帝王院高等学校
真ん中と左側が痒いんですっ
赤子泣いても蓋取るな、古代から伝えられた台詞を繰り返し呟きながら、しゅんしゅん吹き零れる圧力鍋の空気口を凝視する男が見える。


指輪にブレスレットだらけの両手を組み、顎を乗せて至極深刻そうな表情だ。



が、何故かそのカラコン入りの双眸に涙が滲んでいる。
ダイニングテーブルには開いたままのキラキラな携帯があり、彼は決してそれを見ようとしなかった。





To: イチ
subject: さようなら

中央委員会、紅蓮の君。
チミを僕の敵と認めます。
今日限りで離婚にょ!実家に帰れ!
あっちいけー。





「………」

確かに、紛れもなく嵯峨崎佑壱は中央委員会生徒書記だ。然し、戸籍上も今現在の身の上も間違いなく独身であり、婚姻届けを生で見た事など30回くらいしかない。

いや、今まで付き合って来た彼女が必ず持って来るのだ。佑壱が18になったら、と、その度にゴニョゴニョ言っていた様な気もするが、毎回握り潰して灰皿の中でキャンプファイアしてやったので、傷付いたのは佑壱の戸籍ではなく女性のハートだろう。



「………」



さて、対総長以外にはどうしようもなく俺様な嵯峨崎佑壱は、繰り返す様で誠に申し訳ない限りではあるが、中央委員会生徒書記である。
一回しか執務室に行った事が無くとも、副会長以上に仕事しない不良書記だろうとも、指にレッドラインのシルバーリングが輝いている限り、いや、黄昏の紋章が輝くバッジを与えられた限りそれは揺るぎない事実なのだ。



「…クソが」


例えそれら全て投げ捨てようと、背中に翼を刻む限り逃げられはしない。





『─────馬鹿な子。』



揶揄う様な、同情する様な、日本のものではない言語で囁く声を思い出した。



『…自ら羽を求めるなんて』
『そんなに嫌なら、逃げる?』



『日本へ逃がしてあげようか』



『但し、今度は嵯峨崎の名前から雁字絡めになるだけ…』
『ゼロは貴方を守ってくれない』


『違う、…守れない』



『レイもそう』
『ノアからは誰も、…逃れられない』



父親と兄の右胸に刻まれたクリムゾンフェザー、それが意味するものから逃れられはしないのだ。





『お前の自由と引き替えだ、佑壱』





ノア=グレアム。
イギリスとフランスの混血である、天才一族。付き従う事を義務とされた嵯峨崎の血が流れる限り、いや、それがなかろうと自分は、永遠に。
束縛されたまま、死ぬまで。





「………赤子泣いても、蓋取るな。」

吹き零れる蒸気を眺め、泣いているのはどの『赤子』だろうかと、

「Shit、…まだ5分もあるじゃねぇか、ハゲ」




  ─────苦く目を伏せた。



















「随分、…物々しい痕を付けられたな」

聞き慣れた声音に眉を寄せ、壁に預けていた背を離す。
先程までエレベーターに乗り合わせていた男と大差ない長身の、色素が全く存在しない白髪を一瞥し鼻を鳴らした。


「今まで命の危険に迫られてた俺に、慰めの言葉はねぇのかよ」
「新しいプレイの一環なら、慰めは無用じゃないか?」
「サドプレイは好きでも、俺がマゾる趣味はねぇよ。…イースト」

睨み付ける様に見やれば、僅かに高い位置から不思議そうな眼差しが注がれてくる。

「静かだな。誰も戻ってねぇのか?」
「戻ろうにも、こう複雑に稼働されてしまえば未知の世界と変わらない」

二葉から命じられた言葉を秘めたまま、無人のフロアを見渡した。自治会役員の部屋が並ぶフロアは大抵物静かだ。このまだ奥に中央委員会役員の部屋が並び、最奥の螺旋階段が執行部三役、副会長以下閣下クラスの寮室へ続く。

「はっ、通い慣れた帝王院で迷子か。…ま、エリアマップが公表されるまでの辛抱だな。もうじきお達しが来るだろ」
「ああ」

神帝の部屋だけは、誰も知らない。
いや、日向や二葉ならば知っているだろうが、中央委員会だろうが下位の役員でさえ知らない特別機密だ。


「で、ンな所で何してたんだ、お前」
「業務整理。ティアーズキャノンが動いたから、図書館の調整を必要とされてしまう。今回は今まで隣接してた司書室と図書館が引き離れてしまったんだ」

だから随分重そうな段ボールを抱えているのか、と息を吐く。この男の何処に不安要素があると言うのか。

「何でリブラに居るんだ。図書館はティアーズキャノンだろーが」
「エレベーターが途中で動いた。どうやら、陛下は時差式でエレベーターを切り替えたらしいな。まさかリブラまで動かすとは思いもしなかったが」
「下手したら敷地内全域リフォームされてっかもな」

校舎内部だけで20は存在するエレベーターを、一つ一つ一般生徒に気付かれない様なタイミングで切り替える、などと言う芸当は普通ならば数日は頭を悩ませる。
組み合わせだけならまだしも、そのシステム操作がまた曲者なのだ。

「キャノン内部の分割数は離宮を併せて300、300のエリアを何万通りと言う組み合わせから確実なものを選ぶ。…陛下でなければ、こうも容易に出来ないな」
「ま、白百合閣下なら一時間懸かんねーくらいで遣り遂げそうだけどな。あの人、IQ220らしいぜ」

下手に動かせば歪んだパズルだ。
ただでさえ、五つの塔を組み合わせた巨大な建築物の内部が稼動する、などと言うだけで想像を絶するものだが、そのシステムを編み出したのが初等部在学中の帝王院神威だと言うのだから、最早感心を通り越して呆れてしまう。


「光王子閣下も大差ないだろう。あの人は勉強嫌いと言うだけで、本気で取り組めば帝君も夢じゃない」
「あー、王子様か…」

喉を無意識に押さえた。
東條の目が揶揄を滲ませ、ゆっくり覗き込んでくる。


「熱烈なマーキングだ」
「真面目な面で皮肉抜かすなや」
「殿下の機嫌を損ねたのか?」
「…聞いたぜ、テメェ俺が寝てる間に変装してステージに上がったらしいじゃん」
「変装ではなく扮装だ。殿下直々の命は断れない」
「ふん」

自分の頼みは断った癖に、と目を細めて鼻白む。
自治会副会長の座でさえ『身に余る』とのたまって断った癖に、中央委員会副会長に変装するとは、幾ら命令でも腑に落ちない。

「良くやったな。どんな挨拶したんだ?無愛想なイースト副会長殿。」
「慣れない場に動転して、…挨拶抜きで退去した」
「だから図書委員長なんざやめて、副会長に収まっときゃ良かったんだよバーカ」
「雑務に追われているくらいが、青春らしいだろう?」
「マゾだな、お前」

肩を竦め笑った男が歩き始めるのを何とも無く追い掛け、不意に口を開いた。



「そうだ、…またサクラちゃんがうちの兵隊に近付いたぜ」
「…アイツには困ったもんだ」
「今までは幸い、お前の幼馴染みだって知ってる奴ばっかだったからな。分が悪い事に今回ばっかは俺が出る羽目になっちまった」
「何だ?」
「下の奴らがサクラちゃんに悪戯仕掛けやがったんだよ」


片眉を跳ね上げた相棒に呆れ混じりの笑みを零し、


「ま、助ける代わりに俺が軽く苛めて、二度と俺らに近付かないよう教育してやるつもりだったんだがなぁ」
「世話を掛けたな」
「そうでもないぜ?面白いもん、二つも見付けたからな」
「面白いもん?」
「一つ目はカルマの陛下サマ。」

流石に驚いたらしい東條に満足し、今更ながら顎に手を当てる。

「間違いなく本人だぜ。この俺があの糞生意気な面ぁ忘れる筈がねぇしな」
「然し、何故帝王院に?」
「さぁな、どうせ嵯峨崎辺りが呼んだんだろうが、…どうも腑に落ちねぇ」
「何?」
「一年の生徒と一緒に居た。然も、名乗るに事欠いて『左席』だとよ」
「─────まさか。」

抱えていた段ボールを落とし掛けた長身に一瞥を与え、螺旋階段の裏にある壁に指輪を向ける。
隠れたエレベーターが扉を開け、乗り込んで腕を組んだ。


「左席副会長が決まった、っつーのは聞いてたが」
「ああ、副会長は自ら名乗りを上げたに過ぎないが、今季左席委員長に一年帝君である天皇猊下が着任したばかりだ」
「うちの陛下が承認したなら、理事会が認めた様なもんだからな」

段ボールを床に置いた男が暫し何か考え込む様に視線を伏せ、短い静寂が訪れる。



「カイザーが何を企んでんのかは、ま、良い。所詮カルマなんざに興味ねぇし」
「…見たのはいつだ?」
「サクラちゃんを助けにやってきたヒーロー気取りと一緒に、だ。ま、当のヒーローは痛くも痒くもないパンチ二つで立ち去ったけど…」
「桜がカイザーを見たのか?」
「っつーか、皆で仲良くどっか行ったぜ。…ん?そう言えば、最後に何か眼鏡二号が居た様な…」

元々余り饒舌ではない東條が沈黙し、重々しい空気に肩を竦めて手を叩く。



「ンなつまんねぇ話題は後だ、後。俺はこの話よりもっと語りまくりたい話があんだよ」

聞け、と言う無言の重圧を受け首を傾げた白髪は、横柄な相棒に慣れているのか気を害した様子はない。

「マジで欲しい相手が出来た」
「お前に?…新しいセフレか?」
「違ぇ、ま、最終的にはそう言う関係にするつもりだけどな。マジっつったらマジだ、本気で手に入れてぇ。…あの強気な目が堪んねーんだよ」
「?」

怪訝そうな相方には目もくれず、思い出すのは眼鏡の下から覗く真っ直ぐな双眸。



「初恋だ、俺はこう言うトキメキを求めてたんだ」
「ロマンティックな場面で悪いが、五股六股当たり前だった男の台詞かそれが。今夜も予定があっただろう?」
「切るぜ、一切合切。俺は見た目通り、こう、何だ、アイツだけの白馬の王子になるんだ…」
「王呀の君、…頭は確かか?」

中々に失礼な東條清志郎を横目で睨み、然し西指宿はその爽やかな美貌を綻ばせる。



「山田太陽、さっき調べたらもう、アイツだけこう、花が散ってんだよ」

それをカルマの面々が聞けば、幻覚だと口を揃えたに違いない。

「殴られた瞬間ビビっと来たあの感覚が忘れらんねぇ」
「やはりマゾの気があったか…」
「組み敷いて泣いて許しを乞わせたら、………ヤベェ、想像しただけで勃ちそー…」
「サドには違いない様だが」

何処となく前屈みな高等部生徒会長を無表情で眺め、目的地に停止したエレベーターから西指宿だけが降りる。
図書館フロアへ向かう東條はまだ降りはしない。



「イースト」

閉ボタンを押し、緩やかに閉まるドアの向こうで振り向いた背中を見た。



普段の巫山戯た表情を引き締めた男が、最後に。






「今年もうちの義弟がサクラちゃんと同じクラスらしいぜ?」


表情とは裏腹な、そんな世間話の様な言葉を聞いたのだ。





閉まり切ったエレベーターが緩やかに動き出す。密室空間だが、帝王院内部では迂闊に独り言も許されないのを知っている。
何処に盗聴器があるか、何処にセキュリティカメラがあるか、把握しているのは理事会か中央委員会くらいだろう。





「……………」


どうやら、このまま1人で活動するには限界が近いらしい。
右手中指に輝く指輪ではなく、スラックスに隠し持ったもう一つのリングを取り出し、密かに笑みを零す。



「シークレットライン・オープン、コード『オーガの隣』より、…『セーガの君』へ繋げ」
『了解』



中央委員会すら管理する事が出来ない回線を開けば、そこに『天』は現れる。



『やあ、忍者その一。今ちょっと忙しいから、手短にしてねえ』
「仰せのままに、─────星河の君」


星、天に輝く無数の輝き。
それが意味するものに実の兄ですら気付いていないのだから、


『堅っ苦しいなあ、相変わらずー。で、イーストが隼人くんに何の用かなあ?





  …新旧左席委員会議でも始めたいの?』



どちらがスパイだか、知れたものではないだろう。

←いやん(*)(#)ばかん→
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