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群青
Incerfa
整備員たちと、夕空に浮上したヘリの機体に帽子を振った。
台風のように強い風に、洗われるような圧力を感じる。
迷彩服がバタバタとはためき、まとわりつく。
二機の機影は、一旦ふわりと垂直に浮かび上がったあと、挨拶がわりに機体を左右に振った。
持内重工整備員たちは、遠退く愛機をニコニコしながら見つめる。
誓もまた、笑顔を浮かべて佐久たちを見送った。

変針したヘリは、一気に速度を増して一路、宇都宮基地へ向かう。
叩きつけるようなヘリの音が、金星のようにだんだん小さくなっていく。
カクテルのような、藍とオレンジの重なった夕空。
誓の足許から伸びるのは、闇に紛れかけたぼんやりとした影。
ガタンガタンと遠くで響くのは、家路を急ぐ人達の乗る、東武東上線。
迷彩服一枚では少し肌寒い夕暮れに、ふっと漂う金木犀の、こっくりと甘い香り。
その香りに目を閉じれば、瞼の裏に、いつかの帰り道が揺らぐ。
歩き疲れた迷い道の夕暮れ。
少し湿った空気に混じる、見知らぬ家の夕げのにおい。
里山の墨のような影。帰れない道へ、まぼろしが誘う。
それは、道に迷った誓を惑わす幻影。
たとえそれがまぼろしだとしても、誰が故郷を思わずにいられるだろう。

「谷川さん?大丈夫?」
「あっ、はい」

気付くと松本が、天を仰いだままの誓を心配げに見ている。

「貧血なら、医務室に行きますか?」
「ちがいます、ホント大丈夫です」
「なぁに?悩み事?」

後ろから白い指がするりと、誓の肩にかかる。
エロ白衣としか言いようがないみほの、鼻にかかった声。
優しげな、包み込むような声音は、柔らかなエロスをむんむんさせている。

「悩むとしたら、佐久しょ・・・いや、中尉のことでしょ?」
「チーガイマース!」

彦根も栗駒もみほも皆、当然のようにそう言うのが、誓には本当に不思議だった。

「“安全装置”の谷川さんでも、佐久さんのことで悩むんですかァ」

何も知らない松本がポリポリと癖っ毛の頭を掻く。
それこそ、科学者とパイロットという、違う地平線に立つ二人がぶつかることは少なかったのだろうか。
誓は、つい松本の顔をじっと見る。
見つめられた松本がどぎまぎするのに構わず、誓はぼーっと目を逸らさずにいた。

「ちょっ、怒らないで下さいよぉ。冗談ですって」

中尉へと昇進した佐久。
その青い鋭さは褪せぬものの、どこか眼差しに、鍛え上げられた日本刀のように、成熟した光が宿りつつある。自分が佐久を中和したと彦根は言うが、どうしてもそうは思えない。
佐久は今や、身体の一部を共有しているに等しい。
誰が自分の身体に恋をするだろう。
佐久にとっては違うのだろうか。
黄昏に、活動を停止した静かな心に問いかけてみても、答えはない。

「・・・不思議で堪らない」

眉根を寄せて、飛行場の隅で誓は呟いた。
ただ夕暮れに、何もかもが冷たく澄んだ心が、故郷への郷愁を歌う。

たまには実家に逃げてみようかな。
答えの無い問題に向き合うのも、いい加減飽きてしまった。

今週末の、長崎行きのチケットの算段をする。
見送りを終えたみほや松本が、踵を返すのを誓は上の空で見ていた。

――海の日の沈むを見れば たぎり落つ異郷の涙
思いやる八重の汐々 いづれの日にか国に帰らん

断片しか思い出せない、子供の頃に歌った曲が、突然誓を長崎へ誘う。




安いチケットを探して、寝床で携帯デバイスを弄っていると、すっかり目が冴えてしまった。
幾度も幾度も、今週末が休みであることをスケジュールで確認する。

「まっ、ここでいいか」

適当に検索一頁目のチケットサービスの中で、一番安いのをクリックする。
消灯後の部屋に、ガラス型ディスプレイの淡い光が漏れる。
長崎、川棚往復分チケット。
空中勤務手当てや、今まで仕事ばかりで使えなかった分の残高を考えると、このくらいの交通費は捻出できる。
申し込み終了の画面を確認し、誓は早くも手土産について考え始めていた。
最近の東京土産のトレンドを調べるが、数が多すぎて手に負えない。

「・・・羽田の売店で買えばいいや」



そうしてうつらうつらしてきた頃、突然基地中にアラートが響いた。
つんざくような警報音に反射的に跳ね起き、壁に吊るした迷彩服に手を掛ける。
(――抜き打ち訓練?)
だがふっと常夜灯が消えた瞬間、誓は異常に気付く。
今まで常夜灯が消えるなんてことは無かった。
窓の外から漏れる光に頼り、無意識のままズボンを上げて、迷彩服のジャケットを羽織る。

『非常事態、非常事態。侵入者あり。訓練ではない、これはアクチュアル(実状況)である。繰り返す、アクチュアル』

あわてふためいた当直の放送に、本部棟から響いた銃声が重なる。

「ちょ!!」

とりあえずコンバットブーツに足を滑り込ませた。
ジャケットの廊下の暗闇に突如、赤い非常灯が灯った。
すーっと血の気が引く。
ロッカーから防弾チョッキと戦闘用ヘルメットをひっつかみ、誓は弾かれたように走り出した。
視界にちらつくEMG(エマージェンシー)の字幕が、体内の非常モードが起動したことを告げる。
非常時に発射される電波に反応して、誓の体内のビーコン(電波発射装置)が起動したはずだ。
Vortex10やE787がもし上空にいれば、誓の現在地や生死が表示されるはずだった。
だが今はそんなことは関係ない。一瞬迷ったが、とにかく研究棟に向かう。
部署ごとに分散された武器庫が、そこにもあるはずだった。

ダタタタ、とかましく響き始めた連射音。
振り向けば七階建ての本部棟の、四階のフロアが赤く燃え盛っていた。
植木の向こう、柵の上に設置された赤色灯が丸く赤を投げ掛ける。
アラートはけたたましく鳴り響き、柵沿いの壕に警備兵が滑り込んだ。

重武装した兵士たちが本部棟の方向へ走っていく。
反対方向へ誓は、兵士たちをかわしながら、走った。
防弾チョッキのずっしりとした重みが、心肺に負担を掛ける。
街灯は消え、周囲の街の光が薄く基地を照らす。

長崎行き、キャンセルしなきゃ

パニックになりかけながらも、高速回転しはじめた頭にそんなことが過った。
誰も彼もが防弾チョッキを着ている。
それと違うように、研究者や事務員が避難を始めていた。

「避難する人は右側を走ってー!!」

流れがぶつかりかけ、誰かが叫ぶ。
カチャカチャ鳴るヘルメットが、ずり落ちてくるのを誓は、また押し上げる。

「侵入者は5〜10人。全員武装している、敵特殊部隊の可能性大」

行き違った若い小隊長の、無線機のマイクから流れた情報を聞き流した。
格納庫、研究棟エリアには、vortex10に関するすべての情報がある。今は機体こそ無いものの、万が一敵の手にわたれば、彦根や佐久、誓の安全は保証されない。
残業している松本やみほ、栗駒大尉が無事であってくれと誓は願った。

万が一の場合、破壊すべきものの優先順位は?
データや機材をどこに隠蔽するべきか?

研究棟、格納庫の黒いシルエットに向かい、普段の3倍速度で考える。
パイロットのパーソナルデータや、戦闘行動のパターンのデータ。
それに周波数関係の極秘データ。
格納庫はシャッターが降り、周辺にも、やはり警備兵が張り付いて睨みを利かせている。

「動くなッ」

研究棟のドアを開けようとして、兵士に銃口を向けられた誓は、慌てて身分証を示した。

「関係者です。入れてください」
「両手をあげたままこっちへ来い」
「主任の松本に問い合わせてください。谷川と言えば分かります」

友軍と言えど、武装した相手には敬語になってしまう。
結局問い合わせるまでもなく、近くにいた整備の主任が誓を身分証明した。


建物の中はやはり赤一色に染まり、各階への防火扉は封鎖されている。
慌ただしくかき集めたのか、書類が廊下に四散していた。
一階の研究室には、何時ものような灯りなどはない。
整備兵が所々配置され、不安げに小銃を握っている。

「今は皆、無事です。整備兵が武装して内部の警戒に当たっています」

武器庫の、重い鉄扉は既に開放されてた。
そこに立っていた栗駒大尉は、誓の顔を認めてキッと見据えた。
普段の民間人とみまごうような、温厚な表情は見当たらない。
ズラリと棚に並べられた小銃を一丁掴むと、誓に突き出す。

「何があるか分からん。自分の身は自分で守れ。お前自体が機密の塊なんだということを忘れるな」
「はい」

渡された、旧式の予備である89式小銃を握りしめる。
黒いつや消しの、プラスチックの質感が手に冷たい。
弾倉は二本。防弾チョッキのポケットに差し込む。
それに拳銃を手渡され、誓は栗駒と目を合わせた。


整備主任に案内された地階の医務室前には、武装したみほがいた。

「誓、無事なのね」

小銃を持っているみほや兵士が、机やベッドをバリケードに避難した民間人を匿っていた。
大きく整ったアーモンド型の目をギラギラさせたみほには、確かに軍人らしい風格がある。
制服のタイトスカートにワイシャツでは何とも心もとないが、小銃を満足に扱える軍人が少ないので仕方がない。

「松本さんは」
「中にいる」

とりあえずうちの部署はみな無事らしい。
医務室に通されると、赤色灯の下、怯えた研究員や軍属が体育座りで固まっていた。

二十人から三十人程度だろうか。
みな真っ黒い目で床を見ている。
犇めき合うその間を縫いながら、誓は松本に声をかけた。
「松本主任ッ」
「谷川さん!」

憔悴した顔の、松本の目の下にはくっきりと隈が見える。
赤色灯の赤に、その膚を覆う脂汗が光る。
空調が止まった室内は人いきれで暑く、足を投げ出すスペースもない。

「怪我人は?・・・研究は無事ですね?」
「うちの部署は皆、大丈夫です」

研究所は今や、分厚い鉄扉で封鎖されようとし、幾多の兵士によって守られている。
混乱が拡大する和光基地はしかし、侵入者に抗おうとしていた。

「直前に公安から急報が」
「それで」

髪の毛を団子に括りなおした誓は、キッと天井を見回した。
この時間帯でも残業は多く、この棟に避難する研究員は増えつつある。

「わたし、シミュレータに行きます」
「谷川さん?」

格納庫にあるシミュレータは、vortex10と直接の接続回路を持っている。

通信回路がもし開いていたら。
佐久の回線に妙なものをぶちこんだりされたら。
まさかとは思うが、なぜか嫌な予感がした。
広範囲用アンテナを使えば、宇都宮基地から和光基地までは通信可能な範囲だ。
シミュレータと佐久の脳はダイレクト回路であり、致命的なダメージを受けることになる。

「シミュレータを、守ります」

誓は、身を翻した。
ゴンゴン、と重い靴音が響く。
死ににくく作られた身体は、戦闘時の生存率を高めている。
研究員や生身の人間を、伴わさせる気にはならなかった。

「谷川さん!」
「あなたはここに残って」

松本の声に振り向き、微笑む。
杞憂だとしても、そこに可能性が有る限り、それを無視するわけにはいかない。



「あなたは学者で、私は、軍人ですから」

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あきゅろす。
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