帝王院高等学校
袖振り合うも些少とは言えないドSの宴!
「な、に」

この慌ただしい時にわざわざ自室まで戻ってきた自分を、今は誉めてやりたい気分だ。恐らく混乱していたのだろう。我ながら縋る様に笑えるほど早足で辿り着いた先、期待していた寝顔は何処にも見当たらない。

「貴様ら此処で何をしてやがる!川南!西指宿!」
「ふ、ふぁい?!」
「ぐはっ!」

並んで砂を被る人影を躊躇わず蹴り払えば、掛けていた眼鏡が落ちた。構わず無人のマットレスへ目を走らせ、部屋中を手当たり次第探し回る。

「アキ、何処だアキ、アキ!返事しろ、アキ!」

バスルーム、トイレ、果てはクローゼット、全面改装したこの部屋に、他に部屋はない。キッチンを仕切る壁は全て取り払い、シンクが佇むばかり。冷蔵庫は愚か食器棚すらない部屋に人が隠れられる場所など、何処にあるのか。

「ス…ステルシリーライン!貴様ら何をやってた!アキは何処だ!」
『サーバー起動、コード:ディアブロを確認。………29%』

いつからだ。
いつからサーバーダウンしていた?
わざわざ最も信頼の於ける学園外の回線に監視させていたのに、まさかそれがここで、裏目に出るなど。

「セ、セントラルライン・オープン。クロノスラインにオーバードライブ、サブクロノスへ通信要請を…」
『セントラルラインより入電、…エラー。権限差異により弾かれました。副会長以上の権限が必要です』
「糞が…!」

八つ当たりの様に砂を蹴れば、ぐしゃりと嫌な音がする。苛立ち混じりに足元を見れば、哀れにも割れ散った硝子片が見えた。

「う…あ、れ。…あー、えっと、おはようごぜーます、マスター。あ…あは、もしかして凄ぇ、怒ってます…?」
「………ああ?この俺が上機嫌に見えるのか、糞餓鬼」
「そ、そっスよねー?…あっ、キタさん!起きろっ、マスターがガチ切れてる…!鬼キレてるからよ!」
「は、ははは?!ノノノノーサ起きてます系!はいっ!寝てません的な!」
「黙れ」

音もなく西指宿の頬を掠めた銃弾は、敷き詰めた砂に突き刺さる。ビタッと動きを止めた二人を真っ直ぐ見据えたまま、緩やかに首を傾げた裸眼の叶二葉は最早、高校生の眼ではなかった。

「Hey Plonker's. You think that next time should be all OK?(貴様らは2回目があるとでも思ってたのか?)」

地を這う様な声だ。
二葉を直視できない川南北斗は震えながら俯き、西指宿は痙き攣った笑みを何とか浮かべてみたが、眉間に銃口を当てられた瞬間、目を閉じた。今の二葉は魔王所ではない。それすら遥かに越えた、他の何かだ。

「残念ですが、使えないものは捨てる主義でしてねぇ。神へ祈る時間を与えましょう、ではさようなら」
「与えてない!マスター!それ一秒も与えてない系!」
「女が居ました」
「ウエスト?!」

ゆっくり息を吐いた西指宿が瞼を開き、飛び上がる川南を横目に、無機質な裸眼で見下してくる二葉を見上げる。この男には下手な嘘は通じない。何せ、この男こそ嘘つきだからだ。

「俺の姿形そっくりそのままに変装してた野郎です。調べて貰えば判りますよ、そいつがアキを連れていったんだと思います」
「貴様如きが気安く呼ぶな」
「何スかそれ、まるで自分のもんみたいに、」
「あれは俺のもんだ。…何か文句がありますか、ウエスト?」
「…ふっは!冗談でしょ、アンタの貞操の弛さは俺レベルじゃねぇ。サブマジェスティほど誰彼構わずじゃなかっただけで…わざわざあんな餓鬼に手を出すほど、飢えてないでしょ?」
「や、やめんかウエスト…!お前と言う馬鹿は何処まで馬鹿系?!ほほほほら!謝りなさいっ!」
「やーだね♪俺だってアキが気に入ってんだもん、下剋上上等?死ぬ気になれば何でも、むぐっ!」

川南北斗は、目を開けたまま気を失い掛けた。目の前の光景を信じられなかったからだ。
とんでもなく馬鹿な死にたがりに、銃口を突きつけたままの美人が吸い付いている。それももう片手は喉を鷲掴んでおり、白い手袋がギシギシと軋む音がした。

「ふ…!め、んんっ、むはっ!!!」
「はっ、餓鬼臭ぇ」

唾液まみれの口元を押さえ涙目で睨み付ける西指宿の股間を晴れやかな笑顔で踏みつけた男は、見せつける様に唇を舐め上げる。男の子の大事な部分が大変な事になりそうだった川南は必死で己を抑えたが、西指宿はどうにもならなかったらしい。
笑顔の魔王はぐりぐりと西指宿の急所を踏みつけまくり、涙目で悶えつつそれでも耐えていた西指宿はややあって、獣じみた叫びを上げた。事実上の、敗北宣言だ。

「っ、判ったよ!クソ!むっつりスケベ!エロテク魔王!エロ過ぎて振られろ!」
「ふん、この俺がそんなミスを犯すかダニが。俺の親衛隊総勢百人に順番に犯されたいと見える、…穴の限界に挑戦するか?」
「…ひとでなし!」
「そう誉めないで下さい、殺しますよ?」
「っ、叶の癖に…!アキが何者だかアンタはっ、」
「榛原、灰皇院太陽。紛れもなく帝王院の影である『皇』の、正統血統、でしょう?」

目を見開いた西指宿に、二葉は目を細めた。

「そんな事は十年以上前から知っています。…勿論、誰にも口外していませんがねぇ」
「誰にも、だって…?」
「ええ、当然、陛下にすら」
「何で…」
「私は命令される事が何より嫌いなのです。それは勿論、マジェスティルークとて例外ではない」

二葉の割れた眼鏡を片付けていた川南も話が見えず表情を曇らせたが、西指宿の表情はその倍は固い。

「私の命はとうに、ただ一人のもの。二人の命を犠牲に生まれ落ちて尚、傲慢な私が従っている相手。それが誰だか、愚かにして浅はかな君は理解しましたか?」
「…嘘、だろ」
「約束をしたのです。いつか私は私ではなくなる。従順にして健気なか弱い生き物へ成り下がり、ただ一人に尽くす為に生きていくでしょう。けれどそれは、彼がそれを乞う形で命じなければなりません。それ以外の命令を、私は嫌悪している」
「何か、それ。プロポーズみてぇな話っスね」
「それがどうかしましたか?下らない話は此処までにして、何が起きたのか全て一つ残らず聞かせなさい。場合によっては、命だけは助けて差し上げましょう。…但し、」

ああ。
白い革靴、白いブレザー、しなやかな体躯を包むスラックスとシャツ、流れる髪さえ黒い男の、唇と片目だけが。



「つまらない話を聞かせた時は、判っていますよねぇ?」























「待った?」

ものの数分だ。
携帯を手にしたその人は蒼い眼差しを笑みで染め、艶やかな黒髪の下、赤い唇を吊り上げた。

「それ、俊のケータイ?」
「そうだよ。中身の小さな小さなカードだけ、ねぇ?」

摩り替えておいたんだ、と。
歌う様な声が近づく度に、白檀の香りが強くなる。とても大好きな人と同じ、花の香りが。

「名前をまだ聞いてなかった。…年上、みたいだけど」
「今度28歳」
「嫌な予感しかしないなー。って事は、」
「単純計算で、18年前は10歳だねぇ」
「回りくどいね。…血液型は?」
「AB型」
「それはまた、面倒臭いねー。俺の周りにはろくな奴がいないんだ」
「酷いなぁ、まるで君の周りだけが世界の全てみたいな言い方。君が知っている世界なんて、地球のほんの一部なのに」
「…そうだねー。ほんと、その通りだ」

ゲームオーバーか。
半ば他人事の様に乾いた頬を拭う。涙など少しも流れなかった。いつか訪れる事は判っていたのだ。ただ、忘れていただけ。

「俊は?」
「酷い。僕よりナイトの方が重要なの?僕まだ、名乗ってないんだけどねぇ」
「必要ないよ。その目、あの人にそっくりだもん」
「ふふ、初めて言われた。有難う」
「早く会ってあげて。それとももう会った?死んでると思ってるんだ。自分の所為だって。無意識で追い詰めてる。ずっと」
「可愛いなぁ。うふふ。でもねぇ、会わない」
「何で?」
「それがオリオンとの約束」
「オリオン?」
「そう。ナイトに全ての記憶を明け渡して、罪から逃れる様に全てを忘れて死んだ、弱い年寄り」

すぐ目の前に、笑みで歪んだサファイア。
いつか見た佑壱の瞳も蒼かったが、あれはもっと濃い色だった。目の前の女の瞳はとても、鮮やかだ。

「…やっぱ名前、知らないと不便だね」
「キハ」
「キハさん?」
「そう!ねぇ、もっと呼んで?君にはずっと呼んでて欲しい」
「どうして?」
「僕が初めて好きになったお兄ちゃんに、声が少し似てるから」
「ふーん」
「そのお兄ちゃんはねぇ、もう結婚して子供も居るんだ。なのに僕の事が好きなんだって。だから僕の命を奪った二葉を許せないんだって。何度も二葉を殺そうとしたから、冬ちゃんが二葉を家から出したんだ」

何故、笑っているのだろう。
太陽は他人事の様に話す唇を、はらわたが煮え繰り返る様な気持ちで見ていた。

「どうして他の対応ができなかった、って顔だねぇ?うふふ、仕方ないんだよ。お祖母ちゃんの弟の子供だったから、お母さんの従兄弟なんだもん。僕らはね、家族なの」
「えげつない、ね」
「二葉を産んですぐにお母さんが死んじゃって、冬ちゃんは叶を継いだばかりだったからねぇ。高校生だったんだよ?すぐに卒業したけど。だから合格してた大学は楽しむ暇なくあっという間に卒業して、家督に必死だったんだ」
「苦労したんだね」
「僕はその間のうのうと寝てたんだけどねぇ」
「仕方ないよ。だって、お前さんは死んだんだ」
「キハ」
「お前さんは悪くない」
「キハ!」

がつりと。喉を掴まれた。
しなやかな女の手とは思えない凄まじい握力に呼吸を奪われ、かはりと嫌な咳が出る。

「どうして意地悪するの?ねぇ、僕と君は婚約者なんだよ?冬ちゃんじゃない、僕。ねぇ、僕と結婚したら名前で呼んでくれる?ねぇ、ねぇ!」
「呼ばな、い、かな…?」
「どうして!二葉は呼ぶのに、どうして僕だけ!」
「お前さんとあの人…は、違…う」
「どう違うの!同じじゃない!髪だって目だって、」
「貴葉、さん」

するりと、絞める両手から力が抜けた。崩れ落ちる様に尻餅をつき、荒く息を継ぎながら見上げれば、あどけない瞳は忙しなく瞬いている。

「…二葉先輩から聞いたんです。貴方はキハさんじゃない、タカハさんだ」
「…違、う。あれはお父さんが間違えたんだ。ほ、本当の僕は、タカハじゃない、キハなんだ。お母さんと同じ、イニシャルは、」
「どっちでもいい。俺は今、笑えるくらい嬉しいんです」
「…嬉しい?」
「うん、嬉しい」

冷たい指先だった。
微かに震えている指先を掴み、ゆっくり膝を曲げて屈み込んでくるのを待つ。

「どんな形であれ、貴方が生きてて良かった。あの人がこれ以上傷つかなくて済むなんて、こんなに嬉しい事はないじゃないですか。ね?」
「…」
「叶貴葉さん、初めまして。俺は山田太陽です」
「知ってる、よ」
「うん」
「ずっと、見てたんだ。動けるまで回復して、オリオンの目を盗んで何度も、皆に、会いたくて…」
「うん」
「二葉が日本に居ないのは寂しかったけど…文ちゃんには双子の女の子が産まれてて、ね」
「うん。姪っ子だね」
「…可愛いんだぁ。リンとランって言うんだよ。二葉もね、産まれた時はこーんなに、ちっちゃくて…」

震える両手で大きさを示した人に、太陽は黙って頷いた。蒼い眼差しに光る水滴がひたりと一粒、なだらかな頬を滑り落ちる。

「…ぼ、僕は、生きてる…!」
「そうだね」
「僕、二葉の事が大好きなんだ…!なのに二葉の所為でお母さんが、お母さんが、ひっ、やだぁ!お母さんに会いたい、会いたいの…!どうしてお母さんに会えないの…っ!どうして皆に会っちゃいけないの?!僕、何か悪い事した?!僕が悪い子だから駄目なんでしょ?!ねぇ、悪い事をしたなら謝るから、何でもするからお母さんを返して!返して、よぉ…!ひっ、ひっ」
「お母さんのことが、大好きだったんですね」
「うっ、うぇ、ひっひっ、うぇえええん」

倒れ込む様に抱き留めた体は、見た目に反して異常に重い。何か秘密があるのだろうとは思ったが、今はただ、縋りついてくる体躯を抱き締めたまま、背を撫で続けた。


「…そっか。十歳、だもんなー」

体はともかく、中身はそこで時を止めてしまったのだろう。
会いたい、だから会ったのに、今度は自分の正体を明かせない葛藤。そんなものを抱えていたら誰だって、ひねくれる。
そもそも叶家にひねくれていない者など、居ないではないか。

「お前さんは何も悪くない。少しばっか性格が悪くたって、その程度で罪になんかなるもんか。何てったって美人だもんねー。俺はそれだけで大抵の事は許します。だから、泣かないで下さい」
「…ほ、本当?僕、わ、悪い子じゃ、ない?」
「ないない、どっちかって言うと俺の方が極悪ですよー。や、今とんでもないこと企んでるし」
「…?」

きょとんと涙目で首を傾げる美貌に、太陽は平凡な鼻の下を一ミリ伸ばした。二葉が女性だったらきっとこんな感じだろう。身長こそ太陽より僅かばかり高いようだが、二葉と同じ中性的な美貌ながら、男と間違える事はない。明らかに女性だ。
言わないでおきたかったが、抱き締めた時に胸があっていた。何か巻いているのだろうが、罪深い柔らかさと質量だった。童貞には刺激が強すぎた。

「とにかく、泣かないで下さいね?えっと、ハンカチないから、あーもー、俺のシャツで拭いて!あっ、汗臭くはない、はず…多分」
「くんくん。…アキちゃんは臭くないよ?でも今、鼻が効かないから判んない」
「何かそのアキちゃんて罪深いなーとか、思ったり」
「…駄目、だった?僕が呼ぶの、嫌だった?」

やめろ、押し当てるな。
二葉が女体化した様にしか思えなくなってきた。これは由々しき事態だ。ビークール、自分は戦後の日本に残った最後の紳士。否、最後の武士。

「ふ。タイヨーとでもアキとでも口内炎とでも、好きに呼んで下さい」
「えっと…それって、呼んでも良いって事?」
「美人が俺を殺すのかなー?こっわー、面食いキラーこっわー」
「?」

太陽は自身最高のニヒルな笑みを浮かべたが、彼女は不思議そうに顔を傾げる。平凡にニヒルはハードルが高過ぎたらしい。

「よしよし、泣きやみました?」
「ん」
「いいですか、兄弟なのに会っちゃ駄目だとかそんな憲法はありません。もしあったとしても俺がぶち壊してやりますよ、だから今までのことは全部!」

ビシッと赤い鼻先に指を突きつければ、ぱちりと目を丸めた人が「全部」とおうむ返しに呟く。

「一切合切!」
「い…一切合切?」
れなさい」

掌を広げ、小さな顔を覆う。びくりと肩を震わせた人の細い手首をもう片手で封じ、

びは眠りの中で密やかに、欲望は沈まず浮き出たまま、緩やかには刻を刻んでいく」

全身から力が抜けるのが判った。
王は『目』、皇は『声』、姿なき名無し『空蝉』の正体は、代々受け継がれてきた声による催眠だ。元は、陰陽師である帝王院の配下、神からの託宣を民へ届ける星読みだったと言われている。
弟である夕陽にはなく、自分にだけある、声。それは、口笛だとて例外ではない。


「お前さんはもう、自由だよ」

手を離せば、夢から醒めた様なサファイアがくしゃりと歪んだ。泣くのかと身構えたが、涙はもう、ない。

「…良いなぁ。どうして二葉より先に、僕は君に会えなかったんだろ」
「叶だったら俺には会えてなかったよ。昔、確か…昭和に変わる前、だっけ。叶の長男が、帝王院の娘を連れて駆け落ちしたんだ」
「え?」
「君のお祖父さんのお兄さん、かな」
「僕そんな事知らない!お祖父さんは酷い人なんだ!お母さんを閉じ込めて、お父さんを苛めてたんだよ!僕は知らないけど、冬ちゃんはお祖父さんが大嫌いなんだ!」
「だろうねー。その人は叶からも逃げて、何処に行ったか判らないらしいよ。両家は世間体を鑑みて表沙汰にはしなかった。だけど叶は、東京から追放されたんだ」

信じられないとばかりに首を振る光景へ笑って、乱れた黒髪を指で整えてやる。首を絞められた時は本気で死ぬかと思ったが、素直に撫でられている姿はとても年上の女性とは思えなかった。

「俺達『皇』にしてみれば、帝王院は文字通り王様だ。その娘ってことは、要はお姫様さ」
「…」
「けど追放された時、叶の跡取りは逃げた彼しか居なかった。だから京都に住み着いた叶は慌てて跡取りを作ったんだろうね。顔も知らないお兄さんの尻拭いをさせられたんだ、そう考えると可哀想だと思わないかい?苦労したかも知れないよ?それでひねくれてしまったとして、誰が責められるんだい?」
「何で…そこまで知ってるの?君は何も知らない振りをしてたじゃない」
「ゲームオーバーだからさ。俺は『声』なんか使わなくたって、ネイちゃん…二葉先輩に、好きになって貰いたかった」
「声…」
「そう、声。叶よりまだ早く皇から離脱した明神、冬月、東雲、彼らにも度々その力を持った当主がいたけど。榛原はまるで呪いさ。必ず長男が与えられる。だから俺の父親は、家じゃ殆ど喋らなかった」

今なら判る様な気がする。
恐らくまともな恋愛をする暇などなかっただろう。何せ出来ちゃった結婚だと、常々母親から聞かされてきた。何であんな奴と結婚しちゃったかなぁ!などと、安いチューハイ一本で酔った振りをする母親が、書斎から出てこない亭主へこれみよがしに怒鳴り散らかす光景。
六歳で寮生活を始めた夕陽は知っているのか否か、祖父は見て見ぬ振りをしていた。同じ男として義理の息子を庇っていたのか、はたまた呆れていたのかは知らない。

「誰だって後悔するんだよ。貴葉さんだけじゃない。皆、色々抱えてるもんなんだ。耐えるのも勝手、逃げるのも勝手、誰かに甘えるのも勝手。誰も彼もが勝手に生きてる。それで、いいんだよ」
「…怒ってないの?」
「俺が?俺が怒るとしたら、それはあの人にだけだよ」
「あの人って、」
「自分勝手に自分だけ不幸になろうとしてる王様さ。いっそ清々しい程に自分の身を省みない、ひたすら与えるばっか。帝王院の当主は代々そうなんだ。病気なんだよ、根っからのドMしか居ないんだ!」
「え?!」
「だから慕われて、だから誰もが守ってやりたいと思ってしまう!そこに来てあの眼!どいつもこいつも威圧感だけは一流と来た、中身は不幸に酔いしれる変態の癖に…!」

ギリッ。
凄まじい歯軋りに世界は凍り、無意識で背を正した人は忙しなくサファイアの双眸を瞬かせ、やはり無意識で腕を擦った。五月間近だと言うのに、この肌寒さは何なんだ。


「ふ…ふふふ、あははははは、………いいだろう。売られない喧嘩を時にはごり押しで買う、それがワラショクスタイルだとも」
「ア、アキ、ちゃん?」
「あはは。貴葉さんは、美人さんだねー」

かかっ。真っ赤に染まった人はあわあわと口を喘がせ、きょどきょどと挙動不審に周囲を見回し、誰も居る筈のない山あい間近の暗い裏庭を何処ともなく眺めた。誉められ慣れていないらしい。

「でも、ふーちゃんの方が好きなんでしょ?」
「うん、大好き」
「…アキの意地悪!後から僕と結婚したいって言っても、してあげないよ?!」
「ごめんね。でも貴葉さんが好きなのは、俺じゃないでしょ?」
「っ」
「そう言う事はちゃんと好きな人に言わないと駄目だよー?」
「で、でも…だって、お兄ちゃんは結婚して…」
「は?んなもん、奪えばいい」

ぎょっと目を剥いた人を見やり、山田太陽は怪訝げに首を傾げる。何か可笑しな事でも言っただろうか?

「何でもね、試練がある方が燃えるもんさ。…いいね、一緒になれないならお前さんを殺して俺も死ぬ、なんて毒を飲んで眠ってしまうジュリエットを見たロミオは短剣で胸を一突き、愛するジュリエットの唇に毒残りを探しながら死んでいく…。ぞくぞくするよ」
「…ジュリエットって、男だっけ?」
「ん?どうかしたかい?」
「んーん、どうもしない。アキは男らしいんだねぇ」
「えへへ、そっかな?ありがと」

照れた様にデコを掻く太陽に、叶唯一の女子はただ微笑んだ。
体の大半が最先端の機械で補われている彼女の右目は、これまた最先端の義眼だが、知り合った人間の危険度を人工知能で判断する機能が備わっていた。

「アキは情熱家だねぇ。燃える様に…真っ赤だねぇ」
「やだな、そんな誉めないで下さいって!えへへ、でへへへへへ」

山田太陽の危険度はMAXを示し、先程から視界はデンジャーを示す真っ赤だったが、彼女は逃げようとしない。
何故ならば「愛らしく微笑んでいれば多分何とかなる」様な気がしたからだと追記しておこう。腰が抜けていたとも言えるだろうか。

「とにかく貴葉さん。必ず家族に会わせてあげますから、俺を信じて下さい」
「うん、信じるよ」
「え?!そんな簡単に頷くなんて…俺ちょいと心配になってきた、かもー…」
「もっと僕の心配して。僕の事いっぱい考えて」
「ちょ!そんなはしたないこと言ったら駄目!」
「ふふ、怒った…?」

何にせよ、帝王院に匹敵するほどに叶にもまた、



「だったら叩いても良いよ…?うふふ、うふふふふふ」

ドMしか居なかったのだ。

















一方その頃、新しい眼鏡をすちゃっと装着したドM2号機…またの名を叶二葉は、真っ暗な部屋でパソコンを操作していた。
左席がそこそこ誇るメカ部長、神崎隼人もパンイチで逃げ出しそうなキータッチの早さだ。
ピアニストも裸足で逃げ出す正確さに、ロイヤルミルクティーを運んできた痣だらけの川南北斗はドン引きしている。

「マ、マスター、お茶が入りました系…。こ、ここに置きます、ね…」
「ああ、それは私の足元の人体テーブルに置いて下さい。ウエスト、少しでも動いて私のロイヤルミルクティーを零してみなさい。大火傷しますよ?」

ああ、それで舌が焼けるほど熱い茶を淹れろと言ったのか、と。何となく判っていたが逆らえなかった川南は、二葉の足元で土下座のポーズのまま動くなと命じられている西指宿の背中に、熱々なソーサーをそっと置いた。
恨みがましく睨んでくる西指宿から川南は目を反らし、学園中のカメラ映像と風紀委員の配置を確認している二葉の横顔を盗み見る。知ってはいたが、二葉の山田太陽に対する感情は恋愛のそれを越えている。決して口にはしないが、犯罪すれすれのストーカーだ。いや、ストーカーの方が可愛いかも知れない。

「ふむ、数十分前に高坂君と一緒に居た様ですねぇ。プライベートライン・オープン、コード:セカンドよりコード:ディアブロへ」
『…良い所に掛けてきたじゃねぇか。今テメェに、』
「アキはそこに居ますか?」
『あ?アキ?』
「もし居ないなんてほざいたら、貴方の命よりも大事な嵯峨崎君の命は保証しませんよ」

川南北斗と西指宿麻飛は同時に目を見開いた。
少し零れたロイヤルミルクティーが西指宿の背を直撃したが、熱いなどと騒げば益々酷い目に遭うだけだ。被害は最小限に留めたい。が、熱いものは熱い。
二葉のエロキスで勃起した男の子の宝物を全力で踏まれ死にかけた男は、これ以上傷ついて堪るかと震えながら熱さと痛みに耐え、やはり耐えられないと泣きそうになった瞬間、愛する義弟の顔を思い浮かべた。

隼人。ああ、隼人。
何と罪深い我が最愛のハヤチョ。西指宿は心の中で勝手に隼人のあだ名を呼び、あの可愛さに比べれば自分の使い古した下半身などどうでも良くなったのだ。いや、どうでも良くはないが。

「では見失ったのですね?…ふぅ、私は君を心底見損ないましたよベルハーツ、めでたいのは金色の陰毛だけになさい」
『巫山戯けてる場合か!向こう側から乗り込んできた奴の身柄を帝王院が追ってる。…奴らの狙いは、』
「そんな事はどうでも良いのです」
『んだと?!』
「私の優先順位は語るまでもない。それは勿論、陛下もご存じです。…ねぇ?」
『そなたは思うまま動けば良い』

日向の映像に割り込んで、絶対なる存在感を漂わせた男がディスプレイへ写し出された。流石の二葉も僅かに身構える気配、それまで日向の映像を見ていた川南北斗は目を反らし、西指宿は床を見つめたまま息を呑む。

『但し、如何にせよ私の妨げになる事があってはならない』
「御意、心得ております」

その声だけで判った。
画面に映り込むそれは最早、人間ではない。



「…それ即ち、唯一神の冥府揺るがす威光を幾久しく穢さんが為に。」

然し神と呼ぶには余りにも禍々しい、威圧感だった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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