帝王院高等学校
いちゃついてる暇があるなら真面目に談笑!
傷だらけの子犬が、研ぎ澄ませた憎悪を牙として睨み付けてくる。
そんなに全てが憎ければ噛みつけば良いのに、何故、睨むだけなのか。どうしても不思議だった。

「パヤタ」
「…変な名前で呼ぶな」
「言ったろう、あだ名は親愛の証だと。俺はお前を呼ぶ事をやめない。それが理由で、例えお前から殺されたとしても」
「頭悪いんじゃない?何なのお前、ほんと気色悪ぃ」

佑壱には少し、慣れてきた。
裏表のない『お母さん』とは狡い役目だ。美味しいものと無償の愛だけで、すぐに子供を懐柔してしまう。ならば無償の愛だけしか持たない父親は、どうすれば懐いて貰えるのだろうか。

「何が信じられない?理由を教えてくれれば、俺はその猜疑心を溶かす事が出来るかも知れない」
「はっ。…口だけなら何とでも言えら。人間は…特に大人は嘘つきばっか、ガキを騙して裏で笑ってんだろうが」

暗い、暗い、今夜は猫の爪。
細いクレッシェンドムーンは引っ掻き傷の様に宵闇を削り、淡く、微かに灯るばかり。
マンションの広いバルコニーを隔てて、窓辺で転がる金髪が、微かに煌めいた。

「困ったな、俺は大人なんかじゃないのに」
「うっせ、偉そうに人生の先輩面すんな。…つーかもう寝るから構わないでくんない、オトーサン」
「判った。お父さんが嫌なら、こうしよう」
「…はあ?」
「お兄ちゃんと思えばイイ」
「ばっかじゃないのお?!」

ああ、漸く大きな声が聞けた様だ。
慌てて口を塞ぐ気配、部屋で眠る他の仲間に気を遣って狼狽えているのだろうか。淋しがり屋は、仲間と眠る事に慣れていない、幼い子供は。

「くっくっ…そんなに大きな声を出すと、心配したお母さんが飛び込んでくるぞ?」
「っ、来る訳ないじゃん!アイツは夜な夜な女ん所に行ってんだろっ!」
「誰がそんな事を言ったんだ?」
「皆だよ!」
「そうか、だったら俺はお母さんから捨てられたらしい。悲しいなァ、イチ?」
「俺がアンタを捨てる訳ねぇでしょうが、総長」

それこそ、隼人の怒鳴り声と共に飛び込んできた男は佇んでいた戸口から、呆れた様な表情で近寄ってきた。無人のベッドに紙袋を投げてからジャケットを脱ぎ捨て、ぼりぼりと頬を掻きながら開けっ放しのバルコニードアを潜ってくる。
視線の先には、窓から顔を出す、驚き顔の、隼人だけ。

「おい、糞餓鬼ぁ。テメー、黙って聞いてりゃ、ある事ねぇ事ほざきやがって。ぶん殴るぞ隼人」
「な、んで」
「毎週『月』の日に、お母さんはお出掛けするんだ。お父さんを置いて」
「ちょ、総長!」
「でもこうしてちゃんと帰ってくる。俺みたいな駄目な男の所に。…なァ、イチ」

雪が近い、気配がする。
静かな夜空は耳鳴りがするほど凍り、空に雲はない。水蒸気は空へ届く前に氷の粒となり、重力に沿って落ちていくのだろう。

「おいで。寒かったろう、抱き締めてやろうか」
「寒そうなのはそっちでしょ。…でもまぁ、抱っこして下さい」
「イイよ。はは、お前は温かいな、イチ」

ぎゅむりと抱き締めた赤毛を撫でて、猫の子の様に擦り寄ってくる鼻先に口づけを一つ。ぱちくりと瞬いた深紅の瞳に笑って、口を耳元へ寄せ「外しておいで」と囁いた。

「…また出てくんスか」
「今夜は何処にも行かない。…アレはもう辞めたんだ」
「…」
「信じてないな?本当だよ、どっちにしろ辞めさせられた」
「何でっスか」
「男性客を蹴り飛ばしたら、何処ぞの『組長先生』だったらしい」
「ブフ!」

隼人には聞こえていない。怪訝げに耳を澄ましている顔を視界の端に、嬉しそうな佑壱が腹を抱えているので肩を竦める。

「…やっぱアンタ最高っスよ、兄貴。何処の誰だったんスか?俺が、」
「ピナタに連れて行かれたよ。ワッキーとピナタは、知り合いだったんだ」
「あのファッキンチビ…!」
「イチ」
「…何スか?」
「ピナタはイイ子だ。だから嫌わない」
「…」
「返事は?」
「………Yes sir, all right I see.(了解、全部判ってますよ)」

ふてぶてしい表情でコンタクトを外した佑壱が、夜空へそれを投げ捨てた。ぽい捨てはやめなさいと小言を一つ、ベーッと舌を出して服を脱ぎながらずかずか遠ざかっていく背には、艶やかなフェニックス。

「風呂に入るなら柚子を入れておいてくれ、お母さん。お父さんも入るから」
「…俺が上がる前に入って来るなら良いっスよ、つーか入ってくるまで俺ぁ絶対ぇ出ねぇっスから!浮気男!タラシ野郎!」
「パヤタ、お母さんがお父さんの体を狙ってる。どうしようか?」
「俺が知るかあ!」

ああ、とうとう不貞腐れたらしい。
窓から顔を引っ込めた隼人にやれやれと立ち上がり、バルコニーの手すりを乗り越え、閉まる間際の隣室の窓枠へ手を差し込んだ。

「なっ、何やってんの…?!おっ、落ちたら死ぬ高さだって判ってる?!」
「隼人、俺と一緒にお風呂に入ろう。あっちの部屋のお風呂は広いぞ、脱衣場とランドリーを改装してあるから、温泉みたいなんだ」
「何で、俺がアンタと副長なんかと…!」
「何でって、家族だろう?」
「はあ?!」
「俺とお前は家族じゃないか。表札はカルマ、俺は甲斐性のないお父さんで、イケメンお母さんにぶら下がるだけの紐だ」

自分で言うな、と。
そっぽ向く隼人を見やり窓を開け、窓枠へ体を滑り込ませてから息を吸い込む。

「でも子供と言うのは、ただの紐を他の何かに変える力を持ってる」
「へえ。隼人君次第って言いたいわけえ?」
「そうだ。おーい、健吾、裕也。ん?…要は出掛けたのか?」
「アイツは女んとこ!今度こそほんとだよお、だってコンドーム箱ごと持ってったの見たもんねえ!」

隼人の声にビクッと飛び起きたオレンジ頭が、きょときょとと部屋を見回した。

「困ったな、反抗期だろうか?健吾、要に電話してくれないか。ほら、起きなさい。ふらふら近寄ってくると俺が落ちてしまうぞ?」
「ウィース…(´Д⊂) って、そ、総長?!何やってんの?!死ぬ気?!ヒィ!手伝えハヤト、総長が飛び降りそうっしょ!(´;ω;`)」
「馬鹿なのお?飛び降りそうなんじゃなくてえ、あっちから飛び込んできたんですけどお」
「いやー!( ノД`) ユーヤ!起きろユーヤ!総長が死にそ( ノД`)」
「…あ?総長が水素?マジか…オレを体から整えるつもりかよ、侮れねーぜ。ぐー」

三人揃って沈黙し、隼人に頭を蹴られても布団へ潜り込もうとした裕也へ近づいた俊は屈み込み、布団こと丸めた裕也を抱き上げる。軽々抱き上げる光景に呆気に取られた隼人は目を丸め、

「健吾、要に電話してくれ。出たら俺の耳に」
「出ないっしょ(;´Д⊂)」
「じゃあメールで、出ないとイチが大変だと送ってくれ」
「副長に何かあったんスか?…と、完了っス(°ω°) あ、ソッコー掛け直して来たwはい、総長☆」
『ユウさんが大変とはどう言う意味ですか?俺は今手が離せないんで、』
『やだぁ、要ぇ。他の女と離さないでよぉ、馬鹿ぁ』

何ともいやらしい音と声が聞こえた俊は真顔で目を細め、抱き上げられた裕也さえ飛び起きた。隼人と健吾は真っ青で、小刻みに震えている。

「お前は今、手が離せないのか?」
『っ、そ、総長…?!』
「俺がお前に会いたいと頼んでも、戻ってきてはくれないのか?」
『なっ、は、や、そ、あのっ』
「…そうだろうな、使えない駄目男と風呂に入るより、可愛い彼女とチュッパチャプスを舐めている方が…楽しいだろう。ちゅぱちゅぱちゅぱちゅぱ、お前は何味を舐めているんだ。桃か?桃なのか?」
『い、いえ!舐めているのは俺ではなく…!…じゃなかった、今すぐ戻ります!申し訳ありません総長!すぐに!この錦織要、5分…は無理ですがっ、せめて十分あれば…!!!』
『えっ、シーザー?!もしかしてシーザーと話してるの?!代わってよぉ、シーザー!あ、あたし、貴方の事が…!』
「ん?切れた」

一部始終聞こえていたらしい他のワンコ達が目配せしあうのを横目に、裕也を覗き込んだ俊は微笑んだ。

「おはよう、裕也。寝ていたお前を起こしてすまない。許してくれるか?」
「は…!全面的に、OKっス!」
「ん、有難う。とりあえずお母さんが逆上せる前に行こう、遅刻した要に背中を流して貰って…」

揃って辿り着いた先、茹でタコ宜しく真っ赤に茹で上がった筋肉が風呂に浮いていた。
後に神崎隼人は真顔で語る。あれは期待しすぎて自滅したのだと。

着るものもそこそこに息を切らし帰ってきた要は佑壱の看病を押し付けられ、お風呂メンバーが楽しげにキャッキャしている声をBGMに、ギリギリと歯噛みしていたと言う。

一番はしゃいだ隼人が逆上せて倒れ、風呂で寝てしまった裕也も沈没し、慌てた健吾は転がっていた柚子に足を取られ転倒した。

「カナタ、看病と言えばお粥だと思って俺は頑張ったぞ。味見するか?」
「良いんですか?!…総長、心が温まる不思議な味がします。流石は総長、お慕いしております…」
「そうか。誉められたら照れるな。良し、雑炊も作っておこう。皆、食べ盛りだからな。手伝ってくれるか、カナタ」
「その優しさが心に染みます、総長。………好きです…」

俊と看病をする羽目になった錦織要は然し、終始笑顔だったと言う。


















そんな甘酸っぱい過去は、起き抜けに喰わされた悍しいお粥と雑炊ですっかり忘れ去った犬共が、興奮した面持ちで見つめる先。
きょときょとと周囲を見回している黒髪の男は、混じりっけのない漆黒の眼差しを眇め、凄いなと呟いた。

「じゃあ、俺は本当に、この学校の生徒なのか」
「そうです。やっと事態を呑み込んで貰えたっスか、総長」
「イチ、まだ納得し切れないからもう一本桃味の飴ちゃんが欲しい」
「ボスをこんな風にした奴は誰なのお?!マジ見つけたら確実に殺す!止めても無駄だからねえ!!!」
「止めるか!総長を記憶喪失にさせた不届き者はこの俺が…!必ず探し出してこの世から消します!ユウさん、止めても無駄ですから!」

人の目を避ける様に、隼人と要は隼人の部屋から、俊と佑壱は壁伝いに、俊の部屋である帝君部屋までやってきた一同は、様子が可笑しい俊に気づいて話し込んでいた。
どれもこれも普段はワンコだが賢い三人なので、あっさり俊の記憶喪失に気づいたらしい。何せ、俊本人が自分を「遠野俊14歳」と言うのだから、信じない方が無理な話だ。

「止めるまでもねぇ。…俺がぶっころす」

嵯峨崎佑壱の声が幼さを帯び、隼人と要は同時に口を閉ざした。
山吹色の甚平を脱ぎ捨て、隼人の部屋からバルコニー伝いに隼人が運び込んだ替えの制服に着替えながら、眼差しに鋭さを滲ませる佑壱は明らかに不機嫌そうだ。

「イチ」
「…はい?」
「おいで」

腕を広げた俊が眼差しに笑みを刻み、息を呑んだ佑壱より早く隼人が俊へ抱きついて、ぐりぐりと頭を擦り付ける。

「あは、あは。ボスー、撫でてえ。いっぱい撫でてえ」
「パヤトは甘えん坊さんだなァ。いつからこんなに俺に懐いたんだ?」
「何ゆっちゃってんのお、隼人君はいつだってボスにあまあまなイケメンモデルでしょー?」
「そうか?まァ、イイか。ちょっと育ち過ぎてる気がしないでもないが…まァ、イイ…のか?コラ、要。隼人の脇腹をつねらない」
「酷いです総長!ユウさんなら我慢しますがハヤトなんか抱っこしないで下さい!退けハヤト、死ね」
「やーだね。痛たた、つねられても絶対退かないもんねえ!」
「イチ」

取っ組み合いの喧嘩に発展した二人を一纏めに片腕で抱き、空いた片腕で佑壱を手招いた俊は首を傾げた。佑壱と言えば上半身裸でシャツを掴んだまま、飛び付いてくる気配はない。

「どうした?」
「…俺、俺は…駄目なんス」
「何がだ?」
「俺は、総長を裏切ったから…」
「そうなのか?」

ピタリと動きを止めた隼人と要は気まずげに沈黙し、俊の腕からそれぞれ離れていく。

「ボスが悪いんだよお。…アイツばっかり構って、隼人君達を蔑ろにするからー」
「アイツ?それは誰の事なんだ、隼人」
「…部外者!」
「部外者?」
「そうだよ!21番も偽物の一番も!あんなのどっちも、カルマじゃないじゃん!ボスの所為でユウさんはあんなチビの言いなりにっ、」
「やめろ隼人!それは違う!」

背後から隼人の口を塞いだ佑壱は、片手で髪を結っていたゴムを外した。

「俺は、アンタの弟分だと思ってきたんです。総長」
「そうか」
「でもアンタは俺を、そう思ってくれた事はありますか?」
「いや、一度もない」

空いた腕へ目を落とした俊は、微かな笑みを浮かべて。

「お前の方が年上なのに、俺はずっと言えないままだった。カルマの中で隠し事をしたままの俺だけがいつも、部外者だったよ」

ぶわりと目を潤ませた要が、その場へ座り込んだ。口を塞がれたままの隼人は目を限界まで見開き、佑壱の手が離れてもまだ、微動だにしない。

「…自分から、家族だって言った癖に」
「そうだな」
「っ、その本人が一番、そう思ってなかったっつーのかよ!っ、は!馬鹿にしてやがる…!」
「ごめん」
「何で謝るんだ!それは何に謝ってんだよ!」
「明かす勇気はない癖に、それでも離れる勇気もなかった」
「な、んで」
「皆が大好きだったんだ」
「…」
「それは過去形なんですか、総長」

佑壱が握り締めていたシャツをゆっくり奪い取り、羽織らせてやった要が呟いた。瞳に浮かぶ涙を溢すまいとでも思っているのか、俊の方は決して、見ない。

「現在形だったら、怒るか?」
「寧ろ現在形じゃなかったらぶっ飛ばしてるっつーの!アホー!ボスのヘタレチキン色男ー!うわあん、抱いてえ!強く激しく抱いてえ!ぐふ!」
「お前はさっき撫でて貰ったろうが!俺だって我慢してるんですっ!今は、ユウさんが先!」

バシッと佑壱の背を叩いた要を恨めしく睨んだ隼人は、頭を掻きながら仕方ないとばかりに佑壱の脇腹をつねる。それでも動かない赤毛は、俊が困った様に俯いた瞬間、弾かれた様に抱きついた。

「うっうっ、兄貴ー!!!何スか今のエロい顔、畜生!何でルークなんスかぁあああ!!!俺だって、俺だって抱かれたいのにぃいいい!!!!!ぐわぁあああん!!!」
「え、何その泣き声?!本気?!ちょっと気持ち悪いんですけどお…」
「それは俺も思いましたが…今は空気を読みなさい…」
「うっうっ、そーちょーそーちょー、抱っこ…」
「イチ、そんなに絞めるとうっかり俺は三途の川を泳いでしまうぞ。カナヅチなのに…ゲフ」

デカい筋肉にコアラ宜しく抱きつかれた俊は真顔で背中から倒れ、アニマルクッションの山へ崩れ落ちた。それでもしぶとく離れない佑壱の背中を片手であやしながら、クッションから突き出たもう片手が、ひらひらと隼人と要を呼ぶ。

「パヤト、カナタ、お父さんを一発ずつ殴ってくれ。お母さんが俺を殺す前に、皆から叱られておかないと成仏出来ない」
「一発ずつ?…だったら殴るより気持ちよい方法が、あったー!ちょ、何で殴るのよお、カナメちゃん?!」
「お前が汚らわしい事をほざこうとするからだ!よりによって総長に向かって、お前と言う奴は…!」
「そーちょーそーちょーそーちょー、くんくん、ふんふん、何か甘い臭いがするっスね…。知らない奴からおやつ貰ったんスか?!何処のどいつだ!許さねぇぞ!」
「全く覚えてないが、ごめん。舐め終わる前に噛んだ桃味の飴ちゃんしか思いつかない」
「それなら良いんス。ピンキーもあるっスよ。あ、でも今は手持ちがなくて…もういっそ俺を食べて下さい」
「あー!ユウさんが抜け駆けしてるよお、カナメちゃん!」

壮絶にエロい顔で羽織っていたシャツを脱ごうとした佑壱は、飛び付いてきた隼人と要から羽交い締めにされ、鋭い舌打ちを一つ。放ってから、しまったと言う表情でジトッと睨んでくる二人へ痙き攣った笑みを浮かべた。

「す、すまん。こ…高坂のが、移っちまった、かな?」
「だからあんな男にハニートラップなんかやめとけってえ、隼人君が何度も言ったのにい!何なの?!マウント取られてたって聞いたんだけどお?!冗談でしょ?!」
「いや、俺は見ました!光王子に押し倒されてました!」
「お前ら!総長の前で何っつー事をほざきやがる!総長!今のは違うんス、俺はいつでも総長に全力投球でっ」

クスクス、笑う声がクッションの下から響いてくる。
ピタッと動きを止めた三人は、いそいそとアニマルクッションを一つずつ退かしていき、床に横たわったまま笑っている男を見るなり、顔を真っ赤に染めた。

「…お前達が楽しそうで良かった。タイムトラベルした気分だなァ。覚えていない一年間に、俺は嫉妬してる」
「「「…」」」
「今の俺は、どんな俺なんだ?」

俊の手は、二つ。
するりと佑壱の両脇を固めている要と隼人の頬を撫でて、目は真っ直ぐ、半裸の佑壱へ微笑み掛けたまま。

「寝不足なのか、隼人。それでも肌艶がイイ。話し方も柔らかくなった。今のお前は、幸せか?」
「………まだ、判んない、かなあ。認知症のボスにい、いっぱいお話したいことがあるんだよお」
「時間は幾らでもある。今夜は月の姿が見えないから、寂しくない様に沢山話をしよう」
「ん…」
「肩の荷が下りた様な表情だな、要。でも少し、不安そうだ。でも目が優しくなった。今のお前は、幸せか?」
「…少し、だけ。柵がなくなりました。でも俺は、自由と引き換えの義務をまだ知りません。だから…」
「何が不安なのか、一つずつ並べていこう。それぞれどうしたらイイのか皆で考えれば、恐いものは何もない。…そうだろう?」
「はい」

二人から手を離し、緩やかに上体を起こした遠野俊の漆黒が、真っ直ぐ。己の下半身の真上に膝立ちで動きを止めている佑壱を見つめたまま、至近距離から覗き込む。
ゆらゆら、揺れている深紅の瞳の目尻を撫でて、くしゃりと顔を歪めた男を静かに見据えたまま。

「エアフィールド」
「…はい」
「イチ」
「………何ですか、俊さん」
「二人の話を聞いて、お前の話が終わったら、俺の話を聞いてくれるか」
「…俺、何にも答えられないかも、知んないっスよ?」
「それでもイイ。何も言わなくて構わない、ただ聞いてくれるだけでイイんだ。皆の時間を俺に、分けてくれないか?」

同時に頷いた三人へ、眼差しの鋭さを和らげた男は息を吸い込んだ。暫く目を伏せて、何か考え込んだ後。

「そうだな。秘密はやめよう。…初めまして、佑壱、隼人、要」

再び目線を上げた男は澄み切った夜色の瞳の下、





「俺の本当の名前は、帝王院俊。…恐らくこの学校と同じ字を書くのだと思う」




















「ひ、太陽君?!」
「た、ただいまー、桜」
「な、ななな、何で…!」
「煩いなぁ。…アキちゃん、この豚、邪魔なんだけど」

山田太陽が自室のドアをこそりと開いた瞬間、リビングで東條清志郎の膝に座っていた安部河桜が、元々丸い目を真ん丸に見開いていた。
即バレたなと、太陽は隣の男と目配せし、駆け寄ってきた桜から逃げる様に自室へにじり寄る。

「ご、ごめん桜。あ、清廉の君、ゆっくりしてって下さい」
「時の君、まさか君が弟君を連れてくるとは思わず済まない。邪魔だったら言ってくれ」
「あはは、凄い邪魔。僕はアキちゃんとねっとりじっくり話し合うんだから、とっとと出てってくれる?」
「コ、コラッ、夕陽!」

太陽にべったり引っ付いている女王様、西園寺学園の生徒が怯えるクールビューティーは勿論、山田夕陽…ではない。一見ではまず判らないほどそっくりな、偽物だ。
実の兄である太陽ですら見分けがつかないクオリティなのだから、桜や東條が気づく筈もなかった。

「それじゃぁ太陽君、お茶淹れるから待っててねぇ。あっ。お菓子はぁ、どんなのが良ぃかなぁ?」
「いやいや、気は遣わないでいいって!ごめん、騒いだりしないからさ!あ、もし白百合が来たら俺は居ないって言ってくんない?」
「ぇ?どぉして?」
「えっと…」
「僕とアイツが仲良しに見えるのかな、君?」
「ぁ。は、はぁい、判りましたぁ…」

ナイスなアシストにほっとした太陽は、自室へ弟そっくりな偽物を押し込み、へらへら笑いながらドアを閉めた。何とも嘘がつけない男である。

「やっぱり、並んでるとぉ、似てるなぁ。夕陽君の方がお兄ちゃんっぽく見えると思ってたけどぉ、あぁしてるとやっぱり太陽君の方がぁ、お兄ちゃんだねぇ」

じっとそれを見ていた東條は携帯を取り出そうとしたが、どすっと膝へ戻ってきた桜が羊羮を差した爪楊枝を口元へ運んできた瞬間、鼻の下を伸ばしたのだ。

「はぁい、セイちゃん。今日もお仕事お疲れ様ぁ。甘いもの沢山食べてぇ、明日も頑張ってねぇ」
「桜…お前の言葉を胸に、俺は命を懸けて励む事を誓おう」

むっつり白髪はむちむちな桜の脇腹をしっかり掴んだまま、あーん、と口を開いた。














「うわぁ、ラブラブだー。良いな、良いな。ねぇ、あれ僕にもやってよ、アキちゃん」
「コラコラ、盗み見はやめなさい。ほら、そこ座っていいんで…不便だろうけど、まだ変装は解かないで下さいね?」
「慣れてるからいつまででも大丈夫だよ」
「ってゆーか、右手…義手だったんですねー。道理で凄い握力…」
「片方だけ神経が回復しなかったんだ。あ、でも快適だよ?こうして変装するのも楽だしねぇ」
「本物の手にしか見えないもんなー…」
「うふふ、ここは、アキの匂いがするねぇ」

すーっと息を吸い込んだ人に痙き攣った太陽は机の上のファブリーズを掴んだが、笑顔で奪われて諦めた。流石、異性とは言え、身のこなしが一般人ではない。

「それで、ジェネラル…何だっけ?」
「ジェネラルフライア。ステルシリーのランクA、12柱の一人だよ。枢機卿の格差は5位」
「ランクAってことは、幹部…課長みたいなもんだよねー?イチ先輩が言ってたけど…」
「そうだよ。こっちのABSOLUTELYと全く同じ、ランクAはABSOLUTELY、絶対なる支配者って意味で役員クラス、本部セントラル12部署のマスターの事だよ」
「うん。貴葉さんは、組織内調査部の課長なんだねー」
「そう。それでランクBはBYSTANDER、監視者。こっちは各部署の…例えば副課長とか、係長とかって感じかな」

机に置いているレポート用のルーズリーフに書き込んでいく太陽をにこにこ眺めながら、ベットの枕を掴んだ人は匂いを嗅いだ。満足げだ。
旅行から帰ってきてすぐにクリーニングへ出しておいて良かったと太陽は息を吐き、椅子に座ったまま、くるりとベットへ振り返る。

「他には?」
「僕の部署には居ないけど、ランクCってのがCAPITAL、こっちは平社員。各部署に何百人も居て、一番数が多い。あとは…ランクDってのが居るけど、これは本部とは関係ない」
「関係ないのにランク分けしてるの?」
「DEVELOPER、開拓民。この人達は傘下企業の社長とか、セントラルの指示で動く『金の成る木』みたいなものでねぇ。彼らはチャンスさえあれば、ランクB以上の役員と接触したいと思ってる」
「コネ取り合戦か」
「そう!アキは賢いんだねぇ、うふふ。益々好きになっちゃうなぁ」
「はいはい、俺に変なことしたら駄目だよ?」
「ふーちゃんのものだから、でしょ?…ぶー、意地悪なアキはちびぶさだ…」
「聞こえてますよー」

枕没収、と。
手を伸ばしてきた太陽から素早く逃げ、ベットの上で枕を抱えたまま膝を折り曲げた人は頬を膨らませたが、何せ見た目が双子の弟なので太陽はちっともときめかなかった。
この顔なら余裕で殴れる。今の山田太陽に死角はない。

「イチ先輩はこのランクAで、カイ庶務はっと…」
「ランクS、唯一神のsingle。…知ってる?唯一神の冥府揺るがす威光を須く知らしめんが為に、って」
「あはは。物々しいね、嫌いじゃない」
「社訓だよ。ふふ、ステルスで陛下に逆らう者は居ない。僕だって、あの人とは出来れば、喧嘩したくないなぁ…」
「…そうかい?」

シャープペンの頭を無意識で噛んだ山田太陽は壮絶な笑みを浮かべ、

「俊よりあの男の方が、いじめ甲斐がありそうだけどねー?」
「アキ…これ以上僕をどうしたい、の…?めちゃくちゃにして!」
「なっ。は、はしたないですよ、貴葉さん。め!」
「…ごめんなさい…」

真のドSとは、ありふれたMを苛めるわけではないのだと、密やかに知らしめていた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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