帝王院高等学校
つまるところバグか誤字かはっきりしなさい!
青い空、青い海、石灰化した貝が作る白い砂浜は星の奇跡ではないか。
咲き誇る大輪の赤い花。ジャスミンの香りに包まれた光景を前に、暫し呆然と瞬いた男は、漸く足を踏み出した。

ざくりと、星の砂が足を包み込む。

「え。何で、沖縄?」
「ソレ、あ、ソレ〜♪」
「ソレ、イーヤサーサー」
「ハイサーイ♪」

酷く陽気な歌声が何の前触れもなく背中に掛かり、加賀城獅楼は目を丸めたまま振り返った。何が起きているのか確かめる時間もなく、鳩が豆鉄砲を喰らった表情だ。

「お父様、どうしてハイビスカスをお茶にするの?」
「美味しいからだろう」
「お花がお茶になるなんて、なんて素敵なのかしら。ねぇ貴方、所でどうしてジャスミンをお茶にするの?」
「美味しいからだろう」

獅楼が驚くのも無理はない。
キラキラと、光を放たんばかりの美女から挟まれた髭面の男は、麦わら帽子とハイビスカスのレイを首に巻いている。彼の腕には三味線があり、見事に弾きこなしていた。その時やっと、陽気なBGMに気づいたのだ。

「あの、こんなところで何してるんスかっ?」
「いかん、獅楼君が踊りきれていないぞ。さてさて二人共、彼をもてなしてあげなさい。イーヤサーサー♪」
「はい、貴方」
「はい、お父様」

にこにこ微笑みを放つ二人の美女は、『ハイサーイ』と声を合わせながら、琉球三味線に合わせ踊りつつ、獅楼の両脇を通り過ぎていった。

「夏も近付く八十八夜〜♪」
「あら、四月じゃなくて貴方?でもそうね、そんな小さい事を気にしていたらいけないわね。富士山に申し訳ないもの」
「お母様、お茶うけがないとお茶に失礼じゃなくて?お茶の実力は知っているけれど、お茶とお茶うけは夫婦でしょう?」

ぽかんと二人の躍りを観ながら三味線を聞いていた獅楼は、やがてぼりぼりと頭を掻くと、ぼんやり空を見上げる。

「何だかなぁ。確かおれ、凄い揺れて床が崩れて、落ちたんじゃないのかなぁ…。これってもしかして、あれ?バグって奴?」
「そんな事もあろうかと、笹かまと焼き蒲鉾を用意したぞ」

もう一人、今度はすぐ隣から自棄に存在感のある声が聞こえてきて、獅楼はズササッと飛び退いた。今更バクンバクンと胸が荒ぶっているが、視界に映った男は獅楼よりずっと背が低く、最初は山田太陽と見間違えるほどだったのだ。

然し太陽とは比べるまでもなく男前で、獅楼はぱちぱちと瞬いた。

「ゆ…ユーさん?」
「ユーさん?」
「えっ、ユーさんにそっくりな気がするっ?!でも、何か、何か、小さい?!」
「俺の背丈が小さいのは、俺のポテンシャルが地味にして平凡にして凡庸、加えて雑魚だったからだ。然し雑魚を喰らうとカルシウムが効率的に採れる、小鰯は食べ易いだろう」
「へ?あっ、う、うん、お魚は体に良いと思うよっ」
「だが夜の王は鰯を嫌った。なのにあそこまで育ったのだ。世はなんと、不平等なのか」

遠い目で空を見上げる男は、嵯峨崎佑壱から目付きの悪さを取り除き、濃い過ぎる目鼻立ちを若干和らげた美貌と言えば良いのか。男の言葉の半分も理解出来なかった獅楼はポリポリと頬を掻き、今更、佑壱よりも零人に似ているのかも知れないと考える。

確かに零人は男前だろう。何せ佑壱にそっくりだ。
然し獅楼にとっては佑壱の方が遥かに男らしくイケメンなので、零人に似ているとはどうしても認めたくなかった。

「あの、男は三十路でも背が伸びるって聞いたし、そんな落ち込まなくても大丈夫じゃない?」
「そうか」
「うーん。…総長にも似てるよーな気がしてきたぞ」

何故そう思ったのか、獅楼は口にしてから考える。
顔形は全く似ていない。黒々とした威圧感を秘めた瞳はともかく、顔立ちは他人の部類だ。
存在感も、目の前の男はないとは言えないだろうが、カルマのシーザーに比べれば可愛らしい。但し一年帝君のオタクな俊と比べると、完全に目の前の男の圧勝だ。

「あ。判った、声だ。声が総長に似てる」
「ふむ」
「あと、何か、ぼんやりしてるとこは会長に似てるよーな」
「笹かまは我が妻の好物だ」
「は?」
「聡明なお前には一つ焼き蒲鉾をやろう。沢山食べて大きくならねば、可憐すら打破出来んぞ?」
「かれん?」
「「「ハイサーイ♪」」」

じゃかじゃかじゃん!
三味線なのにギターの様な音を聞いた瞬間、ざっぱーんと海原が飛沫を上げたのだ。

「お父様、お母様、下がってらして。旦那様、笹かまを一つ下さいな」
「どんどん食べなさい、そうして育った舞子を鳳凰ちゃんはパクっと食べちゃうぞ」
「まいこ…ほーおー?」

何処かで聞いた名前だと獅楼は首を傾げたが、それ所ではない。
しゅばっと離れていった三味線夫婦は遠くで尚踊っており、フレーフレーと応援団モードだ。反して、もきゅもきゅと美女とは思えない豪快さで笹かまを喰らうと、目が眩む程の美女は食べかすで汚れた唇を、これまた豪快にペロンと舐めたのだ。

「お待ちしておりましたわ、火霧様。わたくし、地獄の底から舞い戻って参りました」
「ひ!ちょちょちょ何、何で人の背中から火が出てるのっ?!」
「あら、火霧様だもの。火の霧と書いて、ヒギリ様。火の翼くらい生えて当然なのよ、シロちゃん」

しゅばっと身構えた美女の隣、笑顔の男の背中に真っ赤な炎の翼が生えるのを加賀城獅楼は見た。
最早言葉もなくポカンと口を開いている獅楼を余所に、ざっぱーんと再び飛沫を上げた海に、巨大な鯨が姿を現す。


「弱きは滅びよ。我が子、『不要』の様に」

果たして鯨の背に、真っ赤な髪の女が立っていた。
たわわな巨乳は離れた位置からも判る、凄まじい揺れだ。決して波の勢いが凄まじい揺れを産んでいる訳ではあるまい。獅楼は呆然と砂浜に立つ美女と、鯨の背に立つ美女を見比べたが、同じ美女でも此処まで違うのかと見当違いな事を考えた。

「貴様ァ!この俺の舞子の乳を厭らしい目で見るとは何事だァ!」
「えっ、な、何で判っ?!」
「鳳凰ちゃん!大変よ、火霧大叔母様が伝説のエクスカリバーを持ってるわ!あれは、あれは、…俊ちゃんから貰ったの?良いわね、素敵ね」

獅楼が獅楼よりずっと小さいイケメンに胸ぐらを掴まれた瞬間、余りにもマイペースな声が放たれた。
それと同時に男二人が見上げた先、どんな跳躍をすれば海の中の鯨からこの砂浜まで飛べるのか、巨大な大剣を振りかざした巨乳赤毛の女が、太陽を背に切りかかってくるのが見えたのだ。

「な、」
「ふむ。中々に面映ゆい」
「弱きは滅せよ」

丸い目を見開いた獅楼から手を離した男の呟きとほぼ同時に、彼女の冷徹な声は落とされる。
背筋に走った恐怖で動けなかった獅楼の手から焼き蒲鉾を奪った貧乳…否、舞子と呼ばれた女は、握り締めた蒲鉾を豪快に振りかざしたのだ。

「…やるな、娘」
「わたくし、地獄の底で鍛えておりましたのよ。地獄の底は素敵な所なのです。だっていつも一緒に居られるんですから。ね、鳳凰ちゃん」
「うむ」
「えっ?!地獄の底って?!つーかその剣って蒲鉾で防げるもんなの?!」
「あらシロちゃん、蒲鉾には蒲鉾板があるのよ?」
「流石は小田原蒲鉾、舞子の好物なだけはある」
「はい?!」

何だこの二人は。話が全く通じない気がする。これは最早、俊を越えて神威のレベルだ。日本語なのに意味が判らない。

「何が何だか判んな過ぎるよ!」
「大丈夫よ、シロちゃん。こんな事もあろうかと死んだ後から修行を始めたおばさんが、ささっと助けてあげます」
「流石は舞子、何と美しく凛々しいのか!いとおかし!」

さらさらと星の砂と化して消えた赤毛の女は、巨大な剣を残して砂浜に消えていく。そんな事には目も向けず、獅楼の目の前で美男美女カップルはいちゃいちゃしているではないか。

「えっと…」
「蒲鉾ってどうしてこんなにモチモチしてるのかしら。ふぅ」
「くぇーっくぇっくぇ!愛しい舞子のモチモチ肌には劣るがな」

握り締めて潰れた蒲鉾へ、もきゅもきゅと豪快に食らいついた美女は悲しげに己の胸元を見やり、おっとりと頬に手を当てた。

「旦那様。桐火お母様もおっぱいがいっぱいだったのでしょう?どうして私のおっぱいはちっぱいなのかしら。駿河が吸いすぎたから?それだと変ね、だって産まれてこの方、膨らんでた試しがないもの」
「案じるな舞子、鳳凰ちゃんはそんな舞子のちっぱいが好物だ。生前から死後に至るまで、ただの一秒と逃さず大好物だぞ?」
「あらそう?ねぇ、シロちゃん。敏史ちゃんはお元気?」
「はっ?えっ?と、敏史って…じーちゃんですかっ?凄い元気ですけど、あのっ、何でじーちゃんを知ってるんスか?!」
「敏史ちゃんは私の弟も同然だもの。ねぇ、お父様、お母様」

ふわりと微笑んだ女は、じゃかじゃか三味線を鳴らしている男と、その隣で踊っている女を振り返る。二人は遠くからまったりと手を振ってきたが、揃って動きを止めると、後ろ後ろと叫んだのだ。

「「「後ろ?」」」
「弱きは排除せよ」

それと同時に、真っ赤な髪と眼を持つ長身の女が、獅楼の隣に立っていた黒髪の男を貫いた。
さらさらと星の砂と化した男が消えていく光景を、瞬き一つ出来ないまま、ただただ、獅楼は見つめたのだ。

「鳳凰ちゃんを倒すなんて、流石は桐火お義母様。初めましてお義母様、帝王院舞子享年52歳です!」
「弱い者は塵も残さず消えねばならない。良いか舞子、愚かしき鳳凰は弱いが故に私が屠ってやったのだ」
「でもわたくし、負けませんわ。だって旦那様は弱虫なんかじゃありませんもの」

それでものほほんと宣った帝王院舞子は、砂浜に突き刺さっていた大剣を引き抜き、躊躇いなく真っ赤な女の胸を貫いた。
胸を刺された女もまた、純白の星の砂に変化し、白い光を撒き散らしながら砂浜に消える。

「あ…あぁ…死、死んだ…っ?!」
「気にしなくて良いのよ、シロちゃん」
「なっ、何ゆってんの?!アアアアンタ良く平気で刺せたよね?!」
「だってお義母様は鳳凰ちゃんを刺したのよ?殺して当然じゃない」

にこにこ、と。

「と…うぜ、ん?」
「何も悪くないの。だって私が死んだのは貴方の所為じゃないわ。だから鳳凰ちゃんが死んでしまったのもまた、貴方の所為なんかじゃないわ」

にこにこと、美しい女は微笑んだ。
何がおかしいのか獅楼には判らない。目の前で次から次に人が消えていく、獅楼にはそれが、理解出来なかったのだ。

「死人が生き返る事なんて有り得ないの。死んだらそこで終わりなのよ。でも私は私のまま此処に存在している。今この時限での私は、生きているの」
「な、にゆってるの、か…」
「仕える者に罪なんてないのよ。従者の罪は常に主の罪で、だから償うのも主人だけ」

頭の中に入ってくる言葉の羅列が、正しいのか間違っているのかも判らない。それ所か正しく理解しているのかさえ怪しい。声が出ない獅楼の混乱は思考をそのまま現しており、穏やかな表情の女は三味線に合わせてくるくると踊っている。

「日は緋色、負は免罪符。くるくる、くるくる、廻るのよ。狂った時を正す為に。狂った今を糺す為に」

何がおかしいのか。
それとも自分がおかしいのか。
ああ、変な夢だ。バグでも何でも良い、夢を喰らうと言うバクが現れてくれないだろうか。この狂った夢から助け出して欲しい。


「弱きは滅せよ」
「弱きは排除せよ」

潮の音、寄せては返すシーグリーンから聞こえてきたのは男女の声だった。
震えながら無言で眼を向けた獅楼は、今度こそ佑壱そっくりな赤毛赤目の男と、その隣にこれまた見事な赤毛を結い上げた巨乳を見たのだ。

「雲隠に珍しく産まれた男子は、修行に耐えられず三歳で腕を失った。弱きは滅びねばならない」
「然し火霧お祖母は躊躇ってしまった。腹を痛めて産んだ子を、簡単には捨てられない」
「焔(ほむら)と名付けられた子は葬られた。雲隠の負った負は『歩』に、十口へと落とされる」
「『不要』と言う烙印を捺されて」
「王は歩にはなれない」
「王は騎士にはなれない」
「「狂った今を糺せよ」」

さらさらと、二人はそのまま砂と化していった。
もう驚いていない自分に気づいた獅楼は、焦りや悲しみが麻痺している事を本能で感じている。目の前で人が死んでも、鼠を踏み殺した時の様に、慣れるのだろうか。

「狂ってるのはどっちだよ…!」

そうだとすれば、人とは何と恐ろしい生き物なのか。自分はそんな恐ろしい生き物なのか。人と言う、恐ろしい生き物なのか。

「お…おれ、もう、やだ。…出して!ユーさんを助けに行くんだ、おれを此処から出せよっ!」
「逃げてはいけないのよ」
「っ、何でだよ!ま、舞子って、会長から聞いたから知ってるよ!貴方は学園長のお母さんなんだろっ?!」
「そうね。駿河は私と旦那様の子供」
「だったら総長の…っ!」
「そうね。俊は私と旦那様の曾孫」
「や、やっぱり会長が言ってたのは、ほんとだったんだ…!だ、だからアイツはおれに嫌がらせをしたんでしょ?!嵯峨崎は加賀城を憎んでる、そうなんでしょ?!」
「あら。可憐さんが私を憎んでいるなんて、初めて知ったわ」

おっとりと、目の前の女は微笑んだ。
それと同時に彼女の遥か背後で、天を貫く様な凄まじい竜巻が沸き上がったのだ。

「この私が舞子様を嫌う筈がありませんわ!今の発言を直ちに取り消しなさい、加賀城獅楼!」

まるで龍の様に巻き上がった巨大な竜巻は、恐ろしい怒号を放つのと同時に、金色のしゃちほこへと変わった。
そのしゃちほこに股がった黒髪の女は、獅楼から見ても平凡な女に思えたが、然し獅楼は丸い目を真ん丸に丸め、

「金龍?!違う、あれ、名古屋城だ!こないだ見た!す、スッゲー!カッケー!」
「…あ?かっけー?」
「格好良いと言う若者語なのよ、可憐さん」

はしゃいで駆け出し、足が濡れるのも構わず波の中に入り、聳える雄々しい金のしゃちほこを興奮げに見上げた。
おっとりと宣いながら海の中へと足を踏み入れた女は、するするとしゃちほこから降りてきた女を見上げ、ドレスの裾をつまむ。

「ご機嫌よう、可憐さん。貴方にまた会えるなんて、とても嬉しいわ」
「っ。舞子様!私、私がお側に居りながら、あの様な悲劇を招いてしまった無礼、何とお詫びすれば良いか…!」
「良いのよ。私はとっても幸福者なの、大好きな旦那様と一緒にいられるんだもの」

白い手が伸びてきた。
反射的に避けそうになった獅楼より早く、細い手首を獅楼の頭に乗せた人は、良い子、良い子と微笑んだ。
獅楼よりずっとずっと小さい女の手が頭に乗るのは変だと思ったが、先程までしゃちほこに乗っていた、これまた小さい女の腕に後ろから抱えられている事が判った。

「ふふふ。シロちゃんの髪の毛、ツンツンしてるのね。まるでススキさんみたいよ」

一重瞼の冷たさを感じる面構えに、極々細い、最早皆無と言っても構わないだろう眉を持つ、背丈ほど髪が長い女は、舞子にはにこにこして見せたが、獅楼を見る時は『やんのかコラァ』と言わんばかりの恐ろしい顔である。

「あ、あの、おれ、おれ、何かしました?」
「え?シロちゃん、もうナニをしたの?15歳なのに?あらあら、おませさんね」
「へっ?!」
「ふふ腐」

美しい微笑を前に獅楼は瞬いた。
そして唐突に、目の前の美女が遠野俊の曾祖母である事を痛感したのだ。激痛と言っても良い。俊が大抵毎日浮かべている、あの分厚い黒縁眼鏡の下の腐った笑みに似ているからだ。

「うーん。舞子さん、総長にそっくり…」
「おみゃあ、気安く舞子様の名を呼ぶんでにゃあわ!カチ割るぞコラァ!」
「ひぃ!こここ、こっちの人はユーさんにそっくり!!!」

海からきゅぴんと聳え立つきらびやかなしゃちほこが、沈黙した世界でキラランと光る。

殴られると頭を抱えて座り込んだ獅楼が恐る恐る見上げた先、ポカンと獅楼を見つめている女性二人に気づいた。美女はやはり美女なまま首を傾げているが、その僅かに背後で、神経質げな一重の双眸を丸めた人は、何とも言えない表情で暫く黙り込んでいたかと思えば、深い溜息を吐いたのだ。

「ふー…。あの加賀城宗家の末に、こんな馬鹿が産まれるなんて…」
「あら、加賀城は江戸時代に嫡男が養子に出た時から、他人ほど血が薄いのよ?山梨の宗家と静岡の本家は別のものだと思ってちょうだい、可憐さん」
「それでも、畏れ多くも舞子様に刃を向けた女の血など、残らず絶やすべきなのです。鳳凰の宮様の慈悲さえなければ、加賀城智子、加賀城敏史は、共に消えた筈なのです!」
「可憐さん。旦那様は仰ったわ、家族は傷つけあってはならないのよ?」

にこりと、微笑んだ舞子の台詞で、ぶわりと涙を浮かべた『カレンさん』は沈黙する。あれの何処がカレンだと思ったが、女性には紳士に接しなければならないのがカルマの数少ない掟だ。

状況が読めないながらも口を挟めずに、頭を掻きながら目を逸らした獅楼は、キランキランと光輝くしゃちほこを暫く眺めた。城フェチの藤倉裕也が見たら喜ぶだろうと考えて、そう言えば他の皆はどうしたのだろうと今更思い至る。

「あのー、おれ、ほんとはこんな夢見てる場合じゃないんですけど、これってどっかから出られるんですか?」
「夢だと思っていたの?」
「ふん。琉球で大人しくしていればこんな目に遭わず済んだものを、自業自得だわ。…若宮様も甘うていかん、免罪符の系譜は『覚悟』で赦されるなんて」
「免罪符?覚悟?」
「シロちゃんは帝王院から最も遠い、『負』の系譜なの。だから此処には空が存在するでしょう?光の系譜は皆、閉ざされるのよ」
「は?」

人相の悪い女は獅楼の問いには答えてくれなかったが、優しい舞子はにこにこと教えてくれた。蒲鉾板を往生際悪く舐めながら、朗らかに。

「光の系譜は『絶望』で赦される。可憐さん、貴方は心配じゃなくて?」
「まさか。この程度の試練も乗り越えられない様な弱虫、孫とは認めませんわ。若宮様の最も近くに置いて頂ける狗として、底無しの絶望からも這い上がる翼を持たねばなりません」
「そうね。可憐さんは私の翼なのよね」
「はい、舞子様」

微笑む舞子の前で、淡い笑みを零した女は銀色に輝く鉄の翼をはためかせた。何処から出したのか、重そうな翼をばさばさと動かし、白い星の砂を浮き上がらせる。

「王は三人で四つずつの命を贄に絶望の歯車を回し、皇は三人で四つずつの魂を燃やし、希望の羅針盤を正しく廻すのよ」

ばさりと、真っ赤な炎の翼をはためかせた舞子は、おっとりと微笑んだ。稀に見る事が出来ると有名なシーザーの微笑も、こんな風に慈悲と優しさが混ざった笑みだと知っている。

「………。意味判んないとこも、食欲旺盛なとこも、総長にそっくりかも」
「ふふ」
「おれは免罪符って事は、何か悪い事をしてしまったから、償わなきゃいけない?」
「違うわ。何の罪もないのに自分で自分に罪を課している負の系譜…。そうね、シロちゃんは良い子だからおばさんが少しだけ教えてあげる」
「舞子様」
「可憐さん、本当は可憐さんだってシロちゃんを悪くは思ってないでしょう?」
「そ、それは…」

神威から聞いた話を思い出した。
あの時は全く判らなかった話が、今になって獅楼の頭の中を駆け巡るのだ。大体、神威の話し方は難しすぎる。馬鹿にも判る様に話してくれれば良いのに、優しいのか意地悪なのか判らないのだ。
本当に、俊と神威は変な所が似ている気がする。

「ああ、そう、そうなのよ、シロちゃん」
「え?」
「王と皇、それは帝王と皇帝を現しているの」
「帝王と…皇帝?あの、それって…」
「緋の系譜は帝王院の血を繋ぐ罪を灌ぐ者、負の系譜は主が人として生きる為の責任を課す者。この世は、全てに理由があるのよ」
「???」
「今はまだ判らなくて良いの。試練は全員に課せられる訳じゃない。正負どちらの主も、必ず試練を課せられる。彼らの系譜はただ、主の歯車を正しく回す為に存在するの」
「主の歯車、を?」
「夜は試練を与え、黒の果てに朝を迎える事が出来るのか。それでも、そうね、獅楼ちゃんは贔屓なのかしらね」
「え?おれだけ贔屓?」
「光の系譜にはそれぞれ空の名が与えれる。リヒト、日向、太陽」

獅楼は眉を寄せた。
裕也の本名がリヒトである事を、本人から聞いた訳ではないが知っていたからだ。何せ同じAクラスで、裕也は獅楼の前の席である。リヒト=H=藤倉が学籍に登録されている、ドイツ国籍の裕也のフルネームだ。

「だけど運命の歯車は狂ってしまったわ。他でもない、作者が己を偽った所為で」
「作者って、あの、もしかして、総長?」
「獅楼ちゃんは賢いのね。星は自分が月になれるかも知れないと考えたの。夜の理を曲げて騎士になる事で、月を照らす光になりたいと願ったのよ」
「月を照らす、光」
「帝王院は陽の系譜。けれど遠野は夜の系譜。その狭間に産まれてしまったあの子は、自分がどちらなのか判らなかった。夜なのか朝なのか判らなくて、だったら月の光そのものになろうと」
「おれ、あんま良く、判んないです。ごめんなさい」
「まぁ、それはそうよ。あの子を理解出来る人なんて、この世の何処にも居ないの。だってそうでしょう?その人が何を思い何を考えているのかなんて、本人にしか判らないのだから」

瞬いた獅楼は俯いて今の言葉を反芻し、曖昧に頷いた。
そうだ。その人が何を考えているのかなど、他人に判る筈がない。だったら、神威の言葉に零人本人の考えなど微塵も混ざってはいないではないか。

「負の系譜である榛原が狂っているの。空を名乗る事はあっても陽を名乗る事など一度もなかったのに、それは帝王院から陽が消えてしまったからよ。仕方ない事なの、だって三人の王は、神ではないのだから」
「………」
「天神の姿は誰も知らないのよ」

良かれ悪かれ本人から聞いた話ではないのであれば、傷つくのは時期尚早過ぎる。
今更ながら恥ずかしくなった獅楼は、目を上げた瞬間、目の前の二人が居なくなっていた事に気づいた。振り返った先、三味線を弾いていた男と踊っていた女の姿もない。

「…あれ?マイコさん?カレンさん?おじさん、おばさん?!ええっ、皆どこっス?!」
「猛き者の絶望は夢の如し」

二人が消えて尚、緑が混じる艶やかな海から聳えているしゃちほこから、男の声が聞こえてくる。
今度は誰だと身構えた獅楼の双眸に、果たしてその男は現れた。

「伏せし者の覚悟は鋼の如く在るか、否か」

キラキラと艶やかな白銀が、金のしゃちほこに負けず光を散らしている。

「だ、れ?」

真っ白だ。
真っ白な衣を纏い、真っ黒な烏帽子を被った誰かは、キラキラと白銀の光を撒き散らしていた。まるで龍の如く反り返るしゃちほこの上、烏帽子から垂れる半透明な布で顔を隠している。

「我が名は安部河に産まれし天の子、帝より拝領した銘は『天守』」
「あまつのもり?」
「宙の落胤を堕とせし安倍の血を汲む子よ。御主の覚悟、我が眼前に示せ」

ぶわっと、金の龍が飛び立つのを見た。
それと同時に空へと舞い踊った海が、天空で大瀑布を描く光景をコマ送りで、ただ。



「即ち、負を符へ正しく還し、彷徨える魂を千本鳥居の果てへ須く届けんが為に」

飛沫と共に舞い踊った布の下、漆黒の髪と双眸を持つ男の顔を確かにこの時、加賀城獅楼は視たのだ。














全てが終わった時に、私は私の歩いた軌跡を書き留めておかねばと、ふと、そんな義務感に襲われたのです。

…ふふ。随分変な話でしょう?
こう言った類いのものは遠ざけてきた様に記憶していますが、今回の出来事は少なからず私を変えたのかも知れません。


人は個々の全てが不十分なのです。
知っていた筈なのに、本当は誰もそれを真から理解してはいないのでしょう。
だから間違える。だから悔いる。だから未練を残す。いつの時代も変わらない、これこそが真理なのです。


彼は言いました。
私には足りないものの方が多いのだと。
そしてまた彼は言いました。
けれどそれ以上に自分もまた、足りないものばかりなのだと。

欠けた人間同士支え合えば、少しはマシになるかも知れないなんて、笑ってしまうでしょう?

完璧に近づくかも知れないではなく、今よりは多少良いのではないか、その程度の提案だったのです。控え目は美徳とは言いますが、提案が妥協案だと隠す素振りもないだなんて。慎ましいのか後ろ向きなのか、理解に苦しみました。


けれど私はその手を取ったのです。
いいえ、彼が私の手を取ったのです。
…ふふ。すみません。そんな事はもうどちらでも良い事でした。今はもう、何も彼もが小さい事だと思えてなりません。初めからきっと、小さかった筈なのに。愚かにも、気づきもしなかったのです。


全ては神の描いた喜劇でした。
希望も絶望も喜びも悲しみも全てが。一つの例外もなく全てが。

…ああ、それこそ、そんな事は皆さんご存じでしたか?



人は人生の最後に、赤い追記を残すのかも知れません。
血に刻み続けた記憶の全てで、己の魂の最後の灯火で、赤い赤い、つまりはレッドスクリプトを。

けれどそれは、その時が来るまで誰にも判らない事なのです。
けれどその時、私の最期の後書きには必ず彼が出てくるだろうと、今は確信しています。祈ってさえいます。願う様に、望んでさえいます。



DEAR
 ほんの数ヶ月前の私
FROM
 ほんの数ヶ月後の私より



追伸。
私達は神が視た夢の残骸。
決して希望を抱いてはいけません。パンドラの箱には、ただただ絶望だけが詰め込まれているのです。


さぁ、逝きましょうか。



ねぇ、あの時確かに言ったでしょう?
タイトルは『堕落した少年の生涯』だと、他でもない、貴方自身が。


←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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