帝王院高等学校
ゆらり、ゆらり、ゆらゆらり
「目が覚めた様だな。耳は、聞こえているか?」

どのくらい眠っていたのか、その時は判らなかった。

見知らぬ部屋の見知らぬ壁に、窓は一枚もない。
白い部屋の中、白いベッドの上に、白いブランケットを掛けられて横たわる自分の腕は、酷く白かった。
ブランケットを這う細いチューブを目で辿れば、薄黄色い液体パックが終点だ。


「こ、え…出、な…ぃ?」
「暫くは、思う様に喋る事は出来んだろう」
「…?」
「然しそれは問題ではない。寝ていた時間に比べれば、僅かな間だ」

白い服を纏う男の髪と目は鮮やかなほど黒く、力強い存在感を、その時は放っている様に見えた。

けれどその髪には幾らか、白髪が混ざっていた。
気付いたのは随分後だ。


「意識はしっかりしている」
「っ」
「反射に問題はないな」

ペンライトを目に当てられて、眩しいと反射的に瞼を閉じる。そしてその瞬間に、全てを思い出したのだ。

「ふ…たば、は…?お、かあさま、と、ふた、ば」
「それを知るのは今ではない」

冷たい声にぞくりと粟立つ肌。

「でも、」
「尤も、素直に受け入れる一族ではないだろう。それはお前が良く知る所ではないか」
「ど、うして、そんなこ、と…」

然し此処で退いてなるものかと、重い重い体を持ち上げれば、細く透ける様に白い腕は、記憶の中よりずっと、長かった。


「………、え?」

指も。
撥ね飛ばしたブランケットの下の、骨を皮で包んだ様な見窄らしい脚も。まるで、大人の様だ。

これは、誰のものなのか。

動く。
鈍いながらも意識通り、何故、見知らぬ指先は、動くのだろう。

「な、に…これ」
「今はまだ、最高学府の医療研究所ですら取り扱ってはおらんだろう。損傷した大脳を完全に復元するまでに数年、今日までに更に数年」
「…」
「何、単純な足し算だ。答えは出たか」


此処は未来なの、と。
ぼんやり、呟いた言葉に男は、表情を変える事なく。



「誰にも起こり得る、単純な現実だ。」






ゆらり、ゆらり、意識は無慈悲な現実へと、溶けていく。











言葉を失った男達へ、ゆったりと微笑み掛ける自分はまるで俳優の様だ。と、肚の内で浮かべた嘲笑に温度はない。

「ご理解頂けましたか?」
「そ、んな、馬鹿な…」
「お祖母様へはくれぐれも宜しくお伝え下さい。不出来な孫は、曾孫をお見せ出来ない不完全な体であると」

用は終わったとばかりに立ち上がり、恭しく頭を下げる執事が開いたドアを潜り抜ける。
広いばかりの古い洋館は人の気配がなく、親戚だと言われた所で他人に等しい自称叔父やら従兄弟やらは、追い掛けては来なかった。

空気は読めるらしいと冷ややかな笑みを静かに溢せば、鼻で笑う、誰かの声。

「…よぉ、腹黒。面白ぇ話をしてたじゃねぇか」
「乙女座の化身ヴァーゴと謳われる私に対して腹黒だなんて、悪いお口ですねぇ、高坂君」
「どの口が抜かしてやがる。何が乙女だ、魔女の間違いだろう」
「おやおや、確かにヴィーゼンバーグは女系一族ですからねぇ」

お久し振りです・と。
およそ78時間振りに見た本物の従兄は相変わらず小さく、ポンポンと黄金の頭を撫でてやれば、鋭く振り払われた。

「気安く触るなカスが」
「ご機嫌が宜しくない様ですねぇ。私がほんの少し本社へ戻っていた間に、見事3度も命を狙われるなんて、モテると言うのも考えものでしょう」
「ふん」
「ま、返り討ちにした所は褒めてやろう。お前が雑魚に殺されてたら愉快過ぎて笑い転げてただろうがな」

血縁関係など些細なものだ。
毒々しいほど煌めいている蒼眼が歪み、唇と共に嘲笑う様は絵になり過ぎている。男も女も惑わせる化物を前にして、その魅力に一度たりとも惑わされた事のない自分はやはり、魔女の血を引いているのだろうか。
高坂日向はそう心の中で呟き、息を吐いた。

「所で、君の診察結果は聞きましたか?」
「ああ。大した事じゃねぇ」
「大した事じゃない、ね。君の場合、細胞分裂の速度が常人のおよそ半分ですよ?つまり怪我をしたら治り難い、あの子とは正反対ですねぇ」
「だから適合したんだろうが。今更、何を下らねぇ事を…」
「治っていませんね?いえ、正確には完治していませんね、その背中」

来年には日向も二葉も中学生である。
然し日向の 体格は同世代の誰よりも小さく、髪が伸びるのも遅い。丸一年切っていないのに最後に切った日から殆ど変わっていないのではないかとさえ、危ぶむ程には。

「マチルダ=ヴィーゼンバーグ…つまり私の父も同じだったそうです。父の死因は、若い頃の怪我が原因でした」
「…初耳だ」
「私も初めて聞きましたからねぇ。母は生まれつき骨格が弱く、成人するまで外出した事のない箱入り娘でした。父と出逢ったのは、日英交流会に招かれた父が、叶の屋敷の茶会に招かれた時だそうです」

箱入り娘と貴族の嫡子。
身分違いかどうかの前に、国籍が違う二人に共通点は一つもなかったと思われた。

そう語り部の様に前置いた二葉はゆったりと笑み、

「然し、あったんですねぇ、一つだけ」
「あ?」
「お互いに、親から愛され過ぎていた。その一点のみ」

その笑みを見れば「愛され過ぎていた」と言う言葉が文字通りではない事くらい、誰でも理解出来た。小学六年生とはとても思えない成熟した顔立ちは凍える程の嘲笑を浮かべたまま、つかつかと何処ぞへ歩いていく。
付いてこいとは一言も言われてはいないが、付いてくるなとも言われていないので、高坂日向は仕方なく追い掛けた。どうやらそれは正解だったらしい。
二葉がいつまでも、来るなとは言わなかったからだ。

「さてと。壁に耳ありと言いますし、此所まで来れば盗み聞きの心配もないでしょう」
「そりゃ、使われてない物置小屋まで来れば、な」
「使われてない…?ふふ、ご冗談を。いつも此所で、君がメイドやマダム方を花開かせている事などとっくに耳に入っていますよ」
「余計な世話すんな、どスケベ」
「モテる男は辛いですねぇ。幾らお祖母様が認めなくとも、周りを固めていけばいずれこの屋敷は君のものになるでしょう。必然的に、無能な男共が気に食わないのも無理はない」
「餓鬼の命狙ってる暇があんなら、テメェん所の嫁の股くらい管理しとけっつっとけ」
「益々汚い日本語に仕上がってきましたねぇ。ふぅ、誰の所為でしょう」

お前以外の誰が居るんだ、と。
喉まで込み上げてきた罵倒を飲み込んだ。言うだけ無駄だからだ。

「大学の方へも顔を出そうとしたんですが、面倒な男が一人居るのでキャンセルしてまで早めに帰ってきてあげたんですよ?嬉しいでしょう、高坂君」
「あー、嬉しいなー。いつか抱いてやるからなー」
「おやおや、股間の高坂君はともかく、本体の高坂君は私にキスも出来ないでしょう?背伸びしないと届きませんし」
「犯すぞテメェ、届くに決まってんだろうが!」

とっとと大学を卒業し大学院を牛耳って最年少で物理学教授にまで上り詰めた数学好きは、然し日向が渡英して間もなく、同じくイギリスへ渡った。
アメリカ大陸は目と鼻の先、プライベートジェットがあれば往復数時間だ。今は警護の片手間に、週一度の円卓会議に出席する為、真夜中にアメリカへ出掛けるだけ。

「うぜぇ。何でテメェなんかに…」
「たった一人しか居ない叔母様のお願いですのでねぇ。とは言え、君の警護は陛下の命でもありますので、邪険にしないで下さいよ」
「遠縁だから、か?名ばかりの他人だろうに」
「仕方ないでしょう、グレアムには君を守らねばならない理由がある」

だった、が、正解だ。
この数日イギリス内にもアメリカ内にも居なかった二葉は、日本へ帰省していた。

曰く、兄が煩いそうだ。
何年も年に一度だけ、母親の命日にだけ面倒臭いと呟きながら帰省していた二葉は、男らしく成長した最近、実家の生徒らに人気らしい。

「…守って貰わなくて結構だ。餓鬼じゃねぇ」
「お子様でしょう?140cmの君など、ちょちょいと捻られておしまいですよ」
「図体ばっかのテメェよりマシだ。どうせまた、正面玄関の場所が判らなくなっただけだろ」
「高坂君がエスコートしてくれても宜しいのですよ?手取り足取り…尻取り、ねぇ?」

皮肉が通じるような相手ではなかった。
地図を見ても道を間違える特技を持つ性悪には、正論を言っても迷子になるだけだ。そう、心の迷子に。

「ファーストは私と然程変わらない身長でしたよ。170まではないとしても、近い程度はあったでしょうねぇ」
「…会ったのかよ」
「いえ、部下が張り付いているので写真も動画も思うがままと言うだけです」
「…」
「帝王院本校の初等部初等科では、4・5年生は調理実習があるそうですが、ふぅ。ホタテバターの調理中に髪を燃やしてしまった彼は、その場で刺身包丁を掴み断髪式を繰り広げた、と」
「は、あ?」

ジャケットの胸ポケットに仕込んでいたらしい写真を取り出した二葉が、わざとらしく額に手を当てたまま写真を一瞥し、ふるふると頭を振った。どうやら、それを見せてくれる気はさらさらない。判っていただけに、裏切らない男だ。
見せてくれと頼めば頼んだだけ嬉々として隠すだろうし、無関心を装えばそれはそれで、見せてくれる筈はない。

この男は悪魔だ。乙女でも魔女でも何でもなく、ただの悪魔だ。

「どうせすぐ伸びるから良いとか何とか、悲鳴を上げた教師に吐き捨てたそうです。で、その時の刺身包丁の切れ味に感激して、是非とも買い取りたいと駄々を捏ねたとか」
「想像がつくにしても、男らしい奴だ。ルークには似てねぇな」
「おやおや、そうですか?陛下でしたら、気が向いた時に極普通の工作用の鋏でばっさり切っちゃいそうな気がしない事もありませんけど」
「奴が髪を切った時なんざあったか?」
「記憶にありませんねぇ。私が陛下にお会いしたのはアメリカでですが、以来、一度も切ってはおられません。専属ヘアメイクがお手入れはしてますが」

日向の絶妙な食い付き加減に呆れたのか、単に写真を持つ事に飽きたのか、二葉の手袋を嵌めた右手からひらりと写真が落ちる。
拾う事もなくちらりと一瞥すれば、残念ながら裏側だった。つくづく、悪魔が計算しているのではないかと疑ってしまう。

「んな事より、実家はどうだったんだよ。俺はテメェにチンコがねぇなんて話、聞いた事はないぞ」
「嫌ですねぇ、立派なものがついてますよ。恥ずかしいのですが…愛しい高坂君にはお見せしましょう」
「愛しているから言わせて貰うが死ね」
「うふふ、見たい癖にぃ」
「マジで今すぐ死ねば良いのに…」 
「So far as I know you are really honest.(君は正直者です)」

いきなり何を、と。
日向が大きな琥珀の瞳を瞬かせれば、屈み込んで写真を拾い上げた二葉はパタパタと埃を払い、肩を竦めた。

「And, you are dead earnest to the best of my knowledge.(そして、私が知る限り最も真面目でもある)」
「No no no it can’t be true! You flatter me, No serious, No square, Am I Earnest that you said?(皮肉のつもりか!堅物でも石頭でもなく、真面目っつったか?)」
「ええ。ですから隠さず言っておきますが、表向き私はアンドロジナスと公表しました」

聞き覚えのない単語だった。
数年イギリスで生活しているが、高校レベルの自主学習をしている日向には訳せない。それが、和製英語なのか英語なのかさえ、判断が付かなかった。

「You know androgynous species?(君は半陰陽と言う種族を知っていますか?)」

だから、その答えはノー以外の何でもない。素直にふるふると首を振れば、褒美とばかりに写真を渡された。

「この世には雄雌の区別がない生物がいます。細胞分裂で増える単細胞プランクトンなどが、良い例になりますかねぇ」

紅い、短い髪の、記憶よりも成長した『天使』が映っている。洒落た柄のエプロンは、周囲の誰よりも目を惹いた。

「So cute.(かわいい)」
「恥ずかしげもなく宣えるのはこの国の住民が誇れる最たる美徳でしょうが、一度眼科医を受診する事をお勧めします」
「…人の好みに口出してんじゃねぇ。俺は今から出掛けるから、勝手にストーカーしてろ単細胞」
「おやおや、いつ私がプランクトンだと言いましたか。お馬鹿ですねぇ」
「テメェの話なんざ90%以上嘘だらけだろ。真面目に聞くだけ無駄だ」
「おや?」

そこから話は殆ど聞いていない。
いつも同じブラウスにサスペンダー、自分の姿が酷く恥ずかしく思えたからだ。

「それはそうと、来年ですが、君は先に帰国していて下さい」
「…あ?テメェも編入手続き取ってんじゃねぇのか?」
「少し面倒な動きをしている社員が居ましてねぇ。陛下は重視しておられない様ですが、後々の事を考えて、根絶やしにしておこうかと」
「ま、好きにすれば良いんじゃねぇか。精々『陛下』のご機嫌取りしてろや」

スーツ以外には黒いタンクトップと同じく黒いパンツしか持っていない二葉は最早、邪魔でしかなかった。

「ああ、そうそう。ファーストが近頃、寮を抜け出して夜遊びを始めたそうです」

埃臭い小屋に悪魔を置き去りにすれば、そんな声が追い掛けてくる。

「外は物騒ですよねぇ。とは言え、屋内が物騒ではないとは言いませんが」
「お前、ババアに呼ばれてんじゃねぇのか」
「いいえ、そもそも冗談でも利益のないセックスはしませんよ。役に立たなかった時が面倒でしょう?まぁ、私に出来ない事などないでしょうけど」

躊躇わず蹴り閉めたドア。
悪魔があの中であの時、一体どんな顔をしていたのか、など。



「私は、両親の憎悪が生んだ最高傑作ですからねぇ」


知りもせずに。











「あ、」

小さく声を漏らし足を止めた背中につられ足を止めれば、彼の前に長身の背が見えた。
まるで庇うかの如く、山田太陽の前で背を向けているそれは、ほぼ金に等しい茶の髪だ。

「…ふぅん、腐っても空蝉かぁ…」
「え?」
「此処に居たのか、天の君」

肩越しに振り返った太陽に笑みを一つ、どうも独り言が抜けないと心の中で己を戒めながら目を向ければ、データの何処にも該当しない人物が立っていた。

「あらん?」

見れば見るほどに、怪しい。
明らかにカツラだろうボサボサの黒髪に、野暮ったい眼鏡は太いフレームの黒縁だ。日本平均を遥かに嘲笑う長身の、無駄に長い足がモデルの体型を超えているではないか。

「ねえ、怪しいひとー。気安く話し掛けてくんじゃねーよ。隼人君のサインが欲しいなら特別に書いたげるからさあ、さっさと色紙出してえ?」
「モテキングさん、座高で勝ってますにょ」
「あは。ボス、悪口は聞こえないよーにゆってねえ?隼人君、泣いちゃうにょー」
「僕ってば誉めたつもりでしたの」
「なおのことダメージでかいんですけどお。悪気のない悪口いくないよ、メモっといてねえ」
「はァい。メモメモ」

元気良く手を挙げて、然し内心ではどうしたものかと思案ばかり。データに該当しない相手に対しては、下手に口を開かない方が無難だ。

「俊、あの、何か用みたいだよー?」

邪魔だな、と。
口を衝いて出そうになった言葉を慌てて飲み込んだ。悪気のない邪魔、確かにこれは宜しくはない。

「タイヨウ君、今こそ黒いの出す時っしょ!(´▽`)」
「えっ、黒いの?何それ?」
「無意識かよ。恐い奴だぜ、山田」
「え?!ちょっと待って藤倉君、どゆこと?!」
「ちょっとうっさいよお、今シリアスな場面だからさあ、三人共黙ってろい」
「「「はい」」」

つくづく気に入りそうにない・と、自分より背も低く、風が吹けば飛びそうな程ペラペラしている体躯を一瞥した。



「俊?」

山田太陽。
この一ヶ月の間に、何度となく邪魔をされた。いつもいつも視界に入ってくる、面倒な子供。
俊の隣だけではなく、あの子の隣に、さえ。

「困りましたわねィ。カイちゃんが、怪しい人にはついていくなって言ってたにょ」
「はい?ちょっと待って、何の話に切り替わった?確かに怪しい…けど、話を聞くくらいはいいじゃんか」
「えー、だったらタイヨーが代わりに聞いたらイイにょ。僕ちん気分は既にフェスティバルモードですのょ?一分一秒が惜しいんざます。遊びたいお年頃☆」

大したものではないが、軽い怪我を負ったと言う榊を連れて治療班の元へ向かった獅楼と、姿の見えない錦織要、もう一人、先程からずっと沈黙している子供。
問題は山積みだ。余りにも。

「あの、何かご用があるなら伺います、けど」
「俺は天の君を連れていかねばならない。済まないが時の君、これはパパ上の命でもある。下がっていてくれ」
「はい?連れてくと言われても…ん?今パパ上っつった?気の所為…?んん?あ、ちょ、俊?!」
「僕お忙しいので、さよーなら」

面倒は勘弁とばかりに踵を返し、外へ飛び出した。

「天の君、これは鬼ごっこか?鬼ごっこがしたいのか?」
「ついてこないで下さいます?」
「良いだろう。俺が捕まえた暁には、」


何が面倒だと言えば、変質者が追い掛けてきた事だろう。



「幾つか、話をしたい。」

他の子供達を撒くのは簡単だったが、いつまでもついてきたのは、彼だけだった。





ゆらり、ゆらり、ゆらゆらり。
周りの景色はただ、流れていく。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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