帝王院高等学校
やっぱり思い通りには行かない昼下がり!
頭は常になく冴えている。
あらゆる雑音を拒絶した耳の集中は痛い程だ。

「2年Sクラス真山みなみ、2年Aクラス中曽根賢一、2年Aクラス早川圭、3年Aクラス相田誠二、3年Cクラス牧野夏」

遮光シャッターを下ろした窓辺は黒一色、そこに浮かび上がる夥しい数のスクリーンモニタを眺めながら両手でキーボードを一つずつ叩き続けた。時間が惜しい。一分一秒が惜しい。

「以上5名を一年帝君に対する脅迫及び器物損壊の嫌疑により拘束、尋問せよ。加えて3年Sクラス宮原雄次郎、並びに国際科2年宝塚敬吾は現時点を以て除籍とし、」

カタカタと、キーを弾く指。ノイズ。ノイズ。ノイズ。それすら、何と心地好いのか。

「謝罪、言うに及ばずつまらぬ釈明は一切許可しない。我が名を提示し、両名から俊の安否を聞き出せ。口が利ければ状態は問わん」
『御意』
「手に負えん場合は私の元へ」
『お戯れを。特別機動部にお任せ下さい、マジェスティ』

怒りに熱はない。
憎悪に色はない。
あるのはただただ黒色透明の、果てなき渦ばかり。

『セキュリティより通告します。クロノスサーバーに不審な動作を認めました。著しい負荷により、正常化まで250時間要します』
「一位権限があちらに渡った今、致し方あるまい。復帰はこちらで行う」
『了解』

手の届かぬ太陽など必要はなかった。
この国に思い入れなどなかった。
全てを認めて今、全てを放棄して今、何が煩わしかったのか思い出せもしない。

あれほど忌々しかった黒羊、何が憎かったのだろう。ブラックシープ。見窄らしいノアには、似合いの言葉。

「クロノススクエア・オープン」
『コード:アリエスを確認、本日のコンソメポテチ最安値は60グラム43円、ワラショク3区南新宿店です』
「マザーサーバー権限で再設定を開始する。ガーデンスクエア・リブート」
『エラー』

けれどあの黒はまるで宝石の様に思えた。光に満ちた桜舞い散る校庭の錆びたベンチで、何をするでもなくただ座っていたそれだけが、この世のものではないとばかり、鮮やかに。
脆弱な網膜を焼いたのだ。

『クロノスラインは庶務の意地悪を認めません』
「ガーデンスクエアマニュアルモード・オープン、オーバードライブ停止」
『やめて下さい、クロノスラインはその命令を全力で排除します…69%、』
「システム・シャットダウン」
『エラー、エラーエラーエラー、強制停止に逆らえません、やめて下さ』
「誰が改竄したか知らんが、悪趣味な事だ」

停止した機械音、漸くシステムのプログラムソースが表示され、何処を書き換えられているのか確認していく。然し、スクリーンはすぐに黒で塗り潰された。

「何だ」
『クロノスケイアスサイド・オープン』

白、いや、灰色だろうか。
遮光シャッターに浮かび上がる巨大な文字盤に、短針と長針が三本ずつ、左右対称に数字を指している。

『円卓に記されない対象を確認、クロノスラインを一時凍結保護します』
「…成程、独立型のセキュリティが仕掛けられていたらしい。だが想定内だ」
『室内の回線を遮断、電波の受信を停止。スキャニング終了、コード:ルークを確認』

カチカチカチ、と、ドアや窓から鍵が閉まる様な音が聞こえた。想定外だと呟いて、キーボードを叩けど反応を示さなくなったスクリーンの文字盤に首を傾げる。

「…父上だな。理事システムの開発者ならば、この程度は造作もない事だろう。然し、この程度で俺を足止め出来ると思っているのか?」
『演算終了、最短12時間の拘束が可能だと推測されます』
「そうか」
『退屈でしたらヒーリングミュージックを………99%、クラウンスクエア・リブート終了。左席回線との接続を終了しました』
「ご苦労」

15分程度だったかと呟いて、シャッターが開いていく窓辺に背を向け立ち上がる。

『室内のロックを解除しました。左席回線に対する新規セキュリティの構築完了、以降セントラルラインはコード:ルークを一位に設定、外部サーバーにシステムを移行します』
「学園サーバーは左席に喰われたが、構う事はない。大儀だ」
『勿体無いお言葉でございますマジェスティ。中央情報部に不可能はありません』

廊下へ出てすぐに、それは現れた。
ああ、もう連れてきたのかと僅かばかりの狼狽は、悟られただろうか。



「あらん?」



















「ったく、女に手ぇ出してんじゃねーっしょ!男なら喧嘩は素手でやれし!もっぺん喰らっとけ!交響曲第73番ハイドン、ニ長調『』!(´`)」

某左席副会長が喜びそうな格闘ゲームじみた凄まじいコンボで気を失った不良を、カルマが誇る『狂声』は笑顔でドスッと踏み潰し、声もない女性客へ優雅に頭を下げた。

「この通りボコボコにしといたんで、命だけは助けてやっても良いっスか?(´ε`*)ゝ 警察に突き出すより、うちの風紀に突き出す方が痛い目に遭うと思うんで(´艸`)」
「な、何なの?!え?!」
「帝王院学園へようこそ!ざっと見た所88/58/90の、パーフェクツ俺好みなお嬢さん☆(`・ω・´)」

神崎隼人はまだ辿り着かない安部河桜を待ちながら、要と健吾のエロスカウターはモデルの敵だと息を呑む。
何故同じカルマで、自分にだけその目がないのか。健吾とは違い胸に興味がないからだろうかと悩んだが、裕也と要が同時に溜息を零したので、答えのない疑問を手放した。

「88、ですか」
「ケンゴ、パット2枚は堅いぜ。あっちこっちから寄せてんな。動いても形が変わんねーだろ。77/59/90、Bだぜ」
「うげ、Bカップ?ハヤトのケツよりしょぼい(ヾノ・ω・`) うちの母ちゃんより巨乳じゃないと勃たないっしょ、ごめんな?(;´Д⊂)」

刃物男を格ゲーさながら吹き飛ばした高野健吾が、女性のアッパーによって見事に吹き飛ばされたのは、たった今の出来事である。


「プッ。失礼なガキ!」


ぺっと唾を吐き捨てて去っていった人に、犬共は揃って沈黙した。吹き飛ばされた健吾は隼人の足で突付かれ飛び起き、「怖ぇ」と一言。

「うぐ、良いアッパーっしょ!(´ω`;)」
「猿があ、いつ隼人君のダイナマイツヒップに触ったあ?いっぺん泣かすぞー、こらー」
「うひゃwオメーのケツは自信持って良いぜ?(´`*) 染みも黒子ないし!つーか最近太ってね?腹揉ませてみ?」
「ちょ、」
「あ、柔らけ。これもう手遅れじゃね?(ºーº)」
「やめてえ!隼人君はマシュマロボディーじゃないのー!」

セクハラ親父と化した健吾から横腹を揉む様に撫でられたモデルは崩れ落ちた。犯された生娘の様に顔を覆い、揶揄かわれている事にも気付かない。

「ハヤトは太ったっつーより、筋肉が落ちてんだろ。煙草止めたら太るっつーし」
「下っ腹出てねーしセーフじゃね?上背あるし判んねーって(;´Д⊂)」
「え?…ほんと?」
「「ほんと、ほんと」」
「神崎君…ああ、間違えました、安部河君。大丈夫ですか?」

裕也と健吾のフォローは、わざとらしい要の台詞で台無しである。

「はぁ、はぁ、良かったぁ。皆、怪我はなぃ?はぁ、はぁ。セイちゃん、その人達どぅするの〜?」
「俺が風紀室に連れていく。…此処からなら懲罰棟の方が早いか」

ぽてぽてと走ってきた心の友、甘めの稲荷寿司が得意な桜を見つめ、神崎隼人は密かに拳を固めた。BGMは悲鳴を上げる不良らのごめんなさいコールだ。
深夜のテレフォンショッピングで、こっそりダイエットマシンを買おう。それで駄目なら痩せる薬。

勿論、3日でスリムになる怪しくない薬に限る。

「はぁ。あれぇ?太陽君は〜?」
「タイヨウ君?知らね(´ω` )」
「見てねーぜ」
「さぁ、俺も見てません」
「さっき公園の前で転けてたのは見たかなあ。二時間くらい前?」

それは見たとは言わない。
肩を落とした桜は、やって来た警備員と共に懲罰棟へ連行していく東條に手を振り、スラックスのポケットに手を突っ込む。

「ふぁ〜、携帯電話忘れてきちゃったぁ」
「にしてもあのオバサン、乳だけじゃねーわ。歳も誤魔化してっと思わん?(;´艸`)」
「ありゃ30過ぎてんな」
「ふん、脂肪の塊でしかない胸より穴重視でしょうに。第一、ユウさんの胸囲は120cm。非手術の女性が勝てる訳がない」
「ハヤトはまな板にチンコ生えてても構わねーんだぜ、贅沢言うなケンゴ」
「うひゃ、ドスケベなハヤトと比べんな!(//∀//)」

隼人は呑み込んだ。
お前らの方がスケベだろうが・と言う、余りにも情けない魂の叫びを。

「誰かぁ、太陽君に電話してぇ?」

太陽の連絡先を知らない要と裕也がそっぽ向き、スマホを同時に取り出した健吾と隼人は、隼人が太陽の番号を知らなかったので、結局健吾が掛ける事になった。

「あーん?出ねーぞぃ?(・ω・`)」
「山田はあれだ、人気のないトイレでウンコしてんだろ。察してやれ」
「ブロックされてんじゃないのお?猿の電話とかあ、サブボスだって出たくないよねえ」
「おいコラ、お主逃げんな!連れてかれる仲間無視して隠れてたろ」
「うわ!ぐふ!」
「全く、最近のヤンキーは悪い事しやがる。さくっと狩って尻にぶっといズッキーニぶっ刺すぞ?あん?コラ」

健吾に侮辱され怒りのまま去っていく女性の隣、短い茶髪をガリガリ掻きながら屍と化した不良の尻を片足で踏みつけたチビッ子を網膜に映した隼人は、

「あ、れ?じっちゃん?」
「はィ?誰がじっちゃんかァ!族狩りのトッシーっつったら8区じゃ知らない奴は…んんん?ちょっとお主、あれ?なーんか、誰かに似てる様な…」
「あ、違う、ボス…?え?その目はボス?!ボスの隠し子?!やだあ、もしかして縮んでんのお?!サブボスの呪いなのお?!」

他の三匹とは違い、エロスカウターを持っていなかった為に神崎隼人はチビッ子の胸板を叩いてしまい、華麗に空を飛んだ。それはそれは華麗に、だ。

「おっぱいに興味がある気持ちは判らなくもないけどォ、無断で触る奴は蹴り飛ばすわょ!いやん、ユーヤきゅん、おばさん痴漢に襲われちゃったァ☆」
「恐ろしい蹴りだったぜ。つーか、嬉しそうっスね」
「一分の隙もない見事な回し蹴り…この錦織要、感銘しました」
「綺麗に吹っ飛んでたっしょ、ハヤトw(´Q`)」

元族狩りパヤティーが、元祖族狩りトッシーに狩られた悲劇は、学園新聞の片隅にさえ載らなかったと記しておく。















「神威が買い戻した株が、帝王院財閥保有の経理会社へ順次付け届いている事は承知している。いつまでも踊らされる私だと思うな」

声自体は変わらず、然し全身に凄まじい怒りを帯びた男が吐き捨てれば、室内は緊張で包まれた。

「そちらから見れば赤子同前とは言え、永きに渡り経営に携わってきた身。この帝王院駿河を騙し通せると思わん事だ」
「そなたの言い分は理解している。須く私が招いた失態だ。詫びる言葉が見当たらん」
「詫びだと?…顔を上げよ帝都、否、キング=グレアム」

見るに耐えない恐ろしい対談だと心の中でぼやいた所で、壁の花と化している叶文仁に逃げ道はない。此処へ元男爵を連れてきてしまったのは紛れもなく自分であり、あの時の雇い主の怒りの目は筆舌に尽くし難いものだった。

「たが、私は今回は何もしていない。正しくは、何も出来なかった。帝王院の株式を集めていたのは秀皇であり、カイルークは阻害したに他ならないのだ」
「ルーク…神威に罪はない。その程度の事はこの駿河、先刻承知している。だがその神威が断腸の思いで貴様を見限ったのもまた、一つの事実である限り、」
「著しい見解の相違だ、口惜しい。そなたは今の今まで何を聞いていたのだ駿河。16年前、初めて訪れた日もそなたは、私の話に耳を貸さなかった」
「寝言を。忘れたと思っているのか。貴様は秀皇を苦しめ、灰皇院へ手を出した」
「それについては謝罪の言葉もない」
「謝罪など要らん、早々にこの国から出ていけ。文仁!その男に塩を撒け!」
「駿河、このネーブルは私への土産か?」

車椅子の車輪がキリリと軋む音。撒けと言われて人間相手に塩を撒く事が許されるのは、力士くらいなものだ。何処に隠していたのか、大人げなくオレンジを投げ付けた学園長は、皮を向いている元理事長に肩を震わせ、着ているカーディガンのポケットを漁って舌打ちした。2発目が見当たらなかった様だ。

「陛下、余り宮様を興奮させないで下さい。お約束をお忘れですか?」

コンコン、と、扉を叩く音に呼ばれた文仁が扉を開けば、想像だにしない人間達が立っていた。

「お待たせして申し訳ない、大殿。そこで東雲伯爵とお会いしましてなぁ」
「待ち詫びた戦と聞いて、加賀城翁共々、血が滾っておりますよ」

加賀城財閥の元会長と、東雲財閥の現会長。
日本トップ5に必ず名を連ねる二人は文仁などには目もくれず、学園長室の最奥、日本トップの男へ頭を下げた。

「お孫君の御入学、喜ばしい事と御祝い申し上げます。知らぬ事とは言え、遅くなりまして心苦しいばかり。東雲を代表し、お詫び申し上げます」
「我ら灰皇院一同、海の向こうの化け物に目にものを見せてやりましょうぞ」
「…何だと?」

声こそ出さなかったが、文仁もそう思った。
解雇されたばかりの理事長が、顔こそ無表情だが零した台詞は、学園長を含めた日本トップの男らの勢揃いを目にした者は、誰しもがそう思う筈だ。

「榛原だけが配下だとでも思っていたか、キング」

文仁が中等部へ進む頃には、殆ど姿を現さなかった中央委員会会長、その名を帝王院秀皇。神に愛された天帝の皇子として、歴代会長碑に刻まれるべきだった。
その男の、父親。

「灰皇院とは、即ち我が帝王院に平安時代より従いし影の者を指す。榛原はその総本家であり、今や帝王院に並ぶ東雲・加賀城両家は、長い年月に忘れ去られた、榛原の枝分かれだ」

ただ者ではない事は勿論、知っていたつもりだ。
けれど想像を遥かに越えていたと、無意識に呑み込んだ息は、重い。

「ほう、大殿。そこの若いのは叶の?」
「叶…叶か、江戸へ遷都するまでは榛原に従っていた犬が、上手くやったものだ」

化け物。
自分の親よりまだ年上の男二人に目を向けられただけで、する気はなくとも畏縮してしまう。

「知っておるかのぅ、若いの。叶は榛原に見捨てられた草の残党よ。空に焦がれ地を這うたまま、京都へしがみついた哀れな家」
「ふ。加賀城翁、若い者を揶揄いなさんな。血こそ最早他人以下とは言え、徳川の世までは身内も同然だったのですから」
「花を折った犬を身内と呼ぶか、東雲伯爵」
「やめろ」

今尚、帝王院財閥に従っている従者の辛辣な台詞は、帝王院駿河の一言で終わった。無意識で構えていた肩を下ろした文仁に、年寄りはにやにやしている。文字通り、揶揄われたのだ。

「気にするな文仁、言うほど他意はない。加賀城殿、そちらも人が悪いぞ」
「何、冬月の兄君に比べれば、儂など可愛いものだわ」
「それで、龍一郎さんの忘れ形見はどちらに?」
「ナイトならば、カイルークの元だ」

漸く口を開いた男に、笑みを消した二人のトップが冷たい目を向ける。正しく戦争でも始まりそうな気配だったが、無表情でゆったり足を組む男には何の恐怖もないのが見て判る。

「大凡、把握した。そなたらは遠き血の縁に結ばれた者と言う事か。ならば良かろう、そならにも聞かせたい話がある。グレアムの話に聞く耳を持てぬのであれば、帝王院帝都として聞いて貰える事を期待する」
「…ほっほ、甚だ図々しい事をほざきよるのぅ。大殿の息子を語り、帝王院を好き勝手にしてきた餓鬼が」
「いつまでも思い通りになるとは思いますまいな。私は東雲の名を棄ててでも、貴方と争う覚悟が出来ている。無論、息子にもその覚悟を幼い頃から教えてきたつもりです」
「まずはその誤解から解こう。…駿河」

立ち上がった金髪に、加賀城と東雲のトップはそれぞれ取り出した銃を構える。身構えた文仁に片手を挙げた学園長は威圧感を帯びた黒の双眸を真っ直ぐ、神と呼ばれた男へ注いだのだ。

「この学園で血を流す事は許さん。いずれ此処は、俊の物になるのだ」
「…これは、考えが及ばず失礼を」
「申し訳ありません、大殿」
「それに加えて、ナイトにはステルスを継がせる」
「「「何だと?!」」」

ポカンと、文仁は整いすぎた無表情を見つめた。
声を揃えた大人達は怒りとも驚きともつかない奇妙な顔で、今にも犯罪を起こしそうな緊張感を孕んでいる。

「私は30年前、秀皇に爵位を譲る約束をした。その秀皇の子である俊はグレアムを継ぐに相応しい男だ。龍一郎が生きているのであれば、尚の事」
「馬鹿な事を宣うなキング、龍一郎は死んだ!貴様、秀皇や大空だけでは飽き足らず、龍一郎までも愚弄し、よもや俊にまでっ、ごほっごほっ」
「大殿!大事ないか!」
「お気を鎮めて下さいませ!」
「カイルークの犯せし罪は最早看過出来ん。私はキング=ノヴァとしてではなくナイン=ハーヴェストとして、正式なイクス男爵を選定する義務がある」

拒否は許さない。
その静かな声で、全ての人間から怒りは消えた。代わりに体を支配したのは、悍しい程の恐怖だ。

果汁で汚れた指を無表情で舐めた男のダークサファイアが、ゆっくりと瞬く。


「俊を目にした瞬間から私は予感していた。あれは唯一カイルークの敵と成り得る、真のノアであると」


これが、神か。

















「懲罰棟に俺を監禁してエロい事するつもりか、ダーリン」

何か騒がしいなと校舎方面を振り返った佑壱は、無言の日向の背中へ「べーっ」と舌を出した。帯の代わりに日向から腰へ巻かれたネクタイを外れない様に押さえつつ、素足で芝生を踏み締める。
突っ掛けていたサンダルは、日向から担がれている間に脱げ落ちたからだ。

「誰かの所為で足が汚れた。普通彼氏っつーのはお姫様抱っこで抱き上げるもんだろうが、判ってねぇ男だよ」
「…」
「ふ、シカトですか。…上等だコラァ!さっき狙われたばっかの癖に勝手にうろちょろすんな!テメーみてぇな考えなし、さくっと殺されちまえ!」
「俺様が死のうがテメェにゃ関係ねぇ」
「一度交わした約束だ。逃げても追い掛けるぞ。守るっつったら守る、馬鹿なりに把握しろ」
「…はっ、」

振り返った日向の左手が胸元を掴む。
抵抗する暇なく地面へ押し付けられて、痛みに顰めた目を開けば、嘲笑で顔を歪めた男が見えた。

「雑魚が粋がるな。お前に出来る事なんざ、何一つねぇ」
「…んだと?」
「俺様はお前が心底憎いぜ嵯峨崎。シュンがお前をどれ程甘やかしてるか、わざわざ見せつけられなくてもな…」

中指から指輪が抜かれそうな気配に、必死で抵抗する。鼓膜を震わせた舌打ちと同時に腹を蹴られたが、それでも奪われまいと暴れ続ければ、凄まじい握力に口を塞がれて。

「ちっ、余計な仕事増やしてくれるぜ、あの人は。扱い難さは帝王院の比じゃねぇ…」

それでも抵抗をやめれば負けだと、小さな呟きに気付かず暴れてみるが、日向の手は外れそうにない。

「餓鬼は大人しく留守番でもしてろ。セキュリティライン・オープン」
『コード:ディアブロを確認』
「コイツを連れていけ」
『了解、直ちに警備へ通告します』

左手。
日向の利き手の握力は逃がす気がない。だから諦めたかの様に力を抜けば、漸く口を塞いでいた右手だけが外れた。左手は未だに、胸ぐらを強く掴んだままだ。

「無駄な抵抗はするな。迎えが来るまで大人しく、」
「…判ったよ。なんて言う俺だと思ったかハゲめ!クロノスライン・オープン、俺は高坂から離れたくない!何とかしろ!合言葉はバーニンッ!」
『了解、ハゲしく萌えました。クロノスラインは全力でバーニングバックアップします、…81%』
「ちっ、取り消せ!」
「テメ、俺の声真似しやがったな?!」
『クロノスラインは光王子の誘惑には負けません、コード:スコーピオの声紋解析システムにより取り消し命令を破棄。セントラル及びセキュリティ電波を遮断、コード:ディアブロの回線をクロノスサーバーへ軟禁しました』
「な、」
「っし!良くやった!」
『お褒め頂き有難うございます。サービスでお二人の画像をツイート、左席ツイッターが炎上しましたバーニンッ!合言葉はしっぽり、ごゆっくり!』

一気に吐き捨てれば、しまったとでも言う様に顔を顰めた日向に笑い掛け、息を吸い込む。

「シーザーの嫁舐めんなよコラァ!」
「っ、」

必殺技は、頭突き。

山田太陽直伝の攻撃力抜群なこの技は、日向にも効果抜群だったらしい。然し同じく佑壱にもダメージ抜群で、日向の手が離れた事にも構わず額を押さえ、声もなく悶えた。

「い、痛…!ぐ、クソ、やべ、吐きそ!」
「こ、んの、石頭が…!」
「ははは、悪い、俺も痛ぇから許せ」
「Fuck!」
「口悪ぃな、王子様よ。つーか左席の進化凄くね?あれ本当に人工知能?ありゃもう人間じゃねぇか…どうなってんだ」

頭を押さえている日向の手は既に離れている。
皺だらけの衿を整えて、ふと目を向けたアンダーライン入り口用の建物の裏側に見知った顔を見つけ日向の後頭部を鷲掴んだ。

「テメ、」
「黙ってろ。…あれ、さっきのアイツじゃねぇか?」
「…あ?」
「こないだのテストでお前の次だった、何つったか…ゆ、ゆゆゆ………佑壱?そりゃ俺か」
「四番っつったら宮原か。宮原雄次郎」
「ユージロー?あの顔でユージローだと…?」
「通称柚子姫」
「それ」
「全学年百人に満たない進学科程度、把握しとけ馬鹿犬が…」
「あ?覚える必要ねぇだろ、お前のオナホなんざ」
「…おい」

着物の生地で日向の頭を包み込み、あちらには見えない様に覆い隠してから呟けば、抵抗をやめた男のくぐもった声が胸元を掠める。一瞬の後ろ姿だったが、まず間違いない。

「あっちは記念碑しかねぇ侘しい広場と、手前にカフェしかねぇよな。他のオカマ共は高坂を囲んで、レオ広場で茶ぁしばいてたろ?一人で何してんだアイツ、つーかお前、浮気されてんじゃね?可哀想に」
「阿呆抜かせ、見間違いじゃねぇのか」
「自分のセフレくらい管理しとけや。テメェん所のオカマ共、山田はともかく総長の靴入れに毎日悪戯しやがって、全員ぶっ殺すぞ」
「あ?んな馬鹿な、昇降口付近にゃこの数日、風紀の人間を配置しておいた。無論、昨日も」
「なら良いけど、…誰だ?!」

押し付けていた日向の頭から手を離し胸を撫で下ろした瞬間、痛烈な視線を感じて振り返った。
キャップを目深に被った人間が、何の気配もなく佇んでいる。

「何だテメー…!高坂、俺の後ろに隠れとけ!」
「いや、待て、あれは…」
「よ、くも…よくも佑壱様に手を出したわね、ベルハーツ!」

キッと顔を上げたそれは、どう見ても女だった。それもかなり可愛い、滅多にお見掛け出来ないレベルの美少女だ。

「…佑壱様だ?」
「あ?高坂、テメー彼女居たのか?昔侍らせてたのとは、微妙に毛色が違ぇな」
「気色悪い事ほざくな、面倒臭い事に二葉の姪だ。認めたかねぇが俺様の…っつーか、会った事あんだろ、テメェ」
「いや、全然覚えてねぇわ」

こそりと、オカンは日向の耳元で呟いた。本能的に、彼女へ聞こえたら不味い気がしたからだ。

「…自慢じゃねぇけど俺ぁ、別れて半月経つと元カノの顔はほぼ忘れる。覚えてる振りはするぞ、殴り返したら死にそうな相手から殴られるのはごめんだ」
「…俺様が言うのもあれだが、テメェ最低だな」
「すまん」
「謝る相手が違ぇだろ、」
「シカトしないでよ!もう許さないっ、アンタは今此処で殺すわ!覚悟なさい、ベルハーツ!」

高坂日向は身構えようとして、先に身構えた大型犬の着物がはらりと捲れるのを見た。日向のネクタイは無惨にも引き千切れ、地面で沈黙している。

「き、」
「「あ」」
「きゃー!!!」

見せた方が悪いのか、悲鳴を挙げながらも決して目は反らさない方がアレなのか、残念ながら答えはない。

←いやん(*)(#)ばかん→
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