帝王院高等学校
弾けるオヤジーズの加齢臭にファブ必須!
聞き慣れない電子音だ。
漸く片付いた来年度行事日程の決定書と、各自治会から提出された予算案確定申告分を理事会へ送信し、高坂日向は眉を潜めた。
何処かで聞いた事のある音だが、ありふれた電子音だ。まるでアラームの様なそれに、他の役員も執務室を見渡している。

「…セカンド、携帯が鳴っておるぞ」

形振り構わず全親衛隊を使って日向が見つけてきた中央委員会会長と言えば、誰よりもきっちり制服を纏っている癖に、死に物狂いで探し出さないと仕事をしてくれない。
昨日の昼過ぎに、予算案の提出を早めてくれのと申し出が理事会から入った時、大して結果も残していない癖に人気だけはあるテニス部から、テニスコートを広げる予算が欲しいと涙ながらに縋りつかれた日向は、三つの意味で頭痛を覚えたのだ。

テニス部長が親衛隊の一人である事、神威を見つける必要が出来た事。

最後の一つ、理事会役員はどうして、中央委員会が体力を削って定めたスケジュール通りに行動してくれないのか。最低でも一年前から決まっている書類提出日や、議会召集すら、仕事があるからだの何だの理由をつけては欠席する理事が少なくない。
今回の提出日を早めろと言う理由も、不在中である学園長の代理を努めている帝王院隆子の通院日がずれた事と、帝王院グループ筆頭理事の半数が日程を変えて欲しいと宣ってきたからだそうだ。

日にちが悪かったと言えばそれまでだろう。
6月が起業した月である帝王院財閥は、決算が5月末になっている。6月1日までに株主総会用の資料を作る為の一通りの情報を、経理が把握しておく必要があるからだ。

そうなると、5月の駆け込み出費は基本的に認められない。
帝王院財閥が直接的に経営しているのは、帝王院学園本校と、日本全国に点在する帝王院学園提携校だけだが、様々な企業の株主として融資をしており、それも会社化されている。とは言え、帝王院コンツェルンの会長である帝王院駿河が病床の今、社長はお飾りの様なものだ。学園内から一歩も外に出ない帝王院帝都が、グループ総理事長を務める傍ら、駿河会長の代理としてあれこれ指示を出していると言われている。
それほど肥大化している財閥の中でも最も立場を低く見られるのは、やはり中央委員会だろう。子供が自治をしていると言うだけで、グループ各社の役員は「どうせ子供だ」と端から対等には見ていない。そうでなければ、中央委員会が提出し理事会が承認した筈の予定を、こうも度々変更する理由がなかった。

確かに、学業の片手間仕事の様に馬鹿にされるのは仕方ないとして、やっている方は命懸けだ。一度帝王院財閥の幹部全員に修羅場中の執務室を見学させたいと思うほどには、次から次に顔を覗かせる仕事の量は、まるでダムの様である。
初等、中等、高等、最上学部、本校だけで四つに区分けされている中、各自治会役員は一般校の生徒会執行部と同じ様に、各部活動の予算希望を取り纏めたり、懸かった経費を算出したり、その結果から来年度の予算に目算をつけて、多からず少なからずの金額を中央委員会からもぎ取らねばならない。馬鹿みたいな大金であれば即座に却下され、少なければ通り易いが次年度は火の車。

過去に気弱なとある自治会長が、必要な最低経費の4分の1で申し込んできた事があった。当然ながら中央委員会はその予算案を承認したが、翌年、新たな自治会長が渡された予算額に激怒し、中央委員会に殴り込んできた。
その殴り込んできた男こそ、現在最上学部2年で自治会長を務めている、嵯峨崎零人である。彼が殴り込んできたのは、去年最上学部一年の末に帝王院神威を会長後任とした直後、最上学部教師陣の希望もあり自治会長に就任したその日だ。新年度に受かれた気分もとうに消えた、真冬の寒さ厳しい二月の事だった。

中等部三学期には来日していた癖に、高等部まで生徒として通うつもりはないと宣った神威の姿はなく、零人に殴り込まれた日向は「何しに来やがった殺すぞ」と言う軽い挨拶をした。
ついでに軽い蹴りを放ったが、慣れている零人はさっと避けると、日向の尻を見つめたまま「これは何だ」と書類を突きつけてきたのだ。

『何だも何も、そりゃテメェが去年承認した予算案だろうが』
『煩ぇ、正論言うな光姫!この予算でどうしろっつーんだ!300万だと?!どう考えても研究費にもなりゃしねぇ、備品は?!トイレットペーパーが切れたら、トイレの電気が万一切れたら、どうしろっつーんだ!』
『トイレばっかじゃねぇか。ペーパーなら高等部の備品から貸し出してやらん事もねぇ、照明はフルLEDだから簡単に切れやしねぇだろう。悩みが消えて良かったな』
『いや、研究費だけじゃ大学経営は出来ねぇぞ?!判ってんのか、最上学部は本校にある理学部だけじゃねぇんだぞ!』
『知らねぇ方が可笑しいわな。テメェみてぇな馬鹿ならともかく』
『畜生、可愛い面で人の嗜虐ポイントを刺激しやがって…!犯すぞ此処で』
『殺すぞ此処で』
『何でお前はそんなに凶暴なんだ、いっぺんだけ良いだろうか。先っちょしか挿れないから』
『咬み殺すぞテメェ』

激怒した日向は零人の股間を躊躇なく蹴り上げた。

『金が足りない、マジで…!』
『知るか、自業自得だろうが。どうしてもじり貧の予算を恵んで欲しいっつーなら、帝王院に直訴するんだな。俺様はただの副会長だ』
『此処にその帝王院会長が居ると思ったから来たんだろうが…!何で居ねぇんだよ、お前だけしか居ねぇからヤりたくなるんだろうが!畜生、可愛いケツしやがって!』

などと悲痛な叫びをあげ続けた元中央委員会会長に、淹れたての紅茶がなみなみ注がれたカップを近づけ、ぶっ掛けられたくなかったら失せろと別れの挨拶をしたのだ。
やると言ったらやる日向に青ざめた零人は、ぐすんぐすんと鼻を啜りながら帰っていった。その年、まさか本当に最上学部エリアのトイレの電気が消えると言ったトラブルに見舞われたが、人望だけはあるらしい零人が「皆で力を合わせて乗り越えよう」などと宣言し、何故か最上学部だけ節約ブームに湧いたと言う。

それでも完全に予算が足りなかった様で、各地のキャンパスからブーイングが入りまくった様だ。
次年度からしっかりがっつり希望予算を申請してきた零人は、何せ元中央委員会会長なので、断るに断れない微妙な金額を書いていた。イラっとした日向に出来たのは、零人が希望した予算から500円ほど値引く事くらいだったと言おう。

中央委員会会計の感想は、『流石は烈火の君ですねぇ、完璧な予算案です。ただ私の試算より、何故か500円ほど少ない様ですが』だった。
少ない事は良い事だと、日向はしれっと吐き捨てたのだ。

セックス狂と揶揄される零人が一切口説こうとしない、人間としてどうも壊滅的に狂っている、早い話が魔王と呼ばれて否定しない眼鏡は、日中の大半を山田太陽の為に浪費している。知らない役員はもぐりだと言う程度には、中央委員会執行部の中で二葉の職権濫用を公然の事実だ。
下手に仕事が出来るので、神威の様にとことんサボる訳でもない。但し神威とは真逆に、用もないのに執務室に入り浸っては、『マイハニースイートメモリー』なるアルバムを量産し、せこせこと金庫を埋めていく。二葉のお陰で年々執務室が狭くなっている気配があるが、元が広いので潔癖症の日向以外は気づいていない様だ。

そんな会計が、いつもの様に風紀巡回と言う名の山田太陽見学ツアーから帰ってきたのは、進学科の昼休みが終わった頃だった。
今朝早くから隣の部屋の神威を尋ねた日向は、無人の会長個室に舌打ちを連打し、午前中を消化して数時間後にテニスコート付近のシャワー小屋で見つけた神威のネクタイを引っ張って、執務室に連れてくる事に成功した。食事をしている姿を滅多に見掛けた事がない中央委員会会長は、ランチ代わりのコーヒーをせびってきた以外は真面目に書類を片付け、ものの小一時間で仕事がなくなった執務室に安堵が広がったのは先程の事だ。

左利きを矯正しようとした日向や無駄に器用な二葉の様に、両手が利き手と言うのは良く聞く話だが、この上で両足までもが『利き手』と言う人間はまず存在しないだろう。
然し中央委員会会長の立場にあるルーク=フェインに於いては、それを易々と可能としたのだ。

左足の指に万年筆を握り、右足で押さえた書類にサインしながら、右手でパソコンのキーボードを叩き、左手でコーヒーカップを燻らす。
そんな喜劇じみた光景を目撃した中央委員会役員は、然し誰も突っ込まなかった。神帝の化け物スペックには、とうに慣れていたからだ。

やれば簡単に出来る癖に、役員を信頼していると言う偽善じみた大義名分を無表情で宣う。慈悲深い会長を装ったただのマイペースは、それが苛めに等しい優しさだと判っていないのだろうか。
私が信頼した役員ならば出来ない訳がない、だの、聡明なそなたらには物足りないかも知らんが、だの、人を持ち上げる術を知り尽くした人格崩壊者の口車に乗せられて、日向ですら『ふん、当然だろうが』と言ってしまう事もしばしばだ。その度に予期せぬ出来事が起きて、予定通りに行かなくなる。今回は身勝手な理事会への憤りがメインだが、もっと早く神威が自主的に手伝ってくれていれば此処まで焦らなかったと言う思いも、消えてはいない。

然しステルシリーと言う巨大組織の支配者として、夜間はアメリカとの連絡で寝る暇がないと思われる帝王院神威に、毎日執務室に来いとは言えなかった。同じく、空席同然の社長業を兼ねている副社長の二葉も、夜間はあちらの仕事をしているのだろう。
気紛れに学園を抜け出している日向とは違って、二葉が外に出掛けるのは基本的に神威のお供としてだ。どれほど遊べば飽きるのか甚だ謎だが、とうに女には飽きているらしい神威が女遊びをする事はないので、外出したがるのは新月の夜が最も多い。

最新の医学や科学で紫外線からのダメージを克服した身とは言え、重度のアルビノ体で産まれた男は、日中はナマケモノより動かないのだ。かっちり仮面を被り、年中無駄に長い髪を遊ばせている。
嵯峨崎佑壱の様に、以前付き合っていた女から無惨にも髪を切られたと言う過去もないだろう。さらさらな銀髪は、見事に全て同じ長さのワンレンだった。抜け毛知らずか化け物が、と。日向は思っている。


盛大に話が逸れたが、そんな人格崩壊者と呼ぶより他に似合った代名詞がないルーク=フェイン=ノア=グレアム男爵は、とっとと仕事を片付けると、大量のフレンチトーストと共に姿を現した二葉の膝枕で健やかに昼寝をしていた。

『天使も逃げ出す私のお膝枕でお休みになられるとは、流石マイルーラー。どうですか、心地好いレム睡眠で疲れがばっちり取れるでしょう?』
『…セカンド、携帯が鳴っておるぞ』
『おや、ノンレム睡眠でしたか』

仮面を被っている男の表情は見えない為、五人掛けのソファに転がり長すぎる足を持て余している銀髪に膝を貸していた二葉は、『あーん』とあざとくフレンチトーストを頬張ると、ごそごそとポケットを漁った。
皆が何だろうと首を傾げていたあの電子音は、滅多に鳴らない二葉の携帯電話だったらしい。

「めげない男ですねぇ。毎回無視しているのに、毎月毎月…」
「リチャードか」
「陛下の鋭さには脱帽ですよ。陛下の愛しいハニーである私が他の男から取られてしまうかも知れません。一大事ですよダーリン、私を奪って下さい」
「そうか」

こんな時ばかりは、日向は神威を尊敬する。
どんな無茶振りも「そうか」の一言で無に還すその手腕は、流石世界の皇帝だと認めざるえまい。日向ならば毒を吐く思いで『黙れ』と吐き捨てたに違いなかった。
どの面を下げて『天使が逃げ出す』だの『愛しいハニー』だの宣うのか。それを鵜呑みにして襲い掛かれば、二葉は晴れやかな笑顔で吐き捨てる筈だ。

『おや、貴方如きがこの私から本当に愛されているとでも思っているんですか?』

日向は、イギリス生活の合間に何度も見てきた。
利益がありそうな人間に忍び寄り、絞れるだけ搾り取った後、天使の様な微笑みで宣う悪魔を。
成程、帝王院学園の生徒らは賢いらしい。確かにあれは悪魔などと言う生易しいものでは決してなく、魔王と呼ぶに相応しいだろう。天使の顔をしたクズ、山田太陽以外を、例え神帝だろうと人間扱いしていない。

「リチャードってのは、リチャード=テイラーの事だろう?ロンドンに何度か来た、准教授だか何だか」
「ええ、高坂君。そのテーラーです」

しっかり発音した日向に引き換え、馬鹿にした様にテイラーの「イ」を伸ばした二葉は、神威の口にフレンチトーストを一切れ突っ込みながら携帯をポケットへ放り込んだ。

「まだ連絡取ってんのか」
「向こうから一方的にメールが届くだけですよ。何の用もないのに連絡してくるなと言ったら、以降、月に一度メールが届く様になりました」
「健気じゃねぇか。テメェにゃ勿体ねぇ相手だな」
「着信拒否する程でもありませんし、この携帯にはそもそもメール拒否機能がないんですよねぇ、古すぎて」
「いい加減機種変しろや、何世代前のガラケーだそりゃ」
「中等部2年Sクラス山田太陽のものと、同じ機種だったか」

仮面の下、フレンチトーストを咀嚼しながら起き上がった銀髪が囁き、日向は冷めた目で二葉を見た。当の二葉は否定も肯定もせず、涼やかにミルクティーを嗜んでいる。
無駄すぎる神威のデータベースも気になるが、二葉の極めすぎたストーカー気質の方が事件だ。何処まで極めるつもりなのか。

「テメェの頭は大丈夫か風紀局長、犯罪を犯す前に捕縛するぞ」
「全く同じ機種ではありません。全く同じでは万一バレたら、私に憧れた平凡な少年が恋しさの余り私と同じ携帯を使っていると、苛められてしまいます」
「黙れガラパゴス野郎、誰がンな古代機種を喜んで使うか」
「When force has its way, reason will retire. (その道理が生徒にも通用すれば良いんですがねぇ)」

馬鹿にした様な笑みと共に英語で吐き捨てた二葉は、新しいコーヒーを運んできたバトラーの呼び掛けで体を起こした神威を横目に、足を組む。

「彼の所持しているものより、一世代古いものを取り寄せました。基本的にタブレットを使用している私が携帯を持っている事は、風紀委員ですら知らない事です」
「成程、執念だな。念には念を、って事か」
「無駄な争いを産みたくないだけですよ。旧中等部一年Sクラス林原拓真の様な馬鹿が再び現れれば、家を破産させるだけでは済ませません」

艶然と笑んだ二葉に対して、誰もが口を閉ざした。
美しい笑みで恐ろしい台詞を奏でる唇からは、罪悪感など欠片も感じない。寧ろ手加減してやったと言わんばかりだ。春先に起きた進学科の事件を知らない中央委員会役員は当然居ないので、日向を含め、えもしれない気持ちにる。
数年前に日向が高等部進学科の生徒を暴行した時も凄惨だっただろうが、あの時は、日向にとってはただのクラスメートでしかなかった生徒が被害者だった。引き換えに、今回の被害者は、二葉がこの世で最も大切にしている子供だったのだ。

あの時、もしも被害者が嵯峨崎佑壱だったらと想像してみても、日向には二葉の気持ちが全て理解出来る訳ではない。両手足を砕かれた加害者が、退学すると同時に家を失ったと聞いて、どれほど絶望しただろう。
零細企業だったが、それでもそれなりの建設会社を営んでいた林原家は、ステルシリー副社長の一言で跡形もなく消えたのだ。膨大な借金で首が回らなくなった林原社長は蒸発し、離婚した妻は、退学した息子を放って実家に帰ったと聞いている。残念ながら、彼女の実家も破産している頃だったので、以降の消息は不明だ。

未だ入院している林原子息は、法的措置で最低限の生活を保障される見透しが立ちつつある様だが、それもどうなるか定かではない。
無一文になった未成年に、未だに怒り冷めやらぬ魔王が何処まで追い詰めようと、林原が犯した罪が消える訳ではないからだ。

ナイフで切りつけられた太陽は軽傷だったが、事件がトラウマになったのか、以降、人との関わりを完全に断ったと報告を受けている。
林原の代わりに九州分校から昇校した生徒がルームメートに収まったが、未だに一言も会話をしていないそうだ。事件があったのは三月末の事なので、梅雨が近い今まで会話がないのは幾ら何でも可笑しい。

「執拗な男は嫌われはせんか、セカンド」
「おや、どう言う意味ですかマジェスティ?」
「林原を気に掛けるより、山田太陽を気に掛けてやる方が建設的だと思ったまでだ。此度の一件で精神的に疲弊した山田太陽が、選定考査に身が入らねば、林原の二の舞にならんとも限らん」

何を考えているのか、コーヒーを啜りながら囁いた神威の台詞には説得力がある。暫し空のカップを見つめていた二葉は、お代わりを勧めるバトラーには見向きもせず立ち上がると、ぐいっと眼鏡を押し上げた。

「致し方ありませんねぇ。進学科の後輩が降格した挙げ句、思い余って自殺したとあっては寝覚めが悪い。風紀局長として、全校生徒を統べる中央委員会会計として、誠心誠意励まして差し上げる必要があるでしょう」
「おい二葉、万一俺様が降格したら励ましてくれんのか?」
「ご愁傷様ですと言ってあげますよ、サブマジェスティ」

成程、御大層な事を宣っているが、とどのつまり太陽以外が降格しても『知ったこっちゃない』と言う訳だ。
風紀局長だの中央委員会会計だのは大義名分で、単に愛しい山田太陽が退学してしまわないよう、叶二葉の個人的な感情だけで行動すると言う事である。呆れ果てて言葉もない。
スキップ混じりで出ていった二葉は、今がまだ授業中である事を忘れているのだろうか。高等部の白ブレザーが中等部エリアを彷徨けば目立つだろうが、その程度では、魔王のダイアモンドメンタルは些かも傷つかない。

「…庇う気があるなら、ある程度フォローしてやれよマジェスティ」
「何の話だ」
「林原だよ。流石に、幾ら二葉だろうがやり過ぎだと思ってんじゃねぇか?」
「是非もない。校訓を破り、刃傷沙汰を起こした生徒が退学になるのは道理。帝王院から出ていった元生徒がどうなろうと、」
「興味ねぇってか」

台詞を遮った日向は、深い息を吐いた。
日向には二葉の気持ちが判らない。例え佑壱がナイフを突きつけられたとしても、あの男は素直に刺されはしない。あっという間に捩じ伏せて、牙を剥きながら宣うだろう。

『糞弱ぇ、誰に喧嘩売ってんだテメーは。出直せ馬鹿が』

日向は何度もその光景を見た。その度に、トレーニングに力が入ったものだ。目を合わせる度に口論から殴り合いへ発展する佑壱に、例え一度でも負けた時は、あの冷える様な嘲笑を浴びせられるのは日向なのだ。考えたくもない。

制裁事件にしてもそうだ。佑壱が誰と付き合おうと、誰と寝ようと、日向に文句を言う権利などない。望まない暴行だったならば話は別だが、それこそ有り得ない話だ。
今の所は辛うじて佑壱より優位な力量である日向だろうと、佑壱を襲うのは命懸けだろう。化け物じみた神帝ならともかく、素直に組み敷かれてくれる相手じゃないからだ。

「あっさり切られた山田が馬鹿だったで、終わる話だ」
「猛き者には弱者の感情が理解出来ぬものだ」
「テメェには判るっつーのか、マジェスティ=ノア」
「どう思う?」

質問に質問で返すのは、ひねくれ者の証。
まともに答えるつもりがない相手に詰め寄るだけ無駄だと、日向は目を逸らした。
地球最強の神と呼ばれた皇帝に、弱い者の気持ちが判る筈がない。為す術なく虐げられる者の絶望など、理解出来る筈がないのだ。

けれど日向の個人的な意見は言葉にはならず、つまり、否定も肯定もされなかった。誰からも。





















「最上階ってだけあって見晴らしがイイわねィ。この校舎、住める」

中央委員会執行部があるべきティアーズキャノン最上階で、窓にベタッと張り付いた白ブレザーがはしゃいでいる。娘が初めてセーラー服に腕を通した時の様な感慨で、目尻に光るものを浮かべている帝王院駿河は、最も小さいSSサイズを着せた遠野俊江の背中に何度となく頷いた。超似合ってるぞ、と。

「そ、そうか?住みたい、住みたいか。…良し良し、パパスが何とかしようかな」
「大殿、馬鹿殿と謗られたくなければやめろ」

パパスと呼ばれる事に一切抵抗がない日本の支配者は、呆れ果ててお疲れ気味の遠野龍一郎の袖を頻りに引っ張った。見て見て、うちの子かっわゆいでしょ?と言わんばかりの表情に、俊江の実父は冷めた目をやめられない。
実の娘ながらどの角度から見ても可愛くは見えない龍一郎は、然し懸命にも口を噤んだ。昔から娘も欲しかったと嘆いていた帝王院夫妻が、それを叶えられなかった事を知っているからだ。

「シエちゃん、あそこに見えるのが4面のテニスコートで、あっち側がフットサルとバスケットが出来る屋外コートだ。バトミントンなんかも出来るぞ」
「緑がいっぱいで気持ち良さそうざますん。あっちの四角い建物は、なーに?オープンテラスみたいなテーブルと椅子がいっぱい」
「あれはアンダーラインだな。地上から見えている部分はほんの一部、一階は中等部学舎だよ」

窓が一つもない巨大な正方形の建物は、地下を張っているアンダーラインの西部分だ。スコーピオ時計台からも程近く、ヴァルゴ庭園からその外壁を見る事が出来る。基本的には庭園の木で覆われており、並木道や校舎周辺からは見えない造りだ。
飛び出している一階部分には駿河の言葉通り、本校中等部数百名が学んでいる教室がある。此処から見えるアンダーライン屋上部分は、グラウンドと体育館が並んでいるほか、生徒が勉強をしたり軽食を採ったり、外の空気に触れながらリラックス出来る様に作られたデッキもあった。
初等部までは完全給食だが、中等部からは生徒の自主性と生活力を鍛える為に自炊制度を推奨しており、アンダーライン内の食堂も利用出来る様になっている。

「はァ、それでこの学園の子達はしっかりした子が多いのねィ。見た目が派手な子が多くてアレな気もしたけど、ちゃんと挨拶が出来るし、パヤトスはイケメンでカナメちゃんは美人で節約上手で、イチ君は嫁に欲しいくらいだしィ」
「何?そのパヤトスとカナメちゃんと言うのは、パパスよりイケメンなのかシエちゃん?イチ君と言うのは誰だ、俊に嫁はまだ早いとパパスは思いますよ」

アンダーライン地下には中等部の寮と初等部の寮が併設されており、初等部の生徒は地下一階と二階を贅沢にワンフロアに作り替えられた、文字通り地下都市の様な空間で過ごす。
多感な時期に中等部・高等部の生徒の影響を受けすぎないよう、配慮した形だ。

「パヤトスはモデルやってるらしいわょ!テレビはつけちゃうとぷよぷよの誘惑に負けちゃって、あんま観ないんです。新聞は天ぷら用に隣の斎藤さんから毎日分けて貰ってるから、ニュースを見逃す事もないもの」
「ぷよぷよ?天ぷら?」
「あー!私だってイケメンな息子が欲しかったァ!」
「何を言うかシエちゃん、俊は男前だぞ!」

孫馬鹿のレベルをカンストした駿河の叫びに、頷いている龍一郎を除く全員が沈黙した。脇坂が至っては、確かに男前だが極道の世界での基準だと思っており、俊の見た目は一般向きではないと言う評価だ。
殆どの輪郭が秀皇そっくりなのに、いかんせん目付きが母親の完コピーである。中身がうさぎの様な男でなかったら、今頃何度か刑務所にぶち込まれていても可笑しくはない。

「流石に俊は男前ではないだろ…。男前っつーのは、うちの若みたいな男の事だ」
「脇坂、テメェは心の中だけで殺す。確かにおまわりの息子はめちゃイケメン」
「おまわりの息子?シエちゃん、秀皇に飽きているのか?我が息子ながらアレがアレだが、シエちゃんを心から愛しているんだ!捨てないでやってくれ、この通り、頼みます…!」
「やだ、俊江はシューちゃん一筋ですのょ?他のイケメンは脳内で攻めと受けに分けゴホッ」

しゅばっと土下座した駿河に、旦那オンリーラブの嫁は高速で首を振った。自分を嫁にしてくれる様な物好きは後にも先にも旦那だけだ。

「シューちゃんはエロ過ぎる所がおっさん臭い以外は、昔から変わらずイケメンな旦那様ざます」
「エロ過ぎる、だ…?駿河、貴様の息子は人の娘に何を仕込んでいる?!」
「すまん、私の教育が悪かった」

可愛くない娘と言え、娘夫婦の下ネタは知りたくなかった鬼が目を吊り上げる。帝王院財閥会長は真顔で土下座した。どちらかと言えば性方面に疎かった駿河は、妻が病弱だった事もあり、結婚後も淡白な男だったのだ。
息子がナニをナニしたのか、想像も出来ない駿河は冷や汗が止まらない。恐ろしい龍一郎の睨みを前に、心臓が止まりそうだ。

「あらん?あれ、まー君じゃない?ちょっと親父、もしかして外科部長も来てンの?」
「何?」

心筋梗塞を起こしそうな窓辺の駿河を心配した嵯峨崎嶺一が駆け寄り、廊下のソファを運んできた零人が駿河を座らせる。その時、遠野親子が窓の外を眺めていたのでつられて外を見やった零人は、おっと目を丸めたのだ。

「あの美味そうな体つきは、榊じゃねぇか…」

つい呟いた零人の台詞に瞳をレインボーに輝かせた女は、しゅぱんと窓を開けて顔を外に出した。落ちそうな気配に慌てて俊江の腰を掴んだ零人は、

「まーく〜ん、榊雅孝くーーーん、あたしはここよ〜」
「は?!」
「シエ!」

階下を覗き込みながら叫ぶ背中の真下、カルマTシャツで目立ちまくっている榊が見上げる小さな人影より遥に上、校舎から突き出たクレーンの上、何処かの窓から顔を出している男を見たのだ。

「ゼロ!貴様、この俺の妻に覆い被さるとはどう言う了見だ…!次第によっては嵯峨崎ごと潰すぞ、間男が!」
「誤解に決まってるでしょうがマジェスティ!アンタそんな所で何をしてんスか?!」

にゅにゅにゅっと、秀皇の隣に次々と顔が飛び出してくる。
零人が頭を抱えたのは、もぐら叩き宜しく顔を出す中に、初代左席委員会会長も含まれていたからだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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