帝王院高等学校
我儘な身内ばっかりですと食欲が減ります
「おい、加賀城獅楼を寄越せ」

隠すと為にならんぞ、地の底から這い上がるが如く恐ろしく低い声音に飛び上がった一年Aクラス生徒らは、死に物狂いで第三講堂を散り散りに探し回る。
気の早いもので、昨夜の内に友好を深めたらしい西園寺学園の生徒らと仲良く談笑している一年生は既に半数ほど揃っており、式典では制服着用命令が出ている為に、工業科と思われる生徒さえブレザー着用だ。

偶々見掛けた赤毛を鷲掴んだ零人は瞳孔が開いている。
何だテメェ、と景気良く振り返った瞬間に青冷めた一年生は哀れにも、紛らわしい…と舌打ち混じりに吐き捨てた零人の冷たい眼差しで無惨なほど縮こまった。

「あれ?何してんの、アンタ」

どうやら今頃やって来たらしい獅楼は涙目のクラスメートらに囲まれており、きょとんと首を傾げている。放してやりなよ、と未だに罪のない赤毛を掴んでいる零人の手をバチンと容赦なく叩く獅楼に、周囲からぽつぽつカルマコールが沸いた。
帝王院とは違い辛うじて街中にあるが要塞じみた西園寺生徒も、カルマの噂には敏感だ。

「テメ…」

壮絶な不機嫌を隠しもせず、よろりと獅楼の目前に近付いた男はぽてっと獅楼の肩口に顔を埋め、腹減った、と呟いた。
ビシッと固まった周囲に気付いた一年Aクラスの真面目不良と言えば、おろおろしている同級生の工業科らに「兄貴!死ぬなっ」「風紀呼ぶか?!」などなど、悲壮な表情で心配されており、溜息を吐く。

「はぁ。あっと、お式までまだ時間あるし、すぐ外のカフェで何か食べなよ。おれ、今からミーティングだから」
「テメー、この俺様が腹減ったっつってんだろ」
「あのさぁ、子供じゃないんだから一人で出来るでしょ?」

益々不機嫌を増幅させた零人に誰もが目を反らしたが、カルマ最弱と名高い見掛け騙しは、きょときょとと周囲へ目を走らせ、零人からさくさく離れた。

「ケンゴさんとユーヤさんはまだ来てない?やる気あんのかな、あの二人」
「加賀城…っ、ここは良いから、烈火の君をおもてなししろよっ」
「そうだよっ!こ、高野さんと藤倉さんは、な、何とか…出来る気がしないけど…何とかすっから!」

目の前の零人を早くつれていけ!と言う意見で一致した皆に縋る目で見つめられた獅楼は、じっと待っている零人を一瞥し、頭を抱える。
この場を離れた場合、あの能天気二人、つまり健吾と裕也がやって来た場合に、クラスメートでは対処出来ないのは明らかだ。席順は決まっており、前方の数席は進学科、後はクラスのアルファベット順である。あの二人がそんな事を守るとは思えず、また、そんな二人に他の誰が注意出来るのか。

「おー、ここが会場かァ。でっけーな!」
「トシ兄ちゃん、コイツどうすんの?その辺に寝かせとく?」
「待つのさ、天の君…天の君?うーむ、やはり僕には天の君には見えないのさ」

零人とクラスメートの狭間で悩む獅楼の耳に、賑やかな声が割り込んできた。ほぼ全ての人間の視線を奪った彼らは、会場内の気温を下げた事に気付いていない。

「う…」
「おーい、おーい、大丈夫かァ?えっと、何だっけ、イチ君と一緒に居たイケメン君。あ、思い出したァ。カナメちゃん?」

ほぼ身長が変わらない小柄な二人は大き過ぎる黒縁眼鏡を掛けており、近頃一年生の間で噂になっている赤縁眼鏡の風紀委員は、裸眼に風紀ワッペンを付けているが、何やら薄汚れている。

「な、に…?」
「目が覚めた様で何よりだよ、錦織君。自称天の君と、こちら、マネージャーの…トシ君だったね?」
「そーよ。カナメちゃんとはねィ、ワラショクでハンバーグを試食した仲なのょ!覚えてる?」
「ハンバーグ…?」
「カナメさん?!大丈夫?!」

漸く反応した獅楼が駆け寄り、脳震盪でも起こしたのか、寝惚けた表情の要に張り付いた。目を見開いたまま、細身の要よりもまだ一回り二回り小さい黒縁眼鏡二人を見つめている零人は、先程までの不機嫌さを忘れている。

「お、い、お前…いや、貴方は…」
「ん?あれ?イチ君?久し振りねィ、元気してた?何か暫く見ない内に大人っぽくなっちゃって!きゃ!」
「何だよアンタ、でけーな。ここの学校、でけー奴ばっかだな」

混乱の最中にあるらしい零人を囲み、じろじろと眺めているチビ二匹を余所に、差し出された獅楼の手を撥ね飛ばし起き上がった要は、眉間を押さえ、ギラッとチビに鋭い目を向けた。

「貴様、俺に何をしたんですか…!」
「ひょわ?!えっ、やっぱ怒った?!ご、ごめん、ついつい投げちゃって…!ヒィ!」
「ごめんねィ、うちのシュンが。許してやってくんない、カナメちゃん?」
「何を、」
「許してやってくんない、カナメちゃん?」

要だけが。
大きな眼鏡を持ち上げ、揶揄めいた笑みを浮かべる、恐ろしい目付きの茶髪を見たのだ。そう、この目付きの悪さを見て尚、騒ぎ立てる様な馬鹿は、カルマには一人も居ない。

「…ま、さか」
「覚えてる?」
「おっ、お久し振りです、俊江さモゴ!」

勢い良く背を正した要の口は、目付きの悪いババアに笑顔で塞がれた。
獅楼と並んできょとりと首を傾げた遠野俊のパチもんは、とりあえず隣の獅楼を見上げ、「遠野俊です!」と元気にほざく。ビクッと震えた獅楼は「ちょっと小さくなった?!」と狼狽えたが、要が居るなら安心だと零人へ振り返った。

「どしたの?ご飯行くんでしょ?」
「…あ?あ、ああ、飯、か」
「ん?何か顔色悪いけど、」
「いや、何でもない。急用を思い出した。お前は付いてくんな」
「は?!ちょ、何なんだよ!」
「女を待たせてんだよ、悪いな」

ふん、と最後に馬鹿にした笑みを浮かべ去っていく零人の背中へ呪いを掛けた獅楼が今度は不機嫌顔で、チビ二匹とこそこそ囁き合っている要へ顔を向ける。

「カナメさん、ほんと大丈夫?気分が悪いなら保健室に行かないと…あ、ハヤトさん呼ぶ?」
「何でハヤトを呼ぶ必要があるんですか、殺すぞ」
「え?!で、でも、ケンゴさんの事はユーヤさんに、カナメさんの事はハヤトさんに報告するのが決まりだしっ」
「獅楼、それは誰が決めた事ですか?」
「あ、あの、松竹梅先輩が…」

にこり。
美しい笑顔を浮かべた要がチャラ三匹を殺す事を決意、きょときょとと獅楼と要を見比べたチビ二匹は、片方が羨ましげで、片方がハァハァした。
ハァハァする黒縁眼鏡を見た周囲は、「あ、何だ天の君か」「ただの天の君だな」と簡単に納得し、疑っているのは溝江のみ。

「うーむ。僕にはどう言う事か判らないのだよ」
「この学校、顔がイイ奴しか入れないの?俺、来年受けたいんだけどさァ」
「ん?不思議な事を言うのだよ。天の君は外部入学の狭き門を潜り抜けた、既に高校生なのさ」
「…ちょっと耳貸して」

こしょこしょと溝江に囁いた偽左席会長は爪先立ちで、こしょこしょと要と密談していた年齢詐称は、やっと納得した要が任せておけとばかりに頷くと、親指を立てた。

「では君は、確かにトーノシュンなんだね?ふむ。それなら心得たのだよ、猊下の従弟と言えば、僕ら一年Sクラスの従弟も同じ。大船に乗ったつもりでオープンキャンパスを楽しんでくれたまえ」
「ありがと、溝江兄ちゃん…!俺、俺、B型だけどSクラス入れるかな?!」
「容易い事さ。遠野俊と同じ名を持つ君に与えられるのは、帝君以外に有り得ないのさ」

ひしっと友好を深めた二人は固くてを取り合う。
然しながらこの遠野舜、帝王院の入試を受けさせて貰えず、残念ながら西園寺学園へ堂々と裏口入学する事は、今頃、弟の担任へ「受験はさせない」と連絡を入れているだろう実の兄しか知らない事だった。

「猊下。どうぞこちらの帝君席へお掛け下さい」
「え?俺の事?」
「…事情は聞きました。総長…遠野さんの従弟だそうですね。とりあえず君はこのまま、従兄様の振りで式典を受けて下さい。フォローは俺がします」

要に囁かれたチビはキリッと眉を上げ、こくっと頷くと、俺は遠野俊だ…と呟きながら、一番前の椅子へと腰掛けた。
ビリビリと大気を震わせる様な威圧感を間近から浴びた要は息を飲み、しゅばっと短い足を上げ、しゅばっと足を組んだ偽帝君は、でかい眼鏡を押し上げる。



「そろそろ、祭の開幕を告げようか」

獅楼と工業科の数名が弾かれた様に顔を上げた。

「指揮はこの私、遠野俊が。…盛大なる幕引きまで全身全霊を賭して務めましょう」

音はない。
全てではないが半分程の席が埋まっている第三講堂に、彼が発てる声音以外の一切が、平伏す様に消えた刹那。


「仮面ダレダーブレイド二期オープニング、『ブレイズフェスティバル』」
「馬鹿がバレるから黙っとけ」


要と獅楼が滑りこけた瞬間、オタクを育てたドケチ母は甥の頭を殴り付けたのだ。
















「おやおや、随分とまぁ、遅かったですねぇ」

凍える台詞に背を正した風紀特別班一同は、にこやかな代表が佇む懲罰棟の入口に整列した。

「まぁ良いでしょう。内容は把握している事と思います。現在地周辺で、一級注意対象の生徒が先程まで行動を共にしていました。時間にして30分弱、正確な位置は確認していません」

風紀役員が差し出す制服に着替えながら、淀みなく言葉を紡ぐ二葉はスペアの眼鏡を掛け、白い手袋を填めて、ひそりと。

「陛下直々のご命令です。左席猊下に危害を加える畏れのある者は、必ず証拠を押さえ捕縛しなさい。それ即ち、」
「唯一神の冥府揺るがす須く知らしめんが為に」

無駄のない動きで地下へと散っていく役員らと引き替えに、かつかつと地上へ向かう二葉は二度と振り返る事はなかった。


時間は9時を回り、式典の最終調整を行うには些かギリギリだと言えただろう。


「ステルシリーライン・オープン」

指輪にスペアなどない。
部屋に置いてきたあれだけは取りに戻らねばならないだろうと、賑やかな地上の気配を感じながら、人気のない階段脇で近くの掲示板端末のタッチパネルを操作する。

『超一級注意対象がマジェスティルークに接近。現在、ティアーズキャノン最上階執務室に対象を確認しました』
「温泉に行くだの宣っていた様ですが、やはり他に目的がありましたか。コード:ジェネラルフライア、登録情報を開示して下さい」
『セントラルサーバー、第33サーバーエリア444に登録情報を確認。8年前より組織内調査部、ケイアスインフィニティの代理としてマスターに認証』
「…そうでしょうねぇ。あれは、当時ネルヴァ枢機卿から特別機動部を引き継いだばかりの私が、戯れで作った架空のコード。存在する訳がないんですから」

組織内調査部。
社員を監査していると言う、名目上、左席委員会の様なものだ。然し実状は空白で、社員に対する不正の抑止力として産み出された部署だった。
本来は特別機動部一位枢機卿が兼任し、不正発覚時には代理を選任して、仮初めの組織内調査部を一時的に作る。彼らを隠れ蓑に、様々な不正の処理を行ってきた。

「ケイアスインフィニティ…ねぇ」

だからこそ、その名も仮初めのものだと。信じてきたのだ。けれどもし、前代から登録されているそれが、架空のものではなかったとしたら。

「一体誰が、ステルシリークロノスなのか」

答えはない。
急ぐ必要はないかとタッチパネルから体を離し、今度こそ、明るい外へと止めどなく足を進めた。



目映いばかりの青空に、燦然と輝く灼熱の塊は神々しく。
嘲笑う様にも包み込む様にも思える広大にして恐ろしいまでの包容力で世界を照らし、静かに、人の善も悪も、見つめているのだろう。



「おわ!さ、桜、引っ張んないで…!転ぶふッ!」
「きゃ!ご、ごめんねぇ、太陽君ー!」

並木道を賑やかに走っていく地上の太陽を認め目元だけで小さく笑い、男は真っ直ぐに、白亜の建物へ歩を進めた。

「あ…、ユリコ!」

玄関を前に振り返れば、目敏く気付いた彼は大きく手を振って、「ありがと」と、唇の動きだけで伝えてくる。すぐにルームメートから急かされた彼は今度こそ立ち止まる事なく真っ直ぐに、緑豊かな並木道を校舎まで駆けていったのだ。





ああ、全知全能の神よ。
人の善も悪も、等しく全てを見ているとされる、姿無き万物の神よ。

祈りはいつしか願いとして、今、望みへと欲深くも姿を変えた。


「お帰りなさいませ、マスター」

赦されるか。
受け入れてくれるのか。
ただ一つ、これだけは叶えて貰わねば困るのだと脇目も振らずに縋り付いて宣えば、慈悲を齎し給うか。

「お食事をご用意致しましょうか?」
「いえ、忘れ物を取りに来ただけです。すぐに出るので、構わないで下さい」
「畏まりました」

随分静かだな、と。
幾つもの湯呑みが転がる自室へ足を踏み入れた瞬間、背後に気配を認めた。完全に油断していたと言うより、他はない。



「悲しいなぁ、二葉。…お前がこんなにも成長しない生き物だと知っていたら、もっと早くに殺してやったんだが」
「…っ、」

頭は背後の男に掴まり、喉はぎりぎりと締め上げられて、黙れカスがなどと、投げ付けたい言葉は一つとして、口からは出なかった。
酸化した二酸化炭素が肺を覆う。新しい酸素は少しも送られてこない。

「っ、く…」
「まぁ良い、今日は折角の愉快な行事が行われる日だ。潤いのない寮生活の中で、お前も楽しみにしていたんだろう?今日の所は生かしてやる」
「はっ、げほっ」

意識を失う寸前で、解放された体は抵抗なく崩れた。麗しいまでの笑みを浮かべた、嫌になるほど自分に似ている男は黒く艶やかな双眸を眇め、粗野な仕草で屈み込んでくる。

「おい愚弟、お兄様に挨拶は?」
「…はぁ、ふ、ふふ。ご機嫌よう、文仁。随分、無礼な振る舞いをなさいますねぇ、人の寝室に断りもなく入り込むとは。我が兄とは到底思えませんよ」
「そうだろう、そうだろう。いつまで座り込んでる。茶を出せ、相変わらず気の利かない奴だ」

殺してやろうかと、落ちた眼鏡を拾いながら考えたが、体術の技術は歴代最強と名高い次兄には、丸腰で挑む訳にはいかない。分が悪い、と言うよりは、それを理解しているからこそ此処で襲われたのだ。

「…申し訳ありません。只今ご用意致しますので」
「冬ちゃんには会ったろう。貴様のお陰で俺は、京都からヘリをぶっ飛ばす羽目になったんだぞ、二葉」

頭の良い人間は面倒臭いと、湯呑みに硫酸を注ぎたい気持ちを宥めながら急須を手に取る。

「私の所為、ですか?」
「守矢叔父にマグナム突き付けたらしいな」
「ああ、その事ですか」
「兄さんの元になぁ、そう珍しくもない縁談の話が来てる。相手はYMDの創始者、今は筆頭株主に落ちた灰皇院…現在は、榛原と名乗ってたか」

急須に落とした茶葉が、醜く歪んだ。背後の男には気付かれていないと思いたい。

「そうですか。でもどうせ、冬臣兄さんの耳に入れる前に文仁兄さんが断ったのでしょう?」
「さて、どうだか。調べた所、榛原には独身の息子しかいない。榛原大空、養子縁組で今は帝王院大空だ。ワラショクっつー店があるだろ」
「ああ、聞いた事はありますねぇ」
「榛原側は、本家の後継者を送ってくるとよ。お前はどう思う馬鹿弟?足りない頭で考えろ」

にやにやと。
嫌な笑みを浮かべている兄には、振り向かずとも判った。


「考えて、何になると?」
「何にもなりゃしねぇだろうな。だが、男の嫁が来るのも冬ちゃんを男の嫁にやるのも、俺ぁ反対だ。ま、兄さんが決める事だが」

注いだ湯、踊る茶葉は軽快に、蓋を閉めて尚、頭は満足に回っていない。次兄は全て判っていて宣っているのだ。

「そうですね」

面倒臭い事この上ないと言うなら。
それはこの暴虐無人な次兄ではなく、何を考えているか一度として読めた事のない、長兄そのものである。

←いやん(*)(#)ばかん→
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