帝王院高等学校
魔王の理性やら心臓やらが爆発したそうです。
「何の為…?」

饐えた匂いに満たされた、救いのない肥溜め。
安穏と生きる為に、人が作り出した規則から外れたゴミを廃棄する場所の事だ。

「なぁんの為にぃ、産まれてきた…ぁ?ひは。それって、だぁれに聞いてるのぉ?」

人は人を排除する。
例えば己の邪魔になる存在。例えば生理的に受け付けない存在。例えばその時の気分で、偶々殺したくなった存在。

「ふぅは。ひっひっ、ひはっ。ボォクはぁ、カワイイものが好きなんだ〜★キラキラしてるものも好ぅきぃ、真っ赤なルージュもだぁい好ぅき!」

ああ。
それは明らかに、酷い匂いと汚れた人間に満たされた肥溜めの様な世界に落とされた、唯一の美だった。一目見た瞬間から、魂諸共全身を鷲掴まれたのが判る。

「だぁからぁ、ママのルージュは僕のものなんだよ〜ぉ。だってしょうがないじゃん、ママより僕の方がず〜っとカワイイんだもん!醜いものはオールキル!なんだもん★」

圧倒的な支配だ。
自分は今、この瞬間に、彼の為に産まれてきたのだと。彼の為に生きていたのだと。彼の為に死ぬのだと。

「だぁからぁ、貴方の髪も瞳も全部、好きぃ…。ねぇ、ねぇ、ねぇ…!何でも答えるからさぁ、貴方の名前、教えてよぉ…」

知ってしまったからにはもう、この地獄は地獄ではなくなった。
ただただ寿命が尽きる順番を待つだけの退屈な牢獄より、目の前の毒々しい程に神々しい何かへ手を伸ばす事の方がずっと、尊い行いに思える。

「ねぇ!」
「ノイズが酷い」

だってそうだろう?
(醜いものに生きる権利などないのだ)

「僕…煩かった?」
「必要とするのは一方的な質疑応答だけ」
「あ…あぁ…ごめ、ごめんなさい、ごめんなさいっ、怒らないで、やだ、静かにするから、僕も連れていって!」
「日本には名乗らせる前に名乗ると言う文化がある。名刺は格下が先に差し出すものだ」

欠片ほどのメラニンも感じさせない、純白の様なプラチナ。
それに酷く似た白銀の仮面から覗く真紅は、大切な口紅よりも血液よりもずっと紅く、美しい。

「僕、僕っ、エドガー=サッシュ!ねぇ、ねぇ、ちゃんと言う通り名乗ったよ!だから今度は貴方がっ、」
「何故、私が名乗る必要がある?」
「だ、だって、言ったじゃないか!日本には名乗らせる前にっ、」
「Where are you?(此処は何処だ?)」

世界は相変わらず、酷い匂いに満たされている。
マネキンの如く動かない看守は、死体の如く動かない囚人には見向きもしない。

「プ、プリズン…」
「In United States of America.」

ただ、手帳を開いたまま万年筆を回し続けている『それ』だけが、奇跡の様に。この世のものではない美しさだと言う事だけが、事実だった。

「あ…あぁ、ひっ、ひはっ、あぁっ。そうだ、僕みたいな醜い人間が神の名を知りたいなんて、図々しいよねっ!酷い!醜い!死にたい!殺したい!でも駄目…っ!僕の命はもう、僕のものじゃないんだよっ!だってこの世は、貴方のものだから…っ!」

笑う声が聞こえてくる。嘲笑う声だ。
怒りのまま振り返れば、余りにも美しい顔が見えた。


「卒業論文の為とは言え」

ぱたりと手帳を閉じた神々しい『それ』は、全てから興味が失せた様に沈みゆく三日月を見上げて、万年筆を投げる。

さくり、と。
右胸に刺さった万年筆へ目を落とせば、己の胸から滴る赤い液体を見たのだ。

「っ、ぇ…?」
「見渡す限り人殺しばかりのブタ箱で、いつまで遊んでらっしゃるんですか、枢機卿?」

目の前を通り過ぎていった黒髪の美貌が、万年筆を持っている。たった今まで右胸に刺さっていた筈だったのに、だから、血が吹き出したのか、と。

「丁度飽きた所だ」
「それは良かった。折角お迎えに上がったのに、無駄にならず済みましたねぇ。はい、どうぞ。ペンを落としてらっしゃいましたよ」
「それはインクが切れた」
「では捨てておきましょう。プラチナ製の万年筆ですが、高々2万ドル程度の安物ですからねぇ…」

ああ。
赤だ。大好きな赤が、滴り落ちてくる。次から次に。

「所で、そこの囚人以外は精神が保たなかった様ですが、有意義な話は聞けましたか?」

カラン、と。
捨てられたきらびやかなプラチナの筆を認め、躊躇わずに手を伸ばす。真っ赤な血で染まった手で汚してしまった筆を何度も何度も拭い、汚れても尚、輝きを失わない白銀に唇が震えた。

「ああ。最早記憶にも残っておらんが、多少の暇潰しにはなった」
「それではレポートを纏めて提出なさると宜しいかと。四歳でのご卒業、誠におめでとうございます」
「残りは何学部だ?」
「理系も文系も法曹も犯罪心理学まで学ばれてしまいましたからねぇ。残りは大学院だけですよ」
「…今暫く、退屈せんで済むか」
「さぁ、帰りましょう」

真っ白な『それ』の隣に、真っ黒な『それ』が並ぶ。
真紅の双眸は最早何も見ていない。惨めにも万年筆を握り締めた囚人を一瞥したのは、蒼と碧の瞳を持つ、余りにも美しい黒髪だけだ。

「ま…待って!僕も!僕も連れてって!」
「おや。虫が喋りましたよ閣下、愉快ですねぇ」
「そうか」
「どうなさいますか?放っておいてもいずれ消えますが、消しましょうか?」
「美しいそなたの手を汚す必要はない」
「うふふ。嫌ですねぇ、閣下もお美しいですよ。ええ、私には全く敵いませんがねぇ」
「な、何でもするから!僕も連れてってっ!」

美しいものは神だ。
悪魔の様な魅力で人を魅了し、焦がす、唯一の。

「おや、虫ではなく駒でしたか。閣下、奴隷が増えましたよ」
「好きにさせておけ」
「もう、単に興味がないんですね?はいはい、何の得にもならない事はしない主義なんですよ、私は。殺すのも振り払うのも面倒臭いんです」
「そうか」
「まぁ、駒は多いに越した事はありません。キング=ノアの玉座を奪うには、未だ戦力が乏しいのは事実ですからねぇ」
「そうか。良かろう、そなたがそこまで言うのであれば連れていけ」
「おやおやおや、どうでも良いからって丸投げするのはやめて下さいませんか?殺しますよ」

振り向いた神は、そうして最後の質問を投げ掛けてきた。

「私の名を知りたいのであれば、来い」

選択肢などない。
チェスの駒の名を持つ貴方の駒になる為に、自分は産まれてきたのだ。





だから、

(美しいものは絶対的な正義だ)
(憎たらしいネイキッドも)
(傲慢なファーストも)
(あの人から可愛いがられる美しい猫だから)
(どんな我儘も許されるのだ)
(醜い自分とは違う)








「帝王院、秀皇…!」

麻痺した様に動かない体の呪縛を、唇を噛み切る事で振り払う。
麻酔が切れ掛かった様な朦朧とした意識の中で、のうのうと逃がしてしまった己への暗い怒りを燃やしながら、滴る赤を睨み付けた。

「陛下の邪魔になる奴は、全部殺してやる…っ」

ああ、神よ。
貴方の為に産まれてきた私は貴方の為に生きて、貴方の為に死ぬのだと決まっているのだ。そうでなければならない。そうであるべきなのだ。




世界は全て貴方のもの。





絶対的な不文律、だろう?

















「あれー?もう終わりかい?」

転がった王冠を拾った男は、それはそれは満面の笑みを浮かべていた。

「えっとー、最初がヤった人数で、次にモテる秘訣だったっけ?で、最後に、母親と恋人が同時に溺れてたらどっちを助けるか…。こんなので、えっと、モテ王?が、判るんだねー」

呆然とチョークを握り締めたまま黒板を見つめている教師と同じ様に、他の男らも似た様な表情で黒板を眺めている。然し視線を集めている男だけは、いつもと何ら変わらない、いや、もしかしたらいつも以上に楽しげだ。

「ね、先生?」
「ヒィ!…な、何だね、山田太陽君!」
「錦織君は全部の質問にノーコメントで、二葉先輩は最初だけ答えなくて、秘訣は『神に愛された知能と外見』で、最後の質問は『恋人』。うんうん、二人共いつも通りな答えですな」

鼻歌混じりの山田太陽は、助けてくれて有難う・と、叶二葉に手を振る。振られた二葉は真顔で振り返したが、誰が見ても二葉もまた、放心状態だった。

「俺の答えって合ってました?間違ってました?」
「は?!」

顎が外れたとばかりに口が全開の錦織要は、同じく目も口も丸めている神崎隼人からマントを笑顔で奪った太陽と黒板を、何度も交互に眺める。教師の「は?!」が痛いほど理解出来たからだ。要も「は?!」と言いたい。

「間違ってたら死ぬんでしょ?ね、俺は死ぬんですか?死ぬとしたらどんな死に様なんですか?派手なやつ?地味な死に方はやだなー」

へらへら、へらへら。
いつもと同じ気の抜けた笑みを浮かべたまま、その唇が放つ台詞は余りにも表情から掛け離れている。

「死ぬってね、そこで終わるってコト。終わらないより終わる方がずっといいに決まってる。だから俺は一度プレイしたゲームは絶対クリアするんだ。終わらせてあげないと。だって終わらないのは、つまんないんだもん」

驚愕の余り言葉にならないらしい隼人は何度も要を見つめてきたが、二葉を挟んで三番目の席に座っている要には、隼人の疑問に答える為の言葉が見当たらない。

「例えば問題が『浮気は許せる?許せない?』とかだったらね、俺は許せるって答えると思うんです。だって本心。許せるって言うか、許してくれたから…」

にっこり。
真っ直ぐ見つめてくる二葉に向かって微笑んだ太陽は、再びひらりと手を振った。訳が判らないと言った表情で瞬きながら、つられる様に振り返した二葉は、無言で眼鏡を押し上げる。

「帰ってくるんだよ。男はね、結局、最後には本命に戻るんだ。俺はそうだった。あの子が産まれなければ失わずに済んだのにって思った。だから殺したんだ。だってあの子の所為で死んだんだ。死んでも愛し続けるなんて綺麗事だよね、二葉先輩?」
「…」
「死んだら終わりなんだ。どんなに助けてってお願いしても、にゃんこは生き返らないんだよ。だから俊は守ってくれるんだ。俺が出来なかった代わりに、にゃんこに優しくしてくれるんだよ」

二葉の頭の中に渦巻く疑問が目に見える様だ。
答えのない問いに意識を奪われ、饒舌な二葉さえ沈黙を選ぶ以外に方法がない。聞いていた誰もが、微かな吐息すら許さない程には。

「おかしいよね。桜は高野君の親友だったのに。俺への恨みで世界を壊そうとしたのに。おかしいよね。それなのに高野君だけ輪廻を外れたんだ」
「山田君…?」
「仕方ないんだよ、錦織君。輪廻はどう足掻いても変わらないんだ。だって結局、高野君は選んでしまった。上書きされた輪廻を破って、君じゃなく、藤倉君を」

カラカラ。
何かが回る音がする。何も録音されていない、ただ回り続けるばかりのレコード盤の様に。カラカラカラカラカラカラと。

「回しても廻しても、君は神崎君の所で止まるんだ。一生懸命洗った木の実を横取りして食べてしまう、ずる賢い狐の所に」
「君はさっきから何の話をしてるんですか?」
「あはは。狂ってる、狂ってる、一つの時間軸に二つの時計が存在した所為で狂ってる!だから俊は人間になったのに!俊敏且つ迅速に終わらせる為に、そう、俺の為に!あははははは!モテる秘訣は『望みを叶えてあげること』、母親と恋人が溺れてたらどっちを助けるかって?!」

笑う、嗤う、嘲笑う、その声は誰のものだ?
同時に浮かんだ筈の疑問を何故、誰も口にしない?

「そんなの決まってる、俺は俺を助けるよ!だって俊は俺を主人公にしたんだ!ああ、可哀想に!狂ってる!綺麗な脚本がこんなに滅茶苦茶に狂ってちゃってるよ、俊!あはは、お前さんは悲しいかい?!狂ってた俺を針にするから全部がバラバラだ!あははははは!あははははは!あはははははははははははは!!!!!」

二葉に席を奪われた所為で帝君席に座っている隼人は、太陽の違和感に今や半泣きだ。要も泣きたくなってきたが、泣いた所で太陽の変化が戻る訳ではないだろう。

「俺の友達が俺を戻したんだ。俺には友達は一人しか居ない。その為に死ねなかった。ああでも、後悔してくれたんだね。俊、お前さんは優しいよ…凄く優しい。だから俺は、お前さんの望みを叶えてあげたいって思ったんだ」
「山田、君」
「何なの、コイツ…」
「ね、錦織君。神崎君。友情なんてね、くそ食らえだよね。だってアイツは俺を友達だなんて思ってなかったんだ。酷いよね、俊。俺はお前さんに選ばれた主人公なのに。アイツは俺を主人公とは思ってなかったんだ。主人公なんて何処にも居ないんだ」

カラカラ。
全員の頭の上で、数字が凄まじい早さで回っている。
カラカラ。
太陽の腕の中で、冠が回っている。

「きっとそうとしてるんだよ。お前さんが諦めるまで待ってるんだ。嫌なやつ。アイツはほんと嫌なやつ…嫌いだ…滅びればいいのに…俺を無視する奴なんて大嫌いだ…」

支離滅裂だ。
太陽の言葉を完全に理解した者など居ないに違いない。

「で。この選手権って勝敗あるんですか、帝王院鳳凰校長先生?」

にこり。
笑いながらマントを羽織った男は、腕に通したクラウンをくるくると回して遊んでいた。笑っている割りにはやけに意味深な眼差しは、己の勝利を確信した様に思える。何の勝利かについては、誰も知りたいとは思わないだろう。

「…え?ちょ、サブボス、何でこのオッサンの名前知ってるわけえ?」
「ん?あー、さっき会ったって言うか、聞いた声だったからねー。見た目は全然違うんだけど、口調とかで判ったんだよ、神崎君」
「はあ?さっきって?」
「あはは、機械が喋るんだ。お医者さんで、男爵で、校長先生なんだ。ファンタジーが現実化したんだよ。きっと俺にご褒美をくれたんだ。ああ、好き。好きだな。俺の死に顔を知ってる存在。俺を縛り付けた存在。俺を奪った存在。逃げられないんだよ、人は誰しも『時間』からは、逃げられない…」
「何を意味判んない事、」
「何でもいいけど、お前さんの試練はつまんないね、神崎」

羽織っていたマントを片手で払った太陽の手に、いつの間にか黒鞭が握られている。誰もがそれに気づく頃には、隼人を残した全員の頭が吹き飛んでいたのだ。

「な?!」
「あーあ、皆、死んじゃった」

カラカラ。
回り続けているのは、太陽の腕の中の冠だけ。
首がなくなった体の上には、0で止まったスコアが見える。隼人以外の全員が、廊下で見守っていた曾祖父も曾祖母も、一人残らず全員が、0と言う数字の下、体だけを残して。

「ルーレットがお前さんの所で止まるんだ。何回回しても止まるんだ。仕方ないんだよ、このルーレットは錦織君のものだから」

頭がなくなったにも関わらず、血が一滴も出ていない。
不出来なマネキンを見ている様で吐き気を覚えた隼人は口元を押さえたが、崩れ掛けた膝だけは必死で耐えた。

「カルマだ。業は消えない。俊が皆の代わりに背負ったカルマは、正しい持ち主の所へ帰りたがってるんだよ。俺はその道案内をしてるだけ。判ってくれるよね、お前さんは」

太陽は相変わらず、いつもの困った様な笑みを浮かべている。判りたくもないと言いたい所だが、口を開けば胃の中のものを全て吐き出しそうだ。

「二葉は顔がなくても美人だね」

殺意にも似た嫌悪の目で睨み付ける隼人には構わず、太陽は隼人の席を眺めた。

「剣には剣を、運命には運命を。ね、剣道って馬鹿みたいだと思わない?俺には決定的に合わないんだよねー、ちまちまマンツーマンなんて、効率的じゃないんだもん。鞭で一掃した方がずっと早い」
「な…何でカナメちゃんまで、何のつもり?!つーかてめー、何者だよ!」
「主人公」
「ああ?!」
「だから勇者はパーティーを作るんだよ。生きるか死ぬかのサバイバルに、礼儀だ作法だお綺麗事言ってる奴は、遅かれ早かれ死ぬだけさ」

明らかに雰囲気の違う太陽は、首がなくなった皆には最早一瞥も向ける事なく、ブレスレットの様に腕へ通していた冠を被った。

「アイツが居なくなった今がチャンスだ。ね、お前さんは俊を助けてくれるんだろう?」
「っ、だから何の話してんだてめーは!」
「だってお前さん達は桜が集めてくれた、大切な駒なんだもん。何も出来ないまんま全部忘れて一人だけ助かった高野君より、お前さん達を導いてくれた俊の方がずっと、優しいと思わないかい?」
「気色悪い事ばっかほざきやがって…!」
「あはは。ごめんね、黒に飲まれた俺はどんなに眩しい所に落ちても、結局は黒にしかなれないんだ」

ばさり。
靡いたのは太陽の纏う真紅のマントだとばかり、思っていた。けれどバサバサと言う音は太陽からではなく、窓の外から聞こえてくる。

「だってそうじゃないと、ネイちゃんを迎えに行けなかったんだもん。運命の為だよ」

弾かれた様に振り返った隼人が見た窓辺、黄昏に染まる空に大量の黒が羽ばたいていたのだ。





「月は宵月だけでいいんだ。判ってくれるよね、冬月隼人君」


















「か、カラスの、大群…?!」
「こ、今度は、何だ」
「今の内に逃げろ焔!」

木々の隙間を埋め尽くす様な夥しい量の鳥の群れに、開いたばかりだったスラックスのファスナーを引き上げた西指宿麻飛は痙き攣った。
この世で西指宿が最も苦手なもの、それこそ、あれなのだ。

「う、うわぁあああ!!!あれはマジでやべぇ、俺は鳥が死ぬほど嫌いなんだよ!やめろ、来るなーっ!ヒッ、カラスなんて鳥の中でもワースト星5レベルでやべぇ部類じゃねぇかっ!」

幼い頃、実家の邸宅に毎朝やってきた鳩に苛められた過去を持つ西指宿は、鳩を筆頭に、あらゆる鳥が苦手だった。だからこそFクラス総代の祭美月には、幾ら美人でも長身でも、近づきたいと思った事はない。
同じく、カルマの錦織要も苦手だ。何せ要の耳には鳥の羽をあしらったピアスがある。あんなものを好んで身につけるなど愚の骨頂だ。

「ぎゃー!」
「あほかー!助けろっつってんだろうが、ボケー!」
「ふぁ?!」

半狂乱で駆け出した西指宿の頭上から、聞き覚えのある声が降ってくる。そう言えば先程も聞こえた気がすると半泣きで見上げた先、巨大な虹色蛙の頭の上でカラスに襲われている人影を見たのだ。

「は?!え?!いつの間に?!つーか、テメェ誰だよ!」
「るせー!神崎隼人様だボケー!」
「はぁ?!隼人?!ちょ、本物?!隼人?!おま、本気で隼人?!」
「連呼すんな殺すつか死ね!くっそうぜえ、カラスの分際でハヤブサに喧嘩売ってんじゃねーっつーのお!」

バサバサと羽ばたくカラスの大群を、ぬるぬるな蛙の頭の上で、気丈にもブレザーを振り回しながら追い払い続けるそれは、確かに西指宿の弟と似ている。似ていると言うより、本人だ。

「う、嘘だろ…。あの大群相手に顔色一つ変えず戦ってる、だと?!」
「んの、クソボケカスコラー!出てこい山田太陽!てんめーと言う奴は、今日と言う今日こそマジ泣かす!そこの西指宿アホヒと輪姦して、穴ぶち壊して死なせてやらあ!」
「ちょ!お、お兄ちゃん隼人とエッチなんて………めちゃめちゃしたい!宜しくお願いします!」
「黙れ!」
「ごめんなさい!」

何が何だか判らないが、西指宿が知る限り過去最高にぶち切れているらしい隼人が怒鳴るのと同時に、つるっと足を滑らせた。
ぬるんぬるんな蛙の体液にバランスを崩したのだろう。バサバサと散ったカラスの群れから、すぽんと抜け落ちた隼人の背中が落ちてくる光景に、西指宿は全身の血の気が引いた。

「ははは隼人ぉおおお!!!」
「うっせー!呼び捨てすんなっつってんだろうがあ!」
「えっ!そこ怒る所?!そんな状況ですっけ?!あわわ、隼人!お兄ちゃんがキャッチしてやっから、本当、何がなんでもキャッチしてやっからな!」
「絶対イヤ」
「えー?!」

落ちてきた隼人を抱き留めようと西指宿が腕を広げた瞬間、ガシッと兄の肩を掴んだ隼人は、そのまま跳び箱を飛ぶかの様に西指宿の頭上で前転する。
それと同時に地面へ叩きつけられた西指宿は派手に顔を打ち付けたが、ピクピクしている所を見るに、辛うじて生きている様だ。


「…ふー。危ない所だったぜい」

派手に着地した隼人は無駄にイケメンなポーズで額の汗を拭い、後から落ちてきたブレザーをしゅばっとキャッチし、虹色の物体を真顔で見上げる。

「何これ、ベトベトしてる」
「ゲコ」
「はあ?…蛙?うっわ、でっか!へえ、山で見つけたナガレヒキガエルに似てるねえ。あは、前足ふっと!」

躊躇なくぶにぶにと蛙の前足をつついている隼人は、がばっと起き上がった西指宿が目を丸めている事には気づかない。と言うより、敢えて無視している様だ。

「…って、危ねぇ隼人!蛇が狙ってる!」
「蛇?」

顔回りに集るカラスに苛立ったのか単に腹が減ったからか、レインボーな蛙は次々にカラスを舌で捕まえては、ごきゅっと丸飲みしていた。
そんな頭上の惨事を知ってか知らずか、隼人の背後にあった木の幹を這っていた大蛇に飛び上がった西指宿は、転がる勢いで駆け出したが、

「あは。これ食べられる奴だー」
「は?」

満面の笑みで蛇の頭を掴んだ隼人は、やはり満面の笑みでゴキッと蛇の頭を捻ると、落ちていた石を拾って躊躇わず蛇の頭を潰す。一切の躊躇いを感じさせない、余りにも鮮やかなお手並みだった。

「あー、そう言えば蛙も食べられるんだあ。鶏肉っぽくてさあ、チキンライスに入れると堪んないんだよねえ…」

蕩ける笑みで虹色の物体を見上げた隼人は、カラスを食い散らかしていた蛙を食い散らかさんばかりの眼差しである。
最早言葉もない西指宿を余所に、ゴキッと首の骨を鳴らした隼人は動かない蛇を首に巻き付けると、殆どのカラスを食らいつくした蛙をうっとりと見つめ、拳を鳴らした。彼の目にはもう西指宿など見えていない。

「たあんとお食べ。東京に来てから3年ちょい、蛙料理なんてさあ、滅多に食べらんないもんねえ。お肉よりお魚の方がヘルシーって言うし、両生類もヘルシーでしょ?あは。食べ残したりしないから、安心してねえ」
「ゲコッ」
「よい子にしてたら、優し〜く捌いてあげるよお?」

ただただうっとりと食材を見つめている、サバイバーだ。何せ隼人の頭上に『サバイバーLv.41』と書いてあるのだ。

舐めていた。
西指宿は恐らく色々舐めていたのだろう。関東育ちの筈の隼人の目は、スイーツを前にした乙女の様だ。焼き肉を前にした体育会系の様だ。据え膳食わぬはモードであるのが、誰の目にもはっきりと判る。

「痛いの、やだよねえ?」
「ゲコ」

隼人に見つめられたレインボーはクネっと震え、おずおずと屈み、腹を上にして倒れた。西指宿の目にも判る。これはきっと、お好きにしてモードだ。
面食い蛙は、あっさり西指宿から隼人へ乗り替えたらしい。

「隼人、蛙は食べられませんっ!見ろよ、レインボーだぞ?!玉虫色だぞ?!考え直せ!こんなん喰ったら腹壊すぞ…?!」
「はあ?湘南舐めてんの?つくしだって、菜の花だって、松茸だって食べる人が居るから売れるんだけどお?」
「売る?!」
「そうだよお、売って売って売りまくって儲けないとさあ、カナメちゃんに叱られるんだもん。…カナメちゃん、隼人君が仇を討ってあげる。大好きなお金と21番の首をお供えするから待っててねえ」
「ちょっと待ったぁ!何か良く判んねぇけど、とりま落ち着こっか隼人!売って?討って?どっち?!」
「あ、此処にも蛇の脱け殻がある」

目が死んでいる隼人の肩を揺さぶった西指宿の視界に、がさりと茂みから出てきた青が映った。ビクッと震えたのは条件反射だ。
ポカンと目を丸めた隼人もまた、不気味な首巻きをしたまま固まっている。

「蛇の脱け殻を財布に入れておくと金が貯まる。…だったら通帳に挟んでおくとどうなるんだ?くく…」
「カ、カナメちゃん、生きてた?」
「ぐは!」

巨大な蛇の脱け殻を両手で掲げ、満面の笑みを浮かべている錦織要の背後から、片腕のない男が吹き飛んできた。油断していた要は脱け殻を掲げたまますっ転び、伏せていた虹色蛙に顔から突っ込んだ。

「錦織が死んだ?!」
「死ぬかあ!大丈夫カナメちゃん?!」
「この私を初対面で呼び捨てにするなど無礼にも程があります。簡単には殺しませんのでそのつもりで、…おや?」

そのまた背後、要に覆い被さった男の腹を長い足で踏みつけながら眼鏡を押し上げた男は、似た様な表情で固まった兄弟を前に、

「今の悲鳴、ハヤトさん?!」
「ひぃ!違うよホークさん、あれ『魔王Lv.99』だよっ!」

逆方向から飛び出してきた川南北緯と加賀城獅楼を見つめ、派手に舌打ちした。

「ああ、ハニーが見つからない代わりに実にどうでも良い人間ばかりが見つかりました。
 …仕方ありません、殺しましょう」

二葉の胸元から飛び出している派手なピンクは、彼の心臓なのか、ただのシーツなのか。謎はひたすら深まるばかりだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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