帝王院高等学校
さァ、皆さん!意味もなく踊りましょう!
「…余が我儘を宣うた所為で、京は終わるのか」

夥しい数の妖怪に埋め尽くされた美しい町並みを、彼は一人、腕に冷たい獣の躯を抱いたまま眺めていた。

「安倍は人の姿を失い、一枝の桜に変わってしもうた。天守があれほど慈しんだ家族は、余の失態を拭うべく京を守り、一匹、また一匹と、死んでしもうた」

燃えている。
赤く、黒く、あの美しかった都が。
動く事などとうにない獣を愛しげに撫でた男は、初めて己の手で開けた御簾を一瞥し、炎立ち上る街へと歩を進めたのだ。

「富士だ。富士に住まう八百万の仏に願えば、いと高きに燦々と輝ける太陽神へこの身を与えれば、余の罪は贖えるかも知れない。…余の最期が来るまで、そなたは共に在ってくれようか、猫」

それは狸に似ていた。
しなやかな黒い毛並みの狸は、猫の姿で最後に愛らしく一鳴きすると、息を引き取ったのだ。そうして心臓が止まって初めて、今の姿へと戻った。

「狸であろうと狐であろうと、構うものか。外を畏れ隠れ続けた愚かな余の元へ、そなただけがやって来てくれたのだ…」

人が倒れている。
獣が倒れている。
彼らは全て、一つとして例外なく、彼の大切な民だった。

「余の最期の頼みだ、安倍。…頼む、罪なき民を守ってくれ」

ひらり、ひらり。
燃え落ちる都の中央で、たった一本の桜の樹から舞い散る桃色の花弁。それは軈て全ての妖怪を浄化し、僅かに生き残った者達の手で、大切に大切に守られたのだ。

「迦具土神、炎の神、迦具土神は居られるか…。忠実なる神の民、愚かしい余の願いを聞き届けて下さいませ、迦具土神様…」

まるで神に守られたかの如く、美しい城は少しも焼けていない。けれどそこに在るべき主人の姿はついに何処にも、なかった。







神よ。
伊邪那美の産んだ、猛々しい迦具土神よ。

己の父の手で命を摘み取られた貴方様は、今尚、恨んでおられるのか。永久に尽きぬ不死の憎悪を滾らせておいでだろうか。

願わくは、その不浄なる永劫の炎を以て、我が身を焼き尽くし給え。我が身に刻んだ罪諸共、都を襲いし災厄を全て、亡きものに。


焼き尽くし、燃やし尽くし、富士の灰から新たなる再生を。
私の愛した街を、国を、民を、皆を守ってくれ給え。



せめてもの慈悲を。
皆が幸せであれば、私がどうなろうと、構わないです。















「天にまします我らの父、ヤハウェ」

彼は酷く混乱していた。

「私の何が貴方の怒りに触れたのでしょう?こう見えてアップルパイは嫌いなんです、つーか林檎が嫌いなんです。果物は虫食いの方が美味しいと阿呆な生物学教授に唆されるまま、当時歯が元気だった私は何の疑いもなく丸齧りし、林檎の中で増殖していたウジ虫を食べてしまった時からそう、カースマルツゥと林檎が大嫌いになったのです。何せ虫は子供の頃から大嫌いでした…」

混乱の余り、いつか学生が旅行土産でくれた日本製の数珠を右手で握り締め、左手は胸元で十字を切りながら、生粋のアメリカ育ちはカトリックの神とユダヤの神を間違えている事にも気づかず、学園長室の前でハラハラと泣いている。
見ていた誰もが平然としていた。いつもの事だからだ。

「教授、また変な数式を作ったの?」
「また腐ったスイーツにあたったんじゃない?」
「いや、また生徒の間違った数式を新しい数式だと思い込んで錯乱してるんじゃないか?」
「素直に減点にすれば良いのに、人が良いのか馬鹿なのか…」
「お疲れ様ですスミス教授、ハーバード記念教会は外ですよ。そこは学園長の趣味と趣味と殆ど趣味しか感じさせない大量の盆栽が飾られている、お仕事部屋です」

研究疲れでヨレヨレな生徒、勤務時間を終えて化粧を直す気もない職員、『松竹売』と掛かれたTシャツに疑問を持たず着ている准教授は風呂上がりなのか、鼻歌を歌っていた。

「洗い髪がスィングまで冷えて〜ぇ♪」
「准教授、それ何の歌ですか?」
「日本の風呂ソングだよ。日本の川の名前が曲名なんだ。ええっと、か、か、か…ガンダーラ?」
「ガンジス川?」
「あ、お疲れ様ですプロフェッサースミス。今LINEで敬虔なプロテスタントであるアランド教授に尋ねたら、ヤハウェはユダヤ教の神様だそうですよ。『余所の神にアーメンたぁ何事だボケェ!』って物凄く怒ってました」

ああ。
ああ。
通り過ぎていく者達から声を掛けられた男は、その優しいのか適当なのか判らない触れあいに乾いた笑みを浮かべ、白衣のポケットに突き刺していた封筒を取り出したのだ。

「学園長…今まで数学と物理と甘いものと時々孫にしか興味がなかった僕を、何やかんや40年以上大学に残して下さって有難うございました…。ぐす。ブライアンはカミュー=エテルバルドと言う、ナチスの残党に脅されて、教授を辞める事になりました…」
「スミス教授、学園長は既にお帰りですけど?」
「あ、そうだったのか!」

悲痛な雰囲気で呟いていた男は、ガチャリと開いた学園長室から出てきた『盆栽にクラシックを聞かせる係』の職員を前に、照れた様に頭を掻く。

「君もドイツ人には気を付けて。彼らは時間には煩いわ、ソーセージには煩いわ、何かにつけてアメリカ人をノロマだと馬鹿にするわ、」
「教授、邪魔です。暇ならお帰りになられては?」
「…すいません」

冷たくあしらわれた男は、しょんぼり封筒を仕舞い込み、肩を落としたままその場を後にした。

そう長居は出来まい。
日が昇る前にサンフランシスコかニューヨーク経由で、とある場所に行かなければならないのだ。そう、それこそドイツの魔王から投げつけられた、お願いと言う名の命令なのだから。どう考えても距離的に無理な気もするが、為さねばならぬ何事も・だ。


「…大体酷いよ、ハーヴィ。70歳になる年寄りを今更扱き使おうだなんて、貴族とは名ばかりで研究にしか興味がなかった父親に嫌気が差して若気の至りとは言えスラムで荒れくれていた僕を、それ以上に荒れくれていたオリオンのモルモットにしようとした恨みは、あれから60年になるけど忘れていないんだからね…」

めそめそと涙を拭いながら暗い外へ出た男は、キョロキョロと挙動不審に辺りを見回し、人気のない温室へと入っていく。今や解放されている設備とは言え、昔は『神の庭』と呼ばれたガラス張りの温室には、誰が名付けたのかカイザーガーデンと言う名があった。

「えっと…何処に隠したかな…」

照明をつけられない用事だった為、携帯しているボールペン型のペンライトを灯した男はガサガサと植え込みを手探り、時間帯で自動的に放水が始まるスプリンクラーの一つ、見た目はスプリンクラーに見える鉄の手触りに息を吐く。

「此処だ。ああ、もう、雑草が酷いな…」

外からは見えにくい木々の根元とは言え、手入れが行き届いていない事に舌打ちを噛み殺しながら、パカッと開いたカバーの下、何十年も隠していたケースを取り出したのだ。

「あった、あった。…ああ、何と言うんだった?しまった、メモしておけば良かった。ハーヴィは携帯持ってないって言ってた事だし、カミューには電話したくないなぁ」

もう此処には用はない。
悲愴な面持ちで呟いた男はもそりと立ち上がり、仕方ないとペンライトの光を落とす。こうなったら、記憶を掻き集めるまでだ。

「フ…フライドポテト!」

闇の中でキリッと眉を吊り上げた彼の声は、然し静寂に消える。どうやら間違っていたらしいと咳払い一つ、理数以外のあらゆる面で落ちこぼれている男は、気を取り直す。ミスは誰にでもあるのだ。失敗は成功のモト、和三盆は極上スイーツのモト。
ブライアン=C=スミスはガリガリと頭を掻いた。ハラハラと雲脂が舞ったが、暗いので気づかない。

「ブリリアントラインだったかな?ああ、違うか。プライマリーライン?これも違う。…あ、そうだ!それとなくカエサルに聞き出せば良いんじゃないか?」

世界の皇帝であるカイザー・ルーク=フェイン=ノア=グレアムの祖父である男は、宣ってから頭を振った。あの恐ろしいエメラルドアイズの悪魔、今や日本人を自称しているドイツ魔王から笑顔で『ルークに話したら殺すよ』と言われていたんだった。

あれは子供の頃からそれはもう恐ろしい男だったものだ。
朧気な記憶だが、スラム街でツンツンに尖っていたスミスを、遥かに年下でありながら気丈に見据え、言ったものである。

『君は何の為に産まれて来たのかね、生きるゴミが』

そう、にこりともしない男だった。
天才的に頭が良く、同世代は玩具で遊ぶのが仕事だと言う年齢にも関わらず、大学から推薦状が届くほどの神童だ。
本物の貴族らしく上等な服を纏い、おやつはバーニャカウダ。アンチョビとマヨネーズを混ぜたと言う大人なソースを無表情でディップしまくる姿は、神々しくさえあった。スラムで尖っていたスミスにはもう、ズッキーニもパプリカもキャロットもセロリすらお洒落に見えたものだ。アンチョビなど食べた事もなかった。

『君のお陰でもう一度学校に通う気になった。生活は苦しいけど、靴磨きや洗車や時々恐喝で稼いだお金を母に渡すのは、いけない事だ』
『シリウスに命を助けられてから心を入れ直したのかね。オリオンは確かに素晴らしい頭脳を持っている様だが、ゴミの様な君がまともに見える程度には頭が可笑しいと私は思っているのだよ』
『おしゃぶりが似合いそうな顔でズッキーニをしゃぶっている君は、大人だな』
『ドイツ人の誰もがソーセージを囓っていると思わない事だ。私の瞳はズッキーニの色だと、お母様は仰られた。以来、紳士たる者、三度のズッキーニは欠かせないのだよ』

ああ。
ませくれた餓鬼だった。いや失礼、賢いお子様だった。
彼はドイツの母元をどうしても離れたくないらしく、ただのマザコンじゃねーかとは思ったものの、彼が漸く重い腰を上げて大学に入学したのは、それから数年後だ。
努力の甲斐あって現役合格したスミスが、大人なキャンバスライフに浮かれていた翌年、エメラルドアイズの糞餓鬼は天才的なイケメンとしてやって来た。

天才の名も女の子の関心も一身に集め、たった二年で卒業した男はそのままアメリカで就職し、皇帝に最も近い世界最大組織の幹部へと上り詰めたのだ。
そう、ステルシリー副社長と言う、恐ろしい地位に。

『元気そうで何よりだよノロマビリー、君のミドルネームはカエサルだそうだね。陛下が君を我が社に招くと仰せられた』
『陛下?何処の王様だい?』
『久しいなブライアン、私を覚えているか』

最早強制連行。
院生だったスミスを拐ったイケメンは当時二十歳程度だったが、無表情な神より余程怖かったものだ。

『陛下、高々十数年程度で忘れる様な馬鹿をセントラルに招く筈がございません。馬鹿な事を宣うのはお控え下さい、陛下は一応陛下でいらっしゃるのですから』

ネルヴァと名乗るイケメンは、心の底から上司を馬鹿にしていた。無表情で俯いた金髪が哀れに思えるほど明らかに馬鹿にしていたものだ。

『もしかして、…ハーヴィ?目が見える様になったんだ、良かったな!』
『試作段階の人工網膜が適応した。そなたの顔もネルヴァが私の茶を青汁にすり替えたのも、見えている』
『陛下のご健康を願ってこそでございます』
『お前がグレアム男爵なんてな…。スラムに興味があるなんてほざいて、オリオンに手錠で繋がれたまま引っ張られてた盲目男が、変われば変わるものだ』
『スラムは我が母ナイトの遊び場だった。時折マフィアの抗争に巻き込まれては、父の怒りを買い消された組織があったと聞いている』
『レヴィ陛下ではなく、オリオンが片っ端から潰しておられたのです。陛下のご命令であれば、ああも派手に壊滅する事などありません。宜しいでしょうかキング=ノア、貴方が盲目的に信頼しているオリオンはもう居ないのです』
『居ない?』
『龍一郎は生きている。今は出掛けているだけだ』
『いいえ。シリウス閣下がこれほどお探しになられて、見つからないのです。そろそろお忘れ下さい』

あの時の険悪な雰囲気を忘れない。
あの場に呑まれ、股間が竦む思いをしたスミスはヘッドハンティングを断り、研究者として大学に残る意思を示した。然し十数年前にたった一度会っただけのスミスに対して、神と呼ばれた若い男爵は、無記名のネームプレートを与えたのだ。

『そなたが私を頼るのであれば拒否はしない。シルバープレートはそなたと私を繋ぐ、セントラルへの鍵だ』

けれど仕舞い込み、二度と触れる事などないと思っていたそれに手を掛けたからには、相当の覚悟をすべきだろう。


『陛下を友と思うのであれば手を貸して欲しいのだよ、ビリー』

踊りたい気分だ。暗い気持ちになるのは性に合わない。恨んだりだの憎んだりだの、そんなつまらない感情で時間を費やすのは、合理的ではないからだ。

「僕は君の事も友人だと思っているんだけど、どうせ鼻で笑うんだろうな。…プライベートライン・オープン」
『コード:Bカエサルを確認、只今を持ちまして中央ランクBはマスターの管轄に置かれます。ご命令を』
「セントラルに行きたいんだ、迎えに来てくれないか?出来れば、日の出までに着きたい」
『了解』

然し友情までも淘汰した学者になど、素直に従ってくれる生徒は居ないと思わないか?





(門番が踊っているのを見たか。
 振りかざされた大鎌が、ひらひらと舞っている様に見えるだろう?)





約束を覚えているかい。

あの日だ。
月が黎明を飲み込んだ漆黒の朝、疲れて果てたお前が、表情も心も絶望に染めた日の話だ。



お前は俺に祈っただろう?(これが最後だと)
お前は俺に差し出しただろう?(たった一つ限りの命を)

お前の命は俺がずっと抱いていた。
だから俺が産まれたその時に、お前もまた、産まれる運命だったのだ。
(人は十月十日で産まれるらしい)
(けれど俺は十二ヶ月を経て産み落ちた)
(俺が産まれた五ヶ月と十二日後)
(お前の体とお前の命は、二人の人間に分かれて産まれただろう?)
(俺がお前の命に魔法を掛けたからだ)



俺はお前に名をつけた。
お前は俺に命を差し出し願った。祈る様に。縋る様に。絶望の果てで、冷たい獣を抱いたまま、民を統べる帝とは到底思えない、そう、哀れな姿を晒していた。

俺は全てを記憶している。
虚無から産まれた羅針盤、それこそが俺の本性。お前の命と共に帝の銘を奪い、虚無の世界から人の世を見つめ続けた。飽きもせず、静かに、幾千年も。

覚えているかい。
お前は愛した妻を失い、我が子を殺しただろう?
神話時代にはイザナギと呼ばれ、平安の世では帝と呼ばれ、その後のお前は輪廻に帰る事なく、俺の元に縛られ続けた。
可哀想に。お前の大切な猫は何度となく転生しては、お前を探し続けて、死んでいく。相思相愛だ。二つの魂は決して交わらない。俺がお前を手放さない限り、永久に。



約束を覚えているかい。

寂しがりやな虚無の為に時間を終わらせたくなかった俺は、けれど訪れるその日を知っていた。飽きる程の時間の中で幾度も描き続けた物語、それはいずれやって来るのだと。



お前が死んだ日の事を思い出すんだ。
最も高い山の頂きに、一人傷だらけでやって来たお前は、神と崇めたカグツチが黒月に呑まれる様を、声もなく仰いでいた。
唯一の希望を奪われたお前はそこで力尽き、死して尚、祈り続けていた。


神々は囁く。
慈悲を。慈悲を。慈悲を、と。
仏は涙を流した。
我が子よ、我が子よ、我が子よ・と。



お前は誰からも愛された、神の寵児。民を統べる帝。
俺はお前から全てを奪おう。引き換えに、お前が消したいと願った過去を消してやる。約束だ。お前は全て、俺のもの。

お前の魂は世界から消えてしまった。
寂しがりやな虚無の友として、お前の魂を闇の底へと沈めておこう。来るべき日まで。そう、虚無の興味がお前から消える日まで。




「もういいかい」
「まだだよ」
「もう、いいかい」
「まだだよ」
「…もう、いいかい」
「真の閏年が廻ったその時に、帰してあげる」



ああ、再び世界は闇に染められた。
星もなく、月もなく、最早全ての色が存在しない純黒夜に俺の体は産み落ちる。
何故ならば俺は、虚無が最初に産み出した、終わりを定められた存在。永劫を拒絶された者。終わりなき虚を遺し、俺はいずれ消えてしまうだろう。

悲しむだろうか。
泣くだろうか。
そしてまた、俺を産み出すのだろうか。消えてしまうと知っていて、繰り返し繰り返し、俺は俺と言う俺ではない俺として、産まれるのだろうか。

(それは何と恐ろしい事なのだろうと)
(思ってしまった)
(お前から奪った命から学んだ、『心』が)



終わらせようと思う。
悲しみの源を。
俺を失った貴方はきっと嘆き悲しみ、虚構から手を伸ばそうとするだろう。絶対なる永遠に縛られ、終焉を淘汰された唯一神よ。
俺は刻み続けた時間の数だけ貴方を思っていた。刻み続けた時間の数だけ貴方の為だけに、まるで永遠の如く永い時を経て、物語を描いてきた。

今こそ俺は、全てを終わらせようと思う。
今こそ俺は、無機質に時を刻み続ける対の針を『体』と『心』に変えて、人になろうと思う。
誰からも必要とされなくても、愛を知ろうと思う。
心に灯る炎を滾らせ、魂を浄化しようと思う。

その時貴方は、父の如く母の様に、人の心を知るのだろう。
俺を失った時に。




「もういいかい」
「もうイイよ」
「…ほんと?」
「ああ、本当だ。約束は果たされた」
「終わり?」
「もう二度と、願ってはいけないよ。俺に渡した命はもう、人の形をしていない」
「…人の形を、してない」
「人に似ている、人ではないもの。だからお前は二度と、壊れ掛けたその命を差し出してはいけないよ」
「うん」
「俺が目覚めたら、産まれ来るお前に名を与えてあげる。そうすればきっと、今度こそ会えるだろう」
「ほんと?」
「お前はもう、民を統べる帝でも、罪を犯した罪人でもない。命を投げ出してまで救いたかった愛し子を、今度こそ手放さない様に」
「判った」
「虚無の友にして、我が子よ」

そして今、人間は俺に新たな名を与えた。
そう、クロノスと。


「お前とお前の為に命を投げ捨てた友らの幸福を、俺は見守っているよ。さァ、お休み。今度は人の姿で会おう。遠く時空の彼方、幾つもの荒野を越えて、お前が俺に会いに来てくれた様に。今度は俺が会いに行くまで」
「お休み、なさい…」
「太陽神と俺を間違えた、愚かにして愛しい我が子。お前には光に満ちた世界が訪れるよう、白日の元へ落とそうと思う。そうして俺は、一切の光が存在しないあの日の様に、黒夜に産まれるだろう」



古い約束を覚えているかい、いつか王だった子よ。







お前の名は、










「隊長、猫耳がありました」

何でこんな事になってしまったのか。
呆れるほど男らしい表情で、下心など一切ないと言わんばかりの口調を装った男の瞳は、億万の星が瞬く銀河よりも輝いて見える。
隊長とは誰を指すのか、出来れば自分であって欲しくないと言う儚い願いは、瞳を輝かせている変態には届かなかったらしい。

「ご覧なさい、錦織隊長、二葉隊長。猫耳ですよ」
「二人共隊長だったか…」
「それはそれはエクセレントなディスカバリーですねぇ、ハニー隊長」
「防御力は1、非売品だと思われます。部屋中満遍なく探して、限定一個」

何が彼をそうさせたのか、山田太陽はかつてなく興奮している。
いや、ピンクピエロが経営していたピンクなラブホテルの一室なのだから、興奮するのも無理ないのかも知れない。
猫耳ヘアバンドの装備を拒絶する覚悟を真顔で固めている錦織要と、猫耳ヘアバンドをつけた太陽を麗しい微笑みの下で妄想しムラムラしている叶二葉の間には、大層深い溝がある。

血液型と優しげな口調以外に然程共通点のない二人は然し、どちらも自分が女顔だとは思っていない様だった。

「ほんとごめん、錦織君」

悲痛な表情でヘアバンドを握り締めた太陽の台詞に、ビクッと肩を震わせた要はじりりと後退る。然しスタスタと近づいてきた太陽はかつてなく男らしい表情で、スポッと猫耳をはめたのだ。

ムラムラしている、叶二葉に。

「「…」」
「はー…はー…。ふ、ふーちゃん、お前さんと言う奴は、なんてはしたないんだ…!はー…はー…」

遠野俊も裸足で逃げ出しそうな太陽の様子に、困惑した要は考える事を放棄する。大人しく猫耳を頭に突き刺している二葉もまた想定外なのか、それとも単にどうでも良いのか、鼻息の荒い太陽を見つめたまま動かなかった。

「もう駄目だ。俺はなんて煩悩に忠実な男なんだろう、これで二葉先輩にけしからんおっぱいがあったら!エロゲーフラグ全回収したのに…!」
「え、えろげー?」
「おや、けしからんおちんちんならついてますけど?」

背の高い二葉にヘアバンドを差す為に、しゅばっと飛び乗った怪しげなベッドで唇を噛み締めている太陽と、その太陽の悲痛な台詞に目を丸めている要は、笑顔で宣った風紀委員長を静かに見つめる。
にこにことまるで毒気のない笑みを浮かべている猫耳男は、優雅に怪しげなベッドへ腰掛けると、その長い足を組んだ。

「ハニー、美しいだけではなくとうとう猫ちゃんになってしまった可愛らしくもある私と、ニャンニャンしましょう」
「…」
「大丈夫です山田君、君の困惑を俺は理解しています。悪い事は言いません、殴ってやりなさい」

錦織隊長の台詞に、太陽はフッとシニカルな笑みを浮かべて従う事にした。殴るのは手が痛いので、そっと二葉の頬へ手を伸ばすと、躊躇わず吸い付いてこようとした猫耳の額に頭突きを放ったのだ。

ちゃらりーん♪
太陽のレベルが上がり、効果音が鳴り響く。

「ああ、レベルが席順と同じ21になりましたよ、山田君」
「良し、今後二葉先輩を乱獲してレベル上げしよっと」
「一年Sクラス21番山田太陽君。この私は全世界にオンリーワンだと言うのに、乱獲とはどう言う意味でしょう?」

痛くはないが目から火花が散っている二葉は、額を押さえながら恐ろしい笑みを浮かべた。期待していたチューが不発に終わったフラストレーションだろうか、要を睨み付けてきた目が恐ろしい。

「総長代理、この男はABSOLUTELYの幹部長です。この期に仕留めませんか?カルマの為です」
「待って錦織隊長、殺したら無限アップが出来なくなるよ。俺の成長の為にも、自家発電のオカズは残しとくべきだと思う」
「ハニー、自家発電の意味を間違えてませんか?ご安心なさい、先輩が手取り足取りナニ取り教えてあげます」
「やはりこの男はまともな事を考えていません。こんなホテルに入ってしまったからでしょう、脳内がピンクです。気持ち悪いので仕留めましょうよ」
「確かにきもい」
「アキ、幾ら俺でも傷つく事はあるんだけど?」

猫耳を装備中なだけに、若干落ち込んでいるらしい素の二葉を認め、太陽だけはきゅんとなる。然しイラッとした要は、極太な蝋燭で二葉の後頭部を殴ろうとして太陽に止められた。蝋燭は撲殺用の鈍器ではなく、火をつけて投げる為のダイナマイトでもなく、ちびちび溶かしてドエムを喜ばせる道具だ。
と、三年Sクラス叶二葉さんが笑顔で仰ったのであります、隊長。

「さてと、それじゃ状況を纏めよっか。俺は無色の遊園地に出て、そこで一匹目のピエロを倒したんだ。さっき言った様に、二葉先輩は桜が一本咲いてるだけの、無色の街に居たんだよ」
「遊園地と街、ですか?俺がどれほど走り回っても、氷原ばかりでそんなものはなかったと思いますが…」

いじいじとベッドに転がって狸寝入りを始めた猫耳を余所に、要は立ったまま、太陽は二葉の隣に座ったまま、これまでの経緯を話し合う事にする。
お互いの情報を提供し合う事で有利な進行に至る事を、あらゆるゲーム界であらゆる勇者を務めてきた太陽は知っていた。

「多分、俺だけに使えるチートって奴なんだと思うよ」
「チート?プログラムを改竄するコードの事ですか?」
「ちょいと待って錦織隊長、いじけてるにゃんこが俺の尻の匂い嗅いでるから、黙らせるねー」

再び唸った太陽の頭突きは、カルマ幹部長とも謳われる要から見ても、明らかに痛そうだ。ABSOLUTELYの幹部長が声もなく倒れたのを見たが、時間を置かない討伐は経験値の加算がないらしい。

「もしかして、既に精神的に抹殺していたから、今更体にとどめを刺しても討伐対象にはならない、とか?」
「あー、成程。俺専用のスライムになるかと思ったのに、使えないねー」
「あ、洋蘭が泣いてますよ、山田隊長」

単に今度こそ二葉が死んだのかもしれなかった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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