帝王院高等学校
こっちもあっちも大忙しにょ。

無人の部屋はがらんと静寂している。
自動空調の効いた敷地内は年中適温で、油断すれば季節を忘れてしまいそうだった。


「劇薬放置して何処ほっつき歩いてんだ、保険医は」

春先、と言う現実を差し引いても眠たい。気を抜けば今にも重力に負けそうになる瞼が重く、ネクタイを緩めて簡易椅子に腰掛ければ謀らずも長い溜め息が落ちた。

「あー…、面倒臭ぇ。」

引き摺った足の鈍い痛みが快感に感じられてくる。すぐ向かいにある冷蔵庫から氷を取り出す労力すら勿体ない気がした。


重症だ。



「…カルシウムが足りないぜ」

浅慮、とは正に自分の事だろう。
幾ら焦っていたからと言って叶二葉の策略に乗ってしまったのは紛れもなくこちらだ。
あの見るからに他人を見下した高坂日向も、透き通った女神の微笑を滲ませる叶二葉も仲間ではない。寧ろ敵だと。



『…聞こえるか、人の子。』

判っていたのに、たった一言掛けられた呪文で目が眩んでしまったらしい。

『スニーカー・イン・ケイアス、…闇を闊歩する魂を掬い捕えた者に褒美を与えよう』

あの日、

『我が眼前に人間の王を差し出した者に、望むがままの褒美を』

神帝が掛けた魔法は、帝王院全域を一瞬で支配した。


「…あんな奴が生徒会長なんて、先が思いやられるな」

眉間を揉み解し、腰まで下げたスラックスの内側で震動する携帯を漁る。どうせまた恋人からの催促メールだろうと再び息を吐けば、


「っ」

吐いた息は忽ち肺の中へ戻っていった。
小さな機械の塊が、然程長くはないメールを表示している。明らかに時間指定の自動送信メールだと判ったのに、



「泣きそうだぜ」

恋人からのメールにさえ身動きしない指は、凄まじい早さでボタンを押していった。


















「うひゃ、…メール?」


冷たいリノリウムをゴロゴロ転がっていると、首に引っ掛けたストラップの先端が音を発てた。
まるで子守歌の様なクラシックは日本でも童謡として定着しているメジャーなもので、どうせろくなメールではないだろうと教えてくる。
友達や仲間からのメールは着信音が違うから、大嫌いな両親か大嫌いな家庭教師かダイレクトメールか。

とにかく開かず消去してしまいたくなりながら嫌々フォルダを開いて、



「あらら(οдО)」

跳ね起きた、現金な体。

ああ、ああ、もう、ナイスタイミングなのかもしかして見張られているのか理解に苦しむが、余りにあの人らしくて文句も出ない。
人を振り回すだけ振り回して。
飼い犬が怒る事など考えもせず自由気儘に居なくなった王様からの、短い短いメール。



「同人封筒って何だっつーの(`∀´) 畜生、謎だらけのご主人様め。…意地悪してやる(´∀`)d」

返信メールを起ち上げて、送信先アドレスをコピーし同じアドレスを同時送信先に合計11個張り付けた。

「件名、至急ご確認下さい」

中身は空メールだ。
添付ファイルに、上半身素っ裸の佑壱がバイクに跨り中指を突き立てている『やんのかコラァ』な写メを張り付ける。
誰が見ても怯む凄まじい形相のベストショットだ。これを目にした人の表情を想像して笑いが零れた。


「うひゃひゃ、11通のユウさんなんてマジうぜぇw(∀) ビビって腰抜かしやがれ総長めw( ´Д`)/-☆」

送信完了メッセージと同時に閉じた携帯を、然しもう一度開いて新規メールを起ち上げる。
まだ、確信など何処にも無いけれど。もしもご主人様が近くに居るならば、言わなければならない筈だ。



「件名、歌ったり眠ったりラジバンダリ」

子守唄が聞こえる様な気がする。
あんなに探していた人から呆気なく送られてきたメールは短くて、でも『また連絡する』の添え書きに全て許してしまいたい気分になったから、





To: 愛羅武☆総長♪
subject: 歌ったり眠ったりラジバンダリ

健吾っす。
自分、総長の言い付け破ったっす。
ごめんなさい。反省してますm(__)m





だから、お返事下さい(ノд<。)゜。




送信完了メッセージを暫し眺めて、大聖堂の鐘に似た予鈴が鳴り響くと共に立ち上がる。
始業式まで残り一時間、サボるのは明らかに勿体無い。始業式では帝君が壇上に上がるのだから、大好きな人が二人並ぶかも知れないのだ。



「一人、ヤバイ奴が居るけど(~Д~) …っちゅーか、眼鏡君がもし総長だったら………はぁ?!
  いやいや、大分マズいっしょ!Σ( ̄□ ̄;)」

弾かれる様に立ち上がり、ふらついた頭を振って携帯を胸元に仕舞い込む。
明らかに意地悪してやるなどとほざいている場合ではない。



帝君、式典、壇上。
この単語が全て当てはまる人間は、何も佑壱と外部生だけではないのだ。




「会長の、近く…」


笑えない。
笑えない。
笑えない。
思い出せ、大好きな人が残したメッセージを。思い出せ、自分の心臓を捧げた誓いを。



思い出せ、空いた右胸に刻み込んだ不滅の魂を。




『彼のお陰で俺の人生は狂いました』


あの日、残された手紙に記された一行で自分達は一斉にあの男を睨め付けた。
睨むしか出来なかったと言う方が正しいだろうか。佑壱でさえあの男を睨みながら近付きもしなかったのだから、その腑甲斐なさに遣る瀬なく、佑壱が後々暴れ回ってしまったのも仕方無かったのかも知れない。

「弱虫でごめんね、総長orz」

終業式、つまり中等部卒業式の壇上に掲げられたスクリーンに映った異様な雰囲気を纏う男を思い出した。





「ご褒美は、明太子お握りで十分だっつーの(`∀、σ)」


自分が意地悪をしても、あの男がご主人様を苛めるのは許さない。






















「お帰りなさいませ、マスター」


無人と思っていた理事会室に踏み入れた足は、恭しく頭を下げる男の台詞で踏み留まった。

「随分、雰囲気が変わりましたねぇ。私のキャラと被っている様で全く被っていないなんて…ああ、震えるほど愉快!」

空席の理事長席に優雅に腰掛け腕を組む男の笑みに、掻き上げた前髪を引き抜き眼鏡を外す。

「おや、折角お洒落だったのに」
「そうか」
「外に出られましたか」
「ああ」
「楽しかったですか?」
「いや」
「それは、残念でしたねぇ」

クスクスと鈴を転がす様に笑う声を聞きながら、手近なソファに腰を埋めた。

「先程連絡がありました。帝都会長はやはりお見えにならない様です」
「承知の上だ。父の名代は俺が務める」
「全く、貴方は表情筋を何処に捨てて来られたのでしょう。それでもまだ18歳ですか、81歳の間違いでしょ」
「面映ゆい」
「無表情で恥ずかしがられても今一感動に欠けます。ぶっちゃけつまんない、不愉快山の如し」

他人事の様に呟かれた台詞に首を傾げ、いつもいつも同じ微笑を滲ませる男へ口を開いたのだ。

恐らくこれ以上無い言葉で、



「お前が敗北を許した唯一の男は、今頃大紅蓮の門前だろうか」

微笑を浮かべたまま硬直した秀麗な顔を見やり、淡々と吐き捨てた台詞は悪戯への仕返しだ。
大紅蓮、地獄を表す言葉は単に佑壱を指し示す。悪い方に言葉を受け止めれば、『死んだ』と思い込むだろう。



「偶然通り掛かったキャノンゲートで、二人の少年と対峙していた」
「へぇへぇへぇ、3へぇ頂きました」
「最後まで気丈に振る舞っていたが、武術の心得を持たぬ人間は、」
「…どう言う事だ、それは」

最後まで、と言う台詞で組んでいた腕を離した二葉が立ち上がる。
敢えて判り易く固めた左拳を頬に当てれば、珍しく目に見えて狼狽した男の顔に息を吐いた。


「少々大仰に言い過ぎたか。久し振りに黄昏の君を目にした」
「ふん、嵯峨崎弟が地獄ならゼロは魔界ですね。まぁ、あの残念な程に重度のブラコンさえなければの話ですが」
「然し、高野健吾が山田太陽を暴行したのは事実だ」
「偶然通り掛かったなら何故、」
「『止めなかった』、と?何故お前がそれを口にする」
「学園内の秩序を守るのが私の、」
「高野健吾を処分するつもりならば構わん、退学にしてやろう」

笑みを失った事にも気付かず言い募る男に手を差し伸べれば、深い息を吐いた痩身の体躯が再び理事長席に埋まる。


「退学を望むか?」
「…私は現場確保派です」
「お前が望んだ結果に相違ない筈だ」
「………追い出したいだけで、誰も怪我をさせたかった訳では…」
「過程に生じる様々な可能性を想定しなかったとでも言うか、お前は」
「…」
「情けない顔をしているな」
「…喧しい、少しは可愛らしく笑ってみなさい」
「山田太陽の様に、か。人には得手不得手と言う関門が立ち塞がる」
「あ、たった今中耳炎になりました。私の鼓膜は定休日です、何も聞こえません」
「ほう、それもまた面映ゆい」
「それと、私が負けたのは暗黒皇帝に、です。勘違いしないで下さい」
「俺にはそうは思えぬがな」
「耄碌ジジイ、老人ホームにぶち込みますよ。たまにしか面会に行ってあげませんからね」
「そうか」

日向にしても二葉にしても表情豊かだと首を傾げ、天井のシャンデリアに紛れた赤い光へ指輪を掲げた。



「プライベートライン・オープン、敷地内コード『ディアブロ』を検索し回線を繋げ」
『了解。マスターリングを確認、ティアーズキャノンF17エリア31へお繋ぎします』

機械音声が途切れると同時に、二葉の背後一面に光が浮かび上がっる。
壁のスクリーン一杯に映り込んだ金色の塊に首を傾げ、口を開く。


「起きていたか」
『…どいつもこいつも人を何だと思ってやがる。起きてちゃ悪いか』
「随分機嫌が良いな」
『厭味はお断わりだ。テメェじゃなけりゃ咬み殺してんぞ』
「頼みがある、高坂」
『…はぁ?』

白昼堂々瓶ビールを片手にベッドの上で足を組む男が間の抜けた顔を晒した。
微動だにしない二葉を怪訝げに見やりながら、然し真っ直ぐ不審げな目を向けてくる。


「我が執行部が誇るセカンドに、無傷で追い出したい生徒が居るらしい」
『…外部生かよ』
「いや、別の生徒だ。どう考える、光炎の君?」
『追い出したいなら追い出しゃ良い。…ンな下らん用で俺様のプライベートを阻害するな』
「ならばやはり頼みがある、高坂」

ビールを吹き出した日向が縋る様に二葉を見つめたが、漸く顔を上げた二葉までもが目を見開いて驚愕を隠さない。


『気色悪いなテメェ、何が頼みだ何が!鳥肌立ったわ!』
「む。ならばお願いがある、と言うべきか?」
『…普通に命令すれば良いだろうが、蕁麻疹が出るわ』
「嫌ならば無理には頼まん。至急手配して貰いたいものがある」
『何だ』
「頼まれてくれるか、高坂」
『条件次第だがな。アンタの頼みを聞いてやる義務は無い』
「礼は考えてある」

不機嫌な日向に対し、無表情な神威が示した『謝礼』は凄まじい価値を秘めていた。



「ヴィーゼンバーグを今暫く黙らせてやる。…どうだ、不服か」
『高が帝王院如きにあの腐れ公爵家が引き下がるか』
「そうだな、帝王院では所詮日本征服程度だ。然し、俺にはヴィーゼンバーグなど赤子同然」

日向と二葉が揃って口を閉ざしたのは、その囁きに似た言葉に怯んだからと言う訳ではない。



「直々に女王へ命じてやろう。暫くは彼らも身動き出来まい」
『…マジかよ』
「不服か」
『チッ』

一介の高校生が吐く言葉では無いと唇を痙き攣らせる日向を背後に、眼鏡を押し上げながら二葉の口元にじわじわと笑みが滲んでいく。



「それで、私は何をすれば宜しいのでしょう、陛下」


想像も出来ない愉快な何かが待っている様な気がしてならない。










「何、…ただの余興だ。」


この男が笑う顔を、初めて見た。

←いやん(*)(#)ばかん→
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