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群青
De-arm
冷たく澄んで、奥深い淡さの青に、矢のように機体が突き刺さっていく。
天に向かって落ちていく戦闘機の、濃く美しいブルーの機体を、光が明るくなぞった。
コクピットはきらりと光り、ナイフのように機体は空を切り裂いていく。
スラリと細い機体に、刃物のような鋭い翼。
自由に、身を翻し、重力を突き破り、軽やかに風に舞うその上昇を佐久は見上げた。
昼間の微風が、Tシャツの素肌を撫でていく。
煙草の煙を深々と吸い込んで、細く煙を吐き出した。
建物裏口の喫煙所で、ぼーっと空を見上げたまま、突っ立つ。
月に一度、この日だけ一本と決めている煙草から、ほどけるような煙がたなびいた。
持内重工のテスト機であるF-22J戦闘機の、低く堅い轟音を聞きながら、ゆっくりと瞬く。
芝生に、乾いたコンクリートの通路。
ブロックのように配置された、どれも同じように長方形の建物。
大嫌いな煙草の味をゆっくりと味わいながら、ひんやりとした秋の空気の流れにたゆたう。
背後で開いたドアの音にも振り返らないまま、佐久は携帯灰皿に灰を落とした。

「佐久さん、松本主任が・・・」

恐る恐る、といった感じの、誓の呼ぶ声に少しだけ振り向く。

「分かった」

あれから、誓は何も言ってこない。
そのままの日常が、少しだけギクシャクと進んでいる。
ほぼ垂直に、こちらに背を向けて上昇する戦闘機を、誓も黙って見上げている。

「タバコ、吸われるんですね」
「ああ、恩師の月命日だけ」
「・・・へぇ」

戦闘機はひらりひらりと身を翻し、そのまま旋回を始める。
それを眺めながら、佐久が吸い終わるのを、じっと待っている。

「――気持ち良さそう」

誓にはあたかも、その翼、その機体とパイロットが一体となったかのように見えるのだろう。
鋭く洗練された一個の生命体。
電磁波防護の観点から、窓のない飛行機に乗り組む誓には、全天を見渡せる戦闘機は無限の視界に思えるのかもしれない。
佐久が煙草を揉み消しても、まだ誓は名残惜しそうに小さくなる戦闘機を見送っていた。

「同じ基地なんだし、パイロットだってそこらへんに居るだろ」
「居たって、話しませんよ」

佐久の手前、無関係の異性と話すわけにもいかないと思っているのか、誓は目を逸らした。
あまり佐久の目を見ようとしない誓。

「煙草くらい、ごゆっくりどーぞ」
「いいよ別に」

佐久の為に誓はドアを開ける。
よく躾られた下士官。
それ以外の態度を、普段滅多に見せることはない。
思い出してみても、誓が泣いたのは、三沢の時以外見たことがなかった。
あやめや鳥海のほうが、よほど誓を知っているに違いない。
廊下を歩きながら、そんな事を考える。
すれ違った美花子に適当に挨拶を返す。
華やかな格好は自制するような空気の軍内部において、美花子は何を着ていても存在が華やかだった。
スカートのスーツが、控えめで逆に可憐な雰囲気を演出している。
佐久に、ぴったりと影のように付き添う誓が、少し俯いた。

――バカな奴。

早足で歩く誓に、佐久は少し歩みを遅くする。
それに気付いた誓が、顔を上げて佐久を見た。

「・・・佐久さん?」
「いつもの第一ラボに松本が居るんだな?」

はい、と小さく返事した誓の頬が、心なしか赤く染まる。
少し戸惑ったような仕草に、佐久はふっと唇の端を吊り上げた。




「だから、隠さなくてもいいって」
「鳥海司令にゃ言わないからよ」

彦根とあやめに挟まれ、誓は言葉に窮した。
うちの部下にコソコソ近づく奴は便所に追い詰めて肥溜めにぶち込んでやる、という「皇帝」鳥海少佐の言葉は、基地隊員の中でも伝説となっている。
誓の元々所属する入間には、少なからず彼の信奉者が存在し、逐一情報活動を行っているとの噂まであった。
部下の交遊関係はおろか、サイボーグを敵対視する勢力の弱味まで握っているらしい。
そんな基地内では、うかつな発言は出来ない。
あやめの言うまま、池袋まで足を伸ばしたのが間違いだった。
いつの間にか彦根まで合流し、始まったのは尋問だった。

「ていうかー、まあ佐久さんはアレよね。気があるよね」
「海兵に嫉妬してたし」

飲み放題二時間の、魚民を少しお洒落にしたような飲み屋のカウンター席で、二人に挟まれた誓は逃げることも許されなかった。

「俺は、あいっあーなかなかいい男だと思うけど。あっすみません、鳥刺しと枝豆とウォッカショットで」

パーカーにジーンズという姿だと、どことなくボクサーに見えなくもない彦根。
パープルのスキニーにベビーピンクのTシャツのあやめ。

「いや、だから、そりゃいい人ですけど」
「じゃーいいじゃない。あんた、松本から佐久の安全装置って言われてんのよ。あっ、チャイナブルーと鶏皮。それと冷や奴」

髪をアップにしたあやめは、どこか外国人めいて見える。
いつもより色っぽい感じのメイクのあやめが、上目使いで誓を見据えた。

「だからね、それは仕事上であって・・・」
「嘘やん」

彦根がウォッカのショットグラスを誓の前に置く。

「まあ飲めよ」
「ちょ・・・」

酒と煙草の臭いに、料理の油の臭い。
お気に入りの、サテン地のショートパンツを履いてくるんじゃなかった。
誓は密かに後悔する。
シャツには焼き鳥の油が跳ねてしまっている。

「そう言えば、今日は佐久さん、煙草吸ってましたよ」
「へぇ?」
「そっか、今日は・・・」

驚いた様子のあやめとは反対に、彦根は何かを思い出したように押し黙る。

「恩師の、命日だそうで」
「・・・ジェット機訓練生時代のあいつの、教官の月命日だよ。毎月一本だけ吸うんだ」

彦根が、言葉を選びながら、ぽつりと言った。
騒がしかった店内のざわめきが、急に遠くに感じられる。
本人には言うなよ、どうせいつか知ると思うから言うけど。
そう前置きした彦根が、誓の目を見た。



佐久にとって、一番長い一日の話。



「・・・まあ、あいつはあいつなりに受け止めてる。努力して」

この話はこれまで、というように彦根はシャンディガフを煽った。
誓は黙り込んだまま、炭酸の抜けたモスコミュールを見つめる。
佐久は誓にとって、欠けてはならない存在なのは確かだ。
もう一度空を、失った夢を誓に与えてくれた。
信頼もしている。佐久の目で、世界を見ていたいと思う。
けれど、それは好きとか恋とか、そんなキラキラして色鮮やかなものとは違う気がしてならない。
やっぱりそれは、美花子の領域だ。
美花子なら、何も知らないから彼の領域へも踏み込めるだろう。
あのキスは、ただの慰めか、それとも励ましだったのか。
知ってしまった佐久の過去に、誓は到底踏み込むことなど出来ないと思う。
三沢以来抱え込んできた、違和感。
そして、絶対的に佐久の中にある過去。

押し黙ったまま、三人とも味がしない酒を飲む。


入間に帰るあやめと別れたあと、帰りの東武東上線の中、彦根と誓はぽつりぽつりと会話した。

「おれはあいつにもう少し、身構えないでいてほしいとは思ってる」

彦根は見えない空を見上げるかのように、中刷り広告の向こうを見ていた。
――あいつは、周りがみな、佐久を人殺しだと思ってるって思い込んでいる。
けど、そうじゃない。
俺が教官なら、やっぱりそうする。
そう言う奴が大半なんだ。
人殺しだって言う奴も、自分が教官に立場が変わったら、そうせざるを得ないだろう。
どうしようもなかったんだよ。

だけど、何て言うか・・・
最近、あいつが、なんていうか・・・誓と一緒にいると、少しは表情が柔らかくなるんだ。
あやめや美花子といるときは、やっぱり身構えたヘリパイの顔してるけど。

本当に、あいつにとっては安全装置なのかもしれない・・・


うっすらと目を開けたまま、誓は電車の窓に流れる夜景を見ていた。
マンションや住宅街の明かりが、命の数だけ温かく灯ってる。

一応それなりに店のある駅前からタクシーを拾って、彦根と誓は、基地へ帰る。
基地周辺は本当に、住宅や小さな店しかない。
見慣れた景色。けれど、特別な景色。

角を曲がると、聳える隊舎と、基地の明かりが、今日も兵士たちを出迎える。


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