[携帯モード] [URL送信]

群青
Engagement-2
研究主任の栗駒大尉が、スライドショーを背にレーザーポインターを伸縮させる。
ぐりっとした目に、がっしりとした顔立ちが頼もしい雰囲気を出している。
彼は小さな会議室の一角で、誓の参加する実験のミーティングを行っていた。
ヘリのパイロットと神経を接続し、情報を伝送する。
誓が行う実験の内容は、端的にいえばそういうことだった。
脳の拡張手術によって、人間の限界をはるかに超えた情報処理能力が備わった第二世代サイボーグだからこそ可能なことだった。

「生体の管理は、そこにいる御嶽中尉が主に担当している。ヘリに関しては、持内重工の松本主任が」

振り向くと、白衣を着た2人の技術者がそこに立っていた。
デリケートな脳神経接続は、何らかのトラブルによって脳に深刻な障害を起こす可能性もある。
そのために、実験隊には専属の軍医が配置されている。
御嶽みほ中尉は、グラマーなスタイルに、とても軍人とは思えないセクシーな美貌が印象的な軍医だった。
それに対し、ヘリの開発を担当している松本は冴えない風貌の若者だ。
会釈をした誓ともあまり目をあわせようとしない。
大学の院生といっても通用しそうな、癖毛を尻尾に結ったあんちゃんだった。

「よろしくお願いします」

探るようにちらりと見上げながら握手をした誓に、みほはにっこりと艶やかに微笑んだ。
バレッタでまとめられた、栗色のストレートの髪が揺れて、ふわりと上品なローズが漂う。
続いてそっと握手した松本は、すぐに耳まで赤くなった。

「よ、よろしくお願いします」
「何赤くなってんのよ」

みほがあきれ笑いをする。
どうもこの2人に関してはみほが主導権を握っているらしい。

「何かあったら私たちに遠慮なく言うように。実験部隊だ、何があってもおかしくないからな」
栗駒が、最後に手を差し伸べる。
誓はその手をしっかりと握った。

そして実際、何があってもおかしくはなかった。
実験の過程は、実に困難に満ちていたのである。

「てめぇ今更ルートナビなんているか!ぶっ殺すぞ」

耳元に罵声が飛ぶ。

「は、はい!ターゲット、29マイル、210、タンク2!」
「あ?タンクじゃねーだろ!ありゃ自走砲だバカ」

目隠し状態のヘッドセットをし、口元にマイクを降ろした誓の唇が震える。
ヘッドセットの外側まで漏れるような怒鳴り声に、監督をしていた栗駒はため息を殺した。
首筋に接続されたケーブルが、誓が慌しく頭を左右させるたびに動いた。
格納庫の隅に置かれたシミュレーターには通信機能が備わっており、実際にヘリとの神経接続ができる。
顔面蒼白な誓の、コンソールを滑る指先は震えていた。

「ふざけんな!やめちまえ」

佐久との神経接続の実験が始まって一週間になる。
この調子で罵られっぱなしの誓は、胃薬を手放せなくなっていた。
訓練シミュレーターで類似の訓練を行ってきたはずではあるが、実際のパイロット相手の訓練は緊張度も状況も異なる。
萎縮が失敗を呼び、失敗が萎縮を呼んでいた。
適性は十分に審査されてきたはずなのだが、と栗駒は目頭を揉む。
失敗をフォローすればするほど、言葉が詰まる。
いつも誓は、汗をびっしょりとかいて、シミュレーターのコンテナの中はむっとするほど暑い。
誓の口元がヒクついている。よい兆候ではなかった。
そして訓練が終わった瞬間、誓はコンテナから飛び出した。


「誓ちゃん?大丈夫?」

トイレで戻した誓が、洗面所で口を濯いでいるのを、みほは後ろからじっと見ていた。

「は、はい・・・」

青ざめた顔を鏡でじっと見た誓は、口元を拳で拭った。
訓練後の嘔吐が頻繁にある。食欲もあまりない。
すこしこけた頬からは、かつての赤みは消えていた。
場合によっては、交代を進言しなければいけないかもしれない。
みほは腕組みをしたまま、そう考えた。

「夜は眠れているの?」
「はい」

右側に結ばれた誓の髪の毛が、漱いだ時の水で濡れている。

「・・・明日は、ちゃんとできるようにしますから」

頑なにそう呟いた誓が、自身の嘘に睫を伏せた。
手がかりが見えないのだ。
それなのに、明日ちゃんとできるなんて保障があるはずがない。
けれど、自身がしてあげられることはないのだと、みほは解っていた。
その翌日も、その翌々日も、誓の嘔吐は続いた。
結局嘔吐が止まないまま、その週は金曜日を迎えた。
お疲れ様でした、と会釈をしながらも目をそらした誓に、佐久は挨拶を返さなかった。


「・・・うん。ちょっと、大変かな」
寮の三階にある部屋から、基地内を走る幹線道路を見下ろす。
携帯電話のマイクを口元に寄せて、誓は夜風に目を細めた。
フリースの暖かさが体を包む。
入間の同期であり友人のあやめは、唸りながら誓をねぎらった。
あやめの声がたまらなく懐かしい。
厳しい上官に鍛えられてきたつもりではあったが、さすがに一週間ののしられっぱなしは堪える。

「うーん・・・入間には逆に帰れないよ、こんなんじゃ」

クリップでひねってまとめた髪の毛をいじりながら、窓枠に寄りかかる。
入間の上官がどのような報告を受けているか、誓は考えたくなかった。
ちくっと金属的な痛みが、脳の奥に走った。
吐き気を催すような、頭痛。
このところ、訓練中だけではなく、日常生活までもそれが続いている。
訓練後、毎晩あのシミュレーターで通常の模擬訓練をしているが、頭痛は起きない。
つまり、佐久が相手だとひどい頭痛が起きる。
その頭痛はだんだん強くなっていた。

「・・・うん。大丈夫。なんとかするからさぁ」

誓はまた、嘘をついた。
夜空を、東京の強い光が褪せさせている。
星が見えない空を、誓は見上げた。


「おい、殺す気か!ふざけんなよ!」
ぼんやりとした感覚に、佐久の声が反響がかって聞こえる。
月曜日。調子はいいはずだ。
それなのに妙に頬が熱い。
誓は、だんだん思考が乖離していくのを感じながら、強いめまいを感じた。
機体を傾けて旋回しているのか、自分がゆらゆらと揺れているのかわからなくなる。
雲がゆらゆらと揺れているような気がした。

「あ、あ・・・」

のどの奥に空気が詰まって何も言えない。
錐が突き刺さるような痛みに、視界が引き裂かれる。

「誓ちゃん!」

「ソト」からの声が聞こえる。
そして誓は意識を失った。


「バカ野郎!!」

会議室に肉を叩く鈍い音が響き、再度彦根の鉄拳が飛んだ。
思わずふらつく佐久が、切れた唇も拭わないまま姿勢を正した。
佐久は頬を腫らして、目を伏せている。

「お前がこんなにバカだとは思わなかった!」

誓の神経に過大な圧をかけ過ぎていたのは、佐久の攻撃性。
誓に対する佐久の精神的な攻撃性が、ノイズや負担となり、障害をもたらした。
彦根はそれを聞き、佐久を呼び出した。
襟首をつかんだ彦根の顔は、見たこともないくらい赤く怒りに染まっている。

「お前らの間だけで解決できると思って見てたのが間違いだった!」

誓が悩み、傷ついているのは彦根もよく知っていた。
けれどそれを佐久に告げなかったのは、いつかは佐久がそれに気づく、そして誓が自力でそれを乗り越えると信じていたからだ。
だが、誓は倒れ、危うく神経に障害を負うところだった。

「お前は誓を育てようともしなかった。譲歩もしなかった。あまつさえ殺すところだった」

佐久の目が、まっすぐに彦根を見る。
自分がしたことを、その先に見据えて。
――そんなことになるとは、思ってもいなかった。
それが通用しないことを、佐久は知っている。

[*前へ][次へ#]

あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!