帝王院高等学校
ハッピーはノットターンなのです
『また泣いてんのか』

毎日毎日、その声は嘲笑った。
自分でも呆れる程に絶えず零れ落ちる涙を自分で拭う以外に、あの時、どんな選択肢があったと言うのか。

『可哀想だねぇ、何処にも居場所がない餓鬼は。物置の荷物のが余程幸せだ。忘れ去られていても、忘れられてる間は、邪魔扱いされる事はない』

いや。
選択肢などあった試しはない。産まれてくるその瞬間からずっと、自分に許されたのはただ、生きていく事だけだ。残酷な社会は自殺を許さず、残酷な社会は天寿以外での死を受け入れてはくれないから。

ああ。
子供だけが暮らせるまるで楽園の様な場所を、いつか作ろうと言っていた子供がいた。たった数日間で毒されていたらしい。知っていた癖に。初めから、自分には選択肢などない事を。

『さて、インターバルは残り僅か。お前が来月から通う事になってる帝王院学園の入学予定者の中に、愉快な名前を見つけたぞ。見たいか、泣き虫』

反論する言葉をまだ、自分は覚えていない。
反論する技術をまだ、自分は覚えていない。
泣きながら殴り掛かっても、どうせ無様に地を跳ねるのは自分。血を流すのも、痛みと屈辱で泣いてしまうのも、きっと自分。選択肢とは、選択肢を掴み取った人間にのみ許されるものだ。

『未来のご当主からの命令で、楼月には伏せておく為にお前の願書は日本国籍で申請した。良かったな糞餓鬼、月に照らされてやっと存在価値がある青蘭より、誰からも「必要とされる」方が』
『っ』
『何で祭の当主と嫡男以外が、本名を捨てて花の名を名乗るか知ってるか?大河社長の妻が、「朱花」って名前の女だったからだ。そんな風に、権力があれば他人を従える事も出来る』

お前には関係ない話だ、と。嘲笑う悪魔は、幾つの選択肢を手に入れたのだろう。
あの恐ろしい祭楼月ですら怯えている、アメリカからやってきた黒髪の悪魔。白銀の皇太子に仕えている悪魔だと、大人が噂しているのを聞いた事があった。拙い翻訳力では、理解出来たのはそれだけだ。

『広東語はまぁ、日常会話までクリアしたか。まだまだと言いたい所だが、朱雀が明日、日本に渡る予定だ。そうなりゃ流石に、大河の次期当主の目に入る場所で楼月に出来る事はねぇ。お前の命は、大河朱雀様の近くでやっと、守られるっつー訳だ』
『…』
『楽しい学園生活になりそうだねぇ、心から羨ましい』

微塵も思っていそうにない笑い声を聞きながら、悪魔がわざとらしくひらりと落としてきた紙を拾った。
夥しい数の人間の名前が並んでいて、やっと、自分の名前を見つける。国籍表記は日本になっている。そのすぐ近くに中国国籍が見えたと思ったら、やはり大河朱雀と記されていた。大河ファミリーの人間で、幾ら学がなかろうと大河朱雀の名前が書けない人間はいない。

『最近益々、大河社長はご機嫌斜めだよ。ドイツの魔王に先を越されたからねぇ。朱花様を殺した相手を自分の手で殺したかっただろうが、ネルヴァに恩を着せられる前に藤倉涼女を殺した組織の壊滅と、中国の統一を優先したのは英断だと思うだろう?』
『ふじくら、すずめ』
『ランクDの銭ゲバジジイが飼ってるペットに、米軍将校の家がある。うまくやればその内ランクDに迎えて貰えるっつー所まで来てたのに、娘に裏切られちまった訳だ』
『?』
『金と女に目がない金持ちに嫁がせるつもりだった娘が、駆け落ちしやがった。それも勝手に日本人だった母親の籍を名乗ってな。当の父親は青褪めた訳だ。パトロンの大富豪は今か今かと若妻を待ち望んでる。けど、一人しかいない本妻の娘は居なくなった。残ったのは愛人の所に産まれてた娘だったが、こっちは全く言う事を聞きやしねぇ。それ所か、政略結婚は絶対嫌だと宣って、とんでもない男の元に殴り込んだっつー話だ』
『誰?』
『アメリカの金持ちでもどうにもならねぇ、とんでもない男だよ。いきなり乗り込んで、「黙って私を嫁にしやがれ」っつったらしい。認知もしてくれなかった様な父親がいきなり現れて、居なくなった姉の代わりに腹が出たジジイに嫁げっつー訳だ。幾ら父親が認知を申し出て来たっつっても、幾ら何でも酷いと思わねぇか?はは。今まで倉庫に忘れてたも同然な次女を、長女の身代わりにするたぁ、流石は軍人思考。取り替えの効く兵士じゃねぇっつーの』

大河白燕は神だ。
中国の支配者であり、この国では彼以上に選択肢がある人間はいない。あの意地悪な朱雀ですら、アメリカへ追いやられる時には、一切の選択肢がなかったのだから。

『奇跡が起きた。無計画としか思えない馬鹿女のプロポーズを、大河白燕は受け入れた訳だ。大河白雀の容態が思わしくなかった頃だったから、孫だけでも見せてやりたかったのかもな』
『朱雀のお母さん』
『さて、次女の朱花に裏切られた将校は富豪の怒りを買ったが、あわや殺される寸前で、駆け落ちした長女の相手が判明した。これがまた、恐ろしい男だった訳だ。怒り狂った富豪が生まれたての子牛の様に震え上がっちまうほど、そりゃあ恐ろしい相手。大河も目じゃねぇ、本物の「神の従者」だ』
『誰』
『おやおや、甘えないで下さいな。…そろそろ足りねぇ自分の頭で考えな、坊や』

近頃、悪魔は何故か食パンを良く抱えている。
それまで口するのは血が滴る様な肉ばかりだった癖に、バターもマーガリンも塗らず、ただただもさもさと、焼いてもいない食パンばかりを食べているのだ。まるで他の選択肢がないかの様に。いつからだっただろう。多分、正月を越して、最近の話だ。

『で、誰からも必要とされなかった錦織要君』

左目に眼帯をつけた悪魔は笑った。
祭家の誰もが遠巻きにしている悪魔はパンの耳を咥えたまま、凍る様なサファイアブルーの右目を笑みで歪めると、

『お前が今一番欲しがってるのは、金でも権力でもない、選択肢だよなぁ。判りますよ、その気持ちは痛いほど。何、私だって同情しているんです。だからこうして半年以上も、君のお守りをしてやったのですからねぇ』
『…』
『おや、返事がない。途中で死ねば良いと思って度々危険な所へ連れ出した事を、恨んでるんですか?お門違いも甚だしい、あれはただの八つ当たりです。ええ、単に私の機嫌が悪かっただけ。君に出会う前の話です、気になりますか?聞きたいですか?教えませんがねぇ、どうしても気になりますか?ん?』
『なら、ない』
『宜しい。それじゃその中に一人だけドイツ国籍の生徒がいるから、頑張って探してみな』

だから、悪魔の囁きを零したのだ。



選択肢とは、何だったでしょう。
いつか指切りをしたエメラルドの瞳を持つ子供の傍らに、快活な笑みを浮かべている子供を見つけました。あの日、真っ赤に染まったその姿を、今でも毎晩夢に見るのです。


『お前の所為だ』
『お前の所為だ』
『お前の所為だ』

と、絶えず責められている様でした。
あの事件で我が身が危険に晒されている事を知った父親から、八つ当たり宜しく殺されそうになった瞬間からずっと、世界から責められている様に思えました。絶えず、地球から出ていけと責められている様でした。

彼は笑っています。
腹から夥しい程の血と肉を覗かせ、血の気のない真っ白な表情を凍らせて。あの時、死人の様だった顔が、笑っています。とてもとても、幸せそうに。


彼が幸せだと言うのなら、私の罪は報われるのでしょうか。
いいえ。そんな事が許される筈がないのです。例えば神に無理矢理嫁いだ勇ましい姫様は、けれどほんの数年で亡くなりました。例えば駆け落ち同然で政略結婚から逃れた姫様は、やはりほんの数年で亡くなりました。

罪は購わねばなりません。
私には他の選択肢が与えられていないのです。死ぬ事も生きる事も出来ないまま、



ああ、このまま、ずっと。





「ネルヴァの息子はお元気ですか?」
「…勝手に人の部屋の窓から入ってくるなと言ってるでしょう、洋蘭。落ちて死ねば良いのに」

悪魔は数年後、何の前触れもなく現れた。
近頃は他人を通して連絡が届くばかりで、本人を見たのは何年振りだろう。

「全く、この学園のセキュリティはどうなっているんでしょうねぇ。平和ボケした日本とは言え、帝王院財閥お抱え校でありながら私一人ですら容易く入り込めるのですから、鼠が入り放題チョロつき放題ですよ」
「何をしに来たんですか。定期連絡なら、特別機動部の下っ端に任せれば良いでしょう、ディアブロ」
「下見ですよ」
「…下見?」

嫌な予感がした。余りにも。
聞きたくないのに聞いてしまうのは、知らない方が良いと放置しておくと、後で痛い目を見るからだ。

「来年、プリンスベルハーツが中等部へ昇校します。実は初等部には合格してらしたんですがねぇ、ヴィーゼンバーグのお陰で今の今まで通えなかったんですよ。なのでイギリス方の姉妹校を買収して、あちらで学んでいたと言う過去を捏造しました」
「呆れますね」
「喜びなさい、私も中学生からやり直す事になりました」
「はぁ?!ハーバードの大学院を卒業して教授にまで収まった貴様がですか?!冗談でしょう、日本の迷惑になりかねない」
「おや、そんなに喜ばれるとサプライズ大成功と言う札を用意しなかった事が悔やまれますねぇ…」
「喜んでない」
「おやおや、そんな意地悪を言われると、悲しみの余り腕を折ってしまいたくなりました」
「ぐ!」

見ていたのに反応出来ない。相変わらず化物じみた馬鹿力で押し倒され、要の背中にどすっと座った男は、黒い手袋をはめた手で髪を鷲掴んできた。ぐぐっと髪を引っ張られるのとは真逆に、もう一方の手で首筋を押さえつけられており、顎が傾いて床に当たる。

「離、せ…!」
「合気道は他人の力を受け流すもの。離して欲しければ自分で抜け出しなさい」
「っ」
「弱い弱い、まるで鼠の様ですねぇ。そんな鼠さんに朗報があります。ああ、勿論拒否権はありません。拒否するなら、襟足が禿げてしまうかも知れませんが、仕方ありませんよねぇ?」

選択肢はやはり、ない。
せめて慎ましく静かに、食べていけるだけの最低限の生活で良かった。早く大人になりたいとそればかりを考えて、それ以外の選択肢などないかの様に思い込んでいる事には、気づいていない。

「ファーストを監視なさい」
「…は?ファーストと言うのは、紅蓮の君の事ですか?」
「ええ。来年、アレは六年生になるでしょう?それこそ私と同じく大学院まで卒業している身分ですが、大人しく中等部へ進んでくれるならともかく、二分している元老院は長く睨み合いが続いています。ふふ、まぁ私が強すぎて殺すに殺せないとあれば、アダムの息子に期待したくなる気持ちは判りますがねぇ…」
「アダムの息子?」
「禁断の果実を食べてしまった、罪深いキリスト」
「はぁ…?」
「黄昏の園からやってきた彼は間もなく、中央委員会役員に指名されるでしょう。現会長はファーストの実兄です」
「それで、監視の詳細は?24時間張り付けと言うつもりですか」
「サボりまくりとは言え、対外実働部の仮にもマスター相手に、お前の様な鼠が見つからず監視をするのは試す前から判ります、不可能でしょう。アレでも私より力が強い男なのでねぇ、馬鹿ですが阿呆でもないですし」
「だったらどうしろと」
「手っ取り早く、友達になりなさい」
「はぁ?!俺は四年生、紅蓮の君は五年生ですよ?!そもそもどうやって近づくんですか!」
「どうにかして近づくんですよ。良いですか、この依頼には様々な思惑が交差しているんです。元老院の右元帥派閥が肥大化しない様に見張るのは勿論、私側の派閥が先走った動きをしない様に警戒する意味もあるのです」

何と言う面倒臭い仕事を押しつけられてしまったのか。今更呻いた所で、ぶちぶちと抜けていく毛髪が戻ってくる事ない。それなら被害は少ない方が良い。
無駄に痛く、けれど絶対に死なない拷問方法ばかり知り尽くしている叶二葉に、手加減と言う言葉はない。痛めつけて殺すか、さらっと殺すか、二葉にあるのはその二択だけだ。

「…判りました。上手く行くかは判りませんが、やれば良いんでしょう、やれば」
「上手く行かなかった場合は、君のご主人様が危険な目に遭うだけです。例えばうっかり大河朱雀を殺してしまった私が、楼月の命令で仕方なくと大河社長に泣きついたらどうなりますか?うふふ」
「…祭は一族抹殺と言う事ですか」
「そうなりますねぇ。うふふ、ステルシリーソーシャルプラネット副社長である私には指一本触れられず、歯痒い思いをしなければならない大河白燕は真っ先に楼月と美月を殺し、おまけにお前を潰すでしょう。害虫を殺すかの様に、プチっと」
「…俺はお前より最低な人間を知りません」
「おや、誰がお前ですか。私の事はお前様と呼ぶか二葉様と呼びなさい、殺しますよ」

漸く降りた二葉は、数枚の紙幣をテーブルへ置いた。小遣いだと言った台詞は良いが、ならば日本円で送金してこいと言う話だ。
見れば、1ドル紙幣がほんの何枚か。ケチにも程があるが、現金を持ち歩かないこの男にしては、持っていた方だろう。

「奇跡的にファーストに気に入られる様な事があれば、高級中華をご馳走してあげます。精々頑張りなさい」
「言質を取りましたよ。破産させてやるから期待していろ変態」
「怖いですねぇ。それではお父さんは頑張って働いてきますよ」
「誰が父さんだ…!お前が父親なら母親は誰ですか、馬鹿野郎!」
「あはは。朝になったらあそこにいますよ」

笑いながら窓から出ていった男は、何故か夜空の細い三日月を指差した。


「…はぁ?かぐや姫でもあるまいに、月が何だと…」

朝になって何となく窓の外を見たが、あったのは青空と太陽だけだった。
やはり悪魔だ。何一つ本当の事など、言う筈がない。





初めて何の見返りも求められず、ドーナツを三つ与えられました。どれから食べても良いと言うのです。そんな美味い話があるのかと警戒しましたが、とうとう最後まで食べても、コーヒーを何杯お代わりしても、叱られる事も、金を要求される事もありませんでした。

悪魔と同じ立場にいる枢機卿が、まるで神様の様に思えたものです。
黒と蒼の悪魔は色白でまるで天使の様な見た目ですが、彼は赤と褐色の肌で、悪魔とは正反対でした。余りにも。

暇を見つけては勝手に引っついて居ました。
邪魔そうな目をする癖に放置してくれた彼は、いつか物置に忘れた荷物の様に扱うと思ったものですが、そんな思惑とは反対に、徐々に口を開いてくれる様になったのです。


彼の元へ、二人の子供がやって来ました。
エメラルドの瞳を持つ子供の傍らで、誰よりも楽しそうに笑っている子供は、開口一番言ったものです。





「センパイ、歌めっちゃ上手いっスね。のど自慢出る気ねぇっスか?w」
「何だテメーは」
「俺?高野健吾!高野豆腐の高野で高野健吾っしょ!スリーサイズも聞いちゃう?聞いちゃう?( ´Д`)σ)Д`)」
「うぜぇ、頬をつつくな。どんな神経してやがる、初対面で馴れ馴れしいにも程があるだろうが餓鬼ぁ。ちんすこう口に突っ込むぞコラァ」
「知ってるっしょ、沖縄のクッキーだべ?何何、もしかして手作りっ?うっそー、売りもんみてぇじゃん!(*´`*)」
「…ふん。食いたけりゃ、食え。足りねぇっつーんなら、明日角煮すっからもっぺん焼いてやらん事もねぇ」
「角煮って、豚の?何でちんすこうに角煮?」
「…何だこれ、うめーぜケンゴ。ちんすこうやべーな、無限の可能性かよ」



罪は購わねばなりません。
私には他の選択肢が与えられていないのです。死ぬ事も生きる事も出来ないまま、ああ、無慈悲な神よ。世界よ。地球よ。


私はこのまま、ずっと。







何処へも行けないのでしょうか?

(星の片隅に淘汰されたまま)
(誰からも忘れ去られたまま)











「カナメ!」

鋭い呼び声に、錦織要は我に返った。
今の今まで裕也が荷物の如く抱えていた黒髪の子供が、バタバタと暴れている。

「…何?」
「馬っ鹿!お前があんまガン見すっから、ビビっちまったんっしょ!(´°ω°`)」
「おい、暴れんじゃねーよ。オメーがオレだろうと容赦しねー、腕折っちまうぜ?」
「駄目だよユーヤさん!可哀想だよっ」
「あは。ちっさいユーヤ、何か女の子みたい。顔が綺麗過ぎて何かやだ、やっぱエンジェルカナメちゃんには敵わないかなあ。ちょっとつついただけで泣きそうになる方がさあ、かわゆいよねえ」

性格の悪さをにまにまと露見している隼人の背中を手加減抜きで蹴り、ぐふっと吹き飛んだ所へ飛び乗り、要は無表情で隼人の襟足を掴んだ。
苔むした地面に枯れ葉の絨毯、口の中に入った葉っぱをペッペッと吐きながらジタバタしている隼人の尻を踏みつけたまま、右手で掴んだ髪を引っ張る。左手はうなじを鷲掴み、髪を引っ張る右手とは真逆に、左手は地面へと隼人を押しつけたのだ。

「あたたたたた!抜ける!髪の毛が抜けちゃうー!」
「ハゲろカスが。何がエンジェルだ、貴様に選択肢があると思ってんのか糞餓鬼ぁ」
「あだ…っ。ごめ、ごめんなさ…!つーかカナメちゃん、いつもより酷くない?!何なの、隼人君に何の恨みがあんの?!」
「いや、満月のカナメはこんなもんだべ?おーよちよち、可哀想にミニマムユーヤ。お兄さんが抱っこしてやっから、来い来い(´°ω°`)」
「…キモいからやだ」
「キモ?!(ノД`)」
「良し来た、抱っこして貰おうじゃねーか。おら、速やかに抱けよオレを、ミニマムじゃねーユーヤ君を」

裕也が小脇に抱えているチビ裕也を鼻息荒く抱き上げようとした健吾は、ガシッと頭を鷲掴んできた凄まじい笑顔のデカ裕也に睨まれて、冷や汗を垂れ流した。がぶっと裕也の手を噛んだチビ裕也が、一番毒気のなさそうな獅楼の背後に回り込み、ぐるぐると牙を剥き出している。

「マジ糞みてーな大人しかいねーのかよ、気安く触りやがって…!」
「どんな育ち方してんだ、この餓鬼は。オレの手を噛みやがったぜ。退けシロップ、そいつは即死に処す」
「駄目だって!自分相手に大人げないよっ、ユーヤさん!ケンゴさん、ちゃんと叱らないと駄目だよっ。甘やかしてばっかじゃユーヤさんの為になんないからっ」
「おぇ?!俺?!(´°ω°`)」

チビ裕也を背後に庇う獅楼に睨まれて、健吾はポリポリと頭を掻いた。
髪を引っ張られて頭皮ごと顔の皮膚が伸びている隼人の、モデルとはとても思えない哀れな顔に吹き出すのを耐えた健吾は、べたっと背中に覆い被さってくる裕也に息を吐く。

「マジ、この頃のユーヤは可愛かった。ちょっと口が悪すぎて手も足も何なら歯も出るやんちゃボーイだったけど、今のユーヤに比べたら…ほっぺはプクプクだしよ(*´`*)」
「オレのほっぺもプクプクだろーが」
「「「何処が?」」」

健吾、獅楼、隼人の声が揃った。
抱っこして貰うまで離れるつもりはないと言わんばかりの裕也に、チビ裕也が「ぷ。だぜー」と鼻で笑っている。近年稀に見る笑顔で長い足を振り上げた裕也は、然し素早く獅楼を盾にした子供を蹴る事は出来なかった。

「ぎゃっ」
「あ」
「(°ω°)」

代わりに股間を蹴られた獅楼は崩れ落ち、声もなく震えている。流石にそれには同情したのか、隼人を苛めていた要の力が緩んだ。ガバッと起き上がった隼人はカサカサと地面を這うと、しゅばっと悶えている獅楼の上に飛び乗ったのだ。

「カナメちゃん。ほら、いたぶりたいだけなら隼人君よりシロップがおすすめだよお。可哀想に、玉蹴られたら男は死んだも同然ですよ。いっそ一思いにやっちゃってあげた方が、優しさってもんだよねえ」
「必死過ぎっしょ、ハヤト。シロップが可哀想だろうがよ、カナメも苛々すっからってハヤトで遊ぶなし(; ´艸`)」
「は?弱い奴が悪いんだろうが、ハヤトの分際で人様の尻なんざ狙いやがって、テメェは一生俺の犬だろうが」
「えっ?違うよお?!隼人君はカルマのワンコだけど、カナメちゃんのワンコじゃ、」
「ほう。だったら金を返すか、今」
「…ボクはカナメ様のペットですう」

獅楼の上でガクッと項垂れた隼人は、勝ち誇った表情の要に向かい、恨みがましい表情で「わん」と吠えた。

「おい、アンタ大丈夫かよ。金玉潰れてねーか」
「多分、潰れてはないっぽい、かも…?うう、ユーヤさんの子供の頃だって判ってても、優しい…。何処で間違ったらあんな風に育つんだろ、本当…」
「何か抜かしたかよシロップ、そこの餓鬼諸共ぶっ殺すぜ」
「…判った判った、いっぺんだけ持ち上げてやっから、こっち来やがれユーヤ(´`) 無理げだったら即座に諦めっかんな(´`)」
「諦めたらそこで試合終了だろーが、70kgはねーから安心しろ。69kgだからよ」
「安心する要素がねぇっしょ!( ̄皿 ̄;) 何で俺と3センチしか変わんねぇのに、10kg以上重いんだよ!野菜しか食わねぇ癖に狡いぞぇ!(ノД`)」

子供サイズの裕也に背中を撫でられて、股間を押さえながら起き上がった獅楼は、無表情でピースサインをしている裕也を顔を真っ赤にしてお姫様抱っこしている健吾を見るなり、深い息を吐いた。甘やかすなと言ったのにどうなっているのか。

「あは。頑張るねえ、猿の癖に」
「ぐぎぎ…っ(;´Д⊂) も…もう無理げ…(;´Д⊂)」
「まだ10秒しか経ってねーぜ。おら、もっと気張れや」
「69kgと言やぁ、ハヤトの公表体重と同じじゃねぇのか?ケンゴ、俺に貸してみろ。ハヤトが体重詐称してねぇか、ユーヤと検証するから」
「ちょ、やめてえ!本当に69kgだからっ!188cmの69kgだからっ!プロフィール見て!ほら、小説にはキャラプロフあるでしょ?!ユーヤと計り比べるのとかなしの方向で!」
「あ?ハヤトとオレが同体重はねーだろ、8cmも違ぇのに無理げだろーが」
「いやいやいや?!俺の方が無理げだべ?!もう本当死にそうな感じして来てるから!そろそろ腰が無理げな気配漂わせてっかんな?!Σ( ̄□ ̄;)」
「交響曲第59番、」

顔を真っ赤に染めた健吾を、獅楼とチビ裕也がによによと眺めていると、上から声が落ちてきた。
条件反射で頭上を見上げたカルマが、やはり条件反射で後ろへ飛び避けたのは、それが余りにも身に染みた暗号だったからだ。

「ヨーゼフ=ハイドン、火事、」
「交響曲第60番フランツ=ヨーゼフ=ハイドン、『うかつ者』」
「おわっ」

裕也が飛び降りた事で身軽になった健吾は、逃げ遅れたので仕方なく両手を広げ、落ちてくるサックスを素早く受け止めると、躊躇いなく頭上の木を目掛けて投げ返した。
短い悲鳴と共に落ちてきた子供が宙返りを決めて着地すると、見ていた獅楼とチビ裕也が図った様に拍手を響かせる。

「テメ、俺の真似しやがったなっ、オレンジヘッド!」
「蜜柑頭で悪かったな、オメーが俺の真似してんだろ?(´°ω°`) つーかサックスを武器にすんな、んなもん頭に落っこちて来たら死ぬべ?(´・ω・`)」
「うっせーっしょ!ドイツもコイツもあどけないお子様を捕まえて鼻の下伸ばしやがって変態共、ユーヤを返せ!可愛いから高値で売り飛ばそうったって、この高野健吾様が承知しねぇっしょ!」
「いやいやいや?!んな事する訳ねぇだろうが、オメーこそこの高野健吾様の何処見てそんな判断に至った訳?(>´ω` <) どっちかっつーと保護してやってんだろうが!ハヤトはマジ変態だけどな(´・ω・`)」
「気持ち悪!何だこのオレンジヘッド、変な記号で喋ってる!来いユーヤ、何かコイツらやべーっしょ!」
「な(°ω°)」

身軽過ぎる幼い自分に、蹴りと共に毒を吐かれた健吾は目を見開き、全身で「がーん」を表現した。当人同士の世代間口論は、間違いなくチビ健吾に軍配が上がった様だ。投げつけたサックスが木の枝に引っ掛かっていた様だが、ぽろりと落ちて健吾の頭に直撃しそうな所を、真顔の裕也がナイスキャッチする。

「やべーのはテメーらだろうが。マジで昔のケンゴそっくりじゃねぇかよ、だが藤倉君はビシッと言ってやるぜ。餓鬼はストライクゾーンじゃねぇ、ハヤトとオレは違うぜ。オレを誘惑したきゃ、十年後に出直しな」
「ユーヤさん、ケンゴさんがダブルで痛い目してるよ。ついでにハヤトさんが拳をボキボキ鳴らしてる」
「どうでもよいけどさあ、猿とユーヤのチビが此処に居るって事はあ、エンジェルカナメは何処行ったの?」
「「ふぁ?(°ω°)」」

隼人の台詞で、サックスを片手にやさぐれていた健吾と、今気づいたとばかりにキョロキョロ辺りを見回したチビ健吾が、同じ表情で目を丸めた。何故か睨み合っている二人の裕也は、それぞれの健吾をそっと背後に隠し、やはり睨み合ったままだ。

「オメーがオレとか、信じねーぜ。髪の色が違う」
「あ?ググれカス、カリスマ美容師が二時間掛けて染めてんに決まってんだろーが。死ぬほど金髪に染め抜いてからカラー入れんだよ、羨ましけりゃ真似してみろ餓鬼」
「は、そのまま青葉城にでもなってろオッサン」
「あ?オレはどっからどう見ても名古屋城だろうが、股間のしゃちほこを見せてやろうかチェリーボーイ」
「ユーヤ、アンタ自分相手に言ってて悲しくないのお?」
「さっきまでハヤトさんも自分相手に大人げない事言ってたよね」

あわあわとチビ要を探している二人の健吾を横目に、獅楼の冷静な突っ込みが光った。
光りすぎた為、笑顔のモデルに殴られていたが、何故か荒ぶる要の姿がない事にはまだ、誰も気づいていないらしい。

←いやん(*)(#)ばかん→
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