帝王院高等学校
弾み砕け落ちる密やかな諧謔曲
眩しい、と。呟いた瞬間、瞼を閉じている事に気付いた。
理由が判らず手を伸ばし、指先に触れた固い感触を認め目を開く。


「………な、にが」

喉が乾いていた。
濃淡の違う赤煉瓦が目の前に、隙間を縫う様に生えた雑草が幾つも、幾つも。視界のピントが漸く定まった頃、最初に目にしたのは赤煉瓦から伸びる石階段と、その先。

赤い赤い、深紅の塔だった。

「私は何を………ナイト?」

最後の記憶では共に居た筈の男の姿がない。
人目に付かぬ様にと選んだ木々の隙間を掻き分けて、そうだ、あの時、姿が見えなくなったと彼は言った。


『シエが居ない』

あれから、どうなった?
あの背が凍る様な囁きの直後から記憶がないのは、明らかに可笑しい話だ。

「…油断したつもりはなかったが、ナイトの声を聞きながら目を見てはいけないと、シリウス卿から聞いていたのに」
「チュウ」

鼠が落ちてきた。
眉を潜め顔を向ければ、あるのは緑深い枝葉の繁りばかり。日差しを遮断するグリーンカーテンに、幾つか、黒が並んでいる。

「バイオジェリー?何故これが、こんな所に」

ボトボトと、急速に腐敗し溶けていく枝が軋む音を聞いた。廃棄物処理を目的に作られたとは言え、一つ間違えれば生物兵器だ。

「ステルシリーライン・オープン」
『エラー、この声紋は登録されていません』
「若君も、異な事をなさる。削除されているなら反応はしないだろうに。…プライベートライン・インスパイア」
『コード:ネルヴァに著しい障害を確認、コード:カミューに切り替えます』
「シリウスへ繋げ」
『了解』

靴の下、踏み潰した黒の断末魔を聞く。
銅板を仕込んだ靴だ、すぐには溶けはしない。然し空気に晒したまま全て処理するまでに、両足が保つのかどうか、判断が付かなかった。数が多過ぎる。

『ネルヴァか、良い所に繋いでくれた!儂のリングが応答せんのだ』
「プライベートで展開すれば良いだけの事。君が私の屋敷に構築した緊急時用のサーバーがあるだろう」
『ああ、そうじゃった、そうじゃった。年を取ると物忘れが酷いのう…と、それ所ではない!』
「待て、こちらの用が先だ。誰が放ったか知らんが、バイオジェリーが私の周囲に、目視しただけで200匹」
『何だと、そっちもか。弱ったのう』
「と言う事は、そちらもか」

冷静な声に肩を竦め、考える事を放棄した。この男が「弱った」と言うのだから、事態は深刻、それだけだ。

「本国から幾つ運んできたんだね」
『何、2匹程度だわ。儂が目を離した隙に増えてのう、処分に困っておったんだ。何せこれの生殖機能は弱い。一度の妊娠で一匹しか産まんのだが、』
「二十日鼠の遺伝子改良だと聞いていたが」
『鼠の妊娠の周期まで考えとらなんだ』
「年寄りはこれだから…」
『若さをひけらかすでないわ、一回り程度しか離れとらんじゃろ。何、水をぶっ掛ければよい。派手にシャワーしてやってくれ、すぐ死ぬ』
「私は今、スコーピオの目の前に居るんだがね」
『………弱ったのう』

弱っているのはこちらだと、足元に寄ってきた黒をもぐら叩きの要領で足繁く潰しながら、息を吐いた。水を取りに行く間に散ってしまえば、部外者に怪我をさせる危険がある今、下手に目を離せない。

「タンパク質に寄ってくるんだったな」
『鉄にも寄るぞ。プラチナ、銀、銅、ポリエステル…まぁ、融解せんものには無反応だ。黒はシアン系だからのう』
「黒『は』?」

視界の端、先程から見えていたが考えない様にしていた場所。赤い煉瓦畳の上、隙間から生える雑草を溶かしていくぱっと見では判らないそれは、目を凝らせば赤い鼠だった。

「赤のバイオジェリーなど、記憶にないのだがね」
『赤じゃと?それは可笑しい、そんなものは作っとらんぞ?儂がこさえたのは塩酸系の茶と、シアン系の黒だ』
「だが赤い鼠が草を枯らしている。私には寄ってくる気配がない所を見ると、




 突然変異、なのか?」



















初めて喋った台詞は「でぃーえす」、テレビのコマーシャルを観ていた義父は摘まんだ牌を落とし、英語を喋ったぞとキッチンへ叫んだ。
芋蔓の筋取りをしていた妻は未熟児だった所為か成長の遅い次男を背負ったまま、おざなりな返事を投げてきただけだった。

「ひ、大空君。太陽はとんでもない天才かも知れないぞ!」
「あはは、そうですねー」
「ほらっ、ほらっ、また何か言いたそうにしてるっ」
「あー、あー、ぴーえすぴー」

2000グラムに満たなかった弟とは違い、3300グラムの中々に立派な重さで生まれてきた長男は生後半年でコマーシャルから言葉を覚え、冗談半分、義父と共に口にした単語のゲームや玩具などを惜しまず買い与えていたら、3歳になる頃には立派なゲーマー。
その頃には変わらない程度に成長していた次男は、テレビに齧り付いて離れない兄にしょっちゅうちょっかいを掛けては、何処で覚えてきたのか、玩具のゴムボールを投げ付けられて泣かされたものだ。

「あきちゃん、ぼくとあそんで」
「おまえさん、オトートのくせによびすて、いけないんだよ!」
「でも、あきちゃん…」
「あっちいってよー、ラスボスなんだからー」
「でも…」
「やすちゃん、じゃまっ!」
「こらアキ!ヤスを苛めてないでご飯食べなさい!アンタいつまでファミコンばっかピコピコやってんの!」
「ファミコンじゃないよー、プレステ2だよー」
「余計なお世話なんだわ!馬鹿ちんが!」

流石にこれには義父も妻も頭を抱え、幼稚園から帰ってくると食事も満足に取らずテレビに齧り付く長男を外で遊ばせる事にしたらしい。
子供達を幼稚園へ入学させた頃から、アグレッシブな事に、店舗を増やしたばかりだった支店のレジパートとして働き始めた妻は、子育てとパートの両立で精神的な余裕がなかった。夫婦らしい会話など、この頃には殆どなかっただろうか。

もしかしたなら既に、夫を見放していたのかも知れない。
我儘一つ言わず、溜めに溜めた怒りに蓋をして、あの頃の彼女はいつも、何を考えていたのだろうか。


「ひ、ひ、ひ、大空君ー!!!」

いつだったか。
本社の営業部長として励んでくれている義父が出張から帰ってきて、特産品だと言う手彫りの将棋セットを自慢げに見せてきた。ボードゲームに目がない義父とは、顔を合わせる度に麻雀やチェスなどを楽しんできたものだが、将棋は一度も指した事がない。
知識こそあるものの自信はなかったが、義父に至ってはルールすら知らなかったので、結局それはインテリアの一部として忘れ去られていた筈だった。

「あれー。サイドボードに飾ってた将棋盤、出してきたんですか?」
「そうなんだ、ちらっと教えただけで、もうヤスがルールを覚えてな!賢いぞこの子は!天才かも知れないぞ!」
「あはは、子供は早いですねー」

長男にべったりと言う以外は大人しく、子供らしくなかった下の息子は一度教えた事をすぐに覚え、呑み込みが異常に早かった。いつまで経っても舌足らずな長男よりは、もしかしたなら、目を掛けていたのかも知れない。義父も、自分も。

「はー、じいちゃんも勉強したのになぁ。ヤス、棋士になれるぞ。世界と戦えるぞ!」
「別にこのくらい凄くないよ。アキちゃんには勝てないんだから」
「3歳で謙遜するのか!ヤスは天才だわ!間違いない!」
「もう4歳だよ。子供扱いしないでくれない?」
「ああ、ああ、そりゃあ、すまなんだ!天才だ、どえらい天才だ!」

ピコピコと、コントローラーを握ったまま振り返りもしない長男は、伸びてきた前髪を額の上で結んだまま。昼ご飯よ、と言う妻の台詞でパチリとテレビを消し、立ち上がった。

「おかーさん、おっきい公園行ってもいーい?」
「いいけど、お母さんが迎えに行くまで待ってなさいよ。あとアンタ、服泥だらけにすんのやめて。何で遊んだらあんな事になんのよ」
「わかったー。あとねー、アイスのお金ちょーだい?」
「またあのアイス屋?!あそこ高いんだから、うちのスーパーで買ってけばいいんだわ」
「やだー!まっちゃじゃなきゃ、だめなのー!まっちゃがないと、だめな体なのー!」
「何処で覚えてくんの、うっさいわね!だったら一番安いアイスキャンディーにしなさいよ?!100円の奴を買いなさい!」
「200円、だめー?2ついるよー、暑いんだもん、死んじゃうよー」
「駄目。アキもヤスも100円ずつ、ジュースは別に買ったげる」
「えー。じいちゃん、お小遣いちょーだい?」
「おーおー、じゃあ100円ずつやろうなぁ」
「お父さん!そうやって甘やかすのやめてよ!」

賑やかなリビング。
時々それを見ると何故か自分だけ仲間外れの様に思えたのは、罪悪感だ。

「ね、アキちゃん。お父さんが500円あげよっか」
「え?なーに、このおっきいお金。おサイフに入るかなー」
「これだとアイスが5個買えるんだよ」
「ほんと?」
「だけどママには内緒ねー。お友達も居たら、これで買ってあげたらいい」
「わかったー、ネイちゃんに買ってあげるねー。ありがとー」
「お姉ちゃんのお友達が居るのかい?やるねー、アキちゃん」

毎日毎日、家へ帰れば裏切りにはならない、などと。
何と愚かな考えだったのか。










「ご無沙汰しております」

登ってきたばかりの坂の中腹に、その男は佇んでいた。
青空から差す西へ傾いた日差しを浴び、神々しい程の白と黒のコントラスト。半ば無理矢理腕を組んだ事で嫌そうな顔をしていた隣の妻が目を丸め、くいくいと腕を引いてくる。

「…さーて、どなただったかなー?悪いねー、人違いじゃないかなー?」
「先日は美味しい蟹を頂きまして、有難うございました」

足に走った鋭い痛み。
妻はニコニコと美青年を見つめ品良く頭を下げているが、ぐりぐりとパンプスのヒールで足を踏みつけてきた。笑顔をキープしたまま、意地でも痛いとは言わない。今は特に。後で泣きながら責めるかも知れないが、だ。

「ああ、あの時の。何だっけ、叶三葉君だっけ?」
「はい、叶二葉です。息子さんには大変お世話になっております、お父様」

カチン。
頭の何処かで音がした。

「あら、そうなの。うちの太陽がお世話になって。あ、私、母親です」
「おや、お母様でいらっしゃいましたか。申し訳ありません、余りにお若いので、とてもそうは…。ご挨拶が遅れてしまい大変失礼致しました、進学科3年、風紀委員会執行局長の叶二葉と申します」
「あら、あらあらあら、いやだわー、もう!お上手ねー!」

するりと抜けた妻の腕、消えた爪先の痛み。
この糞餓鬼と言う心の叫びを捩じ伏せたものの、目がハートマークになっている妻は両手で握手に応え、きゃっきゃきゃっきゃとはしゃいでいた。

「太陽に3年生の先輩のお友達がいただなんて、知らなかったわ。このマンモス校の風紀委員会なんて、しっかりしてるのね!どうですかうちの子、迷惑掛けてません?」
「いいえ、とんでもない。左席委員会副会長として、不慣れとは言え、頑張ってくれています」
「サセキ委員会ねー。この学校の生徒会は中央委員会だと思ってたんだけど、あの子、どんな仕事してんだか」
「仰る通り、中央委員会執行部が学園の生徒代表ではありますが、同時に学園の生徒理事としての役目を与えられています。それ故に不正があってはならない。左席委員会は中央委員会を監督する重責を負っています」
「へ、へー。結構大変な役なのね…」
「ええ」

会話に割り込む隙はない。
にこやかだが有無言わせない男に子供らしさは微塵もなかった。初めから異様に気に食わないのは何故か。同族嫌悪だとは思いたくなかった。

「で、君は僕らに何か用があったのかい?挨拶だけならもういいかな?悪いけど、これから野暮用があるんだよねー」
「それでは私が校内をご案内致しましょう。『初見』の方には、迷い易い構造なので」
「…あー、そう言う事か」

流石は『叶』の歴代最強と名高いだけはある。
調べるのが後手に回ってしまったのは悔やんでも仕方ないが、此処で自らOBだとバラすのは、色々とややこしくなるからだ。特に今は、東雲・加賀城の両当主が到達した頃だろう。迷惑は掛けられない。

「気が利くのねー。何なの、顔も良くて進学科って事は頭も良いんでしょ?そんで優しいとか何なのよ。つーか最近の男子高校生が私って何処の王子様だってのよ。なーんか、変な性癖とかあるんじゃない?」
「ふふ。それは、どうでしょうかねぇ」

陽子ちゃーん!
心の声は心の中で響いた。感動した、我が妻ながら何だこの悪気のない痛烈な皮肉は。憂さ晴らしの為に、旦那の目の前で自分の太股に鉈を突き刺すだけはある。精神的暴力の威力は計り知れない。

「有り難い申し出だけど、折角の親睦会なんでしょ?私達に構ってないで、自分こそ楽しんで来なさいよ。青春の邪魔しないわ」
「おや、逆に気を遣われたとなると、私は陛下から叱られてしまいます」

ぴくり・と。
眉が動いたのが判った。その酷く懐かしい敬称は、この学園の生徒が当代中央委員会会長を、尊敬を込めて呼ぶ時に用いるものだ。

「陛下って?」
「ええ。中央委員会、帝王院生徒会長の命により、私は中央委員会生徒会計としての責務を果たさねばなりません」
「えっ?風紀じゃなかったの?」
「改めて自己紹介を。風紀委員会執行局長兼、中央委員会生徒会計兼、下院生徒理事の叶二葉と申します」

眼鏡の下、良く良く見れば左右色違いの瞳が弧を描く。
皆まで聞かずとも知っていた。だからこの男には、子供らしさなど欠片もないと言ったのだ。

「現国籍はドイツなので、ネイキッド=ヴォルフスブルク=ディアブロと言う名もありますが…」
「ネ、ネイ?ごめん、日本語以外はてんで駄目なの、全く覚えらんないわ。叶君でいい?」
「悪いけど僕らは此処で失礼するよ」
「どうぞ、私の事は二葉と。ご迷惑でなければ私にエスコートをお任せ頂けませんでしょうか?

 Frau Yoko.(陽子さん)」

世界はこの男を魔物と呼ぶ。
ステルシリーソーシャルプラネット、サブマジェスティの役職にある、ノアの忠実な狗、と。

「寮室は期間中、保護者の入室が可能でしてねぇ。ルームメートに気を遣ってらした山田太陽君は、現在私の部屋で休んでらっしゃいます。後程お会いになられますか?」

完敗だ。
親子ほど歳の離れた子供相手に、一対一ではなかったからとは言え、こうも逃げ場がないとは、余りに惨めだろう。敵ではないとは言え、今は誰が味方なのか判らない。敵だと思っていたものが敵ではないと、叩き落とされたばかりだ。

「中央委員会役員は隔離されたフロアに部屋を与えられるのですが、勿論、お二人はご案内致しますよ」
「そうなの、道理で居ないと思ったわ。やっだわー、何から何まで迷惑掛けっ放しじゃない!知らなかった事とは言えごめんなさいね、二葉君。何かお礼しないといけないわ」
「いえいえ、私の方こそ彼には大変お世話になっているのです」
「じゃ、色々案内して貰っちゃおうかな。そうだ、写真とか撮っても良いの?」

まだ、あの子に会う勇気はなかった。
まだ、あの子を見る勇気は、なかった。



「落ち着いた頃、陛下の元へご案内致します」

たった2年程度の日々を、忘れた事などただの一日もない。


















「…右前方、敵なし。そちらはどうですかオーヴァ」
「左前方、消火栓。緊急ボタンを押したい気持ちを圧し殺せない非常事態です、オーヴァ」
「自分の乳首でも押しとけとお伝え下さい、どうぞ」
「左乳首、右乳首、共に反応なし、どうぞ」

レンズのない黒縁眼鏡を押し上げるでこっぱちがカサカサとゴキブリ宜しく壁へ張り付いている隣、真顔で両方の乳首を摘まんだ男は凄まじい目付きで悔しげに消火栓の真上を叩いた。
ガコン!と言う音が響き渡り平凡が飛び上がったが、平凡の掛けている黒縁にはレンズがない。伊達眼鏡なのでノーダメージだ。

「馬鹿野郎、気を抜くなエージェントT…!この先何が待ち受けているのか判らないんだぞっ」
「タイヨー」
「俺の事はエージェントTと呼べ!」
「遠野とタイヨーのイニシャルはやめません?どっちもエージェントTって…」
「何か文句あんのかい?」
「…エージェントT、こちら異常なし」
「了解。引き続き警戒してくれ」

普段は生真面目な癖に笑いが絡むと人が変わる太陽に突っ込むだけ無駄だと、遠野俊は悟った。割れた眼鏡を毎回太陽から奪われている彼は裸眼で堂々と歩いているが、カサカサと壁を這う様に進む傍らの友を見ないように頑張った。
どう見ても台所を這うGにしか見えないからだ。

「あにょ、普通に外に出たら駄目なの?」
「愚問だねー。俺は既に朝方からアンダーラインから懲罰棟へ侵入し、ミッションをコンプリートしてきた男さ」
「あ、そうでしたか、お疲れ様ですん」
「内容を聞けよ、そこは内容をー」
「あ…話したいなら、どーじょ」
「ちょいと俊、他人行儀やめて、地味に傷付く」
「さーせん」
「あと裸眼の時は普通に喋って。前も言ったと思うけど、君その口調おもっくそ似合ってないから」
「あー、はい…。初対面の時に言われたよーな…」

オタクから呆れられている事に気付いた山田太陽は照れながら振り返り、サイズのあっていない眼鏡のフレームを忙しなく押し上げる。俊は無表情で、もしかしたら二葉の真似だろうかと考えたが、残念ながら、オタクの腐った目で見ても似てなかった。
猫とネコくらい別物だった。

「あっ。どっちもハァハァするな。…ふむ、猫とネコに違いはないのか」
「何か言った?」
「タイヨー…エージェントTは何で懲罰棟に侵入したんだ?」
「ふ、良く聞いてくれました。まずは軽く萌えてくれたらいいんだけど、」
「ほうほう」
「二葉先輩とエロい事してたら溝江君達の事思い出してさー」
「ブフッ!」

鼻血のシャワーによる返り血を浴びた太陽は晴れやかな笑みで親指を立て、

「ふ、雑魚が。経験値が足んないよ、スライム狩ってこい」
「何て残酷な事を仰るやら!あんなぷにぷにしたかわいこちゃんを狩るですって?!」
「ロールプレイングの基本だろー」
「そんな事しなきゃなんないならっ、僕はレベル1でラスボスに突っ込みます!」
「笑止!始まりの村でレベル30まで鍛えてからスタートするのは基本中の基本!スライムが出るまでうろつくべし!見つけ次第素早く仕留めるべし!打つべし!切るべし!」
「ヒィイイイイイ」

カルマが誇るシーザーは、自分がボコボコにされている気になりました。もう怖くて涙しか出ません。

「そして俺と言え俺と!今のお前さんは僕言わない、似合ってないから」
「えー。気に入ってたのに…」
「どーせ、オタクっぽいからとか言うんだろ」
「何故判る。お前はアレか、エスパーか。心の声がうっかり口から出てしまう生粋の王道主人公にして、とうとうSF能力にも目覚めたのか!酷い裏切りだぞタイヨー!俺はお前をノンフィクションの訳あり平凡受けにしたかったのに!」
「あはは、落ち着きなさい。話が半分も判んない」
「すまない。好きだ」
「ありがと」
「眼鏡の底からアイラブユー」
「センキュー、クーリングオフプリーズ」
「せめてお試しで3日…!満足出来なかったら全額返金するので!せめて3日…!」
「えー、3日かー。何かおまけしてくれるのー?」
「洗剤と…野球のチケットとか?」
「新聞勧誘やないか〜い」
「「ルネッサーンス」」
「ママー、ラジコン買ってェ」
「いつから俺はスネ夫のママになったんか〜い」
「「スネちゃまザーンス」」

ダブルハイタッチを決め固く握手を交わした二人は、階段が幾つか分かれている広い場所へ辿り着いた。此処で首を傾げたのは、欲しがりな太陽の為に全力を使い果たし満身創痍なオタクではなく、笑いに飢えている太陽その人だ。

「何か、この辺見た事あるよ〜な?気の所為かなー」
「俺は見た覚えが…いや、もしかしたら此処は、アンダーラインの北西端かも知れない」
「え?」
「夜にパトロールで回った時に、確かイチと忍び込んだ覚えがある。コンクリート造りなのは寮の職員棟と、アンダーラインの北西域」

小さなプレートを見つけた俊が指差し、英語の記述があるそれを見た太陽は頭を回転させるが、覚えのない単語だった。

「ヒ、ヒドロ?」
「ハイドロ、貯水槽だ」
「貯水槽?…あっ、下水処理施設か!」
「正式には、下水処理は全ての施設の地下にある。屋上や屋外に設置された高架水槽から上水を送って、各水路の水が最終的に辿り着く場所が此処だ」
「良く知ってるねー」
「入学案内のパンフレットに書いてあった」
「何で俺より学園に詳しいんですか、会長」
「経験値が足りないな、副会長」
「…ごめん、ちょいとその辺の腐男子を乱獲してレベル上げてくるねー」
「抹殺宣言キター!!!」
「ルネッサーンス!!!」

ぺちん!
山田太陽の投げた黒縁眼鏡が、怯える俊の顔スレスレを通り過ぎ、何かに当たったらしい。振り返れば、煙草を咥えたどう見てもチンピラにしか見えない男らが階段を降りてきているのが見えた。

「糞が!ドイツもコイツも舐めやがって…!」
「今年で卒業だってのに、何が追試者は勉強しろだ!」
「一年の癖に人を馬鹿にしやがって、死ね神崎!佐野の野郎!死ね神崎!高野は可愛いから良いとして、藤倉は顔面崩壊しろ!」
「あ?今これ投げたの、テメェだな?!」

判り易く色々怒ってらっしゃる。
ピタッと太陽の背後に張り付いたオタクはガタブルと震えたが、投げた眼鏡が不良の爪先にしか当たらなかった太陽は頬を膨らませ、デコを光らせた。

「テメェだと?お前さんら、俺が左席副会長のエージェントTだと知って言ってんのかい?」
「ああ?!左席なんか知るか!」
「嵯峨崎さんが居なかったら雑魚ばっかだろうが!」
「特に会長と副会長は影薄いしな!叶に潰されてろ!」
「え、何なのこの展開。イチ先輩だけ贔屓されてる気がしないかい、俊や」
「影の薄いオタクは只今マナーモードですので応答出来ませんオーヴァ」
「ガタブルしてんじゃない」

自分より背の低い太陽の背後に隠れていた俊は、叩き上げ上等のスライムキラーに胸ぐらを掴まれる。残酷ながら振り払うのは簡単な非力さだったが、振り払った後の事が怖い。


「あ…?」
「テメェ、」
「どっかで見た覚えが…」

目を見開いた煙草ヤンキーに震え、目付きが荒んでいくチキンはチビる一歩手前で耐えた。前方にはヤンキー、後方にはエージェントT。どちらが怖いかと聞かれればどちらもと答えるが、どちらがより怖いかと聞かれれば、あのポルターガイストのラップ音の中、健やかに眠り続けた山田太陽が怖かった。

「恨みはないが、所詮俺はしがないリストラ会長。シガレットチョコと袋の中で溶けたガリガリ君以外を吸う未成年は、看過出来ない」
「「「は?」」」
「うんうん、いい事言うね、流石はエージェントT。格好いい、惚れそう」
「はふん。タイヨーちゃんの前では格好付けたいお年頃☆何の恨みもありませんがっ、遠野俊!逝きまっす!」

しゅばっと飛び上がったオタクに、山田太陽は頷き、ヤンキーらは目を限界まで見開いて、





「白日へ跪き、己が罪の裁きを受けるがイイ。




諧謔曲、シャルル=ヴァランタン=アルカン。Scherzo diabolico.(悪魔のスケルツォ)」



明らかな違和感には誰も、本人ですら、気付かなかった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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