帝王院高等学校
春うらら!お前と俺は何をする人ぞ!
『パーソナルスロット、スタンダードダウン。
 フェニックスダウン。
 アナスタシオスダウン。
 フォアグラウンドスリープ。

 内部経路に水分の浸入を感知。バッテリー回復率100%、ただいまより障害復旧を最優先展開します。

 リカバー中…』










Count are closed before about zero.
葬送曲第1番














「あの子供達が随分気になる様ですが、何を考えておられるのかな、我が君」
「…何、少し疑問に感じただけだ」
「疑問?」

珍しい台詞を聞いた。
微かな驚きと共に軽く目を瞠ったが、不特定多数の視線に晒されている所で叫ぶ訳にもいかない。

「全て、カイルークの仕業だろうか」
「ルーク坊っちゃんがどうかなさいましたか?」
「私が裁かれる日は近い様だ。終活の整理をつけろと、言われているのかも知れんな」
「就活?」

真っ直ぐに伸びた背筋、風と共にそよぐハニーブロンドが雲間から降り注ぐ陽光を撒き散らした。
キラキラと、絶え間なく。

「ネルヴァ。例えば博識なそなたは、リヴァイと聞いて何を連想する?」
「日本語訳ではレヴィ族、ヘブライでは結びつきを意味する言葉では?」
「ヘルマン=レヴィ」

高校生達の視線に気づいて何故か手を振りながら、ぽつりと呟いた男は風に悪戯された黒髪を片手で撫でつけると、つられて手を振ってきた少年らに笑みを一つ。

「彼はドイツの指揮者でした。自分にとっては人生の大先輩でして、…いや、これは失礼。マジェスティの許可なく話に割り込みまして、申し訳ございません」
「高野省吾だな。そなたを見るのは二度目だが、言葉を交わすのは初めてだ」
「卑しい身にも関わらずご尊顔を拝謁賜りまして、恐悦至極に存じます。畏れながら、彼の有名な男爵陛下に名を覚えて頂いておりました事は、天にも昇る思いと申し上げるより他に言葉が見当たりません。ああ!これは大変な失礼を!この場では理事長とお呼びするべきでした。何分音楽以外には能がなく、気が回らない性分でして、何卒平にご容赦を。改めまして、帝王院理事長に於かれましてはご健勝の事とお慶び申し上げます」
「何か悪いものでも食べたのかね、高野君」

無表情で振り返った帝王院帝都はダークサファイアを幾らか瞬かせ、乾いた笑顔の第一秘書はエメラルドの瞳にたっぷりと呆れを滲ませた。

「私は何の返事もしていない筈だが、会話は成立している。ネルヴァ、この男は何者だ?」
「一年Aクラス一番、高野健吾の父親としか。他の言葉を用いれば、『性格の悪さはオリオンと変わらない』と言いましょうか」
「…ほう、龍一郎同等か。そなたがそこまで評価するのであれば、私はどうするべきだ?音楽に覚えはないが、夜人直伝の手作りヨーグルトならば多少覚えがある。実に70年以上腕を磨いてきたのだ」
「ほう、手作りヨーグルトと仰いましたか?一昔前に恐怖のホワイトジャムが流行りましたが、流石は理事長。70年以上も技を磨き続けるなんて、同じ男として憧れを禁じられない。使い古された48手の向こう側を、是非とも教えて頂きたいものです。つーかアンタ幾つなんですかと申し上げます」
「私は79歳だ。世間的に使い古された奥義やも知れんが、私には縁がない江戸四十八手談義であれば、女には一度も苦労した事がないネルヴァに尋ねるべきだろう。私が記憶している限り、二十歳を迎える頃には『女に見切りをつけた』と言ったものだ」
「日本人の日本語が崩壊しているのも十分面白いのだがね、日中衆人環視に晒されながら堂々と童貞を公言する何処かの馬鹿も、十分過ぎるのだよ」

にっこり。
息子にそっくりな胡散臭い笑みを浮かべた男は、エメラルドの瞳に『無駄口厳禁』と無言の圧力を込めた。

「全く、連絡の一つでも寄越せば迎えを出したものを。それとも、何処かに寄り道でもしたのかね?」
「時間に煩いジャーマンには理解して貰えないかも知れませんが、目的地に真っ直ぐ向かうだけが人生じゃないでしょう。時に免税店でハッピーターンを安く買ってみたり、時にエージェントの追跡を振り切る為に、GPS非搭載タブレットにSIMカードを差し替えたり」
「エージェントの追跡?そなたは指揮者でありながら、CIAに狙われておるのか?」
「成程、009ですか理事長陛下」
「それを言うなら007だろうに」

それにしても良く回る舌だと半ば感心しながら手を叩けば、高野省吾本人は皮肉をけろっと一笑に付す。あの子にしてこの親あり。残念ながら息子の方が余程賢い様に思うが、省吾のそれは半分演技だ。
本来の彼は、傍若無人からは程遠い、酷く神経質な男だと考える。交流を初めてからほんの十年余りだが、人となりを知るには十分な時間だった。

「流石に迎えを貰うのは気が引けて。到着したら連絡しようとは思ってましたよ。裕也君には連絡入れておいたんで、聞いてると思ってました」
「相変わらず変な所で律儀な男だね。痛い所を突いてくる癖も変わっていない様だ、あの子は絶大な攻撃力を誇る諸刃の刃なのだよ。思春期と言う、ね」
「男は反抗期を迎えて漸く一人前なんですよ。その点、うちの健吾なんか産まれてこの方、反抗しなかった試しがない。反抗期を抜けるより、学園を卒業する方が先かも知れません」

珍しい弱音を吐くなと感心したが、息子に手を焼いているのは省吾もまた同じなのだろう。親の悩みは、古今東西大差ないらしい。

「此処に来るのは初等部入学手続きの時に一度限りでしたし、若干不安でしたが、高坂さんと知り合えてラッキーでした」
「珍しい取り合わせだと思ったら、知り合ったばかりかね。石橋どころか鉄橋をも叩いて渡る様な男が、急に単身帰国とは…」
「さて、俺の場合は帰国と言えるのかどうか。国籍はとっくにドイツ人ですし?」

肩を竦め、音の外れた鼻歌を歌いながら歩いていく省吾を目で追えば、何とも言えない表情で佇んでいる高坂向日葵の姿がある。目礼に対して目で挨拶を返せば、


「高野省吾」

静かな声音が、ささやかな旋律で風に乗り、音を統べる指揮者の鼓膜へと注がれたのだ。

「はい?」
「What are your thoughts on "Road"?」

余りにも珍しい事が立て続いた事を、藤倉だけが理解した。
覚えている限り、来日後は日本語以外を頑なに喋ろうとしなかった男が、何十年振りかの母国語を口にしている。

「この学園の煉瓦道はいっそ芸術的だと思います。良い学校ですね、理事長」

何のてらいもなく返ってきた省吾の台詞に対し、理事長と呼ばれた男は静かに頷いた。
漸く意味に気づいた藤倉が弾かれた様に振り返った先、名も知らない他人がさんざめく光景に、目的の姿はない。

「畏れながら陛下、まさか、先程の若者は…」

我ながら気づくのが遅れたと舌打ちするのも不毛だ。
有り得る筈がない。余りにも現実味がない。けれどそれは、可能性を否定する理由にはならなかった。一つとして。

「ロードと聞いて、この学園に住まう子供らの内何名が『道』ないし『支配者』、更に知識があれば『卿』と答えるだろう。どの解答が正しいと言う訳ではない。単に、『知らない』と言う解答があるかないか」
「一体、どちらが…」
「疑問に思う必要すら感じんな。李上香の時に言った筈だ」
「…アナグラムですか?」
「『榊』」
「そんな、馬鹿な事が…」

大きな綿飴を千切りながら歩いていた生徒の群れから、一欠片の綿が風に浚われて、空へと舞い上がるのを見た。



「…神の木偶とは、未だ世界中の教会で磔刑に処されたままのマリアの子の様だと思わんか」

まるで桜の花びらの様に、ゆらゆらと踊るそれを眺めているダークサファイアは、星のない夜の如く静かだ。



















『リカバー失敗。
 ヘブンスゲート強制終了、セーフモードを破棄します』




















「ちょっと、歩くの早ぇって」
「黙れ低脳。何故この私が…!」
「お前の大好きなネクサスの本体からお願いされたら、断れねぇじゃんかよー。毎日毎日プリプリプリプリしちゃって、疲れねぇ?」
「黙れ!大した努力もせずのし上がってきた白人の癖に、人を馬鹿にするな!」

散った桜の木には若葉が芽吹きつつある。
長閑な春も暮れ始める4月末に、その怒鳴り声は良く響いた。

「白人とか黒人とか、何世紀前の差別を持ち出してんだよ。キューバ産まれアルゼンチン育ちの俺には、ちょっと難しい問題だな。差別なんてナンセンスだよロバート、人と人との間に国境なんて本当はないのさ。そう、芸術に境がない様に」
「一人で語っていろ、ダニが」
「ちょ、それって俺の本名がダニエルだから言ってる?対外実働部はいつからそんな、」
「…しっ!」

褐色の手が伸びてくる。
歌う様に宣っていた口が封じられて、太い木の幹の影に無理矢理引き込まれた。何だ何だと声を出せないまま目を丸めれば、神経質そうな顔が嫌に近い所にある。

「…あれは人員管轄部のバイスタンダーだ。見覚えはあるが、誰だったか…」

密やかな囁きは、この距離だから辛うじて聞こえたに過ぎない。
ほんの十数メートル先にある地下への降り口へと消えていく男らを見送って、口を塞いでいた手を振り払った。

「人員管轄部のサブマスはマハル。…今の男、人管部の唯一無二の問題児じゃん。20年以上前、ニューヨークで麻薬ばらまいてたロシア系のワーカー。ウクライナとの内線の時に、アゼルバイジャンの首領に下って事実上壊滅したマフィアの息子がアイツらしいよ」
「ロシアンの割りには、アジアンらしい様に見えたが?」
「母親がモンゴル人だって話。中国にあるモンゴル自治区出身で、結構金持ってる家の娘だったんだろうね、マフィアのボスに嫁いだ訳だから」
「…思い出した、ランクCからランクBへの昇進辞令が出た時に、私を罵った男か。確かお前を随分と目の敵にしていた」
「そうだよ〜ぉ、そいつ♪自分が40番目の昇進で、同期の俺が1番だったから嫉妬してんの。対外実働部希望だったらしいから、同期昇進の俺とお前がムカつくんでしょ。ナンセンスだね」
「マスターレイがその程度の男を選抜雇用する訳がない。努力をせず人を恨む様な馬鹿は、対外実働部には不要だ」

ふん、と、鼻で笑った男は細身の櫛を取り出し、髪を手早く整える。

「だが、人事部如きに『聖地』を勝手に歩き回られては迷惑だ」
「まぁ、それは俺だって良い気はしないさ。でも今回の騒ぎの主犯は、技術班の班長だった奴だろ?元老院の息が掛かってたって話だけど、あの強かな老人達がそんな馬鹿な真似するかね?」
「カイザーマジェスティルークが唯一神である事に、異論を唱えるだけ無駄なのは誰もが理解している所だ。誰が何を企てようと、マジェスティ=ノアが一度命令を下せば、中央区に拒否権はない」
「だからって幹部一斉集合なんて、何年振りよって話だろう?俺らが昇進してからそろそろ十年になるな、ロバート」
「ふん。お前は外見も中身も何一つ成長していない様だがな」

憎まれ口一つ、アンダーラインへの降り口へ真っ直ぐ歩いていく男についていく事にした。対外実働部はツーマンセルが基本だ。個人行動は、嵯峨崎佑壱の警護以外では認められていない。ただでさえ、対外実働部はランクBに生きた人間は二人しかいない。今日知ったばかりの事実だ。

「ネクサスオリジナルはまだまだ子供の様だったが、いずれマスターの元で仕える事が決まっている筈だ。我々がサポートして差し上げなければいけない」
「母ちゃんか。お前が母ちゃんなら俺は父ちゃんなの?やだな、30歳で二十歳の子持ちとか」
「貴様は馬鹿か…!何故この私が貴様の子を育てなければならない!今すぐに死ぬか異動願いを出せ!」
「声が大きいっつーの、尾行がバレるぞ?」
「What a pillock! Would you adam and eve it?!(自分の事は棚に上げて、なんて奴だ?!)」
「Could you go any faster?(急がないと見失わない?)」

苛立たしげに髪を櫛でガリガリ梳いている仲間を横目に、地下へのステップを踏み締める。
ひんやりとした空気に撫でられた様な気になったのは、冷たいコンクリートの壁が両脇を固めているからだろうか。人の気配はない。地下へ一歩降りる度に、太陽から遠ざかる。

「イギリス人は身嗜み整えるのが趣味?外見も大事だろうけど、やっぱ重要度が高いのは中身だろう?お洒落より芸術を学びなさいよ、芸術を。ダンスは良いよ、キューバは音楽とダンスの国だ」
「一人で死ぬまで躍り続けろ馬鹿が」
「やだやだ、君の大好きなヘミングウェイもキューバで暮らした事があるってのに、ナンセンスと言うしかない。ストレスを溜めると禿げるぞ?三十を過ぎた日本人を見てみろ、禿げとメタボばっかりじゃないか」
「メタボリックに関して、アメリカが他国を笑えるか?」
「あー…ぐうの音もナッシン、Shit!あ。そう言えば、マスターファーストが俺らに監視しとけっつってた、セイレーンの事だけど」
「それを言うなら清廉だろうが。東條清志郎がどうした?奴の素行に大した問題はない筈だが、男女問わず手が早いのはお前も同類だろうが」
「そっちじゃないって。ネクサスには報告しといたけど、東條の父親がさっき言ったアゼルバイジャンの首領なのは知ってるだろ?そいつの今の愛人、ネルヴァ卿が完全な個人行動で潰した組織の、幹部だった男の娘だって事が判った」
「ネルヴァ卿が潰したのは、十数年前に香港の大河ファミリーに手を出した組織だったろう。生き残りと言う訳か」
「はたまた、女だったから生き残れたのかは判んないけど、実質的に今のユーラシア大陸は『大河』と『シチェルバコフ』に分かれてるって事さ」

中国は全域が結束し、大河に逆らう者はない。その動きはモンゴルにも波及しており、大河を疎ましく思う家は外へと出ていった。
その事から考えても、ユーラシア大陸北部でも急速に発展したアゼルバイジャンは独特の土地で、新しいが故に入り易い。かと言って国としての規模はロシアに遠く及ばず、面積は日本の25%ほどだ。アメリカでは州同等の広さしかない。

「シチェルバコフに近づいたその愛人には、何らかの魂胆があると言いたいのだろうが、何にせよ東條清志郎が日本領内にいる限り、そう何度も同じ手は使えん。二年前に奴の母親が狙われたのは、ノアの来日を嗅ぎ付けて焦ったと考える方が妥当だ」
「だろうね。恐らくシチェルバコフが愛人を妻に迎えないのは、その女が大河の粛清対象になり得るからだ。ネルヴァ卿が代わりに潰した事になってるけど、マスターネルヴァの奥さんを手に掛けたアジア系マフィアには、モンゴル人やロシア人も多かったそうだよ」
「大河白燕はステルシリーに招かれていても可笑しくはない切れ者と言う話だ、特別機動部が許可を出せば人事部はすぐにでも動くだろう。未だに大河を囲えていないのは、奴の妻がネルヴァ卿の奥様と腹違いの姉妹だったからだと私も考えている。こればかりは有名な話だからな」
「大河の息子とネルヴァの息子、顔がめちゃめちゃ似てるんだよね。生意気そうな目とか、アジアンにしては彫りの深い顔立ちとか」

静かな廊下だ。
国際科のエリアとも、フードコートエリアとも離れたヴァルゴ庭園北部の入口から続いているのは、中等部の生活エリアだったと思う。
授業がない週末はこんなものかと、ある程度警戒しながら辺りを見回した。照明が切れているのは、水道管の故障が原因だろうか。

「…可笑しい」
「あ、俺もそう思った。電気系統がいかれても、この辺りはアンダーライン屋上にあるソーラーパネルのバッテリーから電力供給されてる筈だ。飲食店の電気もソーラーパネルから賄われてる」
「ああ。だが此処は、不自然な程に暗い」
「明らかに誰かの仕業っぽいよね〜♪」

ポキッと首の骨を鳴らせば、櫛を胸元のポケットへ仕舞い込んだ男が濃褐色の手に、彼の肌の色より濃い茶の手袋をはめている。
ステルシリー社員で純粋な黒を纏う者は少ない。黒とは高貴な色、ノアのみに許された神の証だからだ。

「ノアの目に入る所で騒ぐ馬鹿はいないと言い切れん理由は、貴様の様な馬鹿が実際に存在するからだ。人事部のバイスタンダーだろうが特別機動部のバイスタンダーだろうが、マスターファーストの妨げになる者は躊躇わず消す」
「殺すのは面倒じゃないか?日本は死体の処分がとても面倒臭い」
「ネクサスなら殺せと仰る筈だ。ノアが例えお許しにならずとも、ファーストは私の希望そのもの」
「マスターは黒人じゃなくて、ただの地黒だって言ってんだろ?あれで気にしてんだから、『日焼け』と『海が似合う』は禁句だぞ」
「言われなくても判っている。ただでさえ我が部署のお荷物でしかないのだから、しくじるなよ」
「シャドウウィングの運転も出来ない癖に、言ってくれるねぇ。普段陽気なお父ちゃんも怒るんだぞぅ?」
「Fuck you.(死ね)」
「…お上品ですこと」

照明の消えた地下は、奥へと進む度に闇を深める。
まるで幽霊でも潜んでいそうな気配だ。
























『リブート中…43%………99%、

 クラウンゲート・オープン。

 全人格を凍結、初期起動開始、…33%……………89%、自家発電完了、パーソナルスロット解放、スタンダード・フェニックス・アナスタシオス、共にメルトダウン。フォアグランドをアイドリング出来ませんでした』

暗い、暗い、ああ、此処は常世の底だろうか。
ゆらゆらと、体がたゆたう感覚はまるで、遥か昔、まだ産み落ちる前に記憶した、母親の胎内にいた頃を思い起こさせる。

例えば誕生した日、世界は目映かった。
例えば家族を失った日、あの悍しい夜は、それでも尚、目映かった。


『ナイトメアに接続した自律神経を解除しました。全人格を一時破棄、解除コード「カオスノア」』

ゆらゆらと、世界が揺らめいている。
ゆらゆらと、止まっていた時が動き始める感覚。

『クロノスオーバーノヴァ・インスパイア。開始コード「おはようございます、新たな光」』

酷く久し振りに、瞼を開いた気がする。
ああ。やはり、あの子が言った通りになってしまったらしいと。

ゆらめく水面の向こう、酷く目映い光を見つめたまま、たゆたう黒が、灰色へと変色していくのを見たのだ。



「…ああ、おはよう。夜人の髪にはやはり、二度と触れられないのか」

伸ばした手は、灰色から白銀へと染まりゆく髪を一房、掴む。
大量に入り込んだ水が泡を立てた。まるで母親の胎内に戻った様な感覚が不思議でならない。

酷く久し振りに足が床を踏み締める。
ざばりと暗い海から体を起こせば、目映い光と共に、目を丸めている人間達を見た。


「おや?」
「えっ、誰?!」
「あ?」
「は?」

ぽたりと。
顎から滴り落ちた水滴が、落ちていった。

「私が目覚めたと言う事は、賭けに負けたと言う事か。あれの子には期待していたが、孫に期待し過ぎるのは失敗だったのだろう」
「えっ?!何でお前さんがそんな所から出てくるんだい?!りばいさんが落ちたんじゃなかったっけ?!」
「その名で呼ばれるのは珍しい事だが、貴殿にそれを許した覚えはない」
「へ?!」

黒髪黒目の子供が見える。
いつか拾った双子の兄弟を思い出したが、あの時の二人よりは幾らか、大きな子供だ。

「何だテメェ、どっから湧いて出やがった」
「流石は陛下ですねぇ」
「ちょ、ツッコミが疎か!二葉先輩、感心してる場合ですか!」

賑やかだった。
目映い光を放つバイクと、それに照らされた子供達の殆どが、余りにも。けれどただ一人だけ、

「…舐めてんのか、テメー」

ダークサファイアの双眸を眇めた、彼だけが。

「ルークの真似してるつもりか、アンドロイドの分際で」
「私はルークではない。キングにプロモーションした、一介のポーンだ」

いつか見た、気の強い誰かに良く似た強い視線で射抜いてくる。
けれど似ているだけだ。ダークサファイア、幾ら夜空の色と讃えられようとも、あれは黒には程遠い、似て非なるものだと知っていた。何年も、何十年も前からだ。

「ナインに遺伝した私の瞳は珍しいものだと言った者がいたが、貴殿のそれは、ナインから遺伝したものではあるまい?」
「…んだと?」
「ナインには子が出来ないと聞いている。それならばそれで構わないと、私達は新たな家族を残した筈だ。ステルスに招いた二つの光は、オリオンとシリウス」

燃える様な赤だ。
それは酷く見覚えがある。自尊心の高い、訓練された犬の様な男だった。

「だがお前は、ミラージュに良く似ている。久しいな、雲隠陽炎」

真っ直ぐ深紅を見つめる視界の端で、他の三人が目を見開いたのが判った。ああ、いつか、この国には夜には無縁な陽の王が居ると言っただろうか。王には忠実な従者が仕えており、例えばあの気位が高い男は、日本はアメリカなどには負けないと最後の最後まで。

「誰と間違えてるか知らねぇが、俺はンな名前じゃねぇ。気色悪い面しやがって、」
「そうだろう。私もあの日、鏡を見ている様だと思ったものだ」
「あ?!」
「私と夜人の子は、元気にしているだろうか。あの子がいつかの私の様に、全てを淘汰したつまらない男に成り下がらないよう、孫に期待していたんだ。結果的に、失敗した様だが」
「何を訳の判んねぇ事をほざいてやがる!スクラップにすんぞ機械野郎!」
「残念だが、体は機械だが脳は生身だ。夜人と共に人格は生きている」
「…ああ?!」
「おい、やめろ嵯峨崎!」

成程、いつか見たあの男よりずっと、短気だ。
今にも飛び掛かって来そうな赤毛を静止したブロンドが、琥珀色の瞳で睨み付けてくるのを笑って受け入れれば、ガタンと腰を抜かした黒髪の子供の隣で、目を丸めた黒髪の男が奇妙な笑みを零す。

「…おやおや、嵯峨崎君の仰る通り、陛下ではない様ですねぇ」
「わ、笑、笑ったよ?!今カイ君そっくりな顔で、笑ったー?!」
「煩ぇ、騒ぐな山田!だから奴はルークじゃねぇっつってんだろうが!だが念のため総長を守れ!奴は俺が仕留める!」
「良いから落ち着けっつってんだろうが!迂闊に下手な真似するんじゃねぇ、馬鹿犬が!」
「仲睦まじいところ悪いが、遠野夜刀の名に聞き覚えがある者は居るか」

ざばざばと水を掻き分けながら進めば、今にも噛みついて来そうな赤毛の犬が素早く背後に隠した人物に気づいた。人が困っていると言うのに、可愛い可愛い『孫』は、半裸で寝ている様だ。

「ヤ、ヤトじいなら知ってますけど…?」
「それは好都合だ。悪いが、私は夜刀に著しく恨まれている。万一にも私が生きている事を知れば、夜人諸共スクラップにされるだろう。そこで健やかに眠っている『孫』の耳元で恨み言の一つも唱えたい所だが、先に外に出して貰えないか」
「は、え、わ、判りました…?あの、それより、貴方様は一体どちら様なんですかねー?」
「リヴァイと呼ばれるのは妻からのみだと神なき教会で妻に誓った身だ。私の事は親しみを込めて、おじさんと呼んでくれれば良い」
「えっ、親しみを込めて…おじさん?!」
「貴方はもしかして、レヴィ=ノヴァでは?」

片方の瞳だけサファイアブルーの黒髪が口にした台詞に、ふるりと首を振る。

「ノヴァは退位した男爵が名乗るものだ。正統な当主ではなかった私には、相応しくない」
「それでは、やはり」
「な、んだと…?は、はぁ?!テメーがレヴィ=グレアムだと?!それじゃ、どう言う事だ、テメーは俺の祖父さんだってのか?!どうなってんだ高坂!」
「俺様に聞くな…」
「ちょいと先輩方、とりあえずここから出ましょうよ!何かニコニコしてますよー、おじさんが…!」

こんなに賑やかなのは、何年振りだろうか。

「ふ。低次元で騒ぐ幼子の様は、内容がどうであれ微笑ましいものだ」
「おやおや、お祖父様から馬鹿にされていますよ、嵯峨崎君」
「テ、テメ、誰が馬鹿だと?!上等だ、やんのかコラァ!」
「ちょ、イチ先輩!パンツ一枚で凄んでも空しくなるだけですってば!高坂先輩に笑われますよ!『は、糞ダセェ』とか言われますよ?!」

ぺっと唾を吐いた、四人の中で最も小さい子供が自棄に格好つけた表情で吐き捨てた台詞に、世界は静寂で包まれた。

「…今のはまさか、俺様の物真似じゃねぇだろうな」
「え?似てなかったですか?」
「高坂君なんかに似てはいけませんよハニー、そんな品も美的感覚もない男を真似るなんて自殺行為です。良いですかハニー、ふーちゃんの様に気品溢れる男をお手本にするべきだと嵯峨崎君も仰っていますよ」
「一言も言ってねぇっつーんだコラァ。おい高坂、こいつどうにかしろ。何で浴衣なんざ着てんだ、無性に腹が立つったらねぇ」
「すいませんイチ先輩、うちの二葉先輩が美人過ぎて。ちょいと俺が叱っておきますから。ふーちゃん、め!」

何をしているんだと、太陽のピントが外れた行動を目撃した日向と佑壱は眉を寄せる。
春はこう言う『変態』が増える季節だ。

「…山田が無性にムカつくんだが、何でだ。叶の所為で病んでんじゃねぇのか、おい。それとも俺が病んでんのか、くしゃみが7発も出ただけに」
「皐月病と言うくらいだ。二葉も山田も何ならテメェも病んでんだろう、お大事に」
「腰が抜ける程のディープキスしてやろうか高坂ぁ、テメーに移して俺は生き残る…!」

病んだ犬にガバッと吸い付かれた日向は、太陽と二葉の拍手喝采を浴びながら凍りついた。
躊躇なく口の中を犯された日向の呼吸が止まっている様な気もするが、やってやったぞと言わんばかりの佑壱は拍手に対して片手を挙げて応えており、早い話がいつもの病気だと言えるだろう。



突っ込み不足と言う名の、不治の病だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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