帝王院高等学校
その名さえ忘却した男
まだ、だ。



呟いたのはその一言だった。
まるで無限に続く様な回廊を、巨大な塔に沿って登って行く。

果てしない、果てしない。
但し実際はエレベーターを使えば1分にも満たない短さで辿り着く頂上へ、言うなれば本能のまま登っているのだ。



「…誰だ」

人の気配がした、筈だ。
邪魔者ならば悩まず、主犯格ならば躊躇無く息の根を止めるつもりで身構えた躯は。

「俊!」

久方振りに荒く上下する肩を諌めもせず、ただただ無人の屋上で夜風に打たれ、

「何処だ、答えろ」

忽然と消えた気配にすら気付かぬまま。呆然と囁く声に、答えなど存在しない。















人の発てる【音】。
それら全てが『雑音』だった。

人類を凌駕した聴覚は1キロ先の小さな虫が羽ばたく音すら聞き取り、人類を凌駕した語学能力は理解しか与えない。
耳を塞ごうが叫び散らそうが全ての言語が脳に割り込む。


鼓膜を震わし。
脳神経まで忍び込み。
軈て細く長い毛細血管の一本一本まで溶け込み巡り踊って、記憶されてしまうのだろう。



だから、耳を塞ごうが叫び散らそうが無意味なのだ。
だから、人間など所詮ただの【オルゴール】。






狂った旋律に気付かず、オーケストラドラッグに酔うだけ。













Concerto-奏曲
He doesn't call his name anywhere.
その
さえ忘却した男













「ぐすっ、全く!何やってんだよお前は!」

カラーレンガが敷き詰められた地面に折よく正座した男は、両腕の中に収まる一回り小さな体躯を恐る恐る抱き締めつつ硬直していた。

「大体だなっ、俺の所為でイチ先輩が大変だったって言うのに!何で助けてくんないんだよ!」
「はい、すいません」
「さ、桜だって一人にしたら危ないじゃんか!だって教室で俺のコト庇ってくれたんだぞ!桜だって目、付けられてるかもじゃん!」
「あ、はい。すいませんでした」
「なのに何で電話しても指輪使っても居留守するのさ!馬鹿っ、眼鏡っ、オタクーっ!」
「返す返す申し訳ありませんです。地味平凡馬鹿眼鏡オタクウジ虫ですいません、嫌わないで下さい」

ポカポカ胸を叩く平凡パンチに鼻血を垂らしながら今にも昇天しそうな銀髪サングラスは、次の瞬間放心する事になる。


「俺の不手際は俊の不手際だろっ!責任取れよ!馬鹿ーっ!」


これは一体何のイベントだろう。
お母さん、可愛い平凡主人公が僕の腕の中で『責任を取れ』と言っています。
何だ、このサプライズイベントは。

まさか地上12階から飛び降りてきたとは思えない男の心中はかなりヤバイ。
上で『おーい、そうちょー、大丈夫ー?』と言う獅楼の声が聞こえた様な気がするが、生憎エントランス脇の花壇に突っ伏している要にも昇降ゲート間近で放心状態のヤンキーにも、そのヤンキーの腕の中で赤く火照った鼻をずびずびしている平凡にも聞こえていない。

「あ、あにょ、」
「嫌いっ!俊なんて嫌いだーっ!」
「ヒィ」
「嫌われたくなかったら言いなりになれ!馬鹿ーっ!」

オタクの心臓が止まった。
鼻血シャワーの中、我が人生に悔い無さそうなオタクが指を鳴らし、死んでいた要が素早く起き上がる。


「俺はこんな所で何を…」
「カナタ」
「え?あ、総長?!」

鮮血塗れで手招きしている己の主人に走り寄った要は、然しオタクの腕の中から睨んでくる平凡を睨み怪しく光るサングラスに怯んだ。

「俊、さっき錦織君から首へし折られそうになった」
「…カナタァ?」
「え?いや、あの?」
「嫌がる俺を追い掛けて、きっと何かするつもりだったんだー」
「………カナタァ」

虎の威、ではなくオタクの威を存分に使って要へ仕返しを果たした平凡は勝ち誇った表情で抱き締めてくる俊の手を叩き落とし、今にも泣きそうな要の青冷めた表情を睨みながら立ち上がる。

「ふん。ドイツもコイツも役立たずめっ」
「「………」」

どうやら半分嘘泣きだったらしい。先程までの幸せモードから一気に突き落とされた俊は膝を抱え、サングラスを涙で濡らしていた。

「俊、嫌われたくなかったら左席会長職を全うしなさいねー」
「ふぇ、ぐすっ、はい、僕は所詮地味平凡馬鹿眼鏡オタクウジ虫奴隷です」
「錦織、仏の顔も三度までだよ。次何かあったら許さないからな」
「だから何の話ですか。大体何で俺が君程度に、」
「…何か言ったかい?」

オタクの背筋に寒気が走る。
痙き攣り笑いの要が流石にぶち切れたのか拳の骨を鳴らしたが、ガシッと足を掴まれて沈黙した。

「カナちゃん。イイ子だからご主人様の言う事を聞きなさい」
「総長?総長はあの餓鬼に甘過ぎます!何故我々があんな奴の言いなりにならなければならないのですか!」
「遺伝子に刻まれたドMの血が叫んでいるのでございます。障らぬドSに祟り無し」

二人揃って太陽を見つめれば、凄まじい勢いで転がる様にエントランスから出てきた獅楼を威圧感だけで怯ませる平凡の姿。

「加賀城君じゃないかい。…やぁ、先程はどーも」
「ひっ」
「ちょっと頼みたいコトがあるんだけどなー。聞いてくれるかな?」
「い、いいともー」

動物は本能で勝者を見分ける。
弱い犬ほど吠えるとは言うが、そこはそれ、カルマのワンコはその昔平凡を舐めて痛い思いをしている為、見た目では判断しないエリートワンコの集団だ。

「シロ、お前は賢いな…」
「ええ、本当に…。何故か三年前の総長を思い出して逆らう気力も無くなりました…」
「え?え?そうちょー、カナメさん?」
「ふ、桃太郎は猿と雉と犬を従えて鬼ヶ島に行くのさ。冒険、つまりRPG。それは男の浪漫ー」

妖しく目を輝かせた太陽が、軍服の胸元から引っ張り出した桃色MOEハチマキをカチューシャ巻きし、キッとワンコ三匹を睨む。


「目標をティアーズキャノン内部に確認。…神崎と仲がいい錦織、どーせ何か奥の手があんだろ。解析して」
「は、はい。セキュリティライン・オープン、セントラルに感付かれない程度の校舎状況を映して下さい」

暗いカラーレンガに複数の地図が映し出され、足で一つ一つ消していく要を爛々と輝く太陽の目が凝視している。

「最上学部エリアは除外して宜しいですよね」
「うん。何処に中央委員会が固まってるかだけ調べて」
「一部フロアは内部機密ですし、18階にはセキュリティが敷かれている様なので侵入しませんでしたが、どうやら低層階に多く人員配置している様ですね」

ちびりそうなオタクは父親譲りのドM気質に気付かぬまま、仁王立ちする太陽の足に縋り付いて蹴り払われていた。獅楼の哀れみの目には気付いていない。

「ま、普通乗り込むなら正面からじゃなくて裏から回るかんな。一階から最低五階まで配備しとけば、外からの侵入経路は塞げる訳だ」
「ええ。10階以上には殆ど人気を確認しません。18階は最上階ですから、中央委員会だらけでしょうが」
「だったら堂々と正面から攻めてやろうじゃないか」
「然し、ゲートはIDを記録しますよ?」

獅楼が出て来たばかりの正面ゲートを一瞥した要に片目を細めた太陽が、地図の映し出されていない色付き煉瓦を蹴った。
何かに気付いたらしい要が片眉を跳ね上げ、状況を大人しく見守っている獅楼の隣でジーンズの埃を叩きながら立ち上がった俊がサングラスを押し上げる。


「地下駐車場、…つまり来賓ゲートか」
「そう。本来帝王院の出入口は地下駐車場だよ。車なら校門からぐるっと回って、地下ゲート潜らないと入れない」
「初等部エリアと中等部エリアも配設されてますが、然しそれでも地下からキャノンへ入るゲートにはやはりIDが必要ですよ」
「あ、確か大学の人か、免許持ってて駐車場にバイクとか車とか置いてる奴しかダメだった筈」

漸く話に割り込めた獅楼の台詞で、顎に手を当てた太陽が要を見やる。

「何か方法ないの?地下からしょっちゅう外出してた神崎の事だから、勿論何かあんだろ?」
「確かにハヤトなら可能ですが、ハヤトのリングはユウさんに渡してますし、発動コードを知りません」
「発動コード?」
「ハヤトが仕組んだ合言葉ですよ。セキュリティを無理矢理掻い潜るので下手すれば退学ものです。どの道、ハヤトが居ない今、」
「打つ手なし、かい」

太陽が刺々しく正面ゲートを睨んだ刹那、皆の前にそれは降りてきた。



「面白そうな話してんな、ヒロアーキ=ヤマダ」

赤い赤い塊。

「俺も混ぜやがれ、餓鬼共」

何処から落ちてきたのかはやはり誰も聞かなかったが、その絶対勝者が放つ不敵な笑みに一同身構えた。

「烈火の君?!」
「よぉ、ヒロアーキ=ヤマダ。上から見ても前から見ても小せぇな」
「何をしに来たんですか、貴方が」
「はん。前マジェスティはカイザーと話すのも駄目だってか、金魚の糞一号?」

長い足を持て余す様に背を正した男の、自信に満ちた美貌が街灯の下に照らされた。
何の洒落っ気もない白いワイシャツ、何の洒落っ気もない黒のスラックス。それらがこれ以上無いコーディネートであると思わせる体躯に、雄の余裕で満ちた顔。


「よぉ、会うのは初めまして、カイザー」

誰もが見惚れる男が笑みを深め、一歩一歩足を進めた。
庇う様に前へ出た要と獅楼の背後で、身構えた太陽の肩を静かに叩く手。

「うちの後継者は良くやってっか?ステイツから戻ったばかりの頃はまるで人間味が無かったんだがな、今じゃ大分人間らしくなってきた」
「…」
「…総帥、つまり俺の時のマジェスティがな。ヒロアーキ=ヤマダの保護者気取ってんだわ」
「は?」

沈黙する俊の隣で首を傾げた太陽は、然し目を向けもしない零人がスラックスから取り出したチロルチョコに言葉を失う。


「普通、桃太郎の方が吉備団子を渡すんだろうけどな。どうだ、これで仲間入りさせてくれるだろ?」
「仲間、か。…ABSOLUTELYの脆弱な猫、その前飼い主。」

太陽が隣を振り返った時には、もうそこには俊の姿はなかった。
狼狽する獅楼の気配、息を呑む要の気配にもう一度零人へ向き直れば、チョコを差し出したままの零人の背後にバイオレットのサングラスが見える。


「弱い駒は要らない」
「言うねぇ。この俺が雑魚だっつーのか?」
「Do you think if I say yes?(そうだと言ったら?)」
「さて、ねぇ」

笑った零人がチョコを投げた。
放物線を描いたそれは太陽の手に収まり、受け止めた太陽も成す術無く見守る要達もただただ零人の首を掴んだままの俊を見やる。

「決めるのは桃太郎だろ、猊下?」

全員の呼吸が止まった。
素早くサングラスを奪った零人がやはり勝ち誇った笑みを浮かべたまま首を傾げ、

「チョコたん、今度からはチロルチョコじゃなくてゴディバのキャラメルチョコにして下さい。タイヨーはそんなに安くないなり」
「あの手軽なサイズが良いんじゃねぇか。チロル挟んだ食パントーストするとマジ美味ぇんだぞ」
「それで喜ぶのは僕だけにょ!」
「そーか」

しゅばっと抱き付いてくる人相の悪いオタクを、人相の悪い弟で慣れているブラコンが抱き抱えた。
呆然とする皆の前で笑みを止めた零人が、校舎の脇にある時計台を鋭く見上げ舌打ち一つ。


「マジェスティから連絡だ。不味い奴がスコーピオに入ったらしい」
「は?」
「不味い奴、ですか?」
「ユーさんそっくりでカッケーなぁ」

太陽、要、獅楼それぞれの反応に然し晴れやかな笑みを滲ませた男は付いてこいと呟くと、俊を張りつけたまま優雅に長い足を運んだ。


「悪い報せは良い報せだ。今、最上階はがら空きだぜ」
「どうゆーコトですか?」
「神崎狙いだろ?俺の権限は最上学部帝君権限だからな、セントラルセキュリティすら弾く」
「何故手を貸してくれるんですか、貴方が」

寮へ向かう零人を追い掛けながら、要が叫んだ台詞は。

「先生だからな。ABSOLUTELYなんて名詞、とっくに忘れた」

たった一言で片付けられた。


「…納得行きません。総長を返しやがれクソ野郎」
「嵯峨崎先生、…変人やないか〜い」
「変人でもユーさんにそっくりな烈火の君なら大丈夫だよ」
「アンダーラインに入るぜ、失礼な教え子共」


地下鉄乗り場の様な地面に生えた暗い階段へ、一歩。

←いやん(*)(#)ばかん→
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