無限の空 ※18禁 06 あっさりと男を逃がしてしまった悔しさにシアは男が消えた場所を睨むように見つめると、昂った感情を落ち着けるように大きく息を吐き出し、トンと軽やかに地面に着地して座り込んだままの空に歩み寄った。 「空…?」 座り込んだままぴくりとも動かず男が消えた場所を亡羊と見つめている空に不安を覚えて声を掛けるが反応はない。 「あいつに何を言われたの?」 そう心配そうに問いかけるシアに、空は答えることが出来なかった。男に言われた言葉が頭の中をぐるぐる回っていてちっとも頭が働かない。 自分の中にある魔力。もともと何の力も持っていなかった空はそれが自分のものでないことを知っている。男は「貴方の中に答えはある」と言った。けれど答えを知ることが怖い。先程感じた自分が自分でなくなるような不安と恐怖を思い出し空の身体が震えだす。 虚ろな瞳のままカタカタと震えだした空に、心配したシアが身体を摺り寄せ声を掛けようとしたその時二人のすぐ傍でガサリと音がした。 「よう、空」 掛けられた声に声の主をゆっくりと仰ぎ見た空の視線の先に立っていたのは190センチ近い長身に細いがしっかりと鍛えられた身体を持つ精悍な顔立ちの深紅の髪の男。見知らぬ男たちに囲まれた恐怖の中で空がその腕の中に帰りたいと願ったその人だった。 「ルイ…」 名前を呼んだ瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出した。心配する言葉も、労わる言葉も様子もなく、何もなかったかのように空の名を呼ぶルイの変わらない傲岸な笑顔に懐かしさを感じほっと安堵する。同時に「じっとしてろ」と言われたのを守らなかったために知らない男たちに誘拐されルイに迷惑を掛けたことが申し訳なくて、悔しくて合せる顔がなくて下を向いてしまう。 「ごめ…っ、な…さい…」 勝手に動いてごめんなさい、とぽろぽろと涙を零しながら謝る空にルイはため息を洩らした。 空が攫われたあの日、ルイが空の傍を離れたのは『器』を狙うもの達を誘き出すための罠だった。空が攫われるのもルイの計画のうちだったのである。 泣き止む気配のない空の頭にルイの手がのせられ、ぽんぽんと軽く叩いた後よしよしと撫でられる。 「よく頑張ったな」 「…!!!」 普段のルイからはあり得ない行動とセリフにびっくりした空の涙が止まり、信じられないと言わんばかりに大きく見開いた瞳がじっとルイを見つめている。一緒に旅をするようになって半年足らずだが、頭を撫でられた事もましてや褒められたことなど一度も無かったのである。 空の反応に苦笑し「帰るぞ」と一言声を掛けさっさと立ち去ろうとしたルイを空の弱々しい声が引き止めた。 「ルイ…、ごめん。立てない…」 極度の緊張から解放され安堵のあまり腰が抜けてしまったらしい。泣きそうな顔で申し訳なさそうに訴える空に、それだけ怖い思いをさせてしまったのだと思うとルイの胸に苦い思いが広がる。初めて空に触れた時、大切にすると誓ったのに泣かせてばかりいる気がする。 ルイは動けずにいる空に近付くと背中と膝裏に腕をまわしその小さな身体をひょいと抱えあげた。いわゆるお姫様抱っこである。 「…!!!」 高校生にもなってこれはないだろうと恥ずかしさの余り顔を真っ赤にして固まってしまった空だが、自分を抱える腕のぬくもりと、とくん、とくん、と一定のリズムでルイの胸から聞こえてくる心臓の鼓動に安心したのか次第に身体から力が抜けていった。 空を腕に抱えたまま暫く無言で歩いていたルイは、スースーと安らかな寝息を立てながら眠る空に気付きそのあどけない寝顔を見つめて柔らかな笑みを浮かべた。 とっとと宿へ帰ろうと止まっていた足を再び動かそうとしたルイを躊躇いがちなシアの声が呼び止めた。 「ルイ…」 不安に揺れる瞳でルイを見つめ話しかけるシアの硬い声に、ルイは怪訝な顔でシアの藍色の瞳を見つめ返した。 「何だ?」 「空が目を覚ましたら全部話した方がいい。あの変態親父、空に何か吹き込んでた」 シアはそういいながら不快気に顔を顰めた。ルイが来る前の空は様子がおかしかった。結局男から何を言われたのか聞き出すことは出来なかったけれど、空が男の言葉に動揺し不安を覚えていたのは確かである。 空を攫った男たちの目的が『器』としての空であることは明白だ。そして既に主のいる『器』を手に入れる方法は二つ。 「あいつが空を手に入れるにはルイを消すか空にルイを拒絶させるかしかないんだ。…あいつ空に封呪を掛けようとしてた。けど空には効かなかった。だから…」 だから誤解が生じる前に全てを話した方がいい。シアの言いたいことはルイにも分かっている。けれど―― 人の心は弱い。ようやくこの世界での生活にも慣れ、自分の置かれた立場を受け入れようとしている空に、全てを話したとしてそれを受け入れるだけの余裕があるとは思えなかった。耐え切れずに全てを拒絶するかも知れない。空がルイを拒絶すれば主と器としての繋がりも切れてしまうのだ。それこそあの男の思う壺である。 「……分かってる」 ルイは腕の中で眠る空の穏やかな寝顔に視線を落として苦く呟くと硬い表情で再び歩きだした。苛立ちを隠さずさっさと歩き去ってゆくルイにシアは溜息をひとつ零すと後を追うべく歩き出したのだった。 [*前へ] |