群青
Hallucination-4
《ギア、固定されているように見えます。着陸灯確認しました》
《タキオン65了解。次のアプローチで着陸します。リクエスト・ライトターン》
緊急時だけあって、日本語と英語のチャンポンで会話を行っている。
滑走路上を通過すると、三原は用心深く高度を上げていた。
次こそ、着陸だ。
三沢は海風が強く、ガタガタと機体が震えるのが今は気が気でない。
やがて、右旋回を終えたタキオン65は最終進入へ向け準備を始める。
(三原大佐なら、大丈夫――)
それを呪文のように繰り返し、握った手の汗を誓は拭った。
頭に手を当て、さらに上半身を大腿にくっ付けて頭を下げる。
安全姿勢だ。
最終旋回を開始した機体の傾きを感じながら、誓は小さい頃の出来事をふと思い出していた。
いつだっただろうか。
港に停泊していた祖父の船に乗って、何時ものように遊んでいた幼い頃。
祖父は近くで網の手入れをしていて。
ちょうど今のようにフワフワと甲板が上下していた。
そして、大きな波が来た。
バランスを崩して、足を滑らせて、それから――
タキオン65は高度を下げていく。あと少し、あともう少し。
思い出すのはめちゃくちゃになった海の泡。そして必死で叫んだこと。
「助けて!おじいちゃん助けて!」
呟くように叫びながら、誓は記憶の中に溺れる。
片側から来る海風にあおられ、そして三原の舵はそれに抗い、機体は滑走路に対しやや斜めになっていた。
「おじいちゃん・・・」
風の音がごうごうと鳴っている。
目を見開いて床を見つめ、現実が目の前に迫る。
荒い呼吸の音。
はあ、はあ、はあ
轟音の中にただそれだけが、響く。
恐怖も何もかもがぶっ飛んだ。
ガツン!
衝撃が機体を震わす。
そして車輪は三沢の滑走路に接地し―――
やや斜めに滑りながらも、滑走路ギリギリで止まった。
「おー、生きてたか」
彦根が後ろから肩を叩いた。
入間は良く晴れて、半袖でも気持ちいい気温だ。
「彦根さん!?」
入間に帰ってきたばかりで、少し疲れた顔を誓は無理矢理笑わせた。
三沢から入間まで輸送機に乗るのにも、少し・・・いやかなり抵抗を感じたものだ。
踏み切り待ちをしながら、彦根と言葉を交わした。
入間は基地を横切るように鉄道と駅があり、道には踏切がある。
基地のど真ん中、フェンス一枚向こうで普通に民間人が駅のホームで電車待ちをしているのが、不思議な感じだった。
「いやすげぇな入間は。広いしなんか駅があるし」
「電車の中の人と目が合いますよ」
彦根と佐久は入間に来ていて、用事で2、3日留まるらしい。
黄色い電車が通りすぎて、遮断機が上がる。
着陸体制に入った輸送機が、建物と格納庫の向こうに小さく見えた。
「今から売店?」
「はい。お昼買いに」
「俺も行くわ。あっ今日和光帰んの?」
誓は首を横に振った。
午後には報告書などを書かなければならない。
「飲みに行こうぜ!」
「あぁ、多分大丈夫ですよ。外で飲みます?」
「俺、入間のクラブ行ったことないんだよね」
「安くていいですよ、じゃあ、クラブで。今からいく売店の3階ですから」
軍人間ではクラブとは基地内の飲み屋を指す。
その基地によってクラブの質はまちまちであり、軍人たちを一喜一憂させた。
「あっ彦根さん!!俺のフリオペに何してんですか!!」
後ろから何か訳の分からない言葉が飛んでくる。
誓は振り向きもせず肩をすくめた。
最近、険がある態度が大分和らいできたのは助かるが、たまにこういった戯れ言を言う。
「わりーな。貰っちまったよ」
「誓にセクハラで訴えられますよ。目がイヤらしいから!なぁ誓」
後ろから来た佐久に、彦根がケラケラと笑った。
疲れて笑う気力もない誓はただただ唇の端を歪める。
佐久が不意に誓を見下ろしてニヤリと笑った。
「おじいちゃんは見えたか?」
「ちょっ・・・」
絶句した誓の顔が、かあっと赤くなる。
「ヒドイ!ヒドイですっ!」
「あーあ・・・こりゃ潰れるわ」
店内にはやたらとまばゆいネオンが飾られ、酒の瓶がカウンターに並んでいる。
店員は派手なアロハシャツでカクテルを振っていた。
「聴いてたからって喋らなくていいじゃないですか!」
誓がむくれて三杯目のソルティドッグを飲み干す。
彦根、佐久、誓と同期のあやめで入間のクラブに飲みに来ていた。
誓の向かいに座った、あやめが誓を宥める。
「泣くなよ」
「泣いてない!」
スペースの仕切りにもたれかかった誓の頭をあやめが撫でた。
彦根はあやめを何故か大層気に入っており、いつも飲みに呼ぶ。
「無線が入ってたの気付かなかったんだもん・・・」
「はいはい、もーいいから。ほら、軟骨美味しいから食べなよ」
都合が悪そうな佐久が、シャンディガフを干した。
「おじいちゃん」ネタを佐久が笑い話にしたら、誓が拗ねてしまったのだ。
「分かった。分かったから、悪かったよゴメン」
佐久が突っ伏した誓を起こして、肩に手を掛ける。
「あっすみませーん!鶏皮5本とサラダとシャンディガフとソルティドッグ」
じっとりした目で佐久を見ながらも、誓は追加注文を忘れない。
どんなに酔っても目上の分まで注文を欠かさないのは、軍人の習性だった。
オーダーを取りに来た店員に、彦根が枝豆を追加する。
あやめはニヤニヤと佐久と誓を見ていた。
「あ、ごめんちょっと」
「私もお手洗い」
携帯の着信に、彦根が席を外し、あやめがお手洗いに行く。
――ふっと静かになった。
熱い頬をそっと掌で抑えた誓が、不意に傷付いた瞳で佐久を見上げる。
佐久の言葉に傷付いたのではなく、ずっと昔から色んなことに、そして言葉に出来ないことに傷付いていた瞳で。
佐久は何も言えなくなって、ただぽつりと尋ねる。
「怪我、してないか」
「・・・はい」
呼吸の度に上下する誓の胸。
迷彩服の下に、柔らかな肌があるのが感じられる。
少し額を寄せると、柔軟剤の香りに混じってわずかに汗のにおいがした。
椅子の上に置かれた誓の手に、手のひらを重ねる。
応えるように、生白い指先が佐久の指を包む。
温かな脈が、佐久の指先に伝わった。
「いいんだ、それなら」
「・・・はい」
幻のように、ほんのわずかな時間。
温もりは、そこに留まっていた。
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