帝王院高等学校
王子様とお姫様はともかくオカンだらけです!
「何、やってるんだ、僕は…」

行き先表示盤は最上階を示したまま沈黙し、閉ざされたエレベーターが再び開く事はなかった。

方舟が何処へ向かったのかなど、知る術はない。
例え親衛隊隊長の立場にあろうが、招かれていないとエレベーターは運んでさえくれない秘密のフロアだ。選ばれた者だけが乗れる方舟。
中央委員会会長の寝室の隣、『光炎』と刻まれたネームプレートを見つめ、心臓が張り裂けそうになったのは、いつの事だろう。

あの時は本当に、幸せだったのか。
今ではもう思い出せない。


「あんな脅しみたいな事を、言うつもりはなかった、のに」

無意識に握り締めていた右手を開けば、小刻みに震えている。羨ましかっただけだ。ただ、羨ましかった、それだけだ。
王子様から、まるでお姫様の様に抱かれ運ばれていく宮殿。それはどれほど幸せなのだろう。

幼馴染みが居た。
素朴で大人しく、初等科でルームメートになってからずっと、中等部まで親友だと思っていた、幼馴染みが。

『高坂日向君、格好いいね。今まで本校一位だった長内様を差し置いて、帝君だなんて』
『皆は可愛いって言ってるよ。それに本当の帝君は叶二葉さんだろ?編入が遅れるから、高坂君は代理じゃないか』
『それでも凄いじゃないか。たった1点差だよ?』
『そうだけど…』

純粋に、彼は尊敬していただけだ。
切欠は、誰もが遠巻きに眺めているだけの昇校生と、席順で隣になってしまっただけ。見た目はともかく、話してみると想像以上に男前だった昇校生に、最初は否定的だった自分も、いつからか淡い恋心を抱いた。

『好きになっちゃったの?』
『…ん』
『仕方ないよ、想いは誰にも止められない。でも非公式とは言え親衛隊が出来たって話だから、余り表沙汰にはしない方が良い。風紀委員会の先輩方も名を連ねてるらしいから』
『…判ってる。でも、友達だったら、良いよね?』
『うん。俺も応援するよ』

優しい、優しい、幼馴染み。
素朴な彼はすぐに日向と仲良くなり、その彼を仲介して自分もまた、日向と接する機会が増えた。



そして、事件は起きる。

大人しく、優しくて、大好きだった大切な幼馴染みが傷だらけで倒れていた。血と、他人の体液と、地獄じみた風紀室の真ん中で、手足を縛られたまま。



怒りなど微塵も。
恐怖はただ、その地獄の中央で、誰もが慕う風紀委員長がそれよりずっと小柄な男から胸ぐらを掴まれたまま、ひたすら、お許し下さいと、繰り返す中で、漸く。


『What is the big idea?(どう言う了見だ、カスが)』

およそ翻訳する事さえ難しかったスラングの意味は、後から調べた。
対人恐怖のトラウマを抱えて二度と復学する事はなかった幼馴染みは、今、何をしているのだろう。



『Fuck off "Cunt".(失せろ、「下等生物」。)』


あの瞬間、心は崩れ去ったのだろうか。
大切な親友を守る事さえ出来ず、ただ、ただ、怒りさえ超越した憎い相手を死ぬ直前まで痛め付けた彼を見つめる事しか出来なかった、あの瞬間に。





親友を犠牲にしてまで手にした親衛隊隊長の座。初めて目にした『光炎』のネームプレートを見つめ、心臓が張り裂けそうになったのは、いつの事だろう。

おめでとうございます、と。精一杯祝辞を送れば、新たな中央委員会副会長は欠片も嬉しそうには思えない表情で「ああ」と呟いた。



なんて幸せな、地獄の入り口だったのか。







『憂いに濡れた貴方へ曲を捧げましょう。



 空は澄み渡るカオススクリーン、抱くは淡く甘いハニームーン。







 望月を臨む、夜想曲を。』










誤って飲み込まぬよう細心の注意を払い、舌先に乗せたカプセルを留めたまま、水を含んだ。
寝かせた体躯を上から見下ろし、伸ばした手で長い髪を掻き分け、下から頭を持ち上げる。

薄く開いた唇を尚も押し開けば、流し込んだ薬剤と共に嚥下されていった。ゴクリと、震える喉仏が目に見える。

「ちっ、誰だよ」

悪い事などしていない筈だ。
然し見計らった様なタイミングで音を発てたのは、普段持ち歩く習慣のない私用の携帯。ふつふつと肌を擦った罪悪感に似た感覚は、説明しようがない。
頭を掻きながらクレードルから取り上げた画面を見れば、珍しい名前が記されている。登録してある全てのメモリはフルネームで入力してある為に、一瞬、同姓同名が居ただろうかと疑った程だ。

「Hello?」
『久し振りだな、日向。変わりはないか?』
「…久し振り。悪かったな、正月は慌ただしくしてよ」
『何、二葉は私の甥であり、お前にとっても弟の様なものだろう。いつでも二人で帰ってくれば良い』
「あれが弟とか、想像するだに寒気がするぜ」

微かに笑う気配が伝わってきた。
何を間違えればあんな男に嫁ぐのか、口数の少ない母親からの電話は、およそ必要な時しか掛かってくる事はない。狼狽えた姿など殆ど見た記憶のない、我が親ながら侍精神の持ち主だ。

「ンな事より、何かあったのか?」
『何もなければ掛けてはいかんか?』
「おい、息子を論破すんなや。悪かった、そんな意味じゃない」
『判っているさ。その…何だ、今な、父さんと来ているんだ』
「何処に?」
『学校に』
「…マジかよ、珍しいな。授業参観以来かよ」
『あれは日本ではなかったろうに』

呆れた様な声に笑い、そうだな、と相槌を返した。イギリスへ行く事を最後まで反対し続けた母親は、交流会の時に一度だけ、やって来た事がある。あれは帰国する直前だった。

「で、何処に居るんだよ。親父も一緒?」
『ああ、隣に居るが、代わるか?』
「いや、良い」
『もしもしひなちゃん?パパでちゅよー』
「殺すぞ失せろ母さんに戻せ今すぐ糞が」
『もしかして近くに恋人が居るんじゃないだろうな?こないだ掛けた時も、』
「やってもねぇ浮気捏造されたくなきゃお袋に渡せ。判るか?い・ま・す・ぐ!」

それまで穏やかだった表情が死滅した高坂日向の口撃は、実の父親を軽やかに絶望させたらしい。電話口の向こうから嘆く遠吠えが聞こえたが、息子は綺麗さっぱり無視した。

『父さんを余り泣かせるな日向。お前の成長を一番楽しみにしているんだぞ』
「や、寧ろ放任くらいで良い。あれだ、有り難迷惑」
『可愛くない奴だ』
「18にもなろう男を掴まえて可愛いも糞もないだろうが…」
『子供は幾つになろうが可愛いものさ』

敵わないな、と、小さくぼやいて、ごろりと寝返りを打ったソファの上へ目を走らせる。すぐに起きるだろうと思ってそこへ寝かせたが、どうも熟睡している様だ。

『忙しいとは思うが、後で顔を見せてくれ。暫く催し物を見せて貰うよ』
「判った。何かあればすぐに連絡してくれ、駆け付けるから」
『頼りにしているよ。ではな』
「ああ。来てくれて有難う」
『しおらしい事を言うな、望むなら毎日来てやるぞ』
「それは…流石に…」
『冗談が通じない男はスマートじゃないぞ』

何処か楽しげな声を最後に、会話は終了した。
慣れ育った国ではない他国で、常に大所帯の面倒を見ている人だ。稀な外出に、案外楽しんでいるのかも知れない。

「セントラルライン・オープン、コード:ディアブロからコード:セカンドへ」
『…99%、通信が切断されました』
「野郎、俺様をブチるたぁ好い度胸だ。まぁ良い、風紀委員へ通達を頼む。一般入場者の混乱回避を第一優先にしろ」
『了解。全員へ通達を送信します。ご命令は以上で宜しいでしょうか』
「セントラルライン・クローズ」

用は終わったと、腰掛けていたソファの肘掛けから立ち上がれば、寝転んだまま頬杖をついていた男と目があった。
つい今まで寝ていたのではないかと僅かにたじろいだが、どうやら、半分は狸寝入りだったらしい。

にまっと勝ち誇った笑みを浮かべた佑壱の唇から、鋭い八重歯が覗く。

「ふ。女男からは脅されて、うぜぇ後輩は甲斐甲斐しく看護して、挙げ句の果てには叶の尻拭いかよ。忙しいこったな、副会長っつーのは」
「…起きてんならテメェの足で歩け馬鹿犬。何度も何度もデケェ図体運ばせやがって」
「いやー、楽すぎて、つい」
「畜生が。味占めてやがる」

布の多い正装を解き、ソファの上で褐色の上半身を晒した男は長い髪を掻き上げ、

「あーあ、動くのも面倒臭ぇな。…違ぇ、面倒なのは生きる方だ。ダリィ」
「あ?」
「負けても生きてるなんて不自然だろ。自然界じゃ有り得ねぇ。喰われたら終わりだ。…違うか?」
「何また下らねぇ事をほざいてやがる、テメェは」
「どうせ俺は、端からお前に負けてんだろ」

にかっと。
清々しいほど爽やかに、いっそ、それこそ不自然なほど晴れやかに笑う顔を直視して、眉間が痙き攣った。

「同情ですらないお節介は残酷だぜベルハーツ。お優しいテメーは、俺なんか相手にしちゃいねぇってか」
「喧嘩売ってんのか。つまんねぇ事をほざいてんじゃねぇ」
「死にたい」

手が伸びたのは無意識だ。
きょとんと目を丸めている佑壱の口元に、大きな手が見える。ああ、成程、自分が塞いだのか、などと他人事の様に。

「馬鹿が一匹死んだ所で、葬儀屋が小銭稼ぐだけだ。巫山けた事抜かしてる暇があるなら、薬飲め」
「っ、は。…テメーに関係ねぇだろうが、お節介野郎。お前はあれか、俺の老後まで面倒見るつもりか?あ?見れねぇだろうが、生半可な節介焼いてんじゃねぇぞチビが」

上等だ見てやろうじゃねぇか、などと買い言葉を叫ばなかっただけ、僥倖ではないだろうか。宣った瞬間、全ての主導権はあちら側に委ねられる。

「少々チンコが長いからって勝った気になるな、偏屈貴族。これだから貴族は」
「誰が、チビだ。テメェのが小さいだろうが。ついでに言えば、お前の家も男爵だろうに」
「Shit! 間違えた。未だにテメーがデカいのは慣れねぇんだよ、縮め」
「無理言うな、慣れろ」

見るな、と、思えば思うほどに見てしまう、慎ましい乳首。
どう鍛えればそうなるんだと羨ましいばかりにムキムキ無駄な筋肉に覆われた胸板に、目を凝らせば『あ、ある』程度の小さな突起を一撃で見つけてしまえる己の浅はかさに泣きたい気分だが、努めてポーカーフェイスを装い、サイドテーブルのウォーターボトルを手に取った。

「あーあ…。おい高坂、素朴な疑問があんだけどよ」
「あ?つまんねぇ事訊いたら殴るぞ」
「真剣な話だ」
「何だよ」
「背が伸びる前からアレだったんだろ?それを考えると何っつーか、アレだよなぁ…」
「は?何の指事語だよ、そりゃ」
「え?チンコの話。正味な話、いつからあのデカさな訳?毛はいつから生えてた?」

温いボトルの感触に、そう言えば帰宅した際、世話役のバトラーを部屋へ入れていない事を思い出す。ミネラルボトルを投げ付けなかった自分を誉めてやりたい気分だ。

「姫とか言われてた癖にあんな悍しいモンぶら下げてた訳だろ?ホラーっつーか、オカルトっつーか、何つーか」
「おい早漏、そのデカい独り言はいつ終わるんだ」
「シカトですか」
「冷蔵庫に水あったか?」
「野菜室にぶっ込んである。テメーな、ワインをチルドに入れんじゃねぇ。セラーがないなら野菜室に入れろ。野菜室はあれだ、万能なんだ。覚えとけ世間知らずが」
「はいはい」
「はいは一回!」
「うぜぇ。説教臭ぇって言われねぇか、お前はよ」
「隼人と健吾からは毎週言われてっけど、何か文句あんのか」

言われてんのかよ、と、呆れ半分、ボトルの水をシンクに流し、普段は決して開ける事のない冷蔵庫の最下段を引き開けた。
性格が出ているのか否か、元々何も入っていなかった野菜室には乾燥若芽の袋がちょこんと一つ。後は綺麗に並べられたミネラルウォーターのボトルと、贈り物のワインボトルが見えるばかり。

「…あ?この若芽、期限切れてんじゃねぇか。乾物だから良いのか?」

ボトルを一つ掴み、グラスへ手を伸ばしながらリビングへ乾燥若芽の進退を問えば、親指を立てた佑壱は一言、『不信任案可決』と宣った。
成程、捨てるに捨てられなかったらしい。袋の中を覗けば、欠片じみたカスが幾つか入っていただけだ。

「あんなもん後生大事に取ってんじゃねぇ。とっとと捨てろ」
「馬鹿野郎、ワカメちゃんの復元力を舐めてんじゃねぇ。あれを全部水で戻してたらお前、今朝の味噌汁はミソスープ飛び越えて味噌入りワカメスープになってた所だぞ」
「若芽が少しばかり多いくらいで大袈裟だろ」
「総長は美味しく食べるだろうが、採点が落ちる。今日だと71点から53点だな」
「シュン?」
「総長のグルメテストを舐めんな。総長が80点以上付けた商品は必ず馬鹿売れする」
「んな阿呆な…」

グラスに水を注いでやり、無意識で甲斐甲斐しくカプセルを取り出してやれば、世話を焼く事も焼かれる事も慣れているらしい佑壱は渋々あーんと口を開いた。
飲ませろ、と言う事らしい。投げ込む勢いで口の中へカプセルを叩き込めば、ごきゅごきゅと良い音を発てて水を飲み干した佑壱は口元を拭い、ふーっと息を吐く。

「冷えた水は、やばいな」
「そろそろまともな日本語を使え」
「口移しも出来ないヘタレな日向きゅんにぃ、言われたくないんですけどぉ」
「お前はあれか、実はそっちの気があんのか?」
「そっちの毛?生えてるに決まってんだろ、知ってる癖に」
「………」
「ぎゃはは!怒った?怒った?光王子閣下、怒っちゃった?」

殺すか犯してやろうかと本気でメラっとしたが、後悔するのはどちらにせよ自分なので沈黙を貫けば、ぐっ、と、ネクタイを引っ張られた。


ブチュ。
ムードの欠片もない、噛み付く様なキスで塞がれた唇。腹立たしい事この上ないが、何度受けても『慣れている』としか言い様がない。
何十人、いや、何百人。ああ、考えるだに腹立たしい。


「お節介ジジイにご褒美だ。因みに俺は10歳で生え揃いました。誰にも言ってない秘密ー!嬉しいか?嬉しいんだろ?何だその微妙な顔は、あ?有り難がれハゲが」

ブスブス頬を連打してくる太い指を振り払えば、ふん、と鼻で笑った赤毛は小指で鼻を穿る。見た目を裏切る行為だ、などと、考えているのは自分だけだと判っているので口にはしない。

「うっわ、馬鹿デケェ鼻くそ出た。見る?」
「この世から消えろ」
「ノリの悪いジジイは合コンモテねぇぞ」

これが『天使』に見える方が、可笑しいのだ。一般的に。

「…人を年寄り扱いしてんじゃねぇ。つーかテメェ、合コンなんか行ってんのか?」
「あー、いっぺんな」
「マジかよ」
「ンな事より、さっきの奴お前見覚えあっか?」
「…あ?さっきの?」
「あのチビ餓鬼」

すっと目を細めた佑壱の手がネクタイから離れた。

「柔道、空手、柔術…混ざってるがありゃベースは合気道だな。他にも幾つか…」
「すばしっこい餓鬼だが、リーチの差で負けはしねぇだろ。テメェがまともに飲んでおけば、負ける相手じゃなかった」
「俺ぁ、懐に入ってナンボのボクサーだぞ。距離詰めたら判る。あれは、そこらの餓鬼の動きじゃねぇ」
「ふん?」
「最初から、違和感があったんだ。…昔の総長に似てる」
「はぁ?」
「自分で遠野俊だってほざいてたからな。いや、正確には…違うだろうが」

左手に幾つか付けられた指輪へ目を落とした佑壱が、ボリボリと頭を掻く。恐らく回線を開こうか悩んでいるのだろうが、何を悩む必要があるのか。

「おい?」
「総長にも、バレてたんかな」
「あ?何がだ」
「俺が総長を調べてた事だよ」
「…調べてた?いつの話だ」
「正月にあの人が居なくなってから、先月まで」
「マジかよ」

ボトルとグラスの側面を滑る水滴がテーブルを濡らし、二つの円を描いた。人の頬を遠慮なく連打したり鼻を穿ったり、まともな事をしない指先がボトルを掴み、キャップを捻る。

「ごっごっごっ、ぷはっ!ふー…。鷹翼に在籍履歴はなかったんだ。学ランの学校は片っ端から調べたからな。なのに先月末には確かに居なかった筈の生徒が増えてた。Do you like it?(どう思う?)」
「And, what do you say?(何だそりゃ)」
「You right exactly!(ま、そうなるわな) しかもその生徒の名前が『遠野舜』ってなると、怪しまねぇ方が可笑しい」

メキッと軋んだプラスチックは容易に潰れ、そのまま握り締められたまま。パキッと鋭く割れた音は恐らく、同じく握られたままだったキャップの断末魔だろう。

「大体、俺は最初から名前を知………っと、何でテメーなんかに語ってんだ俺は…。おい、捨てとけ」
「ちっ。何様だテメェ」
「ちっちっちっちっ、毎日毎日良く鳴る舌だなぁ、テメーはよ。行儀悪ぃ」
「You are a bloody idiot, Snivel.(舐めてんのか鼻糞野郎)」

わざと、だとしたら余りにも馬鹿だ。曰く、アメリカ人から嫌われる理由第一位、『ブラッディイングリッシュ』を使えば伝わらないだろう、などと。

やはり、冷静ではなかった。



「Ha bloody ha.(舐めてませんけどぉ)」

まるで生まれた頃からロンドンで暮らしていました、とばかりに、痛烈な英語が返ってくる。何と馬鹿な勝負を挑んだのか我ながら情けなかった。
小指をふりふり、二つの意味の「舐めてない」、比喩の方は当てにならないのは明らかだ。

「テメー、耳掃除しねぇんだろ?生まれてこの方した事ねぇんだろ?それともあれか、オカマ共に穿らせてんのか。どっちにしろエンガチョ!」
「I want to give you a bloody nose.(テメェの鼻、へし折ってやろうか)」
「You joke’s dead. Let’s go somewhere else.(うわ、冗談の通じねぇ奴。放っとこ)」

本気で殴ってやろうかと思ったが、鼻唄など歌いながらゴミを手にシンクへ消えていった背中は、言う割りに楽しげだった。

「昼飯どうすっかね。おい高坂、何か食いたいもん、」

何処かで聞いた覚えがある流行りの歌はまるで子守唄、ソファへ深く背を預ければ、瞼が徐々に重さを増す。

「あ?寝てんのか?」
「起き、てんだろ、が」
「いや、完全に寝る体勢じゃねぇか。寝るなら服脱いどけ、皺になんだろうが。つーかベッド行け」
「…後、で、纏めてクリーニング…出す、から…」
「纏めて、だぁ?下着は自分で洗うもんだろうが。ったく、これだからボンボンは…」

ぶつぶつ、ぶつぶつ、小言すら寝物語の様に。
脱がされていく様な感覚。一瞬、親衛隊など呼んだだろうかと考えて、


「っしょ!…ったく、何が王子様だか。二日酔いなんざ自業自得だっつーの、馬鹿猫が」

体が浮いた様な気がしたのは、夢に落ちる間際だからだろうか。












「シスター、あれを」
「…ああ、命の恩人を探す前に、マリアを見つけた」

傍らの少女がキャップを深く被り、囁いた声に息を吐く。無意識だろう。庇う様に身を乗り出してきた息子を横目に小さく笑い、彼の肘を軽く叩いた。

「退きなさい、ゼロ」
「あ…ああ」

キラキラと、光を帯びた美しいブロンドが見える。シルバーが入った白味掛かった自分とは違う、それは見事なゴールドブロンドだった。

「失礼、Ms.クリス=グレアムとお見受けするが、宜しかったでしょうか?」
「ご無沙汰しております、Mrs.高坂。私の事はどうか、嵯峨崎と」
「これは申し訳ない事を。他意は、」
「I see, no problem.(お気遣いなく)」

何とも気不味い表情なのは、男陣だ。互いに見映えの良い男を連れているらしいと素早く視線を走らせ、若いだけに居心地が悪そうな零人の手を掴む。

「これは長男の零人と申します。ベルハーツ殿下へ一度ご挨拶をと思っておりましたが、ご両親の許可なく接見を申し出ようとは、不躾な事を考えたものです。非礼、お許し下さい」
「なっ、頭など下げられるな!全ては我が子が自身で決めた事。長きに渡り不敬を働いてきたヴィーゼンバーグを許せない気持ちは承知の上、どうか、今の私は生家とは無関係であるものと!」
「然し…それでは私は主人から叱られてしまいます」

何と天晴れな人だ。
カッと目を見開き、若干目線が高い女性を見やる。こうしてまじまじと見るのは初めてだが、流石は歴代美女ばかりと名高いヴィーゼンバーグの血だ。
父親は入婿だったが、ヴィーゼンバーグの末端の分家の出自で、母親は現当主の従妹に当たる。どちらも元はヴィーゼンバーグの出身だった。十等親以上離れている為、実際は他人だとしても。

「アレク、此処で立ち話じゃ目立つ。何処かでコーヒーでも」
「あ、ああ、そう、そうだな。Ms.嵯峨崎、お茶を共にしては頂けないでしょうか。それから、私の事はどうぞファーストネームで」
「ああ、Ms.だなんて、どうぞクリスと呼んで下さい。願ってもないお誘いです、Mrs.アリー。実はかき氷が美味しいと、知人から聞いておりまして」
「Mrs.クリスもですか?実は私も甥からかき氷を勧められているんです。何でも、宇治抹茶が人気だと」

甥。
ちらりと息子を見上げれば、どうやら同じ事を考えたらしい零人の顔は凄かった。佑壱を可愛がり過ぎて盛大に嫌われている苛めっこにも、苦手なものはあるものだ。

「ディアブロ…こほん。もしかして、セカンドでは?」
「その通り、二葉からです。では、クリスさんも?」
「いえ、私の方はこの子…零人が教え子から聞いた話でして。な、ゼロ」
「そう、後輩の山田から、」
「「山田?!」」

食い付いたのはそれまで黙っていた組長と、俯いていた少女だった。ビクッと震えた嵯峨崎親子は目を丸める高坂婦人と共に、きょとんと首を傾げる。

「山田山田、そう言えばアイツ一向に連絡して来ねぇな。存在感薄くて忘れてたぜ」
「山田…それってまさか、カルマの新しい総長、山田タイヨウの事?!佑壱様を言いなりにしてる、あのチビ!」
「あらん、アリィ?」
「山田?」

組長が携帯を開き、歯噛みした少女が拳を鳴らした瞬間、重なった二つの声はのほほん、と。

「トシ?!おま、お前、何つー格好してんだ?!って、ううう後ろのそれっ、」
「シェリー?!何故こんな所に、」
「俊江?!君、俊江じゃないか?!」
「おまわりと、あれれィ?チミはクリスティーニュじゃないかァ。相変わらず美人ねィ、つーか三人共知り合いだったざますん?」

組長がポカンと口を開いて見つめる先、艶やかな漆黒の双眸を緩く細めた男は自慢の美貌に『嫉妬なう』とデカデカ書いて、囁いたのだ。

「シエが一番綺麗だ。」
「きゃ!シューちゃんったら、目が腐ってるんだから!きゃ!」
「…お二人共、勝手に離れないよう申し上げておいた筈だが」
「「あ、さーせん」」
「ネ、ルヴァ…」
「これはクリス殿下、ご機嫌如何がかな」

ポカンと。
天然夫婦以外の全てが、目を見開いた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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