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群青
勝ち得たもの
撃てない。
誓はただ、爪の先までもが闇に冷たく沈んでいくのを感じながら、無意味に拳銃を構えていた。

くるりとカールした前髪の下、細いアイラインで縁取られた大きな猫目。
長くて黒い睫毛の落とす影と、ナチュラルブラウンのアイシャドウが、青みがかった瞳を憂いげに際立たせている。
そしてその瞳に燃えるのは、刺すような憎しみだった。

「大して可愛くもないくせに」
猫のように引き締まった、滑らかな輪郭は、蛍光灯の下ですら美しい。

「・・・は?」
「ブスの癖に、邪魔ばっかりしやがって」

咲き初めた薔薇のように柔らかなピンクの唇から、悪意が紡ぎ出される。
Vネックから覗く華奢な鎖骨に、さらりと髪の毛が掛かった。
怒りに燃えた冷酷さが、女神のような美しさを際立たせる。
――撃ちたくない。撃てない。

「動くな」

吐き出すように呟く。

「サイボーグの癖に、手が震えてやがる。いい気味ね、腕が千切れて」

嘲笑う美花子の、唇が歪んだ。
美花子の表情に動揺はなく、まるで石膏像ではないのかと思わされる。

「スパイは射殺する」
「すればいいじゃない。してみなさいよ」

目の前が暗くなる。ドアに寄りかかり、誓は必死に目眩を凌いだ。
彼女は一体何を言っているのだろう。
こんなに可愛くて、華奢で、柔らかい女の子がスパイのはずがないのに。
戦場に、いるはずがないのに。
憧れて、眩しくて、直視できなかった。
戦場にいる自分に、いつもコンプレックスを感じさせるほど。

「あんたさえいなければ、佐久だって取り込めた」

顎をあげて、見下した美花子の溜め息混じりの呟き。

――そうして、私をさんざんバカにした男たちを見下してやるはずだったのに、あんたのせいで。

信じられない言葉が、どんどん心臓に突き刺さる。

「・・・お嬢様の美人は家で家事手伝いでもしていてください」
「黙ってよ!つぎはぎの癖に」
そうして美花子は吐き捨てた。

「美しくなるために、強くなるために、整形までしたのに!そうして、男どもを手玉にとってやるはずだったのに!!」

その言葉に誓は、ガンと、頭が殴られたような衝撃を感じた。

英田実加子が鈴江美花子にすりかわる前、――小さい頃から、ブサイクブサイクと虐められてきた。
親にさえ、ピンクの洋服も着せてもらえず、幼稚園のお遊戯では男子に手を繋ぐのを拒まれた。
保育士が、その時泣いていた実加子を慰めながら笑っていたのを覚えている女の子にすら相手にされず、泥を投げられることもあった。
母親は実加子の顔を見ては溜め息をつき、父親は自分に似てしまった娘を疎ましがった。
小中学生時代はまさに悪夢で、バイ菌扱いや持ち物がなくなることは日常茶飯事。
給食当番をすれば、片付けをすべて押し付けられる。
中学に至っては、ときどき思い出せない部分があるほど毎日が地獄だった。
スタイルだけは良く育ってしまった実加子を、中学の女子は凄まじい嫉妬で叩いた。
担任が、呼び出した実加子の体を触り、お前が触られたなんて言ってもだれも信じないと言ったのを、今でも毎晩思い出す。
高校に入学しても、そして卒業しても、総ては同じことの繰り返しだった。
成績も内申も良かった実加子と、遊んでばかりだった美人が受けた会社は、美人が受かった。

「誰も助けてなんてくれなかったわよ」

彼氏。就職。青春。
そんなものは異次元の話だった。戦争に閉ざされた世界。
全てが実加子の敵だった。

そうして。
実加子のもとに、ある一人の男が訪れた。
彼こそが、軍の使者だった。

・・・それからは、あっという間だった。経歴を消され、顔を幾度か弄って、そして国境を超えた。

「全てが違っていた。西側の世界は広くて、明るくて、軍備も強かった。生まれ変わった私は、信じられないくらい男に優しくされた」

持内重工の箱入り娘として入社した後の人気ぶりは、誓もよく知っていた。
佐久が女性として優しく扱っていたのも覚えている。

「バカな男たち。勝手に女神扱いして、金を払って、期待して。利用されてるとも知らないで」

美花子の流す情報の価値は徐々に認められ、そしていずれかは佐久を丸め込み亡命させる筈だった。

「どうしてあんたなんか」

しかし佐久は、美しく華やかな美花子よりも、ずっと地味で埃っぽい誓を選んだ。


「佐久の心が、本当に欲しい人の心が、手にはいる筈だったのに」


必死で膝を支えて、誓は美花子の吸い込まれそうな瞳を見つめた。
きっと泣きそうな、堪えた顔をしていると思う。
憎しみよりも、自分が享受していた愛情が無二のものだという事実に愕然とした。
当たり前のように、困惑しながら受け取っていたものが、美花子には手に入れられなかったものだった。
ギュッと心臓が縮む。
拳銃を握る指の感覚が失せる。美花子の顔が青白いのは、蛍光灯のせいだけではない。

「そんなことは、どうでもいい!貴様、シミュレータに何をした」

抗う言葉を絞り出す。
責務。佐久や彦根を守れるのは、今ここにいる誓しかいない。
どんなに、美花子を撃ちたくなくても、撃たなければ――
その重圧に張り裂けそうになる。

「動くな。無駄口を叩くな!!」

それは誓の叫びだった。

「撃ちなさいよ!あんたが私を殺して一生それを背負うがいいわ!!」

美花子が引き金に力を込める。
情報源として生け捕りにするべきなのは分かる、しかし美花子は既に引き金に力を――
――撃ちたくない!殺したくない!美花子を、美花子を――

「う、う、あああああ」

拳銃を構えた右腕に狙いをつける。
長い一秒間、全身の力を込めて、引き金を絞る。
歯を食い縛りながら、瞼をこじ開けながら、・・・



そして、引き金を絞りきって撃鉄が弾丸を叩いた瞬間、美花子の拳銃が白熱した火焔を噴いた。

その瞬間誓の、視界がガクンと揺れて世界がぶれた。
銃声は二度、狭いシミュレータの中に鋭く突き抜ける。



いつの間にか、床に倒れ込んでいた。
頭の中が洗濯機のようにグラグラと揺れて、耳鳴りがする。
そして、霞んだ目で、壁に吹き飛んだ美花子の右胸を、赤黒い血の塊が汚しているのを見た。撃たれた衝撃で、狙いがずれたらしい。
ズキズキと刺すような痛みを感じる。

「・・・ハッ、ハハハ」

天上の声のように、美花子の嘲笑う声が響く。
自分の脇腹にめり込んだ弾の熱さが、ようやく知覚された。
ひゅう、ひゅうと苦しげな呼吸に合わせて美花子の胸が上下する。
肺に穴が開いているのだろう。

「・・・美花子」
「何よ。何でそんな目で見るのよ」

自分はどんな顔をしてるのか、誓には分からない。
目の周りが熱くて、呼吸が苦しいのだからきっと、泣きそうなのだと思う。

「・・・撃てたじゃない。この偽善者。・・・これで、バレた上に失敗した・・・厄介な、スパイが、消え、て・・・祖国も、喜ぶ、わ」
「美花子、最初から――」

死ぬ気でいたのだろうか。

「あんたの・・・せいよ。あんた、さえ、来なければ・・・」
「悪いが、任務で、ね」

ふん、と美花子は鼻で笑う。
それから、徐々に弱くなってくる呼吸を、ゆっくりと幾度か繰り返した。
そして一息、最期に、眠るように吐き出した。


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