帝王院高等学校
朽ちるキャンバスから舞う油彩
恋。
どんな登場人物も、どんな世界観でも、どんなシチュエーションだろうと。共通しているのは、恋、と言う、不確かな感情だ。


二人を妨げる人間。
けれど大半は悪意からではなく、純粋な感情から。
憎み合い離別を選ぶ二人。
けれど初めは、恋をして、結ばれたのだ。


恋。
人と人、全く違う二人を結ぶ、伏線。
善きも悪きも、物語とは、恋から始まるのだ。



「シェイクスピアの世界は、愛で溢れてる」

彼は産まれて初めて読み終えた本をそっと閉じて、淡い溜息を零した。有り触れた物語は、そのどれもが読み終える前に展開が判ってしまう。だからその一冊は、彼が最後まで取り憑かれた様に読み進める事が出来た、唯一だったのだ。

「おめでとう、コーデリア。その真心は偽善と表裏一体、その死を以て制裁を与える事に成功した」

満足げに頷いて、彼はまた、新たな本へ手を伸ばす。けれどもう、この小さな本棚には、彼が手をつけていない物語は存在しなかった。

「もう、ないのか」

呟きは落胆を秘めて。
彼は考えた。そしてすぐに、思い当たる。


この世は全てが観客で、その一人一人が演者であるのだと。
この世は全てが平等で、何一つ思い通りにはならないのだと。


知った瞬間に彼は、ならばそれも構わない、求めるものが見つからないのであれば、取るべき行動は一つだと。考えたのだ。



「目の前は茨の道、後ろには決して戻れない。死に向かい流される生命は、過程を楽しむ振りをして、絶望を忘れる努力をしろ」

ちくり、ちくり、茨の刺が肌を刺す事にも構わず、寧ろそれはまるで時計の針が刻む音に似ていると小さく笑った。






歩けや歩け、どうせ元来た道には帰れない。
進めや進め、起承転結を繰り返し一喜一憂するが人の常。


果てで目を閉じろ、その先には死と言う名の安らぎだけ。
喜怒哀楽に踊らされしマリオネット、壊れる刹那まで絶え間なく。哀れなマリオネット、哀れな生命、死ねば肉は腐り土へ還る。

「目を閉じた先には何が待つのか知りたい」

踊れや踊れ。
果てるまで瞠目したまま息吐く間も惜しみ、観客の居ない晴れ舞台は愉しいか?



進めや進めや進めや進め、その細く長い道の過程を見せろ、結果は既に知っている。







「何を考えてんだテメェらは…!」

どんっ、怖い顔で壁を叩きつけた日向に、佑壱の尻を撫でていた黒縁眼鏡と言えば、

「何って、手っ取り早く俊を掴まえようとしただけじゃねェかァ。イッチーの彼氏、…ネコ先輩だっけ?パツキンの癖に堅くて口煩い」
「だから姉御…じゃなくて兄貴、彼氏じゃねぇっス。あー、何つーか、仮面彼氏っス」

こそこそと囁き合う二人に悪びれた雰囲気はない。
高坂日向は18年弱の人生で初めて、わしゃわしゃと髪を掻き毟った。二葉以上に面倒臭い人間が目の前に居る。


「………どうなってんだ、マジで」

先程まで話していたもう一人は沈黙したまま、佑壱と怪しげな黒縁眼鏡はまだこそこそしていた。おおよそ推察するに、間違いなく遠野俊の関係者だ。何しろ佑壱はともかく、そこの不審者…曰く『姉御』、つまりどう見ても中等部生にしか見えないそれは、女であるらしかった。
頭が痛い事に、どうやら『オマワリ』と言う知り合いに似ていると言う日向を華麗にスルーし、佑壱が目を離した隙に立てた中指を突き付けて来たり、あっかんべーと舌を出してくる。嫌われているのは嫌でも判るが理由は判らない。

「…頭痛ぇ。何がどうなってんのか俺様には判らん、寧ろ知りたくねぇ…」

佑壱に飛び付いてきた疑惑の女は、日向を「殺すぞ」と脅した直後に佑壱と何やら密談し、止める暇もなく二人で走っていった。嫌な予感がした日向が追い掛けて、控え室に入っていった二人を引き戻したのだ。
佑壱はともかく、部外者を控え室に入れる訳にはいかない。ただでさえ男装した女であれば尚更、何故そう堂々と動き回れるのか全く理解出来ない。

「あ、」

日向から少し離れた先。
沈黙していた男が口を開き、皆の目が向く。どっちがタチヒロシでどっちがネコヒロシ、などと意味不明な会話をしていた二人も、佑壱が日向を指差し「あれがネコヒロシ」などと宣った瞬間だった為に、視線は皆、同じ方向へ。



「…シエ?」

囁く様な声音だった。
ぞくりと背に走った余りにも奇妙な既視感に身構えた佑壱は表情をなくし、日向は言葉を失った。キラキラと目映いアイスブロンドの毛玉を手に、艶めく黒髪の男が立っている。


余りにも。
そう、余りにもその男の顔形は、似ていたのだ。


「シュン…?」

日向が零した言葉に、男は一瞬だけ目を向けた。然しその視線の無機質さを見れば、間違いだと判る。怜悧な目元、日本人にしては彫りの深い鼻筋、薄い唇。
一つ一つがまるで作り物の様に整った、その中央に燦然と鎮座しているのは、漆黒の双眸だ。

「シエ」
「さて、誰の事だか?お間違いじゃね?」
「シエ」
「悪ィけど今の俺はトシだから、」
「…シエ」

真っ直ぐ。日向にも佑壱にも見向きもせずに、真っ直ぐ。
黒縁眼鏡をくいくい持ち上げながらそっぽ向く小さな頭を、蕩ける程の甘さを秘めた声で呼び、そっと。壊れ易いシャボン玉を抱く様に、そっと。


「触んな糞餓鬼。」
「ごめん、俊江さん」
「人の頭ン中弄くり回して空っぽにしやがって、言い訳があるなら聞いてやる。但し、殴ってからよ、秀隆」

風を切る音。
素早く腕を振りかぶった茶髪が舞い、大きすぎる黒縁眼鏡が落ちる。余りにも意思の強い眼差しが露になった瞬間、日向は唐突に理解した。


あの二人は、間違いなく。


「っ」
「はは。男前が上がったじゃねェか、秀隆ァ」

その体から繰り出されたとは思えない重い拳が男の頬を打ち、気丈にも足を踏み締め耐えた男の唇から滴る赤は、形の良い顎を伝い滑り落ちた。

「イッチー。これ、おばさんのダーリン」
「…は?え、ダーリンって、じゃ…」
「俊にそっくりでしょ?」

佑壱の混乱は痛いほど判る。
理解して尚、声の出ない日向は眼球が乾き切ってもまだ瞬きさえ出来ないまま、小さく。吹き出したのは、背後の男だけだった。

「…こりゃ、敵わないねー、秀皇。お前さんが誰かに殴られてる所なんて、僕は…俺は、見た事がないよ。一ノ瀬にも聞かせてやらなきゃ」
「…お前が殴られた時は社内放送で流してやる」
「はいはい、かかあ天下二本立てで流せばいいよ」

くすくす。
笑いながら頭へ手を伸ばした男が己の髪を掴み、ぶちぶち音を発てながら引き抜いた。あ、と声を漏らしたのは佑壱だ。

「ワラショク、山田の父親」
「ん?何、オカマ…コホン。嶺一先輩の息子はどっちも中央委員会だろ?アキちゃんを知ってるのー?なんてね。…さっきは誤解してごめんね、嵯峨崎佑壱君」

初めまして、と。
ぼさぼさの髪を撫で付けながら、ぶらぶらカツラを弄んだ男は親友の肩を叩いた。

「秀皇が俊江さんに隠せる訳がないだろ?」
「…」
「もういい。此処で終わりにしよう。端から、自殺じみた勝算のない計画だったんだ。…だからそんなに睨まないでよ、お義父さん」
「絶交だ」
「あはは、絶縁じゃなくて?そらいいや、帝王院なんて大袈裟な名字より山田の方が気に入ってるしねー、俺。…ああ、俊江さん、お久し振りです」

睨む親友を横目に、優雅にお辞儀をした男はにこりと笑い、きょときょとと亭主とイケメンを見比べた人と言えば、真顔で「愛人?」と呟く。

「え?男の愛人?待って、ハァハァ出来ない。何とも言えない気持ち。シューちゃん、揉んでも揉んでも一向に膨らまない私のパイパイに慣れすぎて、男に手ェ出したの?出会いから馴れ初めまで余すところなく話しなさい、事と次第によっては私、身を引くから!俊とボロアパートで骨しゃぶって生きてくから!」
「シエ、激しい誤解だ。まだ怒ってるなら殴って良いから許して下さい」
「違いますよー、俊江さん。つい先日、病院でも会ってます。山田陽子…俊江さんが治療して下さった患者、覚えてますか?」
「山田陽子…?ああっ、あのおっぱいがロケットみたいな足のエロい子?!」

日向と目を見合わせた佑壱は、筋肉豊かな胸の前でひょいひょいと手を動かした。このくらいか?と言う佑壱の疑問に、漸く瞬いた日向は一言、「知るか」だ。

「そうですよー。陽子ちゃんの夫でワラショク代表取締役社長の山田大空です。なので秀隆君は要りません。どうぞ末永くお幸せに」
「あらん、誤解しちゃったみたい?ごめんなさいまし。シューちゃんがイケメン過ぎてハラハラしつつハァハァする瀬戸際でございました。ワラショク代表消費者常連、遠野俊江ですん。いつも有難うございます!特に毎週火曜日の卵1パック50円!助かってます!」

がしっと固い握手を交わす二人を余所に、佑壱と日向は顔を寄せ、似てる似てるとオタクの父親を見つめた。目元が全く違うだけで雲泥の差だ。

「あ…その、俺、息子さんにお世話になってる、嵯峨崎佑壱と言います、親父さん!」
「…嵯峨崎財閥の次男、神威の従弟に当たるんだろう?」
「へ?」
「神威から聞いたんだな」
「いや、あの…?」

首を傾げる佑壱から見つめられた日向は軽く首を振る。話が噛み合っていない事は判るが、何処で噛み合っていないのかは判らない。俊の話をしているのに何故、此処で神威の名が出たのか。


「確かに神威の父でもあるが、俊の父親でもある。私…俺の事は、遠野秀隆として理解して欲しい」

眠りを誘う、微かな声だった。賑やかにワラショクで盛り上がるもう二人は聞こえていないのか、振り返らない。

誰かに似ていると最初から感じていた日向が目を見開いたまま、跳ねる心臓を抑えて。
凍りついた佑壱は何度も何度も、今の言葉を頭の中で反芻し、有り得ないと言わんばかりに緩く頭を振り、まさかと呟いたのだ。

「ん、な、馬鹿な。ルークは…」
「ロード…キングの血は引いていない。引き換えに、メイは俺の血を引いている」
「待って下さい、親父さん、何の話をしてんスか?つーか何でアイツの事を、」
「帝王院神威。俺が名付けた我が子の名を、忘れる筈がないだろう?」

日向が声もなく囁いた。
帝王院秀皇、歴代中央委員会会長で唯一、名が残っていない、男。ABSOLUTELYの初代マジェスティ、皇子の君。
名前だけなら。

「親なんて難儀だと思わないか。どんなに裏切られても、子を憎む事など出来はしない」

囁く様な声音。
そうか、似ている筈だ。対極にある様で二人は、酷く似ていた。日向が抵抗なく理解するほどに、あの二人は。





「帝王院と、シュンは…」


その先は言葉にならなかった。
北極に放り出されたが如く小刻みに震える佑壱は、今にも崩れ落ちそうな表情で。









何を、思っていたのか・と。













「ふぇ」

唇が冷えていた。
ぬるりとした感覚に薄く目を開けば、目の前は真っ暗だ。

開けたつもりの瞼が閉じているのだろうか。
不思議に思い手を伸ばそうとしたが、両手はどうやら背中に回り、身動き出来そうにない。

「…なーに。こちらどちら様?ワタシはだーれ?…うーん、遠野俊15歳、弾ける腐ったナマモケモノ…じゃなくて、ナマモノですにょ」

何が何やら、ぺろりと上唇を舐めれば塩辛い。
成程、盛大に鼻水が出ているらしい。どうせ鼻から出たものだ。体内に戻しても死にやしないだろうと、もぞりもぞり、ミミズの様に体を動かした。
何だか寝袋で寝ている時の様な感覚だ。寝袋で寝た事など一度しかない。あの時に、酷く似ている。


「ごめん下さいまし、どなたか居ませんか?」

あの時、助けてくれたのは誰だった?
目元に皺を寄せて笑みを浮かべる、愛しい誰か。あれは、誰かに似ていた。とても大切な、誰かに。とても、似ていたのだ。

「明かりだけ点けて貰えたら、後は何とか致しますん。お礼は後程必ずしますので!」

暖かい体温に寄り添って、美味しいものを沢山食べた。
誰かが歌い誰かがハーモニカを吹いて、誰かが躍り、誰かが笑う。数多の他人に囲まれて、何を考える事なく笑い、くたびれて眠るまで、絶え間なく。
あの時、夜明け前に目覚めたのだ。目の前には、自分を守る様に、膝を貸してくれた誰か。木に背を預け、焚き火をぼんやりと眺める顔は、誰だった?


声はない。
音もない。
色もなければ、記憶すらおぼろげだ。


「真っ暗け」

いつもは誰かが邪魔をする。
けれど何故か最初から、知っていたのだ。全てが偽りなのだと、全てがいつか消えてなくなるのだと、全てが、最初から。

ただの夢なのだと、知っていたのだ。

「お目め、オープンしましょ」

目を、閉じているのだろうか。

『命令確認。70%、セキュリティ発動、ガーデンスクエア解除、セントラルスクエア解除、ステルシリーサーバー解除、プロテクト放棄。…99%、システムブラインド再起動完了。おはようございます、マジェスティ』
「ほぇ。マジェスティ?あにょ、いつもと何か違う、よーな」
『声紋認証破棄、網膜認証破棄、指紋照合記録破棄。帝王院財閥保有サーバーエラー、システム移行、ステルシリー中央情報部サーバー内、ランクS、コード:マジェスティを確認』

ぼんやりと。
聞いていた機械の音、パパパと無機質な蛍光灯が灯り、漸く、だだっ広いコンクリート一面の壁と天井が見えた。
あちらこちらに大きな穴が開いている。プールの様な匂いだと思ったのは、今更だった。恐らくこれは、塩素独特の匂いだ。

「マジェスティ、マジェスティ…多分、偉い人?」
『イクス=ルーク=フェイン=グレアム。統率符は「ノア」、ご命令を』
「イクス、ルーク…フェイン。イクス、イクス…エックス、………十番目?」
『ご命令を。』

何を、と。
コンクリートの上に転がったまま、瞬いた。頭はさっぱりしている。まるで、それこそ再起動したかの様に。


「ちょっと、眩しいにょ」
『了解』


半分だけ落ちた照明。
後は何も、思い付きはしなかった。









『命令省略、70%、セキュリティ発動、ガーデンスクエア解除、セントラルスクエア解除、ステルシリーサーバー解除、プロテクト放棄』

執務室の中、残っているのは自分と、雑務要員の最上学部自治会役員が一人。

「陛下、」
「先に行け」
「はい。失礼します」

追い払う様に言えば、素直に従った男はドアの向こうに消えた。

『…99%、システムブラインド再起動完了。おはようございます、マジェスティ』
「…誰が起動した?」
『声紋認証破棄、網膜認証破棄、指紋照合記録破棄。帝王院財閥保有サーバーエラー、システム移行、ステルシリー中央情報部サーバー内、ランクS、コード:マジェスティを確認』

システムが命令に反応していない。
外部の誰かが起動した事だけは判る。まさかと、先程まで触っていたデスクトップキーボードを叩いた。

「コード:クロノスの所在地を示せ」
『リング確認、反応なし。カード確認、現在地はスコーピオ4階、理事室』
「フロアのセキュリティ映像を出せ」
『ライブ映像に切り替えます』

無人の部屋。
乱れたベッドシーツ、所々赤く汚れているそれは沈黙したまま、廊下の映像にも周辺の映像にも、目的の姿ない。

「クロノススクエア・セキュリティフォロー、リングの位置を探索しろ」
『エラー。コード:マジェスティの了承がありません』

自分の仕業だ。
判っている。判っているからこそ、打つ手がない事は誰よりも理解していた。

「…敷地内、直近の映像からコード:クロノスを探し出せ。見付け次第、通告せよ」
『了解』

まさか気付くとは、と。
それを期待して仕組んだ過去を恨めしと宣った所で、今更だ。



暇潰し、だった。
判っている。望まずとも現れた男が、余りにも、余りにも平凡な、子供だったから。少しだけ、ほんの、少しだけ。時間潰しに付き合わせたかっただけだ。
その肩に何の荷物も背負っていない、思うがままに生きている子供が、艶やかな黒髪と双眸を持つ子供が、羨ましかったからなのだ。判っている。そんな事は、初めから。


「…約束、を。果たせば消える」

雑音が酷い。
誰も居ない、全面強化ガラスの廊下、ズキズキと痛む程の耳鳴りに耳を押さえ、足を止めた。


ああ。
この窓を、叩き割ろうとした背中を覚えている。
間接キスだけで騒いだ、純粋にして無垢な子供。何処で間違ったのか考えた。林檎は目に見えず匂いもなくいつから、そこにあったのか。


『迎えにいくよ』

姿なき記憶の声音を思い出した瞬間、耳鳴りは霧散する。引き換えに痛いほどの静寂に支配された世界は、窓の向こうの空の青さが、酷くわざとらしく思わせる。



『裸の王様』
『しじみより、あさりの方が好きです』

叩き付ける雨の晩夏。
逃げる様に姿を消した雪の夜。
踊る様に散らす桜吹雪の小春日和。

それは全て、最近の記憶。




『約束しよう』


蝉時雨の夏。
肌を焼く灼熱の太陽、他は全て覚えているのに、何故それだけ思い出せないのか。

『必ず君を、』




思い出した所で、何が変わるのか。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!