帝王院高等学校
闘え甘党☆仁義なき守銭奴のララバイ
ぽっかりと、心に穴が空いた様な気がしていた。
腫れぼったい目元にぼんやりと手を当てれば、ひりひりと、焼け付く様な痛みが走る。

「…痛、い」

何故だか頭が靄掛かっていた。
自分は何をしていたのだろうかと霞んだ頭で考えてみるものの、答えはない。

「あー!それ、楽しみに取っといた最後のエビカツー!」

賑やかな声が聞こえる。
酷く心を締め付ける声にふらふらと近付けば、葉を繁らせる柿並木の向こう側に、カフェのログハウスの裏が見えてきた。

「酷いー!隼人君がエビフライ大好物だって知ってる癖にい!何で盗るのお?!お腹空いてんなら頼めば良かったじゃん、ばかー!」
「うん、マスタードが効いてる。辛いだの酸っぱいだの文句ばかり言ってた癖に、何を騒いでるんですか、恥ずかしい」

どちらも知っている。
少しだけ開いた窓の向こう、賑やかそうなテラスに比べれば比較的静かな店内に、向かい合って座る二人が見えた。

「あは。え?隼人君の代わりに食べてくれたのお?やだー、それ確実に愛じゃん?困ったなあ、カナメちゃんがどーしてもってゆーなら一回くらいなら、」
「ハヤト、そのパセリ食べないなら寄越せ」
「はあ。パセリは食べられない野菜だぜい」
「はぁ?添えられているタルタルソースにも入ってるじゃないですか、パセリ」
「何ゆっちゃってんの、バジルでしょ?」

こちらからは背中しか見えない男の向かい側に、綺麗な顔。ガラスに映り込んだ惨めな目元の自分などでは、比べれるだけ失礼だとさえ思う。

「バジルとパセリの見分けも付かないんですか、流石は自称湘南ボーイ」
「やだやだ、区内育ちってそんな偉いの?昔居たんだよねえ、何かにつけて何区だの何だの、同じ東京でも都心離れると余所者扱いしたがる奴ー」

ずびずび。何かを啜る、音。
いつもは隠したがる猫背を躊躇いなく、彼には見せるのか。抱き付いて眠りたがる癖に、そんな話もしてくれなかった男は、

「つまらない付加価値に他人と比べ優劣をつけたがるのは、自信のなさの現れでしょうに」
「あは。おっとなー。大人の意見だねえ。でもねえ、年取ったってさあ、結局体が老いてるだけな訳よ。中身は殆ど変わんないの。人間なんてねえ」

今。どんな顔をしているのだろう。
笑っているのだろうか、いつもと同じ顔で。誰にでも同じ、顔で。

「ふん?捲土重来と言えば聞こえの良い粘着男の癖に、珍しく的を射た事を言います」
「負けるの前提みたいな言い方やめい。だからパセリは…もうよいよ、お食べ。此処の支払いは全部隼人君にツケてよいから、何か頼みなよ…」
「何ですか急に、しおらしい」
「お金持ってる癖に水しか飲まないとかやめて。そっちのが恥ずかしいからあ」
「はぁ?何が言いたいんだ、訳の判らない男ですね。俺は気楽なお前と違って頼れる保護者なんか居ませんから、絞る所は絞る。ケチは誉め言葉ですよ。何か悪いですか」
「別にい、悪かないけどー」

メニュー表を開いた男と一瞬、目が合った気がした。反射的に隠れ、唇を噛み締めたまま走り出す。



丸められた背中は、一度も、振り向かなかった。









「ハヤト」

開いたメニュー越しに背後を見ている様な気がした要に呼ばれ、肩越しに振り返る。空気の入れ換えの為なのか単に閉め忘れたのか、僅かばかり開いた窓の向こうには葉を繁らせる並木の幹が幾つも。

「ん?何?」
「外に今、揚羽蝶が居ました。写真を撮れば良かった…」
「あっそ。つーか、何でカルマに蝶ブーム到来したんだっけ?あれって、隼人君の居ない時に何かあったって言ってたよねえ」
「あれはお前が入隊した頃でしたか。何処ぞに出張していたでしょう?」
「ロケって言って、出張はやめて。何かダサい」

数年前、仕事と生活のストレスを暴れる事で晴らしていた隼人をカルマに招き入れ、後先考えていない馬鹿はともかく、要を含めた大半のメンバーは消化しきれず悶々としていた頃だ。

「そう言えば、誰が言い出したんだったか。初めは恐らく総長だと思いますが…いや、ユウさんだったかも」
「ふーん?あの頃のユウさんってば、マジうざかったんだよねえ。お前は隼人君の母ちゃんかーってくらい、うざかったのねえ」

顔を出す回数がまだ少なかった隼人は佑壱にスケジュール管理されていて、逃げられない様に、仕事終わりには何度か迎えに来られていた事がある。

特にマネージャーとの初対面の時は、佑壱を執拗にスカウトした彼女も悪いのだが、お陰で佑壱のマネージャーに対する心証は最悪で、あの女は駄目だと恐ろしい目で言われた事は忘れられない。

「何でかなあ、やっぱ判るのかなあ、雰囲気とか…」
「雰囲気?」
「ユウさん、誰と誰が寝たとか出来てるとか、一撃判んじゃん?何なんだろうねえ、あれ。鼻が利くってゆーか…正直鬱陶しいわー。避妊しろとか言われなくても判ってるっつーの」
「満更でもなかった癖に」
「いやいやいや、覚えてる?去年の三者面談。有り得ないでしょ、進学科の三者面談なんかほぼほぼ担任と雑談して終わりよ?なのに何で一番から四番まであの人が保護者で出張ってんの?って話よー」

確かに去年の春、定例の三者面談で帝君の隼人を筆頭に、要、裕也、健吾、四人の保護者として高等部のブレザーを纏い教室へ乗り込んできた高等部一年帝君に、教室はざわめいた。2日間に渡って15人ずつの面談だった為、桜や太陽は帰宅していたか課外授業で単位を稼いでいたか、ともかくその時には居なかったと思われる。

「清々しいほど真っ向から、衆寡不敵って言葉を殴り飛ばすよねえ、うちのママってばあ。担任超ビビってたんですけどお。あれ?今度の三者面談いつだっけ」
「高等部は進路決定後の面談だけですよ。残念でしたね、来年までありません」

隼人が小さい声で話すのは、テラス側に気を遣ってだと要は理解していた。要の背後、入り口の横に広がるガラス壁の向こうに見える客に、だ。

「ビクビクするな、堂々としてなさい。お前が言った衆寡不敵とは多勢に無勢、カルマには通用しません」
「いえーす、ワンコ一騎当千、百戦百勝〜。…ビクビクなんかしてないもんねえ」
「俺は鶏甘酢とパプリカのハニーベーグルにしました。注文するから、追加するなら今度はマスタード抜きにして貰え」
「奢りと聞くと途端に生き生きすんねえ、錦織さん。あ、隼人君はレアチーズケーキ」
「そんなもので腹の足しになるのか?噛み応えのないものは満腹感が得られませんよ。動物性脂肪は消化が早い。身に付く癖に腹が減る。同じ金額を払うならもっと腹持ちの良いものにするべきだ、勿体ない」

基本的に俊や佑壱以外には丁寧語が崩れる要は、最初から隼人には口が悪かった。昨年末、俊が失踪してからは特にカルマ内での皆の口は重く、始業式典まで会話らしい会話はしていない。

「お腹を満たす事だけが食事じゃないんですよお、だ。心に栄養が足りませんねえ、カナメさん」
「余計なお世話だ。お前こそ、最近めっきり引き籠ってるだろう。先月までは仕事に託つけてあっちこっち渡り歩いていた癖に」
「あは。やきもちー?」
「めでたい頭ですね、かち割って中身を見てやろうか。ったく、ユウさんが暴れてる時に俺達がどれだけ苦労したか…」
「カナメちゃん、不自然じゃない様に後ろ見て」

背を曲げ、メニューで顔を隠しながら声を潜めた隼人に言われるまま振り返れば、一般客にしては目立つ面々が一堂に窺えた。レジで支払いをしている眼鏡を掛けた壮年の男は、見た目よりも貫禄がある様に見える。


「…何処かで、」

支払いを終えた男が顔を上げ、要はそのまま顔を戻した。目だけで背後を追っている隼人は眉を寄せており、何事か考えている様だ。

「何か気になるのか?」
「…や、うーん、気になるってゆーか…気になんない?あの面々、奇々怪々、マジ異常」
「何が」
「カナメちゃん、見覚えは?」
「烈火の君の隣に居たのは、ユウさんの両親です。一年間の長期撮影があると聞いていた母親が、この時期に帰国しているとは思いませんでしたが…」
「撮影?そうじゃなくてもう一人、覚えてる筈でしょ。…ちっとも似てないけど、サブボスのお父さん」
「だからユウさんの父親は、」

言ってから、違和感を認めた要はもう一度背後を見た。然し、既に集団の姿はない。ボーン、ボーン、と、三時を告げるアンティークの壁時計が鳴いた。

「山田君の父親ですか。それは確かに、気になる」
「凄かったよお、ずっと行方不明だった帝王院財閥の跡取りがテレビ出てたもんねえ。その所為で掻き消えたローカルニュースでさあ、あんだけ深夜の大火事が放送されてたのにー」
「葵が丘の火災、遺体が見つかったんでしたね。司法解剖は遠野総合病院の医師が関わってます」
「…何処でそんなネタ仕込んでくんの?」
「洋…白百合が内密に調べさせてましたからねぇ。あの男がこそこそ嗅ぎ回ってる事を俺に知られるなんて失態、余程焦っていたに違いない」

暗い笑みを浮かべた要は、先に運ばれてきた隼人のチーズケーキを嫌そうに見やり、ウェイターを鋭く睨んだ。ブルーベリーソースが大量に乗せられたそれを運んできたから、だろう。
ブルーベリーの癖に青くない、と、青いものに煩い要は、ブルーベリーが好きではなかった。

「どんだけ嫌いなの?」
「俺は基本的に局外中立な人間です。が、叶二葉と言う名を聞いただけで殺したくなる程度」
「それ病気」
「で、死んだ筈の男が生きていて、確かに暗夜之礫じみてますが、それだけではないでしょう?他に何が気になるんですか。そもそも山田君の態度に変化が見られなかった時点で、死亡説はガセも同然」
「外界から隔離されたこっちにゃ、外の話なんか入ってこないからねえ。株価とか政治の話ならまだしも、ローカル事件とか誰が見たがるって話よー」

要があんまり嫌そうな顔をしているので、ほんの少しブルーベリーソースが付いている部分を切り分けフォークに指し、ん、と口元へ運んだ。

「好き嫌いしたらあ、ママに嫌われちゃうよお」
「…これ以上どう嫌われるのか、教えて貰いたいものです。あ、結構食えなくもない?」
「素直に美味しいと言いなさい。全く、これだから最近のゆとりは」
「俺がゆとり世代なら漏れなくお前も仲間だ。良かったですね、バ神崎隼人」
「ありがとー、錦織バ要」

低レベルな言い合いは、言った瞬間頭を抱えた二人同時に悔いている。遅れて運ばれてきたベーグルプレートを静かに迎えて、俄に増えてきた女性客を横目にそれぞれフォークを握った。長居は無用だ。

「嵯峨崎財閥の会長、光華会会長、加えて十口流の当主、龍の宮まで居たのは何がなんでも出来すぎてるわけ。鈍いなあ、カナメちゃんは。世間知らずなとこあるよねえ」
「光華会はともかく、トクチと言いましたか?お前如きが十口流の当主を何故知ってるんですか。叶は茶道の家ですよ?」
「あ、やっぱり居たのは気付いてたのー?T2関連のCMやった事あんの。完成記者会見で、会長の叶文仁と握手した手ー」

フォークを離した右手を近付ければ、笑顔で叩き落とされた。顔に似合わず力が強い。だからこそあの佑壱が、初等科の頃から側に置いていたのだろう。誰がどう見ても、佑壱が一番可愛がっていたのは要だ。

「芸能界と言う業界が実にはしたない所である事を失念していました。金さえ貰えれば、どんな相手にでも尻尾を振る。叶一門の裏家業は、CIAも凍りつくだろうに…」
「要人の警護、時と場合によっては…ってね。改めて考えるとー、忍者って怖いよねえ。最近の忍者はアトラクションだけどさあ」
「帝王院財閥にも直属の警護一族がついています。表向きは灰皇院と呼ばれてましたが、跡取りが女性で嫁いでしまった為に、断絶したとか」
「それ知ってる。旧YMDの社長の親でしょ?婿養子だっけー?確か名前が、榛原?」
「さぁ、そこまでは」

呆れ顔の要は「耳年増」と呟いた。良く知っているものだと言う誉め言葉にしては、皮肉しか感じられない。

「つーか嵯峨崎会長、テレビで見た事あったけど生で見るとユウさんに似過ぎ」
「逆だ逆、ユウさんが似たんだろう」
「ケチな癖にプライドは一端のアイアンメイデンがあ、さっきわんわん泣きながらゆってたけどお、隼人君を信用してた訳じゃないと思うんだよねえ」
「泣いてない」
「鼻水垂らしてたろーが。今着てるブレザーの胸元見てみー」

上半身裸にブレザーを着ている要は一心不乱にベーグルを腹へ納めていくが、撮影の合間の数分でロケ弁とデザートを完食する早食いには自信のある隼人は、既にケーキを腹へ納めていた。

「ママが間男とくんずほぐれつしてて気が動転したのはあ、判らんでもないけどお」
「くんずほぐれつはしてない。…マウントを許していただけだ!」
「声でっか!どーどー、カナタどーどー」
「貴様が俺をカナタと言うな、毟られたいのか天パが…」
「ごめんなさい」

半ば自棄の様にコーヒーを注文したのは、腹が膨れて眠気に襲われては堪らないからだ。こんな時に寝て、目の前の守銭奴から借金額水増しでもされたら困る。

「はあ。どんどんお食べ、但し利息は1割、」
「3割」
「…6000円借りたら8000円返さないといけないなんてえ、ヤクザより血も涙もないんですけどー」
「喜べハヤト、おつりの200円は現金で返しますよ」
「200円くらい、よいよ…。カナメ基金に募金するよ…」

大儲けとまでは行かないがそこそこ好調な、離島での無農薬野菜栽培にも年に数回大きな投資が必要となり、毎月雇っている農家の人件費も必要不可欠だ。加えて、去年やっと買い戻した実家に管理人を雇っており、盗られるものなどないに等しいが、念の為、警備会社と契約している。
いずれ卒業後か老後か、どちらにせよ戻るつもりの家を人に貸す気にはなれず、かと言って無人のまま放置した家屋の末路は悲惨だ。

「気前の良い事をほざいてますが、ローンは終わったんですか?以前住んでいた家を買い戻したとか言ってたでしょう?」
「あれ、その話カナメちゃんにしたっけ?」
「総長にベタベタ引っ付きながら何度も話してた事を忘れたんですか。光王子が顔を出さなくなってから、これ幸いにベタベタベタベタ甘えて…図々しい」
「あは。カナメちゃんってば、ボスの前じゃよい子ちゃんだもんねえ。抱っこしてなんて絶対言えないもんねえ」

先程のメンツに気を取られて、口が勝手に動いた。失言とは口にしてから気付くものだと、神崎隼人が悟ったのは少々後だ。

「言いたい事全部我慢して、誰にも甘えらんなくて、いつか一人ぼっちになった時、どうなっちゃうんだろうねえ?」

ピクリと。
肩を震わせた要が握ったフォークの先から、甘酢に絡んだ鮮やかな赤パプリカが滑り落ちる。頬杖を付いたまま、みっともないと片眉を跳ねた隼人は今更自分の台詞を反芻し、ぱふっと口を押さえた。そんな事をした所で、意味はない。

「あは。えーっと、もう食べないの?」
「………割…」
「えっ?」
「十割返せ」

ぎりっと音がしそうな程に寄せられた眉間の皺、青のカラコンで染められた双眸が、同じく原色の青で染められた前髪の隙間から、恐ろしい光を伴って覗いている。

「いつか一人ぼっちになる時まで、精々貯め込んでやりますよ。…お優しいお前の財布からな」

がっとレシートを鷲掴んだ要が、つかつかとレジへ向かっていく。行事中の施設はメニューパネルでの支払いが出来ないからだ。
一般客の視線が要に注がれているのが此処からでも良く見える。ぼちぼちと隼人に気付いた何人かが小さく声を挙げたが、招待状がなければ敷地内へ入る事は出来ない為に、根っからのミーハーファンと言う訳でないのが救いか。


「あーあ、やっちまった」

小さく呟いて上を見上げたが、木材で組まれたハウスの天井が見えるばかり。天窓から覗く空はひたすら晴れ渡り、重い後悔はそれほど長続きしない。
何かを握ったまま顎で「来い」と命じてきた女王様に溜息一つ、捲っていた袖を戻し袖口のボタンを留めながら、無駄に笑顔を振り撒いて大足で要の元まで近寄る。

「ほら、領収証」
「幾ら?…あー、うん、これの十割ね、はいはい、2倍にして返しますよ」
「だれが2倍にして返せと言った」
「は?だってさっき十割って、」
「日割りでな。明日になれば二十割だ」
「な」
「再発行が3日、何処にあるか判らないカードを探し出せるならともかく、得意のパソコンでクレジット機能を追加するのはどれくらい懸かるか、一人ぼっちの俺は楽しみにしていますよ」

麗しい笑顔で首を傾げた要に、カルマで最も根に持つのは間違いなくコイツだと心で呟いた隼人は、周囲から根に持つ男ナンバーワンと呼ばれている事を知らない。

「…悪徳金融。カード反応調べて取りに行くしかないわな…」
「あ、さっきの揚羽蝶」
「はあ?」

ひらひらと舞い踊る艶やかな蝶が視界を掠めたが、見上げても姿はなかった。楽しげに顔を笑みで歪めた錦織要がスラックスから携帯を取り出し、ピロンとカメラの音を響かせる。

「ちょっとお、隼人君は肖像権でガチガチに守られてるモデルさんなんだからあ、気安く撮んないでよねえ」
「見ろハヤト、蝶がリボンみたいになってますよ」
「あん?」

機種に拘らない要の携帯は契約した時からずっと同じもので、平成末期も末期に画面がかなり小さいデザインだ。その小さなディスプレイの荒い画像を見れば、隼人の頭で羽根を休めた揚羽が、まるで髪飾りの様に見えなくもない。

「やだー、隼人君ってば天も恐れぬ可愛さー、小悪魔も滅多刺しクオリティー」
「そこまで自画自賛するなんて幸せな頭をしてますね。ああ、誉めてます。蝶が止まるだけあって、蝶の羽根よりペラペラですもんねぇ、君の頭の中は」
「あは。脳味噌がぎっしり詰まってそうなカナメちゃんはあ、今度から叶二葉って呼んであげよっか?」
「脳は詰まっていれば良いと言う訳ではないと言う事ですか…あ、」

行く宛もなく、とりあえず着替えが先だと寮までの並木道を歩き始めてすぐに、並木の隙間から見知った顔を見つけた要が足を止めた。

「何?どしたん?」
「今、ユーヤが…いえ、何でも」

今度こそ、出せば即失言確定だろう言葉は呑み込んだ。二人きりの時に話し掛けている光景など見た事もない、あちらから話し掛けてくる光景も同じ。
なのに要は、すぐにそれを見つけ出す。いつもいつでも、目で追っている事など、2年近く見ていれば誰でも気付くのに。

「偽ボス追っ掛けてたんじゃないのー?」
「え?」
「ボスってば、サボりたかったのか何なのか、レベル高めな影武者雇ってんの。気付かなかった?そー言えばカナメちゃん、第一には居なかったもんねえ」
「俺は第三…ああ!思い出しました、俊江さん!」
「はい?」
「蝶の写真は俊江さんが好きだから…そうじゃない、いや、そうだが今はそれ所じゃないんです、俺とした事が舜さんから目を離してしまった!くそ、探さないと!」
「ちょっとちょっと」

今にも駆け出しそうな要の襟を掴み、またも追い掛けさせられては今度こそ死ぬと、胃の中が重い今、神崎隼人は本気で考えた。
ダイエット…いやトレーニングにはなるだろうが、佑壱の様に必要以上のムキムキにはなりたくない。憧れない事もないが、林檎を素手で絞る様な腕力、モデルには不要だ。

「深呼吸してえ、お兄さんによ〜く話なさい」
「山高きが故に尊からず、たった3ヶ月差で兄面しないで下さい。お前の8割は見た目騙しだろうが」
「もー、どっちが弟でもよいわー。画竜点睛を欠くってゆーでしょー?何でも物事には大事なもんがあんの。今がその大事な時なの。シュンって、誰それ」
「遠野舜、会長の実の従弟で一つ下だそうです。遠野総合病院の院長子息、西園寺学園の会長を覚えているでしょう」
「あー、あのいけ好かないインテリ眼鏡?眼鏡掛けてる奴ってえ、ほんとろくな奴居ないよねえ。顔はえげつない派手さだったけどお、ボスに対して刺々し…、これは今どうでもよい。つまりソイツの弟って訳?」
「そう言う事だ」
「遠野俊の従弟なのに、遠野俊?」
「字が違う。つめかんむりにまいあしの舜だ」
「紛らわしいなあ、もー」

ぼりぼりと頭を掻いた隼人はスマホを幾らか操作して、息を吐く。

「自治会の掲示板見たけどお、風紀に預けられてはないみたいよお。どっかで遊んでんじゃない?つーか、お兄ちゃんのとこにでも行ってっかも」
「それなら良いが…。いつの間にか、俊江さんも見当たらないし」
「俊江さんねえ」
「だから猊下の、」
「お母さん居たんだねえ、パパ」

ぼんやり呟いた隼人に、同じくぼんやりと今の言葉を反芻した要は瞬いた。そう言えば、幹部で両親が揃っているのは佑壱だけだとばかり思っていたが、それは単に、皆が知らなかっただけなのだ。

「総長の事を…俺らは何も知らなかった。従兄弟の事も、通っていた学校も、実年齢、さえ」
「押し付けてたのかなあ。勝手にさあ、こうあって欲しいなんて理想像?みたいなー」
「そんなつもりは…」
「同級生に父親役押し付けて、甘やかして貰ってばっかで、こんな時何処に居るのか判んない。死ぬ気で挑めば勝てるかもしんないのにー、挑もうとしないで神様から隠す事ばっか優先してさあ。ダサ過ぎだよねえ」

要を可哀想だと思わなくもない。
物心ついた頃には親らしい親など居なかった程度の話は知っている。知られていないとは言え、祭の次男でありながら姓を名乗る事も許されていない。

「残念ですが、隼人君の両親は生きてますー。父親には会った事もないけどお、母親は再婚すんだってさあ。あ、あの女は初婚だけどー」
「何だいきなり」
「会った事もない奴は何とも思わないのに、少しでも顔知ってる奴は超ムカつくわけ。死ねばよいと思っちゃうわけ。勝手に再婚でも何でもしろよ、つーか俺の親権放棄しろよタコって思うわけ」

けれど、大好きだった育ての親が偽りだったと知らされる事と、どちらがより不幸なのか。

「勝手に人のお家売っ払ってさあ、そのお金を実は隼人君の学費に充ててえ、残りは隼人君の名義で貯金してましたあ、何て今更言われてもって感じー」
「言われたのか?」
「んーん、全然?ベタだけどお、この展開ドラマチックじゃない?感動は全然しないけどねえ」
「俺は母親へ渡った使途不明金の行方が気になる。訴訟を起こして取り返せば良いのに…」
「土地込みたったの3000万弱で売り払われてえ、3倍以上で買い戻してやったし。悪徳不動産業者ムカつく。何が古民家再生だっつーの。洋式水洗トイレはともかく、田んぼにガレージ建てやがった。即行撤去してやったぜい。銭ゲバは死ねばよい」
「田舎の癖に良い値で売れたな」
「どーせ広さだけが自慢ですよー、だ」

ブレザーの下にスヌーピー柄のシャツを着た派手な不良が、一般客とは思えない私服の男らに囲まれているのを見た。血も涙もない要はスタスタと並木道を闊歩していくが、絡まれているのは非公式親衛隊を気取る山田太陽のストーカーだ。

「カナメちゃん、サブボスに恩売っとく?」
「はぁ?」
「あそこ、客の振りして混ざってんの、去年退学になったティラノの頭」
「ティラノ?…ああ、エルドラドに潰された弱小チームでしたか。ユウさんに取り入ろうとしつこかった、工業科の男ですね」
「お兄さん、ムシャクシャしませんかあ」
「奇遇ですね、ムシャクシャしてました」
「どっちが多く伸せるか競争しない?隼人君が勝ったら利息なし、カナメちゃんが勝ったら用事に付き合ってあげるー」
「良いでしょう。ただ、たった5人程度で腹ごなしになるか」

ポキッと首の骨を鳴らした要はネクタイを絞めている位置に手を当てたが、ブレザーの下は裸だ。都合悪げに小さな舌打ちを零したのを見逃さなかったが、告げ口するにも「ママ」は絶賛浮気中である。

「よーい、どん!」

突然現れたカルマ幹部二人、それも極めて悪名高い要と隼人に気付いた男達は逃げようとしたが、それはそれは鮮やかな上段回し蹴りで纏めて吹き飛ばされた。



「はっ、腹ごなしにすらならないとは…。誰の視界で呼吸してますか、死んで詫びろ下等生物共」

出遅れた神崎隼人は、今日だけ日記を付けようと心に決めたのだ。この恐ろしい悪徳金融業者は、小切手で顔を叩いてやった悪徳不動産とは比べ物にならない。

借金を踏み倒すのは死も同然だと、濃い目の鉛筆で書いておかねばなるまい。


「ついでにカツアゲしておきましょうか、ハヤト。彼らは徒歩で帰る羽目になるでしょうが、恨むなら左席の予算不足を恨んで下さい」

ああ、もしくは油性ペンだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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