帝王院高等学校
うまくいかないから人生だと申しております
何かいつもと雰囲気が違う、と。
零人の後ろ姿を見送りながら首を傾げた太陽を余所に、聳え立つ校舎を呆然と見上げたカルマの保護者は、涼しげな顔立ちでゴキュっと息を呑んだ。

それはもう、あれこれ案内している獅楼にも、逃げ場を失って現実逃避気味な太陽にも聞こえるほどに。

「榊の兄貴、緊張してるの?」
「ば、馬鹿言え…この俺が緊張してる様に見えるのか?」
「んーん、見えない」

ふるふる素直に首を振った獅楼の後頭部を見つめていた太陽は、その向こうの榊の眼鏡が何処となく曇ったのを見逃さなかった。

「仕方ないですよね。ちょっとうちの学校、普通じゃないし…」
「…だよな」

こそっと榊にだけ聞こえる声で太陽が囁けば、極々一般人である雇われ店長はキリッと顔を引き締め、神妙に頷く。見た目だけなら担任の東雲に引けを取らないホスト系なだけに、平凡の好感度がややアップした。

「山つん、こそこそ話はすんなよな。第三講堂まで、おれも仲間に入れてよー」
「こそこそ話とか、加賀城ってたまに可愛いコト言うよねー」
「どうでも良いがシロ、お前ちゃんと避妊してんのか?嵯峨崎の手が早いのは今に始まった事じゃないがな、そこはちゃんとしとけよ」
「え?」

凍りついた獅楼を横目に、目を見開いた太陽の頭の中で事件は起きた。山田太陽15歳、無駄な贅肉が付かない体質の彼は、然し脳味噌は平凡なりに詰まっている。
フリーカリキュラムの選択科目で、最近算盤にハマった太陽の頭の中でジャラジャラどんじゃらと珠が弾かれ、チーンと弾き出した結果は、大層ホモホモしかった。
知らぬ間にオタク菌に犯されつつある面倒見の良いA型は、ある意味柔軟だと言えよう。

「そ、うだったんだ?加賀城君…」
「ち、ちが、…違わないけど、違うんだよ!誤解しないで…っ!」
「あ?なーにが違ぇんだ、シロ。お前、奴に犯されたとか何とか店先で喚いてたじゃねぇか。挙げ句、嵯峨崎本人がお前を貰うっつって外車乗り付けて来やがった」
「え?!榊マスター、それほんとですかっ?!」
「本当だとも、総長」

真っ赤に染まった獅楼は涙目。
内心ではニマニマしているに違いないド鬼畜眼鏡と、ビックリした顔を装う太陽の二人から見つめられたカルマ最弱の新米は、

「うわーん!ユーさんに言いつけてやるー!」
「うっわ、JSレベル」
「小学生かい」

揶揄われた事にも気付かず泣きながら逃げ、二人の鬼畜を呆れさせる事に成功した。

「榊マスター、性格悪いって言われません?」
「そっくりそのままお返しするぜ、総長サマ」
「その総長ってのやめて欲しいんですけど…言ってもやめてくんないでしょーね」
「判ってんじゃねぇか」
「あ、君、…山田君?」

ばちばち飛び散るドSの火花に気付かなかったらしい第三者が、賑わうエントランスゲートの人混みに紛れている。声の主を目で探した太陽は「あっ」と声を漏らし、その隣でクールに眼鏡を押し上げた店長は何故か素早く背中を向けた。

「俊の叔父さん、でしたっけ?結局昨日は泊まられたんですか?あ、その前に、おはようございます」
「おはよう。あのまま炬燵の部屋で寛がせて貰ったよ。騒がせて済まなかったね」
「や、いえ。こっちこそ…途中で逃げ出したみたいになっちゃって…」
「ああ、気にしなくて良いよ。叶さんは…此処だけの話、どうも人を揶揄って喜ぶ性癖みたいだから」
「…あー、それは、はい、俺もそんな気がしてました…」
「実の所、一緒に居たくなくて早くから学園内を見物していたんだ。帝王院さんは起きたらさっさと居なくなってしまって…」
「お医者さんにこんな事言うのは何なんですけど、ご愁傷様です…」

すらりと背が高く、中々のイケメン。
これで医者だからモテたんだろうな、と太陽が余計なお世話な事を考えながら頭を掻くと、太陽の隣の男に気付いたらしい遠野院長は、眠れなかった為か昨夜より荒んだ目元を歪め、眉を寄せる。

「…マサタカ?」
「へ?」
「もしかして、榊雅隆?やっぱり、そうだ」

一瞬だけ痙き攣った店長が涼しげな表情で振り返り、わざとらしいほど恭しく頭を下げた。きょとんと目を丸めた太陽は、状況が判っていない。

「御無沙汰してます、院長先生。ご挨拶が遅れ、失礼しました」
「何でこんな所に…?そんな事より、外科部長が嘆いていたぞ。入学以来、殆ど通ってないそうだな?そんなにうちの大学は面白くないか?」
「…その件については、お詫びする言葉がありません」

此処でまた、太陽は頭の中の算盤を弾いた。
榊が医学部の学生だと言う話は、何となく聞いている。遠野総合病院は今の名前で、昔を知る住民は大学病院と呼ぶ事もある。
二区の私立大学が元々の経営者で、経営不振に陥った時に、遠野病院が買い取ったのだ。

「え?じゃ、榊マスターと院長は、前々から?」
「山田君が雅隆を知っているなんて、世間は狭いな。俺はこの子が産まれる前から知ってるんだよ。この子の父親が、医局で一番偉い外科部長で、教授でもある」
「そうなんですかー」

何処となく肩身が狭そうな店長が不登校に陥った理由には気付いているが、太陽は口を閉ざした。連日大盛況と言うカフェカルマを切り盛りしている敏腕店長も、母親のお腹に居る内から知られている相手には弱いらしい。


「…ん?それって、じゃあ、榊マスター、俊の事も…?」

身長差で見上げる形になってしまう太陽にだけ、見える角度で店長はニヤリと笑う。


げ、と嫌な台詞を飲み込んだ太陽は乾いた笑みを零し、そっと顔を反らした。


榊はホスト時代に何やら問題を起こして佑壱が引き取ったと聞いているが、それでは話が通じない。実際、俊の榊に対する態度は、幼馴染みと言った雰囲気ではなかったのだ。
カルマミステリー、この謎は解いてはいけない気がする。太陽はそっと目を瞑る事にした。我が身が可愛い。

「俊?雅隆、いつの間に俊に?」
「それは…その、父に言われて、様子を何度か。実家が8区にあるので、早い話、先代の院長に代わって父が見守っていた、と言いますか…」
「つまり姉さんの監視を?」
「…まぁ、端的に言えば」
「成程、それなら当然、親父には隠してたんだろうな」

太陽は実はそう上手くはない頭の中の算盤を手離した。
何やらきな臭い話、と言うより、ディープなプライベートに首を突っ込みそうだ。空気になれる特技を活かしてそっぽ向いていた太陽は、偶々目が合った人物を認めるなり凍り付く。

あちらも一瞬、目を見開いて眉を寄せてから、従えているお供達に何やら話し掛けて、にこにこ愛想笑いを振り撒きながらやって来るではないか。
榊は知らないので気付いてはおらず、背を向けている院長は忍び寄る悪魔に全く気付く様子がない。

目を合わせたまま反らせない太陽と言えば、手離したばかりの算盤を頭の中で探し、どう逃げようか本気で考えた。


「しゅ、俊の叔父さん、は、早く校舎の中に入りませんかっ?」
「ん?どうしたんだ山田君、そんなに慌てなくてもまだ時間は…」
「俊の保護者だって言えば優先的に大講堂になる筈なんでっ、俺が案内し、」
「おや、では私も案内してくれるかな?」

院長の手を掴んだ涙目の太陽と共に、背後から肩を抱かれた院長も凍る。榊だけが怪訝げな中、遠野家カースト最底辺の気弱な長男と、駆け出しサドの太陽は目と目で通じ合った。

逃げ遅れた、と。


「第一大講堂は私の時代までなかったんだ。案内してくれると助かるねぇ」
「あ、あはは、叶先輩のお兄様は、その、頼めば誰もが案内してくれるとゆーか、したがるとゆーか…」
「おや?左席委員会の副会長である時の君は、私の様なつまらない男は連れて歩きたくないと。ふぅ。…そうだねぇ、こんな廃れたオジサンなんか、側に居たら恥ずかしいと思うだろうねぇ。ふぅ」

二葉の兄。
それだけは今更ながら再確認した太陽に、選ぶ選択肢は皆無だ。青冷めた院長を恐る恐る見上げた太陽はそっと目を反らし、下手な愛想笑いを張り付ける。


「…つーかサブボス、何オドオドしてんの?」

然し天は太陽を見捨てなかった様だ。
叶長男の腹黒さを嗅ぎ取ったのか、院長の肩を抱く手を冷めた目で睨む榊も黒いオーラを出しており、挟まれた院長はどんどんやつれていく。
逃げたいが逃げられない太陽の背中に掛かった声に振り返れば、不機嫌そうな隼人が怠そうな態度で耳を穿りながら立っていた。

「漏れそうならトイレ行けば?」
「か…神崎…。今だけ俺、パヤちゃんが天使に見えるよー」
「はあ?隼人君は年中無休でイケメンエンジェルですけどお?つーか老眼サド、お宅は何で此処に居んの?」
「誰が老眼サドだ糞餓鬼、年上を敬えっつってんだろうが。ファーザーに頼んでヤキ入れて貰わなきゃ学ばねぇらしいな」
「はあ?隼人君はあ、ファザコンなのでえ、パパにしか傅かなきませんからー。悔しかったら黒縁に変えて来やがれー、老眼ー」
「はっ、遠視と老眼は似て非なるものだ馬鹿狐。稲荷の皮にしてやろうか」

不覚にも、隼人以外が吹き出す。
狐。確かに、似てなくもない。そして稲荷寿司が好物。
隼人の顔に視線が集まり、視線を浴びたスターは益々目を細めた。ついに笑いそうになった太陽は隼人の手に頭を掴まれ、にっこり微笑み掛けられるなり黙り込む。

「ねえサブボス、何で笑ったのー?」
「わ、笑ってない、よ?」
「あは。嘘吐くと、隼人君が握ってるサブボスの弱味がどうなるかー、判ってるよねえ?」
「あは、あはははは、…ごめんなさいと申しております」

隼人がちらりと叶へ目を走らせた事に気付いた太陽は、隼人の情報力に舌を巻いた。確認するまでもなく、隼人は唯一の着物男が誰だか知っているらしい。

「こんにちはあ、初めましてえ、神崎隼人ですー。去年CM撮影の時に、会長にご挨拶させて貰ったんですけどー」
「勿論、君は有名人だから知っているよ。文仁がお世話になったね」
「いえいえー。叶会長ってば弟さんに瓜二つでえ、ちょー笑っちゃったんですよねえ。すみませんが、謝っておいて下さいますかー?」
「え?え?神崎、もう一人のお兄さんも知ってるの?何で?CMって?」
「ふふ。文仁の会社が出資してるリゾートホテルの、夏のキャンペーン広告でねぇ。その時に、此処に居る彼、ハヤト君がマスコットだったんだよ、時の君」

そうなのか、と、どう見ても真面目に働いてそうには見えない隼人を胡乱げに見つめると、尻の薄い肉を抓まれた。痛いにも程がある。
然し流石は芸能人、皆からは見えない絶好のポジショニングだ。榊だけがあらぬ方向を見て肩を震わせており、未だに石化している院長はともかく、腹黒魔王は気付いているのか否か、助けは期待出来ない。

「それじゃ、案内してくれるかな?」

腹黒魔王の言葉で渋々先陣を切った太陽は、ガシッと隼人に肩を組まれてよろけながら踏ん張り、後ろの三人には見えない様に隼人の腹の肉を抓る。

「パヤちゃん、体脂肪誤魔化してる?つまめるんだけど?」
「…てんめー、この陰険チビ&ハゲ予備軍、毟るぞボケー」
「…良く言った。後で覚えとけよー、狐顔」
「つーか何であんな奴と馴れ合ってんの?幾ら何でも身内までコマすとか正気の沙汰じゃないわよ、ノイローゼなの?マジで病院行きたいの?」
「そこまで言うか。…そんなに不味い?二葉先輩の兄だから?」
「…世間知らずのお子様ランチめ。はあ。これだから童貞は…」
「童貞で悪かったねー」

仲良く歩いている振りをしながら、小声で話し掛けてくる隼人に倣い、こそこそと声を潜める。隼人に目を奪われる不特定多数の嫉妬の目を浴びつつ、真っ直ぐにエントランスゲートの階段を登り、

「叶の本家は茶道の家元でえ、幕末からずっと警察関係のお偉いさんって話くらい知ってんじゃない?T2トラジショナルは元々、分家が始めた商売の経理を統括してた会社。今でこそ、幅広くやってるみたいだけどねえ」
「それ知ってる方がおかしくない?どうなってんの神崎のデータベース…頼りになるよねー」
「任せなさい。グループ総資産120億っつー大企業の会長が叶文仁。で、あっちが本家の最高責任者、」
「叶冬臣」
「そ。あれが叶一族の元締め。OK?」
「判った。けど、それが何?」
「だから元締めっつってんの。幕末のゴタゴタで警察に名を変えてっけど、元は政府お抱えの隠密なわけ。じゃなかったらいきなり最高長官になれる筈ない」

確かに、筋は通る。
然しそれの何を警戒する必要があるのかと考えた時に、大講堂が見えてきた。賑やかしいホールの中からざわめきが溢れて、風紀委員が忙しなく歩き回っている。

「…物事には表裏あんの。後は自分で考えな、童貞ランチ。あは、間違えた。お子様ランチ」
「わざとだよねー、それ。ちくしょ」

ニマニマしている隼人が風紀委員の一人を捕まえ、後ろの大人達を紹介した。二葉の兄と聞くなり背を正し敬礼した風紀委員らは、ぺこぺこ頭を下げながら叶長男だけを特別席へ案内しようとするが、その本人から院長を紹介されるなり見事に青冷めた。

「こ、これは、猊下の叔父上とは露知らず、大変なご無礼を…!」
「いや、構わないで良いから、叶さんだけ連れて行ってくれないか?切実に」
「おやおや、遠慮せず彼らに甘えませんか、遠野院長。ほらご覧、気の毒に、中央委員会会計でしかない私の弟はともかく、左席委員会の会長の身内あらせられる院長を構わない訳には行かないものねぇ」
「ははは、何を白々しい戯言を言うんだ、叶さん。アンタは、一人で、あっちに行け、今すぐに」

太陽と隼人は同時に瞬いた。
気弱そうに見えた院長が、一言一句はっきり「失せろ」と宣ったからだ。現に、此方を窺っていた風紀もギャラリーも、固唾を飲んで二人を見つめている。


「全く、こんな所で何をしてるんだ、冬ちゃん」

そんな不穏な空気を綺麗にスルーした長身が、ポニーテールを揺らしながらつかつかやって来た。痙き攣った榊が素早く隼人の後ろに隠れ、ポカンと口を開いた院長は、目の前の和服にがばっと抱き付いたとんでもない美人を呆然と眺めている。

「こらこら、離れなさい文仁。皆が驚いているだろう」
「兄さん、可愛い弟が甘えてるのに離れろって酷い。俺はこんなに冬ちゃんを愛してるのに…」
「勿論、私も愛しているよ文仁。でも今日はふーちゃんの晴れ姿を見に来たのだから、お前は我慢しなさい」
「ああ、二葉なら向こうの役員入場口からとっとと中に入っていった。あんな馬鹿は放っておいて、もっと兄弟愛を深めようよ冬ちゃん」
「おやおや、確かにお前と比べると世の大半は決して賢くはないだろうがねぇ、適度な謙遜は美徳だよ文仁。賢いお前なら判るだろう?」

二葉そっくりな美貌が、二葉を笑顔で「馬鹿」と呼ぶ。凍り付いた風紀役員らは反応に窮し、痙き攣った太陽は逃げようとして隼人に掴まった。背後の榊に掴まっている隼人もまた、逃げられないらしい。

「榊マスター、顔色が凄い事になってますよー?」
「無理無理ー。眼鏡のひとが大っ嫌いだからあ、ここのおじいちゃん…間違えた、老眼サド。100パー同族嫌悪だよねえ」
「煩ぇぞハヤト、テメェの分のピザまんはケンゴに喰わす」

榊がそこまで二葉を嫌っていたとはと感心した太陽は、どうしたものかと辺りを見回して、今度こそ「げっ」と躊躇わず叫ぶ。

「やだな、アキちゃん。可愛い弟を見るなりその態度、家庭崩壊を招くよ?」
「や…夕陽…」
「今日も可愛いねー、僕のお兄ちゃん。あはは、何処に行くの?」

腹黒兄弟の隣を華麗に通り過ぎ抱き着いてきた新たなサドの登場で、山田太陽のHPは0にまた、近付いたのである。















トイレはとうに通り過ぎ、行く宛もなく彷徨ったのはほんの数分。頑丈なセキュリティはどれもこれも頑なに、道を示してはくれなかった。

「…」

固い強化ガラス越しに見た眼下は長閑に明るく、日差しを浴びた幾つもの人間が小さく見える。バラバラと蠢く様は蟻の様だと考えて、固めた右手を持ち上げた。


「馬鹿か」

拳は強化ガラスと知って尚、構わず殴り付けようとした。けれど背後から掴まれた手首は動きを止め、鼓膜を揺らした呆れ声に、笑ってしまう。

「馬鹿、か。馬鹿だ。知ってる、今、痛感した。俺は正に馬鹿だ、頭が悪すぎる」
「そこまで言ってねぇだろうが。自棄になるならせめてそれらしく暴れろ、自殺しそうにしか見えやしねぇ」
「は、自殺?俺が?」

振り返る気力はない。
背中から崩れる様に背後へ体を傾ければ、ぽすりと日向の胸板に収まった。知ってはいたが、本当に着痩せする男だ。紳士的なのは外見だけで、服の下は紛れなく雄。

「さっき、帝王院と何を話してたんだ?」

その上、性格も決して悪くない事など、とうに知っている。これは老若男女問わずモテる筈だと唇を苦い笑みで歪めて、全身から力を抜いた。日向が例え振り払おうと、みっともなく転んだとして、構う事はない。

「奴に絡むと碌な事がないのは、テメェが一番判ってんだろうが」
「なぁ」
「あ?」
「好きだって言われたら、それがどんな相手だろうが、気になるよな?誰だって頼られたら悪くねぇ気になるだろ、だから、好きだって言われたら、何であれ意識しちまう」

俺は。と、呟いて、頭を振った。
馬鹿な事を言っている。日向にはまるで関係のない話だ。脈絡のなさに呆れただろうかと考えたが、自分自身か誰より呆れている。

「…悪ぃ、やっぱやめた。聞かなかった事にしろ」
「言いたけりゃ最後まで話せば良い。で、腹下してんじゃねぇのか?」

悪戯めいた腕が背後から腹を撫でる。
吐きそうだと宣い逃げてきたのは確かに己であるから、判り切った事をほざくなと怒鳴るのは、何となくダサい気がした。

「テメー、妊婦扱いしてんじゃねぇぞ。この鍛え抜いた腹筋見ろ!」
「どうせ脱ぐなら顔洗って、着替えてこい」

ばさりと頭の上に被せられた赤い布、わざわざ持ってきたのかと瞬いて、体を離す。

「顔?」
「ちっ。その情けねぇ面でシュンの前に出たかねぇだろう」
「…情けねぇ面?ああ、俺か」

窓ガラスに淡く映り込む己を認め、肩を竦めた。
自己評価ではそこまで酷くは見えないが、所詮ただの硝子だ。

「あっちにゃ戻りたくねぇから下に連れてけ。ルークが来る前に式典を乗っ取る」
「偉そうな奴だな、上がり症の負け犬の癖に」
「はっ、誰が何だと?」

笑顔で日向の足を踏みつけてやれば、軽やかに躱された。無意識に零してしまった鋭い舌打ちは、無かった事にしよう。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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