帝王院高等学校
お尻とお尻でお知り合い精神☆
「ねぇ」

朝から酷く蒸した夏の昼下がり。
家から持ってきていたおにぎりを一つずつ、木陰で頬張っていた時の事だった。

「暑くない?」

女だった。
母親と幼稚園の先生以外では話す機会もない、大人の女性。幼い頭で判ったのは、母親よりずっと年上であろうと言う事だけ。

「平気だよー。あのねー、子供は風の子なんだよー。だからねー、あきちゃんはねー、太陽の子なんだよー」
「は?何それ、アニメの影響?」
「は?あきちゃん、アニメなんか観ないもん。子供扱いしないでよねー、おばさん」

ムッとした表情で気丈にも微笑もうとしている女は、タイトなワンピースからすらりとした足を覗かせたまま。つまりは物心ついて間もない子供に話し掛ける為とも、白昼務めるOLとも、彼女の服装は相応ではなかった。
するすると走り込んできたワゴン車は、ポップなデザインでアイスクリームを描いており、大きめなおにぎりをチビチビ頬張っている弟の傍らでそわそわと体を揺らした山田太陽は、彼の体で最も印象的な眼差しを見開く。

「あっ、きた!」
「何?…ああ、アイス食べたいんだ?」
「あきちゃん毎日食べてる!ほんとは柔らかい抹茶が食べたいけど、お母さんが百円のしかダメって言うんだよねー。百円の奴は柔らかくないんだけどー、ネイちゃんは固い奴の方がおいしいってゆってたー」
「それ、いつも一緒に遅くまで遊んでるあの子?綺麗な顔してる、アンタより大きい子よね」

暑い暑いと言わんばかりに、高そうなハンカチで完璧なメイクを施している頬を押さえている女性は、綺麗に切り揃えたボブヘアに落ちてきた葉っぱを鬱陶しげに払うと、唇を微かに吊り上げた。気の強い太陽は幼いながらムッと眉を寄せ、ジトっと目を細める。

「おばさん、ストーカー?」
「はぁ?アンタ、さっきから黙って聞いてりゃ、誰がおばさんよ」
「年増が若い男に声を掛けてくるのはさー、明らかに犯罪ですからー。ね、ヤス」
「アキちゃん以外の人間は滅びればいい」

漸く口を開いた太陽より一回り小さい子供は、やっとおにぎりを食べ終えて自宅から携帯してきたウェットティッシュで指を拭くと、およそ三歳半とは思えない冷めた表情で太陽の手を握った。然し「暑い」と吐き捨てた兄にビクッと肩を震わせ、ぱっと手を離す。

「アンタら可愛くない」
「男に可愛いは誉め言葉になりませんからー」
「っ。ネイちゃんって子といる時と性格違うんじゃない?!何なの本当、どんな育て方してんのあの子は…っ」
「おばさんさー、おっぱい大きいねー」

にこり。
毒気なしの表情で宣う子供は、傍らに置いていた緑茶のペットボトルを弟に手渡すと、「キャップ開けてみて」と囁いた。頷いた弟は小さな手で一生懸命キャップを握るが、握力が足りずに開く気配はない。

「あきちゃんはじーちゃんと違って、おっぱいに興味ない感じだからー。めぐちゃん先生より、ももちゃん先生派なのー」
「は?」
「おばさんの事は、お母さんにもお父さんにも内緒?おばさん、お父さんの浮気相手なんでしょ?」
「ちょいと待ちなさい、アンタの父親浮気してんの?」
「そうだよー。あのねー、オサカンなんだってー」

やはり開けられない夕陽の代わりに、ひょいっとペットボトルを奪った太陽はキャップを夕陽に持たせたまま、ボトルの本体を掴んでくるくると回した。カポンと夕陽の手の中で外れたキャップを奪い、代わりに開栓したペットボトルを夕陽に手渡してやる。

「…立派なお兄ちゃんね、弟の面倒見てんだ」
「まーね、あきちゃんお兄ちゃんだしー。ヤス、アイス買ってくるね」
「うん」
「お金あげるから好きなの買ってきなさいよ」

ハンドバッグから財布を取り出した女性が小銭を取り出す前に、太陽は無視してアイスクリームの販売車へと歩いていった。慌てた声を出した人のパンプスがついてくる音がしたので、くるっと振り返る。

「ついてこないでよねー。おばさんからお金貰ったら、お母さん怒るしー」
「言わなきゃ判んないわよ」
「それに、あきちゃんキューリョー3ヶ月分買わないと駄目なんだよねー」
「え?お給料?」
「そーだよー。結婚する時は、キューリョー3ヶ月分じゃないと駄目なの。あきちゃんのキューリョーじーちゃんに聞いたら、一万円くらいなんだって」
「はぁ?…ったく、餓鬼も餓鬼なら、あの人もあの人だわ。子供にとっての一万円は確かに大金だろうけど、誤魔化すにしてももっと言い方ってもんがあるでしょうに…」
「あっ。おーい、ネイちゃーん!」

今日は来るのが遅いと頬を膨らませつつ、公園の入口からやってきた目立つ美貌に手を振った太陽は、ぶつぶつ呟いている女性をしっしっと手で払う仕草をした。

「ネイちゃんはあきちゃんが知らない人と話してるとご機嫌ナナメになっちゃうから、あっちいって?あきちゃん公務員になるんだよ、真面目な男は公務員で浮気しないんだよ」
「誰に入れ知恵されたわけ、それ」
「えー?お母さんが、実業家はテーソーカンネンがないから公務員で妥協した方がいいって、ゆってたー」
「…あっそ。苦労してんのね、アンタ。真面目なだけの男なんてつまんないわよ、嫁が浮気しても知らんぷりする様な男は」
「ふーん?嫁の不出来さを笑って受け止めてやれる器がない男は、駄目だと思うけどねー」
「アンタ…いい男になるわよ…」

疲れた表情で肩を落とした女は、携帯の着信音が響くハンドバッグを開き、財布をしまって携帯を取り出した。派手な化粧にきつめの顔立ちだが、携帯を見つめた瞬間だけ表情が和らいだのを太陽は目撃したのだ。

「ま、いいわ。結婚して子供が出来たって聞いたから、一度見ておきたかっただけ。陽子には言わなくていいから、…元気でね」
「お母さんのこと知ってるの?」
「ま、少しね。もうこっちに来る事もないだろうからこれで最後、えっと、アンタはアキだっけ?」
「そーだよー。山田太陽ですー。あっちはヤスちゃん。おばさんは?」
「夕夏里」
「ゆかりおばさん?」
「ええ。でも覚えなくていいんだわ。アンタみたいな色男はね、美人なガールフレンドの事だけ覚えてなさい。変な女に引っ掛かったら駄目よ」

ひらひらと、小さなハンドバッグを掲げ後ろ手に手を振りながら、香水の香りを残して立ち去った人の背を見つめる。さっぱり意味は判らなかったが、ガシッと肩を掴まれた太陽は疑問をすぐさま振り払った。

「おい、誰だ今のババア」
「ネイちゃん、おはよー」
「いつもより遅いと思って探したら、ンな所で座ってたのかよ」

どうやらいつも通りにこりともしない太陽のハニーは、いつも以上に眉間に皺を寄せたまま、左右非対称の瞳を眇めている。
公園の入口からは生け垣で、公園の中からもお情け程度の遊具で隠れている散歩コースのベンチは、生け垣に紛れている楓の木のお陰で丁度木陰を作ってくれる絶好の昼食場所だ。大抵10時回って目が覚める太陽は、いつも夕陽と共にこの場所で朝食兼用の昼食を食べてから遊び始める。美貌を曇らせた二葉が太陽達を見つけられなかったのも、死角になるからだろうと思われた。

「ヤス、ちょいと風邪っぽいんだってー。病院行ってお薬飲んだけど、お熱はないんだよねー」
「へぇ、糞程どうでも良い話だ。で、お前さんの母親はパート休まなかったのか?」
「ヤスが行けって言ったんだよねー。あきちゃんと遊んでたら治るって」
「ちっ、留守番してろ糞餓鬼…」

母親は仕事が休みの日には公園のママ友と長話をしているが、今日は仕事の日だ。最近随分残業をしている様なので、帰ってくるまでには暫く懸かるだろう。母親は最後まで心配そうだったが夕陽が薬を飲んでいる事と、しっかりしている太陽がついている事と、六歳とは到底思えない二葉の完璧な愛想笑いを添えた大人びた挨拶を受けた事のある陽子の絶対的な信頼感により、最終的にはアルバイトへ行った。

「ネイちゃんがいるから安心だって」
「まぁ、確かに俺以上にやべぇ奴はこの場には居ねぇだろうが…」
「はい?」
「何でもねぇ」

目を逸らした二葉は、ベンチに乗り上がって生け垣越しに睨みつけてくる夕陽を盛大な笑顔で睨み返すと、ブラコン抹殺と呟いて太陽の手を掴んだ。

「テメェは目を離すと知らねぇ奴についていきかねないから、俺に掴まっとけ。…つーか、光華会本家の縄張りに変質者なんざまず現れねぇけどな」
「?」
「今日は?」

ついっと、白い指先が指す先。
ランチタイムだから、ちらほらと集まってきた大人が列を作るアイスクリームのワゴン車を見やり、太陽は慌てて列に並んだ。行列と言ってもほんの数人で然程待つ事もないだろうが、本当ならいつも通り一番乗りだった筈なのだ。何だかちょっと悔しい。

「まだ!今から買う!ヤスちゃんはバニラでー、あきちゃんは…うーん、まっちゃかなー」
「そればっかだろうが。何で悩む素振りしやがった」
「えへへ」
「ちっ。笑って誤魔化せると思うなよ…」

悪態吐きながらも、ふっと目を逸らした二葉の頬がほんのり赤い。
色が白いからだろうかと太陽は考えたが、行列が残り一人になった所で、そう言えばと呟いた二葉が覗き込んできた。

「さっきのババア、誰だ。見ねぇ面だったな」
「知らないおばさんだよー」
「知らねぇ奴と何で話してたんだ?お菓子やるからついてこいって言われたんじゃねぇだろうな、おい」
「えっと、アイス買ってくれるってゆってたけど、要らないってゆったもん」
「本当だろうな」
「もー、ネイちゃん疑ってるのー?あきちゃんは知らないおばさんに腰振る様なアバズレじゃないよー?」

ぶっ、と。目の前でアイスクリームを受け取ったOLが太陽の台詞で吹き出した。アイスクリームを手渡していた店主も、目をぱちくりと丸めている。
二葉はそれらを軽く睨みつけて返したが、空気を読むつもりがないらしいマイペースは握り締めていた小銭を店主へ差し出すと、いつものアイスキャンディーをねだった。

「まっちゃとバニラ下さい!」
「はいよ、いつも有難うね。そっちのお姉ちゃんは今日はバニラかい」
「You didn't hit it off with me, and you have to head back to the hell right away.(頭沸いてんのかテメェ、理論上考えられる最悪の死因で死ね)」

今のは店主が悪い。
何を言っているのかさっぱり判らない二葉の台詞に目を丸めている店主を急かし、アイスキャンディーを受け取った太陽は、ご機嫌ナナメ所かご機嫌S字カーブの美貌を見上げた。

「ちっちゃい男だねー」
「あ?皮肉かそれは」
「ねえちゃんとネイちゃんって似てるんだもん、間違っちゃうよー。仕方ないよー。あ、おっちゃん、ネイちゃんもまっちゃ下さい!」
「あ、ああ、はいよ」

二葉がいつも着ているシャツの胸ポケットに手を突っ込んだ太陽は、そこにお金が入っている事を知っている。以前はお札を適当に所持していたが、移動販売車に万札を出した時におつりがないと断られて以降は、太陽に叱られて渋々小銭を持ち歩く様になったのだ。今日は400円入っていた。

「はい、ネイちゃんのお金ー」
「はいよ」

太陽と同じく異国語が全く通じなかった店主は、扱い難そうな二葉と目が合わない様に、わざとらしいほど太陽を見つめて微笑んだ。
太陽から抹茶アイスを口に突っ込まれた二葉は、眉間に皺を寄せつつももごもごとアイスキャンディーを口の中で砕いている。顔はとんでもなく美人なのに、全く激しい男だ。

「ヤスちゃん、バニラー」
「アキちゃん、ありがとー。あのね、今ね、あっちの木に蝉さん飛んできたよ」
「えー、うそー。透明なやつー?」
「んーん、茶色いやつ」
「そっかー、捕まえたいけど、届かないかなー」

何故そこまで蝉ハンターなのか、夕陽に太陽の興味をさらっと奪われた二葉は、木に向かってぴょんぴょん跳ねている太陽の背中を横目に、声もなく鼻で笑った夕陽と睨み合う。
本当に鼻につく餓鬼だ。流石は太陽の双子の弟と言うだけはある、見た目は太陽より小さく弱そうに見えるが、中身は恐らく同族だろう。二歳年下と聞いているので、二葉は二年前の己を省みたが、物心ついた瞬間には今の状態だった二葉は白けた笑みを零した。

「おやおや、風邪っぽいんですってねぇ、ヤスちゃん。早くお家に帰って安静にした方が宜しいんではありませんか?」
「この公園は変態が出るから、アキちゃんだけじゃ心配でね。例えば、お前みたいな馬鹿が」

ああ、合わない。
夕陽も同じ事を思っているに違いないと痙き攣った二葉は、ボトムのポケットの中で震えたルーターに眉を跳ねる。回線を開放した覚えはないが、震えたと言う事は、雇い主の呼び出しだ。

「…ちっ。アキ」
「なーに」
「溶ける前に食わないと汚れるぞ。良いか、此処から下手に動くなよ。お前さんの母親から頼まれてる俺の顔を潰すな、判ったか」
「良く判んないけどオッケー」
「それは何一つオッケーじゃねぇっつーの。ちょっと用があるから、待ってろ。すぐ戻る」
「オッケー」

何と信用出来ないOKだろうと思った二葉は、雇い主を探そうと駆け出した瞬間、眉を潜めた。太陽と夕陽は仲良く蝉が止まっている木を見ているので気づいていないだろうが、真っ黒な帽子に真っ黒なベールがついた未亡人の様な出で立ちの怪しい子供が、アイスクリーム屋の前で二葉を見ている。
ベールで見えないが、恐らく目が合ったので仕方なく駆け寄っていった二葉は、10万ドル札を手に途方に暮れている店主と、真っ黒な塊を見比べた。

「一般流通していない紙幣を軽々しく携帯するのはお控え下さいませんかねぇ、枢機卿。作らせた仮面はどうなさったんですか?」
「直射日光の照射で熱を持ち過ぎる為、これに切り替えた。技術班から失敬したUVスプレーを併用すれば、日が隠れている場では然程難儀はない」
「で、何してるんですか?」
「見て判らんか?」
「アイスクリームを買おうとしている様にしか」
「スイカバーに興味がある」
「ああ、夏ですもんねぇ」

安い雇い主だと肩を竦めた二葉は、胸元から百円玉を取り出す。
背後からドタンと言う音と共に「いったー!」と言う叫び声が聞こえた為、弾かれた様に振り返った二葉は、恐らく木に上ろうとして尻から落ちたらしい太陽と慌てている夕陽を認め、深い溜息を吐いた。

「枢機卿、つまらない尻拭いは金輪際控えて頂きます。これでも一応、誕生日を兼ねた慰安旅行ですからねぇ」
「ああ。すまんなセカンド、スイカバーさえ手に入ればそなたに用はない」

尻を蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、店主に百円玉を叩きつけ引き換えに紙幣を奪い取った二葉は駄賃だとばかりにボトムのポケットへ紙幣を突っ込むと、くるっと踵を返す。

銀髪の尻を拭っている場合ではない。
派手に落ちた癖に、もう一度上ろうとしている阿呆の尻が無事か確かめねばならないからだ。




























「本当に此処で間違いないんですか?」

アリーナから顔を覗かせた少年の台詞に、プールサイドで腕を組んでいた男は眉を寄せ、僅かに剃り残しが見られる坊主頭を上へ傾ける。

「僕に信用がないのは仕方ない事だけど、こんな時に嘘を言うつもりはないよ」
「気を悪くさせてしまったらすみません。疑ってる訳じゃないんですよ柚子姫」
「更衣室やシャワールームも確認したが、誰も居なかった。リブラにも使いを出しているが、携帯が使えないのは不便だな」

50メートルと25メートルのプールが一面ずつ設置されている屋内プールは、基本的に体育科が利用するだけの施設だ。
アンダーライン内部地下一階に当たる場所にある為、二階アリーナは地上一階に該当している。窓の向こうに空が見えるのは、地上に突き出したアンダーライン建物の角地に当たるからだった。

「地下は時間感覚が麻痺するな。大分日が高くなってる」
「とっくに9時を回ってる。柚子姫と宝塚の待ち合わせは8時半だったそうだから、約束を破ったか忘れたか…最悪、一人で実行に移すつもりかも」
「それはない。僕の主観的な意見だけど、宝塚敬吾は一人で事を起こせる様な男とは思えないからね」

可愛らしい顔立ちに全く似合わないスキンヘッドで、三年Sクラス宮原雄次郎は呟く。そのえも言われぬシュールな光景に、何とも言えない表情を浮かべている神帝親衛隊一同は、広い屋内プールの全てを調べ終えて整列した。

「用具入れにもダストシューターにも居ませんでした」
「念の為トランシーバーを持たせた数名を走らせてます。対象を見つけ次第、速やかに連絡する様にしましたが…」
「それほど期待はしてない。急な事態でトランシーバーの数を用意出来なかったからな」
「やーれやれ。参ったな。宝塚の身柄を手っ取り早く捕獲するには、風紀局に協力を頼むべきだろうけど…」

ぼやきながら、現状の隊長格と呼ぶべき二年Sクラス西尾甲斐は、アリーナから降りると額に手を当てる。苛々と親指の爪を噛んでいた宮原が口を開くより早く、溜息を零した井坂が首を振った。

「夜中からの騒ぎで風紀は出払ってる。自治会役員も全員手が離せない様だったろう、チンカスウエストはチンカスの役にも立たないが、清廉の君の手を煩わせる訳にもいかない案件だ」

それに、と。思わせ振りに呟いた井坂の視線が宮原に向けられ、柚子姫名高い男は眉を潜めた。姫様と呼ぶには憚られる、凄まじい程の不機嫌顔だ。

「風紀に事情を説明すると、なし崩しに僕達親衛隊の事も説明しなければいけないって言いたいんだろ」
「幾ら風紀だろうと、光王子の監督責任を追及する事は流石にありません。陛下が副会長を処分すると仰れば有り得るでしょうが、」
「中央委員会副会長の懲罰権限は、宵月閣下にはない。権限差異だ。けど、例外的に高坂を処分出来る立場の人間が関わってる」
「…正しくご理解なさっておられる様で何よりだ。陛下が不問と仰られた所で、天の君がリコールを申し立てれは、中央委員会総辞職は免れない」

左席委員会そのもの、左席会長は文字通り唯一神である。
今でこそ山田太陽以下、複数の役員が広く知られているが、それ以前、左席委員会の実質的な役員は会長だけだった。一切が非公開なのに、その存在だけは誰もが知っていると言う、伝説じみた組織が表面化したのは始業式典からだ。

「そう言う事です。時の君や星河の君、有名所だと紅蓮の君までもが左席役員を自称してますけど、左席権限は恐らく会長にしかないと思いますから」
「と言っても、左席が罷免権限を行使した事こそ、かつて一度もなかった様だがな」

理事会が左席委員会の任命を正式に発表したのは至上二度目で、初代左席委員会会長は榛原大空だったと、一部で真しやかに囁かれていた。丘の上の記念碑には歴代中央委員会会長のみが記載される為、初代会長帝王院駿河から現在に至るまで、左席会長の名前は残っていない。

「天の君がリコールをするにしてもしないにしても、無傷で保護出来なければどちらにせよ最悪だと言う事は変わらない」
「僕ら親衛隊の『おいた』に関して、傍観姿勢を貫いていた中央委員会が、変われば変わるもんだ」
「いやぁ、柚子姫様にそれを言われると、返す言葉がないんですけどね…」

井坂が眉を潜めて呟けば、宮原もまた、呆れを含んだ声音を漏らす。西尾は困った様に肩を竦めた。

「つまり、天の君はaではなくtheと言う事です」
「英語圏の冠詞で説明するんだ。意味はまぁ…判らなくもないけれど、そんなに大切だったら、悪目立ちさせるべきじゃなかったと言わせて貰うよ」

宮原にとっては生意気な後輩らだが、その様子では神帝親衛隊が文字通り神帝たる現中央委員会会長の勅命で行動していると言う事は、疑いようもない。皮肉じみた台詞には多大な罪悪感を込めたつもりだが、伝わっているかは不明だ。

「その悪目立ちがこれ以上ない抑止力になるとは、思いません?普通、左席委員会会長を制裁しようだなんて考えない筈なんですよ」
「…普通じゃなくて悪かったな」
「愛は人を狂わせると言いますから、過ぎた事は今だけ忘れましょう。えまが言った様に、今回ばかりは光炎閣下ですら例外なく粛正対象になり得ます」

肩を竦めた西尾の表情が曇った。芳しい表情とは、とても言えない。

「何せ、陛下直々のご命令ですもんね。天の君の部屋に早朝から押し掛けて、大量の眼鏡と漫画を運び込むのとは訳が違う」
「大量の小説も運び込んだな。天の君の寝返りは…芸術的だった…」

西尾と井坂は顔を見合わせると、乾いた笑みを浮かべる。何の話だと眉を潜めた宮原の視線には気づかなかったのか否か、プール内を目で見渡した二人は途方に暮れた表情だ。

「天の君がリブラにお帰りでない事は確実なんだけど、何処へ行ってしまわれたのか…」
「セキュリティ映像を見られれば確実だが、クラウドサーバーに繋がらない限りは」
「困ったなぁ、もう。紅蓮の君が張りついててくれれば良いんだけど、陛下が極々個人的な趣味に走った所為で、うちの帝君が天の君の元から離れる羽目に…。もう本当、陛下にゴキブリの絞り汁を飲ませてやりたい気分だよ」
「陛下が腐り果てた所為で、俺は光王子の寝室に忍び込んで盗聴器を仕込んだんだ。あの時は生きた心地がしなかった。ウエストを刺した後、陛下の靴に画鋲を仕込んで俺は死ぬ」

何はともあれ、井坂えまと言う生徒は何度西指宿殺害計画を立てるのか。
神帝親衛隊の誰もがスルーしている台詞に対し、光炎親衛隊の誰もがビクッと震えている。

「駄目だよえま。愛は人を狂わせるけれど、天の君はえまが死ぬ事を求めてないよ」
「そうかな」
「そうとも。天の君は眼鏡の底からゲイにお優しい方だからね」
「そうだった…。西尾、俺はもう死にたいなんて言わない。天の君を心の底からお慕いする」
「天の君はお幸せになるべきだよ。天の君の様に素晴らしい方のカップリング相手は、残念ながら陛下しかいないけどね…」
「人間としては余す所なく駄目な方だが、陛下以上に攻めスペックを備えた逸材が学園には居ない…。気高い天の君のお相手は、人類最強のハイパースペックにしか務まらないんだ。言っても良いか。萌え」
「陛下以上のスーパーダーリンが見つかり次第、僕ぁ天の君のカップリング相手を乗り換えるよ。うちの帝君がもう少し狼だったらなぁ…」
「仕方ない、うちの帝君は極めて犬」
「何故に天の君の前だけ犬化するのか…!僕らの前では何処までも俺様な癖に、嵯峨崎融通が利かない佑壱め!」

プールサイドで拳を握り唸る西尾の台詞で、神帝親衛隊の数名がそっと目頭を押さえた。宮原にはその会話の半分も理解出来なかったが、判った事もある。

「今の話、どう言う意味?そもそも、どうしてABSOLUTELYの使いっぱしりでしかない様な君達が、陛下直々の頼み事を受けられたの?天の君が寮に戻ってない事を知ってるって事は、君達は彼を監視してたって事になるよね?」
「おお、今の会話の流れで抜け目なく気づきましたか。流石は腐っても三年四席の柚子姫様」
「…井坂も可愛くないけど、君も中々のものだよ西尾」
「お〜い、ゆうちゃ〜ん、西尾く〜ん、井坂く〜ん」

睨み合う彼らの頭上から、間延びした声が落ちてきた。
西尾が上ったのとは反対側のアリーナから、ひょこっと頭を覗かせたのはバトラー姿の伊坂颯人だ。
学園内ではバトラー姿の方が何かと融通が利くと言い、パリッとテールコートを纏っている彼は、手すりから身を乗り出しながら何処ぞを指差している。

「颯人!どうした?!」
「伊坂さん、宝塚氏が見つかりましたか?」
「や、誰も見つかってないんだけど、此処にある通用口のドアの鍵が壊れてるんだ。非常出口を兼ねた、職員用の通路なんだけど」

人間を探している時に、そんな所に気づいたのかと三人は目を丸めた。
微かに眉を潜めた西尾は乾いた笑みを浮かべて『天然か』と呟き、クールな井坂の口数も減ったが、光炎親衛隊隊長として百名以上の隊員を纏めてきた男だけは、反応が違う。

「そっちのドアからだと北西部一階に出る。中等部教室方面だけど、昨日から閉鎖されてる筈だよ」
「確かに。中等部寮は地下二階で、初等部寮は地下駐車場側の南部エリアですからね。北部エリアは降り口も閉められてた筈です、お客さんが間違えて迷い込まない様に」
「セキュリティを破った人間が居るとでも?いつ壊れたかも定かじゃないのに」
「確実に、昨日まで壊れてなかった」
「畏れながら柚子姫、何で言い切れる?」

井坂の問い掛けに対し、宮原は形の良い眉を跳ねた。

「僕ら光炎親衛隊はプロポーション維持の為に、このプールを頻繁に使用させて貰っていたんだ。隊員に水泳部部長がいるから鍵も持ってる」
「成程、それで?」
「君らがさっき入ってきたのは、プールの玄関からだ。知っての通り、正面からだと一度アンダーラインに降りてから暫く歩く必要がある。だけど、此処にはもう一つ出入り口がある。それが、颯人が指差してるドアだよ」

宮原の台詞に、西尾と井坂は同時に怪訝げだった表情を引き締める。

「姫様達はいつもあのドアから?」
「…そうだ。今回は向こう側の降り口が閉鎖されてる事を知っていたから正面から入ってきたけど、本来、僕のカードがあればセキュリティは意味ない」
「光王子の親衛隊隊長は、自治会長なみの権限をお待ちの様で。…なんて、言ってる場合じゃないか。降り口のセキュリティを解除出来る人間が、わざわざドアを壊したりしませんよね」

西尾の台詞に、宮原と井坂は目を見合わせ、頷いた。
三人の会話が聞こえていないバトラーは一人であわあわしているが、恐らく、ドアが壊れて困ったなぁ程度の理由だろう。

「行ってみましょう。下手したら、降り口のシャッターも破壊されてる可能性があります」
「だとすれば、宝塚の仕業か、第三者か…」
「何にしても、侵入者がセキュリティ映像に映ってる可能性は低いと思うよ。懲罰棟の地下が浸水した時に、アンダーライン北西部の電源を落としてる筈。懲罰棟の主電源は、北西部から引いたケーブルで繋がってる」
「少し見直しました。色々と詳しいんですね、姫様…いや、宮原先輩」

漸く、小生意気な後輩の視線が刺を失った気がした。
とは言え、Sクラスの生徒は基本的に可愛いげがない。互いに互いを認める事などないだろうと言う事は、語らずとも明らかだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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