帝王院高等学校
あれよあれよと言う間に式典開始
「ご覧なさい、人がゴミの様ではありませんか」

にこやかに閉じた扇子で下唇を叩く男の台詞に、無理矢理隣に座らせられた男はビキッと筋立ってしまったこめかみを押さえた。
平常心、平常心、平常心。今まで携わってきたあらゆる手術で何度も唱えてきた魔法の言葉は、唱える度に何故か苛立ちを増やす。年下相手に狼狽えるのは情けないぞと、自分を嗜めたのは何百回目になるか。

「ああ、あれあれ。ほら、ステージの脇に眼鏡を掛けている細い子が居るでしょう。判りますか?」
「…は?背が高い、あの子ですか?風紀委員の腕章を付けた生徒に囲まれてる」
「そうです」
「最近の子は皆、本当に綺麗な顔をしてますね。む?嫌に誰かに似てる様な…」
「あれが下の弟でしてねぇ。今3年生なんですよ。可愛いでしょう、目の中に閉じ込めても心が痛まないほど」

日本語が色々可笑しいとは思ったが、指摘するだけ無駄だ。意地悪なお局様の様にどうでも良い事を指摘して喜ぶ趣味はないし、出来るだけこの男とは会話をしたくない。
特別貴賓席だと言うアリーナは、向かい側には人が詰めかけていたが、こちら側には自分と腹黒とSP数人だけだ。場違い過ぎる。

『文仁、何だか映画館の様な臨場感があるねぇ。映画館と言えば…』

ジュースとポップコーンを買ってくると颯爽と居なくなった長身、腹黒の弟はいつ戻ってくるのか。性別を疑ってしまうほど綺麗な顔をしていたが、性格は悪くなさそうだった。外見にそぐわず、柄はかなり悪かったが。

「…はぁ。貴方の心が痛もうが停止しようが、俺個人としては全く構わないんですが」
「遠野先輩…後輩の心臓が止まっても構わないなんて、お母様のお腹の中に人の心を忘れてきたんですねぇ」
「誰が先輩で誰が後輩ですか」
「は!…まさか、私より文仁が好みなんですか?私の事は遊びだった、」
「アンタ根っからB型だろ」

呆れ半分、良く喋る男だと息を吐く。快活な人間は嫌いではない。昔は下らないお喋りが好きだった妻のそんな所に惚れていたものだが、交際歴が人生の半分を越えると、会話らしい会話などなくなるものだ。
外にボーイフレンドが何人か居る事は知っている。子供の為に、などと言うつもりはないが、向こうから言い出さない限り離婚はしないだろう。大人とはそんなものだ。愛があるのかと問われれば「無い筈がない」とは答えるだろうが、あると本心から言い切れるかは甚だ疑問だ。

「おや、嬉しい事を仰いますねぇ。どうしてそう思ったんですか?」
「ただ、何となく無理してる感じがする。やっぱりA型か。ストレスを溜め込まない様に」
「これはまた、何とも曖昧な事を仰る」
「俺の知っているB型はね、脊髄反射に見せた計算をしている人が多かった。甥が典型的だ、何を考えてるのか判らないのは、何も考えてないからだとB型の看護師が言ってたかな。世論はどうあれ、俺は嫌いじゃないです」
「占いじゃあるまいに、心理テストの信頼度など知れていますよ。所詮、誰かが考えた創作でしょう?現実主義者だと思っていましたがねぇ、院長先生は」
「ありがちな性格がどうじゃない、これは俺個人の医学的に考えた見解だ。つまり血液濃度の違い。忘れがちだろうが、頭でも心でもない、血液が体を動かしているんだよ」
「つまり、私の体の動きはB型のものではないと?へぇ、最近の医者は統計学なんて大義名分を着た、つまらない世俗を口にするんですねぇ」
「叶貴葉さんはAB型だったでしょう?」

しん、と。
耳が痛くなる様な静寂が唐突に訪れた。
そんな筈がない。現に目の前のホールには、生徒と観客が犇めいており、開会のアナウンスが流れている。

「別に、ノストラダムス宜しく予知したんじゃないですよ」
「おやおや、困りましたねぇ。…18年前の話でしょう?何故そんな事を、」
「ああ、確かに。でも間違いない」
「何処にそんな根拠が、」
「俺の血も、輸血したんだ」

やっと、この男の顔にヒビを入れる事が出来たらしい。
隠したいのかわざとらしいだけなのか、気持ちの良い会話ではない事は判っている。
苛めたい訳でも仕返しのつもりでもなく、単に確認だ。何がこの男を形成したのか、医師としてではなく人間として、興味がある。

「俺と、義兄さん…知ってるだろう、秀隆君が採血した。けれど彼の血液は極めて稀な多重免疫、神話で例えるならキメラだった。早い話が彼の血液は他人に輸血出来なかったんだ」
「…」
「何で忘れてたのか…。あの時、秀隆君は自分から輸血を買って出たんだ。患者は、クラスメートの妹だからって」
「昔話はその辺で良いですか」

はぁ、と。存外長い溜息。

「貴葉にも母にも、私は何もしてやれなかった。B型でもAB型でもない、日本人に最も多い血液型なんて末代までの恥ですよ」
「何もそこまで悲観しなくても。良いじゃないかA型、O型は凶暴だぞ?間違いない、姉が実証してる」
「母がAB型でしてねぇ、身内には誰も居なかったんですよ、提供者が。勿論、日本国内では数少ないAB型患者が同時に二人も搬送されて、幾ら大病院の保有している輸血パックが多かろうと、無理があったのは判っています。適性検査だけで時間が懸かったのも無理はない」

母親は臨月、娘は搬送されるまでに30%以上の出血。
目の前で崩れ落ちる娘を目撃してしまった妊婦の心の負担は、如何ばかりだったのか察して余りある。

「当時は今程データベースが進んでいなかった。平成の進歩は加速化したものだなんて、今でこそ言えるものだな」
「加えて、母の腹の中に居た赤子はB型。輸血よりも出産を優先した医師に責任を追及するつもりは毛頭ありません。仕方なかった、判っていますよ」
「その割りに目の敵にされてた気がするのは、俺の思い込みだろうか?え?」
「ふふ。貴方が奥様と離婚しない理由と同じ様なものでしょうねぇ」
「ああ、どうにも出来ない事はある。この仕事をしていると何回思い知ったか…あーあ、嫌だ嫌だ、家族もケア出来ないのに俺なんかに医者が勤まる筈がない。医者の癖に歯科医が恐くて30年以上虫歯を一本抱えてるのに」
「華道の免許を持っていても生け花より家庭菜園の方が性に合う私も、似たようなものですよ」
「やっぱアンタはA型じゃない。全国のA型にお詫びしろ」

にこにこ。もう復活したのかしぶとい、と、恨みがましく横目で睨み、いつの間にか壇上で気弱な挨拶をしていた教師を拍手で送る。

「今のは校長?理事長?」
「校長でしょうねぇ、3年任期のお飾りですよ」
「流石私立、校長の立場が家の中の俺と重なるよ」
「ほら、出てきました。二葉…あの時産まれた、私の弟です。可愛いでしょう?」

うっとりと壇上を食い入る様に見つめる男の横顔をちらりと眺め、無意識で手を伸ばした。

「院長?」
「す、すまない」

無意識だ。
じゃなければ、こんな図体のでかい男を撫でる筈がない。
素早く手を離したが、とりとめて気にしていないらしい男は首を傾げている。怪訝でも唖然でもなく、純粋に不思議そうな顔だ。

「…いや、まぁ、下に弟妹が居ない俺には判らないが、色んな苦労があったんだろう。何と言えば良いのか…えっと、あんまり、無理はしない方がイイんじゃないか?いやいや違う、これじゃ差し出がましいか。失礼」
「院長」
「おわっ!…と、はい?!怒ったんですか?!」

離した手をガシッと捕まれ、ぐっと身を乗り出してきた男の顔が凄まじく近付いた。笑みを消すと途端に威圧的に感じる切れ長で奥二重の眼差しは、墨を落としたかの様に真っ黒で、呑み込まれそうになる。

「兄が居たらこんな気分なんですかねぇ?ふぅ。実は私、嫁に来いと言われてましてねぇ…」
「は…」
「上の弟は結婚以来ずっと別居中とは言え既婚者ですし、下の弟はあの通り、まだ学生ですからねぇ。他に、行かず後家の私しか居ないんですよ」
「待て待て、嫁とか行かず後家とか、さっきからアンタ何言ってるんだ?!とうとう腹黒菌が脳に回ったか、気を確かに持て」

転がす様に笑った男は、はいはいと軽く頷いた。

「さ、雑談は終わりにしましょう。天の君の挨拶を見逃してしまいますよ、お兄さん」

何がお兄さんだと力なく呟いたが、効果はないだろう。














今日の着信は酷く長い気がする。
そんな事を考えながら、無意識に腰のベルトへ手を伸ばした。

高価なものではない。
革紐を編んだ様なデザインで、ゴツゴツしている。使い始めは馴染まずに、何度か腹の皮膚を擦って痛い思いをした様な覚えがあった。昔の話だ。

「楽しそうだな、あっち」

気配に気付いた。
振り返らず着信音をBGMに、膝を抱えたまま。校舎を取り囲む花壇は、最上学部研究会の品種改良により年中咲いている。

淡い黄色の向日葵の影に隠れたまま、膝を抱えて。 
見える景色など、校舎の白壁くらいなものだ。たった10株程度の向日葵をブラインドに、まるで野良猫宜しく自分は、大音量のBGMを聞いている。

隠れたいのか見付けられたいのか、余りにも子供っぽい。

「サボんのかよ」

やっと沈黙した携帯は他人の手に拾われて、膝の上に戻ってきた。引き替えに、土に汚れた煉瓦の上にどかりと腰を下ろしたのは、狭い空間を益々圧迫する男だ。

「寄んなや暑苦しい。オメーもサボってんだろうが(´Д`*)」
「まーな。何で学校っつー組織は、しちめんどくさい式辞をやりたがんのか理解出来ねーぜ」
「ほらー、何でも最初の意気込みが大事じゃね?(´艸`) 一致団結して楽しく騒ごうぜ!的な!(・ω・)」
「重要なのは中身だろ、ジャケットがエロくても冒頭から挿入済みのAVは萎える。日本のマチュピチュ見た方がマシ」
「どうせヤるだけっしょ。わざわざ下手な演技見せ付けられた方が萎えるぞぇw早送り上等だっつの(//∀//)」

冷めた翡翠の眼差しがちらりと体を這う。

「で、早送り早漏野郎は二番目の女から何っつって振られたんだっけ」
「『おっぱい以外の前戯が適当』」
「とことん最低だな、オメーはよ」
「馬鹿、褒めんなよ☆(´ε`*)ゝ」
「まー、褒めた覚えがねーわな」

また、だ。
携帯が音を発てた。

一瞬だけ、びくりと肩を震わせてしまった自覚はある。しまったと悔いても、過去は取り消せない。
それが例え一秒前だろうが、だ。

「出ねーのか」
「何なのユーヤ、アナタ最近アタシに対する愛が足りないんじゃにゃい?(*´Q`*)」
「聞き慣れた台詞だぜ。オレの条件を聞くと、大半の女がそう言う」
「メールは一日3通まで。会うのは外でだけ、互いの家庭に踏み込まない。他に男が出来ても最低でも3ヶ月は別れない。…あらー、こら面倒臭ぇ男っしょ!(;´д`)」
「どっちが馬鹿だ」

大きな手が伸びてきた。
網膜にしっかりと映り込んでいて、それなのに避けられなかったのは油断していたからに他ならない。


頭を鷲掴まれて、しまった・と、跳ねた心臓に冷や汗が滴る感覚。


「っ」

錆びた鉄の味がする。
目の前のいつ見てもクールな面構えをした相棒と言えば、プッと赤い唾を吐いただけで、他に変化はない。間違いなく舌を噛んだのだ。痛いだろうに。

「おいぃ。…あ、そっか、判った、女切れてっからとち狂っちまったんだな?(//∀//)」
「ケンゴ」
「俺と一緒に新しい彼女を、」
「オレが面倒臭ぇなら、切りゃ良い」

心臓に冷や汗が流れる筈がない。
けれどまるで水風呂に放り込まれたかの如く、左胸の中身が冷えていた。

「出来ねーんだろ。…は、それが判ってっから言ったんだ。本気で切られたらオレのが困る」

知っていただろう。判っていただろう。
今まで聞かない様に先手を打ってきたつもりで、本当は、単に相手が言わなかっただけなのだ。言わせなかったのではなく、言わないでくれていただけ、そう言う事なのだ。

「なぁ、満足かよ。オレが言いなりになってんのはよ」
「な、んで、今頃ンな事…」
「そんなにオレは間違ってんのか。女もAVも何だって良い、どうせ何でも一緒だってよ、テメーだって判ってんだろ」

また、今度は顎を掴まれた。
然し先程の様に、易々と唇を奪われる様な失態を犯しはしない。真顔で舌をちらつかせる男の冷めたエメラルドを真っ直ぐに見つめ返したまま、歪んでいるだろう笑みを必死にキープした。

「…おいユーヤ、冗談はヨシコちゃん」
「いい加減うぜー。オレに女が出来る度にほっとしてんだろ。判り易いぜ」
「言い掛かりだ、っつーの!(´Д`)」
「あん時からかよ」
「ぐぬぬ…っ、こんの馬鹿力…が!マジで力抜けって!顎!顎が砕けたらどう責任取って、」
「そん時は面倒見てやっから、砕いても良いだろ?」
「良い訳あっかー!!!(((;´ω`;)))」

奇跡に近い蹴りが見事に決まった。
吹き飛ぶ程ではなかったが、それでも腹を蹴られた衝撃で離れた裕也から飛び退いて、反射的に掴んだ携帯を落とし掛ける。
着信は既に途切れていた。

「逃げんのか」
「は?逃げてねーし、オメー如き逃げる必要性感じねーし(´Д`*)」
「じゃ、その及び腰は何だ。へっぴり腰じゃねーか」
「目ぇ付いてんのか痴漢野郎!CHIKAN・駄目・ZETTAI(´°ω°`)」
「舌入れただけで痴漢かよ」
「十分だるぁがゴラァ!副長と言う名の犬のお巡りさんに通報すんぞ!(´°ω°`)」
「どうせ挿れんなら、」
「( ´_ゝ`)」
「変顔すんな」

はぁ。と、裕也から漏れた溜息が警戒を解く合図に思えた。
長い付き合いだ。長過ぎて、余計な事まで判ってしまう。

恐らく、どちらも。

「凶暴化しやがって、オメーなんか駄目犬決定よ」
「最近あんま血抜かれてねーからな、平常運転?」
「…あー、もー、今から式典行っとく?(´Д`) 総長の挨拶くらいは見ときたいし」
「ユウさんが自爆しそうになってんの、シカトしたまんまでかよ」
「お前…時々シビア過ぎて引くわ( ノД`)」
「何で」
「何でって、幾らユウさんが大変だからって俺らにも事情があるし…(´皿`)」
「違ぇ」
「あ?」

雲間に太陽が隠れたのか、辺りが僅かに暗くなる。
さらさらと絹の様な風が向日葵の頭を揺らし、ばさりばさり、重みのある音が頭上から落ちてきた。

「…殿が見付かった時、マジェスティには報告しねーっつったろ。あれ、何でだよ」
「うひゃ。結局バレてんじゃん」
「警戒心の厚いハヤトの目を反らす為っつったって、元々お前は関係ねーだろ」
「さーな、昔の事ぁ忘れたぞぃ。ンな事より、新歓終わるまでサボったら叱られっかな?(;´д`)」
「副長はともかく総長にゃ叱られんじゃね」
「あん?どっちの総長?」
「どっちも。山田はそもそもああ見えてネチネチ言いやがるし、殿は眼鏡に羽が生えたみてぇに浮かれてたかんな」

確かに、浮かれていた。
その内パタパタと羽ばたくのではないかと要すら疑っていた程に、浮かれ切っていた。太陽が戻ってきてからは、懲罰棟の数日間が嘘の様に、そわそわ落ち着きがなく、口元に締まりがなかった様な気がする。

「まー、何だ。ちょっとした意地悪…サプライズをさ、してやるつもりだったんだっしょい、俺ぁ(´°ω°`)」

そう、そのつもりだった。理由は明快。

「ユウさんから総長の座を奪ったからかよ」
「そ。自分で吃驚、未だに根に持ってたんだなー、これがw」
「知ってら」
「ハヤトが何かやると思ってたんだけどよ、ありゃ駄目っしょ。幾ら見た目が人畜無害だからって、タイヨウ君に対して気を許すのが早過ぎウケるwてんで使えねーでやんの」
「叶からは脅迫されっしな」
「万一タイヨウ君を追っ払ってたら、多分俺ら今頃半殺しじゃね?( ノД`) 失敗したらしたで、あんにゃろ、ユウさんの肋骨折りやがった。マジ眼鏡が悪人にしか見えない病に苦しんでるっつーの゜゜(´O`)°゜」
「あれは叶じゃねぇだろ」
「そう仕組んでたんだろ。ハヤトを拉致ったのも、それで俺らが助けに行くのも、全部、想定通りに決まってる。…光王子は寧ろジェントルマンっしょ」

最後は呟きに近い声だった。


「チェスで陛下相手にキャスリングさせねぇんだぜ。あのルーク様を」

あの雄の貫禄を既に漂わせている2つ年上の男を思い浮かべて、反射的に肉が食べたいなどと考えたが、口にはしない。

「自慢して良いんじゃね?あの人わざとだろ、わざと白百合と一点差で落ちてるっしょ。本気になりゃ帝君で間違いないと思わね?」
「オレが知るかよ」
「実質中央委員会を殆ど一人で賄ってる様な男がまともな訳ねぇって」
「どうだか」
「そんな奴のスペアなんてよ、お前マジ恵まれてるっしょ?(´艸`)」

いつもなら気にせずに言っただろうが、今は言葉を選んでいるつもりだった。それこそ、逃げる様に。


「そこで俺ちゃんは秤に掛けたわ・け」

目の前で肉と内臓が弾け飛んだ無様な姿を見せてしまった当事者としては、その所為でトラウマを抱えた相棒には、とても。

「シーザーとカイザー、どっちに付いたらより楽しくなっか(´V`)」
「で」
「全知全能の神様に唯一対向してんだぞ、見たろ。総長がポッキーの取手だけ喰わせようとした所!マジで笑い死ぬ一歩手前だったっしょ!(*´∀`) うひゃひゃ、今になってもくっそ面白ェ!流石シーザー、マジ御主人様!」

大きな図体を丸め、膝を抱え込む様に座る隣を見やり、唇の端に滲み出た血を指で拭ってやる。もしかしたら思ったより出血しているのかも知れないと思ったが、気付かない振りをした。

応えてやる事は生涯、ないからだ。


「家族は仲良しの方が良いに決まってんじゃんか」

自分と裕也は違うのだと、羨んで妬んで、仕返しとばかりに逃げ回って、気付けば自分が何処に立っているのか判らない所まで自分が追い込んだ。今はもう、やることなすこと全てが間違っているとさえ、思わなくもない。

「お前一人っ子なんだし、良い親父さん居るんだし、」
「嫌だ」
「おい」
「望みを叶えてやればいつか満足するだろうと思ってたオレが、間違ってたぜ」

今は誰が間違っているのか定かではないが、あの時は間違いなく、自分が間違えたのだ。

「何で好きな奴とヤる為に、面倒臭い処女を落とさなきゃなんねーんだ」
「そらお前、結婚するなら他の男を知らねぇ方が、」
「オメーの持論はどうでも良い。先に言っとくけどよ、もう女は作んねーから」
「はぁ?!テメ、何ほざいてっ、」
「彼女出来たがセックスの合言葉なんざやってらんねーぜ。心配すんな、合意じゃなくても構わねー」

幻聴だろうか。
いや、そんな現実逃避をしている場合ではない。

「前の女が長過ぎて引くほど溜まってっから、逃げても無駄だぜ。つーか、溜まり過ぎて最後はお前の名前呼びながらヤってたらしい。そら、別の男に逃げるわな」

開き直ってやがる、判ったのはそれだけだ。何が悪いとか誰が悪いとか、今は責任転嫁している場合ではないだろう。

「こんなしょっぺぇ所で恋ばなはやめようぜダーリン、生産的な事やんね?オナニー以外で(//∀//)」
「お前だけはオレが今まで何人と付き合ったか、正確な人数を知ってる。知っての通り、厳しい条件をクリアしてっから人数自体は多かない」
「…」
「中一から今まで十人。イコール、」

確実に、初めだけは。
中等部へ進級したばかりのあの時だけは、責任転嫁するだけの隙間なく、



「今日が11回目だぜ。」


自分が悪いのだ。
















「さーてと、どうしようか…」

お子様が居なくなったね、と。
他人事の様に嘯いた男と目が合うと、微かに目を瞠った彼は、耐え切れないとばかりに目を逸らした。

こんな事は慣れている。昔は日常茶飯事だった。
とは言え、若干苛立った感は否めない。まがりなりにも女性に対して、目付きが悪いと言うだけで拒絶する男など、こっちから願い下げだと言いたい所だ。

「何をするつもりか知らないけど、このお祭りは2日間あるんでしょ?今日くらいは自由行動じゃいけないの?」
「ああ…俊江さん、まだ俊君には会ってないんでしたっけ」
「やーね、まだも何も、進学して以来一月会ってないわょ!入学式は入れてくれないし!」

何故か目を合わせた男共がそっぽ向いたが、それに構わず積もり積もった不満をぶちまける。

「日曜日も授業だとか冗談じゃない!いつ男子校の性事情を聞けるんざますか!息子の部屋の本棚は読み飽きたのょ!パソコンはメールとエクセルしか出来ないし!携帯は通話とメール機能のみのシニア携帯だし!どうせ私は最近BLを知ったばっかの行き遅れですのょー!!!」

がー!っと捲し立てて、耳を塞いだイケメン社長を横目で睨み、にこにこ見守っている亭主を見つめた。

「シューちゃん…どうしてそんなにイケてるの…?」
「シエの夫だからだ」
「やだ、格好良すぎてつわりが!おぇ」
「二人目か?!」

突っ込み不足の夫婦を冷めた目で眺めた部外者は、パカッと携帯を開いたが、勿論、愛する妻からのメールなど届いてはいない。そろそろ来ても可笑しくない時間だが、人混みが嫌いな性格だから遅れてくるつもりなのかも知れなかった。

「おっと、ちょっと失礼」

抱き合って見つめ合っているバカップルに背を向け、バイブしている携帯を耳に当てる。

「小林専務?ああ、うん、今の所大丈夫…だよ」

言葉の間を察知した相手から疑われつつひやひやしたが、何とか問い詰められる事なく幾つか報告を受けた。

「じゃ、家は名義変えも売却も済んだ訳だね。判った、ありがと。ん、陽子は何て?」
『不承不承、納得して下さいました。ただ気になる事が少し』
「気になる?…ああ、榛原の件かい?」
『それもあるんですが、』

鼓膜を震わせる声に眉を寄せ、通話を終えた頃にはもう、怒りを通り越して恐怖すら感じている。

「オオゾラ?電話は終わったのか」
「…え?あ、ああ、うん。終わった」
「式典を見ておきたい。西園寺の生徒会に紛れ込まれて貰ってる時に、粗方用意はしてある」
「あ、僕はちょっと用があるから、二人で行ってきなよ。メイ…李君からまだ連絡がないんだ」

そうか、と頷いた親友に笑い掛け、サイズの合っていない黒縁眼鏡を諦めず掛けようとしている年上の女性へ頭を下げた。

「舜を置いて来ちゃったんだけど、カナメちゃんが何とかしてくれるかしら?」
「子供同士、仲良くしているんだろう?無闇に引き回すより安心だろう。迎えは和歌君に頼めば良い」
「和歌なら家に居たわよ。さてはあの子、サボる気かしら?生徒会長の癖に」

仲睦まじい会話が遠ざかる。
わざわざ、水を差す必要はない。


「もしもし、一ノ瀬、俺だよ。…うん、今聞いた。それで、誰がうちの株を荒らしてるか見当付いてる?」
『気味が悪い事に、黒幕が全く判らない。あんまり突っ込むとあの人が煩くてな…』
「専務のそれは愛だよ常務。俺にしても君にしても、昔ちょっとやり過ぎてるからねー」
『…誠心誠意調べてますんで、刺は少な目でお願いします、社長』
「この刺は僕にも刺さってるよ、妻にはヤリチン呼ばわり、過去には尻軽なんて人生黒歴史三昧だと思わない?あ、泣けてきた。…幾ら注ぎ込んでも構わないから、出来るだけ回収して欲しい」
『了解』
「折角手に入れた家族を、奪われて堪るか」

ふ、と。
笑う気配が耳に。

『だから僕は君が嫌いだったんだ、時の君』
「えー、今は?」
『抱かれたいくらい愛してます。ま、俺が独身だったらの話だけど』
「人妻には手を出さない主義だからねー、僕☆」

笑い飛ばしても消えない恐怖を、腹の奥底へ沈め込ませた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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