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群青
hallucination-1
世界協定時10時22分(日本標準時19時22分)、三沢を離陸したアメリカ領日本軍の空中指揮機E787、コールサイン「タキオン65」は高度2万フィート(6000m)を目指し上昇していた。
クルーは機長、副機長、機上整備員3名に加え、戦場上空で地上に指示を与える機上前線管制官、通称フリオペ7名。
目的地は函館北部上空、エスコート(掩直)の戦闘機F22Jを二機随伴。
1万7千フィートを超えたタキオン65は、その翼に白い残滓を引きながら、間もなく雲を抜けた。
夜空に突き刺さる小さな棘が、銀の河に沈んでいく。
轟々たるエンジンの音でさえも、厚い雲と広い濃紺にすぐに掻き消されてしまう。
その異様な容貌、純白の機体は、元は旅客機であった機体の印象からは大きくずれている。
コクピット以外の、あるはずの窓はなく、またその背にはキノコのように円盤が備わっていた。
黒いその円盤の他に、機体の胴体下部にも吹き出物のような丸い凸がある。
技術の粋を集め、そいて今尚進化し続ける最高機密の塊。
それは無数の恐るべき電子眼と、幾多の通信装置、精密器機を満載した情報収集、そして指揮のための機体だった。

厚い殻で覆われた機内に響くのは、笛のように甲高いタービンの音。
機内もまた旅客機からは変わり果て、ぎっしりと機械類やコンソールが詰まっている。
そこにあるはずの客席は無く、空間には数少ないクルーがコンソールの前で陣取っている。
それは航空機内というよりは、地上の指揮所をそのまま移設したかのようだ。
歯科医の椅子のようなゴツい肘掛けは、脚がスライド用のレールに填まっており床から離れることはない。
乱気流や航空機の急旋回に備えてのことだった。
淡々と職務をこなすフリオペ達は、上昇への重力を右から左に受け流している。
誓は魔法瓶の蓋付きマグに口を付け、恐る恐るコーヒーを啜った。

「あっちち」

舌先に触れたコーヒーはやたらと熱く、一瞬痛みに似た痺れを伴わせる。
基地のボロいコーヒーメーカーはやたらと設定温度が熱く、何も知らずに飲むと間違いなく火傷をする。
この機を操縦する機長、三原大佐などはわざと魔法瓶の蓋を解放して冷ましてから飲むほどだ。
ほんのりと薄暗い機内に、コンソールのちらちらとした瞬きが散らばる。
機内はいつも、少し肌寒い。
誓はボクサーのようなヘッドセットを被り、目隠し型のバイザーをそれから下ろした。
アイマスクと渾名されるそれは、内側に液晶画面が付いている。
単なるデータ表示だけではなく、地上の部隊や、プレデターと呼ばれる無人偵察機からの映像を観ることができた。

《system OK...starting HSD》

真っ暗な液晶に、つらつらと白い文字が流れる。
手慣れた仕草で、見えないコーヒータンブラーを誓は掴んだ。
首筋の接続口を覆う、肌を模したシリコンを外す。
座席横からケーブルを手繰り出すと、それをその首筋へと挿し入れる。
人間の神経とシステムや機体を直接接続するその異様な外観は、あるものには嫌悪感を感じさせるだろう。
コンソールに軽く指を滑らせ、通信モードを点検に切り替える。
接続の点検に走査が走り、視界に緑色の字幕が瞬く。
脳内の複数の知覚野に起動の感覚が走った。
スタンバイモードに入り、奇妙に広がった視界と体感がびりびりとした痺れを引き起こす。
口許にマイクを寄せて、誓は自らの声を神経とヘッドセットのスピーカーで聴いた。

「テスト、ワン、ツー。スタンバイモードレディ、アテンプト ・コンタクト・ヴォルテックス10」
「ラジャ」

耳慣れた鳥海の低音が誓の鼓膜を震わす。
神経接続スタンバイ完了を確認し、誓は佐久に呼び掛けた。

「ヴォルテックス10、タキオン65、ファンヤー」

呼び慣れた佐久のコールサイン、そしてE787のコールサインに、自分のTACネーム。
個人に割り振られた固定のコールサインであるTACネームは、渾名のように親しみ深いものだった。
軍隊の恩師から授かった黄耳(ファンヤー)というTACネームは、中国の伝説に由来しているという。

「タキオン65、ファンヤー。ヴォルテックス10、リーディングユーファイブ。ハウドゥユーリード?」
「ヴォルテックス10、リーディングユーファイブ。プロシード・コネクト」
「ラジャ」

身体の中を這う電流に、指がぴくりと引きつった。
目の前がいきなり電気が消えたように暗転した。
脳の中心にピリッと白い閃光が瞬く。佐久の神経に侵入し、身体に佐久の電気信号が入り込んでくる。
一瞬詰まった息に、視界が広がっていく。

「コネクト・コンプリーテッド。アーユーノーマル?」
「コネクト・ノーマル」

佐久の瞬きが2、3度視界を遮る。佐久はまだ通常の視覚での飛行中らしい。
といっても、ぼんやりと赤みを帯びている様子から既にその視覚も赤外線モードになっているが。
佐久の目には、赤外線レンズが埋め込まれている。
ヴォルテックス10――殆ど中身は通常のものが残っていないほど改造された攻撃ヘリ、AH-64TAのセンサー類は、パイロットの神経に直接接続されるようになっている。
視覚で得た情報を脳が処理し、それを操作に反映させるまでの時間を大幅に縮めるために、パイロットをもそのアビオニクス(航空電子機器)としてしまった特別な機体。
死亡の危険もある手術は成功し、そしてそれはきわめて大きな成果を生み出した。
しかしその代償もまたそれに見合っている。
身体やことに脳神経にかかる負担は大きい。佐久や、誓の寿命はせいぜいが60年。
そして、通常の生活を送るには、身体があまりに常人と異なりすぎている。
軍隊という保護装置の中でしか生きられない身体だった。

「コンテニュー・サーティーパーセント・コネクト」
「ラジャ」

戦場進出までは30%の神経接続を保ち、脳にかかる負担を軽減する。
心拍数は多少上がっているものの、佐久はいつもどおり冷静だった。
コクピットの前に広がる森と、その上の遥かな空。
雲が低く、細かな雨がコクピットにぶつかっては横に伸びていく。
上から見ると、木々の枝が絨毯のようだ。

「こーこーにぃ、いるーよォー♪」

鼻歌を歌いながら操縦桿を握る佐久の操縦に、するりと素直に機体が傾く。
前方上下左右、コックピットいっぱいに広がる地平線が傾いだ。
神経を接続していなくても、佐久が飛びぬけて操縦センスのあるパイロットであることは疑いようがない。
ヘリを最小の操縦で、自分の思い描くコースに乗せている。
佐久の神経に入り込んだからこそ分かる、その体感は麻薬的な快感だった。
パイロットがなぜ、空を飛ぶのか。
パイロットになれなかった誓が、数奇な運命を経て得たその答え。
それは、空を飛ぶことそのものだった。
たとえそれがいくさのためであっても、パイロットであることにかけた夢は潰えない。
誓の夢の先に居続ける、佐久という男。
誓はひとりでに、ふっと苦笑した。
佐久の操縦を、知れば知るほどその目に、その眼に映る世界に、引き込まれていく。

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