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群青
Detresfa
――身をもって、責務を果たすことを誓った。

横たわる死体を、辛うじて跨ぐ。
ひどく酔ったように視界が狭く、薄暗い。
不快な頭痛に悪心が込み上げる。
それでも、目の前のシミュレータのコンソールにしがみついた。
さほど多くはない、守れるもののなかで、誓が護るべきもののために。
曖昧にボヤける思考の軸に、必死にすべきことを据える。
エマージェンシーモードが入り、出血は抑制されている。
生存が優先され、脳には必要最低限の血液しか回らない。
そのせいでガンガン痛む頭を必死に働かせる。
美花子が通信機に何をしたのか、確かめなければ。
右手で額をさすりながら、閉じようとする目を見開いた。

――こんな場面で素直に誰かの助けを呼べる性格なら、モテるのに。

「助けなんかいるわけ、ないかァ」

水面のように歪む視界が、血圧の低下にざらざらと暗くなる。
自分の声が鐘の音のようにぐわんぐわんと響いた。
焼けたフィルムのように、視界の所々に赤い盲点がある。
狭い視界の中、目を抉じ開けてモニターを見つめる。
文字が点滅し、弱体化したセンサーを突き刺した。
脈に合わせてトクトクと繰り返す頭痛と、その滲んだモニターの文字が神経を圧迫する。
力がフッと抜け、膝から下の感覚が痺れたように失せていく。
正常な思考は、砂時計とともに減ってゆく。
流れていくディスプレイの文字は見知ったもののはずなのに、異国の文字のように意味を結ばない。
幾度も字を読み解こうとするのに、崩れたブロックのようにそれらはバラバラになっている。
間に合わない。このままでは。
焦るほどに、体が震えて歯の奥がカチカチとぶつかる。

「は、はあああぁっ」

ぼろぼろと無意識の涙が落ち、肺が溶けたように苦しい。
なぜ体よりも心が、こんなにも溢れそうに痛むのか。
引きちぎれた心の、生暖かい肉片がボトボトと落ちている。

「佐久さん・・・」

無力。あまりにも。
ただ、一人だけを救いたいのに。
それも叶わずに。

「・・・力を、」

点灯したランプの色から、指揮モードに干渉する、何らかの電波が発射されていることは理解できた。

「ください・・・」

気がつけば膝をついていて、どうにかコンソールにしがみついた。
崩れそうな体を、右腕一本でどうにか支えた。
ガチン、と幾つかのスイッチが入る。
だがその無力な腕には、体重を支え続ける力はない。
雪崩に流されるように、爪はコンソールの上を引っ掛かりながら滑り落ちる。
唇がわなわなと震え、全身が急速に感覚から剥離していくなかで、誓は死体のようにずるりと崩れた。
山の黄昏時のように、全てが黒々として、ぼんやりと滲んでいく。
その中に、ぽつりぽつりと灯るコンソールのライトが、緑や黄や、白燐の星のように映えた。
うずくまって壁に寄りかかる。
渾身の力を込めて、かじかんだように無感覚の手で、大腿に提げた銃剣を抜いた。
記憶が、なすべきことが流れ落ちてしまう前に。
絶対かつ確実に、通信を断つ。
今にも思考は曖昧に四散し、形を失いそうだ。

コンソールから繋がる、目の前のケーブル。
極彩色のオーロラが、目の前に現れては消える。
アンテナへと信号を送るケーブルに、銃剣を向けた。
ハク、ハク、ハクと不規則な呼吸を繰り返した。
振りかざす。
ひきつって震える手で、銃剣の尖端を、幾度もケーブルに突き刺した。
ビニールの被膜が破れて、高圧の火花が流れ落ちる。
ビニールの焼ける臭いも、火花が散って皮膚を焼くのも、もう感じない。
潜水夫のように、感覚は深海に揺らぐ。
手が滑り、幾度か壁を突き刺した。
その度に手が痺れる。
少しずつ、神経のようにファイバーが引きちぎれていく。

力、尽きるまで。

誓は、半ば痙攣し床に倒れ込みながらも、銃剣を握りしめた。
グラグラと地震の最中のように揺れる視界で、辺りを見渡した。
壁の通信機のコンディションを示すLEDが、異常を示す赤に輝いている。
それを認めた瞬間、誓は体から力が抜けるのを感じた。
充分に明るいそのLED光も、誓には星のように遠い。
力を失い、身動ぎもしないまま、誓は、その光を見つめる。
短距離をフルダッシュしたあとのように、肺は破裂しそうだ。
床に仰向けに倒れた誓の目に、二つのLEDが滲んだ。
その二つ並んだ輝きは、なぜか懐かしい安心感を誓に与える。
誰かの広い背中。厚い手のひら。
物憂げでいて、鋭い眼差し。
―――その瞳の、二つの愛しい輝きのいろ。

「あかい、めだまの さそりー・・・」

童謡が、唇から零れた。
天に燃える星の中に、その赤は輝く。
意識が、ゆっくりと混濁し、夢とうつつが交互にうつろう。
輝きが、側にあることが、凍てついた体の胸を温めた。
赤い目玉のさそり。
一体、その続きは何だっただろう。

途切れ途切れに、小さな声で歌い続ける。

――あかいめだまのさそり
ひろげた鷲のつばさ

視界に走査線の乱れが走る。
点滅する「EMG 7700」の文字。生命維持のタイムリミットは、あと数時間。
そんな字幕も、意識をすり抜けていく。
唯一灯った青のLEDの星。
慈しみ、哀しみの感情のいろ。
――あをいめだまの小いぬ、
ひかりのへびのとぐろ。

誓は、人知れず笑う。
星。
命の燃える灯火。
死の海の安寧にひたひたと漂いながら、赤や青のあられのような星々を見上げる。
誓が愛した輝きに包まれて、誓は瞳を閉じた。
誓は、とりとめもなく考えた。

あかいめだまのさそりは、今日も夜の空で暴君を制するのだろうか。

あかいめだまのさそりは、
いったいどれほど熱砂 に焼かれ、傷を負って
きたの だろう。


かい め だまの
  さそりは・・・・

思考は、途切れていく。 
 
 
モニターを、腕を組んだまま見つめていた佐久の目に、ぼうっと赤い鬼火が灯るのを彦根は見ていた。
指揮所の液晶ビジョンには、様々な箇所から送られる映像や、デジタル部隊配置図が表示されている。
映像伝送ヘリから送られる、緑色に処理された世界を、佐久は何かを探すように睨む。
搬送される負傷兵。戦闘の様子。
そして死者。
その中に誓がいないことを、佐久は祈りながら確かめていた。
その周囲では、各周波数に振り分けられたオペレーターが、機関銃のように交信を続けている。
目を強く瞑り、佐久は感情に耐えていた。
肌寒い。
粟立つ肌は、気温よりも体の中にある冷たさに反応している。
格納庫での戦闘は、じりじりとこちら側が敵を追い詰めている。
しかし混乱は続いており、誓もまたその消息は知れなかった。
自分の、嫌な汗のにおいがする。
心臓が冷たい手で捕まれたような気分だった。
目の前に並ぶディスプレイには、研究所や格納庫から散発的に漏れる閃光が瞬いている。
包囲された敵部隊は、死に物狂いの抵抗をしていた。
膠着しつつも、ジリジリと敵は後退していく。待つにはあまりに長すぎる時間。
人はせわしなく行き交うのに、時間はトロトロと過ぎていく。
ふと、視界の端で体を捻って振り向いた通信士を見た。

「飛騨中尉!」
「どうした?」

歩み寄る中尉が、通信士の後ろにつく。

「緊急周波数に受信が!」

何故か佐久はふらふらとそちらに向かう。
彦根はちらりと佐久を見た。
何かの確信に引き寄せられるかのような表情。
航空機が緊急時の交信に使用する、特別な周波数。
それ故に、常に周囲の機関から傍受されている。
通信士がイヤホンジャックを引き抜いた。
スピーカーから電信音が流れ出す。
一文字ずつ通信士がメモにモールスを書き起こす。
その文字を見た佐久の手が、ぶるぶると震えた。


「m・a・y・d・a・y,E・C・H・O・0・1」


モールス信号が一音一音紡ぎ出すのは、誓の確かな鼓動。

「誓・・・」

彦根が言葉を失った。
佐久の目頭から、涙の幕が膨らんで落ちる。
ゴシッとその涙を佐久は拭った。
震える声で、飛騨中尉に声をかける。

「エコー01は私の指揮系なんです。交信させてください」
「指揮系・・・?」

遭難を意味するmaydayを発信している以上、何らかの緊急事態に遭遇していることは間違いない。

「エコー01、ガージ」

交信に用いるパイロットネーム、ガージを使い、佐久はゆっくりと誓に呼びかける。
10秒間隔で繰り返すモールスは、恐らく自動送信機能を使用しているのだろう。
沈黙がややあって、ノイズ混じりに応答する声が流れる。

「ガージ、エコー01」
か細く、遠い声は、掠れている。

「敵の・・・妨害は、排除しました」

力を振り絞って話す誓の声は、今にも途切れそうだ。
時折、シミュレータの外からとおぼしき銃声が僅かに入る。

「エコー01、そちらの状況は?」

沈黙が流れた。
誓は、答えない。
答えられないのではないか、と佐久は直感する。

「エコー01?聞こえるか?」

また間が開いて、今度は答えが帰ってくる。

「・・・上空・・・進出、支障、ありません・・・救援をお願いします」

渾身の力を、込めて。
誓は、佐久の安全の確保だけを伝えようとしている。
たまらず佐久は、もう喋るな、と叫びそうになる。

「エコー01、了解した。すぐに救援に行く。もう動くな」

誓が、佐久の征くべき場所への道を開いてくれたのなら。
何も、ここに留まる理由はない。

「彦根さん、行きましょう」

出撃の許可が、出るはずだ。
溢れそうな涙を湛え、キッと見えない空を見据えた佐久の瞳が赤く強く輝く。

誓はその使命を果たした。
ならばどうして、佐久は征かずにいられよう。

 
 
誓は、辛うじて言葉を紡ぎ出せたことに安息した。
指揮系の通信とは別にある、地上交信用UHF周波数は生きている。
首筋に繋げたケーブルのせいで、横向きに倒れている誓の前には、美花子の蝋のような顔。
自分と美花子の出血で、もはやシミュレータの床は血の海だ。佐久の声が消えた後の、イヤホンマイクにそっと触れる。
美花子を犠牲にしてまで果たさなければならなかった、使命。
正気を必死に保ちながら、ただもう干渉を排除したことだけを伝えた。
休み休み、首からケーブルを回し抜く。
もう、メイデイを発信する必要はない。
残り少ない命のリミットは、先ほどの自動送信で更に削られた。

「あかーい目玉のさーそりー」

瀬戸際で保ってきた意識が、今度こそ奥深くへ沈んでいく。
意識のあるうちに、佐久の声を聞けて、良かった。

――来てくれる。

その約束を胸に、誓はとうとう瞼を閉じた。
目を閉じた深い闇に、星が見える。
 
 
 
高速道路を、東京と埼玉の街を、夜を飛び越えて和光基地に迫った。
和光基地を囲む、パトカーの赤い光。装甲車。
投光器の照明に基地は、浮かび上がったように見える。
規制線を越したマスコミのヘリが、軍用ヘリに追い回されるのを尻目に、佐久は前を見据えた。
視界の先に求めるものを見つける。
和光基地の見慣れた格納庫に、瞬くタグが表示された。
EMG 7700の文字は、遭難した機上乗組員たちの発する緊急信号だ。交戦地区の最中にいる誓が、発見されていないことは想像に難くない。
地上の指揮班と交信しながら、徐々に高度を下げて格納庫へ迫る。

たった一機投入される戦闘ヘリが、どれ程に圧倒的か。

視界が、赤外線モードに切り替わる。
電子の目が、格納庫内の熱源を探り出す。
佐久はシミュレータを傷付けないよう、跳弾が及ぶ範囲を計算した。
四角い照準の枠を、赤い熱源に重ね合わせる。

「mars0、Vortex10、Now rocked on」

指揮所に、攻撃準備完了を報告する。
カーッと熱くなる指先を感じた。
この一撃が、戦況を変える。
攻撃命令を復唱しながら、佐久は、射撃ボタンにかけた指に、力を込めた。


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