帝王院高等学校
どんな時でもいちゃつく事は忘れずに!
目の前で笑う赤いそれを見た瞬間、脳裏を埋め尽くしたノイズはまるで音楽の様だった。
自棄に鮮明な映像が見える。緋色の空、流れる小川に掛かる古びた橋の欄干、きらきらと。黄昏を帯びた何かが近づいてくる、気配。

けれど映像には音がない。
きらきら、きらきら、オレンジ色の世界で光を撒き散らしながら近づいてくるそれは、何だったのか。

「でもまァ」

(ああ)
(あれはまるで)

「『俺』の遺言なので、チャンスをあげましょう」


かちり、と。
何処かで音がした。



「弱者が弱者らしく足掻く様を、見せてごらん」













「俺は初めから知っていた」
「壊れた楽器は戻らない事を」

「壊れたオルゴールに価値はない」
「どんな五線譜を描こうと」
「弾けなければ無意味なんだ」


「歌えない『体』に意義はなかった」


「捨てよう」



「ああ、それでも俺は、知らなかったんだ」






「『銘』が、肉体に宿る事を」












「おーい」

まったり叫んでみた男は、闇に呑まれ木霊すら戻らない静寂にぱちぱちと瞬いた。そもそも空気以下の存在感だと言うのに、塵より小さなサイズになってしまった今、何以下の存在感と言うべきなのか。

「言ってる場合じゃないよねー」

山田太陽はまったり頷いて、彼の体の中で最も存在感があると言っても過言ではないデコを撫でた。

「野上君の曇りなき眼鏡のお陰で辛うじて生き残れたまでは良かったけど、俺の『業』って奴はしぶといなー。弱ったねー、このままじゃ俺の体が乗っ取られちゃうよー」

困ったなー、と言う呑気な声音は、然し然程焦った様子はなかった。世間話でもするかの様な平和な独り言に返事など期待してはいないが、いつまでも独り言を続けるのは不毛だろう。

「うーん。…あっちの異様に真っ暗な方向に、何故だか俊が居そうな気がするんだよねー。でもちょいと暗い、あんまりに暗すぎる」

夥しい程の星雲で埋め尽くされた夜空の向こう、ブラックホール宜しく墨を落とした様な漆黒の渦が見える。普通の人間であれば恐怖を感じずにはいられない、奇妙な冷ややかささえ感じた。
目を向ける事さえ躊躇われるのは、呑み込まれそうな錯覚に陥るからだ。

「魂剥き出しの俺にはハードルが高すぎる。うん、無理。無理ったら無理。魂ってのは理性なんだ。魂が空っぽだった昔の俺ならともかく、12年培ってきた理性が今の俺を作った様なもんだし、不可能を可能にする力はない!」

どや顔で断言した所で空しくなるだけだが、一人きりだ。誰に見栄を張る必要もない。
とは言え、夢を見ている様な今の状況では焦燥感を抱きづらいと言う問題があり、いまいち緊張感がないのだ。そしてそれを自覚しているのに、だからと言って己のモチベーションを上げられない事もまた自覚している。八方塞がりだ。

「桜には格好つけて大丈夫って言ったけど、何が大丈夫なんだか判んないとか今更言えないもんなー。うーん」
「ふーん、判らないの?」
「全く判んないんだよねー。本能だけで生きてた三歳までの俺と、理性ばっか育って尖ってた15歳の俺が混ざっちゃうまでは、脚本通りだった筈なんだよ。あ、脚本って言うのは俊が想像してた筋書きの事で、」

可笑しい。
独り言だった筈なのに、自分は誰に説明しているのだろう。左席委員会で最もキャラが薄いと思っている山田太陽は、まさか最もキャラが濃いと思われている事など露知らず、いつの間にか目の前でヤンキー座りしている男を見た。

「あ、イケメンだ」
「まぁな」
「そこ否定しろよとか、思ったり」
「馬鹿抜かせ、俺より綺麗な男が存在するか」
「凄い自信ですねー」
「まぁな。世界一の面食いに選ばれたんだ、謙遜する方が可笑しいだろう?」

無造作に顔に掛かる艶やかな黒髪の下、緑と蒼のコントラストが笑みを刻んでいる。現実世界には存在しない筈の男だ。けれど、その顔を見間違える事など有り得ない。

「お帰り」
「ただいま」

愛想笑いではない心からの笑みを浮かべた男の手が、真っ直ぐに伸びてくる。野上級長の眼鏡サイズの太陽を撫でられるのだから、微笑んでいる男もまた、笑えるほど小さな存在感だと言う事だ。

「白百合様に於かれましては、随分すり減られましたねー。俺がちっちゃな理性だとしたら、今の二葉先輩はどうですか?」
「俺と言う理性を放り出したんだ、さぞかしメンタルが鍛えられたんじゃねぇのか。形振り構わずお前さんへの愛を叫んでやがる、あの場に居た全員をぶっ殺したい」

成程、今の太陽が山田太陽と言う人間の理性の欠片である様に、目の前のいつもとは違う叶二葉もまた、彼自身の理性が象った姿なのだろう。

「へー、先輩でも恥ずかしさとか感じるんですねー」
「言葉に気をつけろ、俺は最後の理性だ。此処で死んだらどうしてくれる、世界に俺の本能しか残んねぇ事態に陥るぞ。本能剥き出しの俺がのさばったら、どうなると思う?」
「人類の危機とか?」
「山田太陽が叶太陽になる」
「マジかー。そもそもアンタの理性なんてカス程しかなかったですもんねー、良くその綺麗な顔が綺麗なまま残ったよねー」
「幾ら俺でも泣くぞ」
「うわ、打たれ弱くなってる。面白い」
「面白がるな」
「つーか誰に負けたんですか?俺はこの通り、俺に負けたんですけどー」
「聞きたいか」
「あーね、自分に負けたんですね」

そりゃそうだ、二葉に勝てる人間など二葉しかおるまい。
ふっと笑みを浮かべた太陽の前で、顔を覆った二葉が震えている。成程、叶二葉のメンタルはチワワ程度だったらしい。

「ごめんね、ネイちゃん。今まで何度か俺に殺され掛けたりした?」
「何度かなんてもんじゃ…」

じとっと睨まれたが、裸眼の二葉に睨まれても萌えるだけだ。

「マジかー。何言ってもニコニコしてたから、ノーダメージとばっかり思ってたよー」
「アキに対してのメンタルは六歳から育ってないので」
「一撃で倒せそうだねー」
「倒すな、泣くぞ」
「倒さないよ、叶太陽にされたら困るし」
「…困るだと?」
「ちょいと、その顔で泣くのやめて下さいってば!もー、俺の知ってる白百合は何だったんですかー、もー」
「B型のゼリーメンタル舐めんな」
「例えゴキブリが滅んでもB型は滅ばないんで大丈夫ですよ、ストレス社会に弱いのは俺みたいなA型です」
「嘘吐き」
「ひど!」

まったり二葉を撫でながら、やはり緊張感のない平凡はデコを掻いた。

「そんな事より先輩、何か若返ってません?」
「12歳の時の外見で固定されてる」
「何故に12歳」
「日本に戻ってきた時が一番張り詰めてたから?」
「何で?あ、もしかして俺に会えると思ったから?」
「違う。自分から話し掛けられなくて出来るだけ近くをうろついてたのに、誰かさんから全く気づいて貰えなくて愛想笑いだけ上手くなってた時だからだ」
「マジかー、8ペタくらい嘘臭い」
「ざけんな、8エクサくらいガチだ」

それはかなりの本音ではないか。

「俺に気づいて貰えなくて腐ってたんですか?」
「キノコが生えても可笑しくはなかった…。俺に生えるキノコは松茸だろうが…」
「おいおい、めげねーな。その割りには最近まで当たりが強かったよねー。今だから言わせて貰うけどお前さん、始業式典の時いきなりキスしてきたのとか確実に嫌がらせじゃん。誰が喜ぶんだよあんなん、三次元のフタイヨー派閥しか喜んでないっつーの」
「あれは助けたんだろうが、訳が判らん阿呆に気安く連れ去られやがって…」

確かにあの時、名前も知らない不良に抱えられていた太陽は軽く死ぬ覚悟を決めた様な気がしないでもないが、二葉が助けに来た時は固めた覚悟が吹き飛ぶ程には魂が抜けた覚えもある。
助けられたのかとどめを刺されたのか、今になっても尽きない謎だ。直後にファーストキスを奪われたと思っていたので、つい最近までわりと本気で二葉に殺意を抱いていた。

「あとあれ、廊下で俺のお尻に悪戯しようとしてくれやがったろ。冷静になって考えるとベッドの上で襲ってきた王呀の君より大分酷い」
「あれは、俺に何の断りもなく左席に入るから…」
「それって断る必要あるのかなー?」
「あるに決まってんだろうが。入るなら入るで俺も連れていけ」
「は?アンタ中央委員会役員だろ」
「そんなのはわりとどうでも良い」

きりっとした表情のイケメンは何処までもイケメンだったが、如何せん台詞はろくなもんではない。太陽は曇ったデコを押さえ、溜息を零した。辛うじて残った理性が磨り減りそうだ。

「…うん、わりと良くないよねー。お前さんに許可貰うくらいなら高坂先輩に貰うくらい白百合が苦手だったんですけどこっちは、か弱い後輩をネチネチ苛めやがってこの野郎、美人じゃなかったらメラゾーマで一万回は撃破してたかんな。寧ろメガンテで共倒れしてたかも知んないくらいだからな」
「良いか、今の俺に『苦手』と『嫌い』は御法度だ。メガザル唱えるぞ」
「メガザルって、アンタだけ死んでんじゃねーか。よっわ」
「ぐすっ」
「泣くんかい」

此処で二葉を苛め続けるのもそれはそれで楽しそうだが、幾ら普段空気以下の存在感がトレードマークの平凡とは言え、今や理性だけの存在に成り下がったので、本能的な行動は出来ないらしい。

「流石は俊の試練、弱者は舞台に上がる事も出来ないって事か。…あれ?それだと、何をもって強さを認められるんだろ?俊のさじ加減?…まさか、ね」

体が弱れば大抵は理性が本能に負けるものだが、これほど理性が貧相な二葉が今まで生きてこられたのは奇跡ではないだろうかと、太陽は思った。余計なお世話である。

「下手したらパーティー全滅もあり得る。うーん、さっきまでは願ったら何でも出来たのに、今は何も出来ないなー。俺が作ったパラメーターも見えないし」
「ああ、さっきまではあったけど確かになくなってる。俺は『魔王99』で止まってたけど、あれはどう言う意味だ?」
「極めすぎた性悪陰険最低男って事だよ、良かったね」
「…」
「つーか、ここに神帝が来てない所を見ると、アイツだけあの騒ぎで気を失わなかったって事かなー。無敵かよ、流石はラスボス」
「…あ?ルークがラスボス?」
「奴を倒したら俺と結婚出来るって言ったらどうする?」
「良し倒そう」
「驚きのちょろさ」
「ネックは、今まで何度か暗殺しようとして失敗してるって事だ。俺一人じゃ奴は殺せない…」
「ヤろうとしてたんかい」
「まぁな」
「皇最強の叶でも殺せないって、チート極めてんねー。やっぱ神帝にはシーザーをぶつけないと、無理かー」

此処が敗者の末路であれば、太陽と二葉以外はまだまだ生き残っているのだろうか。最後に見たのは、王様の冠とマントを装備した愉快な神崎隼人だ。あれが生き残っているのは何となく面白くない。

「帝王院同士の殺し合いとは、愉快だねぇ」
「あ、その悪い顔で笑ってるの可愛いねー」
「まぁな」
「他の皆はまだ気づいてないのかな、理性と本能がバラバラのままだとこっからは出られないって。二葉先輩みたいに単純なお馬鹿さんなら、さくっと自分を倒せるんだろうけど」
「蛇と蛙が出た」
「蛇と蛙?………三位一体、最後はもしかして、なめくじ?」
「さぁ?そう言えば、何か気色悪いヘドロが…」
「ヘドロ」
「思い出したくない」
「何か良く判んないけど、お疲れ様」

弱々しい二葉に胸きゅんしている場合ではない事は判っているが、理性と言うものは元来保守的な存在なのだ。本能がなければ人は行動しない事を思い知っても、行動力には直結しない。

「うーん。どうしたもんかなー」
「何が?」
「二葉先輩が可愛く見える」
「まぁな」
「ほらね、二葉先輩なんて理性だけじゃ使い物になんないもんね」
「ぐすっ」
「すぐ泣くし」
「ぐすっ」
「で、二葉先輩の業は何処にあるんですか?俺の体は、俺の業に乗っ取られちゃったんですけど」
「…業?」
「え?まさか知らないとか言っちゃう?」
「知らないも何も、業を負ってるのはカルマだけじゃないのか?」

どうも会話が噛み合っていない様だと瞬いた太陽は暫く考えてみたが、長続きしなかった。そもそもテスト勉強しなきゃと理性が囁き掛けても、本能のゲームしたいと言う囁きに負ける様な男だ。

「二葉先輩、俺の理性は先輩よりしょぼいかも知れない。本能に負けちゃう様なつまんない男だけど、許してくれる?」
「いっそ此処で結婚しよう」

緊張感のない太陽の台詞に、緊張感しかない表情で二葉は頷いた。

「ごめん、無理」

が、さらっと振られたそうだ。
















「ごめん」

「ごめん」

「弱い俺でごめん」
「人間になりたいなんて馬鹿な事を願ってしまう弱い魂で、ごめん」

「歌えなかったんだ」
「人の声帯を手に入れても俺は」
「世界を幸せにする様な歌を」
「どうしても」
「どうしても」
「歌えなかったんだ」

「縋る様に俺は」
「この体を産んでくれた人に願ってしまった」
「殺す方法を教えてくれ、と」

「…変な話だろう?」
「産んでくれた人に死ぬ方法を尋ねるなんて、酷い話だろう」


「彼女は言った。産んだ瞬間に死ぬ運命を背負わせてしまうのが、母親だと」
「だからこそ出来るだけ幸せになって欲しいと願うのだと」

「だから彼女は、俺に枷を与えてくれた」
「人には様々な制約がある」
「人には幾つも苦手なものがある」
「人には数え切れないほどのストレスがある」
「苦手なものが一つ増える度、俺は人に近づくのだと学んだ」


「苦手な食べ物」
「苦手な科目」
「幾つも」
「幾つも」

「幾つも」


「初めて『溺れた』日、俺は死ぬ方法を見つけたと考えた」
「その瞬間に、俺の体は分かれてしまったんだ」

「背負い続けた『業』と」
「歓喜に震える『魂』と」
「眠り続ける『体』の中で、その二つは綺麗に分かれている」

「一つは魔法使い」
「一つは人間」
「魔法使いは人間に化けた」
「人間は騎士になりたいと望み、皇帝を装った」

「『体』は空っぽだ」
「魂も業もない」
「俺が唯一手に入れた人としての器だけが」
「何の欲もなく、勝手に動いていたんだ」


「あの日、嵐が明けた四回目の誕生日から12年に渡って」









「自分を主人公だと思い込んだまま」













Prologue number unknown,
 To closed my eyes: 終焉の向こう側に告ぐ





「子供は大人より劣っていると誰が決めた?子供は穢れを知らず、無知であるが故に無垢であると、誰が決めた?」

静かな。余りにも静かな声だ。
たった今、笑う唇を見た様な気がするのに、それが現実だったのか幻覚だったのか、疑問に思う間もない。

「人とは命そのものであり命とは光にも闇にも染まる。陽が昇り緋に染まり、西へ西へと傾く陽光を追い掛ける様に、陽が沈むまで命は踊る」

この喋り方は良く似ている。
銀髪の皇帝、人でありながら神を謳われるあの男に、そっくりだ。

「彼らの描いた五線譜こそが符、彼らが負うべき『業』の全て」
「僕は使い捨てだったの…?」

呟いた女が笑う声を聞いた。
何が楽しいのか、ざばざばと水を掻き分けながらふらふらと歩いていく。

「助けが来たんじゃないか?」

遥か天井のずっと上から、真一直線に差し込む光が空間を貫いていた。まるで天使の梯子の様に真っ直ぐ、一部分を照らしている。刺す様に。

「大声で呼べば聞こえるかも知れないぞ」
「っ、高坂!何処で意識手離してんだよテメーは、起きろ!おい…!」
「罪の呵責が重ければ重いほど、理性のある生き物には耐えられない。理性を手放せば楽になれる、…そうだろう?」

光が消えるのと同時に、糸が切れた操り人形の如く膝をついた男を慌てて抱き止める。静かな、余りにも静かな声音で真っ暗な闇を支配している男の姿は見えない。

「過ぎ去った時の数だけ忘れていく。それすら人は気づかない」

日向が持っていたルーターは暗い暗い水の底、微かな光を放っている。拾い上げれば良いだけだ。判っているが、凄まじい存在感が闇の中から真っ直ぐに見つめてくる感覚に、体が動かない。

「兄、様」
「それは誰を呼んでいる?俺か、嵯峨崎零人か、それ以外の誰かか」
「っ」
「例えば慕い焦がれた、従兄?」
「…違う、判ってんだよンな事は!畜生、何がどうなってんだ…」

全て。
匂い、気配、声音に帯びる感情、それら全てが全く違う場合、ならばそれは誰なのか。たった数秒前と今、そっくりそのまま入れ替わりでもしたかの様に。
ともすれば、記憶そのものが間違っているかと疑いたくなる程に。

「目に見えるものと記憶しているものが噛み合わない場合、人は現実を受け入れるまでに酷く時間が懸かる。お前は『俺』が遺した試練を乗り越えたものとばかり思っていたが、どうも違う様だ」
「あ?!試練…何が試練だよ!これがか?!これも催眠術だっつーのか!」
「試練とは生きる為には必要なものだ。弱ければ滅びる、種の規則」
「いい加減にしろよ、俺を馬鹿にしてんのか…!」
「お前が願ったんじゃないか」
「ああ?!」
「アダムを助けて」
「何、」
「16年前の12月31日」

駄目だ、と。
頭の中で誰かの声がする。聞くなでもなく、耳を塞げでもなく、強く駄目だと。

「アダムは堕落した」
「…何、で」
「『楽園』を離れて3年後、お前が産まれて2年が経とうとしている」
「やめ…」
「エアリアスの死をその日、彼は知った。彼女が死んで実に2年が経とうとしている寒い冬の夜。お前が讃美歌を覚えた日、お前はシスターが泣く姿を見ただろう?」

頭の中でガンガンと甲高い音がした。
視界などないに等しい今、けれど視界がぐるぐると回っている気がする。

「真っ黒な男がやってきた。彼は星の名で呼ばれていた。彼はシスターにアダムの死を告げた。シスターが静かに泣いている。イブはアダムのベッドに凭れ掛かり、祈る様に手を合わせて動かない」
「…違、う。嘘だ、アンタが知ってる筈がねぇ…」
「男は『天使』に言った。お前は成長が早い、と」
「…」
「祭壇の下、地下で二人きり、血を抜かれる間の会話を知る者はない。
『アダムは死んでしまったの?』
『まだ辛うじて生きている』
『どうして』
『…神を人殺しにする訳にはいかんだろう』
『じゃあ、いつか殺しちゃうの?』
『さぁな』
『助けてあげて』
『何故だ』
『だって僕は、』」

ああ。
その声はいつか尊敬した人にも、いつか愛していた人にも、似ている。闇の中から真っ直ぐに投げ掛けられる言葉の刃が、心臓を抉っていく気がする。


「『だって僕は、エンジェルだから』」

けれどすべてがまやかしだ。

「問1、人は神を殺せるのか否か。答えはイエス、とある男は二人の神を殺した。正確には一人は救えず、一人には乞われるまま安楽死を与える事で、彼の神々は同時にこの世から消えた」
「…それは誰の話ですか」
「神々不在の世界は、楽園から失楽園へと名を変える。冬の星は永劫なる混沌へ」
「ランクS、カオスインフィニティ…」
「問2、『神』に人の望みを全て叶える事は出来るのか否か」

それっきり静寂に包まれた世界には、やはり足元に僅かな光が見えるだけ。他は何一つ見えない。自分の息が自棄に耳につく以外は静かなものだ。
まるで世界に一人ぼっちの様な感覚に陥る程には。

「総長」
「何だ、イチ」
「本当に、…アンタが総長なのか?」
「俺のこの体が遠野俊なのか否かと言う質問であれば、肯定しよう。お前が知りたいのはそれたけか?」
「まさか、生きて…っ」
「…どう思う?」
「オリオンが持ち掛けてきた交換条件を、知ってるのか、アンタは…」
「アレクセイの遺言だった」
「…遺言?」
「ヴィーゼンバーグの劣性遺伝を継いだ子供が居たら、助けて欲しい」

嵯峨崎佑壱の腕の中で、微かに動く気配。

「アレクセイの子供の中で彼の特性を継いだ子供は一人だけだった。叶貴葉。人工受精の二葉には劣化はない」
「…」
「だったら、アレクサンドリア=ヴィーゼンバーグには?」

腕の中、すぐ近くから声がした。
それなのにこの暗闇は、抱いている高坂日向の顔すら教えてくれはしない。

「彼女には問題はない。但し、その息子には雲隠の優性遺伝が見られた」
「くもがくれ、だ?」
「…宰庄司秀之。思い出した、夢の中に出てきたんだ。俺の曾祖父さんで合ってるだろう?」

ざばりと水を掻き分ける音がすると、落ちたルーターを拾い上げる日向の姿が浮かび上がる。何故こんな突拍子もない話を、冷静に聞けるのか、佑壱には不思議でならない。

「そう、雲隠篝の息子。篝は冬月揚羽の一人娘だった。冬月の血を継がず名も与えられぬまま十口に落とされる所を、当時娘が居なかった雲隠火影に引き取られた」
「ちょっと待った、宰庄司秀之?何で高坂の曾祖父を総長が知ってるんだ?」
「宰庄司秀之は帝王院寿明の次男、帝王院俊秀の腹違いの弟だ」
「みかどいん、としひで、って…」
「学園長の祖父、っつー事だろうな。…つまり俊の高祖父が帝王院俊秀」

日向には、今の俊がいつもの俊と同じ様に見えるのだろうか。佑壱には全くの別人に見えてならないのに。

「待てよ、だったらお前と総長は…?」
「…他人みたいなもんだ。恐らく、俺の祖父さんと俊の曾祖父が従兄弟の関係にあったんだろうが、俊秀さんと秀之が腹違いの時点で血は薄い。…だろう、俊?」
「帝王院と灰皇院は表裏一体。冬月の血を継いだ秀之は冬月鶻の従兄弟だった為に、冬月の権力が雲隠に並ぶ事を嫌い、自ら明神への養子に出た」
「成程。俺も嵯峨崎も知らねぇ事を、アンタは知ってる訳だ。流石は帝王院財閥の正統後継者」
「違うな。帝王院には神威が居る。順当で行けば、俺が名乗るべきは冬月だった」

その名に聞き覚えがある佑壱と日向は、顔を見合わせた。

「…シリウス」
「冬月龍人か」
「お前達は賢いな。『俺』が幸せにしたいと思う訳だ」
「…オリオン、だ。思い出した、初代技術班班長がオリオン、あのおっさんが?!」
「ああ、帝王院から聞いてる。オリオンは、…遠野龍一郎だな?」
「そう。俺の祖父にして、帝王院を裏切り滅亡した冬月最後の当主こそ、冬月龍一郎。だから俺に帝王院は相応しくない」
「…最後?」
「グレアムと同じっつー事だ。…火事で屋敷ごとなくなったらしい」
「何でンな事をテメーが知ってんだ高坂…!んな事までルークから聞いたっつーのか!」
「冬月については二葉から聞いた話だ。…それにしても、流石に詰め込み過ぎだろう?お前の血縁はどうなってんだよ、猊下」

佑壱から詰め寄られた日向は、いつも以上に冷静な表情で首を傾げた。一人だけ大声を上げている佑壱だけが異質なものの様に思えるほど、俊も日向も落ち着いている。

「想定外だ。その様子じゃ、全部知ってる様に思える」
「いや?何も知らねぇよ、幾つになっても餓鬼は餓鬼だ」
「『幾つになっても』」

日向の胸ぐらを掴んでいた筈だった。
つまり自分が日向を捕まえていたつもりだった。嵯峨崎佑壱の褐色の手は今、日向のシャツの襟元ではなく肩口に触れている。
引き寄せられて抱き締められたのだ。判っている。判っているのに、理解が追い付かない。どうして日向がこんな事をしたのか、全く判らない。

「年寄りみたいな事を言う。高坂日向、今のお前は何歳だ?」

鼓膜は静かな男の声を聞いている。
目の前には他人の喉仏。恐る恐る見上げれば、薄い唇が吊り上がっていくのが見えた。規則的な鼓動が聞こえる。それは一体、誰のものなのか。

「…ふは。お前が『巻き戻った』お陰で、俺様はこの通り『進み過ぎた』ぞ」
「何?」
「皇帝の中身が空っぽたぁ、様ぁねぇなシーザー。『希望のチェックメイトだ、受け取れ』」
「まさか、」
「問3、ポーンが一度だけ使える魔法の名を答えろ。…餓鬼は餓鬼らしくキャスリングでおネンネしてな坊や、人のもんを苛めてる暇があるならな」

煌めく何かを俊へ投げつけた日向を、佑壱が網膜に焼きつけた瞬間。

「っ。成程、俺の仕業か…」
「さっきの質問に答えてやろうか、俊。お陰様で本厄真っ只中だ」

獰猛な獣の如く嘲笑った男の唇を、見た様な気がしたのだ。



「『Close our mind.』」

何故。
日向の唇があの男の声を奏でたのか。

(キラキラと)
(こんな暗渠の果てでさえ眩い金の糸は)(いつか黄昏を帯びた黄金の何かは)(まるで太陽の様に)(夕暮れを歩いてくる)(…何処に?)
(極上の蜂蜜に良く似ている)
(笑みを描く眼差しは、砂糖を程好く煮詰めたスイートカラメルの如く)

(全く似ていない)(笑った所など見た事もないあの男とは)(別人ではないか)(知っている)
(ならばどうして)

(目の前で)(この世で最も強いと思っていた男が)(真っ直ぐ、に)(落ちていく)(暗い暗い)

(水の中・へ)

「…総長、総長!違、にいさま、兄様、何で、高坂が兄様…?!」
「ちっ、この期に及んで誰と間違えてやがる。遺言じみたシナリオの断片じゃ限界って事か。…流石は悪夢、意地の悪い事をしやがる」

きらきらと。真っ暗な世界が今、まるで楽園の如く光に満ちている様に思えた。
どぷり、と。酷く近くで水飛沫の音を聞いた様な気がしたけれど、

「らしくなく呆けてる場合か。飼い主に言われなかったか?」
「何…」
「Go to the hell.(甘えを捨てろ)」

全ての音と色が消えた瞬間、酷く優しい誰かの手に撫でられた気がしたのもきっと、気の所為なのだろう。

「言っても無駄だろうが、これだけは忘れるな」
「…」
「今すぐ首輪を捨てろ。言うだけ無駄だろうが、真に受けた方が悪いっつー事だ」

真っ暗だ。
まるで地獄の底の如く。



「全部が全部、出鱈目だからな」

呼吸が止まる刹那、何処かで水の滴る音がした。
(まるで首でも絞められたかの様に)

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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