帝王院高等学校
ファーストキスはアメリカンビター
その時彼は、静かに真紅のオーラを垂れ流す背中を見た。
無言で拳を握り締めた背中から滲み出るオーラは血より赤いクリムゾンレッド、ぎりぎりと爪が肉に食い込む音や骨が軋む音が響き渡り、彼は人間から獣へ変化していく様子を見たのだ。

「Hey, what is it?(おい、何だこれは)」
「居ません、ね」
「要」
「は、はい、何でしょう副総長」
「Where was he going.(総長、何処行った)」

疑問文が疑問文として成り立たない男が荒らしまくった執務室を一瞥し、開け放したままの窓辺を凝視したまま微動だにしない背中を見る。

「ユウさん、」
「Why is he not here?(何で、居ねぇんだぁ?)」
「ユウ、」
「Pourquoi n'est pas le?(何で?)」

冷や汗が、頬を伝う。
無理なのだ。だから無理なのだ。こうなってしまえば最早人間ではどうする事も出来ない。

「Perch sono solitario.(何で、独りぼっちなんだ)」

英語、フランス語、イタリア語、

「Warum werden Sie nicht gefunden?(何で、見付からない?)
 Aunque lo busco, no me encuentro.(こんなに捜してるのに)」

ドイツ語、スペイン語、ああ、もう駄目だ。翻訳する側の身になってくれ。

「…殺シテヤル」
「ユウさん!落ち着いて下さいっ」

半ば引き摺る様に佑壱の肩を掴んだ手は、満面の笑みを浮かべた赤い唇に恐怖した。

「そうちょうは、はずかしがりやだから、たいいくさい、きちゃだめってゆーの。
 おれは、いつもそうちょうといっしょに、いたいのに。そうちょうは、がっこうのなまえもおしえてくれないの。
 でもねぇ、おれ、みたんだぁ。そうちょう、おやじに『お前、遠野か?』って、…言われてたんだ」

恐らく軽い力で振り払われた手が容易く赤に染め上げられて。
窓辺へ窓辺へ近付いていく背中が障害になるもの全てを蹴り壊して行く光景を、止める事すら出来ない。

「鷹翼は、3年前高等部だけブレザーに変更したんだ。………初めて会った時、学ランだったなぁ…」

悲鳴も、制止させる言葉も、何一つ。口から漏れなかった。
ティアーズキャノン最上階の執務室は空が酷く近く、大地が酷く遠く、




「早く、夜になれば良いのに。」

ふわり、と。
躊躇いなく窓の向こうへ舞った赤が、
   (青空に消えていく



「ゅ、ぅ」

それはまるで太陽が沈む様に似ていた
それを人は黄昏と呼ぶのだと





「そ、……………総長っ!!!」

神よりも気高い人に救いを求めた喉は、息すら出来ない。

























誰かの悲鳴に似た声が聞こえた気がする。
窓辺に寄り掛かり、緩めたネクタイを引き抜いて煙草に火を点けた時、


「………は?」

何気なく見やった窓の向こうに、赤が見えた。

「な、」

無意識に伸ばした腕が掴んだそれは、別に雛鳥だとか洗濯物だとかそんな可愛らしいものではない。
大学エリアではあるこのフロアは代々中央委員会の人間だけが立ち入る事を許された秘密部屋であり、扉の代わりにエレベーターで直通になっている。当然だが、中央委員会役員を示す『統率符』が刻まれたリングが無ければエレベーターはこの部屋に発着せず、唯一の出入口と言えなくもない窓の外は地上から遠離れた17階の、勿論バルコニーなどない空中だ。


「テメェ?!」

火を点けたばかりの煙草が、紫煙を発てたまま落ちていく。

「っ、何してやがんだ嵯峨崎ぃ!」

柄にも無く人命救助した腕は標準を遥かに越えた体格の男を一本釣り宜しく引き上げ、自分が昼寝する筈だったベッドの上に投げ捨てた。

「何処かで見た赤毛だと思やぁ、よりによってテメェか!んな雑魚何で助けちまったんだ俺様は…」

ガクリと壁に片手を預け肩を落とせば、ベッドの上で膝を抱えるデカブツが見える。

「馬鹿猫にベッドルーム連れ込まれた。…犯されるー」
「目と耳が腐るから今すぐヤメロ、誰がテメェなんざ犯すか」
「Shout up, foolish.(黙れ馬鹿野郎)」

額に青筋が浮かんだのが判った。

「What did you say bloody tomboy?(何か抜かしたか転落野郎?)」
「Please go to hell.(頼むから死ね)」
「Hold your tangue, USA.(野蛮人種は口を閉ざせや)」
「…んだと、イギリス偏屈馬鹿貴族が!」

しゅたっとベッドの上に立ち上がった佑壱が凄まじい眼光で睨め付けてきたが、恐らくそれ以上に酷いであろう自分の眼差しに幾分怯んだらしい。
小さく笑って、再び煙草を咥えた。

「高がステイツ育ちの庶民風情が良くて、…ブリテン公爵の俺が駄目なんだな」
「あ?」
「テメェなんざ、死ねば好いのに」

意識的に殴り掛かった腕はすぐに避けられ、反撃を試みた佑壱は然し息を呑み倒れる。

「相手を選べ黄昏の君。いや、ケルベロスか。…テメェは所詮二葉にすら適やしない」
「…っ、shit!」

腹を押さえ立ち上がろうとする佑壱の、ゴムで結われた髪を掴み己の視界まで引き上げれば、身長差の分だけ佑壱の体躯が浮き上がる。

「Don't get in the swing, I will kill you when if you are not karma.(調子に乗るな、テメェがカルマじゃなかったら俺様はテメェを殺してる)」
「は、なせっ、馬鹿猫が…っ」
「猫に負ける気分はどうだ?…泣きながら帰って飼い主に慰めて貰うのか、負け犬は」

赤い瞳が刹那、全ての感情を失う。瞬きする間もなく左頬に受けた熱が、笑えてならない。

「半端ねぇな、野蛮人」
「ボクシング歴14年、舐めんじゃねぇ」
「阿呆か、俺様が避けられなかったとでも思ってんのかテメェ?はっ、めでてぇ頭だ」
「殴っただろ、テメーが」
「あ?」
「………外部生、」

低い声音に心臓が跳ねる。
凄まじい速さで脳裏を駆ける記憶に、

「殴っただろ、テメーが」
「…何の話だ」
「だから追い掛けてやがったんだろ、中央棟で」
「黙れ」
「おれは、おまえをゆるさない」

酷く幼い言葉が鼓膜を震わせる。


「おまえ、いじめた。おまえ、なかせた」
「テメェ、」
「I give you a funny.(意地悪してやる)」

いつもいつでも生意気な男の表情が幼い笑みで満たされ、伸びてきた腕を払うより早く唇に触れたそれに、肌が粟立つ。

「な、にしやがる貴様ッ!!!」
「淫乱猫はリップバージンを守ってんだったよなぁ、ざまぁみろ馬鹿め!」
「殺す…っ」

唇を拭いながら殴り掛かれば、同じく唇を拭いながらひらりと飛び上がった佑壱が窓に乗り上がる。

「テメーなんか相手にしてる暇ねぇんだよ俺には、やんなら今度だコラァ」
「馬鹿犬が」

バランスを崩せばすぐに紐無しバンジージャンプだ。よりによってこの男にファーストキスを奪われてしまった怒りは未だ加速しているが、目の前で投身自殺されてしまうのは遠慮したい。

「死ぬなら俺様以外…いや、シュンと俺様以外の前で死ねや」
「Good-bye, have a funny dream.(じゃーな、良い夢見やがれ)」

普段なら殴り殺していただろう可愛げない一つ年下のしなやかな体躯が消えた。



「嵯峨崎…!」

慌てて覗き込んだ遥か彼方地上、桃色の絨毯に落ちていった赤が、直ぐ様地面を駆けていく。
どうやら桜の木をクッションにして、全く無傷で着地したらしい。ひらひら犬の尻尾の様なレッドテールが踊りながら消えていくのを見送った。



「…野性児かよ、アイツは」

脱力感と共に胸元を漁り、ゴールドのシガレットケースを弄ぶ。

「ちっ、ヤニ切れか…」

空っぽの箱を握り潰せば、増した頭痛の代わりに罪悪感が溶けて消えている事に気付いた。
左頬が洒落にならないくらい、痛い。


「ボクサーの腕力で殴るか普通。アイツは年功序列っつー言葉を覚えさせる必要がある…」

17年の人生で二つも失った宝物を思い浮かべ、息を吐く。

大好きな人も。
大好きな人に捧げる貞操も。



よりによってあの男に奪われてしまった可哀想な人間。
ファーストキスは酸っぱい、なんて嘘っぱちだ。愛煙家とのキスは苦すぎる。ビター過ぎる。

今すぐ記憶喪失になりたい。



「どいつもこいつも…」

外部生外部生外部生、二葉を蹴って神帝を従わせてプライド高い犬まで狂わせるあれは、何。


「…No kidding.(…まさか、な)」

恐ろしい想像は捨てろ。
 (しい人を殴ったかも知れないなんて)
優しくしたいのは一人だけ。
 (母から継いだ紳士のを)
優しく出来るのも一人だけ。
 (捧げる人は一人だけ)
日本に残る理由は一つだけ。
 (置いていきたくなかったから)


恐ろしい想像は捨てろ。
殴って三倍返しで殴られた。差し引きマイナス、罪悪感は最早跡形もない。


「殿下、お休みの所失礼致します」

静かに開いたエレベーターから、執事が音もなく降り立った。次から次から忙しい事だ。次から次から頭痛ばかり増していく。

「起きてらっしゃいましたか」
「悪いか」

見下す様な琥珀色の瞳が注がれようと、従者はまるで怯まない。

「サー・セシル=ヴィーゼンバーグよりお電話でございます」
「ふん」
「イギリス王宮の血を引く貴方をこれ以上アジアに住まわせるのは寛容出来かねる、と」
「だから何だ」
「公爵のお体が思わしくございません」

母方の祖母を指し示す単語に嘲笑う。娘は要らない癖に、アジアの血を引いた男子は要るのか・と。


「伝えとけ。後継者が欲しいなら腰使って作れとな」
「ヴィーゼンバーグには最早、殿下しか居られません」
「目障りだ、去れ」
「貴方は公爵の血を引く、」
「耳障りだ、黙れ」
「ベルハーツ殿下」
「黙って消えろっつってんだよ!」

投げ付けた煙草の空箱では何のダメージもないだろうが、非難する目を隠す様子もない従者は無言で背を向ける。


「…勝手な言い分ではございますが。私は、貴方をこんな国で飼い殺しにさせたくないのです」
「はっ、その台詞うちの親父の前で言ってみな。明日にはテメェ、太平洋で鮫の餌になれる」
「ジャパニーズマフィアに、貴方は不似合いだ」
「はっ」

親指で喉を切る仕草をすれば、今度こそ執事は沈黙した。


「極道舐めんじゃねぇ、高坂の兵隊連れて絞め殺すぞテメェら全員」

緩やかに閉まっていくエレベータードアへ嘲笑を浮かべ、







「See you, fuck.」


吐き捨てた台詞は、大嫌いなワンコに瓜二つ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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