帝王院高等学校
荒れ狂え!眼鏡とワンコでナンニンジャ!
「せからしか!」

凄まじい怒鳴り声に飛び上がった彼は、小脇に挟んでいた小さめのスケッチブックを落とし、慌てて屈み込んだ。
ちらほらと見物客が見られる一階とは違い、中央キャノン二階のこのフロアには他の人影は見当たらない。

「き、君、失敬じゃないか!我々は総力を挙げて対応に追われているんだよ!ただでさえ時期が時期でだな、」
「つまらん言い訳はやめない!こげな馬鹿げた話はなかよ!天の君の靴箱に悪戯しよる様なやっちゃ、即刻退学にせんね!そっちこそ無礼にも程があるったい!舐めちょるんやなか!」
「だから我々はその犯人を鋭意探していると言ってるんだ!判らない男だな!」
「細かい事ば知ったこっちゃなかよ!光王子親衛隊の中に犯人が居るに決まっちょっちゃき、全員集めてぶちくらしたら良かろうも!」
「ぶ、ぶちくら…?君ぃ!公共の場で方言は控えないか!」
「しゃあしぃ!うちくらすばい!」
「落ち着きたまえ野上クラス委員長、此処で議論しても解決しないのさ」
「まずは時の君にお伝えしてからでも遅くはないのさ」
「…ち!情けなか奴ばっかばい!もう良か、きさんらには頼まん!」

風紀室と書かれたルームプレートの下、半開きだった外開きのドアを弾き飛ばさん勢いで飛び出してきた一年Sクラス7番は肩を怒らせた姿で足を止め、ずれた眼鏡を押し上げる。

短い沈黙が落ちた。

「む、武蔵野君…?」
「その、意外と大きな声が出るんだ?」
「は、ははは。恥ずかしい所を見せちゃったかな…」

恥ずかしげに笑いながら頭を掻く野上は、もういつもの彼だった。拾い上げたスケッチブックを無意識で抱え、伊達眼鏡の二人が野上の後ろから出てくるのを認め、武蔵野は重い足を進める。

「あれから部屋に行ったんだけど、時の君も安部河君も留守だったよ。連絡を取ろうにも、左席の方とは誰とも擦れ違わなくて…役に立てなくて、ごめん」
「良いんだよ武蔵野君、天の君や時の君にわざわざお聞かせする様な話じゃないし…」

ぐしゃり。
野上の手が強く握り潰した封筒の束、ポタポタと廊下を弾く赤い斑点に目を見開いた武蔵野が口を開くのを制した野上は、ポケットから小銭入れサイズの小さなポーチを取り出した。
中にはぎっちりと学籍カード、印鑑らしきものが入っている。

「ごめん、溝江君。証拠の手紙を損壊してしまった。風紀の皆さんに謝っておいてくれるかな」
「気にしなくて良いのさ野上クラス委員長、それより手を怪我しているのさ。その中のどれかに剃刀が入っていたんだね」
「手当てをしよう。僕は応急セットを持っているのさ。天の君親衛隊隊長としての心得の一つなのだよ。但し急所の痛みには無力なのさ」
「有難う宰庄司君」

簡単な手当てを受けている野上クラス委員長の右手はざっくり切れていたが、落ち着いてはいるものの未だ怒り冷めやらぬらしく、興奮状態からか、痛みは感じていないと笑顔だ。

「もしもの時の為にと、天の君からクラス委員長の役目を仰せつかった時に、この指輪を頂いたんだ」
「ん?天の君から?僕は貰っていないのさ」
「野上クラス委員長、狡いのさ。我々天の君親衛隊を差し置いて、狡いのさ」
「野上君、それ、ドクロに似てるね?」
「星河の君が作ってらっしゃるそうだよ。顔に似合わず手先が器用なんだね、彼」

てけてけとエレベーターホールの掲示板へ寄っていくクラス委員長に、羨ましげな赤縁眼鏡とスケッチブックを抱き締めた赤縁眼鏡が付き従った。
野上直也、教室では存在感もなく、俊が話し掛けるまでは武蔵野さえその存在を空気の様に思っていた程だ。大人しそうに見えるが、どうもそうではないらしい。

「あ。そうだこの指輪、どうやって使うんだろ?皆、知ってる?」
「え?さ、さぁ?」
「知る筈がないのさ」
「とりあえずググるのさ」

しゅぴんと小型タブレットを取り出した溝江信綱は、数分後に笑顔でこう吐き捨てた。

「海外の検索エンジンは全く使えないのさ。日本が誇る技術を教えてやりたいものだよ」
「あの、帝王院学園の事をインターネットで調べても、判らないと思うんだけど…?」
「流石は天の君親衛隊の一員である武蔵野なのさ、一理あるのだよ。溝江、野上君、此処はホストパーポー教諭に質問しようじゃないか」
「あ、それが良いかな。東雲先生は、中央委員会会長経験のあるダサジャージ先生だもん」

一年Sクラス『メガネーズ』は眼鏡を押し上げ、目的地をダサジャージに切り替えたらしい。

「そうだ、天の君へお土産を買っておこうかな。御三家の皆様のブロマイド販売が始まる時間だよ」
「漫画研究会の催し物も眼鏡が離せないのさ」
「同人誌と言う漫画があるそうだよ。近頃は紅蓮の君×光王子が生徒の心を鷲掴んでいるそうなのさ」
「あ…僕も頼まれて絵を描いたんだ。それと、左席の皆様の衣装を作ろうと思うんだ。三人共、良かったら意見をくれるかい?」
「任せたまえ武蔵野、隊員の頼みを断る隊長は居ないのさ。一年Sクラス四番、この溝江信綱に何でも尋ねてくれたまえ」
「隊長たる者、当然の責務なのさ。一年Sクラス四番、宰庄司影虎も忘れないでくれたまえ」
「武蔵野君は芸術肌だなぁ。僕は美術はからっきしだから、心の底から…ううん、眼鏡の底から尊敬するよ」

これでも一年トップ10に入る、優秀なメガネ達である。






















意識の端で、それに気付いた。
ふわふわと色のない世界を漂う体は、夢でも見ているのだろうか。


「アキ」

誰かの声に、似ていた。
思い出そうとするが体はふわふわと浮いたまま、指一つ動かない。

「アキちゃん。ひろあきちゃん。…ふふ。ねぇ、起きて?」

女性の声、だった。
聞いた事のない、楽しげで寂しい、静かなそれは。近くの様な遠くの様な、何処から、聞こえてくるのだろう。

「あの子は意地悪だねぇ。赤外線だけでざっと40本、動感センサーに…まだまだ何か、仕掛けてるみたいだねぇ。そんなに君が、大事なのかな?」

さらさらと。
流れる音と、茶の香り。新しい畳を思わせるカテキンが、全身を包んだまま。

「さてと、どうやって解除しようか。この部屋を見つけるだけでも苦労したのに、」
「そら良かったな」
「うっわ、マジで居た系〜」

ああ、また。
誰かの声が増えた。男の声だ。一番最初に聞いた声に似ていたが、違う。さっきのそれは、偽物だ。

「よりによって俺の真似してんの?何処のモノマネ野郎か知らねーけど、大人しくしねぇとタダじゃ済まねぇよ?な、キタさん」
「ウエストに成り切るとか気色悪過ぎ系だね〜。監視カメラ強化中に、リブラとキャノンで同時に映ってた時は笑い死ぬかと思った系〜」

どちらも知っている。
笑みを含んだ声に僅かばかり緊張を織り混ぜた男二人とは別に、もう一人の気配は変わらないまま。

「…うふふ、バレちゃった。ねぇ、君、ウエストとノーサだっけ?」
「気色悪!ウエストが二人居る系!うっわ、キモい!マジさっきのカメラ音声、ケルベロスに向かって皮肉言ってる時なんか、絶対本物だと思ったもんね。ヒー!見ろよこの鳥肌!」
「はー?どう見ても俺のがイケてんじゃん?外見だけ真似ても中身から醸し出る男の魅力は、中々真似出来ないもんなんだって」
「うふふ。ねぇ、君達は何しにきたの?」

嫌な予感がうなじを刺す。
チクチク、チクチク、それはまるで、羅針盤を踊る針の様に。

「マスターの命令に決まってる系じゃん。悪いけど、風紀委員会室までご足労願うよ〜?」
「困ったなぁ、紫の君はともかく、そっちの水色の君は、邪魔だねぇ」
「っ、キタさん!」
「え?」


起きろ、起きろ、と。
騒いでいるのは、誰の声だろう。

逃げろ、逃げろ、と。
頭の中で怒鳴り続けているのは、誰の声、だったのか。



どさりと。何かが倒れる音がした。















「このスプレー、中身は副作用のないただのクロロホルム水溶液。特殊な作り方だから効果は抜群だけど…邪魔だから寝て貰っただけで、死んだ訳じゃないよ?」

砂に覆われていない玄関先で崩れ落ちた仲間へ駆け寄り、顔へ吹き付けられた水滴をブレザーの袖で拭ってやった。
言葉通り危険な匂いはしないが、怒りで唇が痙き攣る痛みに眼差しを歪める。

「久し振りに本気で頭来た。オメーは俺が殺す」
「ねぇ、そんなに恐い顔しないでよ、西指宿麻飛君」
「舐めやがって…!確かにこれはキモい!キメェわキタさん!」
「君は、大切なものはある?」

二葉が動かしたこの部屋中、幾つもの防犯システムが敷かれていた。風紀委員会の上層部、加えてABSOLUTELYの一部に与えられた命令は、不審者の監視と捕獲である。

風紀副局長の川南北斗へ警備からの報告が入ったのは、つい先程だった。
太陽そっくりな陽子を運び届けてすぐ、リブラ寮中央委員会エリアに西指宿の姿があると報告を受けた時は冗談だろうと笑い飛ばしたものだが、事実は小説より奇なりとは、良く言ったものだと思う。

「西指宿は帝王院を裏切ったんでしょう?冬月と同じ、お金に溺れた可哀想な家」
「何でオメーがそんな事知ってんだ。つーか、そこのアキに指一本触れてみろ、恐い魔王が即飛んでくんぞ?」
「二葉が魔王?うふふ、違うでしょ、ふーちゃんは天使。僕の大切な、可愛い、可愛い、二葉」

歌う様に近づいてくる、見た目は自分そっくりな、女の声。女だとは聞いていないと心の中で愚痴を零した所で、意味はない。

「ねぇ、君は弟が可愛い?」
「人の身辺勝手に漁ってんじゃねぇ、ストーカーかよ」
「ねぇ、弟は可愛い?それとも可愛くない?命を狙われていても、そう思えるの?」
「…ん、だと?」
「僕は仲間外れ。本名はキハ、貴い葉と書いて、キハと読むんだ。だけど漢字に慣れてなかった父さんが届けを間違えちゃったんだって。本当は、お母さんと同じ、イニシャルはK」

ピタリと。
砂を幾つか踏み締めて足を止めた不審者は、紫に染めた双眸を、無防備に寝ている子供へ向ける。

ぎりぎりと、腹の底が鈍く唸った。

「タイヨウ。この国の象徴、影で生きる者にとっては、手を伸ばさずには居られない。そうだよねぇ、アサヒ君」
「ガチ煩ぇ、知った様な事ほざくなストーカー野郎。そのまま大人しくしてろ」
「神崎隼人。隼。空を駆ける、冬月の末裔」
「…あ?」
「君とは違う、あの子は冬月の正統血統だもんねぇ。君のお父さんが初めて恋をした女性は、冬月のお姫様だったから」
「おい!さっきから何をごちゃごちゃ、」
「榛原大空の息子、山田太陽。HK、全ての皇の頂点、灰皇院太陽。ねぇ、どうしてそんなに驚いてるの?」

鏡を見ている様だと思った。

「自分だけが知ってるとでも、思っていたの?」
「お前…何処の家の出だよ…」
「ふふ。さぁ、頑張って考えてごらん。どんなに難しい問題にも、必ず答えは存在するんだよ」

目には見えない幾つものセンサーが隔てる先、真っ直ぐ佇むそれは、本当に、別人なのだろうか。

「Hは帝王院の影。灰皇院の当主は皆『は行』の名前を与えられる。叶の直系は、そのまだ一部、たったの一文字だけなのに」

センサーを踏んですぐにでも二葉を呼びたかったが、果たして間に合うのだろうかと考えた。
勝てない勝負はしない主義だが、勝てないと判っていて挑んだ山田太陽と目の前のそれは、次元が違う。

「叶風馬の直系は、冬臣、文仁、二葉。ねぇ、妾の子供は家族として認めて貰えないんだよ?誰からも構って貰えなくて、一人ぼっちで、可哀想だねぇ」
「…はっ、呆れた。叶の事まで調べてんのか。オメー、本気で殺されんぞ」
「皆、空に憧れるんだよ。君みたいに長男だったらねぇ、帝王院の外の草には名乗る事も許されないのに。だから仮の名前を付けたんだ。龍の宮、月の宮、宵の宮、そして僕は、明の宮」

頭が勝手に答えを連れてきた。
そんな話は聞いていないと無意識で呟いた声を、目の前の自分は聞き逃さなかったらしい。

「冬月は主人を裏切って崩壊してしまったの。二人の『龍』は海を渡り、新しい主人を見つけた。そしてまた、裏切った。今度は、神様を」

神様。
まるで小説の様な話だと思ったが、事実は小説よりだと、つい先程認めたばかりだ。

「神を裂く神崎隼人。ナイトを殺してしまったシリウスの罪。彼はその内殺される。弱い者を、オリオンは決して許さない」
「な、」
「そしてシリウスはそれを知ってる。オリオンの最高傑作はナイト、まるでナイトの生まれ変わり。空を名乗る事を許された、本物の皇。彼は全てを許される。夜を名乗る本物の皇子。だって彼は帝王院秀皇の子供。ねぇ、ナイトと同じ血を引いているのに、君の弟は弱すぎるでしょう?」
「隼人に何するつもりだ!」
「オリオンは決して許さない。大事な家を奪った男の娘、優しかった伯母の娘だろうと、決して忘れはしない。だからその娘は冬月として認めちゃ駄目なんだ。空を名乗っては駄目なんだ。そうでしょう?」
「話を反らすんじゃねぇ!俺の質問に答えろよ!弟に、隼人に何かあったら俺はっ、」

天罰だろうかとさえ、思っている。
隼人の側に皇の末裔を見つけて、つい。悪戯心が働いてしまった自分が招いた、これは罰なのではないだろうか。

「H。名乗る事が許されるのは帝王院に忠誠を誓った灰皇院だけ、汚れた冬月の血を混ぜた子供を皇とは認めない。ナイトは全てに目を掛けた。裏切り者にも弱い子供にも。だってナイトは帝王院の本物の当主。高坂向日葵、あの男は罪を犯してしまったのに」
「待てよ、何で高坂の名前が出てくんだ、サブマジェスティは無関係だろうが!」
「恐れ多くも空の名を、息子に与えてしまうなんて。」

思考回路がパンクする寸前だ。
情報を纏める余裕がまるでない。どうしてそこまで知っているのかと言う秘密も、聞いた事のない話も、全てが頭の中で混ざった。




「ステルシリー」


太陽。
麻飛。
日向。


「潜む者のイニシャルは『S』、唯一無二の、singleを示すSなんだ」


ああ、並べれば確かに、逆にどうして今まで気付かなかったのだと自分を責めてしまうのも仕方ないだろう。

つまらない嘘だと笑い飛ばすには、全部が出来すぎていた。





「HK、罪を犯した者はまるで運命の様に、同じイニシャル。けれど灰皇院太陽だけは全ての罪を許される。





 僕はそれが、どうしても許せないだけなんだよ。」























「余計な事しやがって…っ!恩を売ったつもりか!」

他人の財布を真顔で抜こうとしている錦織要を全力で宥め賺し、一撃で倒された弱すぎる不良らを逃がす様に追い払った隼人は、その台詞に片眉を跳ねた。

「はあ?わざわざ助けてやったのにい、何なのその態度はあ。エルドラドは礼儀がなってないねえ」
「あんな奴ら俺一人でぶち殺してた!しゃしゃってんじゃねぇ、カルマの犬が!しかもテメーは何もしてねぇじゃねぇか!」
「そっちは21番の犬だろーがー。かわゆいスヌーピーの癖にい、正論振りかざしやがってえ。イケメンヒーローカナメちゃん、コイツどーする?剥いちゃう?」
「雑魚は放っておきなさい」

カツアゲを諦め稼げなかった要は不満げを隠しもせず、騒ぎを見ていたらしい一般客の女性から声を掛けられ、形ばかり愛想を振り撒く。

「今のジャンプ凄かったー!お兄さん、何か部活やってるんですか〜?」
「いいえ、特には」
「えー、嘘ぉ。いやーん、お肌つるつるー!お兄さん、彼女は居るの?!」
「今は居ませんよ」

ちょっと振り撒き過ぎだと呆れた隼人は、隼人と並び下半身がだらしない要に彼女など居た試しがない事を知っていた。カツアゲはダサいし俊から怒られる、と思い止まらせたのは他でもない隼人だと言うのに、世論は世知辛いものだ。窃盗未遂がヒーローインタビューを受ける時代、やってられない。

然しその直後に、隼人は乾いた笑みを消した。
要の背後、今の今まで一般客に紛れていた男達が要を取り囲み、雑談していた女性を抱え込んだのだ。

「そこ、動くなよ…!人質がどうなっても良いのか、帝君さんよ!」
「ええー?帝君って、隼人君の事かなあ?今はあ、違うよお?二番だもんねえ。えっへん!」
「威張る所ですか。お前はまた余計な恨みを買って…絞る所は絞りなさいと言ってるでしょう、だから下っ腹が出るんですよ」
「何で知ってんのお?!」
「服の上からでもスリーサイズは判るでしょう?」
「「きゃー!いやー!」」

人質にされた女性と隼人の悲鳴が重なる。
どうも先程、要がカツアゲし損ねた不良らの仲間が複数紛れ込んでいた様だ。恐らく全ての男らが、何らかの理由による退学者と思われる。珍しいイベントを聞き付けて、腹癒せに来たに違いない。武器を持っている状況は何にせよ、見過ごせなかった。

「もー、風紀は何してんのお?お巡りさん呼んでよー」
「一番近い派出所から車で30分程度ですか。諦めて刺されて下さいハヤト、君の犠牲は忘れません」
「う、動くなハヤト!ま、まずはテメェから潰してやる…!」
「カナメ!テメェは後からじっくりいたぶってやる!」

さりとて、囲まれている要も、不良共から睨まれている隼人も動く事は出来なかった。
舌打ちと同じ様なものだ。躾が行き届いているカルマの血統書付きワンコは、女性とご飯を作ってくれる人を傷付ける事は出来ない。

「あは。カナメちゃん、これは流石に犯されちゃうかもねえ。下手そうな奴しか居ないけどお、痔には気を付けるんだよお?」
「弱そうな方から先に倒すのは当然の摂理。星河の君、こんな雑魚から雑魚認定を貰った感想は?」
「泣きたい気持ちかなあ。もうねえ、ハートが痛いのお」
「だったら右胸を押さえるな、わざとらしい」
「「「煩ぇ!」」」
「きゃあ!」

怒鳴られた要と隼人は大人しく両手を挙げ、降参を示した。時間を稼いで風紀を待つしかない。風紀=叶二葉、元帝王院の学生ならば一目散に逃げていくだろう。
周囲の一般客はそそくさと遠ざかっており、通りすがりの白ブレザーらも見て見ぬ振りだ。

世知辛い世の中だぜい、と、遠い目で空を見上げた隼人は、そう言えば数時間前に転んだ山田太陽を見捨てた事を思い出す。
因果応報かも知れない。


「おら!」
「抵抗したらこの女の命はねぇぞ!」
「はいはい…っ、」

使い古された台詞だと呆れつつ、手始めの一発を顔に浴びた。佑壱の拳骨に比べれば可愛いものだが、それでも痛いものは痛い。
後で半殺しにしようと密かに心のデスノートに刻み込んだ隼人は、爪先立ちで殴り掛かってくる男達に笑うのを我慢した。殴られながら視界の端に捉えた要は、そっぽ向いて肩を震わせている。

「て、てめ、離しやがれ!」
「黙れ!カルマなんざに尻尾降りやがって、死ねカスが!」
「っ、い!ん、の野郎…!」

ああ、この神をも恐れぬスーパーイケメンがわざわざ無抵抗で殴られてやっていると言うのに、何をボーッとしているのか、このスヌーピーは。やはり血統書付きカルメンとスヌーピーでは、同じ犬でも別物らしい。
以上、最近伸びてきた髪をピンクのシュシュで可愛く彩っていた、神崎隼人188cmの心の呟きである。

「離しやがれ!くそっ、誰がカルマなんかに…!シーザーが引退してひよったカルマなんざ、レジスト以下だろうが!」

然しながら、今のカルマ総長が誰なのか知らないらしいスヌーピーの叫びで、二匹の狂犬はピクリと眉を震わせた。

「へえ?カルマが」
「レジスト以下、とは」
「聞き捨て」
「ならない」

何度目かの拳をガシッと掴んだ隼人、指を曲げただけでバキリと骨を鳴らした要、共に凄まじい笑顔だ。

「ねえ、しにたいの?」
「罪深さを思い知れ、下等人種共が」
「ようこそ絶望の入り口へ、今宵がその出口となるよう」
「ようこそ忘却の入り口へ、理性を忘れ本能のままに堕落しなさい」
「交響曲第零番、」
「シンフォニーNo.0、」


「「ブラックレクイエム」」


隼人を囲んでいた三人、要を取り囲んでいた三人が同時に悲鳴を挙げる。
殴られた頬を拭い血が混じった唾を吐いた隼人が顔を上げ、乱れた前髪を掻き上げた要が振り向いた瞬間、人質の女性は顔を赤らめた。危機感よりも、危なげな雰囲気の二人に目が釘付けらしい。


「ひ、来るな!テ、テ、テメェ、人質が見えねぇのか!」

人質の女性を抱き込んでいる男は逃げ腰ながらも、小さめな刃物を振り回し叫ぶ。

「くそう、あっちから先に潰してよねえ。使えないなあ、バカナメ」
「足元の馬鹿が這いながら逃げてますよ阿呆ハヤト、弱くなったんじゃないですか?」
「聞いてんのかコラ!」

どうしたものか。
カルマでも奇襲に向いていない二人は、片や参謀、片や諜報だ。仕掛けられてからのカウンター攻撃を得意とする要、無理なく戦略を組み立てる隼人は、こう言った場合の喧嘩ははっきり言って苦手、不得意だった。
特攻隊長の健吾や殺戮兵器の裕也ならともかく、食後の隼人は、本音を言うともう動きたくない。口からチーズケーキとエビカツサンドのコラボが噴射されてしまう。
要の方も、相手が仕掛けて来ないなら動きようがない。

どんな状況だろうが全く意味のない佑壱や俊なら、瞬殺で全員を地獄へ落としたのだろうが。



「はっく〜ん!錦織く〜ん!だ〜ぃじょぉぶ〜?」

その時、ぽてぽてと駆けてくる彼を見た神崎隼人と錦織要が思ったのは、「助かった」ではなく、「お前かよ」だったと記しておこう。

その後ろ、必死で走っている安部河桜を見つめたままゆったり歩いてくる東條清志郎はもう、見なかった事にするしかない。
まだ300メートル近く離れていた。辿り着くまで何分懸かるのか。

「さっち〜ん、来ちゃ駄目え。寧ろ来んな、あほかー」
「ああもう、こんな時に…」

残る最後の一人の腕には人質、東條の姿に怯えた表情を浮かべた男は半狂乱で刃物を振り回し、このままでは女性にも当たってしまう恐れが出てきた。

いよいよ頭が痛くなった要と隼人が必死で頭を回転させた時、



「Give and take、総ては等価交換」


今度こそ『助かった』と言える声が、響いたのだ。


「交響曲第100番ヨーゼフ=ハイドン、」

怯えていた女性が違う男の腕へ拐われて。

刃物を手に異常な雄叫びを叫び続ける乱入者の前へ、空から降ってきたのは、艶やかな柑子色。




「ト長調、『軍隊』。」

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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