帝王院高等学校
一夜にして成らぬ語り部
しゅばっと腕を広げた男は、うっかり握り締めた拳の中で電源ボタンを押された携帯がご臨終するのを見た。


「む」

真新しいバイオレットのサングラスを押し上げ、

「…たまには亭主を尻に敷いてこそ、鬼嫁。俺は小悪魔ハニーなのさ、カイちゃん」

呟いて携帯を尻ポケットに突っ込む。
然し背後の巨大な時計がまた時を進め、ポケットを掠めた短針によってポロっと零れた小さな機械がどうなったかと言えば、



「きゃーっ!
  イエス、フォーリン携帯!」




真っ暗な眼下へ、真っ逆様。













「くっそ〜、ユーさんの拳は重いなー」

出来たてのタンコブを擦りながらふらふら駆ける彼は、一面硝子張りの廊下へ出るとツンツンの赤毛を手櫛で撫で付けた。

「どっからでも来い、中央委員会め。ユーさんが…あと総長、2人が決めた事には従うのがワンちゃんの役目なんだ…ん?」

真横に赤煉瓦の時計台が見えるが、硝子一枚隔てた向こう側に何だか何処かで見た事がある様な何かが落ちて行った気がする。
愛してやまない佑壱が持っている携帯に似ていた様な気もするが、デコ無しだったので見間違いに違いない。

「ふー。しっかし、さっきの声ってハヤトさんだよなー?何があったんだろ、下っ端の俺には誰も教えてくんないんだもんなぁ」
「それは酷いな」
「だろ?大体、いっつも苛々してるカナメさんもそうだけどさ、何処でキレっか判らないハヤトさんもユーヤさんも怖くて近付けないしさ」
「ほう」
「笑いながら殴ってくるケンゴさんなんか、自分の突っ込みがどんだけ痛いのか判ってないんだもん。俺はユーヤさんみたいに平気な顔なんか、」
「ふむ」
「…え?」

くるっと振り返った獅狼は、ある筈の硝子が無くなっている一角を呆然と眺め、窓辺に佇んでいる人影に飛び退いた。

「なっなっなっ、」
「カナメもハヤトもケンゴもユーヤも、投げ飛ばしておく必要があるか。…俺の育て方が悪かった様だ」

静寂を揺るがす低い声。
全てを従えようとする絶対なオーラ、ズレ落ちたバイオレットのサングラスから覗くハニーゴールドの双眸。

「おっ、お前、」

本能的に逃げ道を探そうとする足を叱咤して、見た目に似合わずヘタレな彼はキッと相手を睨んだ。

「学校のガラス割ったらいけないんだぞ!」

然し中々に決まらない台詞ではある。

「割った?いや、勝手に開いたんだ。俺が割ったのは部屋の窓、新聞紙とガムテープで補修するつもりだぞ。まだまだ夜は寒いからな」
「ひっ」
「どうした、─────シロ。」

腰が抜けた。
一度しか近くで見た事が無い、紛れもなくその声は、


「そっそっそっ、総長っ?!」
「何だ。腹が減ったのか?」
「マジ、マジで総長っスか?!」
「違うのか?俺みたいな人相が悪い奴が他に存在したら、世界の婦女子は安心して眠れない」
「いや、あのっ、な、何で総長、だっ、だってさっきのアレ、ケンゴさんがっ」
「そう、ケンゴは俺と背格好が似てるから。…王子様役には打って付けだろう?」

すたり、と。
廊下へ足を踏み入れた男の背後で、硝子が床から這い上がる。

『モードグリーン。コード:ファースト、ご命令は』
「ねぇよ。悪ィな、次は華麗に飛び降りるからよォ」
『コード:ファーストの無事を確認。オートセキュリティ解除します』
「助かったぜコラァ」

どう言う事だと表情に出せば、唇に笑みを張りつけた俊がポーンと携帯を放り投げ緩く首を傾げる。

「時計の足元にあったんだ。お母さんの優しさ」

そして広げた手に輝く髑髏を見やり、へたりと座り込む。

「それ、ハヤトさん手作りの奴っス…」
「違う、確かハヤトが知り合いのお兄さんに作って貰ってるんだ。…まァ、想像は付くが」
「知り合いのお兄さん、っスか?」
「兄と言う生き物は可愛い弟に指輪を作ってやりたくなるものだ、親馬鹿ならぬ兄馬鹿」
「?」
「今度の新刊はチョコイチに決まりでございますわよーっ!」

いきなりしゅばっと拳を固めた男に、声にならない悲鳴を飲み込んで赤毛は恐る恐る立ち上がる。

「そ、そんな事より、総長っ」
「なァに、嵯峨崎先輩二号」
「…は?いやいや、総長ってば神様から探されてるんでしょ?!ここティアーズキャノンって言って、うちの校舎なんスよ!」
「あらん?ティアーズキャノンって校舎のお名前でしたの?困りましたにょ」
「???」
「カイちゃんから、ティアーズキャノンを1人でお散歩するなって言われてたなり」

挙動不審過ぎる俊にパチパチ瞬きした彼は、次の瞬間口を大きく開いて指を差しながら目を見開いた。


この生温い喋り方。
眼鏡のズレ方。
右手の携帯。


「シロちゃん、所で神様って神帝の事かしら?」

大気を揺るがす絶対な威圧感。
生温い喋り方。
それを覆す、眠りを誘う様な安心感。


「総長、は」
「なァに?」
「…いや、やっぱ何でもないっス」
「さて、神様が動くまでもう暫くネサフでもしようか。蠍姫は、いつか必ずその毒で敵を仕留める」

もしかしなくても、目の前の男はあの天皇なのかも知れないと思った。

「役職と言うのは厄介なものだ。例えオタクだろうが生徒なら、守らなければならない」
「…」
「それが『神様』の役目ならば」

だからあの要が傍に居て、だからあの佑壱が駆け付けて、だからあの健吾が嬉しそうに笑いながら、

「探していた相手を、また探さなければならない…笑い話じゃねェか。精々捜し回ればイイ。なァ、シロ」
「総長は」
「狂言誘拐に踊らされて、誘拐された奴から誘拐した姫を奪われる。…最高のシナリオだ」
「頭が良すぎて、怖い人」


だから皆が探すのかも知れない。


「観客の居ないオーケストラ、トロンボーンは加賀城獅楼が」
「総長、さっきの質問っスけどね」
「指揮者は私、遠野俊がお届け致します。
  交響曲第9番、アントニン=ドヴォルザーク」
「総長の事だよ」







「ホ短調、─────『新世界より』」









Fuga-覆曲
Legend wasn't billed in a day.
一夜にして成らぬり部










「犬にとっての神様はさ。」


















「チェックメイト」


カツン、と跳ね飛ばされた王冠がビショップに擦り代わる。
ちぇ、っと舌打ち一つ、付け焼き刃の初心者には相手が悪いと目で訴えた。

「筋は大変宜しいですよ、神崎君。暫く修行を積めば、私には勝てるでしょう」
「『には』ってー、神帝へーかには勝てないってこと?」
「いえ、高坂君にも。」

ぱちり、と瞬いた隼人が片眉を跳ね上げる。

「不思議そうな顔をなさいますね」

揶揄めいた笑みを滲ませた二葉がチェスの駒を元へ戻し、無言で胡坐を掻いていた健吾を手招いた。

「好い加減、こちらへお座りなさい高野君。お尻が痛いでしょう?」
「(((´`)))」
「震えているのか嫌なのかはっきりしませんねぇ。そんなに怯えると襲ってしまいたく、」
「ハヤト、隣座らせて(´∀`)/」
「狭ぇよ、タコ」

一人掛けのソファに座る隼人の隣に無理矢理座ろうとした健吾は、弾き飛ばされ仕方なく肘掛けに座る。
睨む隼人もそれで妥協したのか弾き飛ばす事はないが、4人は座れるだろう広いソファに腰掛ける二葉の隣には何があっても座りたくない様だ。

「チェス、やりますか?随分興味深く眺めてらしたでしょう?」
「俺はパス(´`) ユーヤの方が強いよ('∀'●)」
「そうですか」
「ねえ」
「何でしょう、神崎君」
「オージ先輩のほーが、あんたより強いってことだよねえ、さっきの言い方じゃ」
「ええ。チェスに於いては、ですが」

チェスは頭脳ゲームだ。
単純に御三家3位の日向が何故二葉に勝てるのかと聞きたい訳だが、サングラスを掛け直した健吾の肘が頬を掠め、うざったいなと睨み掛けて沈黙した。

「…うっぜ」
「んだよ(`´) 喧嘩売ってんなら買うぞ、おい(Тωヽ)」
「殺すぞタコ。むかつくカッコしやがって」
「何、総長みたいで興奮するってか?(・艸・)」
「まじ、うっぜ」
「仲が宜しいですねぇ、羨ましい事ですよ」
「「冗談だろ」」

二人揃ってから睨み合い、微笑ましげに眺めていた二葉の吐息が零れる。


「酷い誤解ですが、高坂君は馬鹿ではありませんよ。逆に言えば寧ろそれを演じているのかも知れませんね」
「はあ?」
「ピカ先輩、昼行灯って奴?昼間でも充分目立つんだけど、あのパツキン(´`)」
「目立てば囚われますからねぇ、陛下の様に」
「「?」」
「陛下の様に寧ろ全てを従えてしまえば話は別ですが、生憎、それには性格が優し過ぎましてね、高坂君は」

聞いてはならない台詞を聞いた、と言う様な健吾が薄ら笑いを浮かべ、顎に手を当てた隼人が片目を眇めた。

「確かに、生っちょろいよねえ、あのオージ様は」
「手厳しいですねぇ、神崎君」
「だってさあ、あんたがユウさんと鉢合わせないよーに、毎回ユウさんを殴るんだもん」

どう言う意味だと無言で訴える健吾に、隼人より早く二葉が口を開く。
まるで歌う様に、



「ええ、邪魔以外の何物でもありません。私は嵯峨崎君を壊したくてならないと言うのに」
「なΣ( ̄□ ̄;)」
「だから、そうさせない様に先制攻撃するんだよねー、オージ様が」
「そう、高坂君は寧ろ嵯峨崎君のガーディアンですよ。私はねぇ、もう丸6年嵯峨崎君を壊せないでいます」

まるで歌う様に、まるで物語でも読むかの様に、


「彼は高坂君に刃向かいました。彼は陛下を裏切りました。そしてまた、…私の怒りを買った脆弱な生き物」
「テメー、今すぐ消えっか!(`へ´)」
「やめとけケンゴ。…で?続きは?」

飛び掛かりそうな健吾を片手で遮った隼人の目が、これ以上無く甘く解けた。

「彼は目障りでならない。彼のお陰で全てが狂う。高坂君が愚かな感情に振り回されるのも、陛下を振り回すのも」
「へーかはともかく、オージ先輩の意味は判るよお。一目瞭然だもんねえ」
「貴方が賢い人で助かりましたよ神崎君。それで、何故私がこの場へ高野君を招いたか。…答えは出ましたか?」

笑みを深めた二葉に笑い返した隼人が健吾を弾き飛ばす。
健吾が文句を言う前に崩れ落ちた隼人が覆い被さり、目を見開いた。


パキリ、と。
落ちたサングラスを踏み壊す真っ白い革靴が見える。


「ちっ、…漸く正体を現したか悪徳メガネ」
「ハヤト!大丈夫かよ?!Σ( ̄□ ̄;)」
「まずはてめえの心配しとけや、ばかケンゴ。隼人君はなんでこんなばか助けたんだろー、ほんとうっぜ」

ぺっ、と赤い唾を吐いた隼人が起き上がる。目を瞬かせる健吾の前で優雅に眼鏡を外した男が、長い前髪を優雅に優雅に掻き上げるのを、



「私はね、言った筈ですよ。初代外部生を『無傷』で追い払え、と」

一部始終眺めていた健吾の表情から、血の気が引いていく。
無意識に固めた拳が殴り付けた他人の頬の感触を思い出し、声にならない唸りを発てるだけ。

「へえ。あんたあのくっそ生意気な21番を、追い出したいんだ?」
「21番?…ああ、成程。そうですねぇ。出来れば彼にも消えて欲しいんですよ。最早、目障りでならない」
「感情を振り回されるから、って?へえ、誰にでも物好きは付くもんだねえ」
「おやおや、貴方も陛下の様な事を仰る」
「あんな平凡に振り回されてさあ。あんたもあいつも、だっさいよ」
「勇ましい事ですねぇ、神崎隼人君。貴方は所詮、ウエストの庇護がなければまるで赤子同然だと言うのに」
「…あ?」
「鎌倉の片田舎で潰れてしまえば、こうなる事もなかったと。お兄さんを怨みなさい。私にも年が離れた兄が二人居ます」

蒼い蒼い、瞳。
隠されたそれを見ただけで、例え小学生だろうが判るだろう。

「独りは寂しいでしょう?
  ですから二人一緒ですよ、神崎君高野君。」

全身の毛が逆立つ感触。
凄まじい防衛本能が警報を鳴らしている。
語り聞いた物語の様に、







「…壊れろ、目障りな全て」


新月の夜は狂うのだと。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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