帝王院高等学校
宵を抱いて暁を待つ狭間
「おいで、宵の宮」

蝉が鳴いている。
植木の隙間から差す日差しと枝葉の影によるコントラスト、盆地特有の暑さに湿った空気。

「どうして呼ばれたか、判っているね」

見上げるほど背の高い男の纏う、藍色の着物は。見た事もない異国人の形見だと聞いた。ブロンドに、サファイアの瞳を持つ、遺影の中だけの父親だ。

「…承知してますえ、龍の宮様。全ては、あての仕組んだ事」
「悪い子だねぇ。母様が、泣いているよ」

鳴いているのは蝉の声。
今年は見窄らしかった染井吉野は今、万緑に染められている。

「文仁の友達を犯罪者にして、楽しかったかい?」

白と灰のコントラスト。
日差しが降り注ぐ長兄の唇は笑みを描いたまま、そよそよと。湿った風が、汗ばむ肌を撫でる気配。

「いいえ」

遠くから何かが割れる音と、他人の慟哭が聞こえてきた。
次兄の声は、しない。





「毎日退屈で敵いません」















今のは夢だろうかと、肉の薄い頬をつねる。
肩を掴む男から激しく揺さぶられているのは判っていたが、声は出ないまま。

「奥様!しっかりなさって下さい奥様!」
「…」
「ああ、もう!俺が電話してる間に何があったんですか?!」

もう、この手は一生、洗わない。
今の今まで出逢ってきたどの男とも違う圧倒的な存在感、腰が痺れる様な声音に射抜かれて、今。


「…シーザー。…本物、だったわ…」
「よ、良かった、奥様!気づかれましたか?!」
「手…あた、あたし、手を握られてしまったんだわ…!」

どうしよう、と。
縋りついた常務はズレた老眼鏡の下、吊り目を丸めていた。ぶるりぶるりと胸を震わせた人は震える手で携帯を開き、瞳に涙を浮かべて、いや、ボロボロと泣きながら。

「も、もし、もしもし、ひひひ大空…っ?!あた、あたあたあたあたしなんだわ!助けて…!あた、あたし、ど、どうしたらいいのか判らないんだわー!!!」
「奥様!しっかりなさって下さい奥様!話してらっしゃるのは社長ですか?!俺が電話しても出なかったのに…!もしもしっ、社長?!一ノ瀬です社長!」
『ピーっと言う発信音の後にメッセージをどうぞ』
「…」
「うっうっうっ、サイン…サイン所じゃなかったんだわ…!うっうっ、こうなったら太陽に頼み込んでシーザーのサインを何としてでも貰わせるしかないんだわ!常務!腰が抜けた!おんぶ!」
「………判りました…」

げっそりした表情で携帯を閉じた常務は、あどけない表情でボロボロ泣いている巨乳をとりあえず背負う事にした。

「太陽を探し出すんだわ!あたしはあの子に、全てを懸けるわよ…!」
「所で奥様、錦織君と神崎君は?」
「しら、知らないんだわー!そんな事よりシーザーが!シーザーがあたしの手を握ったのよ?!いやー!いやー!!!」
「…シーザーって何ですか、奥様」

哀れな常務は、それが使えない総務部長の息子の事だとは知らないままだ。

















「女、ねぇ」

カメラ映像を見ただけでは判らないと息を吐き、こめかみを無意識の内に何度も叩いていた人差し指を握り込む。

「…違和感程度では確証には至らないとして、タイトルは『懲罰棟の檜風呂』」
「は?マ、マスター?今、何か面白い事言った系?」

何の腹いせにもならない足元の人体テーブルを一瞥し、イヤフォンを外した。イヤフォン越しに川南の声は聞こえていたが、敢えて返事はしない。叶二葉とはそう言う男だ。

「確かに知ってましたけど、思い出したのはつい最近の事なんですよねぇ…」
「「?」」
「昔話にしては変に凝った設定だとは思っていましたが、あれが真実だとすれば…」

独り言の様な呟きに二人は眉を潜めたが、尋ねた所で二葉が答えてくれる可能性は限りなく低い。つまり言うだけ無駄だ。

「ウエスト、貴方から聞いた話は全てですか?」
「…は?」
「私の部屋のセキュリティは全て対人排除に回していました。お陰様で、盗聴までは回らなかったのですよ」

ああ。
靴が、汚れている。

「そもそも、寝ている人を盗み聞きするなんて、礼に欠ける行いですからねぇ」
「そもそも何でアキがあそこで寝てたのか聞いても良いすか」
「貴方が貴方にそっくりな誰かに何を唆されたか知りませんが、まがりなりにも、あの子の配下を気取るつもりならば、一切合切一つ残らず須く、白状なさい」
「全部話したでしょーが犯罪者め!それ以外に何があるっつーんだ!」
「困りましたねぇ。西指宿自体は他人なんですよ、本来」
「はぁ?!」
「冬月、明神…今はもう、当主さえ居ない家は除いて、叶、東雲。本来の名を受け継ぐ家は少ない。叶は昔、十口と名乗っていました。表向き、茶百姓だったのです」

汚れ一つない白。
醜い体を覆い隠し、白日に呑み込まれる、白。出会った頃には既に穢れていた我が身を呪い、片目の代わりに救ったのだと嗤い、頭の中はいつの間にか、一人で染め上げられた。

「ほら、十口を重ねると『田』になるでしょう?ふふ、つまり叶は四家ですらない、帝王院が従える手駒の最末端でした」
「…何でもかんでもご存じなこって。でも、マスターのお家事情なんざ俺には関係ないんじゃないんスかねぇ?」
「冬月は一度滅びましたが、死んだのは当時の当主代理だけです。他は皆、逃げ延びました。生き残った人間を把握する為に当時警察だった叶は、彼らに枷を課した」
「枷、って」
「名を『空蝉』で紡げと」

羨ましい話だ。
そう、同じイギリスの血を。光公爵と謡われた若き公爵だった父の血を継いで何故、自分ではなかったのだ。

「これは幼い頃に、兄から聞いた子守唄代わりの昔話です。当時の私には…いえ、つい最近まで私には、思い出す事さえなかったものですが」

女王が讃える蒼い眼など、必要なかった。遺影で見る声も知らない父親や姉と同じだと誉められても、何の感慨もなかった。
羨んでばかりだ。叶でさえなければ、と。いつも。今でも。

「…君も辛うじて繋いできたのですねぇ、ウエスト。ただ、シリウスの直系である君の義弟はともかく、君は全くの他人です。冬月の直系を名乗るのは余りにも烏滸がましい」
「…」
「ただ、高坂君は君を評価している。身内の評価など高々知れていますがねぇ?そう思いませんか、ウエスト」
「何で黙ってたんスか」
「血は限りなく薄い。と言うより皆無です。高坂君の曾祖母は確かに冬月の分家でしたが、貴方の家へ嫁いだ女はただの女中ですよ?シリウスの父、亡き冬月の正統当主が孤児を哀れと招き入れただけ。本人は勝手に娘を気取っていたのかも知れませんが」
「………そう言う事かよ。阿呆らし…」
「ですから、榛原の娘と結婚した冬月の血を引く高坂君と君の義弟君は、私にとっては目障りでならない存在なのです」

この靴の汚れの様に。
呟けば一言も喋らず壁の花と化していた川南が、恐らく無意識で西指宿を庇う様に駆け寄ってきた。

「お陰で、退屈だと思う暇もない」
「う、ぇ、へ?!きょ、局長…?!」
「だからこそ尚の事、私は陛下を哀れに思うのですよ」

怯えながらも痙き攣った笑みを浮かべ、お茶のお代わりはどうします、などと健気にも訴えてくる。

「げに憎らしいて敵わん。ほんまあれや、ああ、そう…どいつもこいつも勝った気になってんじゃねぇ、脳幹ぶちまけんぞ」
「ひょえ?!」
「痛ッ!ちょ、キタさん、髪引っ張んなって!抜ける…!」

怯えている川南の顔を真顔で眺めた二葉は、日向の嘲笑より数倍悪どい笑みを浮かべ、満足げに頷いた。

「怯える奴は泣かしたくなる、怯えない奴は苛めたくなる。…人間とは不思議ですねぇ、ふぅ。高坂君など昔はちょっとつねっただけでメェメェ泣いていた癖に、今や何をしても無反応と来た。私の悲しみが判りますか?」
「…そりゃアンタの頭が可笑しいだけっスわ、極悪人外魔境が」
「馬っ鹿ウエスト!本当の事でも言って良い事と悪い事がある系!」
「おや、この私を極悪だなんて失敬な…」

満面の笑みを浮かべた二葉の視界の端に、セキュリティカメラ映像の一つが映り込む。二葉の視線の先に気付いた西指宿が「あ」と声を漏らし、川南は瞬いた。

「あ…錦織と神崎が女連れてる系。スクープ…って、」
「ああ?!」

場所はこの学園の生徒ならば、判らない筈がない。
ティアーズキャノン正面、並木道から続く小高いステップロードを登り詰めた先、エントランスゲートまでの広場に。


「カ…ルマ」

慌ただしく出ていった川南を止める者はない。
シーザーに従う嵯峨崎佑壱を呆然と見上げている西指宿の隣、二葉が見ているのは彼らではなかった。 

「セキュリティオプトアウト、セントラルライン・オープン」
『コード:セカンドを確認』
「最終地点、46分前にヴァルゴ周辺にサブクロノスを発見しました。直ちに追跡して下さい」
『了解』
「ちょ、おい!」

足音もなく出ていく二葉を呼び止めた西指宿は然し、沈黙したモニタへ意味もなく目を向ける。



「サブクロノス、って。今のどっかにアキが映ってた、っつーのか…?嘘だろ…」

それが真実ならば、ストーカーどころの話ではない。
あの男の目には、カルマ総長など映りもしなかったと言うのか、と。


























「…ま、まぁ、今は何も考えるまい」

遠慮せず食え、と。
誰一人として口を開かない微妙な雰囲気の中、納豆を無駄にぐるぐる掻き回した男は練りわさびを手に取り、隣からそっと肩を掴まれた。

「駿河、納豆には辛子の方が良いのではないか」
「あ、ああ、判っている。…私を年寄り扱いするな!ちょっと間違えただけだ!」
「誰にでも失敗はある。気を落とすな」
「おのれ…!貴様がそれを言うかキング!」

卓袱台をひっくり返す勢いで豪華な木製の長テーブルに手を掛けた男は、ひっくり返せない事に気づくとすぐに椅子へ座り直す。にこにこと笑みは浮かべているが、目が笑っていない妻の痛烈な視線に晒された帝王院学園学園長はカッと目を見開き、

「…悪かった。つい、カッとなってしまった。面目ない」
「ふふふ。楽しくて仕方がないんですね、旦那様。でも旦那様はただでさえ雰囲気があるのですから、そうプリプリなさると皆が怯えてしまいますよ」
「判っている」
「いいえ、判ってらっしゃいません」

ピシャッ。
車椅子の肘置きを片手で叩いた人は笑みを消し、男一同は背を正した。喰う量もスピードも申し分ない遠野家のヘタレ大黒柱は、食べ掛けのコーヒーゼリーもそこそこに、しれっと逃げようとしたが、母親から名を呼ばれた瞬間に、隣の父親から腕を掴まれた。

「お待ちなさい秀皇。良い機会です、母は貴方にも言いたい事がありました。座りなさい」
「然しお母さん、そろそろシエと俊が家でお腹を空かせて、」
「シエさんなら、ルークが接待しているそうよ。だから安心して座りなさい」
「何、だって…?」

テーブルの末尾、下座に座り片身が狭い思いをしながらチビチビ食事をしていた東雲村崎も腰を浮かしたが、実の母親から冷水を浴びせられた様な心境の男は顔色がない。
艶やかな髪と同じ漆黒の眼差しに鈍い光が灯る間際、実の母親から再び名を呼ばれ、我に返る。

「貴方はいつからそんなに、薄情な人間になってしまったのですか」
「俺が、薄情?」
「まがりなりにも一時は、我が子同然に暮らしていたルークをどうしてそう、毛嫌いするのです。…旦那様もですよ」

呆れた様に、笑みを消した人は淡く息を吐いた。

「血など些細なものです。私は東雲ちゃんも、息子である村崎ちゃんも…この学園の生徒は皆、家族だと思って今日まで過ごして参りました。帝王院家に嫁いだその時から、一時たりとて忘れた日はありません」
「わ、判っている。お前は私が居ない間、女手一人で良くやってくれた。感謝する」
「妻の責務です。感謝される謂れはありません。旦那様、私は貴方が私に何の相談もなく学園をお去りになられて、私を哀れに思ったルークが戻ってきてくれた時、どんなに心強かったかご存じですか?」
「それは私も重々、」
「黙って話を聞きなさい、駿河さん」

ビキッ。
彼女が手にしていたグラスに、亀裂が入る。父親のデザートにまで手を伸ばそうとしていた息子は固まり、ぷるぷると震えている。

「旦那様。長く続く帝王院家を若くして継がれた貴方は、私を娶って下さいましたあの日より変わらず、お優しい方だと思っていました。けれどそれは、私の勘違いだった様です」
「たたた隆子…」
「隆子、この件に関して、駿河が悪いのではない」
「帝都さん。貴方が何処のどなたであれ、帝王院帝都を名乗るのであれば口答えは許しませんよ」

目で「黙れ」と促した学園長夫人に、男共は背を正した。旦那と息子は魂を抜かしたのか、父子良く似た威圧感の滲む双眸をカッ広げ、椅子の上で正座している。
東雲父子は揃って背を正したまま、ぐびぐびとミネラルウォーターを煽り、沈黙を貫いた。理事長秘書と白衣はゆっくり食事を続けている。君子危うきに近寄らず、だ。

「私はルークを孫だと思っています。旦那様は違うのですか?」
「…それは…」
「秀皇。貴方はどうなんです」
「………俺の子は、俊だけです」

真っ直ぐ、悲しげな母親を見据えて。漆黒の眼差しは微塵も揺らがずに。

「初めは単に、哀れみだったのかも知れません。男なんてものは所詮、子供を子供だと認識するには時間が必要なんです。産まれたからすぐに親だなんて、女性の様にはどうしても、思えない」
「…悲しい子ね」
「二年に満たない生活で、後半は憎悪しかなかった。俺だけならまだしも、あの男は俺の友人にまで手を出した。一人や二人じゃない。…帝王院の全権を譲渡すると誓約書を書いたのに、信じなかったんです」
「マジェスティ?!な、何それ?!俺そんなん聞いてへんで?!」
「言ってないからな」

ムスリと東雲村崎を睨んだ男は、ダークサファイアの双眸を忌々しげに眇めている金髪に気づき肩を震わせ、

「に、…義兄さん?」
「…幾重にも忌まわしい。死して尚、私の怒りを煽る子よ。ネルヴァ」
「は」
「ロードの遺体を掘り起こし無へ返せ」

とんでもない事を無表情で吐き捨てた男は、有無を言わさぬ囁きで己の秘書を見遣ったが、慣れている秘書は控えめに首を振った。聞いている他の人間は声もない。

「畏れながら陛下。申し遅れておりましたが、第一シンフォニアの亡骸は献体として処分致しております」
「…シリウス、そなたの仕業か」
「そうとも。当時ノアであった陛下と同じ肉体をモルモットにするのは気が引けたがのう、兄上ならば、細胞の欠片までホルマリン漬けにして一生ラボに監禁するくらいの事はする筈じゃ。…まぁ、そこまではしておらんが」
「良い。私が許す、あれに人としての権限などない。倫理も道徳も吐き捨てよ」

柘榴を一房、掴んだ男が赤く染まった指先ごと、果実を口へと放り込んだ。

「私を人と思っておる者など、この世には存在しまい?」

唇を舐める舌先は果汁に濡れて赤く、闇に凍る宇宙の様に静かな眼差しだけが浮いている。

「…困りましたな。我が君は相も変わらず、ほとほと物騒でおられる。のう、ネルヴァ」
「オリオンの弟である君が言うか、シリウス」
「だが事が現状に至っては、坊っちゃんがロードの子ではない事を祈るばかりだのう」

御馳走様でした。
ぱちんと手を合わせた白衣が、見た目は若々しい姿で爪楊枝を手に、歯の手入れを始める。受け持ちは違うとは言え同僚である東雲村崎はその光景に沈黙し、実の父親から『突っ込んじゃ駄目っ』と言う目線をチクチク受けた。
突っ込んじゃ駄目と言われると突っ込みたくなるのが、庶民愛好会。別名『落研』だ。先月まで山田太陽と二人、こっそり営んできた駄菓子を食べながらゲームレビューを投稿しまくるだけの部活。

昭和のゲームに興味を持った東雲が買い集めた喫茶店のインベーダーゲームや格闘ゲームは、近頃、健吾と裕也に連日奪われている。飽きていたが、ああも連日占拠されると惜しくなるのが人情だ。

「っ、もうあかん!ええ加減我慢の限界や!ロードだかソードだか知らんけど、ほなら帝王院神威は誰やねん!え?!アンタはんの子供とちゃうんか、理事長!他人や言われても納得出来へんよ?!なんぼほどそっくりやねんほんま!」
「こ、こらっ、村崎ちゃん!」
「それだ。良いぞ東雲、初めて俺はお前を評価しても良いと思えた様な気がしない事もない」
「せやろ、マジェスティ!もっと誉めて!」
「だが煩い。はっきり言っておくが、俺はシエと俊以外はぶっちゃけ人間だと思っていない」

真顔だ。
目付き以外は遠野俊とまるっきり同じ顔をした男が、ゴキブリを見る様な目で吐き捨てた言葉は、実の父親にも大打撃を与えたらしい。真顔でぶわっと涙を浮かべた学園長はフキンを掴み、ふるふる震えている。

「駿河を泣かす事は、そなたであれど許さんぞ秀皇。駿河は龍一郎と違い、心清らかな子なのだ」
「義兄さん、還暦過ぎた年寄りに子はやめて下さい、子は。…父さん、此処で泣いたら絶縁しますので」
「隆子、秀皇の反抗期は私の所為だ。すまん…この詫びは腹を切って、」
「秀皇さん!お父さんに向かって絶縁とは何ですか!もう許しませんよ、お尻を叩きます!」

しゅばっと車椅子から立ち上がった人がふらりとよろけ、男共は同時に立ち上がった。真っ先に駆け寄ったのは青ざめた夫で、先程までの涙はない。

「無理をするな!お前に大事があれば私は…!」
「…ごめんなさい、旦那様。変ね、近頃何だか霞み目が酷くて。歳かしら…」
「東雲、隆子を寝所へ。…冬月医師も、頼む」
「畏まりました。奥様、参りましょう」
「でも、ルークに食事を用意してあげたいの。私は大丈夫よ。だから、」
『ステルシリーラインより傍受、通信要請』

エスコートを渋る夫人に痺れを切らせた学園長が目を吊り上げた瞬間、部屋中に機械音声が響き渡る。

『不審者を校内に確認、現特別機動部特務班、現区画保全部数名が来日している模様。数分前の履歴より、コード:ネルヴァ宛てに、クライスト卿からの通信要請が破棄されていました。お繋ぎしますか?』
「ああ、そうしてくれ。陛下もお見えになられている」
『了解』
「隆子、カイルークの食事よりそなたの身が第一だ。駿河を余り、心配させるでない」

優雅にナプキンで口元を拭う美貌の理事長に、皆が息を吐いた。このままでは話が纏まらないと言う意見で一致したのだろう。

「秀皇。そなただけではない、皆に聞いて貰いたい話がある。…これは、私の亡き父、前々代、レヴィ=グレアムに起因する話でもある」
「前々代、だと…?」
「駿河、そなたも名は承知しておろう。龍一郎が帝王院以外で従ったのは、我が父だけだった」

無言で頷いた白衣が茶を啜る、音。

「儂の捨て去りし名は、冬月龍人。日本国籍を持つ神崎遥と結婚し、対外的には神崎龍人と名乗っておった。冬月は一族郎党、落ちた家名だ」
「…確証はありませんでしたが、やはり、そうでしたか」
「龍一郎兄の息子たる師君は、何か聞いておったのかな、秀皇君」
「いえ。父は己の事は何も…義母さんにも、話しては…」
「だろうの。今や冬月の当主は…そうだのう、龍一郎兄の長孫、遠野和歌だろうか。然しあれは遠野を継ぐ男だから、順当で言えば、俊が当主と言えん事もない」
「待て、龍一郎の弟。俊は私の孫でもある。龍一郎も承知していた」
「その通りじゃ、大殿。帝王院の直系が家名で落ちる冬月を継ぐ事など、あってはならん。なれば儂は、己が孫である隼人に、その責を科した」

孫、と言う単語に反応したのは東雲村崎だった。
そうか、と顎に手を当てて、自分の父親を横目に、挙手する。

「あの、尋ねてもええですか?…あ、じゃない、宜しいでしょうか?」
「何、気遣いは無用だ東雲教諭。どの派閥にも属さず、中立に務めてきた師君を、陛下は認めておられた。のう、陛下」
「ああ。東雲村崎、そなたは誠見事な男だ。私でも駿河でもなく、初めから一貫してそなたは、秀皇に仕えておった。そうだろう、駿河」
「…見事な息子を持ったな、東雲」
「勿体ないお言葉でございます、宮様」

誉められて満更でもない表情の東雲父に、息子は手れながら頬を掻いたが、当の帝王院秀皇はしれっとしている。この野郎と言う気持ちを押し殺しつつ、いつの間にか両脇にいた執事から紅茶のお代わりを注がれつつ、背を正す。

「あー…じゃあ、確認も兼ねて。俺の受け持ちの生徒でもある、そこの皇子さんの息子、遠野俊は、学園長の孫でもあり、名字の通り、遠野病院の系譜でもある…っつー事ですよね」
「そうじゃ。そして遠野に婿入りした龍一郎は儂の双子の兄にして、今は亡きレヴィ=グレアム時代からステルシリーの枢機卿でもあった、文字通り天才だのう」
「…で、冬月先生の孫が、神崎隼人っちゅー訳ですか。失礼ですが俺には、冬月先生は同年代にしか…」
「特殊メイクの様なものじゃ。体は少々弄っておるがのう、大殿…学園長より、一回り以上年上のジジイだわ。のう、陛下」
「左様、シリウスと私は同い年だ」

だから何歳なんだよ、と言う疑問はほぼ全員が飲み込んだ。それまで静かだった真白髪の理事長秘書がカップを置き、東雲へヘーゼルの瞳を向ける。

「帝王院学園長は私と同年代だ。確か学園長は…一つ下、だっか。私の子の名は?」
「勿論、受け持ちやないですが、存じてます。藤倉裕也…や、正式には、リヒト=H=藤倉ですか」
「事はそう単純ではないのだよ」
「は?」
「私の亡き妻は、日本人の母と米軍将校の間に生まれた庶子だった。本妻には年子で娘が居たが、そちらは大河に嫁いだ。どちらも生きていれば、まだ37・38歳ほどだ」
「あー…謹慎中の、大河朱雀の母親、って事ですか」
「ああ。その娘もまた、日本人の母親から生まれた。我が妻の母親は紛う事なき庶民だったが、大河朱雀の母である大河朱花は…」

ちらりと。
学園長を見やった秘書に、鋭い眼差しを眇めた学園長が息を吐く。


「…我が伯母と逃げた、叶芙蓉の孫だ」

学園長の息子以外がそれぞれ反応を見せた。息子の態度を横目に、驚いている妻へ目を向けた学園長は湯飲みを渡す。

「すまんが隆子、お前の茶が飲みたい。淹れてくれるか」
「…は、はい。待っていて下さい、旦那様」
「外には言っておらん。叶の跡取りだった男は、当時12歳だった伯母と中国へ逃れ、娘が出来たのは40前だった様だ。その娘が産み落とした子が、大河朱花だった。…秀皇、お前は知っていたらしいな」
「ええ。その縁もあり、私は大河社長に頼み込んだのです。…いや、脅したと言った方が正しい。結婚したばかりだった彼に、奥さんを帝王院に取られたくなければ従えと、ね」
「…全くお前と言う奴は、誰に似たのか」
「手段を選んでられませんでした。命威…サラが生んだ双子の片割れを逃がすには、可能な限り、帝王院と縁がない方が良かった。…当時キングだと思っていた、ロードの手が届かない所に」

東雲村崎は眉を潜め、執事らから肩を揉まれたり髪を手入れされたりしつつ、

「訳が判らん。つまり大河は帝王院とも叶とも、身内っつー事かいな?」
「そう言う事だ。そのくらい把握しろ阿呆、だからいつまで経っても独身なんだお前は」
「ひど!もう何なん、アンタの性格の悪さ酷なってない?!サド!鬼!」
「で、義兄さん。レヴィ=グレアムの話とは、なんですか?」

さらっとシカトされた東雲村崎に、父親と執事達から「おいたわしや」と声が掛かった。天パがストレートに固められた東雲村崎はジャージ姿でのの字を書いたが、前髪が七三分けになってる事には気づいていないらしい。

「カイルーク、それと…ナイトから、レヴィ=グレアム並びにナイトの遺伝子配列に酷似した細胞が見つかった」

お茶のお代わりを運んできた学園長夫人の車椅子が軋む、音。

「ナイトに関しては後天的に移植された可能性が高いが、カイルークに関しては…未だ明確ではない。ただ、仮定はある」
「言ってみろ、帝都。今更何を聞かされた所で、驚きはせん」

湯気を発てる湯飲みを手にした学園長の台詞に、誰もともなく息を飲む。

「レヴィ=グレアムのシンフォニアは、私を含めて悉く失敗してきた。それは彼の精子に僅かな異常があったからだ。然しレヴィ=グレアム本人の複製は、事実上、不可能だった。父は、余りにも珍しい血液型だったからだ」

今から私の考えを話そう、と。
帝王院神威と同じ顔をしたダークサファイアが、瞬いた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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