帝王院高等学校
ちょいと強くおなりよ男なら!
「ねーねー、かなり大きいけど、身長どんくらい?」

久し振り、と言うより初めてではないだろうか。
弾んだ妻の声をBGMに、心の中で何回目かの殺人を犯した男は表面上は穏やかな笑みを浮かべながら、ちょろりと足元を駆けた黒い何かを踏み潰す。

「さて、先日測定したんですが、181だった様な…」
「ひゃくはちじゅう、いち?!ちょっと貴方、うちの役員で一番大きい専務が幾つだったっけ?!」
「あはは、そうだねー、小林さんは180cmじゃなかったかなー」
「近い、あんまくっつかないでよ」

漸く話し掛けてきた妻に、誉められた犬の如く駆け寄れば、虫を払う様に吐き捨てられた。妻の背後で音もなく、鼻で笑った小憎たらしい子供を心の中で刺殺し、次は撲殺しようと誓う。
先程踏み潰した何かが張り付いていたら気持ちが悪いと、視界の端に過った水路へ片足を突っ込み、がしがしと靴底を洗った。仲睦まじい二人はさっさと歩いていくので、アスファルトで適当に靴底を脱ぐって追い掛ける。
ワラショク最高取締役は今、心の狭さだけは日本一だった。デコの広さはともかく。


「いいわねー、モテるでしょうに。そんだけ綺麗な顔してたら、女の子より男の子にモテるんじゃない?」
「いえ、私などに畏れ多い誉め言葉です」
「嘘、めちゃくちゃモテるわよね?謙遜しちゃって、嫌味だわ」
「いえ、本当に。…此処だけの話、男子校でしょう?」
「あ。成程、ゲイって中性的な子より男らしい子の方がモテるって聞いた事あるわ。そんじゃ、うちの太陽はモテないわねー、何せチビだし」

からりと笑い飛ばした女性から僅かに目を反らした叶二葉は鉄壁の笑顔の下、わざとらしく眼鏡を押し上げた。母親の辛辣な息子評価は判らなくもないが、理性ではそうだとしても、本能は真逆の意見で滾っている。
確かに顔は可もなく不可もなく、性格も今はともかく、以前は君子危うきに近寄らず。遠巻きにされ孤立化していた癖に、そうと悟らせない雰囲気で影の薄さを演じていた。山田太陽とは苛められそうな見た目に反して、危機を躱す能力に長けていた男だ。そうでなければ、二葉と顔を合わせる度に堂々と嫌がる事など、普通の生徒には出来ない。

「彼は、慕われていますよ」
「え、本当?」
「ええ。初等部編入以降、問題を起こした事もありませんし、降格対象者講習も受けた事はない。学年順位25位以内を保持し続ける努力は、並大抵のものではありません」
「…そうなの。親馬鹿で悪いんだけど、ああ見えて影で努力してたりすんのよ、あの子。しかもそれを知られたくないみたいでね、誉めてもはぐらかすのよ。変な子でしょ?」
「男らしいと思いますねぇ。努力をひけらかす者ほど、大した事はしていない。あくまで私の個人的な意見ですが」
「やだわー!何か私が照れるんだわ!ありがとね、二葉君。こんな素敵な先輩から目を掛けて貰ってるあの子は、幸福者だわ」
「いえ。私は彼の人柄に惚れ込んでいるだけです」
「やだわー!誉め殺しはやめてー!」

恥ずかしげに悶える人の胸がボヨンと揺れ、二葉は沈黙した。
こんな恐ろしいものが太陽についていたら、今頃何処の狼から襲われていたか判ったものではない。男で良かった。叶二葉は本気でそう安堵した。思考回路が汚染している。

身の丈に応じた慎ましい下半身をふるりと震わせ、恥ずかしげに上気した目元を伏せて「もっと触って」と呟く小悪魔の攻撃力は、経験済だ。何度か死に掛けた。
余りに興奮し過ぎて逃げ出し、他の人間の裸を見て落ち着いた事もあったが、そんな愚行は二度としない。毒を喰らわば皿まで、手始めに保護者を籠絡しておこうと企んだ事は誰の目にも明らかだろう。

「ふぃー。まーね、母親の私から見てもうちのお兄ちゃんは男前なんだけど…何せグラビアの一冊も持ってないのよ?可笑しいと思わない?」
「おや、そうなんですか?」
「そうなのよ。その癖、オタクっぽくゲームのキャラにのめり込んでるのかと心配したら、そうでもないみたいだし。初恋は間違いなく瞳ちゃんだったんだけど」
「…瞳ちゃん、ですか?」

太陽の身の回りは小学校入学以降、全て調査済だ。然しその名には聞き覚えがない。内心穏やかではない二葉を知ってか知らずか、母親は難しい表情で頷いた。と、同時に胸が揺れる。
余り見ない様にしようと目を反らした。頭の中でどうしても太陽が女体化してしまう不具合が止められない。

「幼稚園の頃ね。家を建てた頃だから…年少だったかしら、良く手を繋いでたわー。なのにいつの間にか翔子ちゃんと文通してたりしてねー」
「…翔子ちゃん、ですか」
「此処に入れる前に通わせてた公立小学校じゃ、何度かバレンタインチョコ貰って帰ってきた事もあったんじゃなかったかしら?」
「…」

どうした事だ。そんな報告は受けていない。
それともまだ子供だからと油断していたのだろうか?小学校と言えば、自分は大人から何度も口説かれていた頃だ。体の関係だけでもと男女問わずひっきりなしで、佑壱がキャビンアテンダントに喰われたと報告を受けた頃にはもう、とっくに童貞ではなかった。

そんな事はこの際どうでも良い。
誰だ。誰なのだ、太陽にバレンタイン作戦を仕掛けた糞餓鬼は。本音を言おう、初恋の瞳ちゃんは生かしておけない。ピーがピーしてピーにした挙げ句、ピーしてしまえ。寧ろピー。

「おモテになりますねぇ、山田太陽君は…」
「貴方、瞳ちゃんと翔子ちゃん、覚えてる?」

晴れやかな笑顔の下、邪魔者一掃作戦を練っている二葉を余所に、妻から話し掛けられた夫はあざとく頬を膨らませながら頷く。不貞腐れているらしい。

「覚えてるよー。幼稚園の園長さんと、産休で休んでた幼稚園の先生でしょ?」
「元気かしらね、二人共。開発区域に入ってから移転したって聞いたけど、2区に移ったんでしょ?」
「車で何度か通り掛かった事があるよ。前より広い所でねー」

見た目は太陽そっくりな癖にやはり母親、かなり癖のある人間らしい。この女性に比べれば、会話に加われてにこにこしている父親など単純なものだ。
騙されていたと言うより遊ばれたらしい二葉はそっと安堵の息を零し、舌打ちを笑顔で噛み殺した。それなら心当たりがある。確かに太陽が卒園した幼稚園の経営者と、産休で2年間休職していた職員の名前が一致した。全く、紛らわしいにも程がある。

「ああ、見えてきました。あれが騎士の碑です」

渡り廊下で繋がる離宮と離宮の境、ゴルフコースとの仕切り代わりの雑木林を間近に、ひっそりと。黒い石碑が佇んでいる。



「…ナイトオブナイト、ね。紛らわしいんだわ、夜の騎士」

ずかずかとそれへ近付いた人は屈み込み、躊躇わずガシッと。その墓標を両手で、掴んだのだ。





















「改めて、遠野秀隆です。何卒よしなに」

ぺこっと頭を下げた美形に、背を正したカラフルヘア一同は深々と頭を下げた。

「藤倉裕也っス。殿には中一の頃から世話になってまス、お父さん」
「殿?俊、友達に殿なんて呼ばせてるのか?何処の馬鹿殿なんだ、お前は。パパは悲しいぞ」
「イイのょ!ユーヤンは歴男なんだから!天守閣で平凡な側仕えに手を出してあれやこれやのハァハァ騒ぎなんだから!」
「殿、濡れ衣っス」

真顔で否定した裕也へ、オタク父は冷静に頷く。息子のこれは、近頃愛する妻にも飛び火した病の様なものだ。

「あ、あの、俺、高野健吾、」
「息子さんと同じお墓に入る事を前提にお付き合いさせて貰ってる神崎隼人君ですー!年収は今の所2000万前後ですけどお、パパさん的にはよいですか?!」
「俊、どうもパパはこの子をテレビで見た事があるぞ。フライ食べ放題の『揚げ王』のCMに出てる子にそっくりだ」
「ほぇ?駅前の揚げ王、略してアゲキン?CMなんかやってたかしら?」
「あは。うふふ、ボスには内緒にしてたんだけどお、3年契約組んだんだよお。永年フリーパス貰っちゃったからあ、今度一緒に行こうねえ♪」
「モテキングさまーーー!!!!!」

自己紹介を遮られた健吾は、俊を抱き締めんばかりに腕を広げた隼人の脛を蹴った。声なく崩れ落ちた隼人の代わりに俊をキャッチし、勝ち誇った笑みを一つ。

「総長、安っぽいバイキングよりエンペラーホテルのフレンチビュッフェのが良くないっスか?(`・ω・´) 曾祖父ちゃんの代から株主なんで、毎年招待券送ってくるんスよ☆」
「しょ、しょんな高級ホテル、オタク立ち入り禁止じゃないかしら!タイヨーちゃん!ビュッフェとバイキングの違いが判んないにょ!」
「エンペラーって高級だっけ?こないだ帰省した時に俺の進級祝いと祖父さんの引退祝いでインペリアルスイートに泊まったけど、そんな高級ホテルだと思わなかったなー」
「いやー!タイヨーもセレブだったの忘れてたァア!!!社長令嬢めぇえええ!!!」
「あはは、誰が令嬢やねん」
「ちょっとお!猿と21番の癖にセレブ面しないでくんない?!デリシャスボスはあ、隼人君とエビフライ食べまくるって決まってんのよお!アゲキンにはねえ、明太子のおむすびもおいなりさんもトンカツもあるんだからー!」
「うひゃwどーせ衣が分厚いんだろーがよwビュッフェのエビフライはお前、中にクリームとか入ってんぞ?エビピラフもあんだぞ?田舎者は食った事ねーべ?(*´Q`*)」

俊と隼人は感電した。

「エビフライの中にクリーム…だと?イチも太郎もワッキーもそんなの作ってくれなかったのに…!」
「そ、そんな…エビピラフなんて…隼人君はそんなおしゃんティーな食べ物に蹂躙されたりなんかしないんだからあ!」
「すまん隼人!俺と言うオタクが地味ウジ虫チキン貧乏な不甲斐ない父親な所為でっ、涎を拭いてやりたいがティッシュが間に合わないにょ!じゅるりらじゅるり」
「うわあん、パパー!隼人君もっと頑張るからねえ!いつかホテル王になって津々浦々のビュッフェ食べさせたげるからー!甲斐性のある男になるからあああ!!!」

たらりと同時に涎を垂らし、庶民の味方アゲキンは敗北したらしい。咽び泣くオタクとモデルは揃って「俺は石油王になる!」と叫び、

「うひゃひゃひゃ、何かどっかのバイキングみてーな事言ってっしょw(*´Q`*)」
「オレは海賊王になるぜ。世界中の城を制覇する」
「あ?城って陸じゃね?船要らねーだろーが(; ´艸`)」

感電した藤倉裕也はそっとオタクとモデルから肩を叩かれ、石油は海の底に眠る宝石だと言う意見で一致した。どんな意思の疎通だろーねー、と、笑顔で突っ込んだ太陽に、声もなく笑い悶えた健吾が崩れ落ちる。

「あはは、笑い過ぎだよ高野君。それにしても育ち盛りの会話ですねー、マスターさん。こんな頭悪い会話してる奴らでも偏差値80オーバーなんですよねー」
「あー…、まぁ、あの脇田さんをワッキー呼んでんのはあの人くらいだろうな…」
「え?」
「気にすんな。つーか後で台所貸してくんね?この流れだと、エビフライ風クリームコロッケ作んなきゃ批難されそうだろ」

火の付いていない煙草を咥えたまま、キョロキョロと辺りを窺っていた眼鏡は肩を竦めた。珍しく目をぱっちり開いている裕也は遠野二匹を交互に見つめ、俊を取り合っている隼人と健吾はスイーツバイキングに話を変え、また論戦を始めている。

「はァ。食べ物の話ばっか聞いてたら、お腹が鳴ったにょ。うっうっ、太郎ちゃん、飢えたオタクに何か与えて頂けませんか」
「タロー?」
「気にすんな山田、俺のあだ名みたいなもんだ」
「はい?!あだ名って、掠りもしてない気がするんですけど?!」
「ファーザーのつけるあだ名に突っ込むだけ無駄だ、俺の前に居たバーテンも太郎だったかんな。ついでに、うちのバイトの斉藤は二郎だ。もう一人、古株バイトの猫目の玉井はタマな。こっちはまぁ、判るだろ?だからオーナーをあの人だけが『イチ』っつってんだ。佑壱からじゃねぇぞありゃ、犬っぽいからに決まってる」
「…あはは、俊と白百合の共通点は眼鏡だけじゃないんかい。ネーミングセンス似すぎ」

ごそごそとポケットを漁り、のど飴を見つけた眼鏡は袋ごとオタクの口へ放り込んだ。その程度では挫けない俊はもごもごと頬を蠢かせ、プッと袋だけ吐き出す。

「ボスってば、相変わらず舌技が凄すぎー。抱いてえ、強く激しくディープなチューしてえ」
「パヤタ!そんな萌ゆる台詞はタイヨーちゃんに言いなさい!めっ!」
「えー」
「総長、ピンキーのハートあるっスよ!昨日買った奴に入ってたんス!(`・ω・´)」
「ケンゴン、チミは天使かィ?あーん!」
「マジ隼人君は猿の滅亡を所望する」
「オメーの祖先も猿っしょ!バロス!(´艸`*)」

低レベルな隼人と健吾の言い合いを余所に、大人しいオッサンはハンカチを取り出した。

「…息子よ、いつの間にかお前にも友達が出来ていたのか。父ちゃんは感動で前が見えない…。そんな事より、そちらの隼人君はお前の息子なのか?つまり俺の孫なのか?母親は誰だ?」
「ほぇ?母親?んー、イチかしら?」
「あは。隼人君はあんなゴリラママやなんだけどお、仕方ないからそーゆー事にしといてもよいよ?」
「タイヨーがお母さんの方がイイにょ?」
「それは絶対やだ」
「おい神崎この野郎、どう言う意味かなー?んー?そんなばっさり嫌がるとか傷つくなー、よーし、俺がお前さんのママになってやんよー」

冷気さえ感じさせる笑顔を浮かべた太陽に、怯えた俊は凍りつき、やや怯んだものの平気な顔をした隼人はキラッと光ったデコから黒いオーラを感じた瞬間、素早くオタク父の背後に隠れる。残念ながら10cm以上ある身長差で、色々はみ出ていた。

「ふむ。太陽、友達を苛めるなんてお前はオオゾラにそっくりだな。昔のお前は飽きたプレステを500円で売り付けてくる可愛い子供だったのに…」
「えっ、そんな事ありましたっけ?!」
「あらん?ねね、もしかしてうちに初めてやってきたプレステって…」
「DSにハマった太陽が飽きたからくれたんだ。少々壊れていたが、一ノ瀬常務の手に懸かれば新品同然だったろう?」

目を輝かせたオタクと平凡は見つめあい、ふらふらと寄り添い、手を取り合った。

「俺のプレステはお前さんのプレステ」
「僕らは出会う前から結ばれていたなり」
「「イエス、フォーリンラブ」」
「古くね?(´°ω°`)」

健吾以外のカルマが腹筋を直撃したらしい。
煙草を吹かしながら俯いて肩を震わせるマスターの背後、パシャっと平凡二匹を撮影したキャメラマンもそっぽ向いて笑っている。隼人は笑うまいと耐えたが不細工な顔で、裕也は「ぷ」と吹き出した瞬間、口を塞いで難を逃れた。どうも健吾以外は笑いのハードルが低い。

「…今の何処でウケたん?(・ω・)」
「猿には高尚過ぎたんだねえ」
「ケンゴ、どんまい」

隼人と裕也を冷めた目で眺めた健吾は、後で要に相談しようと心に決めた。カルマで最も笑わない男と名高い要なら…いや、奴は俊の全てを受け入れる気がしなくもない。どちらにせよアウェイだ。

「あとはー、今は居ないけど美人イケメンなカナタも居るにょ」
「俊、それじゃ判んないんじゃないかなー?錦織要って言って、ここにいる神崎と俊に並んで三番の子がいるんですよー」
「…いつの間にそこまで親しくなったんだ。何処の進学科もそれなりに競争があるだろう?お前と太陽は険悪なんじゃないかと思っていたぞ、パパは」
「何を仰いますやら親父め。ふ、こないだなんてうちに連れていこうとしたのょ!ねっ、タイヨーちゃん!」
「え?あ、そうだねー。俊がバスで吐いたりマンホールに落ちたり、色々大変だったよねー」
「何だと」
「でもお招きは不発に終わりました!リベンジしたいなり!」
「それでも遠野家の男か。父は嘆かわしいぞ俊、こう言うものは勢いだ!勢いで連れ込め!若い頃は少しばかり無茶をしなきゃならないんだ。そうしてパパはママをゲットしました」
「はィ?何の話だァ、馬鹿親父ィ」
「のうのうとノロケとるんやないわ!」

太陽より鋭く突っ込んだ声に、文字通り並木道から外れた草葉の陰でひそひそしていた皆は振り返った。
ゼェハァ肩で息をしている、ゆるゆる波打つ癖毛の男の着ている紫とも赤ともつかない小豆色のジャージに、遠野父子は同時に目を細める。

「ぷはーんにょーん。晴れたる一大祭典にも関わらずその様とは何事かァアアア、このダサジャージめぇえええ!!!」
「何で此処が判ったんだムラムラ」
「誰がムラムラしてんねや!…じゃない、あんっだけ騒いどきながら、何言うてはるんですか!アンタのお陰でもう滅茶苦茶やで、マジェスティ!」

殺意すら滲ませた双眸の下、歯を剥き出して笑う担任にチビったオタクは平凡に飛び付き、目を見開いた健吾と裕也は開こうとした口を閉じた。その些細な変化に気付いたのは榊だけだが、怯える平凡二匹に気を取られ、すぐに目を離す。

「ねえ、今マジェスティっつった?どーゆー事?」
「は?…あ、今、言ってもうた…?」
「ああ。堂々と言ってもうたな、紫水の君」
「………………後で、消せます、か?」
「ほう、可愛い教え子に精神的苦痛を与えろと言う訳か。これはまた、面映ゆい」

きょとり。
張り付く俊の背中を宥めつつ、首を傾げた太陽は、すぐに目を見開いた。同じく、隼人と健吾に裕也、北緯も驚きを隠していない。部外者の榊と腹が減っている俊は理解していない表情だ。

「マジェスティ、って、神帝がそう呼ばれてますよねー、シノ先生」
「…歴代ABSOLUTELY総帥は皆、そう呼ばれてるぜ」
「イコール、中央委員会会長っつー事っしょ(°ω°`)」
「あは。やっぱりねえ、名前が違うから他人の空似だと思ってたんだけどお」

隼人だけは零れる様な笑みを浮かべ、腹を撫でている俊の喉へ手を伸ばした。


「最初からさあ、変な事ばっかだよねえ。何でボスは知らんぷりしてるの?」
「ふぇ?なーに?僕ってば知らんぷりなんかして、」
「ST、遠野俊。ねえ、そのまんま此処に来たらバレるのは時間の無駄だってさあ、判るでしょ?隠れる気なんか最初からさあ、なかったんでしょ?寧ろバレる事ばっかやってさあ、」
「ちょいと神崎、お前さん何やってんだよ!」

ぎりっ、と。
喉を掴む手に力が籠るのを目にした太陽が叫んだ瞬間、



「アンタの本名はなーに、シーザー?」


その問い掛けを最後に。









「耳を塞げ」



その、静かな囁き一つで。全ての人間が動きを止める。
くたりと崩れ落ちた皆を漆黒の双眸で眺めた男は、ただ二人、立ったままの男らへ顔を向けた。

「…想像通り、効果はない様だ。自分の暗示は自分にしか解けない」
「俊?」
「けれど俺の掛けた暗示は解けずにリフレインしている。成程、あの子の暗示は確かに、俺の目を塞いでいるらしい」

表情一つ変わらない。
父親から目を反らし、その漆黒の双眸だけで笑った男はそのまま、もう一人へ目を向けた。

「5分後に皆の目が覚める。その前に、何か質問は?」
「全部知っとったんかい、のびちゃん。…いや、帝王院俊と呼んだ方が良いか?」
「その名は俺には相応しくない。今はそう、神帝に委ねられたものだ。学園長は幸せそうに孫の話をしていた。それは俺ではない」
「取り戻す気はない、っちゅー事かいな。東雲だけやないで、加賀城も荷担しとる。後戻りは出来へんねや」
「俺には必要のないものばかりだ。地位も名誉も富も全て、一切淘汰したまま今まで、こうして生きてきた。それらに何の価値があるか、教師らしく諭して貰えるか」

東雲の目に焦燥が滲む。

「必要がないなら、何で此処に現れた?」
「やるべき事を遂げる為に」
「それは復讐以外っつー事かいな」
「俺に恨みなどない。全ては俺の預かり知らぬ所で進む、アナザーストーリー。俺はキャストではないからだ」

扱い難い子供だ。初めて会った日から今の今まで、ただの一度たりとも油断した瞬間はない。

「…マジェスティ、昔のアンタそっくりやわ。あっちのが似とる思とったけど、血ぃには勝てへんて事やろな」
「血?…あ、ああ、そうか、今、目が覚めた。シエが見当たらないと気付いた瞬間に、入れ替わったらしい」
「父。母は何処に?」
「スコーピオへ向かう途中、見失った」
「そうか。母は方向音痴だからな。普段は父の所為だと思い込ませていたが、解けたのか」
「俺の暗示も解けていたが、理由が判らない。お前に子供が出来るまで解けない設定だったのに…」
「ちょい、ちょい待って!親子しか判らん会話はやめぇ、何やの、さっきから解けただの解けてないだの」

割り込んだ東雲の台詞に目付き以下そっくりな二人は、

『セントラルライン・オープン』

割り込んできた機械音声に顔を上げた。

『マジェスティナイトへ通告します。クイーンはマジェスティルークの元、明日の副賞と為すべく準備をしておられます』
「な、んだと?」
「どう言うこっちゃ?!」

慌ただしい大人二人を横目に、こめかみを押さえた男は膝を崩す。



ああ、頭の中で怒鳴っているのは誰だ。
ああ、頭の中で壊れた音を奏でているのは誰だ。
笑う声がする。
嘲る声がする。
寄越せ寄越せと、偽りのキャストが。
消えろ消えろと姿のない、キャストが。



『俺に代われ、俊』
『私に代われ、俊』
『儂に代われ、俊』
『僕に代われ、俊』


ああ、煩い。
壊れた楽器は壊れた音を奏で、頭の中で繰り返し、繰り返し。





(ああ、)
(少しだけ、思い出した)

(感受性が強いのか、と)
(言った人がいたのだ)
(壊れてしまうよと)
(だからそうなる前に、)



がしり、と。
足を掴む熱い手の感触に、閉じた瞼を開いた。





「…俊?どうしたんだい?」

心配げな声が鼓膜を、暗く暗く、嘲笑う表情が網膜を焼いた。


「顔色が…悪い、よ?」
『私に代われ、俊。それはお前に悪影響を与える子供だ』
「俊…?どうしたんだい…?」
『何故ならそれはお前の、』

そうか。
壊れてしまう前に壊してしまえば良いと、言ったのだ。

(あの時)
(焼け爛れた皮膚を月の下、)
(痛々しいほど潔く晒したその横顔を)


(壊したの・は)



「やはり、太陽には効かなかったか。心配するな俊、その子は警戒しなくて良い」
「…え?遠野、課長?って、俺…何で倒れてんの…?皆は?!」
「静かに。他が目を覚ます前に話しておく事がある。太陽、夕陽が知らない事をお前は知っている筈だ」

がさり、がさり。
背後で蠢く音を聞いた。目だけで振り向けば、夥しい量の黒、黒、黒。


まるで一足早く、夜を招く様に。


「そこで何をしている?」

それとは反対側から掛けられた声に振り返る気配が近くから。

「義兄さん。っ、父さんも居たんですか」
「秀皇…か?お前、そこで何をしている?この子らは…?」
「駿河、あれが俊だ。判るか?」

ああ。
知らない男達の中でただ一人、良く知っている男が見える。夥しい量の黒には未だ誰も気づかず、日本人の目が注がれる事には気付いていたが、そんな事はどうでも良かったのだ。

「久しいな、ナイン。…成程、お前は私より兄上に良く似ている」
「…何故、そなたが我が名を知っている?」

全ての人間の視線が体を射抜いた。
黒が一つ、ブロンドの足元へと近付こうとしている事に気付いた瞬間、体は勝手に動いていたのだ。

「テメー、誰の息子に触るつもりだァ?」
「?」
「はは。面白い顔してんな、ハーヴィ」

蒼い、蒼い、いつか愛しかった人に良く似た眼差しを限界まで見開いた美貌へ、笑い掛けた。俊、と。呟く様に零した声へは目を向ける必要はない。
それは『遠野俊』を呼ぶ声だ。

「まさか、そなたは…」
「何を悩んでるんだ?俺の日本名は、お前だって知ってたろ?そうだろ、ハーヴィ」
「夜人」

ああ。懐かしい呼び名を聞いた。
他の人間が沈黙を守る中、漆黒の双眸を細めた男は唇を吊り上げ、獰猛な笑みを浮かべ、 


「俺には気付いたのにレヴィは判らなかったのか?親不孝だなァ、お前は」

およそ現実的ではない台詞を躊躇う事なく。
踏みつけても踏みつけても増える黒には目を向ける事も、ないままに。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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