帝王院高等学校
心底腐った奴らのシンフォニー!
「アンタ達、そこにお座りなさい」
「…この格好でか」
「イチきゅん、お毛々が見えてるわょ?」
「あ、スんません」
「良いから!座りなさいッ!」

男のヒステリーも鬱陶しい事この上ない。
二人の金髪美女から、縫うので脱げと身ぐるみを剥がされた佑壱に、きゃー!と悲鳴を上げたのは、何処からどう見ても男子中学生にしか見えないババアだった。
何故か正座している俊江も気になるが、ばっちり化粧済みの父親からは睨まれ、苦手な母親は日向の母親と何故か親しげにキャッキャしており、嵯峨崎佑壱の気力はどんどん減っている。然し体力だけは有り余っていた。

「ご心配なく佑壱様。大切な所は私が帽子で隠して差し上げます…」
「そ、そうか。サンキュー」
「いやん、イチきゅんの彼女?可愛い子ねィ」
「違いまス」
「そんな!可愛いだなんて、勿体ない!うふ、うふふふふ」

体力だけは有り余っていた所為で、父親へ殴り掛かろうとしたが股間を覆っていた両手は使えない。どうしたものかと歯噛みしたものだが、お陰様で何故か右側に母親のSPである女が張り付いており、離れろと言えない雰囲気だ。小さめなキャップが股間に乗っている。
二葉に良く似た薄暗い笑みからそっと目を反らせば、今にも発火しそうなオカマと目が合った。…四面楚歌だ。

「ファースト、アンタ…あの子となんやかんやな仲って、本当なの?」
「あ?あの子って誰だよ」
「…あの子は、あの子よ」
「だから誰だっつってんだろ。つーかそれ以上近寄んな。マジで臭ぇ、女物の香水振んなタコ」
「話を反らすんじゃないわよ!アンタね、アタシが今まで何の為にアンタを育ててきたと思ってんの?!」
「育てられた覚えはねぇ」

冷めた目でチャイナドレスを嫌々眺めた佑壱は、目を吊り上げたオカマになけなしの眉を寄せ、

「学費も生活費も一円だって出させてねぇだろうが。俺ぁ、初等部から今まで一貫して帝君だ」
「っ、」
「ハーバード時代に向こうで貯めたギャラを元手に、12で店を始めて5年、一度だってテメーらに迷惑掛けた覚えはねぇ。今更ノコノコ親面してんじゃねぇ、You are too annoying.(テメーら鬱陶しいんだよ)」

返す言葉もないらしい父親に勝ち誇った笑みを一つ。
目を反らせば、何とも言えない表情の男と目があった。髪も目も黒い、純日本人。一人は日向にそっくりで、一人は何処となく西園寺の生徒会長に似ている。
日向の父親は直視する勇気のない佑壱の目線は、必然的にもう一人へ注がれた。要の容態を診ながら、話を聞いていた様だ。

「…身につまされるなぁ。最近の高校生はしっかりしてますね、叶さん」
「おや、そうですか?院長は、西園寺の生徒会長を二期連続で務めてらっしゃる優秀なご子息をお持ちでしょうに」
「お陰様で、下の子があれじゃプラマイゼロですよ。ったく、小遣い持たせて食べ物でも与えておかないと、何をしでかすか…」
「ピザの露店へと勇ましく駆けていく様は、大層愉快…いえ、頼もしかったですねぇ」
「皮肉は皮肉らしく言って貰えますか」

その傍らには嫌に覚えのある着物姿の男が居た。顔は全く似ていないが、その雰囲気が二葉にそっくりだ。深く関わるなと、佑壱の本能が警鐘を鳴らしている。
鬱陶しいSPとは反対側をちらりと窺えば、

「イチきゅん英語がお上手。私が英語で喋ると遠巻きにされちゃうのよねィ、何でかしら。巻き舌が直んないと駄目ざます?カモンッ、オォォォマワァァァリィィィ!」
「…普通に呼べねぇのか、テメェはよ」
「あ?それが幼馴染みの台詞かィ?」
「「幼馴染み?」」

被った。
佑壱と日向が目を合わせ、ぷいっと恥ずかしげに顔を反らすと、どう見ても中学生にしか見えないババアと年相応の極道と言えば、気を許した仲特有の雰囲気で睨み合っている。

「姉御、その、高坂の親父さんと知り合いなんスか?高坂、知ってたのかよ」
「いや、知らねぇ…」
「そうなの、オバサン、このオッサンと産まれた病院と幼稚園が一緒なのょ。しっかもオバサンがクジラ組だった時に『お前に俺様の初恋をやるぜ!』なんて阿呆な事ほざいてプロポーズしてきてねィ、クジラの枕でボコボコにしてやったもんょ」

息子の眼差しに射抜かれた極道は目を反らしたが、オカマからも生温い目で見つめられている事に気付くなり肩を落とした。若気の至りだ。あの頃は余りにも幼かった。

「山奥の男子校に入学したからもう遊べないなんて泣きべそかいてた癖に、」
「要らん事を覚えてんじゃねぇ!いつの話してやがる!」
「中学に上がった頃には頻繁に学校抜け出して、悪さばっかりしてたから何回ぶん殴ってやった事か」
「トシ!テメェこそ問題ばっか起こして補導されっぱなしだったろうが!ヤンキーもヤクザも見境なく!」

世界は沈黙した。
腹黒から目を向けられた弟はそっと顔を伏せ、恥ずかしさで消え入りそうな気配だ。

「あー、やだやだ、これだから50間近のオッサンは…」
「抜かせ、俺とオメーは年離れてねぇだろうが」
「ちょっと!イチきゅんの前でなんて事言いやがるこの尻軽がァ!アリィにプロポーズした癖に浮気ばっかしやがってチンカスが!アリィが止めてなかったら五万回は殺してたわょ!」
「おま!可愛い息子の前で昔の話掘り出してんじゃねぇ!そんなんだから男にモテねぇんだよ!振った女に逆恨みされて弟寝取られた癖に、」
「シャラップ!」
「…おや?今の話は本当ですか、院長?」
「え?何の話ですか叶さん?」

腹黒の目が医者へと注がれたが、オタク母の弟は笑顔で聞いてない振りをする。時同じく、鋭く叫んだババアは日向の背後に隠れた。この場で最も背が高かったからだ。そしてぐいぐいと日向のブレザーを引っ張り、

「ネコちゃん、英語でインキンタムシってなんて言うの?!」
「コラ!ひなちゃんに触んなトシ!」
「あー、jockstrap、ですかね。…それより、ネコはやめて貰えますか?」
「ほぇ?じゃ、ひなちゃんでイイ?それにしてもオマワリにそっくりねィ、ひなちゃんのがイケメンだけど!」
「…有難うございます?」
「姉御、そいつに触ると妊娠しまスよ、こっちに来て下さい」

鋭く日向を睨んだ佑壱は早口の英語で悪口を投げ付け、大人しく日向から離れたババアは佑壱の隣で再び正座した。混乱の状況を産み出しておいて、言うに事欠き、

「洋画観てるみたいだったわょ!イチきゅんの英語は流暢ざます!それにしても英語ってイイわねィ、悪口のボキャブラリーが多くて」
「は?あ、や、日本語のが多いと思いまスが…」
「あらん?そう?でも英語って格好イイじゃない。オバサン昔、近所の福祉施設の無料英会話教室に通った事あるんだけど、俊ったら2歳の癖に物怖じしない可愛くないガキんちょで、いつのまにかベラベラ喋ってたのょ。そりゃもうベラベラ、飽きるまで。オバサン英語は得意じゃないから、パパに通訳して貰ったものょ」
「そうなんスか?………流石総長…やべ惚れる…」

ときめいた佑壱の隣、眉を寄せた少女がキッと日向を睨む。

「ちょっとベルハーツ、今のは誰の話なの?」
「俺様に振るな、話し掛けるな」
「っ、何なのよその態度は!アリアドネ叔母様!私、やっぱりベルハーツとの婚約は破棄して頂きますわ!」
「ほぇ?イチきゅんの彼女はネコヒロシパイセンの婚約者だったの?あらあら、泥沼ねェ…」
「姉御、俺は今フリーなんで彼女は居ません。何回言ったら信じてくれるんスか、俺は総…俊さん一筋っス。寧ろ入籍しても良いっスか」
「ふむ。つまり俊→イチきゅん→ネコヒロシ→彼女→イチきゅん、って事かィ?」
「What?!」

感電した佑壱から数歩離れた先、同じく真顔で感電した日向は話を聞いていない母親の代わりに心配げな父親から肩を叩かれたが、ネコヒロシとは誰の事だと答えの見えない疑問を彷徨った。自分の事だとは信じたくない。

「ハァハァ、やだ、昔は男同士の恋愛なんてキモいと思ってたけど、ハァハァ、イケメン同士は美味しいざます…。ネコパイセン、イチきゅんに攻められてお体は大丈夫?」
「………は?」
「トシ!テメ、人の息子に何っつー阿呆な事をほさいてやがる!」
「何じゃア!自分の息子がイケメンだからって勝った気になるんじゃないわょー!うちの息子だって、うちの俊だって、………男は顔じゃいのょー!!!」

地面を悔しげに殴り付け咽び泣いた小さな背に、佑壱とオカマはほぼ同時で手を伸ばした。

「や、あの、姉御、総長はマジ最高っス。男の中の漢っス。俺ぁ抱かれても良いっス」
「何か判んないけど、アンタも苦労してるわね…。そうよ、男は顔じゃない、懐の広さよ」
「うっうっ、うちの子、一生童貞だったらどうしたらイイの?!私が男前に生んであげられなかった所為で、グレちゃったら!うっうっ、カナメちゃんに貰って貰うしか!」
「「だったら俺が、」」

ああ、またか。見事に声が揃った。
一気に不機嫌に陥った佑壱は素早く日向を睨むが、口を押さえた日向は目を反らし、涙目の父親を見るなり舌打ちを零す。

「ひなちゃん…パパはもう、何が何だか判らないんだが…」
「俺様に話し掛けるな」
「おい高坂、俺が結婚してやっから総長の事ぁ諦めろっつったろ!」

佑壱が叫び、日向を筆頭に両者の父親が凍った瞬間、

「バイタルは安定してる様なので、この子を何処か休める所に連れていこうと思います。叶さん、アンタOBなんでしょ?手を貸して下さい」
「おや、私は扇子より重いものは持てない男ですよ?」
「私が抱っこしてやらァ!あらん?イチきゅん。カナメちゃん、見た目より重いわね!」
「何か最近…こんな役ばっかだな俺…」

流石に俊の母親の前でぶらぶらさせる訳にはいかないと、悟りを開いた心境で股間を隠した男は正座する。股間を覆う両手の上にガシッと手を置いたセクハラババアは、ハァハァ荒い息遣いだ。

「これでも掛けとけ」
「恩に着る」

常識人は日向しか居ない。佑壱は今、悟った。
下半身がだらしなくともジェントルマン、脱いだブレザーを貸してくれた日向に合掌した佑壱は、隣から聞こえてきた舌打ちになけなしの眉を寄せる。オタク母は恨みがましげに日向を睨むが、日向は目を合わさない様にあらぬ方向を見ていた。

「ファースト。アンタ、この子と懇ろな仲って本当だったの?!」
「あ?どの子だと?」
「この子よ!この子!」

ビシッと日向を指差したオカマの足を見つめた佑壱は、我が父親ながら足は綺麗だと頷く。然し指輪だらけの拳で殴られ、余りの痛さに悶えた。

「人の話を聞いてんの?!」
「っ、き、聞いてんだろうが!いきなり殴る奴があるか!やんのかコラァ!」
「お黙り!アタシはアンタをゲイに育てた覚えはないわよ!言うに事欠いて結婚ですって?!本気なの?!」
「あ?!誰がテメーに育てられたんだ!俺ぁゲイじゃねぇ!男がいっぺん口に出したら、全部本気に決まってんだろ!俺は高坂と結婚する。何か文句あんのか!」
「あるに決まってんじゃない!そんな事を誰が許すと思ってんの?!大体アンタまだ17歳でしょうが!軽々しく結婚なんて言葉にしてんじゃないの!取り消しなさい!」
「やだね。うっせブス、俺はやると言ったらやるんだよ。テメーと一緒にすんなブス」
「にっ、二度もブスですってぇ…?!アンタ鏡見てみなさい!アタシの若い頃にそっくりなんだからねっ!」
「煩ぇ、ブス太郎!テメーこそ鏡見てみろ男女!太ぇ脚を出してんじゃねぇ、伏して詫びろ!そしてシね!」

低次元な父子の喧嘩を余所に、萌え過ぎて酸欠に陥ったババアは高坂父子に支えられる。

「ハァ、ハァ、お、オマワリ…、シューちゃんに会えたら…俊江はお星様になりましたって、伝えてくんない…?ハァ、ハァ」
「気持ちは判らんでもないが生きろ!つーかお前いつの間に道を踏み外したんだトシ!」
「ハァハァ…遺言には、息子の本棚は危険って書いといて…ハァハァ、」
「冗談じゃねぇ、アイツにンな事ほざいたら殺される…!」
「おい、今の何処に瀕死になる要素があったんだよ。…まさかこの人も腐ってんのか?」
「ひなちゃん…幸せに…なって、ね…ゲフ!」
「はいはい、姉さんも行くぞ。アンタ昨日まで記憶なくしてた事判ってんのか?」

ガクッと崩れ落ちたババアに、冷めた表情の弟は囁いた。それを聞いた佑壱と日向は瞬き、顔を見合わせ、 



「「記憶喪失?」」

三度目のハモりだ。























破れた布切れに包まれて、何の色もない世界は白一色。
散らばった破片を手に取れば、そこで漸く、それはドレスなどではないと悟ったのだ。

「現実重視、現実逃避、重なる、降り積もる、願いは祈りに退化し、獰猛な望みは連なる、絡まる、真実はもう、何処にも存在しない」

顔を掴む手の熱さ。

「うるさい」

と、鼓膜を震わせた声は怯えを滲ませ、ひそり。

「お前は『俺』に糸を張る。己が望むまま、操る為に」
「俺は誰にも従うつもりがないの。…言ったろ?最後には必ず、俺が笑うんだ。それはお前さんじゃない」
「Close」
「無駄だ」

笑う声、その吐息が唇に触れる気配。
燃えるような手に覆われた視界は白く、何の色もない。

「Your」
「俺に英語は通じないよ。その為に自分に掛けたんだ。便利だねー、馬鹿に催眠は効かないんだよー?そんで、お前さんの強すぎる眼は今、俺が塞いでる」
「Eyes」
「犬が欲しいなら、自分がになりなよ、ご主人サマ」

そう。
自分は眠っている。それを彼が望んだからだ。
そう。
自分は眠っている。それは、彼が望んだから。それだけだった。



「壊れた楽器は戻らない」

散らばった破片は純白の紙片。
何の物語も刻まれていない、終わりなき物語の果て。

「怒らないでくれ。眠っていた俺を起こしたのは、お前じゃないんだ」
「何、で」
「壊れた楽器は戻さない。戻す必要がない」
「ど、して…」

力の抜けた手。
ふらふらとよろけながら睨み付けてくる双眸を見つめ、眼差しに笑みを描く。





「だって初めから全部、」



喜劇の結末は、初めから知っていた。


















(きっと誰もが)



















「アンダーゲートが開かない?」

慌ただしい警備員一同の気配を横目に、連れてきた男達を視線一つで脅した高等部自治副会長は眉を潜めた。クラスメートでもあり風紀委員でもある男へ連行してきた外部者らを引き渡しながら聞けば、問題が起きている様だ。

「原因は掴めているのか?」
「何故か使われていない筈の貯水槽から水が流れ出してしまったらしく、劣化していた旧エリアの一部が浸水している。恐らくそれではないかと目をつけているんだが、業者の手配が難航しているのだ」
「成程、連休前で何処も手一杯と言う事か…」

行事に合わせて、学園が雇っている非常勤の職員は半数が休暇を取っている。突然の事態に外注で慌ただしい様だったが、当日に飛んでくる業者は見つかっていない様だ。GWを控えた月末ともあれば、仕方のない話である。

「そう言えば、以前から地下は増改築の度に古い箇所を封鎖していったと聞いていたが、補修が間に合ってなかった所なのか?」
「その通りだ、符が悪い事にな。その所為で電子系統がイカれたんじゃないかと思うんだが、アンダーラインでも此処の管理は風紀委員会ではなく、上院なのだ。ついでの様で申し訳ないが清廉の君、何とかならんか?」
「理事会へは中央委員会役員以外、アポイントを求めるのは難しい。すまないが、白百合閣下に連絡ら付かないのか?」
「局長以下、風紀役員の大半が陛下の勅命に当たられている。この程度でお手を煩わせる訳には行かないのだ。して清廉の君、カルマの一員とは言え自治副会長の身で、そんな荒くれ者共をしょっぴいて来られるとは…感動した!」

悪い人間ではないが面倒な性格だと内心嘆息し、引き渡しは終わったとして潔く背を向けた。然し一歩踏み出そうとした瞬間、弾かれた様に振り返ったのだ。

「…今、カルマと言ったか?」
「唐突に何だ、俺はカルマとは言っていないぞ?清廉の君はABSOLUTELYだろう?どうしたんだ?」
「そう、か。すまない、聞き違いをした。では失礼する」
「ご苦労様だった、気を付けて」

ざわざわと、窓のない世界でざわめく人々。
張り付けた様な笑顔を最後に、慌ただしい懲罰棟入口から離れていく。賑やかな雑踏を聞いていた。



「えっ、綿菓子売り切れ?!どうにかなんないの?!」
「何ともなんないっつったろ。おら、餓鬼はとっととママの所に帰れ、片付けの邪魔だ」
「うっうっ、綿菓子…ピザの後のデザートっつったら、綿菓子か林檎飴なのに………ん?兄ちゃん、今、足の所にネズミが居たぞ?」
「は?何処に?」
「あっ、ほら、そこそこ。何だこれ!真っ黒くろすけなネズミ!」
「げ、マジかよ!あああ、あっちいけ!」
「あ、逃げた。」

微かな違和感。
チクリチクリと痛みを伴う、違和感。姿は未だ、見えない。













「あらん?」

怪訝げに首を傾げた彼女は、エレベーターが並ぶホールをぐるりと見回してから、溜息混じりに振り返った。

「やだ、皆何処に行ったのかしら?エレベーターなんだから先に付いてる筈なのに。ねね、そこの白髪のお兄ちゃん。えっと、日本語判る?ここに保健室ってあるかね?」
「…此処にはない」
「あら、そうなのん?じゃ、此処に金髪とか赤髪とかヤクザとか来なかった?あとうだつの上がらない医者っぽいオッサンとか、意地悪そうな着物の男前とか」
「…見てはいない」
「はァ。困ったわねィ、今度は皆が迷子なんて…。何で男の人って
方向音痴なのかしら、はァ」

ごそごそとポケットを漁った人は大きな瞳を瞬かせ、また、きょとりと首を傾げる。

「あ!ケータイ持ってくんの忘れてた事を忘れてたァ。いやん。ねね、そこのお兄ちゃん。ちょっとケータイ貸してくんない?電話代渡すから。はい、20円」

ちゃりん。
小銭の音を響かせ近寄ってくるそれを、ただただ、眺めている。呼べと命じたのは他でもなく、自分。

「どうしたの?なァに、無口な子ねィ」

虹彩、瞳孔、余すところなく黒い双眸。
切れ上がった目尻は跳ね上がり、円らな瞳の愛らしさを悟らせない意思の強さを湛えて。


ああ。
良く似ている・と。漸く、今。


「でもベラベラ喋る男よりイイわょ!所でチミ、何処かであった事ないかね?」
「…12年前」
「ぇ?」
「葵が丘の踏切で」

はめ殺した廊下の窓の外は淡い緋色に染まりゆく。
黒い鳥の群れが山肌を撫でる光景、白い雲が踊る、踊る、とても、穏やかに。

「12年前???良く覚えてるわねィ、確かにその頃はあの辺のボロアパートに住んでたけどォ」
「それ以前は、…16年前か」
「ん?16年?!チミ一体幾つなんだね?ブレザーは高等部のよね?」
「覚えておられぬは道理、無理もない」

あの日、あの時の自分には、それが全てだった。
忘れる事はない。恐らく、死ぬ間際でさえ。

「白一色の世界に、貴方と陛下は酷く神々しい黒だった。忌み嫌われる【ノア】を美しいと思ったのは、それが最初だろう」
「黒?ノラ?黒猫???んー…見覚えあるよーな、やっぱりないよーな、うーん。それにしても綺麗な顔ねィ、何処と何処を整形したの?」
「あの約束が、誰のものだったのか。思い出せない」
「ん、んん?約束?困ったわねィ、うーん、良く覚えてると思ったけど、今度は思い出せないんじゃ私も判んないわねィ。で、ケータイは持ってない?あっ、公衆電話でもイイんだけど!」
「同じノアでありながら、貴方は私達から陛下を奪い、凡庸な幸福を手に入れた」
「は?ぇ?私が奪ったって、ぇ?」
「そして偽りの父を真の父へ塗り替えられたのだろう」

世界は一切の雑音を排他する。
今はただ、真っ直ぐに。

「何故、私には黒を与えて貰えなかったのだ。何故、私にはノアの銘だけ遺されたのだ」
「えっと…?」
「産み落とされた弟と呼ぶべき存在は二人。そのどちらも黒髪でありながら何故、私にはそれが与えられていない」
「うーん?黒髪は優性遺伝だけど、優性がイイって事はないのょ?寧ろオバサンから言わせて貰うとキランキランしてて羨ましい限りざます!それにその眼!蜂蜜色じゃない、美味しそうねィ!」

それは二人目だ。
綺麗だ、甘そうだ、可愛い、と。繰り返し、繰り返し、朝、目覚める度に彼はそう言った。寝相の悪さと引き換えに寝起きは悪くない男は、眉間に皺を一杯寄せて眩しげに、カーテンから差し込む陽光を浴びながら。



『綺麗ね、カイちゃん』

騙されている事も知らず、遊ばれている事にも気付かず、羨まれている事に気付こうともせず、何の見返りも求めずに。その艶やかな漆黒の双眸で繰り返し繰り返し、投げ付けてきたのだ。言葉の刃を。

『自信を持ってちょ』

ノアを名乗りながら黒から掛け離れた我が身に、カオスシーザーと謡われた永遠の『黒』は何度も。

『全部とっても綺麗ょ、カイちゃん』

いっそ、全てを知っているのではないかとさえ、思わせる程に。



「とにかくイケメンなんだから!自信を!持ってちょ!」
「…そうか」

壊してしまいたいとさえ望むほど、痛いまでに穏やかに。こうもゆっくりと時間は流れていく。二度と戻れぬ未来へと、刻一刻と。

「セントラルライン・オープン」
『コード:ルークを確認、ご命令を』
「マジェスティの回線へ申し伝えよ。囚われ人は、勝負の副賞だと」
『了解』

不思議そうに黙っている人の手を取り、踵を返した。小さな手だ。細い手首、やや荒れた指先が苦労を物語っている。

「あの?お兄ちゃん、オバサンを何処に連れ込むつもりなんだね?オバサンこう見えて子持ちアラフォーだから、やめといた方がイイわょ?貧乏だけど夫婦円満だし…」
「丁重にもてなさねば、俊から叱られる」
「ぇ、俊のこと知ってんのかね?もしかして俊のお友達?なーに、チミもケルマ?だか、ゲルマ?だか何だかって言う、サークルの子?」
「私はC、業を宿命付けられたナイトを示すKではない」
「はい?」

首を傾げる仕草が似ている。

「…双子を取り上げた経験は?」
「え?取り上げた…って、オバサン産婦人科医じゃないわょ?医者だったのは大昔の話で、」
「予定日は五月だったと聞いている」
「おっとォ、このイケメンは会話が通じないわょー!するってェと、こりゃなぞなぞかしら!」
「May、けれど悪魔はエイプリルに誕生した」

快活な声も、目尻に皺を寄せて笑む様も、まるで生き写し。父親よりもこの母親に、あれは良く似ている。

「ノアの子に名は与えられない。メイ、命を与えられた子供の影は、山羊。…悪魔を司る、黒でも白でもない羊だ」
「これ、なぞなぞ?答えたら電話貸してくれる〜?」

ちゃり、と。小銭が手の中で音を発てた。現実味のない光景から救いのない現実へと引き戻すには、余りにも十分だ。

「我が名はイクス。イクスルーク=フェイン=ノア=グレアム」

きょとりと首を傾げた人が笑みを消した刹那、夜へ夜へと傾いていく東の空が翳った気がする。





「帝王院神威と言えば、心当たりはあられるだろうか。」


彼女は昔、純白の白衣を纏っていた。
いつか父と慕った人に手を引かれ連れられていった外の病院で、いつも。

←いやん(*)(#)ばかん→
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