際太いケーブルは首筋に接続されている。
バイザーの下から輝く、赤い瞳孔のレンズ。
教会の尖塔を、崩れてもランドマークとして捕捉するポインター。
その映像は上空を旋回するE767機上のの誓、エコー01にも転送されていた。
今のところ順調通りに進んでいる。
佐久視界でハリトス教会の、傾いだ十字架を視認した誓がそう思った瞬間、異変は起きた。
爆発の熱によって乱気流が発生する。
空気を切るローターの感触が急変した。
ぐちゃぐちゃになったプリンにナイフを刺したように、まるで空気抵抗がない。
これでは浮力が得られない。
佐久の息が詰まったのを誓は感じた。
反射的に立て直そうとする佐久の視界に、ロケット接近の警告が光る。
機体が急に重くなる。ロケットは、単純な火薬式の弾頭だ。
これではレーダーをかく乱するジャマーも役には立たない。
空気を切り裂く音が迫る。
深すぎる泥濘と化した空気に、血が凍った。

レーダースコープに映るvortex10の輝点が溶けるように消える。

「ヴォルテックス10、被弾しました。墜落します、緊急コード7700に変更します」

ヘッドセットを被った誓の顔色が蝋人形のように白い。

「自動点検機能が走査してます・・・電子神経の損傷8%」

ヘリと一体化することは、ヘリの損傷をそのまま体感すること。
被弾直前に辛くも神経接続を切断したらしい佐久だが、墜落のダメージは軽くはなかった。
損傷箇所が次々とディスプレイに表示されていく。

「D58回路が損傷してます」
「ダメージは38%か」

脳の情報処理、伝達を行う神経に損傷が発生していた。
余計な情報処理をする負担は与えられない。

「谷川はヴォルテックス10のコントロールにだけ集中しろ」

直属の上官である鳥海少佐が肩を叩く。
他のオペレータにその他の仕事は割り振られる。
彼は既に救援の指示を飛ばし始めていた。

「クラックよりデルタ、インディア分隊、元町地区にヘリが墜落。救援に向かえ。ルートを送信する」
「こちらデルタ!Wryyyy!坂の上かよ!しんどいぜ!」
「インディア了解」

鳥海の視界に、ルートナビがダウンロードされたことを示す表示が点滅する。
上空からズームした誓の視界には、フラフラとコックピットから這い出る佐久が映っていた。

「ヴォルテックス10、聞こえますか?」
「エコー01、聞こえる。周囲の敵味方情報を要求する」
「できません。あなたの神経に負担が大きすぎます」

誓は、まだ機械化せず残っている内臓が固く冷えていくのを感じた。
だが、ここには留まれない。やるしかない。
理論上は可能だが、オペレータに過大な負担を要求する方法。

「・・・佐久さん、よく聞いてください。私があなたを特別方式で誘導します」

敵は刻一刻と接近してくる。
迷っている暇はない。
瓦礫の山から誓を見上げる佐久と、電子指揮機のカメラ越しに見つめあった。
佐久の体には敵味方識別や周囲の映像を処理しながら移動、射撃する残力はない。
しかし誓が上空で情報処理し、佐久の遠隔操作を行えば、佐久にかかる負担は遥かに小さかった。
ただし、二人分の処理を行う誓の負担は非常に大きい。
佐久の痛みも感じることになる。
もって精々30分。下手すれば誓もガラクタになる。

「止めろ誓」
「第45条2項、自立不能な状態の機械化兵士、またはそれに近く緊急性が高いと判断される場合は、オペレータが遠隔により操作することを妨げない」

免罪符を唱えながら佐久の神経に強制的に割り込んでいく。
いつもより深い場所へ、佐久の脳の隅々まで潜っていく。

「・・・分かった。だが射撃だけは俺がやる。ユー・ハブ・コントロール」
「アイ・ハブ・コントロール」

感覚野が広がっていき、やがて痛み、匂い、拳銃の感触が目覚める。
目前に青く輝く標に従って、誓は走り出した。


花火のようにピュウピュウと、曳航弾の筋が空を突き抜ける。
残照が消えかかった空、煙のにおい、剥き出しの自分の膝関節の駆動音。
200m先の敵反応が接近していることを警告は告げた。

「シリウス08がそちらへ向かっている。ヘリの回収は心配するな」

鳥海の指示が飛び込んでくる。
シリウス08は彦根の機体だ。回収班が来るまで周囲を確保するはずだった。
それが不可能な場合は、破壊。
テールを破壊されたヘリの、本体には機密がたっぷりと詰まっている。だが佐久の手で破壊を行う余裕はない。
護身用の拳銃を握って、射撃を行う佐久の神経を調整しながら瓦礫を越えた。
損傷部の内側から破裂しそうな痛みを歯を食いしばって耐える。
救助部隊までの距離が永遠に感じられる。
そして敵の接近は、速い。

「誓、判ってるな?射撃のときだけは全神経こちらに預けろ」

路上に転がる、サイボーグ兵の一部だったものを踏み越えた。

「嫌です」

嫌な汗で濃紺のフライトスーツがぐっしょりと黒っぽく染まる。
ホコリやオイルにまみれ、所々破れた佐久のフライトスーツ。

「これは戦争だ。女子供はすっこんでろ」

佐久が誓を押さえ付けようとする。
抗いながら、誓は佐久の声で呟いた。

「死んでも放すもんか」

手を汚すなら、共に。
目前5mの、倒すべき敵を誓は見た。
目を見開き、歯を食いしばる。
佐久と誓の意識が錯綜する。
声にならない悲鳴を上げて、佐久に支えられながら引き金を引いた。
ヘッドショット。
銃口から炎が吹くと同時に、放射状にアンモニア臭い硝煙が広がる。
頭が膨張破裂し、悪趣味な抽象画のように、霧状に飛散する血。
瓦礫に仰向けになった兵士は、顎から上を吹き飛ばされている。

「誓」

眼を逸らして、徐々に狭まってくる視界のなか、誓は足を踏み出した。
残りの接続時間は少ない。

「佐久少尉、あなたを必ず救援部隊へお連れします」

神には祈らない。悪魔になってでも、佐久を救う。
誓は込み上げる吐き気を必死で飲み込んだ。
敵味方の表示が薄くなり、視界をノイズが覆う。
暗くなりつつある視界。遠くなる佐久の声。
蜘蛛の糸のようにか弱くなっていく意識。
鉛のような体を引きずりながら、誓は走った。
そして残り3.95秒、ようやく視界に映った、救援部隊に力の限り咆哮した。


「誓ちゃん、しっかり」

ぼやけた視界に、赤黒い色が映る。
耳元に聞こえる警告音がうるさい。

「谷川!」

鳥海と栗駒の呼ぶ声。

「鳥海さん、だめです」

機上に乗り組んでいた栗駒は、誓を診て言った。
過電圧で損傷した誓の表皮は裂け、赤黒いオイルが染み出ている。
ヘッドセットから覗く鼻からも、緩やかに血液混じりのオイルが流れ出していた。
椅子にがっくりと項垂れて座る誓の顎は脱力し、端から唾液が垂れている。
鳥海は電子指揮機と接続し、戦況を見た。
――誓にしてはまあまあな頑張りだったな。
シャットダウンした誓を、再起動可能な状態になっても、鳥海は起こさなかった。


「まだ上手く掴めません」

損傷して交換した誓の右腕のパーツは、まだ馴染まない。
病室の外の窓を、斜めに降る雨が叩く。
タピオカをひたすらプチプチ潰すリハビリは退屈だった。
午前中に超美人の、佐久の知り合いが来た他は来訪者もない。
持内重工のマドンナである「美花子ちゃん」だそうだ。
いいですねぇ、と冷やかした誓に、佐久はちげぇよとそっけなく返した。

「小豆と交換するか?」

箸で小豆を移しながら佐久が聞く。

「やめときます」

交換したパーツが馴染むまでまだかかりそうだ。
鳥海から厳命された一日一キロタピオカつぶしはまだまだ残っている。
手がかじかんだようにぎこちない。
誓は何故か、またきつくなった下着を買い換えないとと思いながら、息をついた。

佐久がここにいて、良かったと思う。

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あきゅろす。
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