帝王院高等学校
脅されたり騙されたり人生は珍事件!
「どうして私は、男子じゃなかったのかしら…」

夜の澄んだ空気を、ほんのささやかに燻らせる呟きを聞いた。
縁側と呼ぶには広大な、元は神社の名残で迷路の様な造りの屋敷は、母屋から離れると途端に静寂を招く。

「まだ3歳の刹那さんが私を指差して言うの…。叔父様が出ていってしまったのは、私が産まれたからだって…」

儚い声音だ。
精霊に語り掛ける祝詞が響いている母屋とは別世界、虫の音も聞こえない。

「んー?跡継ぎの事、誰かに何か言われた?」
「いいえ…誰も何も言わないわ…。………お父様もお母様も、こんな私を大切に慈しんで、とてもとても愛して下さっているもの…」
「こんな、と言う言い方は良くないな」

ああ。
嗅ぎ慣れない匂いがすると思えば、南蛮渡来の赤いお茶の香りではないか。

「貴方、以前から感じていたけれど、本当に素敵な殿方ね…ふ…ふふ…。お父様と話しているみたいに、夜空が静かに感じるもの…」
「俊秀様はどんな方なんだ?」
「見たまんまだよお?奥さんに頭が上がらなくてえ、従兄弟を黙らせる事も出来なくてえ、あは。火霧様の出来損ないの娘なんか娶るから、首を絞めるんだねえ」
「おい、もう少し言い方があるだろう…」
「私…お前は心の底から嫌いだわ…冬月龍流…っ」

ずぽっと、紅茶のお伴にしては似合わないスルメを右隣に座る男の鼻に突き刺す、今年16歳にはとても見えない小さな背中が、しゅばっと立ち上がる。

「黒は高貴な色よ!私は夜が嫌いではないけれど、月は一等嫌い…!お前の様に静かな黒を汚す、穢れた光は大嫌いっ」

ひらりと舞うスカートから細いふくらはぎが見えたが、盗み見ていた自分が狼狽えてどうすると頭を振った。

「あは。何でかなあ、僕って皆から嫌われるんだよねえ」
「…お前の場合は自業自得だ、諦めろ冬月」

全くその通りだ。何故と尋ねるだけ不毛な質問に、こっそり眉を跳ねる。然し嫌われる事など何とも思っていない強かな男は、ずびずびと行儀悪く茶を啜った。

「嫌いって言ってる割りに、僕の顔をじっと見てるよねえ。なーに、この顔は姫様のお気に入りだったりする?」
「…顔だけよ。ばさばさと烏の羽根の様な醜い髪も、ずんだれた格好も嫌い」
「冬月は容姿で騒がれるのが苦手だからな。見た目を清潔に保つのは義務だと言っているんだが…」
「あは!軍医の汚さなんてこんなもんじゃないよー?僕なんてねえ、まだまだひよこさんだもん。あは」
「…ねぇ、貴方は何故こんな男と友人で居られるの、遠野さん…?貴方と龍流じゃ月とすっぽん…いえ、星と素頓狂よ…」
「すっぽんと素頓狂、どっちがよいか難しい問題だねえ星夜君」
「お前は黙っていろ冬月、話をややこしくするな」
「私は…女学院を初日で辞めてしまったのに…」
「それはまた、どうして?」
「あは。友達が出来なかったんだよねえ?」

飛び出して行って殴ってやろうかと思ったが、そんな事をすれば隠れて聞いている事を知られてしまう。年上とは言え、冬月龍流の歯に衣を着せない言動は、男に対しては我慢出来るが女子供に対しては余りにもえげつない。

「何か変なものが見えるとか言っちゃったんじゃない?駄目だよお、そう言うの普通の人は嫌がるからねえ。僕はよいけどさー」
「…っ。見えるものを見えないとは言えないわ!」
「いい加減にしろ冬月、お前はもう部屋に戻れ」

近々強めに叱っておくべきかと、叶芙蓉は気配を絶ったまま微笑んだ。京都の男は怒りを微笑みで覆うのが美学だと、芙蓉は信じている。

「はいはい、星夜君が怒ったから帰るねえ。…あ、そんな事より姫様、江戸に行く覚悟は決まった?」
「それを聞く為に、お父様のお誕生会を抜け出したの…?」
「女学院にも満足に通えない世間知らずな姫様がお屋敷に閉じ籠ったまんまだとお、僕はよいけど、皆が困るんだよねえ。宮様の誕生日の度に京都に来なきゃなんないしい、はあ。遠いんだよねえ」
「ふふ…冬月ィ…、お前に災いが降り掛かるだろう…ふ…」
「…雲雀さんも、そろそろ戻った方が良い。芙蓉が君を探しているかも知れないからな」

流石は、芙蓉が認めた遠野星夜は人としての完成度が高い。
龍流とは比べるまでもない、素晴らしい男性だ。然程年は離れていないが、人生の先輩として慕うに値する。もう一度言うが、龍流とは比べるまでもなく。

「十口…ふふ…十口ィ…」

ああ。
口が裂けても言えないが、その言い方は本当に不気味だ。気持ち悪い。

「江戸が東の京と呼ばれて随分経った…」

去っていく背中を見送りもせず、長い縁側に腰掛けたまま固いスルメを弄ぶ背中は、いつもより小さく見えた。

「京には妖怪が棲んでいるのよ。安倍晴明の残した恨みが未だ消えていないからだわ。…ふ、ふふふ…。そうね、お父様の力を継いだ私には見えているのよ…」

彼女は良く、人目がないと独り言を言う。
人目がないとは言え、悪い噂は忽ち広がるものだ。幾ら箝口令を敷こうとも、帝王院俊秀の一人娘である限り、良くも悪くも目立ってしまう。
彼女の性格がそれに耐えられるのか否か、幾ら心配しようと。

「帝王院を継ぐのは私ではないわ。…そうね、弟が産まれる筈なのよ。それなのにどうして、待てど暮らせど、弟はやってこないのかしら…」

寂しいのかも知れない。
誰からも受け入れて貰えない彼女は、否定される前に受け入れられる事を放棄して、好んで孤独を選んでいる。両親が未だに京都から離れられないのは、愛娘の事が心配だからだ。愛しているが故に、彼女自ら殻を破る瞬間を待ち続けている。
それが正しいのか否か、答えはまだ出ていない。

「隠れんぼしているの…?」

囁く声音と共に、小さな背中が振り返った。
小さな手にスルメを握り、しゅばっと突き刺してくる。きっちりとこちらを差して、まるで初めから判っていたかの様に。

「ねぇ、…そこにいるんでしょう?」
「こほん。気づいていらしたのであれば、もう少し早く呼んで下されば良かったのに」
「この子達が教えてくれたのよ。京都の精霊は、京都の殿方を好むの」

にこり。
重ったるい前髪の下、薄い唇が吊り上がる。普段からそうやって笑っていれば、少しは芳しくない噂も鳴りを潜めるものを。

「聞いていたでしょう。お父様もお母様も、東京へ移る事を望んでいらっしゃるわ」
「雲雀様のお心はお決まりになりましたか?」
「…私には似合わないわ。東京は夜でも明るい町なんでしょう?私は、京都の静かな夜が相応しい女よ」

賢い、大層聡明な女性だと思う。
わざとらしく奇人を装う必要などないのに、とても勿体ない。

「だから貴方は、私なんて守っていないで東京へ行くべき。…大学、受かっているんでしょう?帝国大学へ通える事はこれ以上ない名誉だと聞いてるわ」
「おやおや、誰が私の噂話などしているんでしょうかねぇ。暇人は何処にでも居るものです」
「どうか、焔伯父様の立場を考えて差し上げて。伯父様は雲隠に産まれた久し振りの殿方だっただけで、随分酷い言われ方をなさっておいでだもの…」
「ああ、雲隠が不要の烙印を捺され十口へ落ちたとでも?」
「貴方はこんな時も笑顔で、嬉しそうにお父様の悪口を言うのね」
「明治から名を改め叶と名乗ってはおりますが、やっている事は人斬りですからねぇ。死刑囚が出る度に刀を磨くのです。片腕だろうと、人の首を刎ねる事は出来ます」
「貴方が綺麗なのは、顔だけね」
「冬月龍流とどちらが上等ですか?」

揶揄う様に覗き込めば、目元を覆い隠す黒髪が風に揺れた。その短い沈黙は何を示すのだろう。

「…冷えるでしょう、部屋へお戻り下さい雲雀様」
「私が東京へ行くと言ったら、貴方もついてくるの?」
「お決めになるのは大殿です。私の一存では何とも」
「そう…」
「雲雀様?」
「十口よりもずっと酷い事を、榛原の小父様はなさっているわ。幾つも恨みを背負っていらっしゃるのが、私には見える」
「姫様。その様な話は、私以外に聞かせてはなりませんよ」
「知ってるわ、私を姫様と呼ぶ時は信じてないでしょう?でも良いの、貴方は嘘が下手なんだもの。龍流よりはずっと、嫌いじゃないわ」
「あの人と比べられるのは心外ですねぇ…」
「榛原が危険な目に遇わないのは、明神が守護だからなのよ。明神にはお父様の義理の妹様が嫁いでいかれたそうよ。巫女として社守になられた叔母様には、一度もお会いした事がないけれど…」

まだ部屋には戻る気がないらしい。
いい加減、子煩悩な俊秀が探しに来るのではないかと思ったが、多感な年頃の娘の気持ちを汲んでいる聡い奥方が側についているので、来客を放り出して席を外す様な真似はしないだろうと信じたい。

「お母様は今の私と変わらない年頃でお父様に嫁いでいらしたわ」
「ええ」
「お荷物でしかない私がお父様のお役に立つには、東京へ行って婿を迎えるべき。…判っているけれど、この世の何処に私を愛して下さる殿方が居るのかしら」

小さな、肩だ。
酷く寒々しく見えるのは季節だけではないだろう。そっと己の羽織を脱いで掛けてやれば、スルメを握ったままの手が、微かに震えたのが見えた。

「雲雀様は魅力的な女性でいらっしゃいます。誰もが、こぞって求婚の名乗りを挙げるでしょう」
「…ふ…ふふ…可笑しなものが見える女に…?」

帝王院俊秀の悪名は、彼の手腕で塵と化した。
今はまだ俊秀の娘と言う肩書きしか持たないこの娘も、その聡明な内面が知られれば、つまらない悪名など忽ち消える筈だ。

「この世には物好きが居ますからねぇ。あの龍流兄さんですら、ああ見えて頻繁にご婦人から言い寄られてらっしゃるんですよ?」
「…あら…そうなの。………物好きな女が居るのね…」

けれどそれを言った所で、ひねくれものは素直に納得しないだろう。この数年で雲雀の性格は、嫌と言うほど知り尽くしている。

「もし」
「もし?」
「この目が見えなかったら…普通の女学生で居られたかしら…?」
「馬鹿な事を言わないで下さい」
「…そう、私って馬鹿なんだわ。貴方みたいな綺麗な目をしていたら、良かったのだけれど」

小さな呟きを聞いた瞬間、手が勝手に動いた。
鋭い干物を躊躇わず己の目に突き刺そうとしていた細い手首が、白い手に握られている。ああ、これは自分の手だ。

「目に入れようとなさいましたね、姫様?スルメは口に入れるものですよ、はしたない」
「…手を離して頂戴」
「離しません。どうしても潰したいと仰るなら、私の目を差し上げますよ。ほら、」
「な、」

静かな。余りにも静かな晩秋の夜だった。
初めて触れた細い手首を握り締めたまま、乱れた黒髪から覗く円らな瞳が見開かれるのを見た。


「ふ、芙蓉さん…!あ、ああ、貴方、何て事を…っ!」

ああ、そんなに大きな声が出せるのか。
ずきんずきんと痛む左目を押さえたまま、血に濡れたスルメを手放して抱きついてきた体躯を抱き締めた。

「何事ですか姫様!」
「姫様っ、どうなさいました?!」
「助けて…!お願い誰か、芙蓉さんが、芙蓉さんが…!」

艶やかな黒髪が生える真っ白なワンピースが、真っ赤に染まっていくのを見ている。腕の中には震えながらも気丈に叫び続ける女と、その想像より温かい体温。

「これは十口の…!まさか、賊ですか?!」
「宮様を安全な場所に!姫様はこちらへ!」

ぼろぼろと、零れ落ちる透明な雫の何と美しいものか。
ああ、闇に潜むひょろりと長い猫毛の男が、ゆらゆらと笑いながら揺れていた。



ばーか、と。
狐の目の様に弧を描いた唇が音もなく呟くのを最後に、目を閉じたのだ。

(何故そんな馬鹿な真似をしたのかと聞かれても)
(答えられる筈がない)
(自分でも判らないのだから)
(人はしぶとい生き物だ)
(眼球を微かに傷つけただけで視力には然程影響はないらしい)
(目尻に深い傷が残ったくらいだ)
(長時間左目を開けていると傷口がひきつれて違和感がある)
(でもたった、それだけ)
(傷は一月もあれば塞がった)
(賊騒ぎで警戒を深めた屋敷の奥に)
(誰にも真実を話さないまま)

(姫君は籠の鳥)



「芙蓉でございます、雲雀様」

元々引き籠りだった彼女は、とうとう食事を運んでくる女中さえも遠ざけて、御簾の向こう。大好きな両親が面会を望んでも尚、寝台から出ようとしないらしい。
あの硝子細工の様な心に傷を負ったのだと、彼女を誰よりも愛している俊秀は心を痛めている。存在する筈もない賊を見つけ出せと怒鳴り散らしている勇ましい帝王院桐火は、来る日も来る日も娘を傷つけた者を殺す為の刀を磨き続けた。

「食事をお持ちしました」

賊など、何処にも居ない。
雲雀を傷つけた男であれば、自分以外に存在する筈がない。
冬月龍流は一部始終を見ていた様だったが、どうせ楽しがって黙っているのだろう。高見の見物は、賢い者の娯楽だ。

「いい加減出てこないのであれば、力ずくで中に入りますよ?」

たった簀一枚、隙間からこんもり丸まった布団の虫が見えるではないか。年頃の娘の寝台に無理矢理入り込む様な真似は、少なくともこの屋敷に住まう者はしない。
但し、芙蓉にその道理は通用しなかった。

「ほら、いつまで寝てるんです、か…」
「きゃっ」

流石の世間知らずな我儘娘も、男が女の寝具をいきなり引きずりあげるとは思っていなかったらしい。寝乱れた真っ白な浴衣から、柔らかな肌をあられもなく晒している娘の姿に硬直した芙蓉は、顔を真っ赤に染めて布団から手を離すと、光の早さで背を向ける。

「も…申し訳ありません雲雀様!ま、まさか襦袢しか着ていないとは思いませんでしたので、その、も、申し訳ありません…!」
「………見たわね…」
「ひ!な、ななな何も見ておりましぇぬ…!」

噛んだ。
ああ、情けないほど狼狽えているのが誰の目にも明らかだろう。つまり見てしまった事が、完全に露見してしまった。そりゃ見るだろう、控えめな膨らみが浴衣の合わせからぷにょんと飛び出していれば、健全な男であればそりゃ見てしまうだろう。

産まれてからずっと、十口一族が暮らす帝王院の離れの屋敷で育ってきた芙蓉は、長の息子とは言え、他の皆と同じ様に育ってきた。十口の者に男も女もなく、物心つく前から主人を守る為の鍛練を強いられる。
賢かった芙蓉を冬月に養子入りさせるべきだと言う話が出ても、頑として首を振らなかった芙蓉は、15歳で武道一般の免許皆伝を許されてから晴れて自由の身となったが、それまで色恋には縁遠く、学校へ通う様になっても年上の同級生に囲まれているので、同年代の下世話な話にも縁がなかった。

同じ年頃の雲雀の半裸など目にした日には、逃げ出したくても腰が抜けている。

「…どうして背を向けるの?ああ、見たくなかったのね…ふ…ふふ…女の体を勝手に見ておいて、見たくなかったなんて流石は十口…ふ…トクチィ…」
「ひ、姫、ひひ、雲雀様…!忘れます!芙蓉はこの両目を火鉢で焼いて忘れます…!お、お許しを…!」
「スルメを嫌いになってしまったわ」
「…は?!」
「貴方の綺麗な目を傷つけたスルメを、私は二度と食べないのだと思う」

ああ、成程。
普段から洋装を好んでいるのは、単に着物を一人では着付けられないからの様だ。
もぞもぞと帯を直していた筈なのに、普段から着物ばかり着ている芙蓉には考えられない格好を晒しているお姫様は、辛うじて引っ掛かっているだけの帯を両手で押さえている。外れそうなのだろう。

「人を呼んで参ります。お召し替えを…」
「嫌よ…。こんな酷い顔で誰にも会いたくないわ…」

確かに酷い。
何日も部屋から出なかったと言うだけに、異臭が漂っている様な気がする。冬場で良かった。夏場なら大惨事だ。

「…雲雀様、私が帯を直して差し上げますから、後ろを向いて下さいますか?」
「どうして狼にならないの?」
「はい?」
「龍流が言ったのよ…女が寝巻きで迫ると、男は忽ち狼になってしまうと…」
「ちょっと冬月家に火を放って参りますので、お待ち頂けますか?」

ふらっと立ち上がった芙蓉は東京を焼け野原にするつもりなのか、凄まじい目付きながら麗しい微笑を浮かべた。その袖をつつっと掴んだ女は、ふるふると頭を振っている。ああ、フケが散った。

「貴方が狼にならないなら私が狼になるわ。望まない結婚なんて、ありふれているのよ。諦めなさい」
「話が見えないんですが、それも龍流兄さんが言ったんですか?何がどうなったらこんな事に…」
「貴方と結婚するにはどうしたら良いか、相談したの」
「…はい?!私と、雲雀様がですか?!」
「そうよ」

賢い賢いと言われ続けた男の頭がパンクした。
煙が出ていそうな表情で硬直した男は、鉄壁の愛想笑いを忘れてフリーズしている。再起動までには暫く懸かりそうだ。

「貴方が東京に行くなら私もついていくわ。でもそうなると、私は見知らぬ殿方との縁談を受けなくてはならなくなる。結婚するなら遠野さんの様な素敵な方が良いのだけれど、あの方には許嫁がいらっしゃるのよ。そして顔が…私の好みではないの」

とは言え、龍流だけは絶対に嫌だと帝王院雲雀はきっぱり吐き捨てる。どうやら灰皇院内部では、早くから年頃の近い冬月龍流と帝王院雲雀の縁組みが話題に上っている様だ。

「冬月の小父様は、虎視眈々と榛原の後釜を狙っているわ…。今、東京の屋敷を任されているのは榛原だそうね。同じ関東で暮らす冬月には、面白くないと思うの」
「…た、確かに、この数年で冬月は皇の裏切り者扱いを受けています。帝王院の守護であるべき立場でありながら、宮様より先に東京を掌握しようと働き掛けて居ましたからねぇ…。榛原様がそれに気づいて冬月を牽制する意味でも、東京に拠点を置かれたのですよ」
「だったら、私が龍流と結ばれてはならない筈よ。無駄な争いを招きかねない」
「懸命なご判断でしょう」
「だから私と結婚しなさい、芙蓉さん」
「…何故そうなるのか」
「明神にも雲隠にも独身の男は居ないわ。榛原と冬月は論外よ、あんなに恨みを背負ってる家とは縁を結びたくないもの」
「十口ですよ?十口は宮様の為に生きる駒、姫様と結納など交わせる筈がありません!」
「そうね、龍流もそう言ったのよ」

こくっと素直に頷いた女が御簾の向こうへ出ていくのを追い掛ければ、畳の上に置き去りにしていた食膳の前にちょこんと座っている。

「おや。素直ですねぇ、食べるんですか?」
「腹が減っては戦は出来ないもの」
「何と戦うつもりですか…」
「食べたらお風呂に入れて下さるかしら」
「はいはい、………何ですって?」
「暫く寝たきりで過ごしていたから、体が動かないの」

ぼさぼさの黒髪の下、にたりと笑った唇に米粒をつけた女に「嘘つけこの野郎」とはとても言えず、徐々に腹が立ってきた芙蓉は何でも来いとばかりに大きく頷いたのだ。
裸を見られて恥じらうのは普通、女性の役目だ。男の自分が狼狽えてどうすると心の中で念仏を唱え、叶芙蓉は悟りを開いた。

「隅々まで綺麗に洗って差上げますよ、姫様」

然しその考えが甘かった事を、直後に思い知ったのだ。
娘が漸く食事をしたと聞きつけて風呂場へ飛び込んできた素っ裸の帝王院桐火が、自棄糞で雲雀の体を泡だらけにしている叶の嫡男を目にして、日本刀を振り回した時に。

「おのれ十口芙蓉、貴様は我が娘を汚しおって!」
「おおお落ち、落ち着け桐火、服を、出ていく前に服を着なさい桐火…!」
「退け俊秀…!俺は、俺は芙蓉の首を落とすまで止まらんぞ!」
「グフッ」
「宮様ぁあああ!!!」
「誰かぁあああ!み、宮様が桐火様に斬られたー!!!」

斯くして訳が判らないまま牢屋にぶちこまれた叶芙蓉は、ほっかむりを巻いた変態…否、帝王院雲雀に救出される事となる。
囚われの姫を助けに来た王子様にしては不審な姿のほっかむりは、どや顔で宣ったのだ。


「ふ、ふふ…トクチィ…。このまま死刑にされるか私と結婚するか、どちらを選ぶのかしら…?」

それは明らかに、脅迫だった。

















「はいはい、いつまで泣いてんのさ」

膝を抱えた背中が小刻みに震えながら、ぐすんぐすん鼻を鳴らしている光景を横目に、何だか少し体が大きくなった様な気がした山田太陽は持ち上げた両手を握っては解いた。
ほんの僅かだが、やはり先程より大きくなっている気がする。

「あのね、俺は二葉先輩が嫌だって言ってるんじゃないんだよ?」
「…言った!アキが俺を振った!」
「だーかーらー、振ってないっつーの。いつまでもグズグズ泣くと、興奮するやないか〜い」

真顔で小首を傾げた太陽に、今より若干若い叶二葉は涙に濡れる眼差しをはたりと丸めた。輝かんばかりに平凡な顔立ちの太陽を暫し凝視し、大量のはてなマークを飛ばしている。二葉の想定を遥かに越えた事態の様だ。

「あのね、さっき結婚出来ないって言ったのは、ちゃんと事情があるんだよ?俺は15歳だけどさー、今のお前さんは12歳なんだよね?」
「外見は12歳」
「うんうん、その頃の二葉先輩が最も理性的だったんだよね。最近の二葉先輩は体だけ17歳で中身はお子様だった、と」
「何か…すみません」
「いいかい、ネイちゃん」
「は?」
「12歳は結婚出来ないんだよ」

神妙な面持ちで呟いた太陽に、二葉は真顔で瞬いた。
確かに外見は12歳だが、中身は今の二葉と同じなのだ。本能だけで迸っているも同然な叶二葉17歳は、こちらの二葉に言わせればただの変態である。自分で言うのも何だが、太陽の痕跡が残るあらゆるものをパクっていく自分に素直な自分など、今までの二葉では考えられなかった一面だ。
我慢する事には慣れていたと思っていただけに、ほんの少し理性を失っただけで我慢する事を放棄し、果てにはどや顔で太陽への愛を叫びまくる有様だ。

あの場にいたカルマは一人残らず消してしまわなければならない。西指宿に至っては殺すまでもない雑魚なので、奴は少々苦しめて苦しめて苦しみ抜いて殺してやろうと思っている。
何せ西指宿アホヒは、二葉の大事な太陽を押し倒したのだ。元を正せば自分の所為だが、叶二葉に己の失態を認めるキャパシティはなかった。

「大体、12歳なんて…!手を出したら捕まっちゃうじゃんか!」
「アキ、少し落ち着こうか?」
「そんな可愛い顔して誘惑しないでよ、小悪魔さんめ…っ!俺が、俺が狼さんになったら、お前さんはどうするつもりなんだい?!」

本気で自分を疑っているらしい太陽には悪いが、寧ろウェルカムハニーである。然し二葉が両腕を広げる前に、ぶんぶんと頭を振った太陽はきりっと眉を吊り上げた。その勇ましい姿は一秒しか保たなかったが、二葉は漏れなく胸きゅんする。
カメラを持っていたら確実にフィルムが尽きるまで連写しただろう。

「泣いて嫌がるネイちゃんを、俺って奴は無理矢理…!何てこったい、二葉先輩の鼠径部がエロい所為でっ」
「鼠径部」
「はぁはぁ」

何と言うマニアックな部位なのか。
妄想内で二葉を「あーれー」な状態にしてしまったらしい平凡は、半狂乱で髪を掻き毟る。彼の大事な毛が数本散ったが、気づいてはいないらしい。
抜け毛を拾おうとして手を伸ばした二葉は、はたりと我に返って頭を振った。理性が欲に負けてどうする。なけなしの理性が消滅してしまうのを回避する為に此処まで逃げてきたのに、太陽にとどめを刺されて本能剥き出しの野獣になりましたでは、理知的な女神とまで謳われた白百合の名折れだ。

「もう駄目だ…!俺は俺を許せないよっ」
「お前さんの中で俺はどうなったんだ、鼠径部にぶっ掛けられてんのか?」
「は?!俺は先輩に何をぶっ掛けたんだい?!涎?!」
「その質問に答えたら辛うじて残った理性が死にそうな気がするのでノーコメント」
「いいかい、二葉先輩…!俺に犯されそうになったら全力で逃げるんだよっ」

逃げる訳ねぇだろうがと思いながら、二葉は笑顔で頷いた。普段鉄壁の愛想笑いで晴れやかに嘘を吐きまくるのは、叶二葉と言う男のスタンダードである。天下の二枚舌、だからこそ悪魔とも誉れ高いのだ。
ほっと息を吐いた平凡は童貞故にコロッと騙され、よしよしと二葉を撫でている。何となく兄貴面だ。

「二葉先輩をお嫁さんに貰う為にも、ネイちゃんをちゃんと17歳の体に戻してあげるからね…?」
「判った、頼りにしてる」

まさか12歳当時で既に童貞ではなかったなどとは口が裂けても言わず、うっとりと二葉は頷く。叶太陽だろうが山田二葉だろうが、何なら榛原二葉だろうが、この際どうでも良いのだ。
理性とは理知的なものである。つまり、悪知恵とは理性が働かせるものなのだ。

「ふ…ふふ…ふふふ………アキが手に入るなら、手段は選ばない…」
「ネイちゃんもこう言ってる事だし、やる気が出ないとか言ってらんないよねー。どうにか俺の業より大きな魂になって、俺の体を取り返してやる…!こんな所で諦めたら、俺の中折れだよ!」
「…アキ、それ意味判ってる?」
「え?チンコが折れて男として使い物になんなくなるって意味だろ?転じて、駄目男になるって事じゃないの?」
「成程」

耳年増な童貞は国語も弱い様だが、流石にそのフレーズはテストに出ないだろうから、訂正はしないでおこうと思う。

「アキは賢い。頼りになる」
「え、そ、そう…?えへへ、ネイちゃんよりお兄ちゃんな15歳だからねー」

太陽の股間が折れようが、二葉に立派なものがついている限り、特に問題はないからだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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