帝王院高等学校
覚醒を食い止めねば世界崩壊です!
「お戻りを心よりお祝い申し上げます、学園長」


ノックすら放棄して叩き開けた理事室に、見付けた男は一人だけ。目的の男ではない事は、長い付き合いだ。判らない筈がなかった。

「…久しいな、ルーク。悪いが再会を喜ぶのは後にして貰えるか。帝都は何処だ」
「前理事長ならば、私が追放致しました」

理事長席を前に、短い銀糸をくゆらす孫は淡々と。

「追放、だと?何をつまらん事を、」
「悪魔を生んだ災いの元は、悪魔でしかない。幼い砌に何のご挨拶もなく渡米し、恥を忍んで再来日した私を変わらず孫として迎えて下さったお祖父様方に、私が出来るものは、この程度しか思い付かなかったのです」

無機質な仮面が逆光ながら窺える。
怒りのまま駆け付けた激情は既になく、哀れな子だと、今の今まで肉親の情ではなく、施しているとばかり思っていた事を、痛烈に再認識させられた。

「…冗談では、ないのか?今朝方緊急で理事会招集があると聞いていたが、」
「何の為に私がノアを継承したとお思いでしたか?」
「…」
「我が名はイクスルーク=フェイン=ノア=グレアム。30年余前にお祖父様が数年懸けて面会を切望した、ステルシリーの一切を掌握せし呪われた男爵にございます」
「お前、は」
「後は私が去れば、お祖父様を苛むものはない」

淡々と。
幾度となく見舞いにやって来る孫に、ただの一度も応えた記憶はない。家紋の鈴蘭を携え、健気にも足を運んでくる子供に、たった一言さえ、掛けてやった事はないのだ。

「お前は未だ、そんな事を考えていたのか」
「私の身には、悪魔の血が流れております」

悪魔。
そうか。やはりまだ、思い詰めていたのだろうかと。今更、罪悪感ばかりが。

「我が願いは一つ。悪魔の血脈の断絶」
「…」
「それは私を含めた上のもの」
「何が、」
「仔細をお話しするつもりは毛頭ありませんぬ故、お許し下さい。グレアムの犯した罪は、末代たる私の全霊を以て償わねばならなかった。ただそれだけです」
「子供に、嫌な仕事をさせてしまった。…許してくれ、神威」

表情は見えない。
お気遣いなく、と。極々淡々と首を振った孫が漸く、持ち上げた手で銀面を外す。制服ではなく正装である彼はこれから、式典へと向かうのだろうか。

「後程、改めて御帰還の祝辞を。中央委員会一同、学園長のお戻りをお待ちしておりました故に」
「待て、ルーク。お前に話しておかねばならん事がある」

隣を通り過ぎようとする腕を掴み、今度は自分が窓辺に背を向けた。漸く露になった美しい顔立ちは大層大人びており、高校生と呼ぶのは抵抗を覚える程だった。

「お前はもう、秀皇には、会ったか」
「はい」
「秀皇には、…息子が居る」
「存じ上げております。それ故に、私は爵位を以て、彼らを監視しておりました。キング=ノヴァの手が届かぬよう、この十年程」

ならば全て知っていたのかと、呆然と問えば、神威は淡々と頷く。何一つ、表情に揺らぎはない。恐ろしいまでに。

「当時、私に与えられた権利は余りにも少なかった。数年を経て確固たる地位を得るに至り、出来れば、来日する事なく継続するつもりでしたが…全ては、私が招いた事。お許し下さい」
「お前はいつから、何処まで知っていたのだ」
「全てが繋がったのはこの半月。幾重の偶然が齎した、結果に過ぎませんが」
「偶然、だと?」
「…職務の時間が迫っておりますので、失礼します」

囁く様に口にした子供は、優雅に頭を下げると、足音を発てずに出ていった。



ふらりと。
力が抜けた様にふらつき、応接用のソファに腰掛ける。





「…私は何を信じれば良いんだ、龍一郎」


目的を果たした、と言う達成感も喜びも、微塵たりとなかった。






















水の音が、する。
遠く、遠くから、ひたり、ひたり、と。


「…」

目は見えている。
皮膚が冷たいコンクリートに触れているのが判る。


誰かが泣いて、いるのだろうか。
何処かから、涌き出ているのだろうか。
ひたり。
ひたり。
滴る様に、滑り落ちる様に、ひたり。それは、ひそりと。



耳は聞こえている筈だ。
けれど四肢は微動だにしない。

ひたり。
ぴしゃん・と。

絶えず、絶えず、絶えず、繰り返し。


密やかに泣く、誰かの声が。



「………は、やと…」

その声の主を知っている。

「…けん、ご」

とても良く知っている筈なのに、何故。

「い、ち」

泣くなと優しく宥めてやる事も、怖いものなどないと傍で諭してやる事も、出来そうになかった。



「カイ、ちゃん」

喉笛は確かに震え、音を奏でたのだろう。
けれどその旋律は、果てしなく脆弱で、ついぞ響かない。



ひたり、ひたり、ひたり。
繰り返されるそれは、血を流す音に似ている。







「と、りゃんせ。…とおりゃんせ、」




一番最初に祈った願い事は、何だった。










「へ?」


誰かに呼ばれた気がして振り返っても、今登ってきたばかりの薄暗い階段しかあろう筈もない。

「山田君?何か忘れ物?」
「あ、や、誰かに呼ばれた様な気がしたんだけど、気の所為だったみたい。空耳」
「そう?」

ざわざわと賑わう気配に気付き、二人揃って校舎の端からエントランスホール側の広場へ出れば、自校の生徒に交ざり、西園寺学園の制服を纏う生徒に、幾らか一般客らしき保護者も集っている。

「おわー、もうそんな時間…?」
「一回目の保護者先行入場が始まったんだね。中央キャノン一階の第一大講堂が式典開場だから、エントランス解放まで此処で待ってるのかな。ほら、Eクラスの模擬店が並木道からこっち、ずらっと並んでるでしょ?」
「あ、そっか。先に生徒が入場してからお客さんを迎えるんだっけ。西園寺高等部だけでも1000人くらい居るからねー、来賓客はアリーナだけで間に合うのかな」
「生徒は各校の学年ごとに分けられるから、僕ら一年生は西園寺の一年生と第三講堂に集合するんだ」
「え?じゃ、俺はどうなるの?二葉…白百合から、第一大講堂に行くって言われたんだけど…」
「第一大講堂は、各校の三年生と学園が招いた祝辞客と特別な貴賓客が優先だって話だから、役員はそっちに行くんだね。生で見られないのが残念だけど、モニター越しに応援してるから」
「えー、つー事はどっちにしろ夕陽と顔合わせんのか…やだなー。あ、じゃあ、うち母さんが来るかも知れないんだけど、第三講堂になるの?グチグチ言われそう…」
「大講堂に入れなかったお客さん達は、第二講堂と第三講堂のモニターで閲覧出来るそうだよ?ああ、でも招待客以外は式典後に入場する筈だから、客席が空いてたら大講堂に入れるんじゃない?以前、東雲先生が仰ってたから」
「え?そうなの?道理で詳しいと思った」

太陽が軟禁と言う名の温泉三昧だった時に、表向きは行事不参加である一年Sクラス一同にも、世間話程度の説明があったらしい。当時懲罰棟で拘束されていた俊を元気付けようと、大人しい桜の提案で、クラス一丸となり各クラスの深夜まで及ぶ準備の差し入れを交代交代で行っていた事が東雲の耳に入った様だ。

「何つーか、愛されてるねー、俊ってば」
「天の君は僕らの希望の星だもの」
「希望の星ー?おぇ、そんなキャラかなー?」
「だって今まで、帝君がクラスメートにあだ名を付ける事なんてあった?中央委員会に等しい左席委員会会長が、わざわざ校内を見回って生徒を守るなんて、山田君は聞いた事ある?」

ないね、と。
太陽が半ば呆れ混じりに肩を竦めれば、一年Sクラスのクラス委員長と言うあだ名を付けられた級長は、寮へ続く並木道へ足を進めつつ、満足げに頷く。

「あそこまで気軽に話し掛けて下さる帝君なんて居ないでしょう?だから初めこそ皆、勝手が判らなくて当たらず触らずだったね」
「ふーん、初めこそ、ねー?未だに帝君のシューズクロークがラブレターで満員御礼なのは?」
「…それなんだけどね。此処だけの話、溝江君と宰庄司君は早くから犯人を風紀議会に報告してるんだ」
「…は?」

人通りが多い為に声を落とした野上に腕を引かれ、つられて声を潜めた太陽は眉を寄せた。ならば何故、改善されていないのか。

「光王子親衛隊の隊員が関与しているのは間違いないみたいだよ。…ただあの親衛隊は、光王子閣下のご威光を笠に着てるのは有名でしょ?」
「…あー、三年の柚子姫に代替わりしてから幾らか大人しくなったみたいだけど、小さい制裁はあちこちであってる。実際、俊とイチ先輩が巡回中に小競り合いを見付けて捕まえた時はしおらしく謝ったって話だけど」
「畏れ多くも猊下と中央書記の紅蓮の君を前にして、光王子閣下の名を出しても分が悪い事くらい彼らも判ってるんだ。紅蓮の君は次期中央委員会長筆頭候補だから、殊更ね」
「やだやだ、何で権力の上下で人の価値を決めたがるんだろ、人間社会は」

下がり気味の眉をキリッと吊り上げた太陽は一瞬イケメンだったが、すぐにへにょんと元の位置に戻る。凛々しい顔は持続しないのが、平凡スタイルだ。

「…それにしても、高坂先輩はもう少し策士だと思ってたけど、自分のお稚児には手放しで甘やかしてた訳だ。見損なったぜ金髪星人め…」
「山田君、まだそうと決まった訳じゃないんだから…此処でそう言った発言は…」

キャラの薄い二人が辺りを見回しても、こちらを気にしている気配はない。ほっと安堵の息を吐きつつ、太陽は口を閉ざした。

「ごめん、迂闊だった」
「最近の山田君は、少しずつ天の君に似てきたね」
「うっわ、冗談でもやめてよねー」
「え?誉めたつもりなんだけど」
「野上君、もしかして性格悪い?」

きょとんと首を傾げた級長からは、毒気がない。
ぶるりと背筋を震わせた太陽は「ほんものコエー」と呟いて、野上の将来を案じた。このままでは第二の二葉だ。

「クラス委員長、白百合は目指しちゃいけないぜ」
「えっ、白百合閣下?やだなぁ、目指すなんて僕如きが畏れ多いよ。僕は一年Sクラスの皆が楽しく生活していければ、それだけで幸せなんだ。閣下の様に学園中の生徒の面倒を見る器じゃないよ」

どうしてこう、我が学園の生徒はそうも二葉を誇大評価するのか。然し太陽は呆れたまま、僅かな違和感に気付いた。
もしかしたら野上級長は、二葉ではなく俊に似ているのではないか?

「ク、クラス委員長、もし俺がFクラスの不良にかつあげされてたら、風紀呼んでくれる?」
「えっ?かつあげされてるの?!」

ギラッと光った野上の眼鏡から、もくもくと黒いオーラが漏れた。ヒィ!と悲鳴を呑み込めなかった太陽はガタブルと震え、俊とも二葉とも違う冷えた恐怖に怯える。

「ふ、ふふ、大丈夫だよ山田君、僕が二度とそんな目には遇わせないから」
「ち、違、ちょっとした喩え!本当にかつあげされてる訳じゃないから!」
「え?そうなの?そうだよね、あの大河君を階段から蹴り落とした山田君を苛める人なんて、居るわけないよね」

何故それを知っているのかと瞬いた太陽は、とうとう気付かなかった。人畜無害な級長が、実は平凡な見た目ながらも男前な言動で注目を浴びている左席副会長に、ひっそり憧れている事を。

二葉でも俊でもない。
つまり、真のドSたる山田太陽、それそのものに似ているのだ。感じた恐怖が同族嫌悪である事を、残念ながら平凡副会長は気付かない。

「…えっと、とりあえず、この話はこれくらいにしとこ?お互い着替えないと、埃だらけだしー」
「本当だね。ふふ」
「あはは」

今更ながら、白亜の寮を前にして互いを見つめ合い、その汚さに笑う。

「あ、僕はこっちに用があるから此処で」

眼鏡のフレームが歪んでいる級長は先に眼鏡の修理に行くと、工業科生徒の生活エリアへ真っ直ぐ向かっていった。
中等部時代に仲良くなったと言う、造形に詳しい知り合いが居るそうだ。


「…人は見かけによらないなー、ほんと」

一人で作業着犇めく別棟へ行くとはかなりの怖いもの知らずだと、同行を断られた太陽はほとほと感心しながら北棟へと向かい掛けて、駆けてきた見知らぬ生徒に腕を掴まれた。

「ぜぇ、はぁ」
「おわ?!え?!何か?!」
「お、畏れながら、ぜぇ、と、時の君で、いらっしゃいます、か?はぁ」

背の高い中々の男前、然しブレザーは白ではなく中等部を示す群青だ。何事かと瞬きながら、通行人らに見られている事に素早く気付いた太陽はしょっぱい表情で、何とか微笑み掛ける。

「あー、まぁ、Sクラスなんて形ばっかの底辺だから、畏れて貰う価値はないってゆーか、…どちらさんで?」
「自分は、中等部三年Sクラスの………村瀬、と、申します」
「あ、自分は高等部一年Sクラスの山田と申します」
「存じ上げております。大変申し上げ難いのですが、少々、お時間を頂けませんでしょうか」

いやー、頂けませんねー、と、式典が差し迫った時間である事と、不特定多数の視線を理由に断り掛けた太陽に気付いたのか、太陽よりずっと大人びた後輩は握っていた手を開いた。

ピアスの様だ。
残念な事に、余りにも最近見覚えのあるスヌーピーが付いている、随分可愛らしいアクセサリーである。スヌーピー、何と可愛らしいワンコだろう。

「あー………フォンナート先輩が、とうとう逮捕されたとか?お気の毒様です。じゃ、俺は式典に出るのでこれで…」
「え?いえ、そうではなく、天の君がエルドラドのメンバー二人とレジストの平田太一をお手打ちになさいまして…」
「…はい?天の君って、俊?俊がスヌーピーと…平田って、あのエセ双子の?二大ヤンキー勢力と何だって?つーか手打ち?!俊が?!かつあげされたんじゃなくて?!ゴキブリも殺せないあの俊がっ?!」
「はい。眼鏡を掛けておられた彼は、遠野俊と確かにお名乗りになられました」
「ま、待って、そんじゃまさかまた風紀に捕まって懲罰棟に…?!」

とんぼ返りかよ!
と、今までの苦労を振り返った太陽は怒りを露にしたが、懲罰棟に猛ダッシュする事は叶わない。

「えーい!子供の頃にホイミ使えたらいいなと思って練習した事あったけど、ルーラかリレミトを先に練習しとけばよかったー!ちくしょー!」
「お待ち下さい時の君!」
「待てるかー!今こそキメラの翼を寄越せー!敵は懲罰棟にあーり!!!二度目の謹慎だとー?!それでも左席委員会会長かボケコラー!俺がメラゾーマであのクソ眼鏡を燃やしてくれるわー!萌えー!!!」

錯乱状態の左席副会長に、周囲はざわざわしている。哀れ激しく抵抗する太陽を掴まえた中等部生徒は青冷め、助けを求めるが誰からも目を逸らされる。


「…いっそ…メガンテで一緒に逝こうか…俊…あはは、あはははははははは」

太陽の周囲に暗雲が漂っている事を、本人だけが気付かない。周囲は誰もが怯え、酸素が薄いと叫びながら足早に逃げていった。

「と、時の君、落ち着いて下さい。左席猊下は先程、青月の君を抱えてティアーズキャノンへご入場なされました」
「…青月?誰?」
「畏れ多くも申し上げますが、カルマ初代副総長の錦織さんとお見受け致しました。時の君、厚かましいお願いがございます」
「え?錦織君?待って、抱えて?え?どう言う事?溝江君は?何、何がどうなって、え?やっばい、全然判んない。深く考えたら頭が痛くなりそうなんだけどー」
「以上の理由で本日は人手不足から、時の君の警護を平素の12人から10人まで削減する事を、何卒お許し下さい…」
「あぇ?」

山田太陽はパニックに陥りながらも、寧ろ0人でお願いしますと笑顔で頷いた。今にも死にそうな表情の後輩には悪いが、そんなどうでも良い会話より今は、



「悪いけど君。これ以上ストーカーやめないと、いい加減俺も本気で怒るから、って、…伝えといてくれる?」

折り畳み式の教鞭も投げ付け用のPSPも持っていない丸腰の平凡の周囲で、バチリと、黒い何かが弾けた様な気がした目撃者らは、誰一人その出来事を口にする事はなかった。



山田太陽15歳、春。
彼が自信を持ってアイム平凡と名乗れた、これが最後の季節だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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